矛盾は嫌い(06/07/10)
宝物
『非日常的な日常』
私は尻尾を持っている。
フォックスのファーに紐を結び、アナルパールの先端の紐に結び付けた尻尾。
アナルパールを押し込めば、ほら、可愛い尻尾の出来上がり!
だから、私の尻尾は、お尻の穴から生えているの。
那智さんはときどき、私をわんこにしてくれる。(フォックスだけど、わんこなのは許してね)
わんこだから「ワン」しか言えない。
言っちゃいけない。
でも、そんなに簡単に「はい、犬です。」なんて演技はできないから、恥ずかしくて黙っていると、那智さんはたくさん手で気持ちよくさせてくれる。
「ああ」と思わず漏れる人間の声。
間髪入れずに、叱責の平手が飛んでくる。
相手は犬だ。
だから、甘美なお尻へのスパンキングではない。
頭だ。
躾の平手は、迷わず頭を打つ。
頭を叩く行為は、少なくとも対等な者同士においては侮辱的なことだろう。
元々二人の間で話題にはなっていた。
「わんこになったときは、叩くのは頭」
そう聞かされたとき、自分がその時屈辱を感じてしまって、冷めてしまうかもしれないと少し危惧した。
実際に、頭を叩かれたら、「ああ、こんな行為さえも幸福に感じてしまうのか」と自嘲してしまうほど、あっけなく受け入れてしまっていた。
「犬は、ワンだよね。」
感じて声を上げずにいられない私は、何かを諦めたかのように「ワ・・ン」と言いながら、腰を振る。
那智さんの足元にしゃがみ込み、いきそうになって見上げる。
いくときは「いってもいいですか?」と許しを得ないといけないからだ。
察した那智さんは、「犬なんだから、許しなんか得ないで、何度もいっていいんだよ♪」と許してくれる。
だから、私は発情した犬になって、何度も何度もいく。
「ワン」っていいながら(笑)
いき疲れた私を足元に抱え込むように、首の辺りを「よしよし」と撫でてもらう。
その後は、お食事の時間だ。
犬用の器(本物のです。よくあるやつね!)に、ハンバーガー。
もちろん、床に置いたそれは、手を使って食べてはいけない。
あの犬の器は深さがあって食べにくいのです。
顔を埋めて、舌を使って、なんとか食べる。
パンとミートを一緒に食べるなんて、無理なお話。
パンを食べ、ミートを食べ、最後にまたパン。
口の周りを、油とケチャップで汚しても私にはどうすることもできない。
最後のパンまでくると、顔をすべて器に埋めないと食べられない。
目を閉じる。
私の耳には、器の中で舌を使うクチャクチャという音と、荒い息づかいしか聞こえない。
那智さんは、静かに私を見下ろしているだけだ。
私は、犬だ。
恥も外聞もない、犬。
なんて幸せなのだろう。
私は、何者でもない、那智さんの犬というだけの存在。
きわめつけは、お食事の後の、水分だ。
那智さんは、器におしっこをする。
ペットボトルの時もそうですが、流し込まれるおしっこを飲むのと、自ら喉に入れるのとでは後者のほうが、思い切りが必要だ。
しかも、一気に飲むわけにはいかない。
これも舌を使って、少しずつすくう。
もう、私には味も姿も、なにもかもどうでも良いことになってしまった。
幸福なわんこというだけのこと。
「羞恥心をなくさないで」と那智さんは言う。
でも、羞恥心をなくしてしまうほど、私を追い詰めるのも、那智さんだ。
我を忘れるほど腰を振らせておきながら、その私を数%嫌いになる時があるそうです。
矛盾を孕んでいることは、那智さん自身も自覚しています。
この矛盾は、本当に苦しい。
愛してほしい人の手によって、快感の淵に立たされて、ほんの少し嫌われるとわかっていながら、その淵から投身する。
投身するまで、快感を止めさせてもらえない。
ただ、このわんこの時は、その「嫌い」を感じないそうです。
りん子じゃなくて、わんこだからでしょうか。
だけど、「嫌いを感じない」と話題になってから、まだ、わんこの日は来ていません。
しばらくわんこから遠ざかっています。
きっと今度わんこになるときは、安心していられそうです♪
矛盾を意識せず、快感を貪れることに憧れている私でした。
『非日常的な日常』
私は尻尾を持っている。
フォックスのファーに紐を結び、アナルパールの先端の紐に結び付けた尻尾。
アナルパールを押し込めば、ほら、可愛い尻尾の出来上がり!
だから、私の尻尾は、お尻の穴から生えているの。
那智さんはときどき、私をわんこにしてくれる。(フォックスだけど、わんこなのは許してね)
わんこだから「ワン」しか言えない。
言っちゃいけない。
でも、そんなに簡単に「はい、犬です。」なんて演技はできないから、恥ずかしくて黙っていると、那智さんはたくさん手で気持ちよくさせてくれる。
「ああ」と思わず漏れる人間の声。
間髪入れずに、叱責の平手が飛んでくる。
相手は犬だ。
だから、甘美なお尻へのスパンキングではない。
頭だ。
躾の平手は、迷わず頭を打つ。
頭を叩く行為は、少なくとも対等な者同士においては侮辱的なことだろう。
元々二人の間で話題にはなっていた。
「わんこになったときは、叩くのは頭」
そう聞かされたとき、自分がその時屈辱を感じてしまって、冷めてしまうかもしれないと少し危惧した。
実際に、頭を叩かれたら、「ああ、こんな行為さえも幸福に感じてしまうのか」と自嘲してしまうほど、あっけなく受け入れてしまっていた。
「犬は、ワンだよね。」
感じて声を上げずにいられない私は、何かを諦めたかのように「ワ・・ン」と言いながら、腰を振る。
那智さんの足元にしゃがみ込み、いきそうになって見上げる。
いくときは「いってもいいですか?」と許しを得ないといけないからだ。
察した那智さんは、「犬なんだから、許しなんか得ないで、何度もいっていいんだよ♪」と許してくれる。
だから、私は発情した犬になって、何度も何度もいく。
「ワン」っていいながら(笑)
いき疲れた私を足元に抱え込むように、首の辺りを「よしよし」と撫でてもらう。
その後は、お食事の時間だ。
犬用の器(本物のです。よくあるやつね!)に、ハンバーガー。
もちろん、床に置いたそれは、手を使って食べてはいけない。
あの犬の器は深さがあって食べにくいのです。
顔を埋めて、舌を使って、なんとか食べる。
パンとミートを一緒に食べるなんて、無理なお話。
パンを食べ、ミートを食べ、最後にまたパン。
口の周りを、油とケチャップで汚しても私にはどうすることもできない。
最後のパンまでくると、顔をすべて器に埋めないと食べられない。
目を閉じる。
私の耳には、器の中で舌を使うクチャクチャという音と、荒い息づかいしか聞こえない。
那智さんは、静かに私を見下ろしているだけだ。
私は、犬だ。
恥も外聞もない、犬。
なんて幸せなのだろう。
私は、何者でもない、那智さんの犬というだけの存在。
きわめつけは、お食事の後の、水分だ。
那智さんは、器におしっこをする。
ペットボトルの時もそうですが、流し込まれるおしっこを飲むのと、自ら喉に入れるのとでは後者のほうが、思い切りが必要だ。
しかも、一気に飲むわけにはいかない。
これも舌を使って、少しずつすくう。
もう、私には味も姿も、なにもかもどうでも良いことになってしまった。
幸福なわんこというだけのこと。
「羞恥心をなくさないで」と那智さんは言う。
でも、羞恥心をなくしてしまうほど、私を追い詰めるのも、那智さんだ。
我を忘れるほど腰を振らせておきながら、その私を数%嫌いになる時があるそうです。
矛盾を孕んでいることは、那智さん自身も自覚しています。
この矛盾は、本当に苦しい。
愛してほしい人の手によって、快感の淵に立たされて、ほんの少し嫌われるとわかっていながら、その淵から投身する。
投身するまで、快感を止めさせてもらえない。
ただ、このわんこの時は、その「嫌い」を感じないそうです。
りん子じゃなくて、わんこだからでしょうか。
だけど、「嫌いを感じない」と話題になってから、まだ、わんこの日は来ていません。
しばらくわんこから遠ざかっています。
きっと今度わんこになるときは、安心していられそうです♪
矛盾を意識せず、快感を貪れることに憧れている私でした。
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