肯定女
りん子的独り言(生意気)
「否定」が好きじゃない。
好きか嫌いかと判断する手前で「肯定」しているので、好き嫌いじゃなくて。多分そういう性質なんだと思う。
友人に『りん子は、「否定!!」と表情に表れてても、「そ、それもありかもね…」と苦しそうに肯定する』と言われたことがあるくらいだ。
咄嗟の判断でも否定しないのだから、普段の生活ではほとんど「否定」なしの人生。
それは違うと思っても、ぐっと飲み込み、『そういう考え方もあるよね、でも、こっちのほうがいいんじゃない?』という言い方を選ぶ。
一旦肯定してから、否定するような。
だから、意見を交わすことはきらいじゃないけど、意見を戦わせることは、苦手。
まあ、円満でよいのだけど、どうしても断らないといけないときなどは、即座に断れずあとで困ったり、断るにしてもすんごい心が疲労してしまったりして、ほんと苦手。
否定するのが好きじゃないのと同じように、人から否定されるのもだめ、これはわかりやすい心ですよね。
わたしの場合は、もうひとつ苦手な「否定」があってね。
それは、「人に否定させる」こともできれば避けたいと思ってしまうのです。
自分が否定するときにパワーがいるから、人にもそのパワーを使わせたくないという気持ちが働くのだと思う。
小さいころから思ってた。
小学生のころとかに、遊びに誘われるでしょ?
断ると「え〜なんで?」「どうして?」と理由を聞いてきたり、「じゃあ、○○が終わったら?」と引き下がらない子がいるけど、わたしはそれができなかった。
誘って、ひと言「否定」させたら、そこですぐ引き下がる、理由も聞かないし「え〜」とかも言わない。
だって、一度「否定」する労力を使わせたのだから、それ以上は申し訳ないと思ってしまうから。
否定されるのがいやという気持ちよりも、否定させることが申し訳ないと思う気持ちが強いのだ。
だから、お願い事が苦手。
まったく、面倒な性格です。
それでも、那智さんをはじめ、少数精鋭で「拒否させてごめんね〜」と思いながらも、お願いできる人には恵まれているので、その人たちはわたしの大切な人。
最近、やっとリンクを作ったのだけど、いままでなかったのはこの「否定させたくない」という性格が原因のひとつでもあったのです。
もともとリンクについての知識がなかったから、知らないものには触れないという気持ちがあったのと、「否定させたくない」という気持ちから作ることができなかったのです。
こちらがリンクさせてもらえば、リンク先のかたも「こちらはどうしようっか」と考えてくれるかもしれなくて、「否定」まではいかなくても「うう、どうしよう」と迷わせてしまうことさえも申し訳なくて、作れなかった。
そんな深く考えずに「好きなところ」ということで、リンクをしたほうが健全に決まってるのだけど、できなかったのです。
あ、でも、2年もブログをやってると、ちょっとずつ「強く」なれるようで、そして、交流もできて、おかげさまでやっとリンクを作ることができたのでした。
まったく、どれだけガラスのハート?
10代なら可愛らしいけど、いい年してこれは情けないだけだよね。
でも、この前、悪いことばかりじゃない?と嬉しい発見をしたのです。
付き合ってる彼にとってわたしは必要ないんじゃないかって危惧する友達が、彼に「わたしのこと必要じゃないでしょ?」と問うたと話してくれた。
もちろん彼は「そんなことないよ、必要だよ」と答えてくれて、その場は解決したのだけど。
こういう話に出会って感じたのです。
ああ、わたしこういう聞き方しないなって。
相手の気持ちを聞いて確かめるような質問自体、あんまりできないけど(那智さんには、しょっちゅうしてるけど^^;)、もし聞くとしたら「わたしのこと必要?」だなって思ったの。
すんごい、微妙な感じなんだけど。
わたしのこと必要?と聞かれて「うん、必要だよ」と答えるのと。
わたしのこと必要じゃない?と聞かれて「ううん、そんなことないよ、必要だよ」と答えるのと。
わたしは、前者を選ぶなって思ったの。
答えは同じだったとしても、最初に否定させなきゃいけない質問のしかたは、しないなと。
そこまで厳密に振り分けていたわけじゃないけど、「否定させたくない」という気持ちから生まれる姿勢は、愛情表現によい効果をもたらすかもしれないと思ったのです。(愛情表現においてですよ、いやなことはいやとちゃっと主張しないといけない場面もあります!!)
だってね、発端は「否定させたくない」という気持ちだったとしても、「わたしのこと好きじゃないんでしょ?」と聞くよりも「わたしのこと好き?」と聞いたほうが、相手の気分がよいのではないですか?
あなたを「疑ってる」と「信じてる」と同じ確認でも印象が変わってきませんか?
「否定させたくない」という気持ちだけでそういう姿勢でいるわけじゃなくて、わたしはもともと「学習能力のない性善説派」なので、基本的になにごとも「肯定」から始まるのですね。
これで、何度も痛い目にもあってるのだけども^^;
でも、人に対して、「疑い」から始めるよりも「信じてる」から始めたほうが、幸せになれそうな気がしたのです。
まあ、もっと大切なのは、わたしのこと好き?と聞くよりも、わたしはあなたが好き!!と意思表示をし続けることだと思いますけどね。
肯定人生も悪くないかなって思ったのでした。
「否定」が好きじゃない。
好きか嫌いかと判断する手前で「肯定」しているので、好き嫌いじゃなくて。多分そういう性質なんだと思う。
友人に『りん子は、「否定!!」と表情に表れてても、「そ、それもありかもね…」と苦しそうに肯定する』と言われたことがあるくらいだ。
咄嗟の判断でも否定しないのだから、普段の生活ではほとんど「否定」なしの人生。
それは違うと思っても、ぐっと飲み込み、『そういう考え方もあるよね、でも、こっちのほうがいいんじゃない?』という言い方を選ぶ。
一旦肯定してから、否定するような。
だから、意見を交わすことはきらいじゃないけど、意見を戦わせることは、苦手。
まあ、円満でよいのだけど、どうしても断らないといけないときなどは、即座に断れずあとで困ったり、断るにしてもすんごい心が疲労してしまったりして、ほんと苦手。
否定するのが好きじゃないのと同じように、人から否定されるのもだめ、これはわかりやすい心ですよね。
わたしの場合は、もうひとつ苦手な「否定」があってね。
それは、「人に否定させる」こともできれば避けたいと思ってしまうのです。
自分が否定するときにパワーがいるから、人にもそのパワーを使わせたくないという気持ちが働くのだと思う。
小さいころから思ってた。
小学生のころとかに、遊びに誘われるでしょ?
断ると「え〜なんで?」「どうして?」と理由を聞いてきたり、「じゃあ、○○が終わったら?」と引き下がらない子がいるけど、わたしはそれができなかった。
誘って、ひと言「否定」させたら、そこですぐ引き下がる、理由も聞かないし「え〜」とかも言わない。
だって、一度「否定」する労力を使わせたのだから、それ以上は申し訳ないと思ってしまうから。
否定されるのがいやという気持ちよりも、否定させることが申し訳ないと思う気持ちが強いのだ。
だから、お願い事が苦手。
まったく、面倒な性格です。
それでも、那智さんをはじめ、少数精鋭で「拒否させてごめんね〜」と思いながらも、お願いできる人には恵まれているので、その人たちはわたしの大切な人。
最近、やっとリンクを作ったのだけど、いままでなかったのはこの「否定させたくない」という性格が原因のひとつでもあったのです。
もともとリンクについての知識がなかったから、知らないものには触れないという気持ちがあったのと、「否定させたくない」という気持ちから作ることができなかったのです。
こちらがリンクさせてもらえば、リンク先のかたも「こちらはどうしようっか」と考えてくれるかもしれなくて、「否定」まではいかなくても「うう、どうしよう」と迷わせてしまうことさえも申し訳なくて、作れなかった。
そんな深く考えずに「好きなところ」ということで、リンクをしたほうが健全に決まってるのだけど、できなかったのです。
あ、でも、2年もブログをやってると、ちょっとずつ「強く」なれるようで、そして、交流もできて、おかげさまでやっとリンクを作ることができたのでした。
まったく、どれだけガラスのハート?
10代なら可愛らしいけど、いい年してこれは情けないだけだよね。
でも、この前、悪いことばかりじゃない?と嬉しい発見をしたのです。
付き合ってる彼にとってわたしは必要ないんじゃないかって危惧する友達が、彼に「わたしのこと必要じゃないでしょ?」と問うたと話してくれた。
もちろん彼は「そんなことないよ、必要だよ」と答えてくれて、その場は解決したのだけど。
こういう話に出会って感じたのです。
ああ、わたしこういう聞き方しないなって。
相手の気持ちを聞いて確かめるような質問自体、あんまりできないけど(那智さんには、しょっちゅうしてるけど^^;)、もし聞くとしたら「わたしのこと必要?」だなって思ったの。
すんごい、微妙な感じなんだけど。
わたしのこと必要?と聞かれて「うん、必要だよ」と答えるのと。
わたしのこと必要じゃない?と聞かれて「ううん、そんなことないよ、必要だよ」と答えるのと。
わたしは、前者を選ぶなって思ったの。
答えは同じだったとしても、最初に否定させなきゃいけない質問のしかたは、しないなと。
そこまで厳密に振り分けていたわけじゃないけど、「否定させたくない」という気持ちから生まれる姿勢は、愛情表現によい効果をもたらすかもしれないと思ったのです。(愛情表現においてですよ、いやなことはいやとちゃっと主張しないといけない場面もあります!!)
だってね、発端は「否定させたくない」という気持ちだったとしても、「わたしのこと好きじゃないんでしょ?」と聞くよりも「わたしのこと好き?」と聞いたほうが、相手の気分がよいのではないですか?
あなたを「疑ってる」と「信じてる」と同じ確認でも印象が変わってきませんか?
「否定させたくない」という気持ちだけでそういう姿勢でいるわけじゃなくて、わたしはもともと「学習能力のない性善説派」なので、基本的になにごとも「肯定」から始まるのですね。
これで、何度も痛い目にもあってるのだけども^^;
でも、人に対して、「疑い」から始めるよりも「信じてる」から始めたほうが、幸せになれそうな気がしたのです。
まあ、もっと大切なのは、わたしのこと好き?と聞くよりも、わたしはあなたが好き!!と意思表示をし続けることだと思いますけどね。
肯定人生も悪くないかなって思ったのでした。
あなたは何タイプ?
独り言
犬タイプと猫タイプで人を分けるけど、わたしは確実に犬だと思う。
一見自由に生きてるようだけど、根っこは不安定で誰かに属していないと不安を感じていたので、もともと「犬タイプ」だろうと思っていたけど、那智さんと付き合うようになって、一層思うようになった。
足下にいて、那智さんだけを見上げて「わん!!」としていたい。
あなたしか見えないという世界にいたい。
テレビ番組で、飼い犬の障害物レースとか時々やるでしょ?
犬が障害物をかいくぐり、飼い主の声を頼りにゴールしてタイムを競うような。
あの一途に走るわんこの姿を見てると胸がきゅっとなる。
ゴールで飼い主に会えて、思いっきり尻尾を振り抱きつく様子を見ると「よかったね〜」と涙まで出てしまうくらい^^;(ただのおやつ目当てだったりする場合もあるけど^^)
そこにね、自分を投影してしまうのです。
そして、脇目も振らず一心不乱に飼い主だけを見ていられるわんこをちょっとうらやましく思う。
実際のわたしは、そうはいっても人間だし良くも悪くも那智さんだけの世界になんていられない。
犬には犬の苦労もあるだろうし、もしかしたら、そこまで一途な生き物でもないかもしれないから、まあ、そのレースの状態だけを見て感じるのだけどね。
そんなのを見てると、ああ、わたしは犬タイプだな〜って思う。
勝手な推測で、性格M多めの人は「犬」で、性癖M多めの人は「猫」のイメージを持っているなぁ。
一括りにはできないけどね。
わたしは、犬タイプだけど、ほんとは猫のほうが大好きで、子供のころも猫を飼っていた。
同じ猫でも、いろいろ。
人懐っこい子もいたし、すんごい綺麗なんだけどすんごい性格悪ーいのもいた^^
だから、○○タイプとしてもまるっきり同じじゃないよね。
わたしの「犬、猫」分けは、「属していたいか、いたくないか」で分けて考えてるところがあるから、例えば「わがままな犬」とか「甘えん坊だけど、猫」なんてのもありだなって思ってる。
わたしは、誰かに属していたいという感覚を持っているから、犬ね。
M女さんのブログを読んでいると、もっともっと忠誠心の強いかたがいっぱいいて、そういうかたこそ生粋の「犬タイプ」なんだろうな〜と感心しちゃう。(なんだ!?生粋って?)
「忠犬」という言葉がぴったり。
中には「番犬」とも言えそうなほど、しっかりとご主人様を守ってるように見られるものもあって、健気だなって思う。
そういう人とお付き合いしてるSさんは、きっといとおしく感じてらっしゃるだろうな〜。
そこにいくと、わたしはダメ犬。
誰かに属していたいという気持ちの犬だから、それと従順や忠誠とはちょっとずれてると思うのです。
お留守番してて、退屈だな〜とごろごろしてるだけ。
それで、ご主人様が帰ってきたら、「待ってました〜!!」と駆け寄り、「待ってたの、待ってたの〜」とまとわりつき、挙げ句の果て嬉しさのあまり粗相をしてしまい、かえって手を煩わせてしまうような…。
精進するなんて、縁遠いダメ犬って感じかな。
だから、健気なM女さんを目にすると、それができることがちょっとうらやましかったりする。
従順に憧れる犬です。
まあ、ポジション的には、楽してすみませんという感じですけども^^;
ああ、今日はこんな感じの独り言ですが、最初にふっと思い出した題材があってね。
それだけじゃ、5行で終わっちゃいそうだったから、ちょっと話を広げてみたら、犬の話で長くなっちゃった。
思い出したのって、くだらないことなんだけど以前友達と話してたこと。
よく、さっきの「犬、猫」みたいに人をタイプ別にする話題って出るよね。
それで、「少年」版を考えて遊んだんだよね。
たまたま公園で走り回る男の子を見て「あの子、猿だね」ってことから始まったの。
男性って女性に比べて、大人になってから「子供時代」を連想しやすいと思いませんか?
女性って、何度か変身してそうだけど、男性って少年の面影を残していそうな。
だから、このときの「少年の区別」は総じて「男って」ってことになっていたのね。
まず、「猿」。
文字通り、猿。
木があったら登りたい。
野っぱらがあったら駆けたい。
体が先に動いちゃう人。
女がいたら「やりたい」?
次は「人間」。
これは、きっと人数多い。
大抵の人は「人間」。
多少の突起はあれ、ごく常識の範囲内で生きていかれる。
だから、例え変態さんでも、日常生活を如才なく送っていれば「人間」。
最後は「機械」。
とっても抽象的で伝わるかな。
あのね、機械のように正確とか几帳面とかそういうんじゃないの。(それは、「人間」)
変わってる人。
そう、「変人」!!(笑)
もちろん、社会人としてまともに暮らしてる人が大半でしょうけど、変人^^;
たとえば、スカートめくりよりも、手製の紙相撲で番付しちゃうとか。
生身の女性より、パソコンが好きとか。
オタクと言ってしまえば、それまでなんだけど、ちょっと違うんだよな〜、とにかく「機械」。
自分が機械だから、人より物!!みたいな感じ?
この3タイプ。
そんな話で盛り上がってたんだ^^
那智さんが「人間」。
負けず嫌いだし、突飛なこと考えたりするけど、極めてまともな「人間」さんだな〜。
と、急にこのタイプ分けを思い出して、書きたくなっちゃったのでした。
5行じゃ終わらなかったね^^
犬タイプと猫タイプで人を分けるけど、わたしは確実に犬だと思う。
一見自由に生きてるようだけど、根っこは不安定で誰かに属していないと不安を感じていたので、もともと「犬タイプ」だろうと思っていたけど、那智さんと付き合うようになって、一層思うようになった。
足下にいて、那智さんだけを見上げて「わん!!」としていたい。
あなたしか見えないという世界にいたい。
テレビ番組で、飼い犬の障害物レースとか時々やるでしょ?
犬が障害物をかいくぐり、飼い主の声を頼りにゴールしてタイムを競うような。
あの一途に走るわんこの姿を見てると胸がきゅっとなる。
ゴールで飼い主に会えて、思いっきり尻尾を振り抱きつく様子を見ると「よかったね〜」と涙まで出てしまうくらい^^;(ただのおやつ目当てだったりする場合もあるけど^^)
そこにね、自分を投影してしまうのです。
そして、脇目も振らず一心不乱に飼い主だけを見ていられるわんこをちょっとうらやましく思う。
実際のわたしは、そうはいっても人間だし良くも悪くも那智さんだけの世界になんていられない。
犬には犬の苦労もあるだろうし、もしかしたら、そこまで一途な生き物でもないかもしれないから、まあ、そのレースの状態だけを見て感じるのだけどね。
そんなのを見てると、ああ、わたしは犬タイプだな〜って思う。
勝手な推測で、性格M多めの人は「犬」で、性癖M多めの人は「猫」のイメージを持っているなぁ。
一括りにはできないけどね。
わたしは、犬タイプだけど、ほんとは猫のほうが大好きで、子供のころも猫を飼っていた。
同じ猫でも、いろいろ。
人懐っこい子もいたし、すんごい綺麗なんだけどすんごい性格悪ーいのもいた^^
だから、○○タイプとしてもまるっきり同じじゃないよね。
わたしの「犬、猫」分けは、「属していたいか、いたくないか」で分けて考えてるところがあるから、例えば「わがままな犬」とか「甘えん坊だけど、猫」なんてのもありだなって思ってる。
わたしは、誰かに属していたいという感覚を持っているから、犬ね。
M女さんのブログを読んでいると、もっともっと忠誠心の強いかたがいっぱいいて、そういうかたこそ生粋の「犬タイプ」なんだろうな〜と感心しちゃう。(なんだ!?生粋って?)
「忠犬」という言葉がぴったり。
中には「番犬」とも言えそうなほど、しっかりとご主人様を守ってるように見られるものもあって、健気だなって思う。
そういう人とお付き合いしてるSさんは、きっといとおしく感じてらっしゃるだろうな〜。
そこにいくと、わたしはダメ犬。
誰かに属していたいという気持ちの犬だから、それと従順や忠誠とはちょっとずれてると思うのです。
お留守番してて、退屈だな〜とごろごろしてるだけ。
それで、ご主人様が帰ってきたら、「待ってました〜!!」と駆け寄り、「待ってたの、待ってたの〜」とまとわりつき、挙げ句の果て嬉しさのあまり粗相をしてしまい、かえって手を煩わせてしまうような…。
精進するなんて、縁遠いダメ犬って感じかな。
だから、健気なM女さんを目にすると、それができることがちょっとうらやましかったりする。
従順に憧れる犬です。
まあ、ポジション的には、楽してすみませんという感じですけども^^;
ああ、今日はこんな感じの独り言ですが、最初にふっと思い出した題材があってね。
それだけじゃ、5行で終わっちゃいそうだったから、ちょっと話を広げてみたら、犬の話で長くなっちゃった。
思い出したのって、くだらないことなんだけど以前友達と話してたこと。
よく、さっきの「犬、猫」みたいに人をタイプ別にする話題って出るよね。
それで、「少年」版を考えて遊んだんだよね。
たまたま公園で走り回る男の子を見て「あの子、猿だね」ってことから始まったの。
男性って女性に比べて、大人になってから「子供時代」を連想しやすいと思いませんか?
女性って、何度か変身してそうだけど、男性って少年の面影を残していそうな。
だから、このときの「少年の区別」は総じて「男って」ってことになっていたのね。
まず、「猿」。
文字通り、猿。
木があったら登りたい。
野っぱらがあったら駆けたい。
体が先に動いちゃう人。
女がいたら「やりたい」?
次は「人間」。
これは、きっと人数多い。
大抵の人は「人間」。
多少の突起はあれ、ごく常識の範囲内で生きていかれる。
だから、例え変態さんでも、日常生活を如才なく送っていれば「人間」。
最後は「機械」。
とっても抽象的で伝わるかな。
あのね、機械のように正確とか几帳面とかそういうんじゃないの。(それは、「人間」)
変わってる人。
そう、「変人」!!(笑)
もちろん、社会人としてまともに暮らしてる人が大半でしょうけど、変人^^;
たとえば、スカートめくりよりも、手製の紙相撲で番付しちゃうとか。
生身の女性より、パソコンが好きとか。
オタクと言ってしまえば、それまでなんだけど、ちょっと違うんだよな〜、とにかく「機械」。
自分が機械だから、人より物!!みたいな感じ?
この3タイプ。
そんな話で盛り上がってたんだ^^
那智さんが「人間」。
負けず嫌いだし、突飛なこと考えたりするけど、極めてまともな「人間」さんだな〜。
と、急にこのタイプ分けを思い出して、書きたくなっちゃったのでした。
5行じゃ終わらなかったね^^
満足
独特な幸福感
優しく洋服を脱がしてもらって、肩を抱くようにベッドへ。
キスをしてゆっくりと体を沈める。
優しいキス、柔らかい愛撫。
今日は、ほんのちょっと素直になれない出来事があったから、優しいのかな?
それとも、これから違うことに発展するのかな?
そんなことがチラッと頭をかすめるけれど、那智さんの腕の中は幸せで、素直に反応できる喜びと安堵に浸ることができた。
あんなことこんなことを終え、腕枕でひと休み。
「どうだった?ノーマルだけっていうのは?」
はい!?
ああ、そうですね、確かにノーマルでした。
あれして、これして、痛いこともなくて虐げることもなくて(どうしてでしょう、ノーマルセックスは恥ずかしくて書けない!!)。
いまのは世間でいう「ノーマルセックス」でした。
この日は「素直」問題や時間の関係などなどで、那智さんが「アブノーマル」をする気がないのかと感じていて、それ以上は意識しないでいたので、「どう?」と聞かれても特別どうとも思わなかった。
那智さんの中では、ちょっとした「お遊び」だったらしい。
とっても幸せで、気持ち良かったです。
ほどなくして、また、わたしの体を触り出した。
乳首を指で潰し、ひねり、ひねったまま潰し、じんじんと痺れるそれを強烈な力でこねくり回す。
ああ、いいです。
この潰される感じが好き。
この前ビューラーで乳首を挟まれたけど、わたし、那智さんの指で潰されるのが好き。(指を使うの、疲れるって言われちゃったの^^;)
指から体を離すわけにはいかず、痛さに耐え、でも、痛さに酔い、結局わたしは離れられないのだ。
「こうするほうが良かったんだ?」
痛さにうつむくわたしの髪を掴み顔を引き上げ、唾液を垂らす。
靴べらで打たれて、真っ赤なお尻を握られて、痛くて大喜びしてる。
そう、これがいいの。
さて、わたしは、最初のノーマルセックスだけだったら、満足したでしょうか。
もしかしたら、行為は「ノーマル」だったとしても、那智さんとわたしの間にある上下関係のようなものがあるから(当人同士ではこの関係も普通のことだけど、一般的にはノーマルじゃないよね)、何をしても精神的にはアブノーマルとも言える?
だから、この関係の上に成り立っているのもはノーマルもアブノーマルもなく、何をしても満足なんだろうか。
実際、後半の「アブノーマル」をするまでは、それで充分幸せだった。
それに、いろんな事情で今日はこれだけかもしれないと無意識に判断していたから、満足していたかもしれない。
那智さんのしてくれることは何でも幸せ。
精神的な「アブノーマル」の上に成り立ってるから、行為は関係ない。
ふたりの愛情表現に、ノーマルとアブノーマルの境い目はない。
それは、嘘じゃない。
でも、それは美しい部分のような気がする。
だって、後半の乳首をひねられ唾液を飲まされたときの快感は、それじゃないものよりも数倍気持ち良いのだもの。
誰でもいいわけじゃない。
むしろ、酷いことになればなるほど那智さんじゃなきゃダメなはず。
心が先か体が先か、わからないけど、那智さんにしてもらう酷いことが一番気持ちよくて幸せだ。
那智さんじゃなきゃということ、そして、やってることの異常さ、それがエスカレートしてしまう怖さ。
そんなことを危惧しながらもこれがないと満足できないのかもしれないと、目の前に突きつけられた気分で、ちょっと困ってしまう。
優しく洋服を脱がしてもらって、肩を抱くようにベッドへ。
キスをしてゆっくりと体を沈める。
優しいキス、柔らかい愛撫。
今日は、ほんのちょっと素直になれない出来事があったから、優しいのかな?
それとも、これから違うことに発展するのかな?
そんなことがチラッと頭をかすめるけれど、那智さんの腕の中は幸せで、素直に反応できる喜びと安堵に浸ることができた。
あんなことこんなことを終え、腕枕でひと休み。
「どうだった?ノーマルだけっていうのは?」
はい!?
ああ、そうですね、確かにノーマルでした。
あれして、これして、痛いこともなくて虐げることもなくて(どうしてでしょう、ノーマルセックスは恥ずかしくて書けない!!)。
いまのは世間でいう「ノーマルセックス」でした。
この日は「素直」問題や時間の関係などなどで、那智さんが「アブノーマル」をする気がないのかと感じていて、それ以上は意識しないでいたので、「どう?」と聞かれても特別どうとも思わなかった。
那智さんの中では、ちょっとした「お遊び」だったらしい。
とっても幸せで、気持ち良かったです。
ほどなくして、また、わたしの体を触り出した。
乳首を指で潰し、ひねり、ひねったまま潰し、じんじんと痺れるそれを強烈な力でこねくり回す。
ああ、いいです。
この潰される感じが好き。
この前ビューラーで乳首を挟まれたけど、わたし、那智さんの指で潰されるのが好き。(指を使うの、疲れるって言われちゃったの^^;)
指から体を離すわけにはいかず、痛さに耐え、でも、痛さに酔い、結局わたしは離れられないのだ。
「こうするほうが良かったんだ?」
痛さにうつむくわたしの髪を掴み顔を引き上げ、唾液を垂らす。
靴べらで打たれて、真っ赤なお尻を握られて、痛くて大喜びしてる。
そう、これがいいの。
さて、わたしは、最初のノーマルセックスだけだったら、満足したでしょうか。
もしかしたら、行為は「ノーマル」だったとしても、那智さんとわたしの間にある上下関係のようなものがあるから(当人同士ではこの関係も普通のことだけど、一般的にはノーマルじゃないよね)、何をしても精神的にはアブノーマルとも言える?
だから、この関係の上に成り立っているのもはノーマルもアブノーマルもなく、何をしても満足なんだろうか。
実際、後半の「アブノーマル」をするまでは、それで充分幸せだった。
それに、いろんな事情で今日はこれだけかもしれないと無意識に判断していたから、満足していたかもしれない。
那智さんのしてくれることは何でも幸せ。
精神的な「アブノーマル」の上に成り立ってるから、行為は関係ない。
ふたりの愛情表現に、ノーマルとアブノーマルの境い目はない。
それは、嘘じゃない。
でも、それは美しい部分のような気がする。
だって、後半の乳首をひねられ唾液を飲まされたときの快感は、それじゃないものよりも数倍気持ち良いのだもの。
誰でもいいわけじゃない。
むしろ、酷いことになればなるほど那智さんじゃなきゃダメなはず。
心が先か体が先か、わからないけど、那智さんにしてもらう酷いことが一番気持ちよくて幸せだ。
那智さんじゃなきゃということ、そして、やってることの異常さ、それがエスカレートしてしまう怖さ。
そんなことを危惧しながらもこれがないと満足できないのかもしれないと、目の前に突きつけられた気分で、ちょっと困ってしまう。
肯定女の抵抗(笑)
独り言
7/11「肯定女」にくださった葉月さんのコメントへのレスです。
長すぎてはじかれちゃった^^;
はじかれたものをそのまま載せるので、葉月さん宛の文章になってますが、こういう人間もいるのね〜とお楽しみいただければありがたいです。
レスをそのままエントリーにさせていただきます。すみません^^>葉月さん
葉月さん
そう、葉月さんのいう通り!!
これは「とりあえず肯定」なんかじゃなくて、大大大肯定です。
人との関わりで、意見を交換したり違いを認め合ったりすることは、醍醐味で大切なことだと思います。
そのようにできればいいのだけど、できない。
だけど、できないなりに「まあ、悪くない」と思えることを見つけたな〜と思ったので「肯定女」をエントリーにしたのでした。
だから、葉月さんの言ってることは健全なご意見です。
と言ってしまうと、そこで話が終わっちゃうから、できない心理のようなものを書いてみますね。
わたしは弱いんだと思う。
自分によって相手が傷付いたり、相手から傷付けられたりに耐える強さがないの。
キャッチボールだとすると。
葉月さんは、強く相手の胸元に届くような球を投げるとしますよね。
相手からも同じような力強い返球がある。
そうすると、「お、やるねえ」とか言いながら、どんどん息も合ってくるのですよね。
わたしは、スポンジのボールを柔らかく投げるのですね。
強く投げると、ときには暴投して相手に怪我を負わせてしまうかもしれない。
そこまでいかなくても、「取りづらい」と一瞬でも不快感を持たれてしまうかもしれない。
それがいやなのですね。
逆を返せば、わたしも豪球を受け取る強さがないのです。
人は弱い球ばかり投げる人には、それほど豪球は投げて来ないもの。
(中には、それにつけ込んでくる人もいるけどね)
弱いくせに、人から必要とされれば放っておけずつい深く関わってしまって、強い球を受け、受けやすい球を返すキャッチボールを繰り返す、それはそれで疲労しちゃうのです。
面倒でしないというよりも、この「疲労感」が強いから避けちゃうように思います。
だから、自己防衛を含めて柔らかい球を投げてキャッチボールをする人を選別してるというのが正直なところ。
強弱だけじゃない感性みたいなものを返ってくる球で試してる。
那智さんは、「弱いことは、ある意味優しさに繋がる。でも、りん子は優しいけど冷たい」っていう。
自己防衛のために壁を作り、キャッチボールする人をふるいにかけるようなことを冷たいと。
いい人ぶってるって言われる^^;だから、葉月さんのコメントは的を得てるって喜んでました^^
それでも、柔らかければなんでもいいというのではないのだけど、柔らかキャッチボールを好む人もいて、その種類が互いに合っているなと感じる場合もあるのです。
だから、リアル生活ではわたしにはごく少数の「柔らかいキャッチボール」が心地良くできる人はいます。
お互いそれが心地良いから普段議論になることはないのだけど、感性が似てるからいざとなったらその人には「否定」も「拒否」もできると思う。
多分、わたしは葉月さんとは違うやり方で、人と関わり、関係を作っているのだと思います(葉月さんには選別という言葉は合わないかもしれないけど)。
ただ、それが、狭くてゆっくりで面白味に欠ける方法かもしれないけれども。
ブログでは、ときどき「否定」が書けるのは、それは壁打ちと同じことのように思います。
まずは、壁打ちして、ちょっと自信が持ててきたから、ただいま「ちょい強キャッチボール」の練習中という感じです。
おかげさまで、ボール投げて来てくださる方々が、増えてきてくれたので^^
あ、でもね、けっこうどうでもいいことで「ディベート」は嫌いじゃないですよ。
「鞭と平手はどっちがいいか」とか?
「排泄と鼻フックはどちらが恥ずかしいか」とか!?
そういうのは、やり合えます!!
ああ、まとまってないかな。
もう、葉月さんったら、共感のほうにもコメントくださいね(笑)
でも、これも、キャッチボールの醍醐味ってやつですね!?ありがとうございました^^
7/11「肯定女」にくださった葉月さんのコメントへのレスです。
長すぎてはじかれちゃった^^;
はじかれたものをそのまま載せるので、葉月さん宛の文章になってますが、こういう人間もいるのね〜とお楽しみいただければありがたいです。
レスをそのままエントリーにさせていただきます。すみません^^>葉月さん
葉月さん
そう、葉月さんのいう通り!!
これは「とりあえず肯定」なんかじゃなくて、大大大肯定です。
人との関わりで、意見を交換したり違いを認め合ったりすることは、醍醐味で大切なことだと思います。
そのようにできればいいのだけど、できない。
だけど、できないなりに「まあ、悪くない」と思えることを見つけたな〜と思ったので「肯定女」をエントリーにしたのでした。
だから、葉月さんの言ってることは健全なご意見です。
と言ってしまうと、そこで話が終わっちゃうから、できない心理のようなものを書いてみますね。
わたしは弱いんだと思う。
自分によって相手が傷付いたり、相手から傷付けられたりに耐える強さがないの。
キャッチボールだとすると。
葉月さんは、強く相手の胸元に届くような球を投げるとしますよね。
相手からも同じような力強い返球がある。
そうすると、「お、やるねえ」とか言いながら、どんどん息も合ってくるのですよね。
わたしは、スポンジのボールを柔らかく投げるのですね。
強く投げると、ときには暴投して相手に怪我を負わせてしまうかもしれない。
そこまでいかなくても、「取りづらい」と一瞬でも不快感を持たれてしまうかもしれない。
それがいやなのですね。
逆を返せば、わたしも豪球を受け取る強さがないのです。
人は弱い球ばかり投げる人には、それほど豪球は投げて来ないもの。
(中には、それにつけ込んでくる人もいるけどね)
弱いくせに、人から必要とされれば放っておけずつい深く関わってしまって、強い球を受け、受けやすい球を返すキャッチボールを繰り返す、それはそれで疲労しちゃうのです。
面倒でしないというよりも、この「疲労感」が強いから避けちゃうように思います。
だから、自己防衛を含めて柔らかい球を投げてキャッチボールをする人を選別してるというのが正直なところ。
強弱だけじゃない感性みたいなものを返ってくる球で試してる。
那智さんは、「弱いことは、ある意味優しさに繋がる。でも、りん子は優しいけど冷たい」っていう。
自己防衛のために壁を作り、キャッチボールする人をふるいにかけるようなことを冷たいと。
いい人ぶってるって言われる^^;だから、葉月さんのコメントは的を得てるって喜んでました^^
それでも、柔らかければなんでもいいというのではないのだけど、柔らかキャッチボールを好む人もいて、その種類が互いに合っているなと感じる場合もあるのです。
だから、リアル生活ではわたしにはごく少数の「柔らかいキャッチボール」が心地良くできる人はいます。
お互いそれが心地良いから普段議論になることはないのだけど、感性が似てるからいざとなったらその人には「否定」も「拒否」もできると思う。
多分、わたしは葉月さんとは違うやり方で、人と関わり、関係を作っているのだと思います(葉月さんには選別という言葉は合わないかもしれないけど)。
ただ、それが、狭くてゆっくりで面白味に欠ける方法かもしれないけれども。
ブログでは、ときどき「否定」が書けるのは、それは壁打ちと同じことのように思います。
まずは、壁打ちして、ちょっと自信が持ててきたから、ただいま「ちょい強キャッチボール」の練習中という感じです。
おかげさまで、ボール投げて来てくださる方々が、増えてきてくれたので^^
あ、でもね、けっこうどうでもいいことで「ディベート」は嫌いじゃないですよ。
「鞭と平手はどっちがいいか」とか?
「排泄と鼻フックはどちらが恥ずかしいか」とか!?
そういうのは、やり合えます!!
ああ、まとまってないかな。
もう、葉月さんったら、共感のほうにもコメントくださいね(笑)
でも、これも、キャッチボールの醍醐味ってやつですね!?ありがとうございました^^
意外な相性
りんりん変態ご飯
夕方のニュース番組でおいしそうなご飯の食べ方をやってました。
お米マイスターという人が教える「おいしいご飯の食べ方」。
お米マイスターですよ!!
そりゃあ、期待も膨らみます。
で、その食べ方とは。
あつあつのご飯に、焼き海苔を用意。
マヨネーズとわさびと醤油をお好みの量で混ぜます。
そして、それにパリパリの焼き海苔を付け、ご飯に載せ、巻き、お口にパクッ。
そう、お醤油を付けて食べる要領でわさびマヨ醤油を付けるのです。
白米好き、マヨ好きのわたしにはたまらない食材!!!
ブログに書こうと思って、思わず画面に食い付きました。
でも、やっぱり実際食べてみてからじゃないと信憑性に欠けるわよね。
ということで、さっそく夕飯でトライしてみました。
適量がわからないから、テレビで見た色に近くなるように、ちょっとマヨ多め。
べちょっと付けて、あつあつご飯へ、巻いてパクッ。
んん、おいしい!!!
でも、絶品というほどでもない。
わさびとお醤油をちょっと増やし、もう一回。
う〜ん、やっぱ、マヨが弱いとつまらない。
おいしいけど、自分好みの適量を見つけるのに、もうちょっと検討の余地がありそうでした。
検討というおかわりで…、今日もご飯をもう一杯^^;。
海苔繋がりで。
以前タモリ倶楽部でやってた簡単おつまみ。
スライスチーズにわさびをちょっと塗り、海苔2枚でサンドイッチするの。
それをお醤油をちょちょっと付けていただきます。
海苔の風味とチーズの濃厚さを、わさびできゅっと締める、そんな感じ。
簡単でいいでしょ?
ビールも進みます。
もうひとつ。
クリームチーズを適当な大きさに切って、また海苔で巻きます。
同じくお醤油を付けて。
これも、ビールでも日本酒でも、わたしは赤ワインでもいっちゃいます^^
これはね、飲み屋さんで「マグロとクリームチーズの湯葉巻き」っていうのをヒントにしました。
湯葉もマグロもなかったから、海苔とクリームチーズだけで^^;
これも簡単で、意外にいけるのです。
なんでしょうね、海苔とチーズって合うのかな?
どうぞ、お試しあれ。
だんだんビールのおいしい季節になってきましたね〜。
おつまみ書いてたら、ビール飲みたくなっちゃった^^
今夜は、どんなおつまみでビール飲もおっかな。
夕方のニュース番組でおいしそうなご飯の食べ方をやってました。
お米マイスターという人が教える「おいしいご飯の食べ方」。
お米マイスターですよ!!
そりゃあ、期待も膨らみます。
で、その食べ方とは。
あつあつのご飯に、焼き海苔を用意。
マヨネーズとわさびと醤油をお好みの量で混ぜます。
そして、それにパリパリの焼き海苔を付け、ご飯に載せ、巻き、お口にパクッ。
そう、お醤油を付けて食べる要領でわさびマヨ醤油を付けるのです。
白米好き、マヨ好きのわたしにはたまらない食材!!!
ブログに書こうと思って、思わず画面に食い付きました。
でも、やっぱり実際食べてみてからじゃないと信憑性に欠けるわよね。
ということで、さっそく夕飯でトライしてみました。
適量がわからないから、テレビで見た色に近くなるように、ちょっとマヨ多め。
べちょっと付けて、あつあつご飯へ、巻いてパクッ。
んん、おいしい!!!
でも、絶品というほどでもない。
わさびとお醤油をちょっと増やし、もう一回。
う〜ん、やっぱ、マヨが弱いとつまらない。
おいしいけど、自分好みの適量を見つけるのに、もうちょっと検討の余地がありそうでした。
検討というおかわりで…、今日もご飯をもう一杯^^;。
海苔繋がりで。
以前タモリ倶楽部でやってた簡単おつまみ。
スライスチーズにわさびをちょっと塗り、海苔2枚でサンドイッチするの。
それをお醤油をちょちょっと付けていただきます。
海苔の風味とチーズの濃厚さを、わさびできゅっと締める、そんな感じ。
簡単でいいでしょ?
ビールも進みます。
もうひとつ。
クリームチーズを適当な大きさに切って、また海苔で巻きます。
同じくお醤油を付けて。
これも、ビールでも日本酒でも、わたしは赤ワインでもいっちゃいます^^
これはね、飲み屋さんで「マグロとクリームチーズの湯葉巻き」っていうのをヒントにしました。
湯葉もマグロもなかったから、海苔とクリームチーズだけで^^;
これも簡単で、意外にいけるのです。
なんでしょうね、海苔とチーズって合うのかな?
どうぞ、お試しあれ。
だんだんビールのおいしい季節になってきましたね〜。
おつまみ書いてたら、ビール飲みたくなっちゃった^^
今夜は、どんなおつまみでビール飲もおっかな。