拠り所
りん子的独り言(生意気)
ちょっとライト^^
ご主人様と出会ったころは、私はプリペイドの携帯しか持っていませんでした。
このプリペイドの携帯は、メールの受送信の文字制限があり、特に送信は極端に少なく、128文字。(いまはどうなのでしょう?)
それでも、なんとか思いを伝えたくて、主語を省き、句読点を付けず、四苦八苦しながら文章を作っていました。
そのうち、携帯を新しくしたり、パソコンを使うようになって、制限なく言葉を贈ることはできるようになっていくのですが。
今回、ブログをはじめるということで、久しぶりに読み返してみました。
愛している気持ちは、数年後のいまも変わらないと、むしろもっと深い結びつきだと、誇りに思うと同時に、はじめての感情に戸惑いながらも、目の前に起こる出来事に向き合おうと必死になっている感じが新鮮で、自戒の意味も込めて「記憶」として時々載せていこうと思いました。
第一弾♪
「ご主人様でなければあんなふうになれない。それはSMをしているのではなく愛し合っているのだと。わかる」
自分には「支配されたい」という性癖があることは自覚していて、行為としての「SM」でなんとか満たそうとしていた時には、皮膚の上を滑るだけのマスターベーションのような感覚しか持てなかった。
「なぜだろう、縛られたりして望みは叶っているはずなのに。」
一瞬は嬉しくても、すぐ醒めてしまう自分は無我夢中になるような快感は得ることができないのだろうか、と少し諦めていた。
そんな私がご主人様と出会って、何日も何時間も誠実に向き合ってもらって(口説かれて?!)心を許し、愛していると自覚させられ、抱かれる。
恥ずかしい行為に我を忘れ、はしたなく腰を振り、大きな声を上げ、だけど、守られているような安心感も感じて、味わう快感。
心が伴う喜びを、はじめて実感した時に送ったメールです。
短めの内容で、一服程度の記事にしようとしたけれど、だらだらと長くなってしまいました〜。
でも、私の集中力はここまででです・・。
ご主人様が読んだら、「簡潔に終わらないならそれなりに長くなってもいいから、ちゃんと細かく書きなさい、説明不足」と叱られそうです♪
『128文字の告白』の『那智さん』を『ご主人様』に変えてみた。
(『独特な幸福感』カテゴリを開いて最初のエントリーにしたかったけど、ちょっと長かったので2番目のこれにした)
一気に主従色が増す。
なんていう魔法の言葉だろう。
出会ってから1ヶ月ほどするまで『那智さん』と呼んでいたのだけど、わたしが憧れていることとやたら恥ずかしがるからという理由で『ご主人様』と呼ぶように指示され一時そう呼んでいた。
でも、しばらくすると慣れてきて最初のテレテレ状態ではなくなってきたから、那智さんつまらなくなってもとの『那智さん』に戻された(笑)
以来、ずっと『那智さん』。
ブログをはじめて最初のうちは『ご主人様』と書いていた(修正し忘れで、もしかしたら、残っているかもよ?)
いまもだけど、当時もM女さんブログ賑わっていて『ご主人様』と書いたほうがお友達もできるかな、たくさん見てくれるかなって思ったからだ。
でも、やっぱり普段呼んでいない名称で日々のわたしたちを綴ることに違和感を感じて、結局すぐに『那智さん』にした。
いまでは、それが正解だったと思っている。
言葉を拠り所にしたくない。
『ご主人様』と書いたほうが、那智さんを尊敬している気持ちが伝わるのかな。
『奉仕』と書けばフェラチオのよろこびの共感を得ることができるのかな。
上のエントリーも『ステキですね』と言ってくれる人や仲間が増えるのだろうか。
でも、最初の文章のように名称を変えただけで、何かを左右してしまうことは避けたい。
その言葉を拠り所にしている人は、その言葉に集まり、その言葉にすがる。
言葉を拠り所にすることは自分を奮い立たせたり酔わせたり仲間が増えるメリットはあるけれど、場合によっては本質から目を逸らす危険性もある。
ちゃんと読んでくれれば、わたしが那智さんを尊敬し恋い慕っている気持ちは理解してもらえるはずだし、大切な人を思う気持ちは恋人でも主従カップルでも同じはずだ。
大切に思うと『お仕えする』に違いある?
気持ちよくなってほしいと思うことと『奉仕』の差は?
ないよね?
だからね、ご主人様や主様と呼んでいる方がわたしのブログを好いてコメントをくれたりするのは、きっと言葉を拠り所にせず本質を見て好いてくれているのかなと思う。
(もちろん、そういう関係じゃない方々にも最大級の感謝^^)
今年(?)のわたしのテーマは『今年もよろしくお願いいたします』に書いたようなこと。
『相手を自分のことのように、もしくはそれよりすこしたくさん、大切に思うこと』、好きな人を思う、この普遍的な気持ちを前にして、いわゆる主従と『わたしたち(を含めた恋愛カップル)』になんの違いがあるのだろう。
違いがあるなら、それを知りたい。
で、わたしの中で明確な違いが見出せないのなら、『相手を自分のことのように、もしくはそれよりすこしたくさん、大切に思うこと』の本質を見ていくのがテーマです^^
だからね、ふとね、名称を変えてみたらどうかな?って思ってこんなエントリー。
これのほうが人気出るかな?
まあ、いっぱい生意気書いてるから、そもそも名称の問題じゃないか^^;
「等式」感想です。「sm的言葉」の持つ意味に対しての共通認識なんて存在するのだろうか?無いとすればその言葉の断片に強い思い入れは大事だが、自分の思う言葉の意味を説明する必要があり、ブログ上では共通認識にする必要があると思う。
ちょっとライト^^
ご主人様と出会ったころは、私はプリペイドの携帯しか持っていませんでした。
このプリペイドの携帯は、メールの受送信の文字制限があり、特に送信は極端に少なく、128文字。(いまはどうなのでしょう?)
それでも、なんとか思いを伝えたくて、主語を省き、句読点を付けず、四苦八苦しながら文章を作っていました。
そのうち、携帯を新しくしたり、パソコンを使うようになって、制限なく言葉を贈ることはできるようになっていくのですが。
今回、ブログをはじめるということで、久しぶりに読み返してみました。
愛している気持ちは、数年後のいまも変わらないと、むしろもっと深い結びつきだと、誇りに思うと同時に、はじめての感情に戸惑いながらも、目の前に起こる出来事に向き合おうと必死になっている感じが新鮮で、自戒の意味も込めて「記憶」として時々載せていこうと思いました。
第一弾♪
「ご主人様でなければあんなふうになれない。それはSMをしているのではなく愛し合っているのだと。わかる」
自分には「支配されたい」という性癖があることは自覚していて、行為としての「SM」でなんとか満たそうとしていた時には、皮膚の上を滑るだけのマスターベーションのような感覚しか持てなかった。
「なぜだろう、縛られたりして望みは叶っているはずなのに。」
一瞬は嬉しくても、すぐ醒めてしまう自分は無我夢中になるような快感は得ることができないのだろうか、と少し諦めていた。
そんな私がご主人様と出会って、何日も何時間も誠実に向き合ってもらって(口説かれて?!)心を許し、愛していると自覚させられ、抱かれる。
恥ずかしい行為に我を忘れ、はしたなく腰を振り、大きな声を上げ、だけど、守られているような安心感も感じて、味わう快感。
心が伴う喜びを、はじめて実感した時に送ったメールです。
短めの内容で、一服程度の記事にしようとしたけれど、だらだらと長くなってしまいました〜。
でも、私の集中力はここまででです・・。
ご主人様が読んだら、「簡潔に終わらないならそれなりに長くなってもいいから、ちゃんと細かく書きなさい、説明不足」と叱られそうです♪
『128文字の告白』の『那智さん』を『ご主人様』に変えてみた。
(『独特な幸福感』カテゴリを開いて最初のエントリーにしたかったけど、ちょっと長かったので2番目のこれにした)
一気に主従色が増す。
なんていう魔法の言葉だろう。
出会ってから1ヶ月ほどするまで『那智さん』と呼んでいたのだけど、わたしが憧れていることとやたら恥ずかしがるからという理由で『ご主人様』と呼ぶように指示され一時そう呼んでいた。
でも、しばらくすると慣れてきて最初のテレテレ状態ではなくなってきたから、那智さんつまらなくなってもとの『那智さん』に戻された(笑)
以来、ずっと『那智さん』。
ブログをはじめて最初のうちは『ご主人様』と書いていた(修正し忘れで、もしかしたら、残っているかもよ?)
いまもだけど、当時もM女さんブログ賑わっていて『ご主人様』と書いたほうがお友達もできるかな、たくさん見てくれるかなって思ったからだ。
でも、やっぱり普段呼んでいない名称で日々のわたしたちを綴ることに違和感を感じて、結局すぐに『那智さん』にした。
いまでは、それが正解だったと思っている。
言葉を拠り所にしたくない。
『ご主人様』と書いたほうが、那智さんを尊敬している気持ちが伝わるのかな。
『奉仕』と書けばフェラチオのよろこびの共感を得ることができるのかな。
上のエントリーも『ステキですね』と言ってくれる人や仲間が増えるのだろうか。
でも、最初の文章のように名称を変えただけで、何かを左右してしまうことは避けたい。
その言葉を拠り所にしている人は、その言葉に集まり、その言葉にすがる。
言葉を拠り所にすることは自分を奮い立たせたり酔わせたり仲間が増えるメリットはあるけれど、場合によっては本質から目を逸らす危険性もある。
ちゃんと読んでくれれば、わたしが那智さんを尊敬し恋い慕っている気持ちは理解してもらえるはずだし、大切な人を思う気持ちは恋人でも主従カップルでも同じはずだ。
大切に思うと『お仕えする』に違いある?
気持ちよくなってほしいと思うことと『奉仕』の差は?
ないよね?
だからね、ご主人様や主様と呼んでいる方がわたしのブログを好いてコメントをくれたりするのは、きっと言葉を拠り所にせず本質を見て好いてくれているのかなと思う。
(もちろん、そういう関係じゃない方々にも最大級の感謝^^)
今年(?)のわたしのテーマは『今年もよろしくお願いいたします』に書いたようなこと。
『相手を自分のことのように、もしくはそれよりすこしたくさん、大切に思うこと』、好きな人を思う、この普遍的な気持ちを前にして、いわゆる主従と『わたしたち(を含めた恋愛カップル)』になんの違いがあるのだろう。
違いがあるなら、それを知りたい。
で、わたしの中で明確な違いが見出せないのなら、『相手を自分のことのように、もしくはそれよりすこしたくさん、大切に思うこと』の本質を見ていくのがテーマです^^
だからね、ふとね、名称を変えてみたらどうかな?って思ってこんなエントリー。
これのほうが人気出るかな?
まあ、いっぱい生意気書いてるから、そもそも名称の問題じゃないか^^;
「等式」感想です。「sm的言葉」の持つ意味に対しての共通認識なんて存在するのだろうか?無いとすればその言葉の断片に強い思い入れは大事だが、自分の思う言葉の意味を説明する必要があり、ブログ上では共通認識にする必要があると思う。
COMMENT
以前から読ませてもらってました。
りん子さんが書いてることが素直で気持ちいいなって感じていました。
相手を想う気持ちがこもっていれば表現方法よりも表現する内容が大切ですよね。
わかるーって日記に嬉しくなりつつ、これからも楽しみに読ませてもらいます。乱文になってしまいすみませんでした(^_^;)
りん子さんが書いてることが素直で気持ちいいなって感じていました。
相手を想う気持ちがこもっていれば表現方法よりも表現する内容が大切ですよね。
わかるーって日記に嬉しくなりつつ、これからも楽しみに読ませてもらいます。乱文になってしまいすみませんでした(^_^;)
名称なんて問題じゃないと、
想います。
いかに相手を思うか、それが
文章の中から溢れる
そんな想いが伝わる。
共感する。
そんなやりとりが出来る
那智さんりん子さんの
ブログが大好きです!!
想います。
いかに相手を思うか、それが
文章の中から溢れる
そんな想いが伝わる。
共感する。
そんなやりとりが出来る
那智さんりん子さんの
ブログが大好きです!!
紫音さん
はじめまして、ようこそおいでくださいました♪
以前から読んでくださっていて、コメントをくださってありがとうございます^^
ブログにはそれぞれスタンスがあると思うのですが、わたしのブログが紫音さんのおっしゃる内容で読んでもらえるブログでありたいなと思います^^
いろいろなお話を書いていますので、共感していただけるものや、もしかしたらそうじゃないものもあるかもしれないけど、よければ、これからも楽しんでくださいね!
はじめまして、ようこそおいでくださいました♪
以前から読んでくださっていて、コメントをくださってありがとうございます^^
ブログにはそれぞれスタンスがあると思うのですが、わたしのブログが紫音さんのおっしゃる内容で読んでもらえるブログでありたいなと思います^^
いろいろなお話を書いていますので、共感していただけるものや、もしかしたらそうじゃないものもあるかもしれないけど、よければ、これからも楽しんでくださいね!
ここさん
どんな名称でどんな内容を書いても、それは好みだから、なんでもいいのだけど^^
闇雲に拠り所にしてしまっていると問題が起きたときに本質を見抜く力を弱まらせてしまうかなって思います。
「奴隷なんだから」って、曖昧な定義で縛られて。
もしなにか名称に拘るならば、それを使うパートナーとの間で共通の認識を作ることが必要かなって思います^^
大好きなんて、ありがとう!
テレます(笑)
どんな名称でどんな内容を書いても、それは好みだから、なんでもいいのだけど^^
闇雲に拠り所にしてしまっていると問題が起きたときに本質を見抜く力を弱まらせてしまうかなって思います。
「奴隷なんだから」って、曖昧な定義で縛られて。
もしなにか名称に拘るならば、それを使うパートナーとの間で共通の認識を作ることが必要かなって思います^^
大好きなんて、ありがとう!
テレます(笑)
なんか感覚で書いてしまうのですが
那智さんとりん子さんは
ご主人様と奴隷っていう形にハマる上・下じゃなくて
お互いがお互いに居心地のいい場所を探したらお互いが上・下になった感じに思うのです。
りん子さんはりん子さんのいる場所から那智さんの幸せを我が事にして考えて
那智さんは那智さんで同じようにしてて。
ライフパートナーに近い感覚なのかなぁとは思いますし
それは年月も二人の考え方も積み重ねて得たものだろうなぁと。
言葉のあやでやってる事は一緒じゃないか!
という人もいるでしょうけど
敢えてその言葉のあやのなかに無理やり収めないりん子さんの書き方や感性が私は好きです。
那智さんとりん子さんは
ご主人様と奴隷っていう形にハマる上・下じゃなくて
お互いがお互いに居心地のいい場所を探したらお互いが上・下になった感じに思うのです。
りん子さんはりん子さんのいる場所から那智さんの幸せを我が事にして考えて
那智さんは那智さんで同じようにしてて。
ライフパートナーに近い感覚なのかなぁとは思いますし
それは年月も二人の考え方も積み重ねて得たものだろうなぁと。
言葉のあやでやってる事は一緒じゃないか!
という人もいるでしょうけど
敢えてその言葉のあやのなかに無理やり収めないりん子さんの書き方や感性が私は好きです。
灯里さん
もともとわたしには従属願望があったので、従う立場は憧れでした^^
ただ、『ご主人様と奴隷』という既成(そもそも定義もあやふやだけどね)の関係を経験したら、なんだか思っていたのと違ったのね^^
だから、好きなポジションと居心地の良い関係の合致点がいまの関係なのかなって思います^^
いや、わたしがこんなにいろいろ書いちゃうのは、もちろん、なにかのヒントになればという思いはあるんだけど、2割くらいの本音は「だって那智さんが『SMを意識するな』って言ったから、他の人がうらやましいんだもーーん」という気持ちもあったりします^^;
だから、そんないじいじしているわたしの感性を好しとしてくれてありがとう♪
もともとわたしには従属願望があったので、従う立場は憧れでした^^
ただ、『ご主人様と奴隷』という既成(そもそも定義もあやふやだけどね)の関係を経験したら、なんだか思っていたのと違ったのね^^
だから、好きなポジションと居心地の良い関係の合致点がいまの関係なのかなって思います^^
いや、わたしがこんなにいろいろ書いちゃうのは、もちろん、なにかのヒントになればという思いはあるんだけど、2割くらいの本音は「だって那智さんが『SMを意識するな』って言ったから、他の人がうらやましいんだもーーん」という気持ちもあったりします^^;
だから、そんないじいじしているわたしの感性を好しとしてくれてありがとう♪
おひさしぶりです♪
『主従』と『恋愛カップル』。
違いはあっても、それは、どっちがいいとか悪いとか、そういうものではないのだと思います。
『主従』と『恋愛カップル』っていう括りも乱暴ですよね^^; りん子さん、あえて注釈なしで書かれたと思うけれど。
ひとつ言えるのは…
りん子さんは私に、SM的行為があること=主従ではない っていうことを教えてくださった方の1人です。
『主従』と『恋愛カップル』。
違いはあっても、それは、どっちがいいとか悪いとか、そういうものではないのだと思います。
『主従』と『恋愛カップル』っていう括りも乱暴ですよね^^; りん子さん、あえて注釈なしで書かれたと思うけれど。
ひとつ言えるのは…
りん子さんは私に、SM的行為があること=主従ではない っていうことを教えてくださった方の1人です。
KIRAさんのように受け入れつつ、そっと指摘してくださると、名前は関係ないと言いながら括ってる自分が情けなくて、恥ずかしい^^;
憧れ的なものから端を発する部分もなきにしもあらずあらずなので、よけいに。
ありがとね。
主従とSM、性質と性癖、いろいろ織り混ざってなかなか線引きできないとは思うけど、たぶん、好きな男と激しく求め合いたいということは、けっこう普遍かなと思います(^-^
憧れ的なものから端を発する部分もなきにしもあらずあらずなので、よけいに。
ありがとね。
主従とSM、性質と性癖、いろいろ織り混ざってなかなか線引きできないとは思うけど、たぶん、好きな男と激しく求め合いたいということは、けっこう普遍かなと思います(^-^
指摘するっていうような気持ちでもなかったけれど…
括りがちょっと乱暴だと言っても、じゃあ具体的に、『りん子さんの那智さんへの想い』と『私の主への想い』の違いを考えるみたいな話になっちゃうと、それもヘンだしねえ(笑)
けっきょく、『求める』っていうことは、ある意味では普遍的であり…
ただその想いの深さは、関係性のカタチに関係なく、それぞれ深かったり浅かったりするのだと思います。
それもね、深いからいいってことでもなくて、各々ちょうどいい深さがあるのだと思うのです。
(えーと…議論がしたいわけではなく、ひさしぶりにお話させていただけて楽しかったりして、話を引っぱってます。ごめんなさい^^; )
括りがちょっと乱暴だと言っても、じゃあ具体的に、『りん子さんの那智さんへの想い』と『私の主への想い』の違いを考えるみたいな話になっちゃうと、それもヘンだしねえ(笑)
けっきょく、『求める』っていうことは、ある意味では普遍的であり…
ただその想いの深さは、関係性のカタチに関係なく、それぞれ深かったり浅かったりするのだと思います。
それもね、深いからいいってことでもなくて、各々ちょうどいい深さがあるのだと思うのです。
(えーと…議論がしたいわけではなく、ひさしぶりにお話させていただけて楽しかったりして、話を引っぱってます。ごめんなさい^^; )
KIRAさん
『指摘』って言葉を選んでしまったのは、わたし自身に邪念があるからです^^;
あう、ごもっともです〜(苦笑)そんな感じでした^^
もちろん、個々の性質や欲望や事情で深さはいろいろですね、そして、その人に合った状態に収まることが一番の幸福なんだよね。
SMと主従は重なる部分はあるけれどイコールじゃない、ただ好きな男を求める気持ちは普遍的かなって思ったのでした^^
まあ、それも人によっては『適度』があるのだよね^^
こちらこそ、ちょっぴり背筋伸びました、ありがとうね^^
『指摘』って言葉を選んでしまったのは、わたし自身に邪念があるからです^^;
あう、ごもっともです〜(苦笑)そんな感じでした^^
もちろん、個々の性質や欲望や事情で深さはいろいろですね、そして、その人に合った状態に収まることが一番の幸福なんだよね。
SMと主従は重なる部分はあるけれどイコールじゃない、ただ好きな男を求める気持ちは普遍的かなって思ったのでした^^
まあ、それも人によっては『適度』があるのだよね^^
こちらこそ、ちょっぴり背筋伸びました、ありがとうね^^