甘い飴をもらうには
独り言
SM界の隅っこにいるつもりなんだけど、『飴と鞭』の鞭はいらないだなんてきっとナンセンスな発言なのかもしれないな。
那智さんだって、別に甘い人じゃないから、何でもいいよ〜というばかりじゃない。
むしろ高度なものを女性に求めているので、けっこう大変だったりする。
(わたしを司会者に仕立て上げたりね。『職業選択』前振りから本文まで9話くらいあるのでとりあえず一個だけ文中リンク^^;)
一見鞭っぽいことだってないこともない。
でも、鞭と感じないのは、根底は全部『飴』だからだ。
もっと根本的な『飴と鞭』なんだな。
存在を肯定するか、条件付きという恐怖で縛るか、そんな大前提のこと。
で、わたしはその『鞭』があると逆効果だなって思うのでした。
(こんなこともナンセンスなのかな…)
だけどね、甘ーい飴もずっとずっともらい続けるには、こちらの心構えも必要。
大事なのはね。
甘えさせてもらっていることに、甘えないことなんだ。
わたしの欲しい種類の飴を継続してもらうには、これがとても大事なこと。
全肯定。
娘のように。
安心して尻尾を振る。
どれもキラキラ光る宝石のように魅力的だけど。
それをもらい続けるには、やはりこちらも努力が必要。
那智さんが、甘やかさずに甘えさせてくれるように。
わたしは甘えさせてもらうことに、甘えない。
全肯定なんていっても普通の大人同士、無償の愛を注がれ続けることなんてない。
だって、例え親子だとしても、親は子から幸福をもらっているものね。
どちらか一方だけ与え続けるという関係は、成立しにくいと思う。
近い人間でも、ううん近い人間だからこそ楽な方に流れて行きやすくなるもので、だからこそ律することも必要だ。
ただ、甘えていいところと律するところのポイントとかタイミングとか、それは人によって違うと思う。
相性といってしまえばそれまでなんだけど、それが那智さんとわたしは合っているのだと思う。
『甘えさせてもらっている』と『その状況に甘えてしまう』を区別するのだ。
那智さんにどっぷりと甘えながら、その状況に甘えないわたしを維持し続ける努力をする。
そうするといつも飴が新鮮に感じられて、お口の中でいつまでも甘くとろけるのだ。
那智さんとわたしの『努力の相性』が合っているんだね、きっと。
ほら、得意な努力と苦手な努力ってあるでしょ?
例えば、積極的な努力は得意だけど待つみたいな我慢は苦手とか、その逆とか。
那智さんの甘えさせたいと思うポイントとわたしの甘えたいポイント。
那智さんが努力してほしいと思うポイントと、わたしの得意な努力方法。
そんなのが合っているんだな。
どんな努力だろう。
どこかで客観視する自分を持ち続けることも、ひとつの努力かな。
そんなこと当たり前かもしれないけど、依存したい欲を持ちながらのその努力ってそれなりに大変。
依存願望と客観視の両立。
でも、多分苦手な努力じゃないんだな。
それでもって、那智さんは『条件付き』をしないでくれるから、努力を継続させることが『鞭』には繋がらないのだと思うのです。
大事なのは。
甘えさせてもらっていることに、甘えない。
昨日のエントリーを読んで、那智さんばっかり『いい人』だから、ちょっとずるーいって思って^^
こっちもけっこう努力してんだぜぃ!!ってね(笑)
自分で書いたくせにね、後から読んで自分にクレーム。
文章を綴るときの客観視は、下手みたいでした^^;
SM界の隅っこにいるつもりなんだけど、『飴と鞭』の鞭はいらないだなんてきっとナンセンスな発言なのかもしれないな。
那智さんだって、別に甘い人じゃないから、何でもいいよ〜というばかりじゃない。
むしろ高度なものを女性に求めているので、けっこう大変だったりする。
(わたしを司会者に仕立て上げたりね。『職業選択』前振りから本文まで9話くらいあるのでとりあえず一個だけ文中リンク^^;)
一見鞭っぽいことだってないこともない。
でも、鞭と感じないのは、根底は全部『飴』だからだ。
もっと根本的な『飴と鞭』なんだな。
存在を肯定するか、条件付きという恐怖で縛るか、そんな大前提のこと。
で、わたしはその『鞭』があると逆効果だなって思うのでした。
(こんなこともナンセンスなのかな…)
だけどね、甘ーい飴もずっとずっともらい続けるには、こちらの心構えも必要。
大事なのはね。
甘えさせてもらっていることに、甘えないことなんだ。
わたしの欲しい種類の飴を継続してもらうには、これがとても大事なこと。
全肯定。
娘のように。
安心して尻尾を振る。
どれもキラキラ光る宝石のように魅力的だけど。
それをもらい続けるには、やはりこちらも努力が必要。
那智さんが、甘やかさずに甘えさせてくれるように。
わたしは甘えさせてもらうことに、甘えない。
全肯定なんていっても普通の大人同士、無償の愛を注がれ続けることなんてない。
だって、例え親子だとしても、親は子から幸福をもらっているものね。
どちらか一方だけ与え続けるという関係は、成立しにくいと思う。
近い人間でも、ううん近い人間だからこそ楽な方に流れて行きやすくなるもので、だからこそ律することも必要だ。
ただ、甘えていいところと律するところのポイントとかタイミングとか、それは人によって違うと思う。
相性といってしまえばそれまでなんだけど、それが那智さんとわたしは合っているのだと思う。
『甘えさせてもらっている』と『その状況に甘えてしまう』を区別するのだ。
那智さんにどっぷりと甘えながら、その状況に甘えないわたしを維持し続ける努力をする。
そうするといつも飴が新鮮に感じられて、お口の中でいつまでも甘くとろけるのだ。
那智さんとわたしの『努力の相性』が合っているんだね、きっと。
ほら、得意な努力と苦手な努力ってあるでしょ?
例えば、積極的な努力は得意だけど待つみたいな我慢は苦手とか、その逆とか。
那智さんの甘えさせたいと思うポイントとわたしの甘えたいポイント。
那智さんが努力してほしいと思うポイントと、わたしの得意な努力方法。
そんなのが合っているんだな。
どんな努力だろう。
どこかで客観視する自分を持ち続けることも、ひとつの努力かな。
そんなこと当たり前かもしれないけど、依存したい欲を持ちながらのその努力ってそれなりに大変。
依存願望と客観視の両立。
でも、多分苦手な努力じゃないんだな。
それでもって、那智さんは『条件付き』をしないでくれるから、努力を継続させることが『鞭』には繋がらないのだと思うのです。
大事なのは。
甘えさせてもらっていることに、甘えない。
昨日のエントリーを読んで、那智さんばっかり『いい人』だから、ちょっとずるーいって思って^^
こっちもけっこう努力してんだぜぃ!!ってね(笑)
自分で書いたくせにね、後から読んで自分にクレーム。
文章を綴るときの客観視は、下手みたいでした^^;