正直な告白
独特な幸福感
那智さんはよくお外で、ちょこちょこと遊ぶ。
上りのエスカレーターで後ろからスカートめくったり、ビルの非常階段で下着の中に手を入れたり。
中でもお手軽にできるからよくするのは、腕を組んで歩いているときに、組んでいるほうの手でサッとスカートをめくるのだ。
そして、一瞬だけ私の下着に触れる。
前から来る人の数や視線をみて、様子を伺い、瞬時に実行する、悪ふざけ。
私が、慌てたり、固まったりするリアクションを楽しむだけじゃなく、小学生の「ピンポンダッシュ(ご存知ですか?人んちのインターホンを鳴らして逃げる、あれです)」のように、いたずらを成し遂げる達成感みたいなことも楽しんでいるようだ。
人の視線って、意外と目の高さにあるようで、すれ違う人には実はあまり気づかれない。
逆に、信号待ちの交差点の向こう側などのように、離れた場所にいる人のほうがわかってしまうようだ。
ごくたまに、引きながらもこちらに視線を送る人がいるので、その人には気づかれているかもしれない。
私は「変なもの見せて、ごめんなさい」と申し訳なく思っているけど、那智さんは人に引かれたりするのが嬉しいらしくて、そのあたりも楽しみのようだ。(じゃあ、もっと露骨なことして引かせるなんていうのは、社会人としてできないし、ギリギリが面白い?)
帰り道の駅までの道、そんな風に遊ぶ那智さんに、四苦八苦する私。
別れてから、こんなメールが届いた。
「最近の流行だね、スカートめくりは。楽しんでいただけましたか?」
「かまっていただけているという事実が嬉しいのです。」
「感じる?(もう、単刀直入な人!!)」
「あの瞬時のヒヤッとする瞬間では感じるという言葉は当てはまらないと思います。ただ、普通は晒されない部分が外気に触れる感覚は、気持ちよいのです。」
こんなやり取りのあと、電車の座席でうとうとしてしまい、そのまま下車駅まで暴睡してしまった。
那智さんは、お遊びの露出(といっていいのかな)を楽しんでいるけど、私には「かまってもらっている」という以外に、もうひとつきちんと話していない感覚があるのだ。
ブログでぼんやりと書いているはずだが、その日の「スカートめくり」で実感して、帰りのうとうと中に自分の心を見つめてみたら、はっきりしてしまった。
「露出は気持ち良い」ということだ。
誰かに見られるかもしれないハラハラドキドキも、私はこの人の好きに扱われているという従属感も、一般常識から外れているという異質を味わう喜び、もちろんある。
でも、純粋に、肌が、あり得ない部分の肌が外気に触れることが、気持ち良いのだ。
異常なことをしていて、それをさせる存在ということで、心は気持ち良い。
背徳感というエッセンスが加わった皮膚の感覚として、体が気持ち良いのだ。
心と体が同時に気持ち良いということは、かなり捨てがたい快感だ。
よく、ネットや小説で、公園で全裸みたいなことがあるみたいだけど、その人たちが何に快感を覚えているかはわからない。
しかし、私は、自分が大量の肌を露出して、異常な行為をしている異常な姿に喜びを覚え、その肌を空気が撫でていく感覚をリアルに想像できてしまって落ち着かない。
私は想像する。
スカートめくりをする那智さんが、ずっとスカートをめくったまま放してくれない。
那智さんはしっかりと前を向き、堂々と歩いていく。
私は、うつむき、静かについていく。
一見普通のカップルだけど、見れば女性はスカートをめくられ正面から下着の一部が露出している。
太腿が外気に晒され、気持ち良い。
加えて、あり得ない私、異様な姿に恍惚とする。
でも、そうはいっても、妄想と現実では、大きな隔たりがあるのは、当然のことだ。
人の目を気にして、私が誰かの心を動揺させるなんて、極力避けたいと思っている私だ。
露出によって、不快な思いを他人にさせてしまうようなことは、いやだ。
まして街中で子供なんかいたりしたら、絶対にダメ。
そんな感覚の認識をしてしまって、目が覚めて電車を降りる。
ふとメールしたくて、寝起きの朦朧とした頭で、ホームを歩きながら文字を打った。
それが良いか悪いか判断できているのかも、曖昧なまま送信。
「継続して晒される露出の喜び」
なんとも正直な告白。
もちろん那智さんは張り切るに決まっている。(実際張り切っている!!)
どうなっていくのかは、わからない。
犯罪にならず、極力ご迷惑をかけず、危険を排除して、でも、ギリギリの状況を那智さんが考えてくれるだろう。
だから、私は純粋に「あり得ない」ことにだけ心を震わせ、ひんやりと肌を撫でる風に快感を覚えていればいいんだ。
あとは那智さんがなんとかしてくれる。
那智さんはよくお外で、ちょこちょこと遊ぶ。
上りのエスカレーターで後ろからスカートめくったり、ビルの非常階段で下着の中に手を入れたり。
中でもお手軽にできるからよくするのは、腕を組んで歩いているときに、組んでいるほうの手でサッとスカートをめくるのだ。
そして、一瞬だけ私の下着に触れる。
前から来る人の数や視線をみて、様子を伺い、瞬時に実行する、悪ふざけ。
私が、慌てたり、固まったりするリアクションを楽しむだけじゃなく、小学生の「ピンポンダッシュ(ご存知ですか?人んちのインターホンを鳴らして逃げる、あれです)」のように、いたずらを成し遂げる達成感みたいなことも楽しんでいるようだ。
人の視線って、意外と目の高さにあるようで、すれ違う人には実はあまり気づかれない。
逆に、信号待ちの交差点の向こう側などのように、離れた場所にいる人のほうがわかってしまうようだ。
ごくたまに、引きながらもこちらに視線を送る人がいるので、その人には気づかれているかもしれない。
私は「変なもの見せて、ごめんなさい」と申し訳なく思っているけど、那智さんは人に引かれたりするのが嬉しいらしくて、そのあたりも楽しみのようだ。(じゃあ、もっと露骨なことして引かせるなんていうのは、社会人としてできないし、ギリギリが面白い?)
帰り道の駅までの道、そんな風に遊ぶ那智さんに、四苦八苦する私。
別れてから、こんなメールが届いた。
「最近の流行だね、スカートめくりは。楽しんでいただけましたか?」
「かまっていただけているという事実が嬉しいのです。」
「感じる?(もう、単刀直入な人!!)」
「あの瞬時のヒヤッとする瞬間では感じるという言葉は当てはまらないと思います。ただ、普通は晒されない部分が外気に触れる感覚は、気持ちよいのです。」
こんなやり取りのあと、電車の座席でうとうとしてしまい、そのまま下車駅まで暴睡してしまった。
那智さんは、お遊びの露出(といっていいのかな)を楽しんでいるけど、私には「かまってもらっている」という以外に、もうひとつきちんと話していない感覚があるのだ。
ブログでぼんやりと書いているはずだが、その日の「スカートめくり」で実感して、帰りのうとうと中に自分の心を見つめてみたら、はっきりしてしまった。
「露出は気持ち良い」ということだ。
誰かに見られるかもしれないハラハラドキドキも、私はこの人の好きに扱われているという従属感も、一般常識から外れているという異質を味わう喜び、もちろんある。
でも、純粋に、肌が、あり得ない部分の肌が外気に触れることが、気持ち良いのだ。
異常なことをしていて、それをさせる存在ということで、心は気持ち良い。
背徳感というエッセンスが加わった皮膚の感覚として、体が気持ち良いのだ。
心と体が同時に気持ち良いということは、かなり捨てがたい快感だ。
よく、ネットや小説で、公園で全裸みたいなことがあるみたいだけど、その人たちが何に快感を覚えているかはわからない。
しかし、私は、自分が大量の肌を露出して、異常な行為をしている異常な姿に喜びを覚え、その肌を空気が撫でていく感覚をリアルに想像できてしまって落ち着かない。
私は想像する。
スカートめくりをする那智さんが、ずっとスカートをめくったまま放してくれない。
那智さんはしっかりと前を向き、堂々と歩いていく。
私は、うつむき、静かについていく。
一見普通のカップルだけど、見れば女性はスカートをめくられ正面から下着の一部が露出している。
太腿が外気に晒され、気持ち良い。
加えて、あり得ない私、異様な姿に恍惚とする。
でも、そうはいっても、妄想と現実では、大きな隔たりがあるのは、当然のことだ。
人の目を気にして、私が誰かの心を動揺させるなんて、極力避けたいと思っている私だ。
露出によって、不快な思いを他人にさせてしまうようなことは、いやだ。
まして街中で子供なんかいたりしたら、絶対にダメ。
そんな感覚の認識をしてしまって、目が覚めて電車を降りる。
ふとメールしたくて、寝起きの朦朧とした頭で、ホームを歩きながら文字を打った。
それが良いか悪いか判断できているのかも、曖昧なまま送信。
「継続して晒される露出の喜び」
なんとも正直な告白。
もちろん那智さんは張り切るに決まっている。(実際張り切っている!!)
どうなっていくのかは、わからない。
犯罪にならず、極力ご迷惑をかけず、危険を排除して、でも、ギリギリの状況を那智さんが考えてくれるだろう。
だから、私は純粋に「あり得ない」ことにだけ心を震わせ、ひんやりと肌を撫でる風に快感を覚えていればいいんだ。
あとは那智さんがなんとかしてくれる。
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