許容
独特な幸福感
わたしの排泄姿のほんとどを那智さんは見ている。(『排尿』)
もちろん、お出かけしているときやお店の中などは抜いてね。
ホテルは当然のこと、仕事場に行ったときでさえ。
特にホテルでは、見ていないのは6年間の付き合いで数回くらいしかないんじゃないかな。
ベッドで寛いでいても、タバコを吸っていても、忙しくてすぐ行かれそうにないときは『待って』と言って手があくまで我慢させたり、後から駆けつけたり^^;
はじめの頃は恥ずかしさを刺激するような空気だったけど。
ここまでいつもだとプレイでもなんでもない、かなりの日常だ。(恥ずかしいのは恥ずかしいけど)
で、見るだけじゃなくて、かなりの確率で拭いてくれる*^^*
大好きな人に排泄している姿を見せる。
それもトイレでだけじゃなくて、いろんな姿勢やいろんな場所で。(『身内の恥』なんて昔の話^^)
音や匂いまでついてくる。
恥ずかしくてしょうがいない行為。
だから、排泄姿を見せる羞恥プレイというものがあるのだよね。
だけど、最近、この姿を見せるときに感じるのは恥ずかしさだけじゃないんだ。
むしろ恥ずかしさを上回る感情。
それは『許容』。
浣腸して紙おむつに排泄したとき。(『一番困ったこと3』)
うんこまみれのわたしの下半身を丁寧に洗ってくれた。
わたしはただ立ったまま、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆っていただけだった。
洗面器におしっこをしたときも、洗面器を跨いだまま動けずにいる私を、トイレットペーパーを取りに行ってくれて、拭いてくれる。(『コンビニ袋』、ちょっと違う話だけど)
おもらしをして汚れた下着を洗って、ドライヤーで渇かしてくれるときの空気。(『制服とおもらし』)
便器に座って『那智さ〜ん、出ます〜』そう呼ぶとタバコをくわえながら必ず見に来てくれる姿。
恥ずかしいのは変わりないし、からかわれたりもするけれど。
そのときにわたしは、無防備なわたしを許容してもらっている、安心した気持ちになるのだ。
ホテルで。
トイレに行きたくなって「那智さん、トイレ行ってきます」と席を立った。
「どうぞ〜」とだけ返事をしてソファで寛ぐ那智さん。
あれ?来てくれないんだ。
いままでも数回はこんなふうに一人で行くことはあったのだけど、簡単に送り出すこんな雰囲気はめずらしい
かった。
ぽつんと便器に座る。
洗面所と一緒になった広いトイレだったから、余計に『ぽつん』とした感じ。
当たり前のこと。
トイレは一人で入るものだ。
だけど、来てくれないことがこんなに淋しいなんて。
人はいつか慣れるもの。
相変わらず恥ずかしけど、恥ずかしがる姿を見飽きることはあるかもしれない。
6年間来てくれていたけど、来年からは来てくれなくなるかもしれない。
そんな日が来ても悲しくならないように、心構えしなきゃってトイレの中で真剣に考えた。
ガチャ。
ドアが空いて那智さんが入ってきた。
あ、来てくれた。
途端に涙が出てしまった。
『どうぞ〜』という口調からは来てくれない感じがしていたけど、そういうつもりじゃなかったみたい。
「那智さん、来てくれないのかと思いました;;;」
「どうぞ〜って突き放した言い方したからね。」
「那智さんいつか見に来るのが面倒になったら、『これからは行かないよ』って宣言してくれませんか。そしたら悲しくならないようにしますから;;;;」
「そうだね。」
うつむいて、こんな変なお願いをする。
そこには恥ずかしさを煽るような空気は、ない。
便器に座りながらポロポロ涙を流すわたしの前に立ち。
那智さんがおしっこをかけてきた、わたしのおまんこに。
自分のおしっこで濡れたおまんこを那智さんのおしっこでまた濡らす。
わたしの皮膚と便器の中で、那智さんとわたしのそれが混ざり合う。
そんなことが、なんだか温かく、嬉しい。
そして、興奮する。
おしっこしているわたしも。
見てくれないと泣くわたしも。
おしっこが混ざって喜ぶわたしも。
全部、全部、許容してもらっているようだ。
赤ん坊がおむつを替えてもらっているような、無防備な幸福。
SMの世界では、排泄行為を見せるのは辱めることなのかもしれないけど。
わたしにとってのそれは、無防備なわたしを許容してもらっている幸福。
那智さんのおしっこをおいしいと思い。
自分のおしっこを見てくれないと泣き。
おしっこで、興奮する。
SMに興味を持ち、排泄行為を見せることを想像して感じていたときのイメージとずいぶん変わってきているように思う。
だって、見てくれないって泣いちゃうんだものね^^;
わ〜、おしっこの話ばかりで、すみませ〜ん(笑)
わたしの排泄姿のほんとどを那智さんは見ている。(『排尿』)
もちろん、お出かけしているときやお店の中などは抜いてね。
ホテルは当然のこと、仕事場に行ったときでさえ。
特にホテルでは、見ていないのは6年間の付き合いで数回くらいしかないんじゃないかな。
ベッドで寛いでいても、タバコを吸っていても、忙しくてすぐ行かれそうにないときは『待って』と言って手があくまで我慢させたり、後から駆けつけたり^^;
はじめの頃は恥ずかしさを刺激するような空気だったけど。
ここまでいつもだとプレイでもなんでもない、かなりの日常だ。(恥ずかしいのは恥ずかしいけど)
で、見るだけじゃなくて、かなりの確率で拭いてくれる*^^*
大好きな人に排泄している姿を見せる。
それもトイレでだけじゃなくて、いろんな姿勢やいろんな場所で。(『身内の恥』なんて昔の話^^)
音や匂いまでついてくる。
恥ずかしくてしょうがいない行為。
だから、排泄姿を見せる羞恥プレイというものがあるのだよね。
だけど、最近、この姿を見せるときに感じるのは恥ずかしさだけじゃないんだ。
むしろ恥ずかしさを上回る感情。
それは『許容』。
浣腸して紙おむつに排泄したとき。(『一番困ったこと3』)
うんこまみれのわたしの下半身を丁寧に洗ってくれた。
わたしはただ立ったまま、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆っていただけだった。
洗面器におしっこをしたときも、洗面器を跨いだまま動けずにいる私を、トイレットペーパーを取りに行ってくれて、拭いてくれる。(『コンビニ袋』、ちょっと違う話だけど)
おもらしをして汚れた下着を洗って、ドライヤーで渇かしてくれるときの空気。(『制服とおもらし』)
便器に座って『那智さ〜ん、出ます〜』そう呼ぶとタバコをくわえながら必ず見に来てくれる姿。
恥ずかしいのは変わりないし、からかわれたりもするけれど。
そのときにわたしは、無防備なわたしを許容してもらっている、安心した気持ちになるのだ。
ホテルで。
トイレに行きたくなって「那智さん、トイレ行ってきます」と席を立った。
「どうぞ〜」とだけ返事をしてソファで寛ぐ那智さん。
あれ?来てくれないんだ。
いままでも数回はこんなふうに一人で行くことはあったのだけど、簡単に送り出すこんな雰囲気はめずらしい
かった。
ぽつんと便器に座る。
洗面所と一緒になった広いトイレだったから、余計に『ぽつん』とした感じ。
当たり前のこと。
トイレは一人で入るものだ。
だけど、来てくれないことがこんなに淋しいなんて。
人はいつか慣れるもの。
相変わらず恥ずかしけど、恥ずかしがる姿を見飽きることはあるかもしれない。
6年間来てくれていたけど、来年からは来てくれなくなるかもしれない。
そんな日が来ても悲しくならないように、心構えしなきゃってトイレの中で真剣に考えた。
ガチャ。
ドアが空いて那智さんが入ってきた。
あ、来てくれた。
途端に涙が出てしまった。
『どうぞ〜』という口調からは来てくれない感じがしていたけど、そういうつもりじゃなかったみたい。
「那智さん、来てくれないのかと思いました;;;」
「どうぞ〜って突き放した言い方したからね。」
「那智さんいつか見に来るのが面倒になったら、『これからは行かないよ』って宣言してくれませんか。そしたら悲しくならないようにしますから;;;;」
「そうだね。」
うつむいて、こんな変なお願いをする。
そこには恥ずかしさを煽るような空気は、ない。
便器に座りながらポロポロ涙を流すわたしの前に立ち。
那智さんがおしっこをかけてきた、わたしのおまんこに。
自分のおしっこで濡れたおまんこを那智さんのおしっこでまた濡らす。
わたしの皮膚と便器の中で、那智さんとわたしのそれが混ざり合う。
そんなことが、なんだか温かく、嬉しい。
そして、興奮する。
おしっこしているわたしも。
見てくれないと泣くわたしも。
おしっこが混ざって喜ぶわたしも。
全部、全部、許容してもらっているようだ。
赤ん坊がおむつを替えてもらっているような、無防備な幸福。
SMの世界では、排泄行為を見せるのは辱めることなのかもしれないけど。
わたしにとってのそれは、無防備なわたしを許容してもらっている幸福。
那智さんのおしっこをおいしいと思い。
自分のおしっこを見てくれないと泣き。
おしっこで、興奮する。
SMに興味を持ち、排泄行為を見せることを想像して感じていたときのイメージとずいぶん変わってきているように思う。
だって、見てくれないって泣いちゃうんだものね^^;
わ〜、おしっこの話ばかりで、すみませ〜ん(笑)
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