お化粧
独特な幸福感
『化粧なんて』というエントリーがある。
今日、改めてお化粧について書こうと思って読み返してみたら、ほとんどいいたいことが書かれていたので、ものすごく出鼻をくじかれた感なんだけど(笑)
いちおう、がんばってみる。
過去にも書いているけど、わたしは化粧が苦手だった。
お化粧品の匂いも苦手だし、顔に塗るとなんだか皮膚呼吸ができなくなるようでイヤだったし、化粧をすることで『本当のわたし』じゃないわたしを良いと思われるようだった。
そのままのわたしがいいということを、ずっとずっと欲していたのだろう。
それをしないとダメな状態を作るのもイヤで、なにより面倒くさがりな性格も大きい。
仕事でも必要最低限。
出会って2ヶ月してはじめて化粧した姿を見せたときは「化粧しないほうがキレイ」というわたしたち史上トップレベルの名言(もしくは迷言)を残すほどの、ダメぶりだった。
その頃から那智さんは『いつか』の話として、「年を取り、いつか化粧が必要になったときに苦労せずできたほうがいいだろ?」と話していた。
その言葉には『化粧が必要になるりん子』を想定してという意味はもちろんあるだろうけど、どちらかというと『そうなったときにりん子が悲しくならないように』という気持ちが多く含まれていたと思う。
最初の頃は、『化粧が必要になる』=『衰え』と感じてしまって、那智さんの言葉を素直に受け取れないこともあったけど、本意はそのときにわたしが慌てたりうまくできないと落ち込んだりしないようにという那智さんらしい先を見据えたやさしい気持ちであることは、時を重ねるごとに理解していた。
それで、できたほうがいいなと思ってすこしずつお化粧をするようになり、それも楽しめているというのが『化粧なんて』というエントリーだった。
あのエントリーから4年、わたしの心境に変化があった。
そして、その心境の変化はより一層那智さんすごいと思わせてくれるものになった。
『化粧なんて』を書いたとき、わたしはお化粧を『楽しむ』ものにできていた。
那智さんがよろこんでくれる、TPOに合わせて変身するのも楽しい、そういう気持ちがお化粧を肯定的なものになっていた。
きっと那智さんは、この『TPOに合わせる』状態やわたしが自然にお化粧を楽しめている心理状態をうれしく思ってくれていただろう。
それでも、普段はほぼファンデーションの類は塗らずちょっとアイラインを引いて口紅をつける程度で、ちゃんとお化粧するのは『おでかけ』のときくらいだったけど、ふたりにとってプラスなことだった。
それが、『あと10年でティアラを買ってもらえる』年齢を迎えたある日、鏡に映る自分を見て、ああ、そろそろもう少し日常的にお化粧をしたほうがいいのかなと思った。
年齢的に、きちんと衰えていることを自覚したのだ。
まあ、徐々に衰えているのは当然わかっていたけど、自分の中のボーダーラインに差しかっていることを自覚したわけ。
そのときの気持ち。
ぜんぜん悲しくないの。
ほんのすこしだけ静かにため息をつくような心になったけど、それだけ。
十分、すっぴんを楽しんだ。
多分、ため息をつくような心はたくさん楽しんだ祭りの後の喪失感みたいなものだ。
満足した喪失感。
那智さんは、すっぴんを十分楽しませてくれた。
悲しくならないように『いつか』とだけ示して、わたしの好きなようにさせていてくれた。
「そろそろ化粧したら」なんて一言も言わず、すっぴんでもお化粧をしていても、どのわたしも好きだとだけ伝えてくれていた。
思う存分楽しんで満足したら、変わることにこんなにも抵抗感がないのだと、その場になってはじめて言語化できる。
わたしは年齢による変化を受け入れ、まったくマイナス感情を持つことなくいられている。
これは那智さんが、先を示し、肯定し、よいときは評価し、ずっと見守ってくれていたからだ。
実は、那智さんが昔から言っていた『いつか必要になったとき』というのは、いまだったの。
那智さんのスタンスと、それまでもお化粧の経験の両方が『必要になった』と自覚したときに抵抗なく悲しくならず、無理なく変われるようにしてくれた。
このすんなりとした感覚。
理解してもらいにくいと思うのだけど、この無理なく悲しくならず自分を変えることができるようにレールを敷いてくれていた那智さんを改めてすごいと思うのだ。
那智さんはお化粧を楽しんでほしいと思っているみたいなんだけど、今回のわたしの変化は『必要だと』思ったからだ。
だから、残念ながら『楽しむ』とはすこし違う。
だけど、那智さんがいままで示してくれていたことの凄さを実感できるのは、マイナスなことがマイナスにならなかった状態だからより実感できる。
本体ならマイナスに感じる『お化粧が必要』な状態をすんなり受け入れることができたことだから、意義があるのだ。
だから、いつか『楽しむ』ことができると思うけど、いまはこっちのほうが偉大なのですよ、那智さん。
夜のデート。
エントリーにした牡蠣をいただいた夜。
薄くファンデーションを塗り、会いにいった。
それまでのわたしだったらアイメイクと口紅だけだったかもしれない(大衆居酒屋的なお店だったから^^;)
そして、
これからは、もうすこしお化粧しようと思います
と心境の変化を伝える。
そうだね、いいタイミングかもね
と、たいした話題じゃないようなお返事をしてくれた。
それからは以前よりお化粧の頻度や量がすこし増えている。
あいかわらず、ホテルの後の安居酒屋のときはほぼすっぴんで出たりしちゃいけど^^;
今回、エントリーを書くにあたり、那智さんにお化粧のことを聞いてみた。
やっぱり那智さんはTPOが大事らしい。
いつもすっぴん、いつもフルメイクより、ときどきで変わることを楽しんでくれているそうだ。
で、そのTPO具合は95%、わたしの感覚と相違ないそう。
ということは、これからも楽しんでいただけるように変化をつけてすっぴんもちょこっとだけも、たくさんもいろいろ楽しんでいこう。
あ、そうか、いま書いていて、このバリエーションを一緒に楽しむのはアリだと思った。
ということで、これから那智さんにバリエーションを楽しんでもらいながら、無理せずお化粧をするのもしないのも、楽しんでいこうと思うのでした^^
<関連エントリー>
化粧なんて
あと10年でティアラ!
ティアラ
牡蠣をいただいたとき
衝撃のひと言
「等式」感想です。「化粧」は色々あったよな〰(笑)今となっては素敵で、楽しく、納得出来る「まこ」との攻防でした。
りん子です(笑)
『化粧なんて』というエントリーがある。
今日、改めてお化粧について書こうと思って読み返してみたら、ほとんどいいたいことが書かれていたので、ものすごく出鼻をくじかれた感なんだけど(笑)
いちおう、がんばってみる。
過去にも書いているけど、わたしは化粧が苦手だった。
お化粧品の匂いも苦手だし、顔に塗るとなんだか皮膚呼吸ができなくなるようでイヤだったし、化粧をすることで『本当のわたし』じゃないわたしを良いと思われるようだった。
そのままのわたしがいいということを、ずっとずっと欲していたのだろう。
それをしないとダメな状態を作るのもイヤで、なにより面倒くさがりな性格も大きい。
仕事でも必要最低限。
出会って2ヶ月してはじめて化粧した姿を見せたときは「化粧しないほうがキレイ」というわたしたち史上トップレベルの名言(もしくは迷言)を残すほどの、ダメぶりだった。
その頃から那智さんは『いつか』の話として、「年を取り、いつか化粧が必要になったときに苦労せずできたほうがいいだろ?」と話していた。
その言葉には『化粧が必要になるりん子』を想定してという意味はもちろんあるだろうけど、どちらかというと『そうなったときにりん子が悲しくならないように』という気持ちが多く含まれていたと思う。
最初の頃は、『化粧が必要になる』=『衰え』と感じてしまって、那智さんの言葉を素直に受け取れないこともあったけど、本意はそのときにわたしが慌てたりうまくできないと落ち込んだりしないようにという那智さんらしい先を見据えたやさしい気持ちであることは、時を重ねるごとに理解していた。
それで、できたほうがいいなと思ってすこしずつお化粧をするようになり、それも楽しめているというのが『化粧なんて』というエントリーだった。
あのエントリーから4年、わたしの心境に変化があった。
そして、その心境の変化はより一層那智さんすごいと思わせてくれるものになった。
『化粧なんて』を書いたとき、わたしはお化粧を『楽しむ』ものにできていた。
那智さんがよろこんでくれる、TPOに合わせて変身するのも楽しい、そういう気持ちがお化粧を肯定的なものになっていた。
きっと那智さんは、この『TPOに合わせる』状態やわたしが自然にお化粧を楽しめている心理状態をうれしく思ってくれていただろう。
それでも、普段はほぼファンデーションの類は塗らずちょっとアイラインを引いて口紅をつける程度で、ちゃんとお化粧するのは『おでかけ』のときくらいだったけど、ふたりにとってプラスなことだった。
それが、『あと10年でティアラを買ってもらえる』年齢を迎えたある日、鏡に映る自分を見て、ああ、そろそろもう少し日常的にお化粧をしたほうがいいのかなと思った。
年齢的に、きちんと衰えていることを自覚したのだ。
まあ、徐々に衰えているのは当然わかっていたけど、自分の中のボーダーラインに差しかっていることを自覚したわけ。
そのときの気持ち。
ぜんぜん悲しくないの。
ほんのすこしだけ静かにため息をつくような心になったけど、それだけ。
十分、すっぴんを楽しんだ。
多分、ため息をつくような心はたくさん楽しんだ祭りの後の喪失感みたいなものだ。
満足した喪失感。
那智さんは、すっぴんを十分楽しませてくれた。
悲しくならないように『いつか』とだけ示して、わたしの好きなようにさせていてくれた。
「そろそろ化粧したら」なんて一言も言わず、すっぴんでもお化粧をしていても、どのわたしも好きだとだけ伝えてくれていた。
思う存分楽しんで満足したら、変わることにこんなにも抵抗感がないのだと、その場になってはじめて言語化できる。
わたしは年齢による変化を受け入れ、まったくマイナス感情を持つことなくいられている。
これは那智さんが、先を示し、肯定し、よいときは評価し、ずっと見守ってくれていたからだ。
実は、那智さんが昔から言っていた『いつか必要になったとき』というのは、いまだったの。
那智さんのスタンスと、それまでもお化粧の経験の両方が『必要になった』と自覚したときに抵抗なく悲しくならず、無理なく変われるようにしてくれた。
このすんなりとした感覚。
理解してもらいにくいと思うのだけど、この無理なく悲しくならず自分を変えることができるようにレールを敷いてくれていた那智さんを改めてすごいと思うのだ。
那智さんはお化粧を楽しんでほしいと思っているみたいなんだけど、今回のわたしの変化は『必要だと』思ったからだ。
だから、残念ながら『楽しむ』とはすこし違う。
だけど、那智さんがいままで示してくれていたことの凄さを実感できるのは、マイナスなことがマイナスにならなかった状態だからより実感できる。
本体ならマイナスに感じる『お化粧が必要』な状態をすんなり受け入れることができたことだから、意義があるのだ。
だから、いつか『楽しむ』ことができると思うけど、いまはこっちのほうが偉大なのですよ、那智さん。
夜のデート。
エントリーにした牡蠣をいただいた夜。
薄くファンデーションを塗り、会いにいった。
それまでのわたしだったらアイメイクと口紅だけだったかもしれない(大衆居酒屋的なお店だったから^^;)
そして、
これからは、もうすこしお化粧しようと思います
と心境の変化を伝える。
そうだね、いいタイミングかもね
と、たいした話題じゃないようなお返事をしてくれた。
それからは以前よりお化粧の頻度や量がすこし増えている。
あいかわらず、ホテルの後の安居酒屋のときはほぼすっぴんで出たりしちゃいけど^^;
今回、エントリーを書くにあたり、那智さんにお化粧のことを聞いてみた。
やっぱり那智さんはTPOが大事らしい。
いつもすっぴん、いつもフルメイクより、ときどきで変わることを楽しんでくれているそうだ。
で、そのTPO具合は95%、わたしの感覚と相違ないそう。
ということは、これからも楽しんでいただけるように変化をつけてすっぴんもちょこっとだけも、たくさんもいろいろ楽しんでいこう。
あ、そうか、いま書いていて、このバリエーションを一緒に楽しむのはアリだと思った。
ということで、これから那智さんにバリエーションを楽しんでもらいながら、無理せずお化粧をするのもしないのも、楽しんでいこうと思うのでした^^
<関連エントリー>
化粧なんて
あと10年でティアラ!
ティアラ
牡蠣をいただいたとき
衝撃のひと言
「等式」感想です。「化粧」は色々あったよな〰(笑)今となっては素敵で、楽しく、納得出来る「まこ」との攻防でした。
りん子です(笑)