マッサージは前戯である
独り言
マッサージはセックスの前がいいか、後がいいか。
以前は、後のほうが『らぶらぶ』感が増して丁寧にできていたような感じがするけど、最近は、どうやら前のほうがクオリティが高いらしい?
それは『この後、よろしくお願いします』という期待からか、もしくは、年齢的に疲労回復できず後だと充分力を発揮できない相対評価か。
イマイチ結論がでないでいた。
前のほうが精神的も体力的にもよいマッサージが提供できると、わたし自身自覚しているので、客観的事実としては、セックス前のほうがよいという結論ではあるけれど、一連のマッサージ事情を振り返りながら、あることに気がついた。
わたしは那智さんにマッサージをすることが好きで、したくてたまらないものになっている、ということ。
こう書くと、なんて献身的なのだ!となりそうなんだけど、前後に明らかな差があるので、献身とは違う理由があると、残念ながら、いえる。
わたしは那智さんにマッサージをすることが大好き。
したくて、ひそかにうずうずしているほど。
「那智さんが健康になるのはうれしい」
「那智さんが気持ちよさそうにしているとうれしい」
これらは、好きな人を思う、多少献身に近い気持ちとして当然存在している。
ただ、これだけなら前後、どちらでもアリの感情だ。
「リンパマッサージで那智さんの心身ともにセックスのテンションが上がるといいな」
ここにくると、前である意義が出てくる。
ここまではいままでわかっていた自分の気持ち。
で、もうひとつわかったのは
「那智さんにマッサージをしていると気持ちいい」
こと。
好きなひとに触れる気持ちよさは当然あるのだけど、この気持ちよさは若干『性的快感』が含まれているみたいなのだ。
もちろん、マッサージにながらはぁはぁしたり、濡れたりはしてない(はず)なんだけど、なんていうのかな、那智さんが気持ちよいとわたしも気持ちいいという同化感覚と、好きなひとの皮膚に触れている精神的快感と、このあとセックスに至る期待感と、あと、リンパマッサージで鼠径部や最近登場した『こ、こうがんマッサージ』で『そのもの』に接触することも『愛しさ』を含めた性的快感になっているように思う。
はあ。
なかなか恥ずかしいし、ニュアンス難しいし、大変(笑)
とにかく、好きなひとに対する『気持ちよくなってほしい』などの普通の感覚以外に、微量であるけど明らかに性的快感が含まれているのです。
だから、セックス前にしたいし、よりよいものを提供できるのではないかということです。
なんていうか、いまのわたしにとって、ちょっとだけマッサージは前戯の感覚(ああ、恥ずかしい)
これって、すごいことじゃないだろうか!?
以前、奴隷さんに『ご主人様のよろこびは、奴隷のよろこび』を求め、奴隷さん自身は快感はいらず、ご主人様に気持ちよくなってもらうことがよろこびであるように調教しているひとがいた。
奴隷さんにとって自分の性的快感より、ご奉仕する快感のほうが勝るようにしているらしい。
もっというと奴隷さんの性的快感はなくす、くらいの言いようだった。
これだって、奴隷よろこんでるんだから、奴隷さんに快感提供しているよね!?というツッコミしたい(笑)
このご主人様の言いたいことを成立させるとしたら、奴隷は嫌々ご奉仕していることになるんだけどね(笑)
ああ、横道^^;
とにかく、いまのわたしは、これなんじゃないだろうか!!
那智さんにマッサージすることが大好きで、したくてしたくてたまらない。
なんて献身、なんて滅私、奴隷状態!!
すみません^^;
自分も気持ちよくなってて、しかも、その後にもっと気持ちよく可愛がってもらっているので、ぜんぜん献身でも滅私でもありませんでした(笑)
どうして、こうなったのか、ハッキリはわからないけど、いまのわたしにとってマッサージは快感であるということはわかりました。
しかも、性的なニュアンスも含んで。
那智さんが、おそらくまったく意図しないところで、那智さんのよろこびはわたしの快感という状態が、ここでも作られていたようです。
ですから、那智さん、安心してわたしにたくさんマッサージさせてくださいね^^
ふと思うけど。
わたしたちも年をとっていき、セックスの内容が変わってくることもあると思う。
だけど、不思議なもので、また違う快楽が生まれるものなのですね。
うまい具合いにできてます^^
「等式」感想です。確かに最近マッサージに対して積極的なイメージはあったけれど、それほどの思い入れがあったとは、驚きで且つ喜びでもあります。腕も上がっているのは確かだね。
マッサージはセックスの前がいいか、後がいいか。
以前は、後のほうが『らぶらぶ』感が増して丁寧にできていたような感じがするけど、最近は、どうやら前のほうがクオリティが高いらしい?
それは『この後、よろしくお願いします』という期待からか、もしくは、年齢的に疲労回復できず後だと充分力を発揮できない相対評価か。
イマイチ結論がでないでいた。
前のほうが精神的も体力的にもよいマッサージが提供できると、わたし自身自覚しているので、客観的事実としては、セックス前のほうがよいという結論ではあるけれど、一連のマッサージ事情を振り返りながら、あることに気がついた。
わたしは那智さんにマッサージをすることが好きで、したくてたまらないものになっている、ということ。
こう書くと、なんて献身的なのだ!となりそうなんだけど、前後に明らかな差があるので、献身とは違う理由があると、残念ながら、いえる。
わたしは那智さんにマッサージをすることが大好き。
したくて、ひそかにうずうずしているほど。
「那智さんが健康になるのはうれしい」
「那智さんが気持ちよさそうにしているとうれしい」
これらは、好きな人を思う、多少献身に近い気持ちとして当然存在している。
ただ、これだけなら前後、どちらでもアリの感情だ。
「リンパマッサージで那智さんの心身ともにセックスのテンションが上がるといいな」
ここにくると、前である意義が出てくる。
ここまではいままでわかっていた自分の気持ち。
で、もうひとつわかったのは
「那智さんにマッサージをしていると気持ちいい」
こと。
好きなひとに触れる気持ちよさは当然あるのだけど、この気持ちよさは若干『性的快感』が含まれているみたいなのだ。
もちろん、マッサージにながらはぁはぁしたり、濡れたりはしてない(はず)なんだけど、なんていうのかな、那智さんが気持ちよいとわたしも気持ちいいという同化感覚と、好きなひとの皮膚に触れている精神的快感と、このあとセックスに至る期待感と、あと、リンパマッサージで鼠径部や最近登場した『こ、こうがんマッサージ』で『そのもの』に接触することも『愛しさ』を含めた性的快感になっているように思う。
はあ。
なかなか恥ずかしいし、ニュアンス難しいし、大変(笑)
とにかく、好きなひとに対する『気持ちよくなってほしい』などの普通の感覚以外に、微量であるけど明らかに性的快感が含まれているのです。
だから、セックス前にしたいし、よりよいものを提供できるのではないかということです。
なんていうか、いまのわたしにとって、ちょっとだけマッサージは前戯の感覚(ああ、恥ずかしい)
これって、すごいことじゃないだろうか!?
以前、奴隷さんに『ご主人様のよろこびは、奴隷のよろこび』を求め、奴隷さん自身は快感はいらず、ご主人様に気持ちよくなってもらうことがよろこびであるように調教しているひとがいた。
奴隷さんにとって自分の性的快感より、ご奉仕する快感のほうが勝るようにしているらしい。
もっというと奴隷さんの性的快感はなくす、くらいの言いようだった。
これだって、奴隷よろこんでるんだから、奴隷さんに快感提供しているよね!?というツッコミしたい(笑)
このご主人様の言いたいことを成立させるとしたら、奴隷は嫌々ご奉仕していることになるんだけどね(笑)
ああ、横道^^;
とにかく、いまのわたしは、これなんじゃないだろうか!!
那智さんにマッサージすることが大好きで、したくてしたくてたまらない。
なんて献身、なんて滅私、奴隷状態!!
すみません^^;
自分も気持ちよくなってて、しかも、その後にもっと気持ちよく可愛がってもらっているので、ぜんぜん献身でも滅私でもありませんでした(笑)
どうして、こうなったのか、ハッキリはわからないけど、いまのわたしにとってマッサージは快感であるということはわかりました。
しかも、性的なニュアンスも含んで。
那智さんが、おそらくまったく意図しないところで、那智さんのよろこびはわたしの快感という状態が、ここでも作られていたようです。
ですから、那智さん、安心してわたしにたくさんマッサージさせてくださいね^^
ふと思うけど。
わたしたちも年をとっていき、セックスの内容が変わってくることもあると思う。
だけど、不思議なもので、また違う快楽が生まれるものなのですね。
うまい具合いにできてます^^
「等式」感想です。確かに最近マッサージに対して積極的なイメージはあったけれど、それほどの思い入れがあったとは、驚きで且つ喜びでもあります。腕も上がっているのは確かだね。