普通のひとで愛し合おう22
あのときの那智さんはとにかく恐怖や絶望に支配されていた。
普通の落ち込みや体調不良とは明らかに異なるオーラから、本人も相当苦しいのだろうことは手に取るように感じられていた。
それでも、わたしに対して当たるような空気にはならず、いつもなんとかしてふたりの時間をよいものにしようと努めてくれていた。
年末の恒例ディナーにも連れて行ってくれたし、初詣にも行った、すこしよい状態のときもあった。
わたしがあんなに頑張れたのは、那智さんはどんなに苦しくてもわたしに当たらないでいてくれたからだ。
わたしは自分のことを信じ一心に那智さんが穏やかになるように突き進んでいたけど、ときにその思考を押し付けるようなこともあったはずだ。
自分の考えを訴えるとき、ああ、わたしはこんなときでも『那智さんは聞いてくれる』という安堵を感じていた。
那智さんは当たらない、そして、聞いてくれる。
どんなにわたしが支えていても、『那智さんに甘えている』関係だと思えていて、支え続けられたのは、こういうことがあったからだと思う。
ただ、お酒が入るとほとんど記憶がなくなるようだった、そして、帰り際になると、また絶望に支配されるような苦しげな表情になっていった。
いつからか、わたしは那智さんに『おやすみなさい』を言ってはいけなくなっていた。
『おやすみなさい』という文字は那智さんを不安にさせてしまうからだった。
那智さんから『おやすみ』をもらったら、『お疲れさまでした』と返し、わたしから送るときは『お布団です』と送る。
那智さんの『おはよう』と『おやすみ』がわたしのスイッチなんて微笑ましいことを言っていたなと思う(笑)
『おはよう』の文字に昨夜はどう過ごしたか、今朝の気持ちはどうか。
『おやすみ』がくれば、今夜はどれくらいアルコールを飲んだだろう、いまは寂しくはないだろうか。
わたしにとっての朝晩もらう挨拶は那智さんの状態を計るバロメーターになっていた。
呑気に『おはようございます』『おやすみなさい』と送っていたことが懐かしい。
あのときから、わたしは一度も那智さんに『おやすみなさい』を言っていない。
でも、いつか言える日が来るだろう。
もし言えなくても、それはそれだ。
このときのわたしは遠い先の光りの存在は『ないもの』としていた。
『もとの那智さんに戻る』事を唯一の正解にしてはいけないと自分に言い聞かせていた。
それはプレッシャーとなり那智を苦しめることになるし、仮にもとの那智さんに戻らなかったとしても、わたしが那智さんを大好きなことには変わりないと思えていたからだ。
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スイッチオン♪
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