笑うSM
独特な幸福感
ちょっと違うわんこ遊びをしてみた。
ホテルに入って裸になって首輪にリード。
人目がないとつまらないと那智さんは言うけれど、今日は何か違う楽しみを模索しようとしているらしい。
公道で四つん這いになるときの大きなうねりのような快感はないでしょうけれど、安心して那智さんのわんこになるのは、わたしとしては待ってました!!という感じで、うきうきする。
「じゃあ、いまからわんこね。」
そう言われ、カチャンと首輪にリードを繋げられたら、わたしは那智さんの犬になる。
四つん這いで『わん』以外は口にしちゃいけない。
ソファに腰掛けた那智さんが「おいで」なんて言ってくれちゃうと嬉々として四つん這いで近寄ってしまう。
テーブルとの狭い隙間に無理矢理収まろうと那智さんの足をぐりぐりと押しのける身勝手な行動も犬っぽくていいななんて嬉しくなったり。
そのうち、本物の犬用の器に那智さんがおしっこを入れきて「喉が渇いたらいつでも飲んでいいからね」といいながら床にポンと置いた。
確かにちょっと喉が渇いてるな。
顔を近づけ、舌でぺろぺろ。
喉が潤ったら、やめる。
しばらくして、また喉が渇いたら気の向くままに器に顔を沈めた。
全部飲まなきゃとかこぼしちゃいけないなんて思わずに、純粋に喉の乾きを癒すために飲むというのも、とても自由度が高くて、これもわんこっぽくて嬉しい。
「おいしい?」
「わん!!」
なんて、会話^^;
冷静に見れば滑稽な様子なんだけど、非常に上機嫌でわんこになっていた。
犬だから、乳首を捻り潰されても『わん』、おまんこに指を入れられても『わん』。
ときどき喘ぎ声になってしまうと、頭をばしっ。
自由度は高いけど、これだけ不自由。
撫でられたり、放っておかれたり、気持ちよくしてもらったり。
ずいぶん長い時間わんこだった。
床の上で後ろから犯されたときなどは、心の中で「那智さん、獣姦です^^;」なんて思ったりしながらも、その時間を満喫していた。
ひとつ笑ってしまったことがあって。
わんこに電マを使おうということになって、その前におしっこしようとバスルームへ。
わたしは電マを使うとすぐおしっこが出ちゃうんだ、で、どこかを汚してしまわないか、それが気になってしまってせっかくの快感を逃してしまうの。
だから、最初に空っぽにしておくとその可能性が低くなるから、先にトイレに行くことがある。
おしっこ出しながら快感〜って没頭できにくんだな、わたしは。
当然四つん這いでバスルームに入り、洗面所からリードを持つ那智さんの見守るなか、片足を上げて犬のおしっこポーズをする。
でも、出ない。
元々尿意のないところで、ただでさえ見られながら犬のおしっこなんだもの、緊張もするし出ないよね。
どうしよう。
きっとね、ここじゃ出ないんだ。
トイレに座ったら条件反射で出る可能性もあると思うんだけどな〜。
でも、犬だから「トイレでさせてください」なんて言えないし。
だけど、このおしっこの目的は『空っぽ』にすることだから、犬だとしても目的達成のために「トイレに座ればでるかも」と言ってもいいような気もする。
悩みながら、おしっこポーズをやめて那智さんを見上げてみる。
「どうした?出ない?」
「わん」
「じゃ、しょうがないな。」
そう言ってリードを引き洗面所を出ようとする那智さんを動かないという方法で呼んでみる。
「ん?どうした?」
ピンと張ったリードに気づいて那智さんが振り向いた。
とりあえず口をきかずに伝えてみようと思って「わん」といいながら、トイレに目線を送ってみる。
「なに?出るの?」
「わん」
首を振り否定。
「なに?」
もう、もどかしい〜。
「わん」
しゃがんだまま、小さくトイレを指差してみる。
「トイレ?だめだよ。するならお風呂。」
だから〜、違うの那智さん〜!
それほど尿意はないけれど、おしっこをしたほうがいいのだから、それならトイレに座れば出るかもしれませんよ!!ということを「わん」とゼスチャーだけで伝えることはかなり困難だった。
那智さんも、わたしがなにか訴えているらしいことは理解できているみたいなんだけど、全然意思の疎通ができない^^;
しゃべりたい。
しゃべってもいい?
思わず、那智さんを見上げながら、手を口元に持っていきくちばしのようにパクパクさせて『しゃべっていいか』伝えてみた。
それは伝わったみたいで「だめ」と言われてしまう。
そのあと、顔を見合わせて「ぷぷー」と吹き出してしまった。
「だめだよ〜」
そういいながら部屋に戻る那智さんにリードを引かれてついていく。
笑いながら、とても自然に四つん這いで。
もどかしくて、苦肉の策で手でパクパクさせることの滑稽さに、ふたりして笑ってしまった。
SMって、意外とまぬけな場面ってありません?
それとか、すごく気になることができてしまったり。
ずっと官能の世界が繰り広げられているものじゃないですよね。
でも、そこで、それに反応してはいけないという空気もあると思う。
SモードやMスイッチみたいに切り替えがあると特にそうなんじゃないかな。
ほんとうはSMなんて非日常を前提としているものでしょうから、役割分担してしまえたほうが没頭しやすいかもしれないのですが。
わたしは、相手に気を使いすぎることがあるので、まぬけなことに反応したりや気になることを口にしてしまってはいけないと、逆にそればっかりが気になっちゃって気もそぞろ、結局『役割を演じる』ような感覚を捨てられないままで、没頭できないといいことが多かった気がする。
那智さんは、わたしとは『意識しないでSMができる』といい、わたしには『SMを意識するな』と言い続けた。
『SMを意識しない』ということは、既成の言葉や役割分担に捕われるなということで、日常と非日常の区別をしないでいられる。
『こうあるべき』という既成から外れると、わたしをいろんな『気がかり』や『制約』から解放してくれる。
性的な場面でわたしは過剰な気遣いをせずにいられる要因にもなっているのだ。
威厳あるご主人様でも冷徹なサディストでもないから『ぷぷー』って吹き出せるし、完全服従のM奴隷でもないから『鼻くそついてます』と指摘もできてしまう(これも実話^^)。
役割分担をしてしまったほうがある意味楽かもしれないけれど、それをせず。
気にしぃのわたしが、このまぬけなシーンで笑ってしまえたことに、そして、そのあともごく普通に四つん這いでいられたことも、ある意味驚いてしまった。
自然体で笑ったり『わんこ』になれたりが心地よかった。
手を繋ぐようにキスをするように。
ビンタされたり、おしっこを飲んだりできる。
日常の延長のように。
モード切り替えがないとはいえ、鞭を振るうときのふっと見せる冷ややかで楽しそうな目などはSモードなんだろうな〜と思うし、髪をぐいっと引かれると胸が締め付けられてしまうときなどはMスイッチだと思うけど。
それに、日常の延長戦とはいっても、快感は喜びの大きさは日常では得難いもので、日常ではあり得ない反応とかしちゃうんですけどもね^^;
基本的に、わたしがSM的なをするときに役割分担や非日常感を意識しないでいられるのはとても楽だなと思う。
ちょっと違うわんこ遊びをしてみた。
ホテルに入って裸になって首輪にリード。
人目がないとつまらないと那智さんは言うけれど、今日は何か違う楽しみを模索しようとしているらしい。
公道で四つん這いになるときの大きなうねりのような快感はないでしょうけれど、安心して那智さんのわんこになるのは、わたしとしては待ってました!!という感じで、うきうきする。
「じゃあ、いまからわんこね。」
そう言われ、カチャンと首輪にリードを繋げられたら、わたしは那智さんの犬になる。
四つん這いで『わん』以外は口にしちゃいけない。
ソファに腰掛けた那智さんが「おいで」なんて言ってくれちゃうと嬉々として四つん這いで近寄ってしまう。
テーブルとの狭い隙間に無理矢理収まろうと那智さんの足をぐりぐりと押しのける身勝手な行動も犬っぽくていいななんて嬉しくなったり。
そのうち、本物の犬用の器に那智さんがおしっこを入れきて「喉が渇いたらいつでも飲んでいいからね」といいながら床にポンと置いた。
確かにちょっと喉が渇いてるな。
顔を近づけ、舌でぺろぺろ。
喉が潤ったら、やめる。
しばらくして、また喉が渇いたら気の向くままに器に顔を沈めた。
全部飲まなきゃとかこぼしちゃいけないなんて思わずに、純粋に喉の乾きを癒すために飲むというのも、とても自由度が高くて、これもわんこっぽくて嬉しい。
「おいしい?」
「わん!!」
なんて、会話^^;
冷静に見れば滑稽な様子なんだけど、非常に上機嫌でわんこになっていた。
犬だから、乳首を捻り潰されても『わん』、おまんこに指を入れられても『わん』。
ときどき喘ぎ声になってしまうと、頭をばしっ。
自由度は高いけど、これだけ不自由。
撫でられたり、放っておかれたり、気持ちよくしてもらったり。
ずいぶん長い時間わんこだった。
床の上で後ろから犯されたときなどは、心の中で「那智さん、獣姦です^^;」なんて思ったりしながらも、その時間を満喫していた。
ひとつ笑ってしまったことがあって。
わんこに電マを使おうということになって、その前におしっこしようとバスルームへ。
わたしは電マを使うとすぐおしっこが出ちゃうんだ、で、どこかを汚してしまわないか、それが気になってしまってせっかくの快感を逃してしまうの。
だから、最初に空っぽにしておくとその可能性が低くなるから、先にトイレに行くことがある。
おしっこ出しながら快感〜って没頭できにくんだな、わたしは。
当然四つん這いでバスルームに入り、洗面所からリードを持つ那智さんの見守るなか、片足を上げて犬のおしっこポーズをする。
でも、出ない。
元々尿意のないところで、ただでさえ見られながら犬のおしっこなんだもの、緊張もするし出ないよね。
どうしよう。
きっとね、ここじゃ出ないんだ。
トイレに座ったら条件反射で出る可能性もあると思うんだけどな〜。
でも、犬だから「トイレでさせてください」なんて言えないし。
だけど、このおしっこの目的は『空っぽ』にすることだから、犬だとしても目的達成のために「トイレに座ればでるかも」と言ってもいいような気もする。
悩みながら、おしっこポーズをやめて那智さんを見上げてみる。
「どうした?出ない?」
「わん」
「じゃ、しょうがないな。」
そう言ってリードを引き洗面所を出ようとする那智さんを動かないという方法で呼んでみる。
「ん?どうした?」
ピンと張ったリードに気づいて那智さんが振り向いた。
とりあえず口をきかずに伝えてみようと思って「わん」といいながら、トイレに目線を送ってみる。
「なに?出るの?」
「わん」
首を振り否定。
「なに?」
もう、もどかしい〜。
「わん」
しゃがんだまま、小さくトイレを指差してみる。
「トイレ?だめだよ。するならお風呂。」
だから〜、違うの那智さん〜!
それほど尿意はないけれど、おしっこをしたほうがいいのだから、それならトイレに座れば出るかもしれませんよ!!ということを「わん」とゼスチャーだけで伝えることはかなり困難だった。
那智さんも、わたしがなにか訴えているらしいことは理解できているみたいなんだけど、全然意思の疎通ができない^^;
しゃべりたい。
しゃべってもいい?
思わず、那智さんを見上げながら、手を口元に持っていきくちばしのようにパクパクさせて『しゃべっていいか』伝えてみた。
それは伝わったみたいで「だめ」と言われてしまう。
そのあと、顔を見合わせて「ぷぷー」と吹き出してしまった。
「だめだよ〜」
そういいながら部屋に戻る那智さんにリードを引かれてついていく。
笑いながら、とても自然に四つん這いで。
もどかしくて、苦肉の策で手でパクパクさせることの滑稽さに、ふたりして笑ってしまった。
SMって、意外とまぬけな場面ってありません?
それとか、すごく気になることができてしまったり。
ずっと官能の世界が繰り広げられているものじゃないですよね。
でも、そこで、それに反応してはいけないという空気もあると思う。
SモードやMスイッチみたいに切り替えがあると特にそうなんじゃないかな。
ほんとうはSMなんて非日常を前提としているものでしょうから、役割分担してしまえたほうが没頭しやすいかもしれないのですが。
わたしは、相手に気を使いすぎることがあるので、まぬけなことに反応したりや気になることを口にしてしまってはいけないと、逆にそればっかりが気になっちゃって気もそぞろ、結局『役割を演じる』ような感覚を捨てられないままで、没頭できないといいことが多かった気がする。
那智さんは、わたしとは『意識しないでSMができる』といい、わたしには『SMを意識するな』と言い続けた。
『SMを意識しない』ということは、既成の言葉や役割分担に捕われるなということで、日常と非日常の区別をしないでいられる。
『こうあるべき』という既成から外れると、わたしをいろんな『気がかり』や『制約』から解放してくれる。
性的な場面でわたしは過剰な気遣いをせずにいられる要因にもなっているのだ。
威厳あるご主人様でも冷徹なサディストでもないから『ぷぷー』って吹き出せるし、完全服従のM奴隷でもないから『鼻くそついてます』と指摘もできてしまう(これも実話^^)。
役割分担をしてしまったほうがある意味楽かもしれないけれど、それをせず。
気にしぃのわたしが、このまぬけなシーンで笑ってしまえたことに、そして、そのあともごく普通に四つん這いでいられたことも、ある意味驚いてしまった。
自然体で笑ったり『わんこ』になれたりが心地よかった。
手を繋ぐようにキスをするように。
ビンタされたり、おしっこを飲んだりできる。
日常の延長のように。
モード切り替えがないとはいえ、鞭を振るうときのふっと見せる冷ややかで楽しそうな目などはSモードなんだろうな〜と思うし、髪をぐいっと引かれると胸が締め付けられてしまうときなどはMスイッチだと思うけど。
それに、日常の延長戦とはいっても、快感は喜びの大きさは日常では得難いもので、日常ではあり得ない反応とかしちゃうんですけどもね^^;
基本的に、わたしがSM的なをするときに役割分担や非日常感を意識しないでいられるのはとても楽だなと思う。
痛みから生まれるもの
非日常的な日常
もともと被虐願望があるのだから、痛いことを望むのは当たり前なのでしょうけど。
その痛いことにも『純粋に痛さがほしい』という気持ちより、痛いことで思い切り泣き叫んだりして我を忘れたいというような、痛いことから生まれるものを望んでいるところもあるみたい。
痛いことは、気持ちいいことよりも恥ずかしいことよりも、さらに我を忘れる状態になれる。
ただわたしは『可愛がられたい』と思っているので、被虐といっても行為は酷いことでもそこに流れる空気や精神的には甘いものがベースになっていると思う。
我を忘れるとか頭が真っ白とまでは言い難いけど(だって、ブログに書けちゃってるからね)、痴人状態になれるようになってからは、ずいぶんと手放せる機会が増えた。
快感は進化するなと思う。
それに応じて自分の反応の変化が面白い。
先日、鞭打ちをした。
鞭を使うのはちょっと久しぶりで、実は、かなり怖いと思うようになってしまっていた。
痛いことは間が空くと、怖さは増す。
この先ずっと鞭をしないと言われれば、それは困ると思うけど、間が空けば空くほど使わなかったことに安堵していることを自覚していた。
そんな安堵を何回か繰り返したある日、久しぶりに鞭を使ったのだ。
その前から、最近していないから鞭が怖いと伝えてあったので、それでもするのか、それだからするのか、どちらにしても那智さんに委ねるしかないなと、ちょっと諦め気分。
でも、その鞭を打つきっかけが「可愛いと感じたから、打ちたくなった」なの*^^*
そんなん言われたら『委ねる』気持ちになりますよね〜♪
最初に振り下ろされた一発は、それほど強い力じゃなかった。
きっと怖がっていたから様子を見ながら調整してくれるのだよね。
わたしから恐怖を取り除いてくれようとしていることに感謝しなきゃいけないのだけど、それより『怖い』が先に立ってしまって、思わず聞いてしまった。
「いまのは、どのくらいの強さですか?」
わたしは、時々そう聞くの。
それは、いま自分が感じている痛さと那智さんの力加減にギャップがないか確認したいのね。
あはは、ここにも『共感』を望むわたし。
このちょっとだけ痛い打ち方は那智さんにとってどんな位置づけなんだろうと思ったの。
位置を確認することで『共感』を生み、怖さを払拭させようとしたんだね。
それが那智さんには違うように取られてしまった。
その後の二発目から、ふだんのMAXに近い力で打ち出すのだ。
「そんなふうに聞くってことは、痛さが物足りないからだね」って。
違います!!
そういうつもりじゃないの!!
そんなふうに思うけど、それを口にすることもできないくらいの強烈な鞭の雨。
この日は珍しく照明を落としていたから、いつもよりピンポイントにヒットしないんだ。
だから、肉の薄いところにヒットするし、鞭の尖った先端が体に巻き付くし、とてもとても痛い。
痛すぎて、怖さもどこかに吹き飛び、わたしはこれを待っていたのだと思う。
そのうち、強烈な力で打たれて、痛がりながら『くすくす』と笑い出す。
ああ、すこしおかしくなっちゃったと自分を見る。
まったく手放すという状態ではないけれど、そのおかしな自分を自分が見つめるという感じ。
このふわふわした感覚は体も心も気持ちいいんだ。
完全に正気に戻ることはないけれど正気の浮き沈みはあって、くすくすしながらもときどき焦点が合ったりばやけたりを繰り返す。
その少し正気よりになったときに『怖い』と思った。
そして、それをそのまま伝えた。
でも、呂律が回ってないみたい。
「こ、わい」
そう言って両手を広げて那智さんに近寄る。
那智さんはわたしを抱きしめてくれる。
「どうして?りん子自分が怖いんじゃない?」
そうかもしれない。
どんどんおかしくなっていく自分が怖いのかもしれない。
でも、正気の浮き沈みの中、それを認めたくないわたしがいた。
それを認めてしまったら、おかしいわたしを認めてしまうことになる(こんなになっても、まだ抵抗している)、それに認めたら、もっと怖くなってしまいそうだもの。
「りん子、自分が怖いんじゃない?」
那智さんに抱きつきながら首を振る。
「ううん。」
「じゃ、俺が怖いの?」
「ううん。」
薄暗いベッドに投げ出された鞭が見えた。
「…あいつが怖いの。あいつが…。」
わたし、何言ってるの!?
ばかみたい、鞭のせいにしている。
那智さんの陰に隠れるようにして鞭を指差し、呂律の回らない口調で鞭に悪態ついている。
普段なら絶対理屈に合わない理由で人のせいになんかしないし、『あいつが』なんて言い方もしない。
そのわたしが、鞭に悪態ついている。
こっそりと告げ口をして、責任転嫁するような姑息な言動。
わかりやすい悪知恵を働かせる子供のようだ。
普段の自分は絶対にしないようなことをしてしまえる。
こんなふうに、新しい自分の反応を見ると、ああ、また少し手放せたなってちょっと感慨深くなる。
この後、わたしに責任をなすりつけられた鞭が容赦なく那智さんの手によってわたしを散々痛め付けた。
最後には、高笑いをし出すわたし。
わはははと高笑いするわたしを那智さんがぎゅーっと抱きしめた。
そしたら、今度は急に涙が溢れて、「こわいよ〜〜」とわんわん泣き出してしまった。
もう一回那智さんが聞いた。
「りん子、自分が怖いんだろ?おかしくなっちゃって。」
「うわーーーーん。」
泣きながら頷く。
ずるいわたし。
痛いことで喜ぶわたし。
どんどんおかしくなっていくわたしを認めてあげられた。
「大丈夫、俺がついているからね。」
そうか、大丈夫なんだね。
安心して手放していいだね。
そう思って、いっぱいいっぱい泣いた。
那智さんは、かつては『自分で耐えられることしかしない』が信条で痛いことや汚いことをしてきたけれど、しばらく前から、その信条はやめたそうです。
わたしにする痛みは到底耐えられそうにないらしい。
この前の試しに自分の足を靴べらで叩いていた。
一発だけで、負けず嫌いの那智さんが「いってぇ〜」と踞ってしまった。
で、そのあと出た台詞が。
「りん子、ばかじゃない!?」
ばかぁ?
それを作ったのはあなたでしょ!?
理不尽なことを口走ることができる手放し状態ならば、全部那智さんのせいにするけれど、一応正気なので、ここは連帯責任ということで。
だから、ふたりして『ばか』です(笑)
痛みの先に生まれるもの。
それを重ねると自分の反応に変化が起きる。
理不尽なことを口走るという反応が現れて、ちょっとおもしろかった。
これの手放せる瞬間はわたしがほしいと望むのものなんだと思う。
もともと被虐願望があるのだから、痛いことを望むのは当たり前なのでしょうけど。
その痛いことにも『純粋に痛さがほしい』という気持ちより、痛いことで思い切り泣き叫んだりして我を忘れたいというような、痛いことから生まれるものを望んでいるところもあるみたい。
痛いことは、気持ちいいことよりも恥ずかしいことよりも、さらに我を忘れる状態になれる。
ただわたしは『可愛がられたい』と思っているので、被虐といっても行為は酷いことでもそこに流れる空気や精神的には甘いものがベースになっていると思う。
我を忘れるとか頭が真っ白とまでは言い難いけど(だって、ブログに書けちゃってるからね)、痴人状態になれるようになってからは、ずいぶんと手放せる機会が増えた。
快感は進化するなと思う。
それに応じて自分の反応の変化が面白い。
先日、鞭打ちをした。
鞭を使うのはちょっと久しぶりで、実は、かなり怖いと思うようになってしまっていた。
痛いことは間が空くと、怖さは増す。
この先ずっと鞭をしないと言われれば、それは困ると思うけど、間が空けば空くほど使わなかったことに安堵していることを自覚していた。
そんな安堵を何回か繰り返したある日、久しぶりに鞭を使ったのだ。
その前から、最近していないから鞭が怖いと伝えてあったので、それでもするのか、それだからするのか、どちらにしても那智さんに委ねるしかないなと、ちょっと諦め気分。
でも、その鞭を打つきっかけが「可愛いと感じたから、打ちたくなった」なの*^^*
そんなん言われたら『委ねる』気持ちになりますよね〜♪
最初に振り下ろされた一発は、それほど強い力じゃなかった。
きっと怖がっていたから様子を見ながら調整してくれるのだよね。
わたしから恐怖を取り除いてくれようとしていることに感謝しなきゃいけないのだけど、それより『怖い』が先に立ってしまって、思わず聞いてしまった。
「いまのは、どのくらいの強さですか?」
わたしは、時々そう聞くの。
それは、いま自分が感じている痛さと那智さんの力加減にギャップがないか確認したいのね。
あはは、ここにも『共感』を望むわたし。
このちょっとだけ痛い打ち方は那智さんにとってどんな位置づけなんだろうと思ったの。
位置を確認することで『共感』を生み、怖さを払拭させようとしたんだね。
それが那智さんには違うように取られてしまった。
その後の二発目から、ふだんのMAXに近い力で打ち出すのだ。
「そんなふうに聞くってことは、痛さが物足りないからだね」って。
違います!!
そういうつもりじゃないの!!
そんなふうに思うけど、それを口にすることもできないくらいの強烈な鞭の雨。
この日は珍しく照明を落としていたから、いつもよりピンポイントにヒットしないんだ。
だから、肉の薄いところにヒットするし、鞭の尖った先端が体に巻き付くし、とてもとても痛い。
痛すぎて、怖さもどこかに吹き飛び、わたしはこれを待っていたのだと思う。
そのうち、強烈な力で打たれて、痛がりながら『くすくす』と笑い出す。
ああ、すこしおかしくなっちゃったと自分を見る。
まったく手放すという状態ではないけれど、そのおかしな自分を自分が見つめるという感じ。
このふわふわした感覚は体も心も気持ちいいんだ。
完全に正気に戻ることはないけれど正気の浮き沈みはあって、くすくすしながらもときどき焦点が合ったりばやけたりを繰り返す。
その少し正気よりになったときに『怖い』と思った。
そして、それをそのまま伝えた。
でも、呂律が回ってないみたい。
「こ、わい」
そう言って両手を広げて那智さんに近寄る。
那智さんはわたしを抱きしめてくれる。
「どうして?りん子自分が怖いんじゃない?」
そうかもしれない。
どんどんおかしくなっていく自分が怖いのかもしれない。
でも、正気の浮き沈みの中、それを認めたくないわたしがいた。
それを認めてしまったら、おかしいわたしを認めてしまうことになる(こんなになっても、まだ抵抗している)、それに認めたら、もっと怖くなってしまいそうだもの。
「りん子、自分が怖いんじゃない?」
那智さんに抱きつきながら首を振る。
「ううん。」
「じゃ、俺が怖いの?」
「ううん。」
薄暗いベッドに投げ出された鞭が見えた。
「…あいつが怖いの。あいつが…。」
わたし、何言ってるの!?
ばかみたい、鞭のせいにしている。
那智さんの陰に隠れるようにして鞭を指差し、呂律の回らない口調で鞭に悪態ついている。
普段なら絶対理屈に合わない理由で人のせいになんかしないし、『あいつが』なんて言い方もしない。
そのわたしが、鞭に悪態ついている。
こっそりと告げ口をして、責任転嫁するような姑息な言動。
わかりやすい悪知恵を働かせる子供のようだ。
普段の自分は絶対にしないようなことをしてしまえる。
こんなふうに、新しい自分の反応を見ると、ああ、また少し手放せたなってちょっと感慨深くなる。
この後、わたしに責任をなすりつけられた鞭が容赦なく那智さんの手によってわたしを散々痛め付けた。
最後には、高笑いをし出すわたし。
わはははと高笑いするわたしを那智さんがぎゅーっと抱きしめた。
そしたら、今度は急に涙が溢れて、「こわいよ〜〜」とわんわん泣き出してしまった。
もう一回那智さんが聞いた。
「りん子、自分が怖いんだろ?おかしくなっちゃって。」
「うわーーーーん。」
泣きながら頷く。
ずるいわたし。
痛いことで喜ぶわたし。
どんどんおかしくなっていくわたしを認めてあげられた。
「大丈夫、俺がついているからね。」
そうか、大丈夫なんだね。
安心して手放していいだね。
そう思って、いっぱいいっぱい泣いた。
那智さんは、かつては『自分で耐えられることしかしない』が信条で痛いことや汚いことをしてきたけれど、しばらく前から、その信条はやめたそうです。
わたしにする痛みは到底耐えられそうにないらしい。
この前の試しに自分の足を靴べらで叩いていた。
一発だけで、負けず嫌いの那智さんが「いってぇ〜」と踞ってしまった。
で、そのあと出た台詞が。
「りん子、ばかじゃない!?」
ばかぁ?
それを作ったのはあなたでしょ!?
理不尽なことを口走ることができる手放し状態ならば、全部那智さんのせいにするけれど、一応正気なので、ここは連帯責任ということで。
だから、ふたりして『ばか』です(笑)
痛みの先に生まれるもの。
それを重ねると自分の反応に変化が起きる。
理不尽なことを口走るという反応が現れて、ちょっとおもしろかった。
これの手放せる瞬間はわたしがほしいと望むのものなんだと思う。
制服は戦闘服
独り言
よく痴漢に遭った。
通勤で電車を利用していた頃などは特に。
怖いので、普段はすっとよける程度の抵抗しかできないけれど、い ままでで一番ひどい被害に遭ったとき、わたし史上最高の抵抗をした。
それができたのは、戦闘服を着ていたから。
笹の葉さんのエントリーにコメントを書きながら、制服が戦闘服 だった頃を思い出して、今日はそんな思い出話を書こうって思いま した。(笹の葉さん、ヒントをありがとうございました^^)
かつてコンパニオンの仕事をしていた頃、もう20年も前の話。
お客様の誘導でエレベーターを使う仕事があった。
休日などは殺人的に混雑して、それはそれで重労働。
制服を着てニコニコしている小娘には何を言っても許されると思っ ている大人げない大人もたくさんいて、精神的にも楽じゃない。
紺のワンピースに赤いジャケット、同じ赤の帽子に白い手袋、見た目の華やかさからは想像しにくい大変さもけっこうあった。
でも、まあ、仕事なんて大変なことは付き物で、責任の伴う仕事に比べたら楽しいことのほうが多かったかもしれない。
特に平日の日中などは暇な時間もあって、のんびりした空気で仕事をしたいたと思う。
その平日のある日。
一人のお客を誘導することになった。
大学生くらいのおとなしそうな青年、わたしと同じ年くらいのはずだ。
一人で入場する人もいるし学校が近くにある環境だったので、それほど気にはならなかった。
他に来客の様子もなかったので、そのお客だけを乗せてドアを閉める。
手元の操作板のクローズレバーを右手で押し、左手は閉まるドアに添える。
ドアを閉め切るとき、両手を広げる形で体を横にスライドした瞬間。
いきなり気配がして、背後から胸を『ぎゅーーーーっ』と鷲掴みされた。
ボタンと閉まるドア、両方に手を置くので脇が開いた状態になるのだけど、その開いた両脇に後ろから手を入れ、物凄い力で、胸をむぎゅっと鷲掴みされたの。
「ぎゃーーーーーーーーー!!!!!!!」
突然の出来事に驚いて、咄嗟に悲鳴を上げた。
それと同時にがっとしゃがみ込んだ。
これ以上出ないってくらいの大声を出していた。
飛び上がるほど驚いたのだもの。
ここまでは、無意識の行動。
その行動に驚いたのか、青年がさっと身を引いたのだ。
それを見て、これはいけると、思った。
そろそろ案内階に到着する、そうすれば自動的にドアは開いてしまう。
逃がすもんか。
自動でドアが開かないようにする。
しゃがんだ体勢のまま操作板に手を伸ばし、手動ボタンを瞬時に入れた。
これでドアは開かない。
「なぁにするんですかぁっ!!!!!」
精一杯の強気な声で叫びながら。
ぬわぁぁぁっと立ち上がってにらみつける。
絶対、許さない。
「す、すみません…。」
ひるんでる、これは勝てる。
「すみませんじゃ、ありません!!いま警備を呼びますから!!!」
強気に言い放って、目の前の警備室に繋がるボタンを押す。
その押す指が、ぐわんぐわん震えていた。
それを見て、強気な態度の自分が実は相当怖がっていることも自覚した。
でも、目の前の青年はひるんだままだ。
大丈夫。
そう感じたとき、その青年が口を開いた。
「ああ、ごめんなさい、はじめてなんです…。」
言い逃れしようとしている。
「はじめてだからって…、はい、○号機です。痴漢を確保したので
来てください。」
わたしの声も少し震えているけれど、落ち着いて警備に連絡をする。
通報を終えると、また青年がおどおどしながら懇願してくる。
「はじめてなんです、許してください。」
相手が弱気だとこちらは強気に出られるようで、さらに戦闘モード。
「はじめてだからって言って、こんなことやっていいわけないでしょう!!!」
「はい…。」
「やられたほうの気持ちを考えてみたことあります!?」
警備を呼んでちょっとほっとしたのか、ここまで来ると戦闘モードというより、説教モード。
「すみません、もうしませんから、許してください…。」
警備が来るまでに、なんとか許してもらおうとする青年。
許すつもりはない、説教モードはさらに続き、次の質問。
「もうしませんって、じゃあ、なぜいましたんですか!?」
「きれいだから、つい…。」
きれいだから、つい…?
きれいだから、つい?
きれいだから、つい〜〜〜〜〜〜♪
そうかぁ、きれいだからついねぇ、まあ、それなら致し方ないか、しょうがない逃がしてやろうか…。
待て、りん子!!いかんいかん、そんな口車に乗っちゃいけない。
ひとりボケツッコミ状態。
手動スイッチ解除しようかと反応する右手を、制止。
許すもんか、二度とこんなことしないように、説教モードオン。
「あなたねっ、きれいだからっていって、そんなことしていいと思ってるんですか!!!!」
おーい、りん子ー、そこ否定なしかーー!?
「ご、ごめんなさい…。」
わかってる、制服が引き立ててくれていることも、青年が逃がしてもらいたいから言っていることも。
でも、怖い思いしたんだもんね^^
ここは、ちゃっかり『きれいだから』は受け入れ、しっかり謝罪はさせる、わたし。
この説教が、彼の心に響くかどうかは、疑問ではありますが。
ほどなく警備の人が来て、一人になった途端に膝がガクガク震えだし、その場に立っていられなくなってしまった。
やっぱり、とっても怖かったのだよね。
普段、とても恐がりのわたしがあんなふうにできたのは、青年が弱気っだったのと、仕事場で制服を着ていたからだと思うのだ。
ひとりの小娘がたくさんの人の視線を跳ね返し笑顔で接するための戦闘服。
そして、密室の仕事場がわたしのテリトリー。
自分の身は自分で守るしかないと思っていたんだね。
だから、制服は戦闘服だった。
ただその戦闘服は、一部のマニアからは魅惑のコスチュームになってしまうらしい^^;
いま思えば、強気に出るのも危険だったよね、青年がナイフでも持っていたらと思うと、ちょっと恐ろしい。
なんでもなかったから、こうやって話せるけど。
でも、泣き寝入りは、悔しいものね。(強気といえば『別なりん子』のときも強気でした^^;)
それにしても、相手が下手に出るとこちらはどんどん強気に出られるものですね。
だから、M女さん、強気でいこう^^
そうじゃなくても『M』ってだけで、下手に出るのが当然とタカをくくられているからね。
強気に出ても、平常心で対応してくれる人に従いたいものですね♪
今日はクリスマス。
小心者のわたしが強気になっためずらしい思い出話のプレゼントでしたぁ^^
皆さま、すてきなクリスマスになりますように^^
よく痴漢に遭った。
通勤で電車を利用していた頃などは特に。
怖いので、普段はすっとよける程度の抵抗しかできないけれど、い ままでで一番ひどい被害に遭ったとき、わたし史上最高の抵抗をした。
それができたのは、戦闘服を着ていたから。
笹の葉さんのエントリーにコメントを書きながら、制服が戦闘服 だった頃を思い出して、今日はそんな思い出話を書こうって思いま した。(笹の葉さん、ヒントをありがとうございました^^)
かつてコンパニオンの仕事をしていた頃、もう20年も前の話。
お客様の誘導でエレベーターを使う仕事があった。
休日などは殺人的に混雑して、それはそれで重労働。
制服を着てニコニコしている小娘には何を言っても許されると思っ ている大人げない大人もたくさんいて、精神的にも楽じゃない。
紺のワンピースに赤いジャケット、同じ赤の帽子に白い手袋、見た目の華やかさからは想像しにくい大変さもけっこうあった。
でも、まあ、仕事なんて大変なことは付き物で、責任の伴う仕事に比べたら楽しいことのほうが多かったかもしれない。
特に平日の日中などは暇な時間もあって、のんびりした空気で仕事をしたいたと思う。
その平日のある日。
一人のお客を誘導することになった。
大学生くらいのおとなしそうな青年、わたしと同じ年くらいのはずだ。
一人で入場する人もいるし学校が近くにある環境だったので、それほど気にはならなかった。
他に来客の様子もなかったので、そのお客だけを乗せてドアを閉める。
手元の操作板のクローズレバーを右手で押し、左手は閉まるドアに添える。
ドアを閉め切るとき、両手を広げる形で体を横にスライドした瞬間。
いきなり気配がして、背後から胸を『ぎゅーーーーっ』と鷲掴みされた。
ボタンと閉まるドア、両方に手を置くので脇が開いた状態になるのだけど、その開いた両脇に後ろから手を入れ、物凄い力で、胸をむぎゅっと鷲掴みされたの。
「ぎゃーーーーーーーーー!!!!!!!」
突然の出来事に驚いて、咄嗟に悲鳴を上げた。
それと同時にがっとしゃがみ込んだ。
これ以上出ないってくらいの大声を出していた。
飛び上がるほど驚いたのだもの。
ここまでは、無意識の行動。
その行動に驚いたのか、青年がさっと身を引いたのだ。
それを見て、これはいけると、思った。
そろそろ案内階に到着する、そうすれば自動的にドアは開いてしまう。
逃がすもんか。
自動でドアが開かないようにする。
しゃがんだ体勢のまま操作板に手を伸ばし、手動ボタンを瞬時に入れた。
これでドアは開かない。
「なぁにするんですかぁっ!!!!!」
精一杯の強気な声で叫びながら。
ぬわぁぁぁっと立ち上がってにらみつける。
絶対、許さない。
「す、すみません…。」
ひるんでる、これは勝てる。
「すみませんじゃ、ありません!!いま警備を呼びますから!!!」
強気に言い放って、目の前の警備室に繋がるボタンを押す。
その押す指が、ぐわんぐわん震えていた。
それを見て、強気な態度の自分が実は相当怖がっていることも自覚した。
でも、目の前の青年はひるんだままだ。
大丈夫。
そう感じたとき、その青年が口を開いた。
「ああ、ごめんなさい、はじめてなんです…。」
言い逃れしようとしている。
「はじめてだからって…、はい、○号機です。痴漢を確保したので
来てください。」
わたしの声も少し震えているけれど、落ち着いて警備に連絡をする。
通報を終えると、また青年がおどおどしながら懇願してくる。
「はじめてなんです、許してください。」
相手が弱気だとこちらは強気に出られるようで、さらに戦闘モード。
「はじめてだからって言って、こんなことやっていいわけないでしょう!!!」
「はい…。」
「やられたほうの気持ちを考えてみたことあります!?」
警備を呼んでちょっとほっとしたのか、ここまで来ると戦闘モードというより、説教モード。
「すみません、もうしませんから、許してください…。」
警備が来るまでに、なんとか許してもらおうとする青年。
許すつもりはない、説教モードはさらに続き、次の質問。
「もうしませんって、じゃあ、なぜいましたんですか!?」
「きれいだから、つい…。」
きれいだから、つい…?
きれいだから、つい?
きれいだから、つい〜〜〜〜〜〜♪
そうかぁ、きれいだからついねぇ、まあ、それなら致し方ないか、しょうがない逃がしてやろうか…。
待て、りん子!!いかんいかん、そんな口車に乗っちゃいけない。
ひとりボケツッコミ状態。
手動スイッチ解除しようかと反応する右手を、制止。
許すもんか、二度とこんなことしないように、説教モードオン。
「あなたねっ、きれいだからっていって、そんなことしていいと思ってるんですか!!!!」
おーい、りん子ー、そこ否定なしかーー!?
「ご、ごめんなさい…。」
わかってる、制服が引き立ててくれていることも、青年が逃がしてもらいたいから言っていることも。
でも、怖い思いしたんだもんね^^
ここは、ちゃっかり『きれいだから』は受け入れ、しっかり謝罪はさせる、わたし。
この説教が、彼の心に響くかどうかは、疑問ではありますが。
ほどなく警備の人が来て、一人になった途端に膝がガクガク震えだし、その場に立っていられなくなってしまった。
やっぱり、とっても怖かったのだよね。
普段、とても恐がりのわたしがあんなふうにできたのは、青年が弱気っだったのと、仕事場で制服を着ていたからだと思うのだ。
ひとりの小娘がたくさんの人の視線を跳ね返し笑顔で接するための戦闘服。
そして、密室の仕事場がわたしのテリトリー。
自分の身は自分で守るしかないと思っていたんだね。
だから、制服は戦闘服だった。
ただその戦闘服は、一部のマニアからは魅惑のコスチュームになってしまうらしい^^;
いま思えば、強気に出るのも危険だったよね、青年がナイフでも持っていたらと思うと、ちょっと恐ろしい。
なんでもなかったから、こうやって話せるけど。
でも、泣き寝入りは、悔しいものね。(強気といえば『別なりん子』のときも強気でした^^;)
それにしても、相手が下手に出るとこちらはどんどん強気に出られるものですね。
だから、M女さん、強気でいこう^^
そうじゃなくても『M』ってだけで、下手に出るのが当然とタカをくくられているからね。
強気に出ても、平常心で対応してくれる人に従いたいものですね♪
今日はクリスマス。
小心者のわたしが強気になっためずらしい思い出話のプレゼントでしたぁ^^
皆さま、すてきなクリスマスになりますように^^
言葉
りん子的独り言(生意気)
既成の共通語に違和感を感じる。
ううん、共通語は必要だし便利だからわたしだってたくさん使っているし、それ自体は否定しない。
アブノーマルな世界で漠然とした嗜好を表すのにとても便利なので、一般論や自己紹介として共通語を使うことに抵抗は感じないのだけど。
自身のことを語るときに、共通語を使うことに違和感を感じるのだ。
極めて個人的な嗜好は共通語で一括りにしてしまえるものではないように思う。
同じように。
一般論としてではなく、個人を語るときに使っていると違和感を感じてしまう言葉がある。
それは『人それぞれ』という言葉。
何度となくその言葉を書いてきた。
体型や顔立ち、肌の色と同じように性格や考え方にも個性があって、基本的には千差万別。
それが当然で、むしろ皆が同じ考えでいるほうが不健全で不幸だよね。
アブノーマルな世界だって同じで、もともとごく個人的な嗜好を大ざっぱな括りで区別しているだけで、SでもMでも奴隷でも細かく見れば同じってことはありえない。
Mだから、どんなSでも『S』ならいいなんてことはまったくなくて、この人ならという人を選び、そこからさらに擦り合わせをしていってはじめて『そのカップルなり』の付き合い方ができあがっていくものですよね。
似ていることはあっても、同じことはない。
だから、『人それぞれ』とたくさん書いてきた。
だけど、 やっぱり自分のこと伝えるときに、その言葉を使うことだけには違和感を感じるのです。
だから、時々『主従の形はそれぞれ、カップルの数だけ形がある』というような言葉を目にするととてもとても居心地が悪く感じてしまう。
主従の一般論として『それぞれだよね』と表現されているときには頷けるのだけど、それが自分たちのことを語る言葉として使われると、わたしはその言葉に疑問が湧く。
例えば、M女さんブログで、そのカップルに対して意見が寄せられたときなど。
もちろん非常識な中傷にいちいち答える必要はないし、たとえ真摯な意見だったとしても必ず答えないといけないなんて義務はないのだけど。
『主従の形は人それぞれ』と片付けてしまうのを見ると、ほんと?と思ってしまう。
そして、すこし切なくなる。
なぜなら、もしかしたら、『主従』という言葉以外で、自分たちのことを説明できる言葉を彼女は持っていないのではないか。
それは、イコール、そのご主人様が持っていないからだろうと想像してしまうからだ。
だって、ふたりの間で話し合いや擦り合わせがあれば、『主従』以外の言葉を出すことはだってできるはずだ。
そんなことをいちいち語り合わなくても奴隷は従うものならば、従わせる方だけでも『説明できる言葉』を持っていてほしいと思う。
そして、そういうときこそ、M女さんの代わりに言葉を発してほしいものだと思う。
『それぞれ』と言いながら、一括りにされた言葉以外持ち合わせていないご主人様を『主従』という言葉だけでかばい続けているように見えて、切なくなってしまうのだ。
ずいぶん前、メールをくれた女性がいた。(仮に今日子さん。キョンキョン好きだから^^)
わたしの『父性』を求める感情などに共感してくれて、メールをくれたのだ。
まだ、コメントがほとんどつかないような時で、その共感はとてもとても励みになった。
ただ、今日子さんとのやり取りは、ほんの数日だけでおしまいになってしまった。
なぜかというと、彼女のご主人様がわたしとのやり取りを禁止したからだ。
今日子さんがおっしゃるにはご自身は『影響を受けやすい性格』だそうで、共通点の多いわたしのブログを読んであれこれ考えることを、ご主人様は快く思わなかったらしい。
それで、集中的にわたしとやり取りをして、気が済んだらもうブログを読むこともメールをすることもおしまいにするように言われていたのだ。
そして、なぜだけわからないのだけど、わたしとやり取りをしている間はご主人様と連絡を断つという決まりになっていて、数日後もう限界だからやり取り終了をせっつかれて、わたしとのメールはおしまいになった。
(やり取りをブログのネタにしてかまわないとおっしゃっていたので、書かせていただきました。もう読んでくださっていないかもしれないけれど、ありがとう)
『M女ブログを信じるな』というエントリーを書いた。
理想の奴隷にさせたいために、他のM女さんのブログを読んで勉強しろと言った主の話。
その逆のパターンだ。
今日子さんのご主人様は、もともとSMに興味のなかった今日子さんに自分以外の色を入れたくなかったらしい。
だから、他者からの影響を恐れて禁止した。
『俺たちは、俺たちの形がある』
そういうことらしい。
言葉を尽くせと思う。
だから、『見るな』じゃなくて。
ふたりの関係を確かなものにしたいなら、言葉を尽くして伝え合うしかないと思う。
(もしかしたら、ふたりの間では尽くされていたかもしれない。でも、それならなおさら『見るな』ということに疑問を感じる。そんなに有害?薬指の刺青って^^;)
自分たちの形があるならば、既成の言葉以外でも語れる言葉を持つべきだ。
それは、語彙や知識の多さの問題じゃない。
そうすれば批判的なコメントも、影響されてしまうかもしれない物も、『人それぞれ』で片付けずに、びくともしない関係でいられるのではないでしょうか。
都合の良いときだけ既成の言葉で一括りにして、都合が悪くなると『主従の形はそれぞれ』と言っているように感じる。
自分たちのことを語ろうとするときに共通語を使うのは自分を納得させる材料になっていないか、そして、『それぞれ』という言葉で遮断してしまうのは、不都合なことに蓋をしてはいないだろうか。
那智さんは『SMは意識するな』という。
だから、ここでわたしはふたりの関係を、できるだけ既成の言葉を使わずに、ない頭を使って言葉を尽くして伝える努力をしている。
いろんな方の意見を聞いたり本を読んだりして得た知識もあるけれど、それをする努力ができたのは圧倒的に那智さんの力が大きい。
互いを理解したいと言葉を尽くし語り合ったから、ブログに綴る努力ができる。
共通語は伝わりやすい。
だから、それを使うことはかまわないし、わたしだって使っている。
そして、共通語の中に入っていると、なんとなく安心するのもわかる。
だけど、不都合なことをそれで納得させる道具になっていないだろうか。
『奴隷』なんだからしかたがない。
『主従』なんだから、従って当然。
ってね。
共通語だけじゃなく、『それぞれ』で片付けず、自分の言葉で綴るのはけっこう大変なこと。
(なんてたって、小学生のとき姉に作文書いてもらっていたくらいですから^^;)
でも、那智さんがそうしたいと思わせてくれるから、わたしはこれからも言葉を尽くして伝えたいと思う。
それはとてもとても難しくて、2年半書き続けてもまだ『わたしたちとは』と伝えられていないかもしれない。
結果、ノロケばかりになってる気がする^^;
それでも、わたしはこれからも、いざというときに、共通語以外に自分たちを語れる言葉を持ちたいと思う。
さてさて、こうやって、ノロケも生意気なこともとほほなことも、言葉を尽くして書いて参りましたが。
おそらくこれが年内最後の更新です。
しばらくパソコン環境から離れますので、年明けの本格営業は5日の予定です。
今年もお付き合いくださってありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
それでは、みなさん、よいお年を〜^^
最後に、那智さんへ。
『那智さん、だーい好き♪わたしはあなたのもの^^』
たくさん言葉を尽くして、伝えたいのはこのひと言。
来年もよろしくお願いします。
既成の共通語に違和感を感じる。
ううん、共通語は必要だし便利だからわたしだってたくさん使っているし、それ自体は否定しない。
アブノーマルな世界で漠然とした嗜好を表すのにとても便利なので、一般論や自己紹介として共通語を使うことに抵抗は感じないのだけど。
自身のことを語るときに、共通語を使うことに違和感を感じるのだ。
極めて個人的な嗜好は共通語で一括りにしてしまえるものではないように思う。
同じように。
一般論としてではなく、個人を語るときに使っていると違和感を感じてしまう言葉がある。
それは『人それぞれ』という言葉。
何度となくその言葉を書いてきた。
体型や顔立ち、肌の色と同じように性格や考え方にも個性があって、基本的には千差万別。
それが当然で、むしろ皆が同じ考えでいるほうが不健全で不幸だよね。
アブノーマルな世界だって同じで、もともとごく個人的な嗜好を大ざっぱな括りで区別しているだけで、SでもMでも奴隷でも細かく見れば同じってことはありえない。
Mだから、どんなSでも『S』ならいいなんてことはまったくなくて、この人ならという人を選び、そこからさらに擦り合わせをしていってはじめて『そのカップルなり』の付き合い方ができあがっていくものですよね。
似ていることはあっても、同じことはない。
だから、『人それぞれ』とたくさん書いてきた。
だけど、 やっぱり自分のこと伝えるときに、その言葉を使うことだけには違和感を感じるのです。
だから、時々『主従の形はそれぞれ、カップルの数だけ形がある』というような言葉を目にするととてもとても居心地が悪く感じてしまう。
主従の一般論として『それぞれだよね』と表現されているときには頷けるのだけど、それが自分たちのことを語る言葉として使われると、わたしはその言葉に疑問が湧く。
例えば、M女さんブログで、そのカップルに対して意見が寄せられたときなど。
もちろん非常識な中傷にいちいち答える必要はないし、たとえ真摯な意見だったとしても必ず答えないといけないなんて義務はないのだけど。
『主従の形は人それぞれ』と片付けてしまうのを見ると、ほんと?と思ってしまう。
そして、すこし切なくなる。
なぜなら、もしかしたら、『主従』という言葉以外で、自分たちのことを説明できる言葉を彼女は持っていないのではないか。
それは、イコール、そのご主人様が持っていないからだろうと想像してしまうからだ。
だって、ふたりの間で話し合いや擦り合わせがあれば、『主従』以外の言葉を出すことはだってできるはずだ。
そんなことをいちいち語り合わなくても奴隷は従うものならば、従わせる方だけでも『説明できる言葉』を持っていてほしいと思う。
そして、そういうときこそ、M女さんの代わりに言葉を発してほしいものだと思う。
『それぞれ』と言いながら、一括りにされた言葉以外持ち合わせていないご主人様を『主従』という言葉だけでかばい続けているように見えて、切なくなってしまうのだ。
ずいぶん前、メールをくれた女性がいた。(仮に今日子さん。キョンキョン好きだから^^)
わたしの『父性』を求める感情などに共感してくれて、メールをくれたのだ。
まだ、コメントがほとんどつかないような時で、その共感はとてもとても励みになった。
ただ、今日子さんとのやり取りは、ほんの数日だけでおしまいになってしまった。
なぜかというと、彼女のご主人様がわたしとのやり取りを禁止したからだ。
今日子さんがおっしゃるにはご自身は『影響を受けやすい性格』だそうで、共通点の多いわたしのブログを読んであれこれ考えることを、ご主人様は快く思わなかったらしい。
それで、集中的にわたしとやり取りをして、気が済んだらもうブログを読むこともメールをすることもおしまいにするように言われていたのだ。
そして、なぜだけわからないのだけど、わたしとやり取りをしている間はご主人様と連絡を断つという決まりになっていて、数日後もう限界だからやり取り終了をせっつかれて、わたしとのメールはおしまいになった。
(やり取りをブログのネタにしてかまわないとおっしゃっていたので、書かせていただきました。もう読んでくださっていないかもしれないけれど、ありがとう)
『M女ブログを信じるな』というエントリーを書いた。
理想の奴隷にさせたいために、他のM女さんのブログを読んで勉強しろと言った主の話。
その逆のパターンだ。
今日子さんのご主人様は、もともとSMに興味のなかった今日子さんに自分以外の色を入れたくなかったらしい。
だから、他者からの影響を恐れて禁止した。
『俺たちは、俺たちの形がある』
そういうことらしい。
言葉を尽くせと思う。
だから、『見るな』じゃなくて。
ふたりの関係を確かなものにしたいなら、言葉を尽くして伝え合うしかないと思う。
(もしかしたら、ふたりの間では尽くされていたかもしれない。でも、それならなおさら『見るな』ということに疑問を感じる。そんなに有害?薬指の刺青って^^;)
自分たちの形があるならば、既成の言葉以外でも語れる言葉を持つべきだ。
それは、語彙や知識の多さの問題じゃない。
そうすれば批判的なコメントも、影響されてしまうかもしれない物も、『人それぞれ』で片付けずに、びくともしない関係でいられるのではないでしょうか。
都合の良いときだけ既成の言葉で一括りにして、都合が悪くなると『主従の形はそれぞれ』と言っているように感じる。
自分たちのことを語ろうとするときに共通語を使うのは自分を納得させる材料になっていないか、そして、『それぞれ』という言葉で遮断してしまうのは、不都合なことに蓋をしてはいないだろうか。
那智さんは『SMは意識するな』という。
だから、ここでわたしはふたりの関係を、できるだけ既成の言葉を使わずに、ない頭を使って言葉を尽くして伝える努力をしている。
いろんな方の意見を聞いたり本を読んだりして得た知識もあるけれど、それをする努力ができたのは圧倒的に那智さんの力が大きい。
互いを理解したいと言葉を尽くし語り合ったから、ブログに綴る努力ができる。
共通語は伝わりやすい。
だから、それを使うことはかまわないし、わたしだって使っている。
そして、共通語の中に入っていると、なんとなく安心するのもわかる。
だけど、不都合なことをそれで納得させる道具になっていないだろうか。
『奴隷』なんだからしかたがない。
『主従』なんだから、従って当然。
ってね。
共通語だけじゃなく、『それぞれ』で片付けず、自分の言葉で綴るのはけっこう大変なこと。
(なんてたって、小学生のとき姉に作文書いてもらっていたくらいですから^^;)
でも、那智さんがそうしたいと思わせてくれるから、わたしはこれからも言葉を尽くして伝えたいと思う。
それはとてもとても難しくて、2年半書き続けてもまだ『わたしたちとは』と伝えられていないかもしれない。
結果、ノロケばかりになってる気がする^^;
それでも、わたしはこれからも、いざというときに、共通語以外に自分たちを語れる言葉を持ちたいと思う。
さてさて、こうやって、ノロケも生意気なこともとほほなことも、言葉を尽くして書いて参りましたが。
おそらくこれが年内最後の更新です。
しばらくパソコン環境から離れますので、年明けの本格営業は5日の予定です。
今年もお付き合いくださってありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
それでは、みなさん、よいお年を〜^^
最後に、那智さんへ。
『那智さん、だーい好き♪わたしはあなたのもの^^』
たくさん言葉を尽くして、伝えたいのはこのひと言。
来年もよろしくお願いします。