りん子性処理奴隷の道
非日常的な日常
いま、わたしはバス停でバスを待っています。
つい30分ほど前までは、こんな予定じゃなかったの。
今日は午前中バタバタする予定だったから、その後は用事を入れずに「自分のため」の時間にするつもりでした。
でも、30分前のお電話の那智さんからいただいたお言葉で急きょ予定変更となったのです。
「口と手で抜かせたい」
と、性処理のご命令をいただいたので、わたしは喜んで身支度を急ぎ、いまバス停でバスを待っています。
わたしは、那智さんの性処理奴隷。
わたしに「自分のため」はありません、わたしの心も体もすべては那智さんのもの。
那智さんの使いたいときに、使いたいだけ使っていただくための存在です。
那智さんが気持ち良くなってくださって、ご満足いただければ、それがわたしの幸せです。
自分の快感なんて二の次です。
いま、わたしはバス停でバスを待ってます。
今日は午前中忙しかったから、ランチのお誘いを断っていたのに、那智さんに「口と手で抜かせたかったのにな〜」と言われて、急きょ行くことに決めたのです。
ああ、そのためだけに呼ばれるわたし。
なんだか「性処理奴隷」じゃないですか!?
バス停でバスを待つ間。
那智さんと電話が繋がり、話してみる。
「こんな視点でブログしましょうか?性処理奴隷の健気なりん子視点。」
で、上の「今日の出来事性処理バージョン」を話しはじめてみる。
「嘘ばっかり…(笑)」
はい、ごめんなさい。
うそ、いっぱいついてます。
かわいいM女を装ってみましたけど、やっぱり無理!!
「抜かせたかった」の一言で、ぐわーんと快感が押し寄せる。
そのためだけに呼び出される、それに応じる、理不尽な状況に感じる。
きっと、自分の体の快感は二の次かもしれない、でも、その「理不尽な関係」ということに、圧倒的に感じてる。
表だけみれば、抜くために出かける自分滅私のいわゆる「性処理M女」?
だけど、中身は全然違う。
そこに圧倒的な快感を覚えているの。
だから、那智さんのためであって、わたしのためでもある。
感じちゃってるんだもの、ぜんぜん健気なM女じゃなーい!!
だけど、一見この「理不尽な関係」ともいえる30分前からの出来事は、那智さんとわたしの間で「新しい」感覚だったのだ。
「新しい感覚」を受け入れられてしまったことに驚いたわたし。
だから、ちょっと今日は仕様変更で「性処理奴隷」バージョン^^
こういう視点、ちょっとかわいいし支持率上がりそう?で、言ってみたかったの。
だけど、やっぱり、感じてしまってるわたしには「嘘ばっかり」なことになってしまったのでした^^;
この那智さんも感じた「新しい感覚」。
性処理奴隷のりん子の時間は、どういう結果になるのでしょう。
それは、次回かな?
いま、わたしはバス停でバスを待っています。
つい30分ほど前までは、こんな予定じゃなかったの。
今日は午前中バタバタする予定だったから、その後は用事を入れずに「自分のため」の時間にするつもりでした。
でも、30分前のお電話の那智さんからいただいたお言葉で急きょ予定変更となったのです。
「口と手で抜かせたい」
と、性処理のご命令をいただいたので、わたしは喜んで身支度を急ぎ、いまバス停でバスを待っています。
わたしは、那智さんの性処理奴隷。
わたしに「自分のため」はありません、わたしの心も体もすべては那智さんのもの。
那智さんの使いたいときに、使いたいだけ使っていただくための存在です。
那智さんが気持ち良くなってくださって、ご満足いただければ、それがわたしの幸せです。
自分の快感なんて二の次です。
いま、わたしはバス停でバスを待ってます。
今日は午前中忙しかったから、ランチのお誘いを断っていたのに、那智さんに「口と手で抜かせたかったのにな〜」と言われて、急きょ行くことに決めたのです。
ああ、そのためだけに呼ばれるわたし。
なんだか「性処理奴隷」じゃないですか!?
バス停でバスを待つ間。
那智さんと電話が繋がり、話してみる。
「こんな視点でブログしましょうか?性処理奴隷の健気なりん子視点。」
で、上の「今日の出来事性処理バージョン」を話しはじめてみる。
「嘘ばっかり…(笑)」
はい、ごめんなさい。
うそ、いっぱいついてます。
かわいいM女を装ってみましたけど、やっぱり無理!!
「抜かせたかった」の一言で、ぐわーんと快感が押し寄せる。
そのためだけに呼び出される、それに応じる、理不尽な状況に感じる。
きっと、自分の体の快感は二の次かもしれない、でも、その「理不尽な関係」ということに、圧倒的に感じてる。
表だけみれば、抜くために出かける自分滅私のいわゆる「性処理M女」?
だけど、中身は全然違う。
そこに圧倒的な快感を覚えているの。
だから、那智さんのためであって、わたしのためでもある。
感じちゃってるんだもの、ぜんぜん健気なM女じゃなーい!!
だけど、一見この「理不尽な関係」ともいえる30分前からの出来事は、那智さんとわたしの間で「新しい」感覚だったのだ。
「新しい感覚」を受け入れられてしまったことに驚いたわたし。
だから、ちょっと今日は仕様変更で「性処理奴隷」バージョン^^
こういう視点、ちょっとかわいいし支持率上がりそう?で、言ってみたかったの。
だけど、やっぱり、感じてしまってるわたしには「嘘ばっかり」なことになってしまったのでした^^;
この那智さんも感じた「新しい感覚」。
性処理奴隷のりん子の時間は、どういう結果になるのでしょう。
それは、次回かな?
理不尽な関係1
非日常的な日常
昨日の続きです。
那智さんが「明日、来る?」と言ってくるときは、よほどわたしに会いたいときか(笑)、一緒にお仕事してる人がお休みのとき。
案の定、もらったメールには「明日、来る?○○いないから。」と書いてあった。
お仕事場にひとりということは、そこでちょっとかまえるよっていうことなんだ。
残念ながら、「明日」はわたしの予定が不確かだった。
「明日は、○○だから、時間がはっきりしないので、なんとも言えません。」
と、お返事する。
翌日、○○の予定終了時刻が見えてきて、午前から午後にかけてのだいたいのスケジュールが立てられるようになったころ、那智さんから電話が入った。
「今日、どうする?」
わたしは、昨日のメールでランチに行くことはなしになっていたと解釈していたから、ちょっと驚いた。
「だいたい、○時のはそちらに向かえそうですけど、ちょっと読めないし、○時に出たとしても12時は過ぎちゃいますよ。」
「なんだ、来ないの?○○休みなのに。来いよ。」
那智さんにしてはめずらしく引き下がらない。
普通、わたしがちょっと難色を示すとそこで話はおしまいになるのに。
なにかあったのか、逆に心配になってしまった。
「那智さん、なにかあったのですか?」
「いや、口と手で抜かせたかったなと思って。」
それだけ?
往復で2時間半、会っている時間は約一時間、そのためだけに呼ぶ?
いい。
いいと思ってしまった。
SM関係なく、恋愛においても、「怒らない私」はある意味ずっと理不尽な関係を作ってきていた。
いやなことをいやと言えないで、相手を増長させる、顔色を伺い下手に出てしまう付き合いは、理不尽な関係といえよう。
だから、那智さんとは、ぜったい「理不尽な関係」にはなるまいと、とてもとても意識していた。
那智さんはわたしを尊重してくれて大切に扱ってくれるから、わたしも思う存分「理不尽じゃない関係」に慣れることができたのだと思う。
SM的な行為もお仕事のお手伝いも、そう感じずにできたのは端々に「わたしを大切にしてくれてる」ということを感じさせてくれていたからだ。
それでも、ほんのちょっとでも、そういう扱いに近いことをされると、傷付き、それはいやと訴えてきた。
だから、ずっと警戒していた。
それが、「抜く」ためだけに呼ぶ?
予定がはっきりせずに、ためらってるのに?
いい。
そのために呼ぶ、それに答えて予定を変える。
その理不尽な関係がいいと感じてしまった。
携帯を耳に当てながら、それ、いい、と思ってしまった。
「那智さん、そのために呼ぼうと?」
「うん。」
「会いたいと抜きたいでは、何%ずつですか?」
「…会いたい60%、抜きたい60%。」(わたしたちは、%の話をするとき合計100%を超えることもありにしてるんです)
ああ、那智さん、会いたいがもっと低くてもいいです。
抜きたいだけで、呼びつける、それでいいのに。
そんなふうに思ってる。
「じゃあ、りん子は?会いたいとくわえたいと…あといかせてほしいも入れよう。何%ずつ?」
「会いたい100%、お口も100%で、いかせてほしいは30%くらいです。いかなくてもいい。」
「わかった、じゃあ、おいで。」
「はい、急いで支度します。」
この会話で、もう濡れていることをわたしは感じていた。
わたし、理不尽な扱いに喜んでる。
いままでも、カラオケランチでいかせてもらえなかったり、時間的に那智さんだけいってわたしはちょっとなんてこともあった。
わざと「りん子はいかせるのやめようかな〜」なんて言って遊ばれたりもあった。
でも、どれも「りん子をかまう」ことから派生していた。
だから、理不尽な関係に警戒していたわたしも、安心していられたのだ。
それなのに、まったくの那智さん主体の発言に感じているのだ。
お役に立ちたい。
要望に応えたい。
おちんちんがしゃぶれる。
もしかしたら、かまってもらえるかも。
会いたい。
どれも、ゼロじゃないけど、すごく少ない。
それだけのために呼ばれる、ただただそれに感じてしまっているのだ。
どうしてしまったの、わたし。
濡れて濡れてしかたがない。
急いで支度をしながら、早く那智さんに会いたいと思う。
いままでにない形でわたしを呼び寄せ、好き勝手にしてほしい。
バスに乗り。
一番後ろの席に座る。
後ろの一列には誰もいない。
斜め前に初老の男性。
ふたつ前に若い女性。
那智さんにメールを送る。
「バスの中で感じていていいですか?」
目を閉じ、寝たふりをして、腰をずらし太腿をすり合わせ、ときときわざと膝を開き、快感を持続させるようにする。
ああ、わたし、おかしい。
抜きにおいでと言われていそいそと出かけ、バスの中で快感に浸る。
これでとてもとても感じてるわたしは、驚きとともに、ちょっと嬉しくもあった。
理不尽な扱いはわたしを傷付け、だから、それをとても警戒していた。
那智さんに対しても、ちょっとでもそのような扱いを受けると傷付き、訴えていた。
そのハードルがなくなったみたいなのだ。
それほどまでに、那智さんを信頼できてきたのだろうと思えたことが、嬉しかった。
だから警戒を解けるかもしれないという、解放感にも浸っていた。
昨日の続きです。
那智さんが「明日、来る?」と言ってくるときは、よほどわたしに会いたいときか(笑)、一緒にお仕事してる人がお休みのとき。
案の定、もらったメールには「明日、来る?○○いないから。」と書いてあった。
お仕事場にひとりということは、そこでちょっとかまえるよっていうことなんだ。
残念ながら、「明日」はわたしの予定が不確かだった。
「明日は、○○だから、時間がはっきりしないので、なんとも言えません。」
と、お返事する。
翌日、○○の予定終了時刻が見えてきて、午前から午後にかけてのだいたいのスケジュールが立てられるようになったころ、那智さんから電話が入った。
「今日、どうする?」
わたしは、昨日のメールでランチに行くことはなしになっていたと解釈していたから、ちょっと驚いた。
「だいたい、○時のはそちらに向かえそうですけど、ちょっと読めないし、○時に出たとしても12時は過ぎちゃいますよ。」
「なんだ、来ないの?○○休みなのに。来いよ。」
那智さんにしてはめずらしく引き下がらない。
普通、わたしがちょっと難色を示すとそこで話はおしまいになるのに。
なにかあったのか、逆に心配になってしまった。
「那智さん、なにかあったのですか?」
「いや、口と手で抜かせたかったなと思って。」
それだけ?
往復で2時間半、会っている時間は約一時間、そのためだけに呼ぶ?
いい。
いいと思ってしまった。
SM関係なく、恋愛においても、「怒らない私」はある意味ずっと理不尽な関係を作ってきていた。
いやなことをいやと言えないで、相手を増長させる、顔色を伺い下手に出てしまう付き合いは、理不尽な関係といえよう。
だから、那智さんとは、ぜったい「理不尽な関係」にはなるまいと、とてもとても意識していた。
那智さんはわたしを尊重してくれて大切に扱ってくれるから、わたしも思う存分「理不尽じゃない関係」に慣れることができたのだと思う。
SM的な行為もお仕事のお手伝いも、そう感じずにできたのは端々に「わたしを大切にしてくれてる」ということを感じさせてくれていたからだ。
それでも、ほんのちょっとでも、そういう扱いに近いことをされると、傷付き、それはいやと訴えてきた。
だから、ずっと警戒していた。
それが、「抜く」ためだけに呼ぶ?
予定がはっきりせずに、ためらってるのに?
いい。
そのために呼ぶ、それに答えて予定を変える。
その理不尽な関係がいいと感じてしまった。
携帯を耳に当てながら、それ、いい、と思ってしまった。
「那智さん、そのために呼ぼうと?」
「うん。」
「会いたいと抜きたいでは、何%ずつですか?」
「…会いたい60%、抜きたい60%。」(わたしたちは、%の話をするとき合計100%を超えることもありにしてるんです)
ああ、那智さん、会いたいがもっと低くてもいいです。
抜きたいだけで、呼びつける、それでいいのに。
そんなふうに思ってる。
「じゃあ、りん子は?会いたいとくわえたいと…あといかせてほしいも入れよう。何%ずつ?」
「会いたい100%、お口も100%で、いかせてほしいは30%くらいです。いかなくてもいい。」
「わかった、じゃあ、おいで。」
「はい、急いで支度します。」
この会話で、もう濡れていることをわたしは感じていた。
わたし、理不尽な扱いに喜んでる。
いままでも、カラオケランチでいかせてもらえなかったり、時間的に那智さんだけいってわたしはちょっとなんてこともあった。
わざと「りん子はいかせるのやめようかな〜」なんて言って遊ばれたりもあった。
でも、どれも「りん子をかまう」ことから派生していた。
だから、理不尽な関係に警戒していたわたしも、安心していられたのだ。
それなのに、まったくの那智さん主体の発言に感じているのだ。
お役に立ちたい。
要望に応えたい。
おちんちんがしゃぶれる。
もしかしたら、かまってもらえるかも。
会いたい。
どれも、ゼロじゃないけど、すごく少ない。
それだけのために呼ばれる、ただただそれに感じてしまっているのだ。
どうしてしまったの、わたし。
濡れて濡れてしかたがない。
急いで支度をしながら、早く那智さんに会いたいと思う。
いままでにない形でわたしを呼び寄せ、好き勝手にしてほしい。
バスに乗り。
一番後ろの席に座る。
後ろの一列には誰もいない。
斜め前に初老の男性。
ふたつ前に若い女性。
那智さんにメールを送る。
「バスの中で感じていていいですか?」
目を閉じ、寝たふりをして、腰をずらし太腿をすり合わせ、ときときわざと膝を開き、快感を持続させるようにする。
ああ、わたし、おかしい。
抜きにおいでと言われていそいそと出かけ、バスの中で快感に浸る。
これでとてもとても感じてるわたしは、驚きとともに、ちょっと嬉しくもあった。
理不尽な扱いはわたしを傷付け、だから、それをとても警戒していた。
那智さんに対しても、ちょっとでもそのような扱いを受けると傷付き、訴えていた。
そのハードルがなくなったみたいなのだ。
それほどまでに、那智さんを信頼できてきたのだろうと思えたことが、嬉しかった。
だから警戒を解けるかもしれないという、解放感にも浸っていた。
理不尽な関係2
非日常的な日常
お仕事場に到着して、那智さんを前にするけど、感じていることととそれを伝えてあることで、恥ずかしくってしょうがない。
そわそわ、もじもじ。
おいでと言われ、那智さんのデスクの下に潜り込む。
那智さんの幸せの足下だ。
ここにいられるだけで来た甲斐があるとさえ思ってしまう。
すぐ、フェラチオをするのかと思っていたけど、その気配がない。
所在なさげにうつむいてると「ご褒美あげるね」と顔を上に向けられる。
唇に指が触れて、ビンタの合図。
左右、3発ずつ。
頬が痺れ、耳がキーンとする。
ご褒美?
ふふ、ご褒美ですね。
今日はこれだけかもしれない、それでもいい。
というか、この先のことを考える気持ちがないのだ。
不思議なもので、「それだけで呼ばれる」ということに感じてしまってるわたしは、その理不尽な関係に身を置き安心してしまっている。
好き勝手にしてくれればいい、だから、先のことは考えないという感じ。
ビンタで頭がぼーっとしている。
覆いかぶさるように見下ろす那智さんと目が合う。
「おちんちんくわえたいですって言ってごらん。」
「おちんちん、くわえたいです。」
「どうぞ。」
ズボンのファスナーを下ろし、下着から出す。
はやる気持ちを抑えて、繊細なものを扱うように大事に大事に。
舌全部を使ってアイスキャンディーを舐めるように下から上に舐める。
顔をずらして全部の方向から、同じ感じで。
先端部分を舌の先でくすぐるように、舌全体で押し付け、強弱をつけて舐める。
自分自身をじらす、まだお口にはふくまないの。
今度は唇で舐める、下から上に、ぐるっと一周するさせる。
じゅるじゅると音を立て、感じているからどんどん吐息も激しくなる。
ああ、那智さんのおちんちん、嬉しい。
自分でじらして自分で焦がれてる。
我慢できなくなって、くわえる。
浅く、深く。
舌を絡め、歯を当てて。
夢中で頬張っていると声が聞こえてきた。
「いいこと言ってあげようか。…自分で触っていいよ。」
許してもらえた。
わたしが気持ち良くなることを。
フェラチオしながら、オナニーをする、はしたない女になることを。
体勢を変えて、下着に手を入れる。
おしっこをもらしたように濡れている。
右手で触り、左手をおちんちんに添える。
もう、気持ち良くってたまらないです。
那智さんが髪を撫でてくれている。
優しく、優しく。
「りん子、いいこだね。」
いいこなの?
こんなにはしたないけど、いいこ?
その言葉は、わたしには救いの言葉。
理性の壁を崩す、最後の一押し。
もっと気持ち良くなりたいと思う気持ちが、羞恥心を凌駕して、わたしは、快感に没頭できるように足を投げ出し腰を揺らす。
「いいこ、いいこ、かわいいよ。」
子守唄のようにいってくれてる。
撫でていた手が、髪から離れ、その両腕がわたしの頭を抱える。
優しく大きく、愛しいものを扱うように。
「いいこ、いいこ」
ああ、幸せ。
気持ち良くって、大切にされて、わたし、とっても幸せ。
いやらしい自分を自覚してから、ずっと何年も何年も、その自分を嫌悪していた。
那智さんに認めてもらうことで、少しずつ少しずつ許せてきた。
肯定されるなかで、いやらしくなれることが、とても嬉しい。
「なあ、りん子、いままでで一番幸せなオナニーだろ。」
「はい…。那智さんいってもいいですか?」
はい、那智さん、これ、いままでで一番幸せなオナニーです。
自慰するたびに、ほんの少し自分を傷付けてるような感じがしていた。
那智さんに聞いてもらうだけで、恥ずかしいけど、傷付かずにすんでいた。
ああ、でも、今日のが一番幸せ。
頭を抱きかかえられているけど、わたし全部を抱きしめてもらっているようだ。
安心の羊水に漂うみたい。
気が付けば、フェラチオすることも忘れて、わたしだけ先にいってる^^;
理不尽な呼び出しのはずのに。
わたしのほうが、体も心も気持ち良くなってるぞ。
結局、そのあとも何度もいき、トイレで抱かれ、いつもとなにも変わらない時間に。
きっと、那智さんはかまいたがり、これが那智さんの好き勝手なのでしょう。
理不尽な関係のはじめの一歩のようなスタートだったこの日のランチデート。
蓋を開けてみれば、いつもと変わらない時間になっていた。
ただ、この日の変化は那智さんも感じていたらしい。
「今日の感覚はまずいかも。たくさん呼び出したくなるひとつの要因になる。」と後日メールで言われた。
わたしは那智さんの性処理奴隷じゃないから、那智さんがわたしに会いたいと思うのは、いろんな要素はあるけれど「会いたい」が大前提だったはず。
それなのに、今回は「抜きたい(欲情)」というだけで呼びつけた。
最初は「会いたい60%、抜きたい60%」と言っていたけど、わたしが「会いたい100%、くわえたい100%、いきたいは30%」と答えた時点で(昨日のエントリーの会話です)、那智さんのパーセンテージは一気に「抜きたい(欲情)」に振られたのだそうだ。
だから、「おいで」といったときには、抜かせたいという気持ちが大半だったのです。
その理由で呼び出しても、喜ぶわたし、その結果、結局お互いに幸せな時間を共有できた事実。
それらを省みると、「那智さんの都合で呼び出す」という、理不尽な関係が成立してしまうと那智さんも感じたのだろう。
これは、ふたりにとって、なにか新しい関係のはじまりになるのだろうか。
理不尽な関係にならないために、一生懸命警戒していたハードルを下げることは、一種の心地良い開放感をくれる。
でも、まだ、ちょっと怖い。
歪んだ関係にならないように、ハードルは下げたけど、まだ、なくすまでにはなれないな。
ああ、でも、歪んだ関係も、那智さんとならいいかもしれないと思ってしまうわたしもいて、わたし自身にも警戒しなくちゃ。
と、結果的にさんざんかわいがってもらって大喜びしたくせに、何食わぬ顔でハードル直してます。
お仕事場に到着して、那智さんを前にするけど、感じていることととそれを伝えてあることで、恥ずかしくってしょうがない。
そわそわ、もじもじ。
おいでと言われ、那智さんのデスクの下に潜り込む。
那智さんの幸せの足下だ。
ここにいられるだけで来た甲斐があるとさえ思ってしまう。
すぐ、フェラチオをするのかと思っていたけど、その気配がない。
所在なさげにうつむいてると「ご褒美あげるね」と顔を上に向けられる。
唇に指が触れて、ビンタの合図。
左右、3発ずつ。
頬が痺れ、耳がキーンとする。
ご褒美?
ふふ、ご褒美ですね。
今日はこれだけかもしれない、それでもいい。
というか、この先のことを考える気持ちがないのだ。
不思議なもので、「それだけで呼ばれる」ということに感じてしまってるわたしは、その理不尽な関係に身を置き安心してしまっている。
好き勝手にしてくれればいい、だから、先のことは考えないという感じ。
ビンタで頭がぼーっとしている。
覆いかぶさるように見下ろす那智さんと目が合う。
「おちんちんくわえたいですって言ってごらん。」
「おちんちん、くわえたいです。」
「どうぞ。」
ズボンのファスナーを下ろし、下着から出す。
はやる気持ちを抑えて、繊細なものを扱うように大事に大事に。
舌全部を使ってアイスキャンディーを舐めるように下から上に舐める。
顔をずらして全部の方向から、同じ感じで。
先端部分を舌の先でくすぐるように、舌全体で押し付け、強弱をつけて舐める。
自分自身をじらす、まだお口にはふくまないの。
今度は唇で舐める、下から上に、ぐるっと一周するさせる。
じゅるじゅると音を立て、感じているからどんどん吐息も激しくなる。
ああ、那智さんのおちんちん、嬉しい。
自分でじらして自分で焦がれてる。
我慢できなくなって、くわえる。
浅く、深く。
舌を絡め、歯を当てて。
夢中で頬張っていると声が聞こえてきた。
「いいこと言ってあげようか。…自分で触っていいよ。」
許してもらえた。
わたしが気持ち良くなることを。
フェラチオしながら、オナニーをする、はしたない女になることを。
体勢を変えて、下着に手を入れる。
おしっこをもらしたように濡れている。
右手で触り、左手をおちんちんに添える。
もう、気持ち良くってたまらないです。
那智さんが髪を撫でてくれている。
優しく、優しく。
「りん子、いいこだね。」
いいこなの?
こんなにはしたないけど、いいこ?
その言葉は、わたしには救いの言葉。
理性の壁を崩す、最後の一押し。
もっと気持ち良くなりたいと思う気持ちが、羞恥心を凌駕して、わたしは、快感に没頭できるように足を投げ出し腰を揺らす。
「いいこ、いいこ、かわいいよ。」
子守唄のようにいってくれてる。
撫でていた手が、髪から離れ、その両腕がわたしの頭を抱える。
優しく大きく、愛しいものを扱うように。
「いいこ、いいこ」
ああ、幸せ。
気持ち良くって、大切にされて、わたし、とっても幸せ。
いやらしい自分を自覚してから、ずっと何年も何年も、その自分を嫌悪していた。
那智さんに認めてもらうことで、少しずつ少しずつ許せてきた。
肯定されるなかで、いやらしくなれることが、とても嬉しい。
「なあ、りん子、いままでで一番幸せなオナニーだろ。」
「はい…。那智さんいってもいいですか?」
はい、那智さん、これ、いままでで一番幸せなオナニーです。
自慰するたびに、ほんの少し自分を傷付けてるような感じがしていた。
那智さんに聞いてもらうだけで、恥ずかしいけど、傷付かずにすんでいた。
ああ、でも、今日のが一番幸せ。
頭を抱きかかえられているけど、わたし全部を抱きしめてもらっているようだ。
安心の羊水に漂うみたい。
気が付けば、フェラチオすることも忘れて、わたしだけ先にいってる^^;
理不尽な呼び出しのはずのに。
わたしのほうが、体も心も気持ち良くなってるぞ。
結局、そのあとも何度もいき、トイレで抱かれ、いつもとなにも変わらない時間に。
きっと、那智さんはかまいたがり、これが那智さんの好き勝手なのでしょう。
理不尽な関係のはじめの一歩のようなスタートだったこの日のランチデート。
蓋を開けてみれば、いつもと変わらない時間になっていた。
ただ、この日の変化は那智さんも感じていたらしい。
「今日の感覚はまずいかも。たくさん呼び出したくなるひとつの要因になる。」と後日メールで言われた。
わたしは那智さんの性処理奴隷じゃないから、那智さんがわたしに会いたいと思うのは、いろんな要素はあるけれど「会いたい」が大前提だったはず。
それなのに、今回は「抜きたい(欲情)」というだけで呼びつけた。
最初は「会いたい60%、抜きたい60%」と言っていたけど、わたしが「会いたい100%、くわえたい100%、いきたいは30%」と答えた時点で(昨日のエントリーの会話です)、那智さんのパーセンテージは一気に「抜きたい(欲情)」に振られたのだそうだ。
だから、「おいで」といったときには、抜かせたいという気持ちが大半だったのです。
その理由で呼び出しても、喜ぶわたし、その結果、結局お互いに幸せな時間を共有できた事実。
それらを省みると、「那智さんの都合で呼び出す」という、理不尽な関係が成立してしまうと那智さんも感じたのだろう。
これは、ふたりにとって、なにか新しい関係のはじまりになるのだろうか。
理不尽な関係にならないために、一生懸命警戒していたハードルを下げることは、一種の心地良い開放感をくれる。
でも、まだ、ちょっと怖い。
歪んだ関係にならないように、ハードルは下げたけど、まだ、なくすまでにはなれないな。
ああ、でも、歪んだ関係も、那智さんとならいいかもしれないと思ってしまうわたしもいて、わたし自身にも警戒しなくちゃ。
と、結果的にさんざんかわいがってもらって大喜びしたくせに、何食わぬ顔でハードル直してます。
とんかつは、ロースかヒレか
りんりん変態ご飯
結論から言ってしまうと。
「わたしは、ロースです。」
って、もう、これじゃ終わっちゃう!!
えっと、本題はもうひとつありまして、そこに辿り着くまでの「ロースか、ヒレか」のお話しをしますね。
小さいころから、とんかつといえば「ロース」でした。
食卓に並ぶのは、脂の乗ったロース。
とにかく、脂っこいものが好きで、あのロースのプリッとした脂身の一切れをとっておいて最後のしめに味わったりしていた。
大人になって、外食する機会もできて、とんかつ屋というところに入るようになり、自分でとんかつの種類を選べる身分(?)になっても、ロース一筋だった。
メニューに「一口ヒレかつ」なんていうのを見ても、ロースよりちょっとお値段も張るそれを食べようという気も起きなかった。
ロース街道ひた走りだったわたしが、ヒレかつをはじめて食べたのは、いまの夫と結婚前に、夫の実家にお邪魔したときだった。
彼の実家は、すこぶる裕福というほどではないけど、おいしい物やちょっと値の張るおいしい物を用意するくらいの余力のある家庭だった。
そこに、お金をかけたい、みたいな感じ?
次々揚げられる一口大のとんかつ。
それが「ヒレ」だった。
「○○(彼のお兄さん)と2人で食べると、後ろ向いて次のを揚げてる間に食べて、振り返るともうなくなってる」という義母の思い出話を聞きながら、はじめてヒレを食べたのだ。
おお、おいしい。
柔らかくて品のある食感。
衣のさくさく感とのギャップ。
ふ〜ん、これがヒレかつね〜。
わたしは義母にはじめて食べたということを、ちょっとお世辞も含めて「おいしい」という言葉を添えて伝えたのだ。
それ以来、我が家で、とんかつといえば「ヒレ」。
ロースの、あの脂っこさも懐かしいけど、「ヒレ」。
那智さんは、デートのときにとんかつ屋さんに入る頻度が、パスタ屋さんと同じくらいなとんかつ好き。
(ほら、普通、デートっていえば、おしゃれなパスタ屋とかになりそうでしょ?まあ、かっこつけないということも含めてなんですけどね)
だから、那智さんととんかつを食べるときは、「ロース」にするんだ。
そうすると、ああ、この不健康のかたまりが懐かしいと、密かに思うのです。
で、普段は「ヒレ」。
まあ、脂身の少ないぶん、美容と健康にもいいものね。
ところが、先日、我が家ではじめてロースかつを作ることがあったのです。
大量に作ったカレーを、たまには違う雰囲気で食べようと「かつカレー」にすることに。
せっかくだから、「かつパーティ」。
ヒレとロースと両方揚げて、カレーのルーを別皿に、ソースやおろしポン酢も用意して。
一皿で「かつカレー」にしてしまわないで、いろんな食べ方で楽しむことに。
ご飯にかつとカレーを添えて一口。
おろしポン酢とご飯でさっぱりと。
いろんな組み合わせで、バラエティに富んだ味になった。
で、そこで思ったのだ。
「かつカレーには、断然ロース!!」
ロースもヒレも、ソースでもおろしポン酢でも、それぞれ、それぞれのおいしさがある。
だけど、ご飯にかつを載せ、その上からカレーをかけて食べるとなると、ヒレは全然おいしくない。
圧倒的にロースがおいしいの。
当たり前といえば、当たり前のような感じもするけど、比べてみてこんなに違うと、かなり驚いてしまったのです。
なぜ?
なぜだと思います?
わたしなりに考えました!
カレーととんかつ。
魅惑の食べ物のコラボは、組み合わせるとダブルの魅惑でご飯好きにはたまらないものになる。
でも、それと同時に、「危険」な香りもしますよね。
絶対、カロリー高いし、脂肪も多い、あまりのおいしさに食べ過ぎ注意。
そして、魅惑の食べ物のコラボは、人の欲望をあらわにしているようなトホホ感の「ばかっぽさ」も感じる。
そこまでして、食べたいか〜!?というような、愛着を込めた「ぱかっぽさ」ね。
その、「危険」で「ばかっぽい」ものに、ヒレの「品」が合わないのではないでしょうか。
上品な「ヒレ」さんに対して、「すみません、ジャンクなこと想像して、あなたを載せました」みたいな、ごめんなさい感。
ノーマル系のハプバーで、一人鞭打たれ、若干まわりに引かれ気味の空気を発せられてしまうような、ごめんなさい感。(違う!?)
あの「おいしい」だけを追求したようなロースちゃんだから、合うのかな、と思うのです。
いいよね〜、「危険」や「ばかっぽさ」を省みず、「おいしい」だけを追求する。
たまには、ね^^
ということで、とんかつ。
わたしは、両方おいしいと思うけど、基本的にはロースが好きです。
で、なぜか、かつカレーには、ぜったい、ロース!!!
結論から言ってしまうと。
「わたしは、ロースです。」
って、もう、これじゃ終わっちゃう!!
えっと、本題はもうひとつありまして、そこに辿り着くまでの「ロースか、ヒレか」のお話しをしますね。
小さいころから、とんかつといえば「ロース」でした。
食卓に並ぶのは、脂の乗ったロース。
とにかく、脂っこいものが好きで、あのロースのプリッとした脂身の一切れをとっておいて最後のしめに味わったりしていた。
大人になって、外食する機会もできて、とんかつ屋というところに入るようになり、自分でとんかつの種類を選べる身分(?)になっても、ロース一筋だった。
メニューに「一口ヒレかつ」なんていうのを見ても、ロースよりちょっとお値段も張るそれを食べようという気も起きなかった。
ロース街道ひた走りだったわたしが、ヒレかつをはじめて食べたのは、いまの夫と結婚前に、夫の実家にお邪魔したときだった。
彼の実家は、すこぶる裕福というほどではないけど、おいしい物やちょっと値の張るおいしい物を用意するくらいの余力のある家庭だった。
そこに、お金をかけたい、みたいな感じ?
次々揚げられる一口大のとんかつ。
それが「ヒレ」だった。
「○○(彼のお兄さん)と2人で食べると、後ろ向いて次のを揚げてる間に食べて、振り返るともうなくなってる」という義母の思い出話を聞きながら、はじめてヒレを食べたのだ。
おお、おいしい。
柔らかくて品のある食感。
衣のさくさく感とのギャップ。
ふ〜ん、これがヒレかつね〜。
わたしは義母にはじめて食べたということを、ちょっとお世辞も含めて「おいしい」という言葉を添えて伝えたのだ。
それ以来、我が家で、とんかつといえば「ヒレ」。
ロースの、あの脂っこさも懐かしいけど、「ヒレ」。
那智さんは、デートのときにとんかつ屋さんに入る頻度が、パスタ屋さんと同じくらいなとんかつ好き。
(ほら、普通、デートっていえば、おしゃれなパスタ屋とかになりそうでしょ?まあ、かっこつけないということも含めてなんですけどね)
だから、那智さんととんかつを食べるときは、「ロース」にするんだ。
そうすると、ああ、この不健康のかたまりが懐かしいと、密かに思うのです。
で、普段は「ヒレ」。
まあ、脂身の少ないぶん、美容と健康にもいいものね。
ところが、先日、我が家ではじめてロースかつを作ることがあったのです。
大量に作ったカレーを、たまには違う雰囲気で食べようと「かつカレー」にすることに。
せっかくだから、「かつパーティ」。
ヒレとロースと両方揚げて、カレーのルーを別皿に、ソースやおろしポン酢も用意して。
一皿で「かつカレー」にしてしまわないで、いろんな食べ方で楽しむことに。
ご飯にかつとカレーを添えて一口。
おろしポン酢とご飯でさっぱりと。
いろんな組み合わせで、バラエティに富んだ味になった。
で、そこで思ったのだ。
「かつカレーには、断然ロース!!」
ロースもヒレも、ソースでもおろしポン酢でも、それぞれ、それぞれのおいしさがある。
だけど、ご飯にかつを載せ、その上からカレーをかけて食べるとなると、ヒレは全然おいしくない。
圧倒的にロースがおいしいの。
当たり前といえば、当たり前のような感じもするけど、比べてみてこんなに違うと、かなり驚いてしまったのです。
なぜ?
なぜだと思います?
わたしなりに考えました!
カレーととんかつ。
魅惑の食べ物のコラボは、組み合わせるとダブルの魅惑でご飯好きにはたまらないものになる。
でも、それと同時に、「危険」な香りもしますよね。
絶対、カロリー高いし、脂肪も多い、あまりのおいしさに食べ過ぎ注意。
そして、魅惑の食べ物のコラボは、人の欲望をあらわにしているようなトホホ感の「ばかっぽさ」も感じる。
そこまでして、食べたいか〜!?というような、愛着を込めた「ぱかっぽさ」ね。
その、「危険」で「ばかっぽい」ものに、ヒレの「品」が合わないのではないでしょうか。
上品な「ヒレ」さんに対して、「すみません、ジャンクなこと想像して、あなたを載せました」みたいな、ごめんなさい感。
ノーマル系のハプバーで、一人鞭打たれ、若干まわりに引かれ気味の空気を発せられてしまうような、ごめんなさい感。(違う!?)
あの「おいしい」だけを追求したようなロースちゃんだから、合うのかな、と思うのです。
いいよね〜、「危険」や「ばかっぽさ」を省みず、「おいしい」だけを追求する。
たまには、ね^^
ということで、とんかつ。
わたしは、両方おいしいと思うけど、基本的にはロースが好きです。
で、なぜか、かつカレーには、ぜったい、ロース!!!
まっとうな欲求
独特な幸福感
「まっとうな欲求」
これって正しい日本語なのかな。
いつもなんとか心を表したくて、知ってる言葉をフル動員させて書いてるけど、これが精一杯。
語彙の乏しいわたしは、つい感覚で言葉を選んでしまっていて、実は日本語として「どう?」みたな表現いっぱいあるだろうなと思いながらも、そのままに書いてしまってるのです。
「制服とおもらし4」で書いた「まっとうな欲求」
これも、そう。
日本語として、正解?
辞書で引いてみました。
まず、「まっとう」=まとも…そもそもまともって何?
じゃあ、「まとも」は?=「まじめ」とか「本気」(「正面」っていうのもあったけど、今回は違うかな)
で、「欲求」も=「なにかを強く心にのぞむこと」ですって。
うう、なんだか墓穴を掘った気がする。
ということで、もう少しお付き合いください。
わたしの「本気で強く心にのぞむこと」のお話^^;
「制服とおもらし4」で痛がりながらも触れた「女の子願望」。(ったく、わたしったら、従属だとか同化だとかいろんなものほしがってますよね!!今度は「女の子」。どれも根底は同じなのかな…)
もうちょっとはっきり書いたら?と那智さんからの指摘がありましたので、更に痛がってみたいと思います。
わたしの「女の子願望」には、みっつの種類があったのですね。
ひとつは、心の欠損を埋めるのに必要だった「女の子」。
父親からもらえなかった「愛される価値」。
その「父性」をもらうための役割りを「女の子」がはたしてくれていたのですね。
「女の子になっちゃえ」といわれて腕の中で号泣したり、名前を変えてたり、「お父さん」って呼んだり、端から見ると非常に「痛い」ことをしていました。
そのおかげでずいぶん、「愛される価値がある」と思えるようになっていった。
女の子になる必要なく、大人のりん子で、ちゃんと愛されていると思えるようになっているのね。
最近は、名前返上してるし。
だから、この心の欠損はずいぶん埋まったはずなんだ。
それとふたつめは、可愛がられる快感。
心の欠損とは別に、女の子のように可愛がられたい。
髪を撫で、包み込まれ「いいこ、いいこ」されたい。
無垢で無防備な女の子にさせてもらえることは、性的な快感とは違う種類の快感がある。
これは、女性全部がというのは大げさでしょうけど、多くの女性が共感してもらえる欲求なんじゃないかなと思うのです。
そして、もうひとつ。
「女の子」になって性的な快感を覚えること。
これは、ずっと認めたくなかったの。
生い立ちなどの原因による「心の歪み」は、痛いけど、ちょっと正当化してしまえる^^;
「可愛がられたい」欲求なんて、女なんだからと胸張って要求できるくらい、一般的(?)。
だけど、それで純粋に「興奮」するなんて、普通じゃないように思えて認めたくなかった。
那智さんの前で「女の子」になり、満たされる。
その最中やそのあとに、那智さんはそこに「性的興奮」があることを指摘していた。
わたしはずっと認めたくなくて、「トラウマ」とか「女なら誰でも」ということではぐらかしていたの。
薄々気づいていて認められなかった欲求を認めることになったのが、「制服とおもらし」のことがあったから。
それを認めるのに、ずいぶん時間がかかった。
なぜ認められたかというと、「制服とおもらし」のあと、那智さんと「あれのなにで、あんなに興奮したのか」いろいろお話ししたの。
那智さんがあれで感じた喜びは、「りん子が喜んでる」とか「露出やアブノーマルな興奮」とか「制服姿がかわいかった」(にゃはは^^)とかいろんなことが重なり合って生まれたものだったそうだ。
そこに「りん子を女の子にする」というものも含まれてた。
それを聞いて、那智さんに共犯になってもらって、はじめて認めることができたのです。
これがみっつめの欲求。
「心の欠損」や「女なら」ということは説明がつきやすい。
みっつめは、理由はわからずに、ただそうだというだけ。
そこに那智さんの共犯も加わるから、「それが気持ちいいから」ということだけが理由だ。
ただ「本気で強く心にのぞむこと」だということだけ。
那智さんと出会う前に、自分にこの種の欲求があるなんて思っていなかった。
一緒に覗いてくれる人がいて、その人もそれを求めてくれると、開花するのか芽生えるのか、とにかく「欲求の宝庫」になってしまう。
だから、「まっとうな欲求」。
でいいよね!?と、自分の言葉選びも欲求も、正当化しちゃおう。
「まっとうな欲求」
これって正しい日本語なのかな。
いつもなんとか心を表したくて、知ってる言葉をフル動員させて書いてるけど、これが精一杯。
語彙の乏しいわたしは、つい感覚で言葉を選んでしまっていて、実は日本語として「どう?」みたな表現いっぱいあるだろうなと思いながらも、そのままに書いてしまってるのです。
「制服とおもらし4」で書いた「まっとうな欲求」
これも、そう。
日本語として、正解?
辞書で引いてみました。
まず、「まっとう」=まとも…そもそもまともって何?
じゃあ、「まとも」は?=「まじめ」とか「本気」(「正面」っていうのもあったけど、今回は違うかな)
で、「欲求」も=「なにかを強く心にのぞむこと」ですって。
うう、なんだか墓穴を掘った気がする。
ということで、もう少しお付き合いください。
わたしの「本気で強く心にのぞむこと」のお話^^;
「制服とおもらし4」で痛がりながらも触れた「女の子願望」。(ったく、わたしったら、従属だとか同化だとかいろんなものほしがってますよね!!今度は「女の子」。どれも根底は同じなのかな…)
もうちょっとはっきり書いたら?と那智さんからの指摘がありましたので、更に痛がってみたいと思います。
わたしの「女の子願望」には、みっつの種類があったのですね。
ひとつは、心の欠損を埋めるのに必要だった「女の子」。
父親からもらえなかった「愛される価値」。
その「父性」をもらうための役割りを「女の子」がはたしてくれていたのですね。
「女の子になっちゃえ」といわれて腕の中で号泣したり、名前を変えてたり、「お父さん」って呼んだり、端から見ると非常に「痛い」ことをしていました。
そのおかげでずいぶん、「愛される価値がある」と思えるようになっていった。
女の子になる必要なく、大人のりん子で、ちゃんと愛されていると思えるようになっているのね。
最近は、名前返上してるし。
だから、この心の欠損はずいぶん埋まったはずなんだ。
それとふたつめは、可愛がられる快感。
心の欠損とは別に、女の子のように可愛がられたい。
髪を撫で、包み込まれ「いいこ、いいこ」されたい。
無垢で無防備な女の子にさせてもらえることは、性的な快感とは違う種類の快感がある。
これは、女性全部がというのは大げさでしょうけど、多くの女性が共感してもらえる欲求なんじゃないかなと思うのです。
そして、もうひとつ。
「女の子」になって性的な快感を覚えること。
これは、ずっと認めたくなかったの。
生い立ちなどの原因による「心の歪み」は、痛いけど、ちょっと正当化してしまえる^^;
「可愛がられたい」欲求なんて、女なんだからと胸張って要求できるくらい、一般的(?)。
だけど、それで純粋に「興奮」するなんて、普通じゃないように思えて認めたくなかった。
那智さんの前で「女の子」になり、満たされる。
その最中やそのあとに、那智さんはそこに「性的興奮」があることを指摘していた。
わたしはずっと認めたくなくて、「トラウマ」とか「女なら誰でも」ということではぐらかしていたの。
薄々気づいていて認められなかった欲求を認めることになったのが、「制服とおもらし」のことがあったから。
それを認めるのに、ずいぶん時間がかかった。
なぜ認められたかというと、「制服とおもらし」のあと、那智さんと「あれのなにで、あんなに興奮したのか」いろいろお話ししたの。
那智さんがあれで感じた喜びは、「りん子が喜んでる」とか「露出やアブノーマルな興奮」とか「制服姿がかわいかった」(にゃはは^^)とかいろんなことが重なり合って生まれたものだったそうだ。
そこに「りん子を女の子にする」というものも含まれてた。
それを聞いて、那智さんに共犯になってもらって、はじめて認めることができたのです。
これがみっつめの欲求。
「心の欠損」や「女なら」ということは説明がつきやすい。
みっつめは、理由はわからずに、ただそうだというだけ。
そこに那智さんの共犯も加わるから、「それが気持ちいいから」ということだけが理由だ。
ただ「本気で強く心にのぞむこと」だということだけ。
那智さんと出会う前に、自分にこの種の欲求があるなんて思っていなかった。
一緒に覗いてくれる人がいて、その人もそれを求めてくれると、開花するのか芽生えるのか、とにかく「欲求の宝庫」になってしまう。
だから、「まっとうな欲求」。
でいいよね!?と、自分の言葉選びも欲求も、正当化しちゃおう。