伝わりますように
りん子的独り言(生意気)
自分の心に嘘をつくのが得意だった。
嘘っていうと意図的な感じがするから、少し違うのかもしれないな。
自分の心に蓋をするのは得意とか、快不快を感じるのが下手とか、そんな感じかな。
なにが原因かわからないけど。
自己肯定感のなさや『愛される価値がない』という無価値感からだと思う。
『愛される価値がない』というところからも見えるように、特に恋愛に於いて心に蓋をすることが多かったと思う。
相手が楽しそうにすると、自分も楽しい。
相手が不機嫌になると、不機嫌な態度を取られたこちらの気持ちは置いといて、それを解決しようと躍起になる。
こちらに当たられたりしても、それは『自分のせい』と不快に蓋をしてしまう。
そして、あるとき突然その相手が嫌いになってしまうのだ。
それは、ずっとずっと自分の心を偽っていたから、本心に気づくのにとても時間がかかっていたということ。
那智さんに出会って、無価値感を埋めてもらうと、自分の不快に気づけるようになった。
そして、その那智さんに自己主張することを推進され、わたしは那智さんに対して不快を伝えることができるようになった。
そこで、はじめて、ああ、わたしは自分の心に嘘をつくのが得意だったなと思えたのです。
もうひとつ。
那智さんと付き合って認識を改めたことがある。
それは、わたしには『奴隷願望』はないということ。
『被虐願望』があるのはわかっていた。
それと同時に、圧倒的な力に支配され跪きたいという願望もあった。
これが『奴隷願望』だと思っていた。(そういう言葉しかなかったからね)
それらを混ぜて『M』とか『マゾ』なんだろうと思っていた。
はじめて会った人に『愛奴』といわれもピンと来なくて。
二度目の人に『おまえは奴隷だ』といわれ、奴隷には遅刻の謝罪さえもないのだと知らしめられて、それに疑問を持ち。
三度目の人に支配とはほど遠いセックスの前戯としてのSM的行為をされても、空しい。
支配されたい、従いたいはずなのに、『奴隷』から来る理不尽な扱いには傷つく。(傷ついていたことに気がつくのも、ずっと後なんだけどね)
で、これも那智さんに出会って『大切にされながら酷いことをされて』。
那智さんの数少ない命令だった『素直に伝える』を繰り返して。
わたしは自分の心にたくさん触るように努めた。
那智さんがわたしの心に、わたしよりもずっと触ってくれて、ずっと大事に扱ってくれるから、わたしも自分の心に触れる経験が積めたのだと思う。
心に触る。
『ほんとはいやなんじゃない?』『無理をしていない?』
それで、ああ、わたしが持っていたのは『奴隷願望』ではなくて『従属願望』『依存願望』なんだと自覚できたのです。(父性とか同化とか、ほかにもいろいろ自覚したけど^^;)
自分の心を偽ることが得意だということがわかって、自分の求めていたものが『奴隷』じゃなくて『依存』だったと気づいたときには、なんて驚き腑に落ちたことか。
わたしは、那智さんに出会えたからわかったのだけど、那智さんに出会う前にヒントがあったら、もしかしたらいくつかの傷つくことは避けられたかもしれない。
解決方法はわからなくても、苦しいことの原因がわかるだけでも解決の一歩になるものね。
ブログを始めたのは、吐き出したかったから、ノロケたかったから。
そして、少しだけど『こういう付き合い方もある』というひとつのサンプルになればいいなと、わたしのように自分の心に蓋をして苦しい人がいるならば、その人のヒントになれればいいなと、生意気にも思ってしまったから。
ちゃんと自分の心に触れられる人からしたらわかりにくいことかもしれないし、もしかしたらわたしだけなのかもしれないけれど。
快不快がわかりにくく、自分の心を偽ってしまって苦しい気持ちってあるんだ。
その、わたしはひとつの『サンプル』。
かつてのわたしのように。
SMでも普通の恋愛ででも、自分の心に蓋をして全面的に相手の都合に合わせてしまっていないだろうか。
そんな人がいたら、気づくヒントにしてほしいと思って書いている。
ひとりでも多くの、わたしのような女性に。
自分の心に触ってあげようって、エールを贈っている。
いつも、批判的な記事を書くときに。
前置きを書いています。
『主従関係を成立させている人に言っているのではなくて、わたしのような自己肯定できず奴隷願望と依存を混同してしまっている人に』と。
『かつてのわたしのような人に』
前エントリー『言葉』のときに、その前置きをつけるのを忘れて、しかもそのスタンスから表現方法が外れてしまっていました。
限られた人へのヒントにしたかったのに、前置きがないとそれはすべての人に対する批判的な意見になってしまう。
その大事なコンセンサスを得ずに書いてしまったのです。
それにより不快な思いをさせてしまった人がいるとするならば、申し訳ないことだったととても反省しています。
主従という関係や奴隷という立場で幸福を得られている方には、良い方に巡り会えてよかったねって、祝福の気持ちです。
ですから、どなたも批判しているつもりもなく、傷つけるつもりもないことが伝わってくれるといいなと思っています。
言葉はとっても難しい。
本意ではなくても人を傷つけてしまうこともある。
でも、自分の心を偽らないようにするために『言葉』はとても有効だと思っています。
だから、諦めないでいたい。
これからも『りん子的独り言』で批判的な意見を書くこともあると思う。
誰も傷つけたくないし、自分を偽りたくもないということを前置きにして。
たくさんのコメントや気遣いをありがとうございました。
これからもよろしくお願いします^^
最後に。
幸せな言葉を贈りたい。
以前登場した可穂さん。
彼女は、この冬、ご主人様とお別れしました。
一度別れてからも、なかなか切り捨てることができず、とてもとても苦しんでいました。
それだけ、依存が絡んだ主従(恋愛?)は断ち切るのが大変なんですよね。
そして、先日完全にお別れしたのだそうです。
切り捨てることができず揺れていた時期よりも完全に終わったいまのほうが、ずっとずっと虚無感に苛まれて辛そうです。
だから、そんな可穂さんに。
可穂さんの心、なでなで^^
ゆっくり休んで、今度はわたしなんかじゃなくてリアルなすてきな男性になでなでしてもらえるように、自分を大事にしてね。
一歩踏み出した可穂さんに祝福♪
自分の心に嘘をつくのが得意だった。
嘘っていうと意図的な感じがするから、少し違うのかもしれないな。
自分の心に蓋をするのは得意とか、快不快を感じるのが下手とか、そんな感じかな。
なにが原因かわからないけど。
自己肯定感のなさや『愛される価値がない』という無価値感からだと思う。
『愛される価値がない』というところからも見えるように、特に恋愛に於いて心に蓋をすることが多かったと思う。
相手が楽しそうにすると、自分も楽しい。
相手が不機嫌になると、不機嫌な態度を取られたこちらの気持ちは置いといて、それを解決しようと躍起になる。
こちらに当たられたりしても、それは『自分のせい』と不快に蓋をしてしまう。
そして、あるとき突然その相手が嫌いになってしまうのだ。
それは、ずっとずっと自分の心を偽っていたから、本心に気づくのにとても時間がかかっていたということ。
那智さんに出会って、無価値感を埋めてもらうと、自分の不快に気づけるようになった。
そして、その那智さんに自己主張することを推進され、わたしは那智さんに対して不快を伝えることができるようになった。
そこで、はじめて、ああ、わたしは自分の心に嘘をつくのが得意だったなと思えたのです。
もうひとつ。
那智さんと付き合って認識を改めたことがある。
それは、わたしには『奴隷願望』はないということ。
『被虐願望』があるのはわかっていた。
それと同時に、圧倒的な力に支配され跪きたいという願望もあった。
これが『奴隷願望』だと思っていた。(そういう言葉しかなかったからね)
それらを混ぜて『M』とか『マゾ』なんだろうと思っていた。
はじめて会った人に『愛奴』といわれもピンと来なくて。
二度目の人に『おまえは奴隷だ』といわれ、奴隷には遅刻の謝罪さえもないのだと知らしめられて、それに疑問を持ち。
三度目の人に支配とはほど遠いセックスの前戯としてのSM的行為をされても、空しい。
支配されたい、従いたいはずなのに、『奴隷』から来る理不尽な扱いには傷つく。(傷ついていたことに気がつくのも、ずっと後なんだけどね)
で、これも那智さんに出会って『大切にされながら酷いことをされて』。
那智さんの数少ない命令だった『素直に伝える』を繰り返して。
わたしは自分の心にたくさん触るように努めた。
那智さんがわたしの心に、わたしよりもずっと触ってくれて、ずっと大事に扱ってくれるから、わたしも自分の心に触れる経験が積めたのだと思う。
心に触る。
『ほんとはいやなんじゃない?』『無理をしていない?』
それで、ああ、わたしが持っていたのは『奴隷願望』ではなくて『従属願望』『依存願望』なんだと自覚できたのです。(父性とか同化とか、ほかにもいろいろ自覚したけど^^;)
自分の心を偽ることが得意だということがわかって、自分の求めていたものが『奴隷』じゃなくて『依存』だったと気づいたときには、なんて驚き腑に落ちたことか。
わたしは、那智さんに出会えたからわかったのだけど、那智さんに出会う前にヒントがあったら、もしかしたらいくつかの傷つくことは避けられたかもしれない。
解決方法はわからなくても、苦しいことの原因がわかるだけでも解決の一歩になるものね。
ブログを始めたのは、吐き出したかったから、ノロケたかったから。
そして、少しだけど『こういう付き合い方もある』というひとつのサンプルになればいいなと、わたしのように自分の心に蓋をして苦しい人がいるならば、その人のヒントになれればいいなと、生意気にも思ってしまったから。
ちゃんと自分の心に触れられる人からしたらわかりにくいことかもしれないし、もしかしたらわたしだけなのかもしれないけれど。
快不快がわかりにくく、自分の心を偽ってしまって苦しい気持ちってあるんだ。
その、わたしはひとつの『サンプル』。
かつてのわたしのように。
SMでも普通の恋愛ででも、自分の心に蓋をして全面的に相手の都合に合わせてしまっていないだろうか。
そんな人がいたら、気づくヒントにしてほしいと思って書いている。
ひとりでも多くの、わたしのような女性に。
自分の心に触ってあげようって、エールを贈っている。
いつも、批判的な記事を書くときに。
前置きを書いています。
『主従関係を成立させている人に言っているのではなくて、わたしのような自己肯定できず奴隷願望と依存を混同してしまっている人に』と。
『かつてのわたしのような人に』
前エントリー『言葉』のときに、その前置きをつけるのを忘れて、しかもそのスタンスから表現方法が外れてしまっていました。
限られた人へのヒントにしたかったのに、前置きがないとそれはすべての人に対する批判的な意見になってしまう。
その大事なコンセンサスを得ずに書いてしまったのです。
それにより不快な思いをさせてしまった人がいるとするならば、申し訳ないことだったととても反省しています。
主従という関係や奴隷という立場で幸福を得られている方には、良い方に巡り会えてよかったねって、祝福の気持ちです。
ですから、どなたも批判しているつもりもなく、傷つけるつもりもないことが伝わってくれるといいなと思っています。
言葉はとっても難しい。
本意ではなくても人を傷つけてしまうこともある。
でも、自分の心を偽らないようにするために『言葉』はとても有効だと思っています。
だから、諦めないでいたい。
これからも『りん子的独り言』で批判的な意見を書くこともあると思う。
誰も傷つけたくないし、自分を偽りたくもないということを前置きにして。
たくさんのコメントや気遣いをありがとうございました。
これからもよろしくお願いします^^
最後に。
幸せな言葉を贈りたい。
以前登場した可穂さん。
彼女は、この冬、ご主人様とお別れしました。
一度別れてからも、なかなか切り捨てることができず、とてもとても苦しんでいました。
それだけ、依存が絡んだ主従(恋愛?)は断ち切るのが大変なんですよね。
そして、先日完全にお別れしたのだそうです。
切り捨てることができず揺れていた時期よりも完全に終わったいまのほうが、ずっとずっと虚無感に苛まれて辛そうです。
だから、そんな可穂さんに。
可穂さんの心、なでなで^^
ゆっくり休んで、今度はわたしなんかじゃなくてリアルなすてきな男性になでなでしてもらえるように、自分を大事にしてね。
一歩踏み出した可穂さんに祝福♪