心惹かれること
独り言
先日こんなニュースがテレビから流れているのを見た(詳細は自信ないです)。
タイ(どこか東南アジアだったはず)で、野性化した女性が保護された。
民家の食べ物を盗んでいるところを捕まえられたのだ。
腕の傷が決め手になって、19年前森で行方不明になった女性だと判明した。
現在27歳、父親と名乗る男性に引き取られ、いまは家族と暮らしているそうだが、隙を見て洋服を脱ぎ逃げ出してしまうそうだ。
画面に映っているその女性は、まったく普通の女性だが、食べ物をスプーンで口に運んでもらって恐る恐る食べていた。
言葉は忘れているらしく、しゃべらない。
その子が行方不明になったのは、8歳の時。
道に迷った少女が生きていくには、野生化していくしかなかったのだろう。
8歳までは、言葉も話せたはずだ。
8歳まで話せていても、そこから先使わなければ衰えて、それ以外の生きる術が発達していく、そんな人の(人に限らないかな)脳って、不思議で面白いと思う。
私は、「そんな状態でも生きていかれる人間」というのに興味を持ってしまうみたい。
例えば、「狼に育てられた少女」のお話。
一時期無性に気になって図書館で探したけど、私が読めるような本ではそれほど多くは出版されていなくて一例しか知る事はできなかった。
(記憶曖昧です)双子だか年子だか忘れたけど、姉妹のお話。
アマラとカマラと名付けられた少女は赤ん坊の頃狼にさらわれて、育てられたのだ。
確か、10歳に満たない年齢で発見されたと思う。
もちろん裸で、四つ足で(しかも速く走る)、夜になると遠吠えをする。
洋服を嫌がるから、慣れるまでは布を巻いてふんどしのようにしていた。
その姿で二人が寄り添って寝ているモノクロの古い写真が、それが事実で、そんなことがあるのかと私の心を落ち着かなくさせる。
二人は徐々に二足歩行をするようになり、保護した牧師夫妻に心を許すようになっていくのだが、(たしか)1、2年で次々死んでいく。
その二人の本当の幸せはなんなのかはわからない。
私の興味を惹くのは、生きていく為には、又はそのように育てられれば(実際狼はきちんと育てていたらしい)、それに適応して何かを変えてでも生きていかれる人の脳みそだ。
もうひとつ、とても気になってよく読んだのが、多重人格のこと。
ビリーミリガンは一時期本などで有名になったけど、その本が出版されるより前にニュースでそのビリーミリガンのことが取り上げられていて、はじめて「多重人格」という脳みそを知ったのだ(それまで『あの人は二重人格だよね』みたいに軽い存在でしかなかった)。
それは医療チームが撮影したもので、大人しい人格から凶暴な人格へ変わる瞬間を捉えたものだった。
明らかに表情が変わり、仕草や口調から同じ顔の別人と感じ取れてしまうことが不思議で、やっぱり心が落ち着かなくなってしまう。
いろんな本を読んだ。
ほとんどはフィクション。
幼い頃に虐待を受け、あまりのつらさに「これをされているのは私じゃない、他の子だ」という方法で、生きていく為に別人格を作ってしまう。
一回増えると、更に増え続けるらしく二重人格というのは、ほとんどないらしい。
7人、24人、200人、いろいろだ。
大体は元の人格は眠っていて記憶がない。
核になる人格が何人かいて、代わる代わる現れる。
ピンチになったら凶暴な人格、恋愛になったら派手な人格、問題が起きたら頭の良い人格、一人のときは幼い子。
それぞれ名前や出身、性別も違う。
利き手も違うから、一人だけ左手で書けたりすることもある。
もちろん筆跡も違うし、描く絵のタッチも全然違う。
その人格によってアレルギーだったりそうじゃなかったりもするから、演技ではないことはわかる。
その絵や筆跡が本に載っていたりすると、なんだか「ぞくぞく」してしまってやめられない。
そのまま成人していくからトラブルは絶えない、常に記憶が飛んでいて知らない洋服やカードの明細が増えていたりするし、記憶にないことで責められ、嘘つき呼ばわりされる。
自分が気がついたら、まったく知らないところにいて、いつのまにか何週間も過ぎている、そんなことの連続の人生なんて、考えただけでも恐ろしい。
またそこに至る虐待が凄まじい。(外国が主ですけどね)
首だけ出して地面に埋められる、飼っている子犬を目の前で殺される、自殺を強要される、地面にしたおしっこを舐めさせられる、フライパンで叩かれる。
それが幼い子の唯一の生きる術の親からされているのだから、心が痛い。
その苦労や治療方法などは、ちょっと置いといて。
その人々の境遇や育った環境を思うとあまり勝手な事は言えないのはわかっているから、お許しいただきたいのだけど。
脳みそで変わるというのが、気になるのだ。
今なら推測できるけど、私は昔からそれのずっと手前くらいの状態を望んでいたのかもしれない、そして、もしかしたら今はその片鱗を知っているかもしれなくて、気になるのだと思う。
気になって、心惹かれてしまう。
先日こんなニュースがテレビから流れているのを見た(詳細は自信ないです)。
タイ(どこか東南アジアだったはず)で、野性化した女性が保護された。
民家の食べ物を盗んでいるところを捕まえられたのだ。
腕の傷が決め手になって、19年前森で行方不明になった女性だと判明した。
現在27歳、父親と名乗る男性に引き取られ、いまは家族と暮らしているそうだが、隙を見て洋服を脱ぎ逃げ出してしまうそうだ。
画面に映っているその女性は、まったく普通の女性だが、食べ物をスプーンで口に運んでもらって恐る恐る食べていた。
言葉は忘れているらしく、しゃべらない。
その子が行方不明になったのは、8歳の時。
道に迷った少女が生きていくには、野生化していくしかなかったのだろう。
8歳までは、言葉も話せたはずだ。
8歳まで話せていても、そこから先使わなければ衰えて、それ以外の生きる術が発達していく、そんな人の(人に限らないかな)脳って、不思議で面白いと思う。
私は、「そんな状態でも生きていかれる人間」というのに興味を持ってしまうみたい。
例えば、「狼に育てられた少女」のお話。
一時期無性に気になって図書館で探したけど、私が読めるような本ではそれほど多くは出版されていなくて一例しか知る事はできなかった。
(記憶曖昧です)双子だか年子だか忘れたけど、姉妹のお話。
アマラとカマラと名付けられた少女は赤ん坊の頃狼にさらわれて、育てられたのだ。
確か、10歳に満たない年齢で発見されたと思う。
もちろん裸で、四つ足で(しかも速く走る)、夜になると遠吠えをする。
洋服を嫌がるから、慣れるまでは布を巻いてふんどしのようにしていた。
その姿で二人が寄り添って寝ているモノクロの古い写真が、それが事実で、そんなことがあるのかと私の心を落ち着かなくさせる。
二人は徐々に二足歩行をするようになり、保護した牧師夫妻に心を許すようになっていくのだが、(たしか)1、2年で次々死んでいく。
その二人の本当の幸せはなんなのかはわからない。
私の興味を惹くのは、生きていく為には、又はそのように育てられれば(実際狼はきちんと育てていたらしい)、それに適応して何かを変えてでも生きていかれる人の脳みそだ。
もうひとつ、とても気になってよく読んだのが、多重人格のこと。
ビリーミリガンは一時期本などで有名になったけど、その本が出版されるより前にニュースでそのビリーミリガンのことが取り上げられていて、はじめて「多重人格」という脳みそを知ったのだ(それまで『あの人は二重人格だよね』みたいに軽い存在でしかなかった)。
それは医療チームが撮影したもので、大人しい人格から凶暴な人格へ変わる瞬間を捉えたものだった。
明らかに表情が変わり、仕草や口調から同じ顔の別人と感じ取れてしまうことが不思議で、やっぱり心が落ち着かなくなってしまう。
いろんな本を読んだ。
ほとんどはフィクション。
幼い頃に虐待を受け、あまりのつらさに「これをされているのは私じゃない、他の子だ」という方法で、生きていく為に別人格を作ってしまう。
一回増えると、更に増え続けるらしく二重人格というのは、ほとんどないらしい。
7人、24人、200人、いろいろだ。
大体は元の人格は眠っていて記憶がない。
核になる人格が何人かいて、代わる代わる現れる。
ピンチになったら凶暴な人格、恋愛になったら派手な人格、問題が起きたら頭の良い人格、一人のときは幼い子。
それぞれ名前や出身、性別も違う。
利き手も違うから、一人だけ左手で書けたりすることもある。
もちろん筆跡も違うし、描く絵のタッチも全然違う。
その人格によってアレルギーだったりそうじゃなかったりもするから、演技ではないことはわかる。
その絵や筆跡が本に載っていたりすると、なんだか「ぞくぞく」してしまってやめられない。
そのまま成人していくからトラブルは絶えない、常に記憶が飛んでいて知らない洋服やカードの明細が増えていたりするし、記憶にないことで責められ、嘘つき呼ばわりされる。
自分が気がついたら、まったく知らないところにいて、いつのまにか何週間も過ぎている、そんなことの連続の人生なんて、考えただけでも恐ろしい。
またそこに至る虐待が凄まじい。(外国が主ですけどね)
首だけ出して地面に埋められる、飼っている子犬を目の前で殺される、自殺を強要される、地面にしたおしっこを舐めさせられる、フライパンで叩かれる。
それが幼い子の唯一の生きる術の親からされているのだから、心が痛い。
その苦労や治療方法などは、ちょっと置いといて。
その人々の境遇や育った環境を思うとあまり勝手な事は言えないのはわかっているから、お許しいただきたいのだけど。
脳みそで変わるというのが、気になるのだ。
今なら推測できるけど、私は昔からそれのずっと手前くらいの状態を望んでいたのかもしれない、そして、もしかしたら今はその片鱗を知っているかもしれなくて、気になるのだと思う。
気になって、心惹かれてしまう。