普通のひとで愛し合おう21
翌日は仕事初め、打ち合わせが入っていた。
昨日はほとんどコミュニケーションが取れなかったからありがたいタイミングだった。
朝イチ、すこし遠い駅まで歩くようにしてお話しする時間を確保する。
那智さん、大丈夫だろうか。
不安な気持ちでコールをする。
開口一番
ごめん、りん子、落ちてる…
テレクラ騒動のときとは別人のように、ここ一か月以上、何度となく襲ってきた絶望に支配されるような苦しさ『落ちる』と表現してきたそれが朝一番から感じているのだった。
だから、あれほどお酒を気をつけて、自分に優しく過ごしてと言ったのに!!!!
那智さんが何度なく絶望に襲われたように、わたしも何度目かの悔しさと落胆と怒りと痛みに震えるようだ。
那智さんが落ちるたびに、このあまりに多くの溢れるをコントロールしてきた。
多少の上下はあれど、コントロールできてきた。
いまも、たぶん、できる。
ずっと昔那智さんが言った。
怒らないといけないときは怒りの表現をする
感情をコントロールできる那智さんで、それをわたしにも求めているけれど、尊厳を傷つけられたときなどはあえて怒りの感情を表さないといけないと教えてもらったことがあった。
感情に引きずられるのではなく、怒りの感情を表すのだ。
我が子が小さい頃、ずる賢い子にいいように扱われそうになったときに相談したら、「『そこは怒らないとダメ』と教えてあげなきゃ」とアドバイスしてくれたんだ。
それ以来、わたしはどうしても怒らなきゃいけないときを精査して、怒りを表現するようにしている。
いまは、それだ。
どれほどあなたが心配か。
すこしでも心が穏やかになるように、ずっと心をこめてきた。
でも、那智さんは、自分で自分を痛めつけている。
わたしの大切な那智さんを、これ以上苦しませないで。
そう思って、わき上がる怒りの感情を『あえて』表現した。
いい加減にして!!
どうしてわかってくれないんですか!!
お酒気をつけてって、自分に優しくしてって言ってるのに!!
まだ正月の余韻を引きずる静かな朝一番の道ばたで、わたしは大声で怒鳴った。
これで、すこしでも自分を大事にするような意識を持ってほしい。
ごめん…
怒りを表現したほうがよいと判断したけど、結局はわたしの後味の悪いガス抜き程度にしかならなかった。
なぜなら、このときの那智さんはわたしの感情がすこしでもマイナスになるとリンクして、さらに大きく『落ちて』しまうからだ。
よかれと思ってしたことだったけど、残念ながら、より那智さんを苦しめてしまったようだった。
作戦を変えることにする。
どうやら、那智さんの脳はわたしを遠ざけるようだという見解を伝える。
文字でも会話でも、あのときの那智さんの脳は傷に直面してしまいそうになると、わたしの言葉を脳に届けないようにしていたから、昨夜のことも併せて状況説明をする。
俺、そんなことまでしてるの?
と驚きながらも、りん子を求める反面、行動は遠ざけている矛盾に本人も心当たりがあるようだ。
じゃあ、俺、どうすればいいの?
いまの那智さんはわたしが頼りだ。
藁をもつかむ思いで、わたしの導き出した『傷ついている』事実や回復の道筋や思考回路を取り入れようとしてくれている。
それなのに、自ら遠ざけようとするのならば、那智さんはなす術がない。
途方に暮れる那智さんにこんな提案をした。
合い言葉を作りましょう
なんでもいい。
キーワードを決めるのだ。
それをわたしが言ったら『那智さんはわたしを遠ざけている』と気づく
という暗示にするための合い言葉。
気づけば、すこしは視野がクリアになってくれるはずだ。
このときはその提案だけで終わったので合い言葉ができるのは数日後になるのだけど、後日ふたりの思い出の場所を合い言葉にした。
それ以来、那智さんが『落ちた』とき、ひとつの恐怖に支配されているとき、適正な視点や思考回路に結びつけてもらおうとしても『聞こえない』状態になってしまうときは『◯◯!!』と合い言葉をかけて引き戻すようになった。
(でも、わたしも目一杯だったから数回くらいしか発動しなかったと思う^^;)
とにかく、心配と不安と怒りと抑制の年末年始はこんなふうに過ぎていった。
今回のことで那智さんにこんな声を上げるのは、後にも先にもこのときだけだった。
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