脱 関◯宣言
りん子的独り言(生意気)
いまどきの若い人は知らないかもしれなけど、その昔『関◯宣言』という歌があった。
(今日は知っている前提でお話ししますので、ご存知ない方は調べてみてね)
これ、いまだったら炎上まちがいなしの歌詞(笑)
そもそも冒頭の『嫁にもらう』ってところからアウトだし、浮気を容認させるくせになんだか漠然とした『愛する女はただ一人』ってことに対してめちゃくちゃ細かい要求してくるし、幼なかったわたしは『結婚ってそんなもの?』くらいにしか感じていなかったけど、大人になったいまあらためて歌詞を見直すと9割5分ありえないことばかりの歌だ。
作者さんはどこまで本気でどこまで冗談なのか不明だし、まあ、個人の趣味として結婚生活の妄想の中でどんな要求をしようとかまわないのだけど、これが『そういうものだよね』と思われていた時代だったのだなと、フェミ的感覚として引っかかりまくりだ(笑)
ほぼ全部ありえないことなんだけど、特にありえない部分がある。
それが『仕事も出来ない男に家庭を守れるはずなどないってこと』という部分。
これさ、本当にそうだと思う?
たしかに、仕事はできるに越したことはない。
バリバリ仕事をこなす男はカッコイイとも思う。
仕事で求められるスキルが婚姻関係で役立つこともあるだろう。
だけど、本当にそう?
そもそも『できる』ってことが曖昧だ。
やり手の営業マンと凄腕の漁師の『できる』は違うよね。
職種によって求められる『できる』は違うんだから、その違う『できる』が全部『家庭を守れる』ことにつながるとは思えない。
自分の適性を理解して力を発揮できる仕事に就く客観性や分析力や行動力が大きな意味で『できる』というのかもしれないけど、そんなにピッタリな適材適所ばかりではないだろう。
それに『守る』ってなんだ?
いざという時って、案外そんなに多くないよ。
困ったことがあったら相談に乗ってくれる、適切なアドバイスをくれる、そういう場面はたくさんあるけど、それを『守る』といっちゃうのは過大評価というもの。
それなら、こっちも普通に相談に乗るので男を守ってることになるよね。
暴漢に襲われたら体を張って守ってくれるとしたら、本当にありがたいし尊敬するけど、人生でそんなに暴漢に襲われていたら体がもたない。
そんな滅多にないことのために、あんなにたくさん要求されても困る。
百歩譲って『男の人が家にいる』ってことが防犯になると考えたとしても、『いるだけ』で守っていると豪語されて、あんなにたくさん要求されても、やっぱり困る。
そもそも仕事ができるということは、あまり家にいないかもしれないわけで、そうなると一体何から守ってくれているのか、もはや不明だ。
と、楽しくてついツッコミまくってしまいましたが(笑)
仕事はできたほうがいい、とは思う。
できる男はカッコイイとも思う。
そして、守るかどうかは置いといて、(本当の意味で)仕事ができる人は家庭での調整能力も高いだろうからよい人材だとも思う。
のは間違いない。
だけどね、この歌詞(のような概念)が『男は仕事をしていればいい』という結果につながっているのだとしたら、わたしはやっぱり『ありえない』といいたい。
でね、わたしのこの考え、じつは男性のためにもいいことだと思うんだ。
だって、男の人って『男は仕事ができなくちゃ』に束縛されていません?
これって、けっこうしんどくない?
『仕事さえしていれば』は、じつは男性自身を縛っているのではないかと思ったりもする。
生きていく上でお金を稼ぐ行為は大事。
仕事で得られる充実感は人を豊かにするかもしれない。
でも、もしかしたら、仕事より大事なことがあるのではないかと、わたしは思っている。
だから、あの歌詞のような概念をわたしはちょっぴり否定したい。
年齢で分けるものではないかもしれないけど、前にツイッターで『赤ちゃんが電車で泣いてたら、30代以下の(特に子持ち)男性はオムツかミルクかとそわそわしはじめる』みたいなことが書かれていて、いまどきの若い人にとって、もう関◯宣言は必要ないのかもしれないけどね^^
あー、このエントリー、那智さんと揉めるかも(笑)
<関連エントリー>
前にも似たようなこと書いていたね。
わたしのヂアジなことは、これ。
さげまん
「等式」「脱 ○白宣言」感想です。りん子とは揉めないかな。りん子の言い分を全面的に認めるならば、女性側のスキル(生活力)、もそれなりにあることが前提なのかな?条件が合えばどの程度の稼ぎで満月 出来るのかは価値観が合うかどうかかな。
いまどきの若い人は知らないかもしれなけど、その昔『関◯宣言』という歌があった。
(今日は知っている前提でお話ししますので、ご存知ない方は調べてみてね)
これ、いまだったら炎上まちがいなしの歌詞(笑)
そもそも冒頭の『嫁にもらう』ってところからアウトだし、浮気を容認させるくせになんだか漠然とした『愛する女はただ一人』ってことに対してめちゃくちゃ細かい要求してくるし、幼なかったわたしは『結婚ってそんなもの?』くらいにしか感じていなかったけど、大人になったいまあらためて歌詞を見直すと9割5分ありえないことばかりの歌だ。
作者さんはどこまで本気でどこまで冗談なのか不明だし、まあ、個人の趣味として結婚生活の妄想の中でどんな要求をしようとかまわないのだけど、これが『そういうものだよね』と思われていた時代だったのだなと、フェミ的感覚として引っかかりまくりだ(笑)
ほぼ全部ありえないことなんだけど、特にありえない部分がある。
それが『仕事も出来ない男に家庭を守れるはずなどないってこと』という部分。
これさ、本当にそうだと思う?
たしかに、仕事はできるに越したことはない。
バリバリ仕事をこなす男はカッコイイとも思う。
仕事で求められるスキルが婚姻関係で役立つこともあるだろう。
だけど、本当にそう?
そもそも『できる』ってことが曖昧だ。
やり手の営業マンと凄腕の漁師の『できる』は違うよね。
職種によって求められる『できる』は違うんだから、その違う『できる』が全部『家庭を守れる』ことにつながるとは思えない。
自分の適性を理解して力を発揮できる仕事に就く客観性や分析力や行動力が大きな意味で『できる』というのかもしれないけど、そんなにピッタリな適材適所ばかりではないだろう。
それに『守る』ってなんだ?
いざという時って、案外そんなに多くないよ。
困ったことがあったら相談に乗ってくれる、適切なアドバイスをくれる、そういう場面はたくさんあるけど、それを『守る』といっちゃうのは過大評価というもの。
それなら、こっちも普通に相談に乗るので男を守ってることになるよね。
暴漢に襲われたら体を張って守ってくれるとしたら、本当にありがたいし尊敬するけど、人生でそんなに暴漢に襲われていたら体がもたない。
そんな滅多にないことのために、あんなにたくさん要求されても困る。
百歩譲って『男の人が家にいる』ってことが防犯になると考えたとしても、『いるだけ』で守っていると豪語されて、あんなにたくさん要求されても、やっぱり困る。
そもそも仕事ができるということは、あまり家にいないかもしれないわけで、そうなると一体何から守ってくれているのか、もはや不明だ。
と、楽しくてついツッコミまくってしまいましたが(笑)
仕事はできたほうがいい、とは思う。
できる男はカッコイイとも思う。
そして、守るかどうかは置いといて、(本当の意味で)仕事ができる人は家庭での調整能力も高いだろうからよい人材だとも思う。
のは間違いない。
だけどね、この歌詞(のような概念)が『男は仕事をしていればいい』という結果につながっているのだとしたら、わたしはやっぱり『ありえない』といいたい。
でね、わたしのこの考え、じつは男性のためにもいいことだと思うんだ。
だって、男の人って『男は仕事ができなくちゃ』に束縛されていません?
これって、けっこうしんどくない?
『仕事さえしていれば』は、じつは男性自身を縛っているのではないかと思ったりもする。
生きていく上でお金を稼ぐ行為は大事。
仕事で得られる充実感は人を豊かにするかもしれない。
でも、もしかしたら、仕事より大事なことがあるのではないかと、わたしは思っている。
だから、あの歌詞のような概念をわたしはちょっぴり否定したい。
年齢で分けるものではないかもしれないけど、前にツイッターで『赤ちゃんが電車で泣いてたら、30代以下の(特に子持ち)男性はオムツかミルクかとそわそわしはじめる』みたいなことが書かれていて、いまどきの若い人にとって、もう関◯宣言は必要ないのかもしれないけどね^^
あー、このエントリー、那智さんと揉めるかも(笑)
<関連エントリー>
前にも似たようなこと書いていたね。
わたしのヂアジなことは、これ。
さげまん
「等式」「脱 ○白宣言」感想です。りん子とは揉めないかな。りん子の言い分を全面的に認めるならば、女性側のスキル(生活力)、もそれなりにあることが前提なのかな?条件が合えばどの程度の稼ぎで満月 出来るのかは価値観が合うかどうかかな。
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