有言不実行
独特な幸福感
ひとつ前のエントリーで「まあちゃん、おしまい」と、ちょっと感傷的に書きました。
といっても、那智さんとわたしの付き合いにおいて(特にこういう分野において)、こうじゃなきゃいけないという制約はないので、おしまいにするといったからもう絶対にしちゃいけないってこともないです。
わたしが「おしまいかな〜」って感じただけなので、那智さんが「したい」と思えばそうなる可能性だってあるわけだし。
ただ、幼稚園児が大喜びでお遊戯をしてるのを見て、小学生になったわたしが「楽しそうだけど、ちょっともう恥ずかしくてできないな〜。」と思ってる、みたいな感じだったのでおしまいって言いました。
りん子とまあちゃんに「差を感じない」というのが、すごく当てはまった表現で、「まあちゃんは照れ臭くなった」とか「まあちゃんに違和感を感じた」とかじゃないの。
だから、まあちゃんになることがいやなわけでもないのです。
必要なくなったという感じ。
もともと「女の子」になるなんて、とても変なことなのはわかっていたから、必要ないと感じてしまったあとにもう一回「変」になるのはためらわれるな〜とおしまいという言葉を使って、封印するような感じにしちゃったの。
もう幼稚園のお遊戯はできないな〜と、それに夢中になれていた自分と、その状況を懐かしく思う。
あの、苦しくて痛い、でも、洗い流されるような行為。
その自分にはなれないなと、一抹の寂しさを思ってエントリーしたのです。
でも、最初にも書いたけど、那智さんとの付き合いで(特にこの部分では)、制約を設けたくなかった。
おしまいって言ったのだから絶対おしまい、なんて思いたくない。
だって、那智さんに抱かれることで解放されるのに、制約があっては解放にならないものね。
そう思って、懐かしい気持ちを織り交ぜて、「おしまいみたいに言いましたけど、しちゃいけないっていうの作りたくないので、もうしないってことじゃないですよ」とお話しした。
そしたら、「りん子の中で、またまあちゃんしたいって気持ちがあるだけだろ?」と指摘されてしまいました!!
いや…、那智さんとの関係において、制限を作りたくなかっただけです…。
「ブログを書いてるから、掘り下げておしまいなんて言ったけど、そうじゃなきゃそんな宣言するとこもなかっただろ?」
いえ…、もともと掘り下げるの好きだから…。
「単純に、まだりん子の中にまあちゃんになりたいって気持ちがあるだけだろ〜!?」
うう、だって、「絶対必要」とは思わなくなっちゃったんだもの、それなのに変なことするのためらうもの…。
でも、でも、絶対必要じゃなかったとしても、あの甘い時間を手放すのは惜しいです、おっしゃる通りでございます。
だから、また、いつか女の子にしてもらいたいです。
はあ〜、だけど、ここまで言っておいて、また女の子になるのはヒジョーーーーに照れ臭い。
よほど、那智さんがその気にさせてくらないとなれませんから、那智さんよろしくお願いしますね。
りん子からお願いされるまで、しない、なんていじわる言わないでくださいね。
わたしたちの付き合いにおいて(特にその部分で 笑)我慢はよくないです。
だから、そんな制約もやめましょうね^^
ひとつ前のエントリーで「まあちゃん、おしまい」と、ちょっと感傷的に書きました。
といっても、那智さんとわたしの付き合いにおいて(特にこういう分野において)、こうじゃなきゃいけないという制約はないので、おしまいにするといったからもう絶対にしちゃいけないってこともないです。
わたしが「おしまいかな〜」って感じただけなので、那智さんが「したい」と思えばそうなる可能性だってあるわけだし。
ただ、幼稚園児が大喜びでお遊戯をしてるのを見て、小学生になったわたしが「楽しそうだけど、ちょっともう恥ずかしくてできないな〜。」と思ってる、みたいな感じだったのでおしまいって言いました。
りん子とまあちゃんに「差を感じない」というのが、すごく当てはまった表現で、「まあちゃんは照れ臭くなった」とか「まあちゃんに違和感を感じた」とかじゃないの。
だから、まあちゃんになることがいやなわけでもないのです。
必要なくなったという感じ。
もともと「女の子」になるなんて、とても変なことなのはわかっていたから、必要ないと感じてしまったあとにもう一回「変」になるのはためらわれるな〜とおしまいという言葉を使って、封印するような感じにしちゃったの。
もう幼稚園のお遊戯はできないな〜と、それに夢中になれていた自分と、その状況を懐かしく思う。
あの、苦しくて痛い、でも、洗い流されるような行為。
その自分にはなれないなと、一抹の寂しさを思ってエントリーしたのです。
でも、最初にも書いたけど、那智さんとの付き合いで(特にこの部分では)、制約を設けたくなかった。
おしまいって言ったのだから絶対おしまい、なんて思いたくない。
だって、那智さんに抱かれることで解放されるのに、制約があっては解放にならないものね。
そう思って、懐かしい気持ちを織り交ぜて、「おしまいみたいに言いましたけど、しちゃいけないっていうの作りたくないので、もうしないってことじゃないですよ」とお話しした。
そしたら、「りん子の中で、またまあちゃんしたいって気持ちがあるだけだろ?」と指摘されてしまいました!!
いや…、那智さんとの関係において、制限を作りたくなかっただけです…。
「ブログを書いてるから、掘り下げておしまいなんて言ったけど、そうじゃなきゃそんな宣言するとこもなかっただろ?」
いえ…、もともと掘り下げるの好きだから…。
「単純に、まだりん子の中にまあちゃんになりたいって気持ちがあるだけだろ〜!?」
うう、だって、「絶対必要」とは思わなくなっちゃったんだもの、それなのに変なことするのためらうもの…。
でも、でも、絶対必要じゃなかったとしても、あの甘い時間を手放すのは惜しいです、おっしゃる通りでございます。
だから、また、いつか女の子にしてもらいたいです。
はあ〜、だけど、ここまで言っておいて、また女の子になるのはヒジョーーーーに照れ臭い。
よほど、那智さんがその気にさせてくらないとなれませんから、那智さんよろしくお願いしますね。
りん子からお願いされるまで、しない、なんていじわる言わないでくださいね。
わたしたちの付き合いにおいて(特にその部分で 笑)我慢はよくないです。
だから、そんな制約もやめましょうね^^
お疲れさまでした!!
独り言
過去最高に長いです。
「らしい」と思ってお許しください。
『自信ってどうやって持つことができるのかな。
わたしはわたしに自信がない。
ううん、それはちょっとベタな言い方でそこまで完全自己否定じゃないのだけど。
なんて言うのかな、自信に繋げる根拠を他者の評価に頼ってるとか、そんな感じかな。
わたしの夫は物を作る仕事をしていて、自分の「かっこいい」に自信を持っている。
車のCMを見ては新しい車を「気持ち悪い」なんて一刀両断。
彼だって自分が天才設計士ではないことを百も承知で、同じ物作りをする苦労も知った上で、でも、そう言い切ってしまうのはセンスに自信があるからなんだろう。
そういう、他人がどう思おうと、自分はこう!!と言い切れる自信。
これがわたしにはない。
いつもどう思われてる?か気になるし、他人が「これがいい!!」って言ったら「そうかも?」なんて簡単に流されてしまう。
わたしのブログに「リンク欄」がないのお気付きですよね?
これはブログを始めるときに決めたことでした。(最初は何も考えず付けっぱなしにしてたかな)
なぜやめたかというと、ひとつは、いまでもそうなんだけど、ネットの世界に疎いわたしは「リンク」の意味がいまひとつわからなかったの。
リンクとか相互リンクとか、ブックマークとか区別もわからないし暗黙のルールみたいなものもわからない。
わからないことには、触れない(笑)で、外したの。
それともうひとつ。
仮に、わたしがどこかのサイトに「リンクさせてね」とお願いしたら、きっと相手の方もこちらを訪れてくれるはずで、そこで「こちらはリンクどうしようか」とチラッとでも考えさせてしまうことがいやだったのです。
ばかみたな気遣いと自意識。
そんなもので苦しくなるなら、はじめからやめようと。
読んでくださる方を意識しながらも、書きたいことの書きっ放しは気持ちよかった。
どこにもリンクされず宣伝もせず、それでも日々カウンターの数字が増えていくのは嬉しく励みになり、ほんの少しわたしの「自信」になった。
加えて、少しずつこの世界にも慣れてきて、周りを見渡せるようになった。
リンクを貼ったり、互いに行き来している様子を見ていたら、今度はちょっとお外に出てみたくなったの。
リンク欄も付けられなかったわたしが、はあ、子供みたいね、「いいな〜、楽しそう」って(苦笑)
コメントをしてレスを返してもらう。
嬉しいやり取り。
でも、これが、わたしにとって、はじめて自分のブログを「客観視」するきっかけになったのです。
コメント先の方は快く応じてくださって、それはとても楽しかったの、それとは別の次元でハタと立ち止まり、何を今更なんだけど「客観視」できてしまったのです。
そしたら、そこから一歩も動けなくなっちゃった。
いろんなこと書いてます。
生い立ちも変態もノロケもくだらない話も。
しかも、那智さん曰く「1cmのことを1mにも3mにも書く」というような書き方。
つまずいて擦りむいただけのことを、歩いてる道のりからはじまって、それかどれだけ痛くてどんな傷になったか、大事故のように書いてる。
舞台のお芝居のよう。
書いてることがいろんなことだから、もう全裸で大真面目に宝塚歌劇団って感じかな。
そんなふうに「客観視」できてしまって、それでよそ様のお宅に上がり込んでしまったような「やっちゃった〜」感で、もう恥ずかしくてしょうがなくなっちゃった。
この客観視できてから、日々更新する度に不安の刺がチクッと胸に刺さり続けてた。
変態のことを生い立ちを、宝塚女優のように羽根付けて踊ってる語ってる、しかも全裸で。
そんなふうに思ってしまったから、アップする度に「どう思われているのか」不安でしかたなくなっちゃったのです。
自分はこれでいいと思えない、他者の評価が気になる本来の性格が日々の不安の刺になったのです。
はじめは吐き出したいから書いた。
だから、それはそれで気持ち良かった。
ある程度吐き出して、これからも書きたいことはあるでしょうけど、この「客観視」で生まれた刺はつらくて、書くことの楽しさと天秤にかけてマイナスのほうが大きいと思うようになってきた。
いままでだって、「書くことないよ〜」とか「なんでこんなふうにしか書けないんだろう」とか散々那智さんにぐずっていたけど、それよりも得ることが大きかった。
でも、ほんの少しでもマイナスが多くて続ける理由はないよね。
だから、「薬指の刺青」はおしまいにします。
また、何かしらの形でブログを始めることになると思います。
ぜーんぜん違うHNで、どこかでひっそり変態話を書いてるかもしれません^^』
2ヶ月程前。
わたしはここまで考えた。
その前から、ずいぶんぐずって、最後はかなり冷静に那智さんと話し合った。
で、それでも、やっぱり続けることによる心のマイナスが大きいとわたしが判断して、わたしが決めた。
那智さんも、伝えることは伝え尽くして、それでもりん子の気持ちが変わらないなら、それはしかたがないとわたしの決定を尊重してくれた。
ひとつ、上にも書いてない理由があった。
それは、わたしのこの「不安の刺」は少なからず那智さんのせいだと感じていた。
ブログをはじめたとき、最初は「わたしはこんなことをしてて、こんな風に思ってて、愛し合ってます」ってことだけ吐き出したいと思っていた。
だけど、はじめてすぐ那智さんに「全部書く」と方針を打ち出された。
「わかってもらおう」って。
それは、「変態なことしてるけど、そこには愛情の裏打ちがあるんだよ」ってことをわかってもらうんだって解釈して、それでいろんなことを書いた。
もちろん、それは感じてくださる方には受け入れてもらったと思ってる。
でも、それと同じくらい、客観視すればするほど、恥ずかしく後から後から不安が付いてくると感じてきた。
だから、それは那智さんのせいだと、いつからか思っていた。
そこを那智さんに言わずに、ぐずっていたのね。
上の記事を書いて、アップする前にもう一回那智さんと話す時間があって、そこではじめてわたしは那智さんを責めた。
「わたしが、恥ずかしくて不安を感じるのは、全部書けと言った那智さんのせいだ」って、書いてて気持ち良かったことなんて棚に上げて。
そして、それをずっと心に貯めておいたことを謝った、素直に伝えるという約束を守らなかったから。
那智さんは、まずちゃんと伝えなかったことはよくないと言った。
そして、「そう、俺のせい」とあっさり認めた。
別にネットに世界で「ホント」も「ウソ」も関係ないし、人それぞれでかまわないのだけど、テキストだけで自分たちのことを公開するときに、那智さんは「ホントかよ」って思われたくなかったのだそうだ。
ここに書かれていることはすべてじゃない、不倫だしSMだし「ホントの愛」とはほど遠いかもしれない(遠い近いは関係ないけど)、だけど、ここまで書けば少なくともウソだとは思わないだろう。
那智さんは、ふたりの付き合いに社会性を持たせたいと思ってる。
ハプバーに行ったりするのもそれを感じる方法だし、同じ趣味の人との交流もそうだろう。
那智さんは、この「ウソとは思わないだろう」ということで、わたしたちを見せ、(一方的ではあるけど)これも社会性のひとつにしようと考えていたのです。(むしろ他の方法のほうがいいような感じもしますが^^;)
大げさだけど、片隅でわたしたちが存在してる証にしたかったのです。
薬指にある刺青と同じだ。
2人が一緒に存在してるって印。
(ここまで曝け出さなくても、上手に伝えられている人はたっくさんいらっしゃいます。全部書きゃあいいってものではありません。これが那智さんの望みってだ けです。みなさんそれぞれのやり方でブログをされているわけで、それはまったく否定すてるつもりないです。ああ、言い訳いっぱい。これも那智さんのせい!! 笑)
実は、わたしよりずっと那智さんのほうがこのブログにいっぱいの意味を載っけていたと話してくれた。
散々ぐずっているときから、似たようなことを言われていたけど、この時のお話しは素直にわたしの心に染み込んだ。(わたしも素直に那智さんをい責めたからかな!?)
そして、その時タイミングよく、コメントをいただいた。
評価を気にするわたしには、コメントは嬉しいご褒美だった。(那智さんは、こんなノロケブログに見に来てくれるだけでも充分な「評価」だって言うけど、ご褒美ほしいもん)
もうちょっと続けてみようと、単純なわたしは上の記事をアップするの、やめたのでした。
はあ、ほんとに子供のような性格です。
でも、今回はわたしなりに時間をかけて、それでも「やめるー!」になったの。
なのに、あっさり前言撤回、有言不実行、やっぱり子供です。(事後でアップしてるから有言じゃないかな)
情けないし、恥ずかしいなぁ、でも、書くか。
那智さんは「全部書けば、それは強い」って言ってる。
このブログの評価できる点は「全部書いてることだ」という感想もいただいたことがある。
後先考えず突っ走るところが、わたしの良い所でもあると言っていただいたこともある。
だから、この一連のことも、いまのタイミングでアップしてみました。
子供のようなわたしはめそめそぐずぐずしながらも、書き続けるということで自信とか強さとか持てるかもしれない。
ううん、そんな大げさなことじゃなくて、今回のことで、わたしはもっともっと純粋にブログを書くことを楽しめるようになったと思う。
だって、こんな子供みたいでも裸で宝塚でも、来てくれる人がいるんだもん。
6万件です。
来てくださって、ありがとう。
もしこれが那智さんの言う社会性のひとつなら、どうか楽しんでいってくださね。
まだ続けようと思えたのも、日々のカウンターの数字と時々いただくコメントやメールがパワーになっています。
ありがとう。
そして、ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
ほんとにお疲れさまでした。
読んでくださった方に。
いつもの感謝記念ですが、実は、5万を区切りにもうやめようと思ってました。
募集といっても、那智さんが募集したければ記念もなにも関係なく募集できるわけで。
だから、なんか面白い企画が思いつかなかったらやめよって。
でも、那智さんがね、思いついたの。
「りん子と那智とチャットでお話ししませんか!?」って!!!
ええええ?
それって、どうなの!?
普段、コメントも少ないこのブログでチャットなんてやったって誰か来てくれるのでしょうか!?
第一、何話すの?
全部書いてる、この多岐に渡ったノロケの場で、何について話すの!?
これも那智さんの「社会性」なのでしょうか。
それよりも、まず、中指だけでキーボードを打ってるわたしがチャットなんかできるのだろうかと、それが一番の難題です。
どうなることやら…。
まあ、でも、楽しそうなので、企画します。
「りん子と那智とチャットでお話ししませんか?」
2人が揃う時がまだ未確定なので、決定次第お知らせします。
きっと当日とかになってしまうと思うけど、近日中にはできると思います。
それとね、今日わたし「キリ番」っていうのゲットしてしまいました!!
管理者がゲットしてどうかと思いますが、いままで気付いたら50003とかになっていたから、素直にとっても喜んでしまった。
で、思わず写真に撮っちゃった!!
ね!?
裸で羽根付けて「ゴールデン♪ゴールデン♪た、か、ら、づ、か〜♪」って踊ってるけど、それでも、楽しんでいきたいと思います。
どうぞ、一緒に楽しんでくださね。
で、わたしも時々、おもてに遊びに行かせてもらお^^洋服着て。
いままで、来てくださったすべての人に、わたしに関わってくださった人に、ありがとうございました。
過去最高に長いです。
「らしい」と思ってお許しください。
『自信ってどうやって持つことができるのかな。
わたしはわたしに自信がない。
ううん、それはちょっとベタな言い方でそこまで完全自己否定じゃないのだけど。
なんて言うのかな、自信に繋げる根拠を他者の評価に頼ってるとか、そんな感じかな。
わたしの夫は物を作る仕事をしていて、自分の「かっこいい」に自信を持っている。
車のCMを見ては新しい車を「気持ち悪い」なんて一刀両断。
彼だって自分が天才設計士ではないことを百も承知で、同じ物作りをする苦労も知った上で、でも、そう言い切ってしまうのはセンスに自信があるからなんだろう。
そういう、他人がどう思おうと、自分はこう!!と言い切れる自信。
これがわたしにはない。
いつもどう思われてる?か気になるし、他人が「これがいい!!」って言ったら「そうかも?」なんて簡単に流されてしまう。
わたしのブログに「リンク欄」がないのお気付きですよね?
これはブログを始めるときに決めたことでした。(最初は何も考えず付けっぱなしにしてたかな)
なぜやめたかというと、ひとつは、いまでもそうなんだけど、ネットの世界に疎いわたしは「リンク」の意味がいまひとつわからなかったの。
リンクとか相互リンクとか、ブックマークとか区別もわからないし暗黙のルールみたいなものもわからない。
わからないことには、触れない(笑)で、外したの。
それともうひとつ。
仮に、わたしがどこかのサイトに「リンクさせてね」とお願いしたら、きっと相手の方もこちらを訪れてくれるはずで、そこで「こちらはリンクどうしようか」とチラッとでも考えさせてしまうことがいやだったのです。
ばかみたな気遣いと自意識。
そんなもので苦しくなるなら、はじめからやめようと。
読んでくださる方を意識しながらも、書きたいことの書きっ放しは気持ちよかった。
どこにもリンクされず宣伝もせず、それでも日々カウンターの数字が増えていくのは嬉しく励みになり、ほんの少しわたしの「自信」になった。
加えて、少しずつこの世界にも慣れてきて、周りを見渡せるようになった。
リンクを貼ったり、互いに行き来している様子を見ていたら、今度はちょっとお外に出てみたくなったの。
リンク欄も付けられなかったわたしが、はあ、子供みたいね、「いいな〜、楽しそう」って(苦笑)
コメントをしてレスを返してもらう。
嬉しいやり取り。
でも、これが、わたしにとって、はじめて自分のブログを「客観視」するきっかけになったのです。
コメント先の方は快く応じてくださって、それはとても楽しかったの、それとは別の次元でハタと立ち止まり、何を今更なんだけど「客観視」できてしまったのです。
そしたら、そこから一歩も動けなくなっちゃった。
いろんなこと書いてます。
生い立ちも変態もノロケもくだらない話も。
しかも、那智さん曰く「1cmのことを1mにも3mにも書く」というような書き方。
つまずいて擦りむいただけのことを、歩いてる道のりからはじまって、それかどれだけ痛くてどんな傷になったか、大事故のように書いてる。
舞台のお芝居のよう。
書いてることがいろんなことだから、もう全裸で大真面目に宝塚歌劇団って感じかな。
そんなふうに「客観視」できてしまって、それでよそ様のお宅に上がり込んでしまったような「やっちゃった〜」感で、もう恥ずかしくてしょうがなくなっちゃった。
この客観視できてから、日々更新する度に不安の刺がチクッと胸に刺さり続けてた。
変態のことを生い立ちを、宝塚女優のように羽根付けて踊ってる語ってる、しかも全裸で。
そんなふうに思ってしまったから、アップする度に「どう思われているのか」不安でしかたなくなっちゃったのです。
自分はこれでいいと思えない、他者の評価が気になる本来の性格が日々の不安の刺になったのです。
はじめは吐き出したいから書いた。
だから、それはそれで気持ち良かった。
ある程度吐き出して、これからも書きたいことはあるでしょうけど、この「客観視」で生まれた刺はつらくて、書くことの楽しさと天秤にかけてマイナスのほうが大きいと思うようになってきた。
いままでだって、「書くことないよ〜」とか「なんでこんなふうにしか書けないんだろう」とか散々那智さんにぐずっていたけど、それよりも得ることが大きかった。
でも、ほんの少しでもマイナスが多くて続ける理由はないよね。
だから、「薬指の刺青」はおしまいにします。
また、何かしらの形でブログを始めることになると思います。
ぜーんぜん違うHNで、どこかでひっそり変態話を書いてるかもしれません^^』
2ヶ月程前。
わたしはここまで考えた。
その前から、ずいぶんぐずって、最後はかなり冷静に那智さんと話し合った。
で、それでも、やっぱり続けることによる心のマイナスが大きいとわたしが判断して、わたしが決めた。
那智さんも、伝えることは伝え尽くして、それでもりん子の気持ちが変わらないなら、それはしかたがないとわたしの決定を尊重してくれた。
ひとつ、上にも書いてない理由があった。
それは、わたしのこの「不安の刺」は少なからず那智さんのせいだと感じていた。
ブログをはじめたとき、最初は「わたしはこんなことをしてて、こんな風に思ってて、愛し合ってます」ってことだけ吐き出したいと思っていた。
だけど、はじめてすぐ那智さんに「全部書く」と方針を打ち出された。
「わかってもらおう」って。
それは、「変態なことしてるけど、そこには愛情の裏打ちがあるんだよ」ってことをわかってもらうんだって解釈して、それでいろんなことを書いた。
もちろん、それは感じてくださる方には受け入れてもらったと思ってる。
でも、それと同じくらい、客観視すればするほど、恥ずかしく後から後から不安が付いてくると感じてきた。
だから、それは那智さんのせいだと、いつからか思っていた。
そこを那智さんに言わずに、ぐずっていたのね。
上の記事を書いて、アップする前にもう一回那智さんと話す時間があって、そこではじめてわたしは那智さんを責めた。
「わたしが、恥ずかしくて不安を感じるのは、全部書けと言った那智さんのせいだ」って、書いてて気持ち良かったことなんて棚に上げて。
そして、それをずっと心に貯めておいたことを謝った、素直に伝えるという約束を守らなかったから。
那智さんは、まずちゃんと伝えなかったことはよくないと言った。
そして、「そう、俺のせい」とあっさり認めた。
別にネットに世界で「ホント」も「ウソ」も関係ないし、人それぞれでかまわないのだけど、テキストだけで自分たちのことを公開するときに、那智さんは「ホントかよ」って思われたくなかったのだそうだ。
ここに書かれていることはすべてじゃない、不倫だしSMだし「ホントの愛」とはほど遠いかもしれない(遠い近いは関係ないけど)、だけど、ここまで書けば少なくともウソだとは思わないだろう。
那智さんは、ふたりの付き合いに社会性を持たせたいと思ってる。
ハプバーに行ったりするのもそれを感じる方法だし、同じ趣味の人との交流もそうだろう。
那智さんは、この「ウソとは思わないだろう」ということで、わたしたちを見せ、(一方的ではあるけど)これも社会性のひとつにしようと考えていたのです。(むしろ他の方法のほうがいいような感じもしますが^^;)
大げさだけど、片隅でわたしたちが存在してる証にしたかったのです。
薬指にある刺青と同じだ。
2人が一緒に存在してるって印。
(ここまで曝け出さなくても、上手に伝えられている人はたっくさんいらっしゃいます。全部書きゃあいいってものではありません。これが那智さんの望みってだ けです。みなさんそれぞれのやり方でブログをされているわけで、それはまったく否定すてるつもりないです。ああ、言い訳いっぱい。これも那智さんのせい!! 笑)
実は、わたしよりずっと那智さんのほうがこのブログにいっぱいの意味を載っけていたと話してくれた。
散々ぐずっているときから、似たようなことを言われていたけど、この時のお話しは素直にわたしの心に染み込んだ。(わたしも素直に那智さんをい責めたからかな!?)
そして、その時タイミングよく、コメントをいただいた。
評価を気にするわたしには、コメントは嬉しいご褒美だった。(那智さんは、こんなノロケブログに見に来てくれるだけでも充分な「評価」だって言うけど、ご褒美ほしいもん)
もうちょっと続けてみようと、単純なわたしは上の記事をアップするの、やめたのでした。
はあ、ほんとに子供のような性格です。
でも、今回はわたしなりに時間をかけて、それでも「やめるー!」になったの。
なのに、あっさり前言撤回、有言不実行、やっぱり子供です。(事後でアップしてるから有言じゃないかな)
情けないし、恥ずかしいなぁ、でも、書くか。
那智さんは「全部書けば、それは強い」って言ってる。
このブログの評価できる点は「全部書いてることだ」という感想もいただいたことがある。
後先考えず突っ走るところが、わたしの良い所でもあると言っていただいたこともある。
だから、この一連のことも、いまのタイミングでアップしてみました。
子供のようなわたしはめそめそぐずぐずしながらも、書き続けるということで自信とか強さとか持てるかもしれない。
ううん、そんな大げさなことじゃなくて、今回のことで、わたしはもっともっと純粋にブログを書くことを楽しめるようになったと思う。
だって、こんな子供みたいでも裸で宝塚でも、来てくれる人がいるんだもん。
6万件です。
来てくださって、ありがとう。
もしこれが那智さんの言う社会性のひとつなら、どうか楽しんでいってくださね。
まだ続けようと思えたのも、日々のカウンターの数字と時々いただくコメントやメールがパワーになっています。
ありがとう。
そして、ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
ほんとにお疲れさまでした。
読んでくださった方に。
いつもの感謝記念ですが、実は、5万を区切りにもうやめようと思ってました。
募集といっても、那智さんが募集したければ記念もなにも関係なく募集できるわけで。
だから、なんか面白い企画が思いつかなかったらやめよって。
でも、那智さんがね、思いついたの。
「りん子と那智とチャットでお話ししませんか!?」って!!!
ええええ?
それって、どうなの!?
普段、コメントも少ないこのブログでチャットなんてやったって誰か来てくれるのでしょうか!?
第一、何話すの?
全部書いてる、この多岐に渡ったノロケの場で、何について話すの!?
これも那智さんの「社会性」なのでしょうか。
それよりも、まず、中指だけでキーボードを打ってるわたしがチャットなんかできるのだろうかと、それが一番の難題です。
どうなることやら…。
まあ、でも、楽しそうなので、企画します。
「りん子と那智とチャットでお話ししませんか?」
2人が揃う時がまだ未確定なので、決定次第お知らせします。
きっと当日とかになってしまうと思うけど、近日中にはできると思います。
それとね、今日わたし「キリ番」っていうのゲットしてしまいました!!
管理者がゲットしてどうかと思いますが、いままで気付いたら50003とかになっていたから、素直にとっても喜んでしまった。
で、思わず写真に撮っちゃった!!
ね!?
裸で羽根付けて「ゴールデン♪ゴールデン♪た、か、ら、づ、か〜♪」って踊ってるけど、それでも、楽しんでいきたいと思います。
どうぞ、一緒に楽しんでくださね。
で、わたしも時々、おもてに遊びに行かせてもらお^^洋服着て。
いままで、来てくださったすべての人に、わたしに関わってくださった人に、ありがとうございました。
即物的でハートフル
独特な幸福感
「○曜日は、○○で○○だけするから、それが済んだら○時まで時間ができるよ。だから、おまんこしよう。」
おまんこする。
那智さんは、いろんなことを総称して、いつもそういう。
あまりにも直接的で身も蓋もない、決して上品ではないその言い方、わたしは絶対口にすることないけど、那智さんらしいなぁと苦笑しながら受け流しています。
だけど、そのときのそれはやけに爽やかだった。
「おまんこ」という即物的な名称からは対極にあるような、爽やかさ!?
おまんこしよう。
「そうだ、京都に行こう」的な。
癒しのような暖かみがあり、それでいて強い吸引力を感じさせる言い方だった。
そのお誘いに、その直接的なお誘いにどうお返事してよいものか、そして、時間的制約や立地などの現実的なことに頭が働いてしまって、「どこでですか!?」とこれまたトンチンカンな切り返しをするわたし。
「どこって?」
那智さんとしては、そこまで具体的に考えてなかったようで、とにかく○曜日は会えそうだよってことだったらしい。
「○○まで出るんですか?それともお仕事場?」
直接的な、暖かく強いお誘いに、まだどう答えていいかわからず、照れ隠しのように食い下がる。
「いや、どこでもいいよ。」
食い下がるわたしに、ちょっと戸惑う那智さん。
ああ、いけない、那智さんの、即物的で暖かく吸引力のあるお誘いにちゃんとお答えしなくちゃ。
なんだか、わたしは、そこにハートフルを見つけてしまって、心がポッと明るくなる。
「那智さん、もう一回、わたしを誘ってください。」
「誘ってって、おまんこしようって?」
「はい、ちゃんとお返事しなかったから。」
「あはは、いいよ、りん子○曜日、おまんこしよう。」
「はーい♪」
「もっと、ちゃんと返事しなきゃ、わたしもおまんこしたいですって 笑」
いえ、それは言えません。
かるーく無視して受け流しました^^;
ということで、わたしは那智さんに即物的で暖かくて強い吸引力でハートフルな癒しのおまんこをしてもらいに行くのでした。
「○曜日は、○○で○○だけするから、それが済んだら○時まで時間ができるよ。だから、おまんこしよう。」
おまんこする。
那智さんは、いろんなことを総称して、いつもそういう。
あまりにも直接的で身も蓋もない、決して上品ではないその言い方、わたしは絶対口にすることないけど、那智さんらしいなぁと苦笑しながら受け流しています。
だけど、そのときのそれはやけに爽やかだった。
「おまんこ」という即物的な名称からは対極にあるような、爽やかさ!?
おまんこしよう。
「そうだ、京都に行こう」的な。
癒しのような暖かみがあり、それでいて強い吸引力を感じさせる言い方だった。
そのお誘いに、その直接的なお誘いにどうお返事してよいものか、そして、時間的制約や立地などの現実的なことに頭が働いてしまって、「どこでですか!?」とこれまたトンチンカンな切り返しをするわたし。
「どこって?」
那智さんとしては、そこまで具体的に考えてなかったようで、とにかく○曜日は会えそうだよってことだったらしい。
「○○まで出るんですか?それともお仕事場?」
直接的な、暖かく強いお誘いに、まだどう答えていいかわからず、照れ隠しのように食い下がる。
「いや、どこでもいいよ。」
食い下がるわたしに、ちょっと戸惑う那智さん。
ああ、いけない、那智さんの、即物的で暖かく吸引力のあるお誘いにちゃんとお答えしなくちゃ。
なんだか、わたしは、そこにハートフルを見つけてしまって、心がポッと明るくなる。
「那智さん、もう一回、わたしを誘ってください。」
「誘ってって、おまんこしようって?」
「はい、ちゃんとお返事しなかったから。」
「あはは、いいよ、りん子○曜日、おまんこしよう。」
「はーい♪」
「もっと、ちゃんと返事しなきゃ、わたしもおまんこしたいですって 笑」
いえ、それは言えません。
かるーく無視して受け流しました^^;
ということで、わたしは那智さんに即物的で暖かくて強い吸引力でハートフルな癒しのおまんこをしてもらいに行くのでした。
幸せ
独特な幸福感
那智さんの幸せがわたしの幸せ。
わたしは、わたしのまわりの人が心地良くしていてほしいと、もしかしたら人一倍思ってるかもしれない。
それ故に、必要以上にまわりを気にしていると思う。
不穏な空気を恐れ、ほんとうは関係を深めるためには必要な摩擦を避けているところもある。
まあ、でも、一見周囲を気遣い息を潜めているように見えますが、反面子供のように突っ走ってしまう部分もあるので、ちゃんと気遣いのできる大人とは程遠いな〜と自嘲してますが^^;
で、その心地良くしてほしいという気持ちは那智さんに対しても同じで、マッサージしたりお仕事手伝ったりと一生懸命になるのです。
大好きな人に幸せを感じてもらえると、そりゃあもう嬉々として奔走します。
ひとつ前のように、ほんのちょっとでも那智さんの心が明るくなればと、ほとんど意味のないことでもしてしまうのです。
それはほんとの気持ち。
那智さんがいい気分でいてくれるとわたしも嬉しい。(機嫌悪いことなんてほとんどないけど)
とっても殊勝なわたし。
でも、それだけじゃないの、自覚してる。
那智さんの幸せを願い動くことで「ほめてもらいたい」というよこしまな気持ちもある。
ほめてもらうことでわたしは那智さんをもっと慕い、那智さんの幸せを願うという、ふたりにとって幸福のスパイラルが出来上がるので、まあ、よしとしてください。
それと、もうひとつ。
もっと、自分勝手な感情もあるんだ。
それはね、那智さんからの愛情の安定供給がほしいのです。
那智さんだって、聖人君子じゃないので、大変なときはそれなりの対応になるのは当たり前。
それは仕方ないことなんだけど、できれば、できるだけ、早く安定供給してほしい。
だから、大変にならないで、良い気分でいてわたしに愛をくださいという願いも込めてしまっているのです。
物欲のないわたしは、プレゼントより高級レストランより、愛の安定供給。
心から那智さんの幸せをを願うわたしも本物。
だけど、純粋じゃないのもわかってる。
もし、無償の愛が「奴隷」の務めなら、わたしは失格だなって、思う。
多分、人よりちょっと「献身的」なわたしだけど、それでも、邪念だらけ。
むしろ、那智さんのほうが「無償の愛」かもしれない^^;
だから、那智さんの幸せがわたしの幸せ。
そして、わたしが幸せだと、那智さんもきっと幸せ。
それで、いいですよね。
それでも、わたしはわたしのできる範囲であなたを心地良くしたい。
無理することなく、自然にあなたの幸せを願う。
それほど多くないけど、ワードローブの中から那智さんの好みを選び、どんな色にしようか口紅を並べる。
それは、嬉しく楽しい作業。
うん。
那智さんの幸せを願う、わたしも良い気分^^
幸福のスパイラルになれました。
那智さんの幸せがわたしの幸せ。
わたしは、わたしのまわりの人が心地良くしていてほしいと、もしかしたら人一倍思ってるかもしれない。
それ故に、必要以上にまわりを気にしていると思う。
不穏な空気を恐れ、ほんとうは関係を深めるためには必要な摩擦を避けているところもある。
まあ、でも、一見周囲を気遣い息を潜めているように見えますが、反面子供のように突っ走ってしまう部分もあるので、ちゃんと気遣いのできる大人とは程遠いな〜と自嘲してますが^^;
で、その心地良くしてほしいという気持ちは那智さんに対しても同じで、マッサージしたりお仕事手伝ったりと一生懸命になるのです。
大好きな人に幸せを感じてもらえると、そりゃあもう嬉々として奔走します。
ひとつ前のように、ほんのちょっとでも那智さんの心が明るくなればと、ほとんど意味のないことでもしてしまうのです。
それはほんとの気持ち。
那智さんがいい気分でいてくれるとわたしも嬉しい。(機嫌悪いことなんてほとんどないけど)
とっても殊勝なわたし。
でも、それだけじゃないの、自覚してる。
那智さんの幸せを願い動くことで「ほめてもらいたい」というよこしまな気持ちもある。
ほめてもらうことでわたしは那智さんをもっと慕い、那智さんの幸せを願うという、ふたりにとって幸福のスパイラルが出来上がるので、まあ、よしとしてください。
それと、もうひとつ。
もっと、自分勝手な感情もあるんだ。
それはね、那智さんからの愛情の安定供給がほしいのです。
那智さんだって、聖人君子じゃないので、大変なときはそれなりの対応になるのは当たり前。
それは仕方ないことなんだけど、できれば、できるだけ、早く安定供給してほしい。
だから、大変にならないで、良い気分でいてわたしに愛をくださいという願いも込めてしまっているのです。
物欲のないわたしは、プレゼントより高級レストランより、愛の安定供給。
心から那智さんの幸せをを願うわたしも本物。
だけど、純粋じゃないのもわかってる。
もし、無償の愛が「奴隷」の務めなら、わたしは失格だなって、思う。
多分、人よりちょっと「献身的」なわたしだけど、それでも、邪念だらけ。
むしろ、那智さんのほうが「無償の愛」かもしれない^^;
だから、那智さんの幸せがわたしの幸せ。
そして、わたしが幸せだと、那智さんもきっと幸せ。
それで、いいですよね。
それでも、わたしはわたしのできる範囲であなたを心地良くしたい。
無理することなく、自然にあなたの幸せを願う。
それほど多くないけど、ワードローブの中から那智さんの好みを選び、どんな色にしようか口紅を並べる。
それは、嬉しく楽しい作業。
うん。
那智さんの幸せを願う、わたしも良い気分^^
幸福のスパイラルになれました。
思い出話(わがままM女)
独り言
昔わたしが楽しんでいたテレクラの「伝言ダイヤル」、久しぶりに第四弾です。(思い出話 思い出話(声は重要♪) 思い出話(ああ、勘違い編)もご覧くださいね^^)
個性豊かなSM系伝言ダイヤル。
SM未経験のわたし、旅をしたり本を読んだりしてほんの少し踏み出したわたし、伝言ダイヤルで相手を見つけようとはほとんど思わなかったけど、それでもその個性を楽しみながなも「わたしだったら…どの人選ぶ?」という意識はなくはなかった。
でも、その目線だと、申し訳ないけど、ほとんど皆無でした。
例えば。
「はじめまして。SMに興味がある35才です。経験はないので一緒に成長していかれたらと思います。」
なんて人。
う〜ん、できれば多少経験がほしいかな…、経験に基づく余裕みたいなのほしいかな…。
そうかと思えば、逆パターン。
「血の匂いに惹かれるマゾ。私がセックス漬けにしてあげよう。海外でSMの経験のあるベテランのS。連絡待ってる。」
うわあ、ダメ、いきなりギロチンとか出て来そう!!!
経験はあったほうがいいけど、血もセックス漬けも海外も、何もかも尻込みします…。
初心者もダメ、特化したベテランもダメ(笑)
バランスが必要ですね。
性癖は様々。
SはMは変態はこうじゃなきゃってこともないですよね。
とても渋い声(多少演技入ってる?)、ゆっくりと話してる、独特の間合い。
「…ペットのように可愛がられたいM女、医療プレイに興味のあるM女、私は単身赴任で時間に余裕のある50代の経験豊富なS男性です。…やってみたいと思うM女は連絡をしてきなさい。」
低い声、経験豊富なずいぶんと年上。
選ぶとまでは全然いかないけど、「割とましかも!?」と針がちょんと振れる。
そして、次の人、また次の人と聞く。(要するにスルーしちゃってるのだけど)
「…私は50代で、単身赴任をしています…」
んん?ふたつ前の人?
声の枯れた感じや独特の間合いから、明らかにさっきの男性なんだけど、声が若干高くなってるから、一瞬「?」ってなった。
「…私は50代で、単身赴任をしています…Mの男性です。」
えええ?M!?ふたつ前ではSだったよね!?
「すてきな女王様にペットにしていただきたいです。医療プレイにも興味があります。よろしくお願いします。」
伝言ふたつ分で鞍替え!?でも、ペットと医療プレイは外せないのね(笑)
さっきSだって言っていて、すぐ後に女王様を募集できてしまう感覚、聞いてるわたしが照れ臭いです。
しかも、若干声色変えてるし…、そこがまたちょっと切ないぞ。
SもMも両方あったってかまわないの。
性癖は様々、それは責めない、認めます。
でも、もうちょっと作戦考えてほしいと思うのです。
こちらが切なくなってしまっては、ご主人様とは呼びにくいです^^;
伝言ダイヤルではなかなかこの人!という人には出会えませんでした。
最後に、よくあったのが「絶対服従してくれる人」という言葉で募集をする人。
絶対服従って結果だよね、最初にそれありきじゃないよね。
「あなただからいいのだ」という関係が作れてはじめて使ってもいいかもしれない言葉だよね。(それでも使わないけど)
最初にそれを条件に出されると、わたしはできないので選んでもらえないな〜って思ってました。
みなさんの伝言を聞いて、勝手にわがままに選んで遊んでました。
遊んでいたのはごめんなさいだけど、自分の願望を叶えるためには、いっぱいわがままになってもいいと思うのです。
たかが性癖、たかがエッチ、だけど仕事でも社会生活でもない自分の自由な場所だもの、我慢も妥協もする必要ないですよね。
「あなただから、いい」と言える人に出会えるまで、わがままでもいいと思うのです。
それにしても、普通の出会い系を知らないからわからないけど、SM系のものは比較的みんな真面目だった。
エッチの延長って人もいたけど、大抵は「捨てられない性癖」を持っていると感じさせる人だった。
もしかしたら、普通の人よりも真摯なんじゃないかと。
法に触れず、人を傷付けず、その捨てられないものが叶うといいですねと、個性的な人々に苦笑しながら愛すべき変態さんたちの言葉を聞いていたのでした。
昔わたしが楽しんでいたテレクラの「伝言ダイヤル」、久しぶりに第四弾です。(思い出話 思い出話(声は重要♪) 思い出話(ああ、勘違い編)もご覧くださいね^^)
個性豊かなSM系伝言ダイヤル。
SM未経験のわたし、旅をしたり本を読んだりしてほんの少し踏み出したわたし、伝言ダイヤルで相手を見つけようとはほとんど思わなかったけど、それでもその個性を楽しみながなも「わたしだったら…どの人選ぶ?」という意識はなくはなかった。
でも、その目線だと、申し訳ないけど、ほとんど皆無でした。
例えば。
「はじめまして。SMに興味がある35才です。経験はないので一緒に成長していかれたらと思います。」
なんて人。
う〜ん、できれば多少経験がほしいかな…、経験に基づく余裕みたいなのほしいかな…。
そうかと思えば、逆パターン。
「血の匂いに惹かれるマゾ。私がセックス漬けにしてあげよう。海外でSMの経験のあるベテランのS。連絡待ってる。」
うわあ、ダメ、いきなりギロチンとか出て来そう!!!
経験はあったほうがいいけど、血もセックス漬けも海外も、何もかも尻込みします…。
初心者もダメ、特化したベテランもダメ(笑)
バランスが必要ですね。
性癖は様々。
SはMは変態はこうじゃなきゃってこともないですよね。
とても渋い声(多少演技入ってる?)、ゆっくりと話してる、独特の間合い。
「…ペットのように可愛がられたいM女、医療プレイに興味のあるM女、私は単身赴任で時間に余裕のある50代の経験豊富なS男性です。…やってみたいと思うM女は連絡をしてきなさい。」
低い声、経験豊富なずいぶんと年上。
選ぶとまでは全然いかないけど、「割とましかも!?」と針がちょんと振れる。
そして、次の人、また次の人と聞く。(要するにスルーしちゃってるのだけど)
「…私は50代で、単身赴任をしています…」
んん?ふたつ前の人?
声の枯れた感じや独特の間合いから、明らかにさっきの男性なんだけど、声が若干高くなってるから、一瞬「?」ってなった。
「…私は50代で、単身赴任をしています…Mの男性です。」
えええ?M!?ふたつ前ではSだったよね!?
「すてきな女王様にペットにしていただきたいです。医療プレイにも興味があります。よろしくお願いします。」
伝言ふたつ分で鞍替え!?でも、ペットと医療プレイは外せないのね(笑)
さっきSだって言っていて、すぐ後に女王様を募集できてしまう感覚、聞いてるわたしが照れ臭いです。
しかも、若干声色変えてるし…、そこがまたちょっと切ないぞ。
SもMも両方あったってかまわないの。
性癖は様々、それは責めない、認めます。
でも、もうちょっと作戦考えてほしいと思うのです。
こちらが切なくなってしまっては、ご主人様とは呼びにくいです^^;
伝言ダイヤルではなかなかこの人!という人には出会えませんでした。
最後に、よくあったのが「絶対服従してくれる人」という言葉で募集をする人。
絶対服従って結果だよね、最初にそれありきじゃないよね。
「あなただからいいのだ」という関係が作れてはじめて使ってもいいかもしれない言葉だよね。(それでも使わないけど)
最初にそれを条件に出されると、わたしはできないので選んでもらえないな〜って思ってました。
みなさんの伝言を聞いて、勝手にわがままに選んで遊んでました。
遊んでいたのはごめんなさいだけど、自分の願望を叶えるためには、いっぱいわがままになってもいいと思うのです。
たかが性癖、たかがエッチ、だけど仕事でも社会生活でもない自分の自由な場所だもの、我慢も妥協もする必要ないですよね。
「あなただから、いい」と言える人に出会えるまで、わがままでもいいと思うのです。
それにしても、普通の出会い系を知らないからわからないけど、SM系のものは比較的みんな真面目だった。
エッチの延長って人もいたけど、大抵は「捨てられない性癖」を持っていると感じさせる人だった。
もしかしたら、普通の人よりも真摯なんじゃないかと。
法に触れず、人を傷付けず、その捨てられないものが叶うといいですねと、個性的な人々に苦笑しながら愛すべき変態さんたちの言葉を聞いていたのでした。