手を離さないで
独特な幸福感
那智さんのお仕事場に行く。
今日は少しお仕事のお手伝い。
それと、録画した小田和正さんのライブDVDを持っていくため。
お仕事を終えて、ネット遊びしながらダビングしたライブを流している。
年が年なので、昔のオフコース時代の曲ならわかるし、聞きたいなと思うけど、新しい曲やゲストを呼んでその人の曲を演奏したりしているから、ちょっと退屈。
私は那智さんほど「小田さん支持」ではないのだ。
そんな中、ゲストではないけれど、尾崎豊さんの「I LOVE YOU」を小田和正さんが歌い出した。
やばい、泣いてしまいそうだ。
なんだかベタな感じがして恥ずかしい。
「軋むベッドの上で」…う〜んお仕事場に置いてあるベッドかな、それともいつも行く古いホテルのベッドも軋むよね。
なんてつい自分に置き換えて想像してしまう。
だけど、10代や20代の若い人じゃない、いい年した不倫のカップルには尾崎豊さんの「軋むベッド」は美しすぎてしまう。
当てはめるけど、照れくさい。
それでも、場末の古いホテルのベッドは生々しくて、枯れていて、希望のないこの世の果てのようなそんな場所で、あなたの一部になってしまいたいと一生懸命胸に頬をくっつけて離れないように、あなたに埋まってしまいたいと、必死に唾液を貪る。
それは尾崎豊さんのベッドより、醜い。
だけど、離れたくないと泣く私に、あなたは明日を見せてくれる。
変わらない「愛してる」をくれて、明日も明後日も続くと教えてくれる。
この世の果てが、明日へ続くようにしてくれる。
だから、醜いけど、誰にも見せられないけど、私には上質の毛布だ。
那智さんはほとんど愚痴や弱音を吐かない、大人の人は皆多かれ少なかれそうなのでしょうけれど、私には那智さんが「孤軍奮闘」しているように感じられてしまう時がある。
普段はほとんど見せないけれど、ごくたまに膝を付いて耐えているように見えるときがあったりすると、とても苦しくなってしまう。
そんな那智さんの隣で「I LOVE YOU」なんて聞いてしまったから、泣いてしまいそうだ。
あまりにも筋書き通りで照れくさいから、少し下がって泣き顔を見せないようにしよう。
せっかくいい曲なのに、私の涙で中断してはもったえない。
聞き終わって泣いていることをからかわれて、他の曲も聴く。
だけど、小田和正さんの曲では泣かない私に、小田さん派の那智さんは納得がいかない。
巻き戻し、聞き慣れた曲にして、私の頭を抱きかかえるように髪を撫でる「泣かせ体勢」にして、意地でも小田さんの曲で泣かせようとしているのだ。
もう、この負けず嫌いな那智さんはどうしたものでしょう。
それでも、「あなたに会えて本当に良かった」なんて歌っているから、那智さんの腰に回す腕につい力が入ってしまう。
ああ、恥ずかしい、高校生じゃないんだから、音楽聴きながら抱き合うなんて。
でも、那智さんの心臓の音が規則正しく聞こえてきて、永遠に変わらない安心の子守唄のようで、うっとりとしてしまう。
永遠なんてない、だけど、どうかずっと一緒にいられますようにと祈る。
付き合いはじめのころ、こんなルールを作った。
「もしも〜だったら」に条件を付けるのだ。
それは、不倫関係の私がつらくならないように那智さんが考えたルール。
「過去とあり得ない状況のもしもなら言ってもいい」というものだ。
「もし、あの時出会っていたら?」とか「もしもタイムマシンがあったら?」と言った感じのことならしても良い。
それ以外は、生々しくて、自分を追い詰めてしまうから、ダメ。
「あと三日で死ぬって言われたら?」これは、まあ、未来だけどいま健康だから、限りなくあり得ない状況だということで辛うじてOK!みたいな会話をしていた。
知り合ってあれよあれよという間に「尊敬」も「愛してる」も「父性の毛布」ももらった私には、このルールはありがたい指針だった。
ともすれば、あれこれ想像して話題にして、自分で自分を苦しめてしまうところを、このルールがあるから、いらぬ甘美な妄想で心を痛めることを避けることができた。
いまは随分規制緩和されて、けっこう生々しい「もしも」も話しているけれど、もうそれは甘美な妄想に浸るような種類のものではないから、心を痛めることもない。
抱き合って小田和正を聴いて高校生のようにセンチメンタルになってしまって、かなり真剣にルール違反をしてしまった。
「その話は続けると那智がつらくなるよ。」忠告されたにも関わらず、かなりのルール違反。
「私たちの最適最良の付き合い方は何だろう。」なんて聞いてしまった。
その前後にもやり取りがあるから、全部ひっくるめてルール違反。(わかりにくいですよね)
そしたら、仮定の話だけど私が追い詰められるような質問を浴びせられて、困ってしまった。
「YES」も「NO」も言えない。
両方の私がいる。
やっぱりルール違反がいけなかった。
忠告をきいておくべきだった。
はっきりできない私に、それでも何も変わらないと言ってくれる。
「もし変わったらお話ししてください」と不安に思う私に「そうだね。」と言って安心させてくれる。
こうやって、横道に逸れてしまったら那智正して、転んでしまったら手を差し伸べてくれてくれる。
私の道標だ。
私も少しは成長したらしい、苦手なことには変わりないけど自分の心を切り替えて日々生活できるようになっているそうだ。
それでも、忠告を無視してときどき暴走しては、悲しくなっている。
不倫でSMの私たち、できるだけ他者を傷つけず、できれば周りも幸せになれるように心を配りたい。
それでも、私の人生が悔いのない人生になるようにしたい。
だから、私は絶対に那智さんの手を離さない。
那智さんのお仕事場に行く。
今日は少しお仕事のお手伝い。
それと、録画した小田和正さんのライブDVDを持っていくため。
お仕事を終えて、ネット遊びしながらダビングしたライブを流している。
年が年なので、昔のオフコース時代の曲ならわかるし、聞きたいなと思うけど、新しい曲やゲストを呼んでその人の曲を演奏したりしているから、ちょっと退屈。
私は那智さんほど「小田さん支持」ではないのだ。
そんな中、ゲストではないけれど、尾崎豊さんの「I LOVE YOU」を小田和正さんが歌い出した。
やばい、泣いてしまいそうだ。
なんだかベタな感じがして恥ずかしい。
「軋むベッドの上で」…う〜んお仕事場に置いてあるベッドかな、それともいつも行く古いホテルのベッドも軋むよね。
なんてつい自分に置き換えて想像してしまう。
だけど、10代や20代の若い人じゃない、いい年した不倫のカップルには尾崎豊さんの「軋むベッド」は美しすぎてしまう。
当てはめるけど、照れくさい。
それでも、場末の古いホテルのベッドは生々しくて、枯れていて、希望のないこの世の果てのようなそんな場所で、あなたの一部になってしまいたいと一生懸命胸に頬をくっつけて離れないように、あなたに埋まってしまいたいと、必死に唾液を貪る。
それは尾崎豊さんのベッドより、醜い。
だけど、離れたくないと泣く私に、あなたは明日を見せてくれる。
変わらない「愛してる」をくれて、明日も明後日も続くと教えてくれる。
この世の果てが、明日へ続くようにしてくれる。
だから、醜いけど、誰にも見せられないけど、私には上質の毛布だ。
那智さんはほとんど愚痴や弱音を吐かない、大人の人は皆多かれ少なかれそうなのでしょうけれど、私には那智さんが「孤軍奮闘」しているように感じられてしまう時がある。
普段はほとんど見せないけれど、ごくたまに膝を付いて耐えているように見えるときがあったりすると、とても苦しくなってしまう。
そんな那智さんの隣で「I LOVE YOU」なんて聞いてしまったから、泣いてしまいそうだ。
あまりにも筋書き通りで照れくさいから、少し下がって泣き顔を見せないようにしよう。
せっかくいい曲なのに、私の涙で中断してはもったえない。
聞き終わって泣いていることをからかわれて、他の曲も聴く。
だけど、小田和正さんの曲では泣かない私に、小田さん派の那智さんは納得がいかない。
巻き戻し、聞き慣れた曲にして、私の頭を抱きかかえるように髪を撫でる「泣かせ体勢」にして、意地でも小田さんの曲で泣かせようとしているのだ。
もう、この負けず嫌いな那智さんはどうしたものでしょう。
それでも、「あなたに会えて本当に良かった」なんて歌っているから、那智さんの腰に回す腕につい力が入ってしまう。
ああ、恥ずかしい、高校生じゃないんだから、音楽聴きながら抱き合うなんて。
でも、那智さんの心臓の音が規則正しく聞こえてきて、永遠に変わらない安心の子守唄のようで、うっとりとしてしまう。
永遠なんてない、だけど、どうかずっと一緒にいられますようにと祈る。
付き合いはじめのころ、こんなルールを作った。
「もしも〜だったら」に条件を付けるのだ。
それは、不倫関係の私がつらくならないように那智さんが考えたルール。
「過去とあり得ない状況のもしもなら言ってもいい」というものだ。
「もし、あの時出会っていたら?」とか「もしもタイムマシンがあったら?」と言った感じのことならしても良い。
それ以外は、生々しくて、自分を追い詰めてしまうから、ダメ。
「あと三日で死ぬって言われたら?」これは、まあ、未来だけどいま健康だから、限りなくあり得ない状況だということで辛うじてOK!みたいな会話をしていた。
知り合ってあれよあれよという間に「尊敬」も「愛してる」も「父性の毛布」ももらった私には、このルールはありがたい指針だった。
ともすれば、あれこれ想像して話題にして、自分で自分を苦しめてしまうところを、このルールがあるから、いらぬ甘美な妄想で心を痛めることを避けることができた。
いまは随分規制緩和されて、けっこう生々しい「もしも」も話しているけれど、もうそれは甘美な妄想に浸るような種類のものではないから、心を痛めることもない。
抱き合って小田和正を聴いて高校生のようにセンチメンタルになってしまって、かなり真剣にルール違反をしてしまった。
「その話は続けると那智がつらくなるよ。」忠告されたにも関わらず、かなりのルール違反。
「私たちの最適最良の付き合い方は何だろう。」なんて聞いてしまった。
その前後にもやり取りがあるから、全部ひっくるめてルール違反。(わかりにくいですよね)
そしたら、仮定の話だけど私が追い詰められるような質問を浴びせられて、困ってしまった。
「YES」も「NO」も言えない。
両方の私がいる。
やっぱりルール違反がいけなかった。
忠告をきいておくべきだった。
はっきりできない私に、それでも何も変わらないと言ってくれる。
「もし変わったらお話ししてください」と不安に思う私に「そうだね。」と言って安心させてくれる。
こうやって、横道に逸れてしまったら那智正して、転んでしまったら手を差し伸べてくれてくれる。
私の道標だ。
私も少しは成長したらしい、苦手なことには変わりないけど自分の心を切り替えて日々生活できるようになっているそうだ。
それでも、忠告を無視してときどき暴走しては、悲しくなっている。
不倫でSMの私たち、できるだけ他者を傷つけず、できれば周りも幸せになれるように心を配りたい。
それでも、私の人生が悔いのない人生になるようにしたい。
だから、私は絶対に那智さんの手を離さない。
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