生きる(08/04/28)
宝物
『独り言』
とても大切な人ができると「死」というものを身近に考える機会が増える気がする。
それは、甘い「もしも」の話だったり、思い描いて涙がにじんでしまうような話だったり。
失いたくない人を得るということは、その人を失ったときの喪失感もセットになってついてくるものだ。
それでも、友の死を目の当たりにしたりすると、わたしの「もしも」の涙が、やはり甘く色あせて感じてしまう。
それほど、実際の「死」は残されたものの心を大きく抉る。
「俺とりん子、どっちが先に死ぬほうがお互いにとっていいかな。」
そんな話題が最近出た。
那智さんと出会って、何度も「死」を想像してる。
でも、それは、どうしても甘美な想像から抜け出せない。
ずっと、こう想像してた。
わたしは、那智さんを看取るなんて強いこと言えない。(実際の立場は置いといてね)
那智さんに頼りっぱなしのわたしは、那智さんに見守られながら最期を向かえたい。
痛い、苦しい、怖い、と散々泣き言言って頭を撫でられながら死んで行きたい。
だから、那智さんを看取るなんて、いや。
もし、わたしが残ったら、ずっと泣いて暮らす、残りの人生メソメソ泣いて暮らす。
生きてるけど魂は死んでる、そんなふうに思ってた。
この、甘美な想像をするたびに、涙が溢れ、より甘い想像に変えていた。
そんなわたしに那智さんはいう。
「俺が死んだ瞬間に、りん子は強くなって生きていかれるようにする」って。
那智さんがいる間は、依存させるだけさせて「あなたなしでは」というわたしにしたいくせに、死んだ瞬間に…なんてドラえもんのポケットがなきゃ叶わないようなことをいう。(依存させたいと自立させたいの両方持ってる那智さん、この矛盾、いつかお話になりますね^^)
そんなの無理、ただのお伽噺。
そう思いながら、どこかで「そうなれたら、どんなにいいか」と淡い期待をしてしまっていた。
那智さんが、そのお伽噺を口にしてから何年経った?
いまも、そう思ってるかどうかはわからない。
そして、最近。
「俺とりん子とどっちが先に死ぬほうが、互いにとっていいか。」と言われた。
しばらく考えて。
那智さんは「答えが出せない」といった。
わたしは「わたしが残るほうがいい」と答えた。
もともとの年齢差と男女の平均寿命。
まっとうに生きれば、わたしが残るほうが可能性としては断然高い。
いつか、那智さんはわたしより先に死ぬ。(那智さん、勝手に殺してごめんなさい)
覚悟はできてる、あなたがいなくなっても、あなたがくれた愛を糧にわたしは強く生きて行く、だから、安心してください。
なんて、ぜったい言えない。
なんで、わたしをひとりにしたの!!ってお墓に向かって文句いう。
あなたがいないと、わたし悲しくて寂しくて辛くてしかたないよって、毎日メソメソ泣いて暮らす。
それでも、「わたしが残ったほうが互いにとっていい」と、その質問の答えを出した。
なぜなら、わたしは泣けるから。
弱いから、泣いてしまえるから。
ブログ続けていたら、いっぱいそこに吐き出せる。(おばあちゃんブログ?)
事情を知ってる女友達に泣いて聞いてもらえる。
だけど、那智さんが残ったら、きっとわたしと同じくらいの体の半分をもぎ取られるくらいの悲しみを味わったとしても、那智さんは泣かないだろう。
泣いたとしても、ひとりでだ。
それは、あまりにも辛い。
その辛さを味わわせたくないから、わたしが残ったほうがいい。
ずっとずっと頼りっぱなしの甘えたわたしができる那智さん孝行。
強く生きて行きますなんていえない、それじゃ全然弱いままかな。
だけど、数年前なら「絶対わたしが先!!」と答えていただろうわたしが、「泣いて暮らします、お墓に文句いいます、でも、その辛さわたしが引き受ける」と言えるようになったのは、ほんのちょっと嬉しい。
寿命は操作できないし、操作してはいけない。
だから、こんな順番を考えること自体不謹慎な「お伽噺」かもしれない。
「那智さんが死んだ瞬間に強くなる」
それは、きっと叶わない。
でも、「その辛さ引き受ける」と覚悟できたことだけでも、わたしにとってはその言葉に一歩近付いた気がしてるのだ。
いいよ、那智さん、わたし泣いて暮らすの覚悟してるから、生きてる間いっぱいいっぱい可愛がって依存させても。
あとでたくさん泣き言と文句いうから、おばけになって出てきてね。
あ、また「お伽噺」になっちゃった^^
『独り言』
とても大切な人ができると「死」というものを身近に考える機会が増える気がする。
それは、甘い「もしも」の話だったり、思い描いて涙がにじんでしまうような話だったり。
失いたくない人を得るということは、その人を失ったときの喪失感もセットになってついてくるものだ。
それでも、友の死を目の当たりにしたりすると、わたしの「もしも」の涙が、やはり甘く色あせて感じてしまう。
それほど、実際の「死」は残されたものの心を大きく抉る。
「俺とりん子、どっちが先に死ぬほうがお互いにとっていいかな。」
そんな話題が最近出た。
那智さんと出会って、何度も「死」を想像してる。
でも、それは、どうしても甘美な想像から抜け出せない。
ずっと、こう想像してた。
わたしは、那智さんを看取るなんて強いこと言えない。(実際の立場は置いといてね)
那智さんに頼りっぱなしのわたしは、那智さんに見守られながら最期を向かえたい。
痛い、苦しい、怖い、と散々泣き言言って頭を撫でられながら死んで行きたい。
だから、那智さんを看取るなんて、いや。
もし、わたしが残ったら、ずっと泣いて暮らす、残りの人生メソメソ泣いて暮らす。
生きてるけど魂は死んでる、そんなふうに思ってた。
この、甘美な想像をするたびに、涙が溢れ、より甘い想像に変えていた。
そんなわたしに那智さんはいう。
「俺が死んだ瞬間に、りん子は強くなって生きていかれるようにする」って。
那智さんがいる間は、依存させるだけさせて「あなたなしでは」というわたしにしたいくせに、死んだ瞬間に…なんてドラえもんのポケットがなきゃ叶わないようなことをいう。(依存させたいと自立させたいの両方持ってる那智さん、この矛盾、いつかお話になりますね^^)
そんなの無理、ただのお伽噺。
そう思いながら、どこかで「そうなれたら、どんなにいいか」と淡い期待をしてしまっていた。
那智さんが、そのお伽噺を口にしてから何年経った?
いまも、そう思ってるかどうかはわからない。
そして、最近。
「俺とりん子とどっちが先に死ぬほうが、互いにとっていいか。」と言われた。
しばらく考えて。
那智さんは「答えが出せない」といった。
わたしは「わたしが残るほうがいい」と答えた。
もともとの年齢差と男女の平均寿命。
まっとうに生きれば、わたしが残るほうが可能性としては断然高い。
いつか、那智さんはわたしより先に死ぬ。(那智さん、勝手に殺してごめんなさい)
覚悟はできてる、あなたがいなくなっても、あなたがくれた愛を糧にわたしは強く生きて行く、だから、安心してください。
なんて、ぜったい言えない。
なんで、わたしをひとりにしたの!!ってお墓に向かって文句いう。
あなたがいないと、わたし悲しくて寂しくて辛くてしかたないよって、毎日メソメソ泣いて暮らす。
それでも、「わたしが残ったほうが互いにとっていい」と、その質問の答えを出した。
なぜなら、わたしは泣けるから。
弱いから、泣いてしまえるから。
ブログ続けていたら、いっぱいそこに吐き出せる。(おばあちゃんブログ?)
事情を知ってる女友達に泣いて聞いてもらえる。
だけど、那智さんが残ったら、きっとわたしと同じくらいの体の半分をもぎ取られるくらいの悲しみを味わったとしても、那智さんは泣かないだろう。
泣いたとしても、ひとりでだ。
それは、あまりにも辛い。
その辛さを味わわせたくないから、わたしが残ったほうがいい。
ずっとずっと頼りっぱなしの甘えたわたしができる那智さん孝行。
強く生きて行きますなんていえない、それじゃ全然弱いままかな。
だけど、数年前なら「絶対わたしが先!!」と答えていただろうわたしが、「泣いて暮らします、お墓に文句いいます、でも、その辛さわたしが引き受ける」と言えるようになったのは、ほんのちょっと嬉しい。
寿命は操作できないし、操作してはいけない。
だから、こんな順番を考えること自体不謹慎な「お伽噺」かもしれない。
「那智さんが死んだ瞬間に強くなる」
それは、きっと叶わない。
でも、「その辛さ引き受ける」と覚悟できたことだけでも、わたしにとってはその言葉に一歩近付いた気がしてるのだ。
いいよ、那智さん、わたし泣いて暮らすの覚悟してるから、生きてる間いっぱいいっぱい可愛がって依存させても。
あとでたくさん泣き言と文句いうから、おばけになって出てきてね。
あ、また「お伽噺」になっちゃった^^
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