普通のひとで愛し合おう24
結局、ほとんど飲酒のせいもあって記憶がないような年末年始を乗り越え、毎年行われる年始の大きなイベントを迎える時期がきた。
その数日前、それまで何をどう促しても増えることはあれど、減ることのなかったアルコールを3日間飲まないことがあった。
この体と心の状態の中、イベント準備を進めることは大きなミスを生みかねないと那智さん自身危惧したのだろう。
やればできるじゃん(笑)とツッコミたくなるけど、そこはこらえ、アルコールを摂らないでいることの快適さに気づいてくれたらいいなと願いながら、わたしも『昨夜も飲んだのだろうか』と毎朝様子を伺う心もとなさが一時軽減されてうれしかった。
この時期は毎晩毎朝『ツラくなっていないだろうか』、1分1秒、とにかくずっと気が気じゃなかったな。
大きなイベントは、わたしも侵入してリンパマッサージしたりなんとか乗り切った。
それが終わって気が抜けたこともあっただろうか。
またすこし落ちるような日が戻ってきてしまった。
あるとき、ふと、ああ、そうか、これはわたしひとりが抱えるものではない、抱える必要はないんだと腑に落ちた。
那智さんは傷ついている。
それも相当。
そのために絶望感を味わっている。
あの苦しそうな様子は『気の持ちよう』とか『気合い』で済ませられるものではない。
風邪をひいたら医者にいくではないか。
適切なお薬を処方してもらい完治させるものだ。
那智さんもそうしてもらおう。
なんとなく精神的なことをお薬に頼ることは『最終手段』とか『後戻りできない』もののように感じられて敬遠しがちだけど、そんなことはない。
弱ったら適切に頼ればいいのだ。
それで仮に薬が手放せなくなったとしても、那智さんの残りの人生が快適であるなら、たかだか2、30年、飲み続ければいいではないか。
この思考に至ったら、ものすごく崩れそうになってしまって、わたしったらずいぶん気が張っていたんだなと思った。
ただ、これを即座に伝えて受診を勧めても得策ではないのが那智さん(笑)
体調を見て、話題を読み、ここだというときに他者の通院の話題から『そんな方法もありますね~』と促してみる。
それでも、やっぱり避けようとする。
いままで何事も気合いで生きてきた那智さんからしたら精神的なことで病院にいくことは認めたくないことだろう。
さらに、そこで症状やこれまでの夫婦の経緯なども話さないといけないことも、大きなハードルだった。
それは『プライド』はもちろん、結婚生活を反芻することはあのときの那智さんにとって傷を抉るようなことだったから(実際、それに触れると『落ちる』のだ)、恐怖も伴っていたはずだ。
いや、どうせならもっと落ちるところまで落ちてからでもいいんじゃない(笑)
冗談っぽく自虐的に現実から目を目を逸らそうとする。
わたしを避けようとしている心理と近いものだろう。
わたしは思わず(すこし意識的に)涙を流した、涙が流れることを止めなかったが正解か、とにかく、この怒濤の2か月の間ではじめて那智さんの前で泣いた。
もう、わたしひとりでは限界です
病院にいきましょう
生理も止まっていることも伝え、泣き落としの形で心療内科にお薬をもらいにいきことの了解を得た。
ゴールの見えない暗闇の中をひとり歩いていたようだったけど、このときやっと遠くに光りが見えたようだった。
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