性的な匂い
非日常的な日常
空港で四つん這いになっている女を人はどう見るのでしょう。
そもそも四つん這いとは思わないかもしれない。
『飼い主の目、犬の目』で熟桃さんがコメントで書いてくれたように。
コンタクトを探しているの?
何か落とし物?
もしかしたら
具合が悪い?
貧血でも起こしたの?
そんなふうにも思えるかもしれない。
そういう正当な理由じゃなくて。
側に立っている男性に対して、土下座?
そんな異常を連想する人もいるかもしれない。
ただ、そこに、性的な匂いを感じ取る人は、どれくらいいるのかな。
一般道で四つん這いも、そう。
普通の道路を、普通の服装で、首輪にリードを引かれ四つん這いで歩く姿に、人は何を感じるのだろう。
罰ゲーム?
何かの撮影?
変な人?
酔っぱらいが大騒ぎしている時のような、近寄っちゃいけないオーラだけ感じ取られ、人はわたしたちを避けるでしょう。
でも、それが性的な行いだと思う人はどれくらいいる?
昔から、ペットや人じゃない自分に憧れは持っていたわたしだけど、そこには『全裸』や『下着姿』や『拘束』などの、性的な欠片が付随していたと記憶している。
そこに、那智さんがしてくれることは『感じる』というものが加わって、この行為が性的なことになったのかもしれない。
先天的なことか、後天的なことか、いまとなってはわからない。
ただ、わたしたちの間ではこれは確実に性的なこと。
空港で四つん這いになったとき、わたしはとんでもなく濡れた。
その後の移動中も、ヒヤヒヤしながらも体半分は宙に浮いているような快感を引きずっていたのだもの。
支配欲と被支配欲。
異常な状態。
それらが、わたしたちの興奮や幸福になっているとは思うのだけど。
人は、その姿に性的な匂いを感じ取るものなの?
那智さんはむしろそこから『一般的な』性的な事柄を極力排除しようとさえ思ってる。
例えば、公の場所で四つん這いになるときは、『下着が見えないように』と気遣ってくれる。
これは、わたしへの配慮と、その排除したい気持ちの表れだと思うのだ。
一見性的なことじゃないことに、その喜びを感じることが好きなのね。
もしボンテージの衣装にガーターストッキングなんかで一般道を四つん這いになっていたら、そこには『性的な匂い』がしますよね?
それはしないの。(したいって言ってるんじゃないのですよ^^;)
わたしとしては、ちょっと性的な匂いをさせてしまえたほうが、気が楽だ。
だって、性的なことをしていると感じた周囲の人は、軽蔑しながらも若干羨望の気持ちも芽生えるはずなんだ。
だって気持ちいいことしているのだもの、ご本人の意識の下のほうでは、ちょっとうらやましいと感じていると思うの。
だけど、一見理解不能なことに、人はうらやましいと思わないでしょ?
ただ、引くだけ。
両方とも、とんでもなく恥ずかしいことならば、ちょっとうらやましいと思われたほうがいいと思うのです。
だからね、一般的な『性的な』テイストを加えてほしいとの思うのだけど、加えてくれない。
そして、いつのまにか、わたしもそれを排除したことででも、ものすごーく感じてしまうようになって、困惑気味^^;
想像してみてくださいますか。
空港で、一般道で普通の服装をした人が四つん這いになっている姿を見たら、そこに性的なものを感じるのでしょうか?
もしくは、自分がしたら、させたら、性的に興奮しますか?
ううう、してほしい。
わたしの感覚では、性的なことと感じてもらうことは若干の羨望と思えるので。
そこに性的な匂いを感じてくれると、あり得ないことをするのに、ちょっとハードルが下がるのです。
ハードル、下げたいの;;
そこに性的な匂いを感じますか?
チャットでは撃沈しましたけど、しつこく聞いちゃう(笑)
空港で四つん這いになっている女を人はどう見るのでしょう。
そもそも四つん這いとは思わないかもしれない。
『飼い主の目、犬の目』で熟桃さんがコメントで書いてくれたように。
コンタクトを探しているの?
何か落とし物?
もしかしたら
具合が悪い?
貧血でも起こしたの?
そんなふうにも思えるかもしれない。
そういう正当な理由じゃなくて。
側に立っている男性に対して、土下座?
そんな異常を連想する人もいるかもしれない。
ただ、そこに、性的な匂いを感じ取る人は、どれくらいいるのかな。
一般道で四つん這いも、そう。
普通の道路を、普通の服装で、首輪にリードを引かれ四つん這いで歩く姿に、人は何を感じるのだろう。
罰ゲーム?
何かの撮影?
変な人?
酔っぱらいが大騒ぎしている時のような、近寄っちゃいけないオーラだけ感じ取られ、人はわたしたちを避けるでしょう。
でも、それが性的な行いだと思う人はどれくらいいる?
昔から、ペットや人じゃない自分に憧れは持っていたわたしだけど、そこには『全裸』や『下着姿』や『拘束』などの、性的な欠片が付随していたと記憶している。
そこに、那智さんがしてくれることは『感じる』というものが加わって、この行為が性的なことになったのかもしれない。
先天的なことか、後天的なことか、いまとなってはわからない。
ただ、わたしたちの間ではこれは確実に性的なこと。
空港で四つん這いになったとき、わたしはとんでもなく濡れた。
その後の移動中も、ヒヤヒヤしながらも体半分は宙に浮いているような快感を引きずっていたのだもの。
支配欲と被支配欲。
異常な状態。
それらが、わたしたちの興奮や幸福になっているとは思うのだけど。
人は、その姿に性的な匂いを感じ取るものなの?
那智さんはむしろそこから『一般的な』性的な事柄を極力排除しようとさえ思ってる。
例えば、公の場所で四つん這いになるときは、『下着が見えないように』と気遣ってくれる。
これは、わたしへの配慮と、その排除したい気持ちの表れだと思うのだ。
一見性的なことじゃないことに、その喜びを感じることが好きなのね。
もしボンテージの衣装にガーターストッキングなんかで一般道を四つん這いになっていたら、そこには『性的な匂い』がしますよね?
それはしないの。(したいって言ってるんじゃないのですよ^^;)
わたしとしては、ちょっと性的な匂いをさせてしまえたほうが、気が楽だ。
だって、性的なことをしていると感じた周囲の人は、軽蔑しながらも若干羨望の気持ちも芽生えるはずなんだ。
だって気持ちいいことしているのだもの、ご本人の意識の下のほうでは、ちょっとうらやましいと感じていると思うの。
だけど、一見理解不能なことに、人はうらやましいと思わないでしょ?
ただ、引くだけ。
両方とも、とんでもなく恥ずかしいことならば、ちょっとうらやましいと思われたほうがいいと思うのです。
だからね、一般的な『性的な』テイストを加えてほしいとの思うのだけど、加えてくれない。
そして、いつのまにか、わたしもそれを排除したことででも、ものすごーく感じてしまうようになって、困惑気味^^;
想像してみてくださいますか。
空港で、一般道で普通の服装をした人が四つん這いになっている姿を見たら、そこに性的なものを感じるのでしょうか?
もしくは、自分がしたら、させたら、性的に興奮しますか?
ううう、してほしい。
わたしの感覚では、性的なことと感じてもらうことは若干の羨望と思えるので。
そこに性的な匂いを感じてくれると、あり得ないことをするのに、ちょっとハードルが下がるのです。
ハードル、下げたいの;;
そこに性的な匂いを感じますか?
チャットでは撃沈しましたけど、しつこく聞いちゃう(笑)
決めるのは、どっち?
りん子的独り言(生意気)
以前のエントリー『諦めない』のちょっと補足です。
こんなわたしのところにも、時々メールが届くことがあります。
『ご主人様と奴隷』という関係についての疑問や『自己肯定』できない気持ちを綴っているからだと思うのですが、奴隷の方やまったくSMとは無縁の方もいら したりして、心が躓いてしまうことは、奴隷もノーマルも関係なく、人や女としてどう感じるかということが大きいのだよねと、改めて思います。
で、わたしは、『奴隷願望と依存願望』も『自己否定感』もちょっとは経験済みなので、少しは共感も客観視もできるかなと思って、いろいろ吠えているわけです。
そのエールのひとつが『諦めない』でした。
この後も、批判的な意見を書きますが、『主従』や『ご主人様と奴隷』と言われる関係を築いていらっしゃる方に言っているのではなくて、自己肯定できずに不当なものに依存して逃れられず苦しんでいる人に向けてです。
その関係で成立されている方々は、大切な片割れを見つけられたことを祝福しています。
ですから、そんな方は、どうかスルーしてくださいね。
「よく頑張ったね」
那智さんはそんなふうに言ってわたしを褒めてくれることは滅多にない。
まだ負の感情を表に出すことに慣れていない付き合いはじめのころには、その苦手な感情の吐き出しをした後に、時々そういって褒めてくれたことはあったけど。
お仕事を手伝ったり、ちょっと気を回して普段より気の利いたことをしたときなどは、感謝の気持ちと『りん子はえらいね〜』なんて冗談半分で褒めてくれたりするけれど。
「よく頑張ったね」という褒め方は、ほとんどされたことがないんじゃないかな。
特に性的な場面では皆無に等しい、はず。
どんなに痛いことをしても、どんなに恥ずかしいことをしても、「よく頑張った」なんて言ってくれない。
だいたい、
「気持ち良くて良かったね。」
だ。
そうなの。
わたしは頑張っていないの。
痛いことの恥ずかしいことも、最初は『えいっ』とするけれど、最終的にはわたしが気持ち良くなっているのだから、頑張っていない。
痛くて泣いても、那智さんからしてみたら『気持ち良くさせてあげてる』わけで、頑張ったねからは程遠いのですね。
裏を返せば、那智さんは、わたしに頑張らせたいとは思わないのでしょう。
どんなに痛がっても怖がっても、『やるときはやる』だ。
頑張るという感覚とは少し違うと思う。
だって、『俺がりん子を気持ち良く幸せにしてるんだから、頑張るもないもないでしょ!?』ということなのだと思う。
だから、恐怖を排除し、様子を見ながら、時間をかけて、頑張らずに快感になるようにわたしに仕込んでいるのだ。
だから、わたしは頑張らない。
ただ、人並みに努力はする。
それは、ひとりの人間、女として、那智さんにいつまでも魅力的だと思ってほしいから。
無頓着で、あんまり自分磨きを得意じゃないのですが…。
仕事も会話も、ちょっとだけ努力している。
それは、とてもわたしを大切にしてくれる那智さんに心地良くしてほしいから。
そして、それをしている自分が一番心地良いからだ。
これは『諦めない』でも書いた。
大好きな人に可愛がられたいと思う、女だもの、努力はする。
『あなたが好きだから、努力する』
もしかしたら、主従関係を結んでいらっしゃる方は、もう少しシビアかもしれない。
『あなたが好きだから、捨てられたくないから、努力する』
(この一見遜ったように見える関係にわたしはちょっと苦しくなるのだけど^^;)
苦しくはなるけれど、これもまだ理解できるし、理解する。
わたしが『諦めない』で書いたのは、
『努力すれば、捨てない』
だ。
わたしが理解できないのは、こちらのほう。
似ているけれど、大きな違いがありますよね。
前者は努力する側の言葉で、後者は努力させたい側の言葉。
違うよね。
大好きな大切な人との関係をより深く強くするためには、努力するのは当然のこと。
それは、奴隷とか関係ない。
自然と当たり前に努力するもの。
それは、努力する側から発するべきだと思うのだ。
それをさせたい側から言われてしまうと、わたしは途端に困惑してしまう。
あなたのために努力したいと思わせてくださいと、思うのだ。
いや、当然恋する女は努力したいと思ってるはずだ。
それなのに『捨てない』を口にするということは。
それでも足りないほどの、尋常じゃない努力を要求しているの?
自然な努力では補えないほどの、何段階も先のことを要求しているの?
そんなご無体なと思ってしまう。
大好きな人に対してだもの努力なんていっぱいできる。
上手に仕込んでくれれば『頑張れ』と言われなくても、できるようになる。
その手間暇を惜しんで、『努力すれば、捨てない』という条件をさせたい側から掲げられてしまうことに困惑する。
それって。
『お菓子買ってくれたら、さわがない』と交換条件を付けて脅す子供のようだと言ったら言い過ぎでしょうか。
大人なんだから、時間をかけて仕込んでちょうだいと思ってしまうのだ。
それが、奴隷だと言われてしまえばそれまでなんですけど^^;
そのスタートが恋心故か、自己肯定できないからか、つい自分を低くしてしまうのであれば。
それはいけないと思って『諦めない』を書いた。
苦しいなら諦めないでと。
どういう関係を作りたいか、どんなポジションにいたいか。
それを決めるのは、ふたりだ。
まして、従わせる側を選んだのなら、そこから先は従う側に関係を決めさせるのだ。
あたなに従いたい、努力したい、そう思わせる器量がほしい。
『従え』『努力しろ』そう口にした途端に、虚勢を張っているように見えてしまうのは、わたしだけだろうか。
そんな脅さなくても、可愛がってくれれば努力もするし、いい女になって跪けるのになって思うのです。
わたしの言っていることは、ある世界ではナンセンスかもしれない。
でも、その立場で、不安定な自分に苦しんでいるならば。(何度も言ってますが、成立されている方は、それでいいのです)
だから、『捨てる』という言葉に怯える必要なんてないと、わたしは思う。
だって、そちら側がそれを言った時点で、もう絶対格好悪いと思ってしまうからだ。
それに怯える必要はないの。
『捨てない』
『捨てないで』
同じ『捨てない』という言葉だけど、それを、どちらから発するか。
その大きな違いを、わたしは感じるのです。
以前のエントリー『諦めない』のちょっと補足です。
こんなわたしのところにも、時々メールが届くことがあります。
『ご主人様と奴隷』という関係についての疑問や『自己肯定』できない気持ちを綴っているからだと思うのですが、奴隷の方やまったくSMとは無縁の方もいら したりして、心が躓いてしまうことは、奴隷もノーマルも関係なく、人や女としてどう感じるかということが大きいのだよねと、改めて思います。
で、わたしは、『奴隷願望と依存願望』も『自己否定感』もちょっとは経験済みなので、少しは共感も客観視もできるかなと思って、いろいろ吠えているわけです。
そのエールのひとつが『諦めない』でした。
この後も、批判的な意見を書きますが、『主従』や『ご主人様と奴隷』と言われる関係を築いていらっしゃる方に言っているのではなくて、自己肯定できずに不当なものに依存して逃れられず苦しんでいる人に向けてです。
その関係で成立されている方々は、大切な片割れを見つけられたことを祝福しています。
ですから、そんな方は、どうかスルーしてくださいね。
「よく頑張ったね」
那智さんはそんなふうに言ってわたしを褒めてくれることは滅多にない。
まだ負の感情を表に出すことに慣れていない付き合いはじめのころには、その苦手な感情の吐き出しをした後に、時々そういって褒めてくれたことはあったけど。
お仕事を手伝ったり、ちょっと気を回して普段より気の利いたことをしたときなどは、感謝の気持ちと『りん子はえらいね〜』なんて冗談半分で褒めてくれたりするけれど。
「よく頑張ったね」という褒め方は、ほとんどされたことがないんじゃないかな。
特に性的な場面では皆無に等しい、はず。
どんなに痛いことをしても、どんなに恥ずかしいことをしても、「よく頑張った」なんて言ってくれない。
だいたい、
「気持ち良くて良かったね。」
だ。
そうなの。
わたしは頑張っていないの。
痛いことの恥ずかしいことも、最初は『えいっ』とするけれど、最終的にはわたしが気持ち良くなっているのだから、頑張っていない。
痛くて泣いても、那智さんからしてみたら『気持ち良くさせてあげてる』わけで、頑張ったねからは程遠いのですね。
裏を返せば、那智さんは、わたしに頑張らせたいとは思わないのでしょう。
どんなに痛がっても怖がっても、『やるときはやる』だ。
頑張るという感覚とは少し違うと思う。
だって、『俺がりん子を気持ち良く幸せにしてるんだから、頑張るもないもないでしょ!?』ということなのだと思う。
だから、恐怖を排除し、様子を見ながら、時間をかけて、頑張らずに快感になるようにわたしに仕込んでいるのだ。
だから、わたしは頑張らない。
ただ、人並みに努力はする。
それは、ひとりの人間、女として、那智さんにいつまでも魅力的だと思ってほしいから。
無頓着で、あんまり自分磨きを得意じゃないのですが…。
仕事も会話も、ちょっとだけ努力している。
それは、とてもわたしを大切にしてくれる那智さんに心地良くしてほしいから。
そして、それをしている自分が一番心地良いからだ。
これは『諦めない』でも書いた。
大好きな人に可愛がられたいと思う、女だもの、努力はする。
『あなたが好きだから、努力する』
もしかしたら、主従関係を結んでいらっしゃる方は、もう少しシビアかもしれない。
『あなたが好きだから、捨てられたくないから、努力する』
(この一見遜ったように見える関係にわたしはちょっと苦しくなるのだけど^^;)
苦しくはなるけれど、これもまだ理解できるし、理解する。
わたしが『諦めない』で書いたのは、
『努力すれば、捨てない』
だ。
わたしが理解できないのは、こちらのほう。
似ているけれど、大きな違いがありますよね。
前者は努力する側の言葉で、後者は努力させたい側の言葉。
違うよね。
大好きな大切な人との関係をより深く強くするためには、努力するのは当然のこと。
それは、奴隷とか関係ない。
自然と当たり前に努力するもの。
それは、努力する側から発するべきだと思うのだ。
それをさせたい側から言われてしまうと、わたしは途端に困惑してしまう。
あなたのために努力したいと思わせてくださいと、思うのだ。
いや、当然恋する女は努力したいと思ってるはずだ。
それなのに『捨てない』を口にするということは。
それでも足りないほどの、尋常じゃない努力を要求しているの?
自然な努力では補えないほどの、何段階も先のことを要求しているの?
そんなご無体なと思ってしまう。
大好きな人に対してだもの努力なんていっぱいできる。
上手に仕込んでくれれば『頑張れ』と言われなくても、できるようになる。
その手間暇を惜しんで、『努力すれば、捨てない』という条件をさせたい側から掲げられてしまうことに困惑する。
それって。
『お菓子買ってくれたら、さわがない』と交換条件を付けて脅す子供のようだと言ったら言い過ぎでしょうか。
大人なんだから、時間をかけて仕込んでちょうだいと思ってしまうのだ。
それが、奴隷だと言われてしまえばそれまでなんですけど^^;
そのスタートが恋心故か、自己肯定できないからか、つい自分を低くしてしまうのであれば。
それはいけないと思って『諦めない』を書いた。
苦しいなら諦めないでと。
どういう関係を作りたいか、どんなポジションにいたいか。
それを決めるのは、ふたりだ。
まして、従わせる側を選んだのなら、そこから先は従う側に関係を決めさせるのだ。
あたなに従いたい、努力したい、そう思わせる器量がほしい。
『従え』『努力しろ』そう口にした途端に、虚勢を張っているように見えてしまうのは、わたしだけだろうか。
そんな脅さなくても、可愛がってくれれば努力もするし、いい女になって跪けるのになって思うのです。
わたしの言っていることは、ある世界ではナンセンスかもしれない。
でも、その立場で、不安定な自分に苦しんでいるならば。(何度も言ってますが、成立されている方は、それでいいのです)
だから、『捨てる』という言葉に怯える必要なんてないと、わたしは思う。
だって、そちら側がそれを言った時点で、もう絶対格好悪いと思ってしまうからだ。
それに怯える必要はないの。
『捨てない』
『捨てないで』
同じ『捨てない』という言葉だけど、それを、どちらから発するか。
その大きな違いを、わたしは感じるのです。
不謹慎な喜び
独り言
わたしにはある身体的特徴があって。
まあ、生活に支障を来すような重大なものでもないので『身体的特徴』だなんて大げさな言い方しなくてもいいのだけど、一応ぼやかしてね。
クラスにひとりいるかいないかくらいのその特徴。
生活に支障を来すほどではないけれど、小さな不便は時々感じる。
その特徴、ウソかホントかわからないけれど、ある人はない人に比べると5、6年寿命が短いのだそう。
寿命なんていろんな要素が組み合わさって決まるもので、それひとつでなにも言えないし、かなり眉唾ものですが。
『寿命が短い』という言葉に一瞬胸がチクリとして、でも、そのあと不謹慎な喜びを感じてしまって思わず上がる口角を抑えた。
実際の死に直面したらそんな甘いこと言っていられないけれど、お伽噺としてお許しくださいね。
なぜ、口角が上がりそうになったかというとね。
はじめてなんだ、このケース。
男女の平均寿命。
年齢差。
喫煙の有無。
わたしが情報として知っている寿命のバロメーターで、はじめてなの。
あたしのほうが『短い』と予測される計りが。
いつもいつも那智さんのほうが先に死んじゃうパターンばっかり。
その身体的特徴の5、6年は、男女の平均寿命と同じくらい。
それで、その分はプラマイ0になるって思っちゃった。
社会的責任を果たすまでは、なにがなんでも生きていたい。
だけど、運良くそれを果たすことができた後。
いろんな要素を踏まえたら、那智さんのほうが多分先に死んじゃう。
いままでの『計り』だと、それからの人生がとてもとても長いものに思われた。
だけど、わたしの身体的特徴のおかげで、那智さんがいない時間がちょっと短くなるかもしれない。
はじめてわたしのほうが寿命が短くなる要素を見つけることができたから、思わず嬉しくなってしまったのだ。
お彼岸を迎え、不謹慎な想像を打ち消すように父の遺影に神妙に手を合わせる。
ごめん、ごめん、お父さん。
まだまだ、りん子はちゃんと生きますからね、心配しないでね^^
普段の生活に支障を来すほどではないけれどちょっと不便だったこの特徴が、いとおしく思えた瞬間だった。
わたしにはある身体的特徴があって。
まあ、生活に支障を来すような重大なものでもないので『身体的特徴』だなんて大げさな言い方しなくてもいいのだけど、一応ぼやかしてね。
クラスにひとりいるかいないかくらいのその特徴。
生活に支障を来すほどではないけれど、小さな不便は時々感じる。
その特徴、ウソかホントかわからないけれど、ある人はない人に比べると5、6年寿命が短いのだそう。
寿命なんていろんな要素が組み合わさって決まるもので、それひとつでなにも言えないし、かなり眉唾ものですが。
『寿命が短い』という言葉に一瞬胸がチクリとして、でも、そのあと不謹慎な喜びを感じてしまって思わず上がる口角を抑えた。
実際の死に直面したらそんな甘いこと言っていられないけれど、お伽噺としてお許しくださいね。
なぜ、口角が上がりそうになったかというとね。
はじめてなんだ、このケース。
男女の平均寿命。
年齢差。
喫煙の有無。
わたしが情報として知っている寿命のバロメーターで、はじめてなの。
あたしのほうが『短い』と予測される計りが。
いつもいつも那智さんのほうが先に死んじゃうパターンばっかり。
その身体的特徴の5、6年は、男女の平均寿命と同じくらい。
それで、その分はプラマイ0になるって思っちゃった。
社会的責任を果たすまでは、なにがなんでも生きていたい。
だけど、運良くそれを果たすことができた後。
いろんな要素を踏まえたら、那智さんのほうが多分先に死んじゃう。
いままでの『計り』だと、それからの人生がとてもとても長いものに思われた。
だけど、わたしの身体的特徴のおかげで、那智さんがいない時間がちょっと短くなるかもしれない。
はじめてわたしのほうが寿命が短くなる要素を見つけることができたから、思わず嬉しくなってしまったのだ。
お彼岸を迎え、不謹慎な想像を打ち消すように父の遺影に神妙に手を合わせる。
ごめん、ごめん、お父さん。
まだまだ、りん子はちゃんと生きますからね、心配しないでね^^
普段の生活に支障を来すほどではないけれどちょっと不便だったこの特徴が、いとおしく思えた瞬間だった。
荷物を預ける
非日常的な日常
お仕事が忙しい時期に差し掛かって、一日お休みを取ってということが難しいとき。
ちゃんとしたお道具もなくホテルに入る。
まあ、お道具を持っていても全然使わないときもあるし、髪を掴まれて踏まれるだけでも喜んじゃうんだし、お道具がなきゃ成り立たないなんてこともないので、まったく問題ないのだけど^^;
でも、わたしを叩いて可愛がりたかったのかな、叩かれて喜ぶわたしを見たかったのかな。
ホテルに備え付けてある靴べらを使った。
何も持ってきていなかったから、今日は痛いことをしないと漠然と思っていたので、ちょっとだけ緊張する。
痛いことは、いつまで経っても、最初は怖いんだ。
靴べらは鞭に比べたら破壊力は弱いけど、その分思い切り振れるし、わざと痛い場所を選んで打てたりするので(鞭の場合は、多分場所も考えながら打っているはず)、鞭とは違った緊張感。
剥き出しのお尻に、まず一発。
うん、痛い。
でも、様子を見ている打ち方なので『うん、痛い』という程度かな^^
続けて、数発。
一度靴べらが当たったとろこに間髪入れずに、続けて痛みが来ると、その痛みはどんどん膨らんでくるもの。
数発のうち何回か、靴べらの痕が重なって、そんなときは。
『くぅぅぅぅ、痛ーい』
という感じでやり過ごす。
体に力を入れ、痛い場所に手を置き、痛みをやり過ごしながら、ふーっと体が軽くなるような錯覚を覚える。
またお尻に数発。
体が軽くなった感覚は微量に残りながら、今度はお尻が痛いと感じるのの後を追うように、おまんこがぐゎんと痺れるように感じ出す。
痛い。
気持ちいい。
痛い。
気持ちいい。
わあ、まだ10発くらいしか叩いていないのに、もう気持ちいいよ、わたし。
それに、ものすごく痛くされているわけでもないのに。
なんだか、痛い=気持ちいいになりやすくなっているみたい。
そんなことをぼんやりと思っていたら。
体を仰向けにされて、股を開いて内股に一発。
柔らかい無抵抗なそこは、きーーーんって皮膚に響く。
ビリビリと痛い。
そこ!?
ああ、そうきますか〜!!
お尻じゃなくて、そこ打つの?那智さん。
不意の、いままでとは違った衝撃に、心の中で思わずツッコミたくなる。
そんなふうに、『ああ、やられちゃった』みたいな感じと、そのビリビリする痛みで、心のハードルが一気に下がる。
ふふふ。
笑みがこぼれてしまう。
しっかりと握っていた風船が手から放れて空に吸い込めれていくのを、なす術無く見上げているみたい。
あ〜あ、やっちゃった。
と、残念なような切ないような、ちょっと怖くて、それでもなんだか愉快な気持ち。
わたしは、『知ーらないと』飛んで行き、そして微笑みながら見送る、両方。
荷物を那智さんに預けるのだ。
そこからは、もう幸せなだけ。
打たれて、くすくす笑って。
痛くて身を捩り、気持ち良くて腰を振る。
那智さんにくっつきたくてしょうがなくて。
くっつかせてもらえなくて泣いて。
くっつきたいと駄々捏ねて。
そうやって駄々捏ねる自分がおかしくて、またくすくす笑う。
打つ力と場所と回数が、多分、どんどん痛いほうにシフトしているのだと思う。
このあたりになると、頭真っ白とまではいかないけれど、かなり記憶は曖昧だ。
ただ枕を抱えて、痛がったり泣いたり笑ったりとひとりでジェットコースター状態。
多分、どの状態でも口はだらしなく開いたままなのでしょう、そのうち、口から唾液が垂れてくる。
ああ、もう、気持ちいい。
唾液垂らして喜ぶ自分が、快感。
またひとつ荷物を下ろしたみたい。
涎を垂らしながら、ムクッと体を起こす。
那智さんが目で『どうした?』と聞いている。
あのね、那智さん、フェラチオしたいの。
那智さんのおちんちんをお口に入れたいの。
突然湧いた欲求を叶えたくて体が動いたのだ。
普段、そうしうことを口にすることは、けっこう勇気がいる。
だけど、もう荷物いっぱい預けてしまったから、そのときのわたしは『こう言ったら、どう思われるか』というハードルがほとんどなくなってしまっている。
だけど、さっきまで涎を滴らせていた口は、上手におしゃべりしてくれない。
呂律が回らない唇がもどかしい。
「どうした?」
今度は、そう聞かれた(と思う)。
ペタンと座り込み、しゃべることを諦めて指を口に当てて体を揺らす。
言葉をしゃべれない幼児が要求を伝えようとしているみたいだ。
普段なら絶対やらないような仕草。
そんなことをしてしまえる自分が嬉しい。
どんどん風船が遠くに飛んでいってしまってる。
それを見上げるわたしもいて、両方で気持ちいい感じだった。
フェラチオをしながら背中を打たれ、何をされても気持ちいいだけ。
もう風船が見えなくなってしまった。
よかったね、りん子。
風船を見送るほうのわたしは、お役ごめんといった感じで意識の下に潜るよう。
ふわふわと飛んで行く風船のほうのわたしは、いろんなことを手放して心地良く飛んでいる。
常識も美意識も取っ払って那智さんに任せることができる。
この那智さんに荷物を預ける状態を数年かけて手に入れたように思う。
これは、わたしにとっては、とても気持ち良くて、とても必要なこと。
時々、これをいただけないと不機嫌になっちゃうくらい。
日常の何気ない瞬間に、あのビリビリした痛さや手放してしまう心地良さをふと思い出し、胸がぎゅっと掴まれてようになる。
ああ、またしてほしいと湧き上がる衝動をぐっと堪えるのだ。
で、不機嫌になる!?
那智さんにはいい迷惑かもしれませんが、わたし自身も、ちょっと困っているのです。
お仕事が忙しい時期に差し掛かって、一日お休みを取ってということが難しいとき。
ちゃんとしたお道具もなくホテルに入る。
まあ、お道具を持っていても全然使わないときもあるし、髪を掴まれて踏まれるだけでも喜んじゃうんだし、お道具がなきゃ成り立たないなんてこともないので、まったく問題ないのだけど^^;
でも、わたしを叩いて可愛がりたかったのかな、叩かれて喜ぶわたしを見たかったのかな。
ホテルに備え付けてある靴べらを使った。
何も持ってきていなかったから、今日は痛いことをしないと漠然と思っていたので、ちょっとだけ緊張する。
痛いことは、いつまで経っても、最初は怖いんだ。
靴べらは鞭に比べたら破壊力は弱いけど、その分思い切り振れるし、わざと痛い場所を選んで打てたりするので(鞭の場合は、多分場所も考えながら打っているはず)、鞭とは違った緊張感。
剥き出しのお尻に、まず一発。
うん、痛い。
でも、様子を見ている打ち方なので『うん、痛い』という程度かな^^
続けて、数発。
一度靴べらが当たったとろこに間髪入れずに、続けて痛みが来ると、その痛みはどんどん膨らんでくるもの。
数発のうち何回か、靴べらの痕が重なって、そんなときは。
『くぅぅぅぅ、痛ーい』
という感じでやり過ごす。
体に力を入れ、痛い場所に手を置き、痛みをやり過ごしながら、ふーっと体が軽くなるような錯覚を覚える。
またお尻に数発。
体が軽くなった感覚は微量に残りながら、今度はお尻が痛いと感じるのの後を追うように、おまんこがぐゎんと痺れるように感じ出す。
痛い。
気持ちいい。
痛い。
気持ちいい。
わあ、まだ10発くらいしか叩いていないのに、もう気持ちいいよ、わたし。
それに、ものすごく痛くされているわけでもないのに。
なんだか、痛い=気持ちいいになりやすくなっているみたい。
そんなことをぼんやりと思っていたら。
体を仰向けにされて、股を開いて内股に一発。
柔らかい無抵抗なそこは、きーーーんって皮膚に響く。
ビリビリと痛い。
そこ!?
ああ、そうきますか〜!!
お尻じゃなくて、そこ打つの?那智さん。
不意の、いままでとは違った衝撃に、心の中で思わずツッコミたくなる。
そんなふうに、『ああ、やられちゃった』みたいな感じと、そのビリビリする痛みで、心のハードルが一気に下がる。
ふふふ。
笑みがこぼれてしまう。
しっかりと握っていた風船が手から放れて空に吸い込めれていくのを、なす術無く見上げているみたい。
あ〜あ、やっちゃった。
と、残念なような切ないような、ちょっと怖くて、それでもなんだか愉快な気持ち。
わたしは、『知ーらないと』飛んで行き、そして微笑みながら見送る、両方。
荷物を那智さんに預けるのだ。
そこからは、もう幸せなだけ。
打たれて、くすくす笑って。
痛くて身を捩り、気持ち良くて腰を振る。
那智さんにくっつきたくてしょうがなくて。
くっつかせてもらえなくて泣いて。
くっつきたいと駄々捏ねて。
そうやって駄々捏ねる自分がおかしくて、またくすくす笑う。
打つ力と場所と回数が、多分、どんどん痛いほうにシフトしているのだと思う。
このあたりになると、頭真っ白とまではいかないけれど、かなり記憶は曖昧だ。
ただ枕を抱えて、痛がったり泣いたり笑ったりとひとりでジェットコースター状態。
多分、どの状態でも口はだらしなく開いたままなのでしょう、そのうち、口から唾液が垂れてくる。
ああ、もう、気持ちいい。
唾液垂らして喜ぶ自分が、快感。
またひとつ荷物を下ろしたみたい。
涎を垂らしながら、ムクッと体を起こす。
那智さんが目で『どうした?』と聞いている。
あのね、那智さん、フェラチオしたいの。
那智さんのおちんちんをお口に入れたいの。
突然湧いた欲求を叶えたくて体が動いたのだ。
普段、そうしうことを口にすることは、けっこう勇気がいる。
だけど、もう荷物いっぱい預けてしまったから、そのときのわたしは『こう言ったら、どう思われるか』というハードルがほとんどなくなってしまっている。
だけど、さっきまで涎を滴らせていた口は、上手におしゃべりしてくれない。
呂律が回らない唇がもどかしい。
「どうした?」
今度は、そう聞かれた(と思う)。
ペタンと座り込み、しゃべることを諦めて指を口に当てて体を揺らす。
言葉をしゃべれない幼児が要求を伝えようとしているみたいだ。
普段なら絶対やらないような仕草。
そんなことをしてしまえる自分が嬉しい。
どんどん風船が遠くに飛んでいってしまってる。
それを見上げるわたしもいて、両方で気持ちいい感じだった。
フェラチオをしながら背中を打たれ、何をされても気持ちいいだけ。
もう風船が見えなくなってしまった。
よかったね、りん子。
風船を見送るほうのわたしは、お役ごめんといった感じで意識の下に潜るよう。
ふわふわと飛んで行く風船のほうのわたしは、いろんなことを手放して心地良く飛んでいる。
常識も美意識も取っ払って那智さんに任せることができる。
この那智さんに荷物を預ける状態を数年かけて手に入れたように思う。
これは、わたしにとっては、とても気持ち良くて、とても必要なこと。
時々、これをいただけないと不機嫌になっちゃうくらい。
日常の何気ない瞬間に、あのビリビリした痛さや手放してしまう心地良さをふと思い出し、胸がぎゅっと掴まれてようになる。
ああ、またしてほしいと湧き上がる衝動をぐっと堪えるのだ。
で、不機嫌になる!?
那智さんにはいい迷惑かもしれませんが、わたし自身も、ちょっと困っているのです。
荷物を預けるということ
独特な幸福感
いろんな荷物を抱えているみたいだった。
特に性的なことに関して。
羞恥心やモラル、それは当然のようにあって、それ以外にも。
誰に抱かれていても、いつもどこか冷めていた。
いりん子の人は気持ちいいだろうか。
この顔の角度は不細工じゃない?
声の大きさは適度?
いま何時?
ああ、そろそろ感じたふりをしたほうが、時間的にいいかな、なんて。
気遣いといえば聞こえはいいけれど、夢中になる男性をコントロールしているような冷ややかな荷物。
そんな冷ややかな部分を持ってしまっていたから、性的に無我夢中になっているように見える女性が、多分うらやましかったんだよね、裏返しにそういう女性を嫌悪していた。
わたしはあんな風になれない。
あんなはしたない言葉口にするなんて。
崩れる女性がうらやましくて、崩れる妄想を抱く自分に嫌悪して、だから、崩れるずっと手前でブレーキを踏んでいた。
人並みに恋愛だってしてるんだもの、だから初や無垢といって可愛らしいものではなく、ねじれた羨望から生まれるねじれた荷物。
きれいな印象だけでは済まされない荷物をたくさん。
SMで無我夢中になれるかと思っていたけれど、そう簡単に荷物を下ろすことはできなかった。
これには『父性』やら『自己肯定』やら『尊敬』やらSMとは関係ないような事柄を那智さんに埋めてもらってはじめて『下ろせるかも』と感じるようになったのだからね。
数回電話でお話ししただけの人では、相変わらず冷ややかなままだった。
那智さんに出会って、安心して尊敬して父性に包まれて、その中でやっと少しずつ荷物を軽くしていったように思う。
不必要な気遣いや相手を見下してしまうような荷物は早い段階で捨てることができたと思う。
だけど、代わりに新しく大きな荷物を抱えることになっちゃった。
それはね、那智さんが抱えさせたの。
付き合い出した当初から言われていた。
『羞恥心をなくさないで』って。
わたしこれには自信があったの。
別におしとやかとかそんなんじゃなくて、わたしの厄介な『過剰な自意識』は回路を間違えなければ『羞恥心』でいられると思っていたから。
これが、ひとつ那智さんがわたしに抱えさせた荷物。
大きいけれど抱えやすい荷物。
もうひとつ。
これは付き合い出してしばらくしてから那智さんが口にしたこと。
『俺の手で崩れていくりん子を見ていると、80%満足して20%嫌悪する』
那智さん自身も矛盾したことを言っていると理解はしていても、感情としてそう思ってしまうらしい。
崩れることに羨望して、でも嫌悪していたわたしが、那智さんがしてくれるなら崩れる自分を許せるかもしれないと思っていたのに、その那智さんから『嫌悪する』と言われてしまったのよ。
これはかなりショックだった。
『羞恥心をなくさないで』と『20%嫌悪』は那智さんの中では連動しているのもわかる。
あなたに崩されて、それで嫌悪されるとわかっていたら、わたしはこれ以上崩れることはできません。
次々押し寄せる快感に身を委ねてよいものか、躊躇しながらも感じてしまう、結局いつまでも自己嫌悪が付きまとい、わたしは随分その矛盾に苦しめられた。
大きくて重くて、どうやって抱えていいか途方に暮れるような荷物だった。
これは、何度も何度も那智さんと話し合った。
『わたし、羞恥心なくなってないでしょ?』何度も確認して、那智さんに認識してもらう。
『20%嫌悪』がどれだけわたしの足枷になっているか。
お互い気持ちは理解できる、でも感情が付いていかないということを、それでも何度も伝えあった。
いつからかな、那智さんが崩れるわたしに嫌悪しなくなったのは。
はっきりしていないのだけど、いつの間にか崩れるわたしを嫌悪せず、喜ばしいものに変わっていったのだ。
多分、慣れていったのかな!?(笑)
あんな反応していても、ちゃんと元に戻るということを確信できてきたからかな。
それと、どういうりん子になっても、それは那智さん自身が作り出したもので、その感覚がよりはっきりと感じられるようになったこともあるかもしれない。
いずれにしても、『羞恥心をなくさないで』と『20%嫌悪』は那智さんの意識からはなくなった。
だけど、わたしは『20%嫌悪』の苦しさをいつまで経っても拭い去ることができなかった。
不必要な気遣いや見下しの荷物は捨てられたけれど、その替わりの荷物。
羞恥心やモラル自己嫌悪と『20%嫌悪』、結局いろんな荷物を抱えていることに変化はなかった。
もしかしたら、那智さんから追加された荷物が一番わたしにブレーキをかけさせていたかもしれない。
那智さんがいくら『もう嫌悪しない』と言っても、荷物は重いままで、ときどきその苦しさに耐えられず、那智さんにつっかかってしまっていた。
それを払拭できるようになったのは、痛いことがひとつの要因だと思う。
痛いことに拍車を掛けたころ。
もうこの頃那智さんは『20%嫌悪』の感覚はなくなっていたはずだ。
恐らく那智さんは、ひどく痛くして早くわたしを飛ばしてしまうつもりだったのでしょう、いまよりも痛くしていたと思う。
両手を上げて梁に括り、無防備な体に鞭を連打よ!?
そりゃあ、怖いし痛いし、壊れます(笑)
痛みから逃げるようにヒステリックに壊れる、もうブレーキや荷物なんて言っていられない。
なり振り構わずな状態の中で、快感。
壊れても戻れる。
そして、崩れても嫌悪されない。
無理矢理荷物を手放さざるを得ない経験を重ね。
それでも大丈夫と思えるようになっていったのだ。
だから、痛いことは、ブレーキを踏んでしまうわたしの足をすくってくれる大事なこと。
これを繰り返すうちに、崩れ慣れ?していって、最近はちょっとの痛いことででも、すぐに感じてしまえるんじゃないかなって思う。
前エントリーの靴べらの痛さですぐ感じてしまったのは、痛いこと=崩れられるからなんだろうなと書きながら感じた。
そして、そういう状態を『荷物を預ける』と表現している。
これは『制服とおもらし』ではじめて使った言葉なんだけど。
わたし、これ、気に入ってるの^^
不必要な気遣いや見下しといういらない荷物は捨てることができた。
残った、羞恥心やモラル、そして自己嫌悪、これらの必要な荷物は捨てられない。(複雑なんだけど、ふたりの間では『崩れることに自己嫌悪するりん子』っていうのは、ちょっと必要な荷物なのです)
でも、持ったままでは快感にならない。
どこかに置いて来たら不安だ。
だから、那智さんに預けるの。
はい、あなたの手で崩れますから、荷物預かっていてね。終わったら返してもらいますから、安心でしょ!?って。
これではじめて、わたしは安心して快感を得られるみたいです。
靴べらで叩かれて『ふふふ』となってるわたしも、路上でおしっこしてしまうわたしも(ああ、いま書いてても、ごめんなさい!!って思う^^;)、那智さんに荷物を預けているな〜と感じるのです。
この荷物を預けるという感覚などは、付き合いはじめのころには思いも寄らない表現だった。
わたしはもちろん那智さんでさえ、ただひとつの正解があったわけではない。
気持ちにウソをつかず、でも歩み寄り折り合いをつけ、どうすればふたりにとって最適かを、その都度作り上げているように思う。
それのひとつが『荷物を預ける』。
那智さん荷物いっぱいで大変!!と思うけど、その荷物を増やしたのも那智さんなので、申し訳なけれど預かっていてね。
数年間かけてこうなれたなって、しみじみ思う。
抽象的なお話で説明難しいから、ちんぷんかんぷんでしたか!?
しかもいっぱい文中リンク貼っちゃった^^;
濃いお話を好ましいと思ってくださる奇特な方は、秋の夜長に文中リンクで遊んでくださませ^^
追記。
実は、このエントリーを下書きしていた時点で、まだわたしの中では円満解決しているわけではなかった。
那智さんが抱えさせた『20%嫌悪』の荷物の後遺症はとても深く、性的な場面では一旦預けるという方法で対処できていたけれど、また手元に戻ってからは、相変わらずわたしを苦しめていた。
それが、このエントリーをアップするにあたって、那智さんと会話をして、また流れが変わってきたのです。
もしかしたら、晴れて円満解決になるかもしれない。
でも、それは新しい荷物を増やすことに繋がるかもしれない。
どちらにしても、いままでと同じように、互いの心にウソを付かず最適な形を作る努力はしたいと思う気持ちがあるから、きっとどうにかなると明るい気持ちでいられていることは、とても嬉しい。
このこともいつかお話しさせてくださいね。
いろんな荷物を抱えているみたいだった。
特に性的なことに関して。
羞恥心やモラル、それは当然のようにあって、それ以外にも。
誰に抱かれていても、いつもどこか冷めていた。
いりん子の人は気持ちいいだろうか。
この顔の角度は不細工じゃない?
声の大きさは適度?
いま何時?
ああ、そろそろ感じたふりをしたほうが、時間的にいいかな、なんて。
気遣いといえば聞こえはいいけれど、夢中になる男性をコントロールしているような冷ややかな荷物。
そんな冷ややかな部分を持ってしまっていたから、性的に無我夢中になっているように見える女性が、多分うらやましかったんだよね、裏返しにそういう女性を嫌悪していた。
わたしはあんな風になれない。
あんなはしたない言葉口にするなんて。
崩れる女性がうらやましくて、崩れる妄想を抱く自分に嫌悪して、だから、崩れるずっと手前でブレーキを踏んでいた。
人並みに恋愛だってしてるんだもの、だから初や無垢といって可愛らしいものではなく、ねじれた羨望から生まれるねじれた荷物。
きれいな印象だけでは済まされない荷物をたくさん。
SMで無我夢中になれるかと思っていたけれど、そう簡単に荷物を下ろすことはできなかった。
これには『父性』やら『自己肯定』やら『尊敬』やらSMとは関係ないような事柄を那智さんに埋めてもらってはじめて『下ろせるかも』と感じるようになったのだからね。
数回電話でお話ししただけの人では、相変わらず冷ややかなままだった。
那智さんに出会って、安心して尊敬して父性に包まれて、その中でやっと少しずつ荷物を軽くしていったように思う。
不必要な気遣いや相手を見下してしまうような荷物は早い段階で捨てることができたと思う。
だけど、代わりに新しく大きな荷物を抱えることになっちゃった。
それはね、那智さんが抱えさせたの。
付き合い出した当初から言われていた。
『羞恥心をなくさないで』って。
わたしこれには自信があったの。
別におしとやかとかそんなんじゃなくて、わたしの厄介な『過剰な自意識』は回路を間違えなければ『羞恥心』でいられると思っていたから。
これが、ひとつ那智さんがわたしに抱えさせた荷物。
大きいけれど抱えやすい荷物。
もうひとつ。
これは付き合い出してしばらくしてから那智さんが口にしたこと。
『俺の手で崩れていくりん子を見ていると、80%満足して20%嫌悪する』
那智さん自身も矛盾したことを言っていると理解はしていても、感情としてそう思ってしまうらしい。
崩れることに羨望して、でも嫌悪していたわたしが、那智さんがしてくれるなら崩れる自分を許せるかもしれないと思っていたのに、その那智さんから『嫌悪する』と言われてしまったのよ。
これはかなりショックだった。
『羞恥心をなくさないで』と『20%嫌悪』は那智さんの中では連動しているのもわかる。
あなたに崩されて、それで嫌悪されるとわかっていたら、わたしはこれ以上崩れることはできません。
次々押し寄せる快感に身を委ねてよいものか、躊躇しながらも感じてしまう、結局いつまでも自己嫌悪が付きまとい、わたしは随分その矛盾に苦しめられた。
大きくて重くて、どうやって抱えていいか途方に暮れるような荷物だった。
これは、何度も何度も那智さんと話し合った。
『わたし、羞恥心なくなってないでしょ?』何度も確認して、那智さんに認識してもらう。
『20%嫌悪』がどれだけわたしの足枷になっているか。
お互い気持ちは理解できる、でも感情が付いていかないということを、それでも何度も伝えあった。
いつからかな、那智さんが崩れるわたしに嫌悪しなくなったのは。
はっきりしていないのだけど、いつの間にか崩れるわたしを嫌悪せず、喜ばしいものに変わっていったのだ。
多分、慣れていったのかな!?(笑)
あんな反応していても、ちゃんと元に戻るということを確信できてきたからかな。
それと、どういうりん子になっても、それは那智さん自身が作り出したもので、その感覚がよりはっきりと感じられるようになったこともあるかもしれない。
いずれにしても、『羞恥心をなくさないで』と『20%嫌悪』は那智さんの意識からはなくなった。
だけど、わたしは『20%嫌悪』の苦しさをいつまで経っても拭い去ることができなかった。
不必要な気遣いや見下しの荷物は捨てられたけれど、その替わりの荷物。
羞恥心やモラル自己嫌悪と『20%嫌悪』、結局いろんな荷物を抱えていることに変化はなかった。
もしかしたら、那智さんから追加された荷物が一番わたしにブレーキをかけさせていたかもしれない。
那智さんがいくら『もう嫌悪しない』と言っても、荷物は重いままで、ときどきその苦しさに耐えられず、那智さんにつっかかってしまっていた。
それを払拭できるようになったのは、痛いことがひとつの要因だと思う。
痛いことに拍車を掛けたころ。
もうこの頃那智さんは『20%嫌悪』の感覚はなくなっていたはずだ。
恐らく那智さんは、ひどく痛くして早くわたしを飛ばしてしまうつもりだったのでしょう、いまよりも痛くしていたと思う。
両手を上げて梁に括り、無防備な体に鞭を連打よ!?
そりゃあ、怖いし痛いし、壊れます(笑)
痛みから逃げるようにヒステリックに壊れる、もうブレーキや荷物なんて言っていられない。
なり振り構わずな状態の中で、快感。
壊れても戻れる。
そして、崩れても嫌悪されない。
無理矢理荷物を手放さざるを得ない経験を重ね。
それでも大丈夫と思えるようになっていったのだ。
だから、痛いことは、ブレーキを踏んでしまうわたしの足をすくってくれる大事なこと。
これを繰り返すうちに、崩れ慣れ?していって、最近はちょっとの痛いことででも、すぐに感じてしまえるんじゃないかなって思う。
前エントリーの靴べらの痛さですぐ感じてしまったのは、痛いこと=崩れられるからなんだろうなと書きながら感じた。
そして、そういう状態を『荷物を預ける』と表現している。
これは『制服とおもらし』ではじめて使った言葉なんだけど。
わたし、これ、気に入ってるの^^
不必要な気遣いや見下しといういらない荷物は捨てることができた。
残った、羞恥心やモラル、そして自己嫌悪、これらの必要な荷物は捨てられない。(複雑なんだけど、ふたりの間では『崩れることに自己嫌悪するりん子』っていうのは、ちょっと必要な荷物なのです)
でも、持ったままでは快感にならない。
どこかに置いて来たら不安だ。
だから、那智さんに預けるの。
はい、あなたの手で崩れますから、荷物預かっていてね。終わったら返してもらいますから、安心でしょ!?って。
これではじめて、わたしは安心して快感を得られるみたいです。
靴べらで叩かれて『ふふふ』となってるわたしも、路上でおしっこしてしまうわたしも(ああ、いま書いてても、ごめんなさい!!って思う^^;)、那智さんに荷物を預けているな〜と感じるのです。
この荷物を預けるという感覚などは、付き合いはじめのころには思いも寄らない表現だった。
わたしはもちろん那智さんでさえ、ただひとつの正解があったわけではない。
気持ちにウソをつかず、でも歩み寄り折り合いをつけ、どうすればふたりにとって最適かを、その都度作り上げているように思う。
それのひとつが『荷物を預ける』。
那智さん荷物いっぱいで大変!!と思うけど、その荷物を増やしたのも那智さんなので、申し訳なけれど預かっていてね。
数年間かけてこうなれたなって、しみじみ思う。
抽象的なお話で説明難しいから、ちんぷんかんぷんでしたか!?
しかもいっぱい文中リンク貼っちゃった^^;
濃いお話を好ましいと思ってくださる奇特な方は、秋の夜長に文中リンクで遊んでくださませ^^
追記。
実は、このエントリーを下書きしていた時点で、まだわたしの中では円満解決しているわけではなかった。
那智さんが抱えさせた『20%嫌悪』の荷物の後遺症はとても深く、性的な場面では一旦預けるという方法で対処できていたけれど、また手元に戻ってからは、相変わらずわたしを苦しめていた。
それが、このエントリーをアップするにあたって、那智さんと会話をして、また流れが変わってきたのです。
もしかしたら、晴れて円満解決になるかもしれない。
でも、それは新しい荷物を増やすことに繋がるかもしれない。
どちらにしても、いままでと同じように、互いの心にウソを付かず最適な形を作る努力はしたいと思う気持ちがあるから、きっとどうにかなると明るい気持ちでいられていることは、とても嬉しい。
このこともいつかお話しさせてくださいね。