奴隷誓約書
りん子的独り言(生意気)
宣誓書というものを書いたことがある。
付き合ってまだ間もないころ、那智さんがこんなのどう?と見せてくれた。
それは、「宣誓書」なるもので、「一、りん子は〜」で始まる宣言が何個も並んでいる。
もともとフォーマットがあって、名前の部分を「那智」と「りん子」に変えただけのものだった。
以前テレクラで相手を探していたころ、会うまでには至らなかったけど、何度か電話でやり取りをするくらいまでになった人がいた。
ある日その人が「奴隷誓約書」を書いて、と言ってきた。
「奴隷誓約書」という響きと、それにより抗えないという状況に淡い憧れを抱いたけど、なんだかピンとこないな〜と思っていた。
会う前から出来上がっている「奴隷」ってなんなんだろう?
そんなに簡単に奴隷になれるものなのかしら。
誓約書の意味がわからなかった。
必要性も感じられなかったの。
だって、誓約を破っても、罪に問われるわけでもない「誓約」って、そんなに大事な物?
それを書いたから自由にできるなんて、そんなに簡単じゃないでしょう。
となんだか嘘くさいと思ってしまった。
那智さんが見せてくれたそのフォーマットには「女の幸せを捨てご主人様の奴隷として〜」とか、「至らぬ点は厳しく正していただき、捨てられることも覚悟します。」そんなトーンの誓約がいくつか書いてあった。
それを読んだとき、その嘘くさい感じを思い出した。
だって、私、女の幸せ捨てたくないもの、那智さんに愛されて幸せになっていたいもの。
正してもらうのはいいとして、厳しくなんていやだもの。
そんなふうに思って、フォーマットに書かれている言葉に不満を申し出ると、じゃありん子の言葉に変えてみる?ということになって、その場の即興で変えてみた。
元の「奴隷として〜」というような重々しい骨組みに、ロマンティックなりん子言葉が加味されて、なんとも不思議な誓約書が出来上がった。
那智さんは、まあまあ気に入ってくれているみたいだけど、私は未だにちょっとピンときていないの。
だって、その誓約なんてほとんど忘れているし、そのころよりもっと今のほうが捕われていて離れられないんだもの。
そのころのほうが、「あなたのために」という勢いがあったかもしれないけど、実際は今のほうが、ずっと深くて慈しんでいるんだもの。
この数年間、誓約書があるから従ったわけでもないし、奴隷だから拒否権なしと思ったわけでもない。
そうしたいから、してきただけ。
どうしても既存のスタイルに抵抗を感じてしまう。
ブログ上のわかりやすい名称として那智さんを「ご主人様」と言っても差し支えないけど、できない。
自分を奴隷とも、ペットとも、思っていない。
はじめのころ私が恥ずかしがるから面白がって「ご主人様」と呼ばせていたことがあった。
ちょっと照れ臭いニックネームを呼んでいるみたいで、いつの間にか慣れてしまったら那智さんもつまらないから、ある時おしまいになった。
それから、自発的にご主人様なんて思いもしないし、呼んでもいない。
どうしても「奴隷誓約書」のように、嘘っぽく感じられてしまうからだ。
私はあなたのものというお伽噺を実感したいと、模索しているけれど、それはご主人様と奴隷でなく、愛する人との愛情表現というだけこと。
ブログを始めてネットの世界を覗いて初めて、たくさんの人がSMをしたり、主従関係を結んだり、性癖に向き合ったりしているのを知った。
皆さんそれぞれ幸せの形は違うから、いろんな方法で幸せを感じている。
その中で、なんてたくさんのご主人様がいて、たくさんの奴隷がいるんだろうと思った。
なかには全然会えなくて悲しんでいる人もいる。
その悲しみを「奴隷」だから、ご主人様にぶつけちゃいけないって押し殺している子もいる。
課せられた難題をクリアできずに、自分を責めている人もいる。
なんだか読んでいるこちらのほうが切なくなってしまう。
それこそ人それぞれなんだから、その関係を批判しているわけじゃない、皆さんそれぞれ幸せを感じているはず。
でも、私がそこから受ける印象だけで思ってしまったんだけど、私にとっては「寂しさをぶつけさせてくれる」関係のほうがいいと思ってしまう。
そんなに辛い(辛そう)思いをさせている人がご主人様なら、悲しみをぶつけさせてくれて、私の幸せを考えて、本当に幸せにしてくれている那智さんなんて、とっくの昔に私のご主人様だわと思ってしまった。
そう感じたら、なんだかくすぐったくって嬉しくて、那智さんにメールする。
「ね、ご主人様」って。
抵抗を感じていた嘘っぽさを感じずに、この感情が起きるのになんて時間が掛かって、そして、そう思って発するとなんて気持ち良いのでしょう。
誓約書を呼び方も、関係が深まれば自然に生まれるものなのかもしれない。
だから、はじめに誓約書ありきに、ちょっと疑問を持つのでした。
自然に「ご主人様」と思えたいま(でも、相変わらず呼んでないけど^^;)、誓約書も湧き上がる自然な感情で書き直しすとしたら、こう書こう。
「私は那智さんのもの!」
以上!!(笑)
だって、けっこう長々と面倒くさいだもん(笑)
追記:前の記事、一箇所直しました。うんこを水で流し込んで、吐いてもいいという那智さんに委ねられなかった所。その気持ちを「悲しい」から「残念」にしました。こちらが正確な気持ちでした。
宣誓書というものを書いたことがある。
付き合ってまだ間もないころ、那智さんがこんなのどう?と見せてくれた。
それは、「宣誓書」なるもので、「一、りん子は〜」で始まる宣言が何個も並んでいる。
もともとフォーマットがあって、名前の部分を「那智」と「りん子」に変えただけのものだった。
以前テレクラで相手を探していたころ、会うまでには至らなかったけど、何度か電話でやり取りをするくらいまでになった人がいた。
ある日その人が「奴隷誓約書」を書いて、と言ってきた。
「奴隷誓約書」という響きと、それにより抗えないという状況に淡い憧れを抱いたけど、なんだかピンとこないな〜と思っていた。
会う前から出来上がっている「奴隷」ってなんなんだろう?
そんなに簡単に奴隷になれるものなのかしら。
誓約書の意味がわからなかった。
必要性も感じられなかったの。
だって、誓約を破っても、罪に問われるわけでもない「誓約」って、そんなに大事な物?
それを書いたから自由にできるなんて、そんなに簡単じゃないでしょう。
となんだか嘘くさいと思ってしまった。
那智さんが見せてくれたそのフォーマットには「女の幸せを捨てご主人様の奴隷として〜」とか、「至らぬ点は厳しく正していただき、捨てられることも覚悟します。」そんなトーンの誓約がいくつか書いてあった。
それを読んだとき、その嘘くさい感じを思い出した。
だって、私、女の幸せ捨てたくないもの、那智さんに愛されて幸せになっていたいもの。
正してもらうのはいいとして、厳しくなんていやだもの。
そんなふうに思って、フォーマットに書かれている言葉に不満を申し出ると、じゃありん子の言葉に変えてみる?ということになって、その場の即興で変えてみた。
元の「奴隷として〜」というような重々しい骨組みに、ロマンティックなりん子言葉が加味されて、なんとも不思議な誓約書が出来上がった。
那智さんは、まあまあ気に入ってくれているみたいだけど、私は未だにちょっとピンときていないの。
だって、その誓約なんてほとんど忘れているし、そのころよりもっと今のほうが捕われていて離れられないんだもの。
そのころのほうが、「あなたのために」という勢いがあったかもしれないけど、実際は今のほうが、ずっと深くて慈しんでいるんだもの。
この数年間、誓約書があるから従ったわけでもないし、奴隷だから拒否権なしと思ったわけでもない。
そうしたいから、してきただけ。
どうしても既存のスタイルに抵抗を感じてしまう。
ブログ上のわかりやすい名称として那智さんを「ご主人様」と言っても差し支えないけど、できない。
自分を奴隷とも、ペットとも、思っていない。
はじめのころ私が恥ずかしがるから面白がって「ご主人様」と呼ばせていたことがあった。
ちょっと照れ臭いニックネームを呼んでいるみたいで、いつの間にか慣れてしまったら那智さんもつまらないから、ある時おしまいになった。
それから、自発的にご主人様なんて思いもしないし、呼んでもいない。
どうしても「奴隷誓約書」のように、嘘っぽく感じられてしまうからだ。
私はあなたのものというお伽噺を実感したいと、模索しているけれど、それはご主人様と奴隷でなく、愛する人との愛情表現というだけこと。
ブログを始めてネットの世界を覗いて初めて、たくさんの人がSMをしたり、主従関係を結んだり、性癖に向き合ったりしているのを知った。
皆さんそれぞれ幸せの形は違うから、いろんな方法で幸せを感じている。
その中で、なんてたくさんのご主人様がいて、たくさんの奴隷がいるんだろうと思った。
なかには全然会えなくて悲しんでいる人もいる。
その悲しみを「奴隷」だから、ご主人様にぶつけちゃいけないって押し殺している子もいる。
課せられた難題をクリアできずに、自分を責めている人もいる。
なんだか読んでいるこちらのほうが切なくなってしまう。
それこそ人それぞれなんだから、その関係を批判しているわけじゃない、皆さんそれぞれ幸せを感じているはず。
でも、私がそこから受ける印象だけで思ってしまったんだけど、私にとっては「寂しさをぶつけさせてくれる」関係のほうがいいと思ってしまう。
そんなに辛い(辛そう)思いをさせている人がご主人様なら、悲しみをぶつけさせてくれて、私の幸せを考えて、本当に幸せにしてくれている那智さんなんて、とっくの昔に私のご主人様だわと思ってしまった。
そう感じたら、なんだかくすぐったくって嬉しくて、那智さんにメールする。
「ね、ご主人様」って。
抵抗を感じていた嘘っぽさを感じずに、この感情が起きるのになんて時間が掛かって、そして、そう思って発するとなんて気持ち良いのでしょう。
誓約書を呼び方も、関係が深まれば自然に生まれるものなのかもしれない。
だから、はじめに誓約書ありきに、ちょっと疑問を持つのでした。
自然に「ご主人様」と思えたいま(でも、相変わらず呼んでないけど^^;)、誓約書も湧き上がる自然な感情で書き直しすとしたら、こう書こう。
「私は那智さんのもの!」
以上!!(笑)
だって、けっこう長々と面倒くさいだもん(笑)
追記:前の記事、一箇所直しました。うんこを水で流し込んで、吐いてもいいという那智さんに委ねられなかった所。その気持ちを「悲しい」から「残念」にしました。こちらが正確な気持ちでした。
金太郎飴の黒蜜がけ
独特な幸福感
次の駅が私の降りる駅。
そこで携帯がブルブルした。
那智さんからだ!
でも、電車の中だから話せない。
とりあえず通話ボタンを押して、小さい声で「あとちょっとで降りますから、このまま待っててください。」
もう、駅は目の前、早く到着して!
聞こえているのか聞こえなかったのか「いま電車なのね〜?」とだけ言ってあっさりと切られてしまった。
それと入れ替わるように、電車はホームに滑り込む。
急いで降りて、リダイヤルボタン。
「いま電車降りました〜!!那智さんはいまどこ?」
「駅のホーム」
2、3言話して、「もう電車に乗ったから、返事しないけど話したければどうぞ〜」
そう言われてもと思いつつ、今日の仕事の上手くいったこと、ちょっと反省点、そんなことをまず話す。
返事がないのわかっているから、矢継ぎ早に独り言しゃべりまくる。
仕事のお話が終わったら、次は友達がやってるお店に行った話。
他愛もない話を一人でしゃべりまくる。
たとえ無言でも「繋がっている」ということは、とても嬉しいこと。
でも、一気にしゃべったから、ちょっと一息入れて黙ると、「コツン」って音がした。
那智さんのお返事だ。
今日那智さんはお友達とお酒を飲んでいたから、そのお友達は私の存在を知っているから聞いてみる。
「○○さん、私のことなんか言ってましたか?」
「コツン」
「なんて言ってたんだろう?かわいい?きれい?」
「コンコンコンコンコン!!」
なにやら異議申し立て?
モールス信号(笑)
「那智さん、電車降りたらお話しできますか?」
「コツン、コツン」
「事務所に寄らずに帰るのですね?」
「コツン」
面白い、でも、一方的に話すことって、ちょっと虚しいなあ。
「那智さん、いま座ってます?」
「コツン」
「受話器当ててるんですよね?」
「コツン」
「電車で座って、黙って受話器を当ててるちょっと変な人?」
「コツン」
大の大人が黙ったまま受話器を当てて、それをコツコツと叩いている。
怪しい^^;
その姿を想像して、それを甘受してくれている那智さんを想像して、一方的に話すことも虚しくないな〜と思い直すのでした。
「週末は書き貯めているのないから、更新できないですよ、いいですか?」
「コツ、コツ」
「ダメ!?なんか書け?ですか?」
「コツン」
「え〜、無理ですよ〜、書かなきゃダメ?」
「コツン」
「書け、ですか?」
「コツン」
なんか書けって言われたから書きました。
昨日のくだらない会話。(音声とモールス信号による)
くだらないですよね、読んでる皆さんごめんなさい。
言わんこっちゃない、書くのに時間が掛けられないと、いつもの金太郎飴にくだらな過ぎの黒蜜をかけたみたいに、「うえ〜」ってものになちゃうのですよ、那智さん^^
でも、これは「書け」と言った那智さんの責任です。
食あたりなどの体調不良へのクレームは、那智さんにお願いします(笑)
次の駅が私の降りる駅。
そこで携帯がブルブルした。
那智さんからだ!
でも、電車の中だから話せない。
とりあえず通話ボタンを押して、小さい声で「あとちょっとで降りますから、このまま待っててください。」
もう、駅は目の前、早く到着して!
聞こえているのか聞こえなかったのか「いま電車なのね〜?」とだけ言ってあっさりと切られてしまった。
それと入れ替わるように、電車はホームに滑り込む。
急いで降りて、リダイヤルボタン。
「いま電車降りました〜!!那智さんはいまどこ?」
「駅のホーム」
2、3言話して、「もう電車に乗ったから、返事しないけど話したければどうぞ〜」
そう言われてもと思いつつ、今日の仕事の上手くいったこと、ちょっと反省点、そんなことをまず話す。
返事がないのわかっているから、矢継ぎ早に独り言しゃべりまくる。
仕事のお話が終わったら、次は友達がやってるお店に行った話。
他愛もない話を一人でしゃべりまくる。
たとえ無言でも「繋がっている」ということは、とても嬉しいこと。
でも、一気にしゃべったから、ちょっと一息入れて黙ると、「コツン」って音がした。
那智さんのお返事だ。
今日那智さんはお友達とお酒を飲んでいたから、そのお友達は私の存在を知っているから聞いてみる。
「○○さん、私のことなんか言ってましたか?」
「コツン」
「なんて言ってたんだろう?かわいい?きれい?」
「コンコンコンコンコン!!」
なにやら異議申し立て?
モールス信号(笑)
「那智さん、電車降りたらお話しできますか?」
「コツン、コツン」
「事務所に寄らずに帰るのですね?」
「コツン」
面白い、でも、一方的に話すことって、ちょっと虚しいなあ。
「那智さん、いま座ってます?」
「コツン」
「受話器当ててるんですよね?」
「コツン」
「電車で座って、黙って受話器を当ててるちょっと変な人?」
「コツン」
大の大人が黙ったまま受話器を当てて、それをコツコツと叩いている。
怪しい^^;
その姿を想像して、それを甘受してくれている那智さんを想像して、一方的に話すことも虚しくないな〜と思い直すのでした。
「週末は書き貯めているのないから、更新できないですよ、いいですか?」
「コツ、コツ」
「ダメ!?なんか書け?ですか?」
「コツン」
「え〜、無理ですよ〜、書かなきゃダメ?」
「コツン」
「書け、ですか?」
「コツン」
なんか書けって言われたから書きました。
昨日のくだらない会話。(音声とモールス信号による)
くだらないですよね、読んでる皆さんごめんなさい。
言わんこっちゃない、書くのに時間が掛けられないと、いつもの金太郎飴にくだらな過ぎの黒蜜をかけたみたいに、「うえ〜」ってものになちゃうのですよ、那智さん^^
でも、これは「書け」と言った那智さんの責任です。
食あたりなどの体調不良へのクレームは、那智さんにお願いします(笑)
祝3万件♪
独り言
おかげさまで、3万件になりました。
でも、その瞬間だけ見逃した〜(泣)
相変わらずの金太郎飴話にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
基本金太郎飴とはいえ、日々「変態」「センチメンタル」「ちょっと面白話」と金太郎なりに表情を変えて続けていることには、ちょっと自画自賛したい気持ちの3万件です^^
それは、見に来てくださる方や、コメントをくださる方がいてくださるからだと、ありがたい気持ちでいっぱいです。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。
恒例の「感謝記念那智さんよりご挨拶」をこの後に載せます。
まあ、よくそんな私をおもちゃにすることを提案できますねと、ため息を付いてしまいます。(これでも少し減らしてもらいました^^;)
でも、おもちゃになることが嬉しいのだから、しょうがない。
皆様から何らかのアクションをいただけて、それが高い高い山になり、私の前に立ちはだかって、「おもちゃが幸せ」なんて言ってられない状況になるまでは、甘い気持ちで好き勝手に扱われる喜びを噛み締めておきます。
応募やリクエストはメッセージBOXからお願いします。
ヒヤヒヤしながら、お待ちしています。
りん子
3万ヒットです。
ありがとうございます。
(以下の募集とリクエスト受付は締め切らせていただきました。応募くださったみなさん、ありがとうございました。順次連絡いたしますね)
遊びませんかの募集は今回は女性の方のみを募集します。
条件はSでもMでも良いので、自分はどちらかに多少でも傾いていると感じている方。
または、SとかM関係なく、女性を抱くことが好きな女性で、りん子とからんでも良いという方。
一緒に遊びませんか?
あくまでゲストなのでリクエストには出来る限り答えたいと思います。
でも、1回限りでお願いします。
詳細は相談にて。
もう一つ。
貴方がりん子にさせたいと思っている遊びを私がします。
そしてそれをブログで報告します。
勿論、それは勘弁して下さいというのもあるかもしれませんが、私の触手が動けば必ずいつかは実行します、モチベーションとして、「読者のリクエストだからしょうがないじゃん」みたいのも面白いかなと思っています。(笑)
とりあえず、何でも良いのでリクエストして下さい。
可能であれば写真でもご報告いたします。
4万ヒット記念のリクエストも同時募集ということで・・・・。
いつもながらありがとうございます、今後とも宜しくおねがいします。
那智
おかげさまで、3万件になりました。
でも、その瞬間だけ見逃した〜(泣)
相変わらずの金太郎飴話にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
基本金太郎飴とはいえ、日々「変態」「センチメンタル」「ちょっと面白話」と金太郎なりに表情を変えて続けていることには、ちょっと自画自賛したい気持ちの3万件です^^
それは、見に来てくださる方や、コメントをくださる方がいてくださるからだと、ありがたい気持ちでいっぱいです。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。
恒例の「感謝記念那智さんよりご挨拶」をこの後に載せます。
まあ、よくそんな私をおもちゃにすることを提案できますねと、ため息を付いてしまいます。(これでも少し減らしてもらいました^^;)
でも、おもちゃになることが嬉しいのだから、しょうがない。
皆様から何らかのアクションをいただけて、それが高い高い山になり、私の前に立ちはだかって、「おもちゃが幸せ」なんて言ってられない状況になるまでは、甘い気持ちで好き勝手に扱われる喜びを噛み締めておきます。
応募やリクエストはメッセージBOXからお願いします。
ヒヤヒヤしながら、お待ちしています。
りん子
3万ヒットです。
ありがとうございます。
(以下の募集とリクエスト受付は締め切らせていただきました。応募くださったみなさん、ありがとうございました。順次連絡いたしますね)
遊びませんかの募集は今回は女性の方のみを募集します。
条件はSでもMでも良いので、自分はどちらかに多少でも傾いていると感じている方。
または、SとかM関係なく、女性を抱くことが好きな女性で、りん子とからんでも良いという方。
一緒に遊びませんか?
あくまでゲストなのでリクエストには出来る限り答えたいと思います。
でも、1回限りでお願いします。
詳細は相談にて。
もう一つ。
貴方がりん子にさせたいと思っている遊びを私がします。
そしてそれをブログで報告します。
勿論、それは勘弁して下さいというのもあるかもしれませんが、私の触手が動けば必ずいつかは実行します、モチベーションとして、「読者のリクエストだからしょうがないじゃん」みたいのも面白いかなと思っています。(笑)
とりあえず、何でも良いのでリクエストして下さい。
可能であれば写真でもご報告いたします。
4万ヒット記念のリクエストも同時募集ということで・・・・。
いつもながらありがとうございます、今後とも宜しくおねがいします。
那智
私ってM?
非日常的な日常
最近思う、「私はマゾじゃないんじゃないか」って。
そもそもマゾとは何って話になってしまうから、いまは漠然とした感覚だけで言わせてね。
だって、鞭が恐い。
那智さんの仕事の関係で以前より会う頻度は減ったけど、想像していた最悪な事態よりもずっと会えている。
それでも多少減っていることに加えて、意識か無意識か最近鞭をしていないから、随分鞭の痛みから遠ざかっている。
痛いことって、「痛くされたい」という漠然とした憧れもあるけれど、慣れとか、そこから生まれる恍惚の記憶とかで、次を待つ気持ちになるところもあると思うの。
だから、遠ざかっていると、純粋に痛い=恐いになってしまう。
痛いことを全然していないわけじゃない。
全身を噛まれる時に感じる、食い千切られるような、振り払っても振り払ってもまとわりついてくるうっとうしい蠅のような不快感を伴う痛み。
片方のお尻だけを連続してスパンキングする、鈍痛が機械のように繰り返され、いつ終わるのかわからない不安感を伴うような痛み。
そういうものは味わっている。
それでも?それだからこそ?鞭による激痛を脳みそに蘇らせると、恐くて恐くて仕方がないの。
はじめて本格的に打たれた時、痛みで飛んで行ってしまった時、どうして私はあんなに痛いことを受け入れ耐えられたのだろうと、いま思うと不思議。
私、偉いって思ってしまう。
那智さんはいつも「痛すぎて怪我することはあっても、恐すぎたり恥ずかしすぎたりで怪我することはない」と言って、「痛すぎます」のセーフティーワードしか使わせてくれない。
だから、私がいりん子こで、どんなに恐いと訴えても何にも意味がないことはわかってるの。
むしろ、逆効果かもしれない。
でも、本当に恐い。
今週は、那智さんに会える。
久しぶりにゆっくり会える。
それがわかっていて、こんなことを書いたら、まるでそうしてほしいみたいですよね。
とても恐い、でも、不快感や不安感の伴う痛みじゃなくて、ただ強烈な痛さが欲しいと思う私が100人中2人くらいいてしまうんだもの。
那智さんの手によって、泣き叫びたいと思う私がいる、2人くらい。
でもね、本当に本当に恐いのです。
会うまでの数日を残りの98人の説得に費やしていただきたいなと、とっても思う。
あ〜あ、こんなこと書いちゃって、やっぱり私はどうしようもないくらいMなのかもしれない。
そして、「じゃあ、更にいっぱい痛くしよう」となるか「そんなに言うならわざとしない」となるのか、どっちにしても、那智さんのS的結果が待っている。
最近思う、「私はマゾじゃないんじゃないか」って。
そもそもマゾとは何って話になってしまうから、いまは漠然とした感覚だけで言わせてね。
だって、鞭が恐い。
那智さんの仕事の関係で以前より会う頻度は減ったけど、想像していた最悪な事態よりもずっと会えている。
それでも多少減っていることに加えて、意識か無意識か最近鞭をしていないから、随分鞭の痛みから遠ざかっている。
痛いことって、「痛くされたい」という漠然とした憧れもあるけれど、慣れとか、そこから生まれる恍惚の記憶とかで、次を待つ気持ちになるところもあると思うの。
だから、遠ざかっていると、純粋に痛い=恐いになってしまう。
痛いことを全然していないわけじゃない。
全身を噛まれる時に感じる、食い千切られるような、振り払っても振り払ってもまとわりついてくるうっとうしい蠅のような不快感を伴う痛み。
片方のお尻だけを連続してスパンキングする、鈍痛が機械のように繰り返され、いつ終わるのかわからない不安感を伴うような痛み。
そういうものは味わっている。
それでも?それだからこそ?鞭による激痛を脳みそに蘇らせると、恐くて恐くて仕方がないの。
はじめて本格的に打たれた時、痛みで飛んで行ってしまった時、どうして私はあんなに痛いことを受け入れ耐えられたのだろうと、いま思うと不思議。
私、偉いって思ってしまう。
那智さんはいつも「痛すぎて怪我することはあっても、恐すぎたり恥ずかしすぎたりで怪我することはない」と言って、「痛すぎます」のセーフティーワードしか使わせてくれない。
だから、私がいりん子こで、どんなに恐いと訴えても何にも意味がないことはわかってるの。
むしろ、逆効果かもしれない。
でも、本当に恐い。
今週は、那智さんに会える。
久しぶりにゆっくり会える。
それがわかっていて、こんなことを書いたら、まるでそうしてほしいみたいですよね。
とても恐い、でも、不快感や不安感の伴う痛みじゃなくて、ただ強烈な痛さが欲しいと思う私が100人中2人くらいいてしまうんだもの。
那智さんの手によって、泣き叫びたいと思う私がいる、2人くらい。
でもね、本当に本当に恐いのです。
会うまでの数日を残りの98人の説得に費やしていただきたいなと、とっても思う。
あ〜あ、こんなこと書いちゃって、やっぱり私はどうしようもないくらいMなのかもしれない。
そして、「じゃあ、更にいっぱい痛くしよう」となるか「そんなに言うならわざとしない」となるのか、どっちにしても、那智さんのS的結果が待っている。
嫌な予感
独特な幸福感
那智さんと一緒にいるだけで濡れる。
声を聞くだけで濡れる。
無意識の体の反応。
はじめのころはいちいち驚いていたけど、最近はもう慣れちゃったから、そういうものだって思ってる。
最近、更に不安に思うのが、那智さんの意志だけで、仕草だけで、スイッチが入って感じはじめてしまいそうな予感。
いままでだって、声だけで感じていたけど、もっとあっけなくもっとなり振り構わず感じてしまいそう。
愛している、慈しまれている、導かれている、そういう人として強固に繋がっているのと同じくらい、この目線だけでどうにでもなってしまうような繋がりが私を捉えて離さない。
そんなことを伝えたら「何を今更」と笑われてしまったから、私の中で生まれた新しいこの感覚は上手に説明できていないみたい。
パブロフの犬?
気を付けないと、那智さんの姿を見ただけでわんこになってしまいそうだわ。
那智さんが、頷いただけで地面に手を付いてしまいそうだわ。
那智さんと目が合っただけで、尻尾を入れるためにスカートをめくり上げてしまいそう。
それがとても気持ちが良いからと、那智さんの言う通りが幸せだからだと、理由付けをする前に舌を出してしまうような予感。
葛藤や後悔は、しばらくして後からどっと押し寄せるのでしょうけど。
後から来る分、雪だるまのように膨れ上がっているでしょうけれど。
ぐずった後や那智さんの意地悪に素直に反応できないちょっとへそ曲がりな時、生意気なほんの少し刺のある口調が止められないような時。
もしその予感が当たっているならば、そんな中でも那智さんの僅かに動く意志だけで尻尾を振ってしまうことになるでしょう。
悔しい。
那智さん大好き、那智さんの言う通りといつもブログで言ってるけど、私だってたくさん感情がある。
反論や抵抗したいことだってある。
もちろん反論させない手段として、この予感を行使する人ではないでしょうけれど、反論や抵抗の解決の直後や、その余韻を引きずって刺の残る私が、その「僅かな意志」で尻尾を振ってしまうであろう自分が悔しい。
わんこになりたい。
でも、私の中の生意気な私が、いまはまだいる。(ちょっと生意気りん子直後です^^;)
だから、いま簡単にわんこになるのが、わんこになって喜ぶことが、悔しい。
でも、この予感が当たっているのか、いまはわからない。
前の記事を読んで、「鞭を使うかどうしようか、迷う」と言っていた。
きっと楽しい悩みでしょうね。
どちらが私を翻弄できるか、いっぱい考えてね、那智さん。
で、今日の記事を読んで、りん子をどうしてやろうか、もっと悩んで楽しんでいただきましょう。
那智さんと一緒にいるだけで濡れる。
声を聞くだけで濡れる。
無意識の体の反応。
はじめのころはいちいち驚いていたけど、最近はもう慣れちゃったから、そういうものだって思ってる。
最近、更に不安に思うのが、那智さんの意志だけで、仕草だけで、スイッチが入って感じはじめてしまいそうな予感。
いままでだって、声だけで感じていたけど、もっとあっけなくもっとなり振り構わず感じてしまいそう。
愛している、慈しまれている、導かれている、そういう人として強固に繋がっているのと同じくらい、この目線だけでどうにでもなってしまうような繋がりが私を捉えて離さない。
そんなことを伝えたら「何を今更」と笑われてしまったから、私の中で生まれた新しいこの感覚は上手に説明できていないみたい。
パブロフの犬?
気を付けないと、那智さんの姿を見ただけでわんこになってしまいそうだわ。
那智さんが、頷いただけで地面に手を付いてしまいそうだわ。
那智さんと目が合っただけで、尻尾を入れるためにスカートをめくり上げてしまいそう。
それがとても気持ちが良いからと、那智さんの言う通りが幸せだからだと、理由付けをする前に舌を出してしまうような予感。
葛藤や後悔は、しばらくして後からどっと押し寄せるのでしょうけど。
後から来る分、雪だるまのように膨れ上がっているでしょうけれど。
ぐずった後や那智さんの意地悪に素直に反応できないちょっとへそ曲がりな時、生意気なほんの少し刺のある口調が止められないような時。
もしその予感が当たっているならば、そんな中でも那智さんの僅かに動く意志だけで尻尾を振ってしまうことになるでしょう。
悔しい。
那智さん大好き、那智さんの言う通りといつもブログで言ってるけど、私だってたくさん感情がある。
反論や抵抗したいことだってある。
もちろん反論させない手段として、この予感を行使する人ではないでしょうけれど、反論や抵抗の解決の直後や、その余韻を引きずって刺の残る私が、その「僅かな意志」で尻尾を振ってしまうであろう自分が悔しい。
わんこになりたい。
でも、私の中の生意気な私が、いまはまだいる。(ちょっと生意気りん子直後です^^;)
だから、いま簡単にわんこになるのが、わんこになって喜ぶことが、悔しい。
でも、この予感が当たっているのか、いまはわからない。
前の記事を読んで、「鞭を使うかどうしようか、迷う」と言っていた。
きっと楽しい悩みでしょうね。
どちらが私を翻弄できるか、いっぱい考えてね、那智さん。
で、今日の記事を読んで、りん子をどうしてやろうか、もっと悩んで楽しんでいただきましょう。