感情
独特な幸福感
那智さんは実は共感が苦手だ。
だから『さみしいは誰のもの?』で書いたような『さみしいものはさみしいね』というような共感はほとんどもらえない。
なぜなら。
恐らく共感を通り越して『当事者』になってしまうからだ。
だから『寂しかったね、よしよし』にならない。
寂しいなら、解決せねば!!になってしまうのだ。
これはヒジョーに助かること。
たくさん、たくさん付き合って寂しいがなくなるようにしてくれる。
でもときは厄介なことにもなるのだ。
解決しようとしてしまうから、理屈で寂しいを解決できたら、それは解決なのだ。
それ以降の、感情としての寂しいには付き合ってくれない。
『はい、はい、わかりました。寂しかったんだよね〜』とならない。
それはさっき話したよね。
だって、それはどうすることもできないことだろ?
話が一周したよ。
こんなふうに『感情として寂しい』さえも理屈として解決しようとしてくれてしまうのだ。
こうなると、自分がただただわがままを言っているようで(いや、実際甘えてるんだけど^^;)、なんだか出口が見つからずぐるぐるしてしまったりもする。
で、後から、なんだかわたしダメだなぁなんて反省したりして。
だから『さみしいは誰のもの?』は実はわたし自身にも語っていたことでもあったんだよね。
ある日、わたしはとても欲情していた。
PCに向かっていてもクリトリスが小さく脈を打つ。
何もしていないのにおまんこがビショビショなのがわかる。
触りたいとも思うけど、那智さんに『宣言と報告』をすると思うと恥ずかしいから、まだ我慢。
ああ、でもこの我慢していることのほうが快感かもしれない。
どうしてこんなに欲情しているのか。
それは、その日の朝のメール。
昨夜『おやすみメール』をいただけなかった。
そんな夜はたまにはある。
だから、それだけでは寂しいことは、いまはそれほどなくなっている
だけど、例えば昼間の繋がり具合がいつもより少なかったり、『おやすみメール』より前の最後の電話でわたしからのお話しが尻切れとんぼだったり、そんな些細な理由で、わずかに自分でも気付かないくらいに『さみしい』と思うこともあるみたいなのだ。
まったく意識になかったし、メールがなかったことをまったく責めるつもりもなかったけど、恐らくその夜は、そんな種類の夜だったんだ。
翌朝のメール。
『おはよう。昨日は寂しかったね。よしよし』
いつもはほとんど『おはよう』だけのメールなのに、ひと言添えてあった。
あ〜、やっぱりわたし寂しかったんだよね。
その文字を見て、はじめて寂しいに気付いたようだった。
冷たい海の底に沈んだ小さな小さな寂しいを見つけて、那智さんがすくい上げてくれた。
自分でも気付かないほどの寂しさに気付いてくれて包んでくれると、なんだか自分が『包まれていていい』存在に思えてしまう。
無自覚だった寂しいの共感『寂しかったね』でどわっと心がほどけて。
『よしよし』の娘扱いに、欲情にまっさかさま。
それで欲情してたまらなかった。
いや、これはこれで充分幸せですけれど。
できれば、共感で欲情させる力があるならば。
もう少しいろんな場面で『理屈抜き』の共感もいただけたらいいのにな〜とも思う。
那智さんにもう少しその力があれば、かなり最強なんだけどな〜、なんて贅沢なことを思う、わたし。
のほほん日記とか言いながら、なぜか急に毎日更新。
実はいま那智さん出張中なのです。
ほとんど連絡が取れないから意外と心と時間に余裕ができて、取り組み事項を少しずつ進めながらも『のほほん』していられるわけです。
で、『あ〜ん寂しいよぉ』が変なテンションになり+帰国後のお楽しみにと思って、勢い更新^^
期間限定なので、お付き合いくださいませ^^
それにしても『よしよし』で欲情するわたしって、ヘン^^;
そういえばこんなことでも大喜びしていたもんね〜。(『娘デート1』『独特な幸福感のススメ』)
那智さんは実は共感が苦手だ。
だから『さみしいは誰のもの?』で書いたような『さみしいものはさみしいね』というような共感はほとんどもらえない。
なぜなら。
恐らく共感を通り越して『当事者』になってしまうからだ。
だから『寂しかったね、よしよし』にならない。
寂しいなら、解決せねば!!になってしまうのだ。
これはヒジョーに助かること。
たくさん、たくさん付き合って寂しいがなくなるようにしてくれる。
でもときは厄介なことにもなるのだ。
解決しようとしてしまうから、理屈で寂しいを解決できたら、それは解決なのだ。
それ以降の、感情としての寂しいには付き合ってくれない。
『はい、はい、わかりました。寂しかったんだよね〜』とならない。
それはさっき話したよね。
だって、それはどうすることもできないことだろ?
話が一周したよ。
こんなふうに『感情として寂しい』さえも理屈として解決しようとしてくれてしまうのだ。
こうなると、自分がただただわがままを言っているようで(いや、実際甘えてるんだけど^^;)、なんだか出口が見つからずぐるぐるしてしまったりもする。
で、後から、なんだかわたしダメだなぁなんて反省したりして。
だから『さみしいは誰のもの?』は実はわたし自身にも語っていたことでもあったんだよね。
ある日、わたしはとても欲情していた。
PCに向かっていてもクリトリスが小さく脈を打つ。
何もしていないのにおまんこがビショビショなのがわかる。
触りたいとも思うけど、那智さんに『宣言と報告』をすると思うと恥ずかしいから、まだ我慢。
ああ、でもこの我慢していることのほうが快感かもしれない。
どうしてこんなに欲情しているのか。
それは、その日の朝のメール。
昨夜『おやすみメール』をいただけなかった。
そんな夜はたまにはある。
だから、それだけでは寂しいことは、いまはそれほどなくなっている
だけど、例えば昼間の繋がり具合がいつもより少なかったり、『おやすみメール』より前の最後の電話でわたしからのお話しが尻切れとんぼだったり、そんな些細な理由で、わずかに自分でも気付かないくらいに『さみしい』と思うこともあるみたいなのだ。
まったく意識になかったし、メールがなかったことをまったく責めるつもりもなかったけど、恐らくその夜は、そんな種類の夜だったんだ。
翌朝のメール。
『おはよう。昨日は寂しかったね。よしよし』
いつもはほとんど『おはよう』だけのメールなのに、ひと言添えてあった。
あ〜、やっぱりわたし寂しかったんだよね。
その文字を見て、はじめて寂しいに気付いたようだった。
冷たい海の底に沈んだ小さな小さな寂しいを見つけて、那智さんがすくい上げてくれた。
自分でも気付かないほどの寂しさに気付いてくれて包んでくれると、なんだか自分が『包まれていていい』存在に思えてしまう。
無自覚だった寂しいの共感『寂しかったね』でどわっと心がほどけて。
『よしよし』の娘扱いに、欲情にまっさかさま。
それで欲情してたまらなかった。
いや、これはこれで充分幸せですけれど。
できれば、共感で欲情させる力があるならば。
もう少しいろんな場面で『理屈抜き』の共感もいただけたらいいのにな〜とも思う。
那智さんにもう少しその力があれば、かなり最強なんだけどな〜、なんて贅沢なことを思う、わたし。
のほほん日記とか言いながら、なぜか急に毎日更新。
実はいま那智さん出張中なのです。
ほとんど連絡が取れないから意外と心と時間に余裕ができて、取り組み事項を少しずつ進めながらも『のほほん』していられるわけです。
で、『あ〜ん寂しいよぉ』が変なテンションになり+帰国後のお楽しみにと思って、勢い更新^^
期間限定なので、お付き合いくださいませ^^
それにしても『よしよし』で欲情するわたしって、ヘン^^;
そういえばこんなことでも大喜びしていたもんね〜。(『娘デート1』『独特な幸福感のススメ』)