決めるのは、どっち?
りん子的独り言(生意気)
以前のエントリー『諦めない』のちょっと補足です。
こんなわたしのところにも、時々メールが届くことがあります。
『ご主人様と奴隷』という関係についての疑問や『自己肯定』できない気持ちを綴っているからだと思うのですが、奴隷の方やまったくSMとは無縁の方もいら したりして、心が躓いてしまうことは、奴隷もノーマルも関係なく、人や女としてどう感じるかということが大きいのだよねと、改めて思います。
で、わたしは、『奴隷願望と依存願望』も『自己否定感』もちょっとは経験済みなので、少しは共感も客観視もできるかなと思って、いろいろ吠えているわけです。
そのエールのひとつが『諦めない』でした。
この後も、批判的な意見を書きますが、『主従』や『ご主人様と奴隷』と言われる関係を築いていらっしゃる方に言っているのではなくて、自己肯定できずに不当なものに依存して逃れられず苦しんでいる人に向けてです。
その関係で成立されている方々は、大切な片割れを見つけられたことを祝福しています。
ですから、そんな方は、どうかスルーしてくださいね。
「よく頑張ったね」
那智さんはそんなふうに言ってわたしを褒めてくれることは滅多にない。
まだ負の感情を表に出すことに慣れていない付き合いはじめのころには、その苦手な感情の吐き出しをした後に、時々そういって褒めてくれたことはあったけど。
お仕事を手伝ったり、ちょっと気を回して普段より気の利いたことをしたときなどは、感謝の気持ちと『りん子はえらいね〜』なんて冗談半分で褒めてくれたりするけれど。
「よく頑張ったね」という褒め方は、ほとんどされたことがないんじゃないかな。
特に性的な場面では皆無に等しい、はず。
どんなに痛いことをしても、どんなに恥ずかしいことをしても、「よく頑張った」なんて言ってくれない。
だいたい、
「気持ち良くて良かったね。」
だ。
そうなの。
わたしは頑張っていないの。
痛いことの恥ずかしいことも、最初は『えいっ』とするけれど、最終的にはわたしが気持ち良くなっているのだから、頑張っていない。
痛くて泣いても、那智さんからしてみたら『気持ち良くさせてあげてる』わけで、頑張ったねからは程遠いのですね。
裏を返せば、那智さんは、わたしに頑張らせたいとは思わないのでしょう。
どんなに痛がっても怖がっても、『やるときはやる』だ。
頑張るという感覚とは少し違うと思う。
だって、『俺がりん子を気持ち良く幸せにしてるんだから、頑張るもないもないでしょ!?』ということなのだと思う。
だから、恐怖を排除し、様子を見ながら、時間をかけて、頑張らずに快感になるようにわたしに仕込んでいるのだ。
だから、わたしは頑張らない。
ただ、人並みに努力はする。
それは、ひとりの人間、女として、那智さんにいつまでも魅力的だと思ってほしいから。
無頓着で、あんまり自分磨きを得意じゃないのですが…。
仕事も会話も、ちょっとだけ努力している。
それは、とてもわたしを大切にしてくれる那智さんに心地良くしてほしいから。
そして、それをしている自分が一番心地良いからだ。
これは『諦めない』でも書いた。
大好きな人に可愛がられたいと思う、女だもの、努力はする。
『あなたが好きだから、努力する』
もしかしたら、主従関係を結んでいらっしゃる方は、もう少しシビアかもしれない。
『あなたが好きだから、捨てられたくないから、努力する』
(この一見遜ったように見える関係にわたしはちょっと苦しくなるのだけど^^;)
苦しくはなるけれど、これもまだ理解できるし、理解する。
わたしが『諦めない』で書いたのは、
『努力すれば、捨てない』
だ。
わたしが理解できないのは、こちらのほう。
似ているけれど、大きな違いがありますよね。
前者は努力する側の言葉で、後者は努力させたい側の言葉。
違うよね。
大好きな大切な人との関係をより深く強くするためには、努力するのは当然のこと。
それは、奴隷とか関係ない。
自然と当たり前に努力するもの。
それは、努力する側から発するべきだと思うのだ。
それをさせたい側から言われてしまうと、わたしは途端に困惑してしまう。
あなたのために努力したいと思わせてくださいと、思うのだ。
いや、当然恋する女は努力したいと思ってるはずだ。
それなのに『捨てない』を口にするということは。
それでも足りないほどの、尋常じゃない努力を要求しているの?
自然な努力では補えないほどの、何段階も先のことを要求しているの?
そんなご無体なと思ってしまう。
大好きな人に対してだもの努力なんていっぱいできる。
上手に仕込んでくれれば『頑張れ』と言われなくても、できるようになる。
その手間暇を惜しんで、『努力すれば、捨てない』という条件をさせたい側から掲げられてしまうことに困惑する。
それって。
『お菓子買ってくれたら、さわがない』と交換条件を付けて脅す子供のようだと言ったら言い過ぎでしょうか。
大人なんだから、時間をかけて仕込んでちょうだいと思ってしまうのだ。
それが、奴隷だと言われてしまえばそれまでなんですけど^^;
そのスタートが恋心故か、自己肯定できないからか、つい自分を低くしてしまうのであれば。
それはいけないと思って『諦めない』を書いた。
苦しいなら諦めないでと。
どういう関係を作りたいか、どんなポジションにいたいか。
それを決めるのは、ふたりだ。
まして、従わせる側を選んだのなら、そこから先は従う側に関係を決めさせるのだ。
あたなに従いたい、努力したい、そう思わせる器量がほしい。
『従え』『努力しろ』そう口にした途端に、虚勢を張っているように見えてしまうのは、わたしだけだろうか。
そんな脅さなくても、可愛がってくれれば努力もするし、いい女になって跪けるのになって思うのです。
わたしの言っていることは、ある世界ではナンセンスかもしれない。
でも、その立場で、不安定な自分に苦しんでいるならば。(何度も言ってますが、成立されている方は、それでいいのです)
だから、『捨てる』という言葉に怯える必要なんてないと、わたしは思う。
だって、そちら側がそれを言った時点で、もう絶対格好悪いと思ってしまうからだ。
それに怯える必要はないの。
『捨てない』
『捨てないで』
同じ『捨てない』という言葉だけど、それを、どちらから発するか。
その大きな違いを、わたしは感じるのです。
以前のエントリー『諦めない』のちょっと補足です。
こんなわたしのところにも、時々メールが届くことがあります。
『ご主人様と奴隷』という関係についての疑問や『自己肯定』できない気持ちを綴っているからだと思うのですが、奴隷の方やまったくSMとは無縁の方もいら したりして、心が躓いてしまうことは、奴隷もノーマルも関係なく、人や女としてどう感じるかということが大きいのだよねと、改めて思います。
で、わたしは、『奴隷願望と依存願望』も『自己否定感』もちょっとは経験済みなので、少しは共感も客観視もできるかなと思って、いろいろ吠えているわけです。
そのエールのひとつが『諦めない』でした。
この後も、批判的な意見を書きますが、『主従』や『ご主人様と奴隷』と言われる関係を築いていらっしゃる方に言っているのではなくて、自己肯定できずに不当なものに依存して逃れられず苦しんでいる人に向けてです。
その関係で成立されている方々は、大切な片割れを見つけられたことを祝福しています。
ですから、そんな方は、どうかスルーしてくださいね。
「よく頑張ったね」
那智さんはそんなふうに言ってわたしを褒めてくれることは滅多にない。
まだ負の感情を表に出すことに慣れていない付き合いはじめのころには、その苦手な感情の吐き出しをした後に、時々そういって褒めてくれたことはあったけど。
お仕事を手伝ったり、ちょっと気を回して普段より気の利いたことをしたときなどは、感謝の気持ちと『りん子はえらいね〜』なんて冗談半分で褒めてくれたりするけれど。
「よく頑張ったね」という褒め方は、ほとんどされたことがないんじゃないかな。
特に性的な場面では皆無に等しい、はず。
どんなに痛いことをしても、どんなに恥ずかしいことをしても、「よく頑張った」なんて言ってくれない。
だいたい、
「気持ち良くて良かったね。」
だ。
そうなの。
わたしは頑張っていないの。
痛いことの恥ずかしいことも、最初は『えいっ』とするけれど、最終的にはわたしが気持ち良くなっているのだから、頑張っていない。
痛くて泣いても、那智さんからしてみたら『気持ち良くさせてあげてる』わけで、頑張ったねからは程遠いのですね。
裏を返せば、那智さんは、わたしに頑張らせたいとは思わないのでしょう。
どんなに痛がっても怖がっても、『やるときはやる』だ。
頑張るという感覚とは少し違うと思う。
だって、『俺がりん子を気持ち良く幸せにしてるんだから、頑張るもないもないでしょ!?』ということなのだと思う。
だから、恐怖を排除し、様子を見ながら、時間をかけて、頑張らずに快感になるようにわたしに仕込んでいるのだ。
だから、わたしは頑張らない。
ただ、人並みに努力はする。
それは、ひとりの人間、女として、那智さんにいつまでも魅力的だと思ってほしいから。
無頓着で、あんまり自分磨きを得意じゃないのですが…。
仕事も会話も、ちょっとだけ努力している。
それは、とてもわたしを大切にしてくれる那智さんに心地良くしてほしいから。
そして、それをしている自分が一番心地良いからだ。
これは『諦めない』でも書いた。
大好きな人に可愛がられたいと思う、女だもの、努力はする。
『あなたが好きだから、努力する』
もしかしたら、主従関係を結んでいらっしゃる方は、もう少しシビアかもしれない。
『あなたが好きだから、捨てられたくないから、努力する』
(この一見遜ったように見える関係にわたしはちょっと苦しくなるのだけど^^;)
苦しくはなるけれど、これもまだ理解できるし、理解する。
わたしが『諦めない』で書いたのは、
『努力すれば、捨てない』
だ。
わたしが理解できないのは、こちらのほう。
似ているけれど、大きな違いがありますよね。
前者は努力する側の言葉で、後者は努力させたい側の言葉。
違うよね。
大好きな大切な人との関係をより深く強くするためには、努力するのは当然のこと。
それは、奴隷とか関係ない。
自然と当たり前に努力するもの。
それは、努力する側から発するべきだと思うのだ。
それをさせたい側から言われてしまうと、わたしは途端に困惑してしまう。
あなたのために努力したいと思わせてくださいと、思うのだ。
いや、当然恋する女は努力したいと思ってるはずだ。
それなのに『捨てない』を口にするということは。
それでも足りないほどの、尋常じゃない努力を要求しているの?
自然な努力では補えないほどの、何段階も先のことを要求しているの?
そんなご無体なと思ってしまう。
大好きな人に対してだもの努力なんていっぱいできる。
上手に仕込んでくれれば『頑張れ』と言われなくても、できるようになる。
その手間暇を惜しんで、『努力すれば、捨てない』という条件をさせたい側から掲げられてしまうことに困惑する。
それって。
『お菓子買ってくれたら、さわがない』と交換条件を付けて脅す子供のようだと言ったら言い過ぎでしょうか。
大人なんだから、時間をかけて仕込んでちょうだいと思ってしまうのだ。
それが、奴隷だと言われてしまえばそれまでなんですけど^^;
そのスタートが恋心故か、自己肯定できないからか、つい自分を低くしてしまうのであれば。
それはいけないと思って『諦めない』を書いた。
苦しいなら諦めないでと。
どういう関係を作りたいか、どんなポジションにいたいか。
それを決めるのは、ふたりだ。
まして、従わせる側を選んだのなら、そこから先は従う側に関係を決めさせるのだ。
あたなに従いたい、努力したい、そう思わせる器量がほしい。
『従え』『努力しろ』そう口にした途端に、虚勢を張っているように見えてしまうのは、わたしだけだろうか。
そんな脅さなくても、可愛がってくれれば努力もするし、いい女になって跪けるのになって思うのです。
わたしの言っていることは、ある世界ではナンセンスかもしれない。
でも、その立場で、不安定な自分に苦しんでいるならば。(何度も言ってますが、成立されている方は、それでいいのです)
だから、『捨てる』という言葉に怯える必要なんてないと、わたしは思う。
だって、そちら側がそれを言った時点で、もう絶対格好悪いと思ってしまうからだ。
それに怯える必要はないの。
『捨てない』
『捨てないで』
同じ『捨てない』という言葉だけど、それを、どちらから発するか。
その大きな違いを、わたしは感じるのです。