目隠し
非日常的な日常
目隠し。
SMの行為でときどき登場する。
那智さんはほとんど目隠しをしない。
なぜか聞いたら『怖がるから』だそうだ。
SMの行為や関係性で比較的『恐怖』というのはスタンダードな感じもするけれど、那智さんにとってわたしとの間に起こるものの中で『怖がる』というのはあまりメインの感情にしたいと思わないのだろう。
針を貫通させたときも怖がったし鞭なんて毎回怖いけど、それは怖がらせることが目的ではなくて快感に発展させるための通過点だから、いいらしい。
『恐怖』がわたしの快感に結びつくような場合以外、ただ闇雲に怖がらせても面白くないのでしょう。
でも、隠れて脅かしたりはよくするので、一瞬で終わり、その後笑い合えるよな怖がらせ方は好きなようだけど。
とにかく、ただ単に恐怖におびえている姿を見ていてもおもしろくないということだよね。
ホント、一般的なサディストイメージとはかけ離れているなぁとこういうときにも思う。
でもって、わたしが異常に恐がりときているのだから、怖がるアイテムの目隠しがほとんど登場しないのは、すこしわかる気がする。
いままではっきりした記憶にあるのは一回だけ。
那智さんから聞いてぼんやり思い出したものを含めると2、3回。
これくらいしか目隠しの経験はない。
「そこに立って」
ある程度いろいろ終わって(笑)
ベッドでくつろいでいたときにそう言われた。
言われた通りベッドのから降りて横に立つ。
ふわっと頭からタオルをかけられた。
目の前に覆いかぶさったタオルで視界を塞がれた。
顔の曲線にそって浮くタオルの淵から見えるホテルの部屋の絨毯だけがかろうじて視界の隅に。
な、なにするのですか!!
じっとしてて
今日はもう鞭はしていた。
あのはげしい痛みはまだお尻にはっきり記憶されている。
その記憶のせいだろうか。
一瞬にして恐怖に支配されてしまった。
お化け屋敷で絶叫したエントリーを書いたけど、わたしはものすごく恐がりで一旦『怖い』と思ってしまうともう収拾がつかないほど怖がってしまう。
怖さの実体そのものではなくて、怖さから連想される様々なものに怖がってしまう傾向があるのだ(音とかびっくりすることとか^^;)
『那智さんが痛いことをする』
痛いことそのものと、それが見えないことで突然来るという驚きとじっとしていなければいけない=怖さに耐えないといけないなどを連想して、もうどこをどうしてもおびえてしまう状態になってしまった。
なんだろう。
いきなり針でさされるの?
いや、針は危険だからこの状況ではしない?
じゃあ、新しい叩くアイテム。
なにかバチン!!と飛んでくるの!?
那智さんは、わたしにとてもとても痛いことをする。
だけどそれはわたしを痛がらせるためじゃなくて可愛がるためだ。
だから、もしいまなにかバチン!!ときても可愛がるからは逸脱しない『とても痛いこと』なはず。
でもきっと同じ力でも痛がらせるためと可愛がるための痛みは痛さが違うような気がする。
だから、大丈夫だ。
とかなんとか、見えない中でぐるぐる。
見えない、何をされるかわからないという状態は、本当に本当に恐くて、わたしは体を硬くして『恐い、恐い』と騒いでいた。
那智さん、なにですか!!
怖いです。
りん子、俺になら殺されてもいいんだろ?(笑)
ああ、そうだ。
いや、本当に殺そうなんて那智さんも思っていない。
だけど、それにかなり近い感情はお互いに持っている。
まったくわたしったら情けない。
あんまりわたしが怖がるものだから、そんなことを言って安心させてくれた。
那智さんのその言葉は、怖さの実体とは違う怖さから連想しちゃう恐怖の増大を排除してくれる効力があった。
そこから先は、純粋に怖いだけになる。
恐怖に体を硬直させながら、まるでそこが命綱のようにベッドの縁にふくらはぎを押しあて、その純粋な怖さだけに耐えていた。
と。
ものすごい前振りをしたけれど。
目隠しをしたわたしの肩にシュッっとなにか巻かれたと思ったら、そこからぐるぐる。
わたしを恐怖に怯えさせたアイテムは業務用のラップだった^^;
肩から足首までラップでぐるぐる巻きにされてしまった。
もう!!那智さんたら!!
きっとただぐるぐる巻きにするのではつまらないと思ったのでしょう。
目隠しなんて演出してくれちゃうものだから、想像以上のインパクト。
ホッとして、びっくりしたって笑って、あっという間に芋虫の出来上がり。
タオルは外された。
抱きかかえてもらってベッドにゴロン。
ひしゃげた乳首は恥ずかしいし、でも、身動きできないというものはマゾ的嗜好を刺激してくれるし、一部を裂いてミニミニ電マを差し込まれるし。
しまいにはティッシュでこよりを作って鼻の穴をつんつんされる。
いろんな感情や刺激がごちゃまぜになってただただたのしい。
那智さんのしたいようにされていることは、幸せ。
きゃーきゃー、わーわー。
快感と微笑みにきっとわたしの顔はとろけていただろう。
ああ、りん子、よろこんでる〜!!
そんなふうにいう那智さんの、これもなんてうれしそな顔。
那智さんは彼が施すいろんなことでわたしを喜ばせることが好きなのだ(たとえ、ティッシュでこよりでも^^;)
わたしがよろこんでいる姿をうれしそうに眺める那智さんの表情に、わたしもまた幸せになる。
こんな時間になるための『目隠し』なら、いいかな。
ところで、この話を書きながら、やっぱり那智さんはサディストというのだろうか?とやっぱり疑問に思う。
那智さんが目隠しをしないのはわたしが怖がるから。
『怖がらせる』ことはおもしろくないのだ。
最終的にしあわせにするためのそれはあったとしても、ただ怖がらせるはつまらないということ。
那智さんがすることで痛いことでも熱いことでも汚いことでも最終的にはよろこさせることが好きなのですね。
一見、とても酷い行いに見えるものでも、自分が手がけることでよろこぶようにしたい。
加虐を体と精神でわけるとしたら、那智さんは体には酷いことをするけど、精神的に苦痛を味わわせたいという嗜好はないということなのかな。
だから那智さんは、お尻がデコボコになるくらい鞭を打つし、ビンタや顔を踏みつけるような屈辱的に見えることもするけど、そこに精神的苦痛を味わわせている感覚はないはずなのだ。
身体的加虐嗜好ということだろうか。
う〜ん、ちょっと違うな。
可愛がり方加虐ヴァージョンってことなんだろう。
肉体的精神的に苦痛を味わわせることがSMだとするならば、苦痛を味わわせて可愛がることはSMというのだろうか。
なぜ目隠しをしないのか、本当はわたしなりに想像していて、たとえば『表情を見たい』とか『目に焼き付けさせたい』とか、ちょっぴりカッコいい理由を考えていたんだけど、あっさりと『だって、りん子怖がるだろ?』いう。
怖がらせるだけじゃつまらないという那智さんの言葉を聞きながら、那智さんらしいなと、わたしには可愛がり方加虐ヴァージョンのほうがいいなと思うのでした。
今朝の「等式」感想です。りん子の恐怖は俺が怖い、(笑)異常な恐がり方はすべてを凌駕する、だから、りん子に目隠しをするのは見せたくない、隠したい物があるからだけにしようとしている。
私が怖い顔して一般的に言う酷いことをするのと笑いながら、もしくは普通の顔で酷いことをするのとどちらがりん子は怖いのだろう。(笑)
目隠し。
SMの行為でときどき登場する。
那智さんはほとんど目隠しをしない。
なぜか聞いたら『怖がるから』だそうだ。
SMの行為や関係性で比較的『恐怖』というのはスタンダードな感じもするけれど、那智さんにとってわたしとの間に起こるものの中で『怖がる』というのはあまりメインの感情にしたいと思わないのだろう。
針を貫通させたときも怖がったし鞭なんて毎回怖いけど、それは怖がらせることが目的ではなくて快感に発展させるための通過点だから、いいらしい。
『恐怖』がわたしの快感に結びつくような場合以外、ただ闇雲に怖がらせても面白くないのでしょう。
でも、隠れて脅かしたりはよくするので、一瞬で終わり、その後笑い合えるよな怖がらせ方は好きなようだけど。
とにかく、ただ単に恐怖におびえている姿を見ていてもおもしろくないということだよね。
ホント、一般的なサディストイメージとはかけ離れているなぁとこういうときにも思う。
でもって、わたしが異常に恐がりときているのだから、怖がるアイテムの目隠しがほとんど登場しないのは、すこしわかる気がする。
いままではっきりした記憶にあるのは一回だけ。
那智さんから聞いてぼんやり思い出したものを含めると2、3回。
これくらいしか目隠しの経験はない。
「そこに立って」
ある程度いろいろ終わって(笑)
ベッドでくつろいでいたときにそう言われた。
言われた通りベッドのから降りて横に立つ。
ふわっと頭からタオルをかけられた。
目の前に覆いかぶさったタオルで視界を塞がれた。
顔の曲線にそって浮くタオルの淵から見えるホテルの部屋の絨毯だけがかろうじて視界の隅に。
な、なにするのですか!!
じっとしてて
今日はもう鞭はしていた。
あのはげしい痛みはまだお尻にはっきり記憶されている。
その記憶のせいだろうか。
一瞬にして恐怖に支配されてしまった。
お化け屋敷で絶叫したエントリーを書いたけど、わたしはものすごく恐がりで一旦『怖い』と思ってしまうともう収拾がつかないほど怖がってしまう。
怖さの実体そのものではなくて、怖さから連想される様々なものに怖がってしまう傾向があるのだ(音とかびっくりすることとか^^;)
『那智さんが痛いことをする』
痛いことそのものと、それが見えないことで突然来るという驚きとじっとしていなければいけない=怖さに耐えないといけないなどを連想して、もうどこをどうしてもおびえてしまう状態になってしまった。
なんだろう。
いきなり針でさされるの?
いや、針は危険だからこの状況ではしない?
じゃあ、新しい叩くアイテム。
なにかバチン!!と飛んでくるの!?
那智さんは、わたしにとてもとても痛いことをする。
だけどそれはわたしを痛がらせるためじゃなくて可愛がるためだ。
だから、もしいまなにかバチン!!ときても可愛がるからは逸脱しない『とても痛いこと』なはず。
でもきっと同じ力でも痛がらせるためと可愛がるための痛みは痛さが違うような気がする。
だから、大丈夫だ。
とかなんとか、見えない中でぐるぐる。
見えない、何をされるかわからないという状態は、本当に本当に恐くて、わたしは体を硬くして『恐い、恐い』と騒いでいた。
那智さん、なにですか!!
怖いです。
りん子、俺になら殺されてもいいんだろ?(笑)
ああ、そうだ。
いや、本当に殺そうなんて那智さんも思っていない。
だけど、それにかなり近い感情はお互いに持っている。
まったくわたしったら情けない。
あんまりわたしが怖がるものだから、そんなことを言って安心させてくれた。
那智さんのその言葉は、怖さの実体とは違う怖さから連想しちゃう恐怖の増大を排除してくれる効力があった。
そこから先は、純粋に怖いだけになる。
恐怖に体を硬直させながら、まるでそこが命綱のようにベッドの縁にふくらはぎを押しあて、その純粋な怖さだけに耐えていた。
と。
ものすごい前振りをしたけれど。
目隠しをしたわたしの肩にシュッっとなにか巻かれたと思ったら、そこからぐるぐる。
わたしを恐怖に怯えさせたアイテムは業務用のラップだった^^;
肩から足首までラップでぐるぐる巻きにされてしまった。
もう!!那智さんたら!!
きっとただぐるぐる巻きにするのではつまらないと思ったのでしょう。
目隠しなんて演出してくれちゃうものだから、想像以上のインパクト。
ホッとして、びっくりしたって笑って、あっという間に芋虫の出来上がり。
タオルは外された。
抱きかかえてもらってベッドにゴロン。
ひしゃげた乳首は恥ずかしいし、でも、身動きできないというものはマゾ的嗜好を刺激してくれるし、一部を裂いてミニミニ電マを差し込まれるし。
しまいにはティッシュでこよりを作って鼻の穴をつんつんされる。
いろんな感情や刺激がごちゃまぜになってただただたのしい。
那智さんのしたいようにされていることは、幸せ。
きゃーきゃー、わーわー。
快感と微笑みにきっとわたしの顔はとろけていただろう。
ああ、りん子、よろこんでる〜!!
そんなふうにいう那智さんの、これもなんてうれしそな顔。
那智さんは彼が施すいろんなことでわたしを喜ばせることが好きなのだ(たとえ、ティッシュでこよりでも^^;)
わたしがよろこんでいる姿をうれしそうに眺める那智さんの表情に、わたしもまた幸せになる。
こんな時間になるための『目隠し』なら、いいかな。
ところで、この話を書きながら、やっぱり那智さんはサディストというのだろうか?とやっぱり疑問に思う。
那智さんが目隠しをしないのはわたしが怖がるから。
『怖がらせる』ことはおもしろくないのだ。
最終的にしあわせにするためのそれはあったとしても、ただ怖がらせるはつまらないということ。
那智さんがすることで痛いことでも熱いことでも汚いことでも最終的にはよろこさせることが好きなのですね。
一見、とても酷い行いに見えるものでも、自分が手がけることでよろこぶようにしたい。
加虐を体と精神でわけるとしたら、那智さんは体には酷いことをするけど、精神的に苦痛を味わわせたいという嗜好はないということなのかな。
だから那智さんは、お尻がデコボコになるくらい鞭を打つし、ビンタや顔を踏みつけるような屈辱的に見えることもするけど、そこに精神的苦痛を味わわせている感覚はないはずなのだ。
身体的加虐嗜好ということだろうか。
う〜ん、ちょっと違うな。
可愛がり方加虐ヴァージョンってことなんだろう。
肉体的精神的に苦痛を味わわせることがSMだとするならば、苦痛を味わわせて可愛がることはSMというのだろうか。
なぜ目隠しをしないのか、本当はわたしなりに想像していて、たとえば『表情を見たい』とか『目に焼き付けさせたい』とか、ちょっぴりカッコいい理由を考えていたんだけど、あっさりと『だって、りん子怖がるだろ?』いう。
怖がらせるだけじゃつまらないという那智さんの言葉を聞きながら、那智さんらしいなと、わたしには可愛がり方加虐ヴァージョンのほうがいいなと思うのでした。
今朝の「等式」感想です。りん子の恐怖は俺が怖い、(笑)異常な恐がり方はすべてを凌駕する、だから、りん子に目隠しをするのは見せたくない、隠したい物があるからだけにしようとしている。
私が怖い顔して一般的に言う酷いことをするのと笑いながら、もしくは普通の顔で酷いことをするのとどちらがりん子は怖いのだろう。(笑)