理不尽な関係1
非日常的な日常
昨日の続きです。
那智さんが「明日、来る?」と言ってくるときは、よほどわたしに会いたいときか(笑)、一緒にお仕事してる人がお休みのとき。
案の定、もらったメールには「明日、来る?○○いないから。」と書いてあった。
お仕事場にひとりということは、そこでちょっとかまえるよっていうことなんだ。
残念ながら、「明日」はわたしの予定が不確かだった。
「明日は、○○だから、時間がはっきりしないので、なんとも言えません。」
と、お返事する。
翌日、○○の予定終了時刻が見えてきて、午前から午後にかけてのだいたいのスケジュールが立てられるようになったころ、那智さんから電話が入った。
「今日、どうする?」
わたしは、昨日のメールでランチに行くことはなしになっていたと解釈していたから、ちょっと驚いた。
「だいたい、○時のはそちらに向かえそうですけど、ちょっと読めないし、○時に出たとしても12時は過ぎちゃいますよ。」
「なんだ、来ないの?○○休みなのに。来いよ。」
那智さんにしてはめずらしく引き下がらない。
普通、わたしがちょっと難色を示すとそこで話はおしまいになるのに。
なにかあったのか、逆に心配になってしまった。
「那智さん、なにかあったのですか?」
「いや、口と手で抜かせたかったなと思って。」
それだけ?
往復で2時間半、会っている時間は約一時間、そのためだけに呼ぶ?
いい。
いいと思ってしまった。
SM関係なく、恋愛においても、「怒らない私」はある意味ずっと理不尽な関係を作ってきていた。
いやなことをいやと言えないで、相手を増長させる、顔色を伺い下手に出てしまう付き合いは、理不尽な関係といえよう。
だから、那智さんとは、ぜったい「理不尽な関係」にはなるまいと、とてもとても意識していた。
那智さんはわたしを尊重してくれて大切に扱ってくれるから、わたしも思う存分「理不尽じゃない関係」に慣れることができたのだと思う。
SM的な行為もお仕事のお手伝いも、そう感じずにできたのは端々に「わたしを大切にしてくれてる」ということを感じさせてくれていたからだ。
それでも、ほんのちょっとでも、そういう扱いに近いことをされると、傷付き、それはいやと訴えてきた。
だから、ずっと警戒していた。
それが、「抜く」ためだけに呼ぶ?
予定がはっきりせずに、ためらってるのに?
いい。
そのために呼ぶ、それに答えて予定を変える。
その理不尽な関係がいいと感じてしまった。
携帯を耳に当てながら、それ、いい、と思ってしまった。
「那智さん、そのために呼ぼうと?」
「うん。」
「会いたいと抜きたいでは、何%ずつですか?」
「…会いたい60%、抜きたい60%。」(わたしたちは、%の話をするとき合計100%を超えることもありにしてるんです)
ああ、那智さん、会いたいがもっと低くてもいいです。
抜きたいだけで、呼びつける、それでいいのに。
そんなふうに思ってる。
「じゃあ、りん子は?会いたいとくわえたいと…あといかせてほしいも入れよう。何%ずつ?」
「会いたい100%、お口も100%で、いかせてほしいは30%くらいです。いかなくてもいい。」
「わかった、じゃあ、おいで。」
「はい、急いで支度します。」
この会話で、もう濡れていることをわたしは感じていた。
わたし、理不尽な扱いに喜んでる。
いままでも、カラオケランチでいかせてもらえなかったり、時間的に那智さんだけいってわたしはちょっとなんてこともあった。
わざと「りん子はいかせるのやめようかな〜」なんて言って遊ばれたりもあった。
でも、どれも「りん子をかまう」ことから派生していた。
だから、理不尽な関係に警戒していたわたしも、安心していられたのだ。
それなのに、まったくの那智さん主体の発言に感じているのだ。
お役に立ちたい。
要望に応えたい。
おちんちんがしゃぶれる。
もしかしたら、かまってもらえるかも。
会いたい。
どれも、ゼロじゃないけど、すごく少ない。
それだけのために呼ばれる、ただただそれに感じてしまっているのだ。
どうしてしまったの、わたし。
濡れて濡れてしかたがない。
急いで支度をしながら、早く那智さんに会いたいと思う。
いままでにない形でわたしを呼び寄せ、好き勝手にしてほしい。
バスに乗り。
一番後ろの席に座る。
後ろの一列には誰もいない。
斜め前に初老の男性。
ふたつ前に若い女性。
那智さんにメールを送る。
「バスの中で感じていていいですか?」
目を閉じ、寝たふりをして、腰をずらし太腿をすり合わせ、ときときわざと膝を開き、快感を持続させるようにする。
ああ、わたし、おかしい。
抜きにおいでと言われていそいそと出かけ、バスの中で快感に浸る。
これでとてもとても感じてるわたしは、驚きとともに、ちょっと嬉しくもあった。
理不尽な扱いはわたしを傷付け、だから、それをとても警戒していた。
那智さんに対しても、ちょっとでもそのような扱いを受けると傷付き、訴えていた。
そのハードルがなくなったみたいなのだ。
それほどまでに、那智さんを信頼できてきたのだろうと思えたことが、嬉しかった。
だから警戒を解けるかもしれないという、解放感にも浸っていた。
昨日の続きです。
那智さんが「明日、来る?」と言ってくるときは、よほどわたしに会いたいときか(笑)、一緒にお仕事してる人がお休みのとき。
案の定、もらったメールには「明日、来る?○○いないから。」と書いてあった。
お仕事場にひとりということは、そこでちょっとかまえるよっていうことなんだ。
残念ながら、「明日」はわたしの予定が不確かだった。
「明日は、○○だから、時間がはっきりしないので、なんとも言えません。」
と、お返事する。
翌日、○○の予定終了時刻が見えてきて、午前から午後にかけてのだいたいのスケジュールが立てられるようになったころ、那智さんから電話が入った。
「今日、どうする?」
わたしは、昨日のメールでランチに行くことはなしになっていたと解釈していたから、ちょっと驚いた。
「だいたい、○時のはそちらに向かえそうですけど、ちょっと読めないし、○時に出たとしても12時は過ぎちゃいますよ。」
「なんだ、来ないの?○○休みなのに。来いよ。」
那智さんにしてはめずらしく引き下がらない。
普通、わたしがちょっと難色を示すとそこで話はおしまいになるのに。
なにかあったのか、逆に心配になってしまった。
「那智さん、なにかあったのですか?」
「いや、口と手で抜かせたかったなと思って。」
それだけ?
往復で2時間半、会っている時間は約一時間、そのためだけに呼ぶ?
いい。
いいと思ってしまった。
SM関係なく、恋愛においても、「怒らない私」はある意味ずっと理不尽な関係を作ってきていた。
いやなことをいやと言えないで、相手を増長させる、顔色を伺い下手に出てしまう付き合いは、理不尽な関係といえよう。
だから、那智さんとは、ぜったい「理不尽な関係」にはなるまいと、とてもとても意識していた。
那智さんはわたしを尊重してくれて大切に扱ってくれるから、わたしも思う存分「理不尽じゃない関係」に慣れることができたのだと思う。
SM的な行為もお仕事のお手伝いも、そう感じずにできたのは端々に「わたしを大切にしてくれてる」ということを感じさせてくれていたからだ。
それでも、ほんのちょっとでも、そういう扱いに近いことをされると、傷付き、それはいやと訴えてきた。
だから、ずっと警戒していた。
それが、「抜く」ためだけに呼ぶ?
予定がはっきりせずに、ためらってるのに?
いい。
そのために呼ぶ、それに答えて予定を変える。
その理不尽な関係がいいと感じてしまった。
携帯を耳に当てながら、それ、いい、と思ってしまった。
「那智さん、そのために呼ぼうと?」
「うん。」
「会いたいと抜きたいでは、何%ずつですか?」
「…会いたい60%、抜きたい60%。」(わたしたちは、%の話をするとき合計100%を超えることもありにしてるんです)
ああ、那智さん、会いたいがもっと低くてもいいです。
抜きたいだけで、呼びつける、それでいいのに。
そんなふうに思ってる。
「じゃあ、りん子は?会いたいとくわえたいと…あといかせてほしいも入れよう。何%ずつ?」
「会いたい100%、お口も100%で、いかせてほしいは30%くらいです。いかなくてもいい。」
「わかった、じゃあ、おいで。」
「はい、急いで支度します。」
この会話で、もう濡れていることをわたしは感じていた。
わたし、理不尽な扱いに喜んでる。
いままでも、カラオケランチでいかせてもらえなかったり、時間的に那智さんだけいってわたしはちょっとなんてこともあった。
わざと「りん子はいかせるのやめようかな〜」なんて言って遊ばれたりもあった。
でも、どれも「りん子をかまう」ことから派生していた。
だから、理不尽な関係に警戒していたわたしも、安心していられたのだ。
それなのに、まったくの那智さん主体の発言に感じているのだ。
お役に立ちたい。
要望に応えたい。
おちんちんがしゃぶれる。
もしかしたら、かまってもらえるかも。
会いたい。
どれも、ゼロじゃないけど、すごく少ない。
それだけのために呼ばれる、ただただそれに感じてしまっているのだ。
どうしてしまったの、わたし。
濡れて濡れてしかたがない。
急いで支度をしながら、早く那智さんに会いたいと思う。
いままでにない形でわたしを呼び寄せ、好き勝手にしてほしい。
バスに乗り。
一番後ろの席に座る。
後ろの一列には誰もいない。
斜め前に初老の男性。
ふたつ前に若い女性。
那智さんにメールを送る。
「バスの中で感じていていいですか?」
目を閉じ、寝たふりをして、腰をずらし太腿をすり合わせ、ときときわざと膝を開き、快感を持続させるようにする。
ああ、わたし、おかしい。
抜きにおいでと言われていそいそと出かけ、バスの中で快感に浸る。
これでとてもとても感じてるわたしは、驚きとともに、ちょっと嬉しくもあった。
理不尽な扱いはわたしを傷付け、だから、それをとても警戒していた。
那智さんに対しても、ちょっとでもそのような扱いを受けると傷付き、訴えていた。
そのハードルがなくなったみたいなのだ。
それほどまでに、那智さんを信頼できてきたのだろうと思えたことが、嬉しかった。
だから警戒を解けるかもしれないという、解放感にも浸っていた。
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