逆転現象
独特な幸福感
自分に浣腸をさせて、尊敬も恋情も損なうことなく恥ずかしいと思わせる。
そういう関係を那智さんは作っている。
自分の思ったように私や私との関係を作っていく。
それが彼の独占欲で、この『浣腸事件(?)』もそのひとつの表れだと書いた。
(『浣腸の正当化(笑)』)
一方の私は『わたし』という欲望が強い。(『わたしとお知らせ』)
『わたし』をかまって。
『わたし』で感じて。
『わたし』をあなたでいっぱいにして。
この『わたし』というのは被独占欲だと思ってる。
独占されたい欲。
うまく説明できないのだけど、これは『独占欲』とは違うもののように思う。
那智さんに私だけを見ていてほしいという気持ちはあるけど、独り占めしたいというのとは違うのだ。
どうぞ自由になさってください。
行きたいところに行き、誰かを抱きたければお好きなように。
それによって悲しくなったとしたらその責任は取っていただきますけど^^でも私はあなたを独占するつもりはない。
だって、そもそも独り占めしたいという気持ちから関係を作るということは、独り占めした物を背負わないといけないよね。
性的な部分だけでも、日常を含めても、独り占めする範囲が広ければ広いほど背負う量は増えるはずだ。
それって、けっこうな面倒を背負い込むことだと思うのだ。
私は自分が依存していたい人間なのだもの、誰かを背負い込むなんて嗜好ない。
独占した後の状態を思い描けて、それさえも満足に繋がる人が『独占欲』の強い人というのではないかしら。
だから那智さんは『独占欲』。
『わたし』をあなたでいっぱいにして。
『わたし』の好きをぜーんぶ受け止めて。
こう思う私は被独占欲。
なんとなく違いがありますよね。
那智さんは私を変える、私にどんどん浸食してくる、那智さんから離れられない私を作る。
一日の多くの時間を那智さんのことを思って過ごし、一服タイムの着信音鳴れば携帯まで駆けていく。
何か問題が起きたら『那智さんならどう考えるか』と考え。
最近は『どう考えるか』が染み付いていちいち立ち止まらなくても行動できる回数も増えてる、と思う^^;
ちょっと気合いを入れるとき、薬指の刺青にくちびるを押し当て。
那智さんがくれる快感が私の快感で。
那智さんはくれる安心が私の安心で。
これがあればあるほど、それ以外の場面で私はとても生きやすくなっているのだ。(これはとても大事なこと)
この感覚。
しっかりと自分を持てている人には理解し難い感覚かもしれない。
人から影響され変えられるということは、きっとある意味『癪に障る』ことだと思う。
勝手に私を変えるなと腹立たしい気持ちになるのではないかと思うので、理解し難いかと思うのです。
私自身も『ほんとにそれでいいの?』とよくブレーキを踏む。
このブレーキと『被独占欲』の乖離現象は、ちょっと苦しいけどね。
ただ、こういう感覚は実際存在していまして^^;
メキメキと骨格を変えられるような感覚。
波に足をすくわれるような浸食。
そして那智さんから離れられないと実感するたび、少し恐ろしい反面、被独占欲は幸せを感じているのです。
もちろん誰でもいいわけじゃない、私を幸せにしてくれる人に独占されたい。(ここ重要です〜)
『繋いだ手』というエントリーで山本文緒さんの『恋愛中毒』一節を載せたけど、強く他人の手を握りしめてしまう私に、力加減を教え、時には安心して思い切り握りしめさせてくれる、そんな存在にどっぷりと独占されたい。
40年間生きてきていまの私を作るものは膨大な他者からの影響だから、那智さんだけが私を作るなんていうのは、おこがましくて言えないけど、それでも私は『独占されて幸福』なのだ。
この欲望が『被独占欲』だと思うのです。
ところで那智さんはものすごく『釣った魚にエサをやる』人だ(笑)
それは独占欲の強さからだろうとも思える。
那智さんの独占欲は『那智さんでりん子を作りたい』『那智さんがいないと生きていかれない』というような状態にすること。
だから束縛したり行動制限したりはしないのね。
その代わり、私を変える。
いままでできなかったことができるようになる様子を見るのは、恐らく那智さんの『独占欲』を満足させていると思う。
(『独占欲』『徒然に「独占欲」のこと』)
けれどこれは那智さん自身も言っていたのだけど。
100%独占したと実感できても、一度経験すればもうそれは100%ではなくなるらしい。
今度はいままで120%だと思っていたものが80%くらいになるのだ。
だから一瞬の満足の後は、常に『もっと』の状態になるのだそうだ。
那智さんは独占欲は満たすためにエサをやり続けないといけないのだ。
独占欲のゴールは延々と進化するらしい。
と最近やっと想像できるようになったけど『退路を断つ』と言った付き合いはじめの頃からずっと那智さんは埋まらない独占欲に、少し苦しむ感覚を持っていたそうだ。
だからこそ『退路を断つ』と決めたらしい。
私ったら、今頃やっと気づいてる^^;
那智さんの独占欲のゴールが進化すればするほど、私の被独占欲も進化する。
きっと、ふたりの求めてやまないものが『独占すると独占される』なのだろう。
だから私はもっと『わたし』を独占してと思い。
那智さんは独占できたと思っても、次の瞬間からまた枯渇するように独占したくなる。
だから釣った魚にエサをやり続ける。
『もっと』と独占する那智さん。
ふと。
ねぇ那智さん、那智さんたら私を独占することで、私に独占されていません?
あなたは自由なはずのに、もっと独占したいと思うあまり『余裕』の部分は多分『わたし』でかなりいっぱいじゃないでしょうか^^
独占欲と被独占欲の組み合わせは、こんなふうに表裏一体なんじゃないかしら。
これは『独占欲』のコメントにも登場した『逆独占』状態^^
図らずも、私は那智さんを独占してしまっているとも言えなくもない?
サディストの加虐嗜好でも、奴隷を持ちたいという支配欲とも違うこの独占欲は、独占しているほうが独占されているという逆転現象が起こるらしいのだ^^
(SとMもご主人様と奴隷も、こういう逆転現象はあるのかな?)
そんなふうに思うと、この組み合わせはやっぱりとっても濃密。
本当に求めてやまないものは、底が見えないもののようです。
いや、なんだかお昼のドラマみたいにドロドロになっちゃってるけど、あくまでも心の中のお話しでして、基本的にふたりとも極めて普通の常識人のつもりです、多分^^;
自分に浣腸をさせて、尊敬も恋情も損なうことなく恥ずかしいと思わせる。
そういう関係を那智さんは作っている。
自分の思ったように私や私との関係を作っていく。
それが彼の独占欲で、この『浣腸事件(?)』もそのひとつの表れだと書いた。
(『浣腸の正当化(笑)』)
一方の私は『わたし』という欲望が強い。(『わたしとお知らせ』)
『わたし』をかまって。
『わたし』で感じて。
『わたし』をあなたでいっぱいにして。
この『わたし』というのは被独占欲だと思ってる。
独占されたい欲。
うまく説明できないのだけど、これは『独占欲』とは違うもののように思う。
那智さんに私だけを見ていてほしいという気持ちはあるけど、独り占めしたいというのとは違うのだ。
どうぞ自由になさってください。
行きたいところに行き、誰かを抱きたければお好きなように。
それによって悲しくなったとしたらその責任は取っていただきますけど^^でも私はあなたを独占するつもりはない。
だって、そもそも独り占めしたいという気持ちから関係を作るということは、独り占めした物を背負わないといけないよね。
性的な部分だけでも、日常を含めても、独り占めする範囲が広ければ広いほど背負う量は増えるはずだ。
それって、けっこうな面倒を背負い込むことだと思うのだ。
私は自分が依存していたい人間なのだもの、誰かを背負い込むなんて嗜好ない。
独占した後の状態を思い描けて、それさえも満足に繋がる人が『独占欲』の強い人というのではないかしら。
だから那智さんは『独占欲』。
『わたし』をあなたでいっぱいにして。
『わたし』の好きをぜーんぶ受け止めて。
こう思う私は被独占欲。
なんとなく違いがありますよね。
那智さんは私を変える、私にどんどん浸食してくる、那智さんから離れられない私を作る。
一日の多くの時間を那智さんのことを思って過ごし、一服タイムの着信音鳴れば携帯まで駆けていく。
何か問題が起きたら『那智さんならどう考えるか』と考え。
最近は『どう考えるか』が染み付いていちいち立ち止まらなくても行動できる回数も増えてる、と思う^^;
ちょっと気合いを入れるとき、薬指の刺青にくちびるを押し当て。
那智さんがくれる快感が私の快感で。
那智さんはくれる安心が私の安心で。
これがあればあるほど、それ以外の場面で私はとても生きやすくなっているのだ。(これはとても大事なこと)
この感覚。
しっかりと自分を持てている人には理解し難い感覚かもしれない。
人から影響され変えられるということは、きっとある意味『癪に障る』ことだと思う。
勝手に私を変えるなと腹立たしい気持ちになるのではないかと思うので、理解し難いかと思うのです。
私自身も『ほんとにそれでいいの?』とよくブレーキを踏む。
このブレーキと『被独占欲』の乖離現象は、ちょっと苦しいけどね。
ただ、こういう感覚は実際存在していまして^^;
メキメキと骨格を変えられるような感覚。
波に足をすくわれるような浸食。
そして那智さんから離れられないと実感するたび、少し恐ろしい反面、被独占欲は幸せを感じているのです。
もちろん誰でもいいわけじゃない、私を幸せにしてくれる人に独占されたい。(ここ重要です〜)
『繋いだ手』というエントリーで山本文緒さんの『恋愛中毒』一節を載せたけど、強く他人の手を握りしめてしまう私に、力加減を教え、時には安心して思い切り握りしめさせてくれる、そんな存在にどっぷりと独占されたい。
40年間生きてきていまの私を作るものは膨大な他者からの影響だから、那智さんだけが私を作るなんていうのは、おこがましくて言えないけど、それでも私は『独占されて幸福』なのだ。
この欲望が『被独占欲』だと思うのです。
ところで那智さんはものすごく『釣った魚にエサをやる』人だ(笑)
それは独占欲の強さからだろうとも思える。
那智さんの独占欲は『那智さんでりん子を作りたい』『那智さんがいないと生きていかれない』というような状態にすること。
だから束縛したり行動制限したりはしないのね。
その代わり、私を変える。
いままでできなかったことができるようになる様子を見るのは、恐らく那智さんの『独占欲』を満足させていると思う。
(『独占欲』『徒然に「独占欲」のこと』)
けれどこれは那智さん自身も言っていたのだけど。
100%独占したと実感できても、一度経験すればもうそれは100%ではなくなるらしい。
今度はいままで120%だと思っていたものが80%くらいになるのだ。
だから一瞬の満足の後は、常に『もっと』の状態になるのだそうだ。
那智さんは独占欲は満たすためにエサをやり続けないといけないのだ。
独占欲のゴールは延々と進化するらしい。
と最近やっと想像できるようになったけど『退路を断つ』と言った付き合いはじめの頃からずっと那智さんは埋まらない独占欲に、少し苦しむ感覚を持っていたそうだ。
だからこそ『退路を断つ』と決めたらしい。
私ったら、今頃やっと気づいてる^^;
那智さんの独占欲のゴールが進化すればするほど、私の被独占欲も進化する。
きっと、ふたりの求めてやまないものが『独占すると独占される』なのだろう。
だから私はもっと『わたし』を独占してと思い。
那智さんは独占できたと思っても、次の瞬間からまた枯渇するように独占したくなる。
だから釣った魚にエサをやり続ける。
『もっと』と独占する那智さん。
ふと。
ねぇ那智さん、那智さんたら私を独占することで、私に独占されていません?
あなたは自由なはずのに、もっと独占したいと思うあまり『余裕』の部分は多分『わたし』でかなりいっぱいじゃないでしょうか^^
独占欲と被独占欲の組み合わせは、こんなふうに表裏一体なんじゃないかしら。
これは『独占欲』のコメントにも登場した『逆独占』状態^^
図らずも、私は那智さんを独占してしまっているとも言えなくもない?
サディストの加虐嗜好でも、奴隷を持ちたいという支配欲とも違うこの独占欲は、独占しているほうが独占されているという逆転現象が起こるらしいのだ^^
(SとMもご主人様と奴隷も、こういう逆転現象はあるのかな?)
そんなふうに思うと、この組み合わせはやっぱりとっても濃密。
本当に求めてやまないものは、底が見えないもののようです。
いや、なんだかお昼のドラマみたいにドロドロになっちゃってるけど、あくまでも心の中のお話しでして、基本的にふたりとも極めて普通の常識人のつもりです、多分^^;
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