不安は不満の表れ、である。
りん子的独り言(生意気)
『相対と絶対』というエントリーを書いたことがある。
男は相対で、女は絶対で評価されると満足する。
だから、ほめ方にもコツがある。
男性は『いままでの男の人の中で、あなたが一番』と言われるとうれしくて、女は『この前よりよくできたね』と自分だけを見ていて欲しいのだ。
だから、多頭飼いなんていって、奴隷という都合のいい解釈のもとに複数の女性と付き合うシステムは女性にとってあまり幸福ではないと思っている。
というような内容のもの。
じゃあ、どうして、多くの女性は過去の女の存在を気にするのだろう。
(過去の女性のことや複数であることを比較的公にしてしまいやすい『主従』のシーンで話すので、男女をご主人様と奴隷さんにします)
じゃあ、どうして、過去の奴隷さんの存在が気になるのだろう。
まあ、普通に考えて過去が気になるのは当たり前のことだけど、本来なら相対より絶対の評価で満たされるはずなのに。
『いまの奴隷はお前なのだから、過去は気にするな』といくらいっても、『前の奴隷さんができたことがわたしはできない』『きっとわたしなんかより前の奴隷さんの方がいいんだ』と不安モードから抜けられない。
過去は関係なく、いまの奴隷さんに合った調教をしているのに。
(『いまの奴隷に合った調教』って文言だけで、もはや苦笑なのだけど 笑)
その奴隷さんだけを見て、相対ではなく絶対で評価しているのに。
じつはね、この手のことを奴隷さんがいうときの深層の感情には『過去の奴隷さん』はいないのだ。
いや、存在が消えてなくなるわけではなので、いるのはいるのだけど。
奴隷さんは過去の奴隷さんと比較してほしいわけではない。
現に、『前の奴隷よりお前のほうがいい』と比較しても、またしばらくしたら他の事柄で過去の奴隷さんを引き合いに出して不安を訴えるはずで、相対評価ではいつまでも満たされることはないはず。
奴隷さんは、ただ単に満たされていないだけなのだ。
それは性的になのか、精神的になのか、その両方なのか、わからないけど、とにかくご主人様の調教や関係の深めかたや連絡の頻度や、何かが不満なだけ。
でも、(本人自身も無自覚に)そう言えないから、過去の奴隷さんと比較して自分は劣っているのではないかという不安に『すべての不満』を置き換えて、訴えているのだ。
おそらく、ご主人様との関係で性的にも精神的にも満たされていたら、過去なんて気にならないし、『わたしなんかでは』なんて発想にならないだろう。
特に、ご主人様が主導する主従という関係の中の『奴隷』と言われる立場は、ご主人様に対する要求を表しづらいところがある。
そして、『主従』的関係を求める女性の多くは、なんでも自分のせいにしやすいし、他者に自分の不快を伝えるのは苦手だったりするから、余計に満たされていないことを自覚するのは下手だし、仮に自覚できていても伝えることができない。
だから、過去を引き合いに出したり、自分を卑下して、不満を表明しているのだ。
(繰り返すけど、本人も無自覚な場合が多い)
不安が出てきたら、それは不満の表れってこと。
ずいぶん昔、那智さんが過去の女性とした行為でわたしがしてもらっていないことでぐずったことがあった。
それはわたしの性的嗜好にも近いことだったから余計に(クリトリスに針を刺すなんて嗜好より飛び出たことでは嫉妬しない 笑)
月日が流れ、那智さんの調教の賜物で(笑)
わたしの性的快感が増え、たくさんたくさん満たされるようになっていくと、そのしてもらっていないことなんて、どうでもよくなっている。
それより過激なことも過激じゃないこともしているけど、過去なんてほとんど意識することはなくなり相対ではなく絶対で満足しているのだ。
いま充分満たされれば、過去や他者なんか気にならない。
いろいろ不安になってしまうのは、満たされていないだけ、だからかもしれないよ。
いえ、ご主人様はとても大切にしてくれています。
充分しあわせです。
わたしが至らないから不安なんです。
そんなふうに思うのは自由だけど、一度、その言い訳を取っ払って自分の本当の気持ちを見つめてみるのも大事なことだと思います。
って、考えると、自分の不満を自覚しづらいひとが選びがちな上下(という幻想)がある関係の『主従』の不満を訴えにくい立場の『奴隷』さんは、よほど自分の心を直視していかないといけないよね。
ということで、不安が出たら、不満のサインですよ、世のご主人様たち(笑)
過去と比較するのは意味がないなんて、奴隷さんに言い聞かせる前にしっかり満たして差し上げてくださいませ(笑)
<関連エントリー>
相対と絶対
「等式」感想です。立場が高い人、者が低い人に安心や充足を与えないと、その場合は維持できない。可能性は自己暗示と、勘違いにはあると思う、しかし、悲劇かな。
『相対と絶対』というエントリーを書いたことがある。
男は相対で、女は絶対で評価されると満足する。
だから、ほめ方にもコツがある。
男性は『いままでの男の人の中で、あなたが一番』と言われるとうれしくて、女は『この前よりよくできたね』と自分だけを見ていて欲しいのだ。
だから、多頭飼いなんていって、奴隷という都合のいい解釈のもとに複数の女性と付き合うシステムは女性にとってあまり幸福ではないと思っている。
というような内容のもの。
じゃあ、どうして、多くの女性は過去の女の存在を気にするのだろう。
(過去の女性のことや複数であることを比較的公にしてしまいやすい『主従』のシーンで話すので、男女をご主人様と奴隷さんにします)
じゃあ、どうして、過去の奴隷さんの存在が気になるのだろう。
まあ、普通に考えて過去が気になるのは当たり前のことだけど、本来なら相対より絶対の評価で満たされるはずなのに。
『いまの奴隷はお前なのだから、過去は気にするな』といくらいっても、『前の奴隷さんができたことがわたしはできない』『きっとわたしなんかより前の奴隷さんの方がいいんだ』と不安モードから抜けられない。
過去は関係なく、いまの奴隷さんに合った調教をしているのに。
(『いまの奴隷に合った調教』って文言だけで、もはや苦笑なのだけど 笑)
その奴隷さんだけを見て、相対ではなく絶対で評価しているのに。
じつはね、この手のことを奴隷さんがいうときの深層の感情には『過去の奴隷さん』はいないのだ。
いや、存在が消えてなくなるわけではなので、いるのはいるのだけど。
奴隷さんは過去の奴隷さんと比較してほしいわけではない。
現に、『前の奴隷よりお前のほうがいい』と比較しても、またしばらくしたら他の事柄で過去の奴隷さんを引き合いに出して不安を訴えるはずで、相対評価ではいつまでも満たされることはないはず。
奴隷さんは、ただ単に満たされていないだけなのだ。
それは性的になのか、精神的になのか、その両方なのか、わからないけど、とにかくご主人様の調教や関係の深めかたや連絡の頻度や、何かが不満なだけ。
でも、(本人自身も無自覚に)そう言えないから、過去の奴隷さんと比較して自分は劣っているのではないかという不安に『すべての不満』を置き換えて、訴えているのだ。
おそらく、ご主人様との関係で性的にも精神的にも満たされていたら、過去なんて気にならないし、『わたしなんかでは』なんて発想にならないだろう。
特に、ご主人様が主導する主従という関係の中の『奴隷』と言われる立場は、ご主人様に対する要求を表しづらいところがある。
そして、『主従』的関係を求める女性の多くは、なんでも自分のせいにしやすいし、他者に自分の不快を伝えるのは苦手だったりするから、余計に満たされていないことを自覚するのは下手だし、仮に自覚できていても伝えることができない。
だから、過去を引き合いに出したり、自分を卑下して、不満を表明しているのだ。
(繰り返すけど、本人も無自覚な場合が多い)
不安が出てきたら、それは不満の表れってこと。
ずいぶん昔、那智さんが過去の女性とした行為でわたしがしてもらっていないことでぐずったことがあった。
それはわたしの性的嗜好にも近いことだったから余計に(クリトリスに針を刺すなんて嗜好より飛び出たことでは嫉妬しない 笑)
月日が流れ、那智さんの調教の賜物で(笑)
わたしの性的快感が増え、たくさんたくさん満たされるようになっていくと、そのしてもらっていないことなんて、どうでもよくなっている。
それより過激なことも過激じゃないこともしているけど、過去なんてほとんど意識することはなくなり相対ではなく絶対で満足しているのだ。
いま充分満たされれば、過去や他者なんか気にならない。
いろいろ不安になってしまうのは、満たされていないだけ、だからかもしれないよ。
いえ、ご主人様はとても大切にしてくれています。
充分しあわせです。
わたしが至らないから不安なんです。
そんなふうに思うのは自由だけど、一度、その言い訳を取っ払って自分の本当の気持ちを見つめてみるのも大事なことだと思います。
って、考えると、自分の不満を自覚しづらいひとが選びがちな上下(という幻想)がある関係の『主従』の不満を訴えにくい立場の『奴隷』さんは、よほど自分の心を直視していかないといけないよね。
ということで、不安が出たら、不満のサインですよ、世のご主人様たち(笑)
過去と比較するのは意味がないなんて、奴隷さんに言い聞かせる前にしっかり満たして差し上げてくださいませ(笑)
<関連エントリー>
相対と絶対
「等式」感想です。立場が高い人、者が低い人に安心や充足を与えないと、その場合は維持できない。可能性は自己暗示と、勘違いにはあると思う、しかし、悲劇かな。