このままでいくしかないのよね〜
独り言
先日、事務所の社長とわたしを含む司会者3人で食事会があった。
事務所と司会者の関係って事務所が強いところが多いみたいなのだけど、うちの社長はずいぶんと司会者を大切にしてくれるようで、時々慰労会みたいなことをしてくれるのだ。
この時は、その前の慰労会に出席できなかったわたしともう一人(Aさん)、そして最近病気から復帰した一人(Bさん)の3人を呼んでくれたのだ。
事務所全体の忘年会とかもいいけど、こういう少人数もいいかなと楽しみにしつつ、そうだ、復帰したBさんに復帰お祝いを渡そうと思いつく。
わたしひとりでもよかったけど、どうせならと思い、Aさんにも声をかけたら快く乗ってくれたので、早めに出かけてお花を買うことにした。
小柄で目がくりっとしていて猫みたいでキュートなBさんのイメージに合うお花をお花やさんと相談しながら選んだ。
待ち合わせ場所のホテルに着いたら、まず社長が来た。
社長は「Aさん遅れるって連絡があった」といい、ホテルの事務所に顔を出してくるとその場を離れた。
ああ、Aさん遅れるのか。
できれば先に会ってお花を渡すタイミングとか話したかったな。
それにいまBさんが来たら、わたしと二人だけだとお花に目がいきやすくなりそうだから、ちょっと困った。
お花は紙袋に入っているけど、ちょっとだけ顔を出しているから『花束!!』であることは一目瞭然。
気の利いたスカーフでもあれば覆っておかれるけど、今日のわたしの厚手のストールだとお花を潰してしまいそうでできない。
どうすることもできないでいると、危惧したとおりBさんがやってきた。
とりあえず、ささっとわたしの背後の柱の陰に隠す。
復帰後はじめて会うBさんとハグをした後は、たまたま通りかかったホテルスタッフとBさんが談笑しているのでお花は隠せている。
社長が合流したのでAさんを置いて社長とBさんとわたしでレストランに入っておくことになった。
隠す策を講じることもできず、気持ち目立たないように柱の陰から紙袋を持ち出すと、Bさんが素早く気づき「あ、お花?」と。
ああ、気づかれてしまった!!
Aさん、いないから渡せないよう。
テーブルに案内される社長について行きながら、「あ」とか「うう」とか挙動不審な応対をしていると、「もしかして、わたしに??」と当てられてしまった。
即座に
見なかったことにして〜!!!
と、返してしまった。
席につき、Bさんはお花をとてもよろこんでくれた。
でも、絶対サプライズのほうが嬉しさは大きいはずだ。
申し訳ない気持ちでいっぱいでいると
わたしが聞いたとき『違う』って言えばいいのに(笑)
と
その通りだ。
あああ、そうだね、そういえばよかった、ごめんね〜〜
と恐縮すると
りん子さんらしくて、いいよ(笑)
と笑ってくれた。
その後、遅れてきたAさんにもことの顛末を話し、改めて復帰お祝いの花束を渡した。
Aさんも『そこがりん子さんのいいところ』といってくれて、なんだか申し訳ない気持ちだった。
ああ、そうなんだよなぁ、わたしはずっと、こうなんだ。
大人の司会者仲間は『らしい』と許容してくれたけど。
わたしはずっとこんな感じで、ため息が出る。
気が利かないというか咄嗟の判断が下手というか、なんだ。
もしかしたら『気が利かない』とかは裏を返せば、正直であるとか裏表がないとかよく解釈してもらえるかもしれない。
(わたし自身は裏も表もあるつもりだけど)
よしとしてくれる人がいてくれることは、本当にありがたい。
物事は正負両面、『わたし』であるための必要悪、くらいに思って、自分自身は肯定的に受け入れているのだけど。
それでも、やっぱり、こういう場面に出くわすとため息が出るのも事実。
如才なく行動できず、まわりを苦笑させたり気を使わせたりして、ちょっと凹む。
ずっと昔、『りん子はひとをイラつかせる』と言われたことがあるけれど、きっとこういうところも一因なんだろうな。
これって、極端なのかなと思う。
何が極端かというと、お付き合いの相性のこと。
きっと、すごく近いかすごく遠いかじゃないと『イラつかせる』のかなと思う。
今回のような仕事でたまに顔を合わせるくらいで、わたしの言動がその人の生活に支障のないほど遠い人は、その『たまに』のときに、わたしがドジをしても許容できる(もっというと無視できる)だろうし、逆にいろんなことをひっくるめてお互いの好意に影響がないくらい近い関係だと、きっとこのわたしをよしとできるのだろう。(むしろ好いてくれているかもしれない)
その中間の、クラスメイトとか職場の同僚程度の日々視界に入り、なおかつ言動が多少なり影響を与えれてしまう関係の人からしたら、わたしは案外目障りなのかなと思ったりする。
と、いくら分析しても、性格なんて変えられるものではないのよね。
なんかね。
もうだいぶいい年齢になってそろそろ自分の特性もわかってきて、ため息つきながらも、このわたしでいくしかないし、このわたしでいたいと思うのだ。
無理に変えたいとも思わない。
っていうか、ひとはそんなに簡単に変わらない。
ひとは簡単には変われないけど、目を向ける方向や意識の持って行きかたは変えられるかもしれない。
だから、わたしはこのわたしを受け入れ、このわたしを好いてくれるひとのほうを向いて、そのひとたちを大切にして、被害を広げないよう細々と温かい時間を過ごしていきたいです(笑)
という、どうでもいい雑記を長々と、でした^^;
「等式」「このままいくしかないのよね〰」感想です。「違う」と答えることが「好きでない」と言うことなんじゃないのかな。そんな気もします。(笑)
先日、事務所の社長とわたしを含む司会者3人で食事会があった。
事務所と司会者の関係って事務所が強いところが多いみたいなのだけど、うちの社長はずいぶんと司会者を大切にしてくれるようで、時々慰労会みたいなことをしてくれるのだ。
この時は、その前の慰労会に出席できなかったわたしともう一人(Aさん)、そして最近病気から復帰した一人(Bさん)の3人を呼んでくれたのだ。
事務所全体の忘年会とかもいいけど、こういう少人数もいいかなと楽しみにしつつ、そうだ、復帰したBさんに復帰お祝いを渡そうと思いつく。
わたしひとりでもよかったけど、どうせならと思い、Aさんにも声をかけたら快く乗ってくれたので、早めに出かけてお花を買うことにした。
小柄で目がくりっとしていて猫みたいでキュートなBさんのイメージに合うお花をお花やさんと相談しながら選んだ。
待ち合わせ場所のホテルに着いたら、まず社長が来た。
社長は「Aさん遅れるって連絡があった」といい、ホテルの事務所に顔を出してくるとその場を離れた。
ああ、Aさん遅れるのか。
できれば先に会ってお花を渡すタイミングとか話したかったな。
それにいまBさんが来たら、わたしと二人だけだとお花に目がいきやすくなりそうだから、ちょっと困った。
お花は紙袋に入っているけど、ちょっとだけ顔を出しているから『花束!!』であることは一目瞭然。
気の利いたスカーフでもあれば覆っておかれるけど、今日のわたしの厚手のストールだとお花を潰してしまいそうでできない。
どうすることもできないでいると、危惧したとおりBさんがやってきた。
とりあえず、ささっとわたしの背後の柱の陰に隠す。
復帰後はじめて会うBさんとハグをした後は、たまたま通りかかったホテルスタッフとBさんが談笑しているのでお花は隠せている。
社長が合流したのでAさんを置いて社長とBさんとわたしでレストランに入っておくことになった。
隠す策を講じることもできず、気持ち目立たないように柱の陰から紙袋を持ち出すと、Bさんが素早く気づき「あ、お花?」と。
ああ、気づかれてしまった!!
Aさん、いないから渡せないよう。
テーブルに案内される社長について行きながら、「あ」とか「うう」とか挙動不審な応対をしていると、「もしかして、わたしに??」と当てられてしまった。
即座に
見なかったことにして〜!!!
と、返してしまった。
席につき、Bさんはお花をとてもよろこんでくれた。
でも、絶対サプライズのほうが嬉しさは大きいはずだ。
申し訳ない気持ちでいっぱいでいると
わたしが聞いたとき『違う』って言えばいいのに(笑)
と
その通りだ。
あああ、そうだね、そういえばよかった、ごめんね〜〜
と恐縮すると
りん子さんらしくて、いいよ(笑)
と笑ってくれた。
その後、遅れてきたAさんにもことの顛末を話し、改めて復帰お祝いの花束を渡した。
Aさんも『そこがりん子さんのいいところ』といってくれて、なんだか申し訳ない気持ちだった。
ああ、そうなんだよなぁ、わたしはずっと、こうなんだ。
大人の司会者仲間は『らしい』と許容してくれたけど。
わたしはずっとこんな感じで、ため息が出る。
気が利かないというか咄嗟の判断が下手というか、なんだ。
もしかしたら『気が利かない』とかは裏を返せば、正直であるとか裏表がないとかよく解釈してもらえるかもしれない。
(わたし自身は裏も表もあるつもりだけど)
よしとしてくれる人がいてくれることは、本当にありがたい。
物事は正負両面、『わたし』であるための必要悪、くらいに思って、自分自身は肯定的に受け入れているのだけど。
それでも、やっぱり、こういう場面に出くわすとため息が出るのも事実。
如才なく行動できず、まわりを苦笑させたり気を使わせたりして、ちょっと凹む。
ずっと昔、『りん子はひとをイラつかせる』と言われたことがあるけれど、きっとこういうところも一因なんだろうな。
これって、極端なのかなと思う。
何が極端かというと、お付き合いの相性のこと。
きっと、すごく近いかすごく遠いかじゃないと『イラつかせる』のかなと思う。
今回のような仕事でたまに顔を合わせるくらいで、わたしの言動がその人の生活に支障のないほど遠い人は、その『たまに』のときに、わたしがドジをしても許容できる(もっというと無視できる)だろうし、逆にいろんなことをひっくるめてお互いの好意に影響がないくらい近い関係だと、きっとこのわたしをよしとできるのだろう。(むしろ好いてくれているかもしれない)
その中間の、クラスメイトとか職場の同僚程度の日々視界に入り、なおかつ言動が多少なり影響を与えれてしまう関係の人からしたら、わたしは案外目障りなのかなと思ったりする。
と、いくら分析しても、性格なんて変えられるものではないのよね。
なんかね。
もうだいぶいい年齢になってそろそろ自分の特性もわかってきて、ため息つきながらも、このわたしでいくしかないし、このわたしでいたいと思うのだ。
無理に変えたいとも思わない。
っていうか、ひとはそんなに簡単に変わらない。
ひとは簡単には変われないけど、目を向ける方向や意識の持って行きかたは変えられるかもしれない。
だから、わたしはこのわたしを受け入れ、このわたしを好いてくれるひとのほうを向いて、そのひとたちを大切にして、被害を広げないよう細々と温かい時間を過ごしていきたいです(笑)
という、どうでもいい雑記を長々と、でした^^;
「等式」「このままいくしかないのよね〰」感想です。「違う」と答えることが「好きでない」と言うことなんじゃないのかな。そんな気もします。(笑)
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COMMENT
変えられるモノなら疾うに変わってる 故に今さら変えるコトなど不可能かと。…それにネ
ソレも含めてのりんちゃの持ち味、キャラクターなのだ 悩む必要はないw
ゆう@大回転さん
うう、ありがとう。
わたしももうこれでいくしかないよな〜と静かに諦めておりまして。
これをよしとしてくれる人たちとひっそりしていこうと思うのです^^
ありがとうね^^
うう、ありがとう。
わたしももうこれでいくしかないよな〜と静かに諦めておりまして。
これをよしとしてくれる人たちとひっそりしていこうと思うのです^^
ありがとうね^^