ポルノ映画
独り言
那智さんがわたしに教えてくれた昔のポルノ映画。
わたしにとっては、ほとんどはじめて見る『ストーリーがあって動くSM』だったので充分に刺激的ではあった。
30数年前の物なので登場人物がみんな古めかしいのも、なんだか思春期の頃に雑誌を盗み見したノスタルジーまで感じさせて不思議な刺激になっていた。
でも、いろいろな経験を経てきた那智さんにとってもあれは、いまでも興奮するものなのだそうだ。
思春期の頃の衝撃が印象に残っている分を差し引いても、いま巷に氾濫しているエッチな動画よりずっとずっと那智さんの男心を刺激するらしい。
『ストーリーがある』ことも大きな理由のひとつだとおっしゃるのだけど、『見えそうで見えない』からこそいいということだ。
たしかに、うまい具合に花瓶が置いてあって女性の足の間は映っていないし、セックスの場面だって『入れて、すこし動く』程度の描写しかしていないし、喘ぎ声がBGMでかき消されて女性の表情だけしかわからないなんて演出もあったりの、かなり性描写としては不完全だ。
いまわたしが目にするエッチ動画では性器は見えるし、女性の多彩な喘ぎ声や男性の指の動きまで知ることができる、SMはもちろん、様々な嗜好のジャンルを見ることができるので、ずっと刺激的だ。
それなのに、どうして不完全な描写のほうが興奮するのだろう。
見えそうで見えない官能とかチラリズムとか、まあ、それが答えなんだろうけど、もうちょっと詳しく考えてみる^^
また、那智さんが教えてくれたふたつの映画と、那智さん推薦のエロ動画サイトの一部だけが資料なので、もしかしたら的外れだったら、ごめんなさい^^
興奮するために何を必要とするかがポルノ映画とエロ動画では違うのではないだろうか。
それは想像と刺激。
ポルノ映画は想像でエロ動画は刺激、これが作用して興奮する。
ポルノ映画はもどかしい。
性器は見えないし、たいした喘ぎ声もあげない。
男性の背中に隠れてしまって女性の揺れる足しか見えないシーンなんていうのもある。
わたしの見た限りでは、男性も女性も『イク』描写もなかったはずだ(ふたつしかサンプルないけど^^;)
不完全でもどかしい。
でも、不完全であればあるほど想像することができる。
女性の性器や表情、あのぼやけた先に何があるのか。
2、3回ピストン運動した次のシーンでぐったりしている女性に、その間どんなことが繰り広げられたのか。
もどかしいけど、不完全なほど想像する余地が限りなく広がる。
自分のお気に入りの表情や行為を想像する、どんどん自分だけの世界が出来上がる。
不完全だからまた次の想像の材料がほしくて観る、観てもまだ不完全だから細々パーツを揃えながらも、埋まらないところは、さらに想像を広げる。
この想像が興奮を作っている。
一方、エロ動画の興奮は刺激だ。
丸見えの女性器、様々な体位や様々な変態行為。
わたしたちが受けるのは強い刺激、そして、それにより興奮が発生する。
ありとあらゆることを見ることができて、最後は射精しておしまいとゴールまで示してくれている。
自分をそこに当てはめるくらいしか、想像の余地は残っていないのだ。
わたしも含め少数派な嗜好を持っている人からしたら、そのジャンルが認知されていることへの安堵に繋がるし多様化することは良い面もあるので、一概にエロ動画を否定はしないけど、強い刺激が興奮を呼んでいることは確かだろう。
でも、残念ながら映像からの刺激だけで、どう頑張っても100%の満足は得られないはずなんだ。
生身の人間の肌の感触は触れないと得られないし、実現不可能な変態行為などは映像でも現実でも叶えられないものだから、いずれにしても100%満足というものは、難しい。
100%叶えられないのはポルノ映画だって同じなんだけど、ポルノ映画は想像が興奮を作っているから、そのまま想像を広げて、より満足に近づけることができるけど、『刺激』で興奮を作っているとなかなか想像の余地はない。
だから、結局、また刺激で補うことになる。
刺激は慣れる。
直接的な、強い刺激の穴埋めはさらに強い刺激を求める構図を作る。
想像の余地を残したもどかしい満足と次々強い刺激で埋めていく満足。
じつは、強い刺激より、想像の余地が残るほど不完全なもののほうがより、もどかしいけれど、興奮や満足度が高いのかもしれない。
だから、那智さんのいまでもポルノ映画のほうが興奮するという気持ちにさせるのではないでしょうか。
わたしは「昔のほうがよかった」というセリフがあまり好きじゃないので、言うつもりはないけれど、人は足りないとそこから想像や工夫が生まれるものなんだね。
もしかしたら、より高い満足を得るためには想像力を養うほうがよいのではないかなとは思う。
たまには、刺激的なエロ動画を見ずに小説の文字だけの世界で興奮してみるのもいいかもしれないし、エロ動画をあえて最後まで見ないとか!?(笑)想像を楽しみ、想像力を養う術はいろいろあるよね^^
いまはブログも豊富にあって、SMや主従や、モデルケースはたくさんある。
でも、意外と出揃ってしまうと、それ以外は実っていかないのかもしれない。
刺激より想像力。
目を閉じ、自分の内側から溢れ出る『なにか』を静かに待つ時間も味わい深いのだ。
あ、でも、お花畑を想像していた女性器が実際見たらグロテスクだった!!と萎えてしまう男の子も、昔はいたかもしれないので、不完全の弊害があるとしたら、それ^^
<関連エントリー>
『ポケット』
「等式」感想です。
楽しく、本質的でとてもためになるエントリーだと思います。
女性器は苦労してリアルで見れば「お花畑」容易くPCで見るとグロになる。
だから、このあたりの環境については「昔は良かった。」ではなく「今の人は可哀想」と私の感想にします。語りたくなりました。~(笑)
「草食系男子」などと言われて久しいですが、性に興味を示す思春期に何の苦労もなく「おまんこ動画」を見たらたいして興味が無くなるのも理解出来る。
画像も動画も無く、想像するからお花畑になり、見たい、やりたい、興味が湧きそれが強力なパワーになった。その辺からファッション、バイク、車、など、自分を良く見せるような興味や向上心に結び付いたのではないでしょうか。(笑)
那智さんがわたしに教えてくれた昔のポルノ映画。
わたしにとっては、ほとんどはじめて見る『ストーリーがあって動くSM』だったので充分に刺激的ではあった。
30数年前の物なので登場人物がみんな古めかしいのも、なんだか思春期の頃に雑誌を盗み見したノスタルジーまで感じさせて不思議な刺激になっていた。
でも、いろいろな経験を経てきた那智さんにとってもあれは、いまでも興奮するものなのだそうだ。
思春期の頃の衝撃が印象に残っている分を差し引いても、いま巷に氾濫しているエッチな動画よりずっとずっと那智さんの男心を刺激するらしい。
『ストーリーがある』ことも大きな理由のひとつだとおっしゃるのだけど、『見えそうで見えない』からこそいいということだ。
たしかに、うまい具合に花瓶が置いてあって女性の足の間は映っていないし、セックスの場面だって『入れて、すこし動く』程度の描写しかしていないし、喘ぎ声がBGMでかき消されて女性の表情だけしかわからないなんて演出もあったりの、かなり性描写としては不完全だ。
いまわたしが目にするエッチ動画では性器は見えるし、女性の多彩な喘ぎ声や男性の指の動きまで知ることができる、SMはもちろん、様々な嗜好のジャンルを見ることができるので、ずっと刺激的だ。
それなのに、どうして不完全な描写のほうが興奮するのだろう。
見えそうで見えない官能とかチラリズムとか、まあ、それが答えなんだろうけど、もうちょっと詳しく考えてみる^^
また、那智さんが教えてくれたふたつの映画と、那智さん推薦のエロ動画サイトの一部だけが資料なので、もしかしたら的外れだったら、ごめんなさい^^
興奮するために何を必要とするかがポルノ映画とエロ動画では違うのではないだろうか。
それは想像と刺激。
ポルノ映画は想像でエロ動画は刺激、これが作用して興奮する。
ポルノ映画はもどかしい。
性器は見えないし、たいした喘ぎ声もあげない。
男性の背中に隠れてしまって女性の揺れる足しか見えないシーンなんていうのもある。
わたしの見た限りでは、男性も女性も『イク』描写もなかったはずだ(ふたつしかサンプルないけど^^;)
不完全でもどかしい。
でも、不完全であればあるほど想像することができる。
女性の性器や表情、あのぼやけた先に何があるのか。
2、3回ピストン運動した次のシーンでぐったりしている女性に、その間どんなことが繰り広げられたのか。
もどかしいけど、不完全なほど想像する余地が限りなく広がる。
自分のお気に入りの表情や行為を想像する、どんどん自分だけの世界が出来上がる。
不完全だからまた次の想像の材料がほしくて観る、観てもまだ不完全だから細々パーツを揃えながらも、埋まらないところは、さらに想像を広げる。
この想像が興奮を作っている。
一方、エロ動画の興奮は刺激だ。
丸見えの女性器、様々な体位や様々な変態行為。
わたしたちが受けるのは強い刺激、そして、それにより興奮が発生する。
ありとあらゆることを見ることができて、最後は射精しておしまいとゴールまで示してくれている。
自分をそこに当てはめるくらいしか、想像の余地は残っていないのだ。
わたしも含め少数派な嗜好を持っている人からしたら、そのジャンルが認知されていることへの安堵に繋がるし多様化することは良い面もあるので、一概にエロ動画を否定はしないけど、強い刺激が興奮を呼んでいることは確かだろう。
でも、残念ながら映像からの刺激だけで、どう頑張っても100%の満足は得られないはずなんだ。
生身の人間の肌の感触は触れないと得られないし、実現不可能な変態行為などは映像でも現実でも叶えられないものだから、いずれにしても100%満足というものは、難しい。
100%叶えられないのはポルノ映画だって同じなんだけど、ポルノ映画は想像が興奮を作っているから、そのまま想像を広げて、より満足に近づけることができるけど、『刺激』で興奮を作っているとなかなか想像の余地はない。
だから、結局、また刺激で補うことになる。
刺激は慣れる。
直接的な、強い刺激の穴埋めはさらに強い刺激を求める構図を作る。
想像の余地を残したもどかしい満足と次々強い刺激で埋めていく満足。
じつは、強い刺激より、想像の余地が残るほど不完全なもののほうがより、もどかしいけれど、興奮や満足度が高いのかもしれない。
だから、那智さんのいまでもポルノ映画のほうが興奮するという気持ちにさせるのではないでしょうか。
わたしは「昔のほうがよかった」というセリフがあまり好きじゃないので、言うつもりはないけれど、人は足りないとそこから想像や工夫が生まれるものなんだね。
もしかしたら、より高い満足を得るためには想像力を養うほうがよいのではないかなとは思う。
たまには、刺激的なエロ動画を見ずに小説の文字だけの世界で興奮してみるのもいいかもしれないし、エロ動画をあえて最後まで見ないとか!?(笑)想像を楽しみ、想像力を養う術はいろいろあるよね^^
いまはブログも豊富にあって、SMや主従や、モデルケースはたくさんある。
でも、意外と出揃ってしまうと、それ以外は実っていかないのかもしれない。
刺激より想像力。
目を閉じ、自分の内側から溢れ出る『なにか』を静かに待つ時間も味わい深いのだ。
あ、でも、お花畑を想像していた女性器が実際見たらグロテスクだった!!と萎えてしまう男の子も、昔はいたかもしれないので、不完全の弊害があるとしたら、それ^^
<関連エントリー>
『ポケット』
「等式」感想です。
楽しく、本質的でとてもためになるエントリーだと思います。
女性器は苦労してリアルで見れば「お花畑」容易くPCで見るとグロになる。
だから、このあたりの環境については「昔は良かった。」ではなく「今の人は可哀想」と私の感想にします。語りたくなりました。~(笑)
「草食系男子」などと言われて久しいですが、性に興味を示す思春期に何の苦労もなく「おまんこ動画」を見たらたいして興味が無くなるのも理解出来る。
画像も動画も無く、想像するからお花畑になり、見たい、やりたい、興味が湧きそれが強力なパワーになった。その辺からファッション、バイク、車、など、自分を良く見せるような興味や向上心に結び付いたのではないでしょうか。(笑)
COMMENT
彼と何度かポルノ映画を見に行ったことがあるけど、その中で今でも一番印象に残っているのがあって、娘の彼と関係を持つようになってしまった谷ナオミ演じる母が、偶然にも娘と彼の性行為の場面に居合わせてしまい、その一部始終を覗き見ながら自慰をするって場面。
彼女のセリフはないんだけど、その苦しくて切なくて、それでいて諦めのようなそんな何とのもいえない感情が想像できて、それでも欲情してしてしまうっていうシチュエーションにすごく共感を覚えて感じてしまったんです。
若い頃は、特に男子はそうだと思うけど、性行為そのものに興味津々だから直接的な性表現だけでも興奮できたけど、年齢重ねて経験積んでくると、そこに様々な感情が混ざり合わないと単なるセックスの場面だけ見せられてもねーになってきますよね。若い頃は嫉妬や憎しみが性的興奮に繋がるなんて思ってもみなかったんだけど。だんだん複雑になってるんだろうけど、悦びや楽しみの幅は断然今のほうが広がってるもんね。
で、なにが言いたかったっていうと、もう今の環境は昔へ戻しようがないけど、この時代に生まれた世代もリアルな体験をたくさん経て、同じところへ辿り付くんじゃないかな、いやそうあってほしいなと思ったりします。
想像力は訓練も必要だけど、ある程度実体験もなきゃ想像の幅も広がらないよねきっと。
余談ですが、私は時々気が向いたらちょっときわどい画像を彼に送ったりしますが、先日、エッチな体験を文章のみで送ったところ、今までにない興奮した様子の返事がきました(笑)
ちょっと新たな発見と新たな可能性を見つけてしまった今日この頃です。
彼女のセリフはないんだけど、その苦しくて切なくて、それでいて諦めのようなそんな何とのもいえない感情が想像できて、それでも欲情してしてしまうっていうシチュエーションにすごく共感を覚えて感じてしまったんです。
若い頃は、特に男子はそうだと思うけど、性行為そのものに興味津々だから直接的な性表現だけでも興奮できたけど、年齢重ねて経験積んでくると、そこに様々な感情が混ざり合わないと単なるセックスの場面だけ見せられてもねーになってきますよね。若い頃は嫉妬や憎しみが性的興奮に繋がるなんて思ってもみなかったんだけど。だんだん複雑になってるんだろうけど、悦びや楽しみの幅は断然今のほうが広がってるもんね。
で、なにが言いたかったっていうと、もう今の環境は昔へ戻しようがないけど、この時代に生まれた世代もリアルな体験をたくさん経て、同じところへ辿り付くんじゃないかな、いやそうあってほしいなと思ったりします。
想像力は訓練も必要だけど、ある程度実体験もなきゃ想像の幅も広がらないよねきっと。
余談ですが、私は時々気が向いたらちょっときわどい画像を彼に送ったりしますが、先日、エッチな体験を文章のみで送ったところ、今までにない興奮した様子の返事がきました(笑)
ちょっと新たな発見と新たな可能性を見つけてしまった今日この頃です。
Hさん
うん、いろいろな情報があっても経験を経たり妄想したり単純な刺激ではないおもしろさにたどり着けると思う、そうあってほしいと思う(笑)
Hさんのおっしゃる通り^^
で、以上終了!!ってなってしまいそうなので、コメントから考えを広げたことを^^
外からの情報や刺激と自分が体験して得た興奮とは、また違ってくるのかなと想像しました。
いろいろな情報が氾濫していても、やっぱり実際経験したことのほうが人を満足させるのかな。
ただ、たとえば、はじめて経験したことって、案外、そこそこだったりしたりして^^;
外からの情報による刺激には一回では適わないけど、何度か積み重ねてよりよくなっていくのかな。
だとしたら、やっぱり、何度も積み上げたいと思えるパートナーと丁寧に経験を積んで行くというのが、一番平和で満たされるのかもね。
だとしたら、いつの時代も『人』が重要ということは変わりないってことで^^
うん、いろいろな情報があっても経験を経たり妄想したり単純な刺激ではないおもしろさにたどり着けると思う、そうあってほしいと思う(笑)
Hさんのおっしゃる通り^^
で、以上終了!!ってなってしまいそうなので、コメントから考えを広げたことを^^
外からの情報や刺激と自分が体験して得た興奮とは、また違ってくるのかなと想像しました。
いろいろな情報が氾濫していても、やっぱり実際経験したことのほうが人を満足させるのかな。
ただ、たとえば、はじめて経験したことって、案外、そこそこだったりしたりして^^;
外からの情報による刺激には一回では適わないけど、何度か積み重ねてよりよくなっていくのかな。
だとしたら、やっぱり、何度も積み上げたいと思えるパートナーと丁寧に経験を積んで行くというのが、一番平和で満たされるのかもね。
だとしたら、いつの時代も『人』が重要ということは変わりないってことで^^