育てたように
独特な幸福感
私たちが時々遊びに行くハプニングバーは、ノーマルの人が多いのだけど、たまにSMカップルにも会うことがある。
SMと言っても付き合い方は様々で、見ていて面白い。
縛ることが好きなカップルや他者を交えることを楽しむカップル。
付き合いの深さもそれぞれだ。
那智さんは、私を他の人に見せて遊ぶことはあるけれど、他者を交えることや他の男性に貸すなんてことはほとんどない。
スタッフの女性に触ってもらうくらいだ。
ハプニングンバーとわかって来ているのだから、みんな比較的性的なことに開放的。
一人の女性が全裸になって股を広げ、何人もの男性を相手している姿をガラス越しに見たりすると、なんだか不思議な気持ちになる。
自分の世界に入りやすいからか、SMカップルのなかには没頭している人もいる。
特に性質上Mに多いのだけど、あれくらい没頭(しているように見える)できたら気持ち良いだろうなと思ってしまうほどだ。
私は、いわゆるマゾという性癖を持っていると思うのだけど(定義は知らないけどね)、没頭しやすいかというと、それほどではないのではないかと思う。(う〜ん、そうでもないかな…^^;)
(まあ、没頭しにくいということで、お話しさせてください)だから、気持ち良いことに突っ走れたらいいだろうなと思ってしまうのだ。
周りを意識してしまって、どこか冷静な私がいるの。
那智さんと二人の時には、理性をなくしてしまえる(このほうが楽)ようになってきているのだけど、周りに人がいると、難しい。
通い始めのころ、他者への気遣いばかりが優先して楽しめないことがあった。
那智さんは「俺のことだけ見ていればいい、それでもし他の人に失礼なことがあれば、俺がフォローするから、りん子は俺のことだけ考えていればいい。」と教えてくれて、その部分では楽しめるようになってはきた。
実際、体ごと那智さんの方を向けて那智さんだけを見ている時間が圧倒的に長い。
ただ、それと没頭できるのは違うことのようで、他者のいる所で快感を味わうことは下手かもしれない。
でも、どうやらそれが那智さんのお望みのようだ。
那智さんだけを見ている私を無理矢理人の前に引きずり出し(実際引きずっているわけじゃないですけどね)、他のカップルがしていないようなことをして見せる。
私は「那智さん、そんなの無理」と小さく抵抗する。
でも、この抵抗は無意味で悪影響だとわかっているから、小さい抵抗止まりで従うしか道はない。
従わないと、もっと酷くなるし、終わりにならない。
スパンキングだったり、おしっこするところを見せることだったり様々だけど、他人の目という刺激で感じることもあるけど(あることは、認める^^)、どちらかというと「那智さんのもの」っていう喜びが大きい。
それなのに、気がつけば「りん子さん凄いことしますね〜 苦笑」みたいな認識になってしまっていることが、納得いかないの。
どうして!?私は、引っ張り出されて引きずられて、ぐちゃぐちゃになってしまっただけなのに、私が望んだわけでもお願いしたわけでもないのに、私が凄いことになってしまうの??
なんだかトホホな気分で、納得いかなーい!!って感じなのだ。
「みんなの前で俺がして、りん子は嬉しくないの?」
そりゃあ、那智さんのに誇示してもらうことは嬉しいことだけど、私だけ「凄いね〜^^;」ってなってしまうのは、困ります。
「那智さんに引きずられて、ずる剥け状態の私だけが目立つのが情けないのです。」
半べそで訴えると「だから、美しいんだろ!?」ですって。
「那智さんに好き勝手に引きずられて、それに付いて行くりん子」が美しいのだそうだ。
これはヴィジュアルの美しいではなくて「美しい師弟愛」みたいな美しさだと理解している。
それでも、那智さんの発する「美しい」という言葉は、私を浮き浮きさせるには充分な言葉。
なんか、ずるいな、那智さん。
美しいなんて言葉使って、私が良い気分になってしまうではありませんか。
人前で没頭できたらいいな〜なんて憧れは「美しい」の言葉でひとまず蓋をすることになる。
「育てたように子は育つ」
相田みつをみたいだ。
「育てたようにM女は育つ」?
私にも没頭する性質はあるはずだ。
那智さんと二人の時には、そうなるもの。
だけど、人前でそれをするには、そうしたいという大好きな人の意思が必要だ。
でも、那智さんは人前では、それを望んでいないらしい。
完全受動で、引きずられて擦り傷だらけで、困り果てた笑顔を見せる私が好みで、その私を美しいと言って、そこに止めるのだ。
那智さんの望むような私ができていく。
馬にロープを結わき先端を私が握り、那智さんが馬に乗って鞭打ち走らせる。
私は砂埃を上げながらずるずると引きずられているけど、つらそうで嬉しそう、そんな感じだ。
アクション映画みたい。
ああ、大変。
没頭できるように育ててもらったほうが、楽な気がします。
私たちが時々遊びに行くハプニングバーは、ノーマルの人が多いのだけど、たまにSMカップルにも会うことがある。
SMと言っても付き合い方は様々で、見ていて面白い。
縛ることが好きなカップルや他者を交えることを楽しむカップル。
付き合いの深さもそれぞれだ。
那智さんは、私を他の人に見せて遊ぶことはあるけれど、他者を交えることや他の男性に貸すなんてことはほとんどない。
スタッフの女性に触ってもらうくらいだ。
ハプニングンバーとわかって来ているのだから、みんな比較的性的なことに開放的。
一人の女性が全裸になって股を広げ、何人もの男性を相手している姿をガラス越しに見たりすると、なんだか不思議な気持ちになる。
自分の世界に入りやすいからか、SMカップルのなかには没頭している人もいる。
特に性質上Mに多いのだけど、あれくらい没頭(しているように見える)できたら気持ち良いだろうなと思ってしまうほどだ。
私は、いわゆるマゾという性癖を持っていると思うのだけど(定義は知らないけどね)、没頭しやすいかというと、それほどではないのではないかと思う。(う〜ん、そうでもないかな…^^;)
(まあ、没頭しにくいということで、お話しさせてください)だから、気持ち良いことに突っ走れたらいいだろうなと思ってしまうのだ。
周りを意識してしまって、どこか冷静な私がいるの。
那智さんと二人の時には、理性をなくしてしまえる(このほうが楽)ようになってきているのだけど、周りに人がいると、難しい。
通い始めのころ、他者への気遣いばかりが優先して楽しめないことがあった。
那智さんは「俺のことだけ見ていればいい、それでもし他の人に失礼なことがあれば、俺がフォローするから、りん子は俺のことだけ考えていればいい。」と教えてくれて、その部分では楽しめるようになってはきた。
実際、体ごと那智さんの方を向けて那智さんだけを見ている時間が圧倒的に長い。
ただ、それと没頭できるのは違うことのようで、他者のいる所で快感を味わうことは下手かもしれない。
でも、どうやらそれが那智さんのお望みのようだ。
那智さんだけを見ている私を無理矢理人の前に引きずり出し(実際引きずっているわけじゃないですけどね)、他のカップルがしていないようなことをして見せる。
私は「那智さん、そんなの無理」と小さく抵抗する。
でも、この抵抗は無意味で悪影響だとわかっているから、小さい抵抗止まりで従うしか道はない。
従わないと、もっと酷くなるし、終わりにならない。
スパンキングだったり、おしっこするところを見せることだったり様々だけど、他人の目という刺激で感じることもあるけど(あることは、認める^^)、どちらかというと「那智さんのもの」っていう喜びが大きい。
それなのに、気がつけば「りん子さん凄いことしますね〜 苦笑」みたいな認識になってしまっていることが、納得いかないの。
どうして!?私は、引っ張り出されて引きずられて、ぐちゃぐちゃになってしまっただけなのに、私が望んだわけでもお願いしたわけでもないのに、私が凄いことになってしまうの??
なんだかトホホな気分で、納得いかなーい!!って感じなのだ。
「みんなの前で俺がして、りん子は嬉しくないの?」
そりゃあ、那智さんのに誇示してもらうことは嬉しいことだけど、私だけ「凄いね〜^^;」ってなってしまうのは、困ります。
「那智さんに引きずられて、ずる剥け状態の私だけが目立つのが情けないのです。」
半べそで訴えると「だから、美しいんだろ!?」ですって。
「那智さんに好き勝手に引きずられて、それに付いて行くりん子」が美しいのだそうだ。
これはヴィジュアルの美しいではなくて「美しい師弟愛」みたいな美しさだと理解している。
それでも、那智さんの発する「美しい」という言葉は、私を浮き浮きさせるには充分な言葉。
なんか、ずるいな、那智さん。
美しいなんて言葉使って、私が良い気分になってしまうではありませんか。
人前で没頭できたらいいな〜なんて憧れは「美しい」の言葉でひとまず蓋をすることになる。
「育てたように子は育つ」
相田みつをみたいだ。
「育てたようにM女は育つ」?
私にも没頭する性質はあるはずだ。
那智さんと二人の時には、そうなるもの。
だけど、人前でそれをするには、そうしたいという大好きな人の意思が必要だ。
でも、那智さんは人前では、それを望んでいないらしい。
完全受動で、引きずられて擦り傷だらけで、困り果てた笑顔を見せる私が好みで、その私を美しいと言って、そこに止めるのだ。
那智さんの望むような私ができていく。
馬にロープを結わき先端を私が握り、那智さんが馬に乗って鞭打ち走らせる。
私は砂埃を上げながらずるずると引きずられているけど、つらそうで嬉しそう、そんな感じだ。
アクション映画みたい。
ああ、大変。
没頭できるように育ててもらったほうが、楽な気がします。