人体の不思議 パート2
非日常的な日常
今日と明日は、事情があって那智さんと連絡が取れません。
一方的にパソコンにメールすることはできるから、ポツポツと送って誤魔化しています。
今日のお昼の電話で「じゃあね、良い子にしてるんだよ。」って言ってもらって電話を切りました。
だから、私は良い子でいるのです。
良い子で、更新するのです。
なんのお話にしようかな〜。
やきもちの続き?
「ヒラヒラ」系統のお話?
そうだ、お蔵入りしようとしていた、とても恥ずかしいお話にしよう。
とても、とても恥ずかしいから、内緒にしていたいのだけど、那智さんはこのお話好きでしょうから、引っ張り出してしまおう。
題して「人体の不思議 パート2」
その日、私は「わんこ」にしてもらった。
大きなフォックスのファーを結びつけたアナルパールをお尻に入れて、首輪を付けて鎖を繋ぐ。
わんこのお返事は「わん!」。
人間みたいに「いってもいいですか?」なんて聞かなくていい、「わーん」って鳴いて好きなだけいけばいい。
羞恥心とか自意識とかを持て余してしまう私にとって、その状態は解放しやすい、実はありがたいこと。
ベッドに腰掛ける那智さんの足元にお行儀良く座って「わん♪」。
良い気分でいると、那智さんが「マッサージ機」を取り出してきた。
ああ、辛いことが起きてしまうんだな、とため息。
「非日常的な日常」の「この苦痛、ご存知ですか?」で、書いた巨大なマッサージ機だ。
発狂しそうなほどの長い苦痛の後に、発狂しそうなほどの快感が訪れる、マッサージ機。
その繰り返しは、狂気の沙汰だ。(大げさ?)
それをわんこの私に使うのだ。
苦痛も快感も「わん」でしか表せられないことは、不安だ。
スイッチを入れて、押し当てられた途端に強い刺激と快感の波。
「ああ〜」と口から漏れる声に、「わん、だろ」と頭をはたいて叱る那智さん。
思わず零れる人間の反応に、その都度叱責の平手が飛ぶ。
しばらくして、私は私の体の異変に気付く。
いや、私の体の異変ではない、私のまわりに起きた異変だ。
一瞬、我に返る。
床に、足を投げ出して横たわる私のお尻の辺りが濡れているのだ。
え?
水でもこぼしたようにかなりの量の水分に濡れる。
「那智さん、何か濡れています。」
「わん」しか言えないから、那智さんの目とその水分の辺りを交互に見て、目線で訴える。
2、3往復したくらいで、はじめて気付いて、目を丸くして那智さんを見る。
はじめから那智さんは気付いていたんだ。
嬉しそうに、私を見ている。
おしっこだ。
私は、私の自覚なしにお漏らしをしてしまっているんだ。
うそ!!信じられない!!
マッサージ機が、どこか排尿ポイントを刺激してしまったの?感覚がない。
止めたいけど、出している感覚のないのもを、止めることもできない。
後から後から、おしっこが流れ出て横たわる私の体を濡らしていく。
髪に付きそうだ。
上半身を起こしてなんとか逃れるけど、その間も強い刺激は続いていて、もう何を優先して良いかわからない。
合間に、人間の反応をすれば頭を叩かれ、苦痛から逃れるために体を倒せば髪が濡れ、「わーん」って叫びながら何度もいく。
でも、その日は、そのおしっこのせいでマッサージ機が滑ってしまって、一番の苦痛と快感をくれる場所にじっとしていてくれない。
苦痛や快感に振れることなく、続く激しい振動にお腹が気持ち悪くなってしまったのだ。
この不快感はいらない。
どうせなら、気の狂うような苦痛をください。
「わん」では、伝えられず、結局ギリギリになって「気持ち悪いです」と報告して、おしまいになった。
温かい濡らしたタオルで体をきれいに拭いてもらって、私がベッドで休んでいる間に床もきれいにしてくれる。
優しい那智さん。
「お漏らしりん子〜」なんていって、私をからかいながら、ほんと優しい那智さん。
落ち着いたら、またかまってくれたけど、もう尻尾も首輪もないから、人間だ。
でも、慣れって恐いもので思わず「わ〜〜〜ん」と言ってしまって、また笑いものにされてしまう、それも3回くらい(笑)
結局、あの体の反応は何だったのでしょう?
わからないから、人体の不思議。
無自覚のお漏らしは、仕方がないけど、恥ずかしいからお蔵入りしようかなと思っていました。
本当は、気持ち悪くならなければ、わんこのお皿でわんこのおやつ、しばらくわんこで遊ぶつもりだったらしい。
わんこでいるのは幸せだから、また、いつかわんこにしてくださいね、那智さん。
ああ、でも、天の邪鬼だから、そうお願いするとしてくれないかもしれない。
言ったことは、叶えてくれない。
じゃあ、こんなお願いをしてみたら良いかな?
「饅頭恐い」の逆パターンで♪
「看護婦さんの思い出話をたくさんして、私をいっぱい嫉妬させてください」
今日と明日は、事情があって那智さんと連絡が取れません。
一方的にパソコンにメールすることはできるから、ポツポツと送って誤魔化しています。
今日のお昼の電話で「じゃあね、良い子にしてるんだよ。」って言ってもらって電話を切りました。
だから、私は良い子でいるのです。
良い子で、更新するのです。
なんのお話にしようかな〜。
やきもちの続き?
「ヒラヒラ」系統のお話?
そうだ、お蔵入りしようとしていた、とても恥ずかしいお話にしよう。
とても、とても恥ずかしいから、内緒にしていたいのだけど、那智さんはこのお話好きでしょうから、引っ張り出してしまおう。
題して「人体の不思議 パート2」
その日、私は「わんこ」にしてもらった。
大きなフォックスのファーを結びつけたアナルパールをお尻に入れて、首輪を付けて鎖を繋ぐ。
わんこのお返事は「わん!」。
人間みたいに「いってもいいですか?」なんて聞かなくていい、「わーん」って鳴いて好きなだけいけばいい。
羞恥心とか自意識とかを持て余してしまう私にとって、その状態は解放しやすい、実はありがたいこと。
ベッドに腰掛ける那智さんの足元にお行儀良く座って「わん♪」。
良い気分でいると、那智さんが「マッサージ機」を取り出してきた。
ああ、辛いことが起きてしまうんだな、とため息。
「非日常的な日常」の「この苦痛、ご存知ですか?」で、書いた巨大なマッサージ機だ。
発狂しそうなほどの長い苦痛の後に、発狂しそうなほどの快感が訪れる、マッサージ機。
その繰り返しは、狂気の沙汰だ。(大げさ?)
それをわんこの私に使うのだ。
苦痛も快感も「わん」でしか表せられないことは、不安だ。
スイッチを入れて、押し当てられた途端に強い刺激と快感の波。
「ああ〜」と口から漏れる声に、「わん、だろ」と頭をはたいて叱る那智さん。
思わず零れる人間の反応に、その都度叱責の平手が飛ぶ。
しばらくして、私は私の体の異変に気付く。
いや、私の体の異変ではない、私のまわりに起きた異変だ。
一瞬、我に返る。
床に、足を投げ出して横たわる私のお尻の辺りが濡れているのだ。
え?
水でもこぼしたようにかなりの量の水分に濡れる。
「那智さん、何か濡れています。」
「わん」しか言えないから、那智さんの目とその水分の辺りを交互に見て、目線で訴える。
2、3往復したくらいで、はじめて気付いて、目を丸くして那智さんを見る。
はじめから那智さんは気付いていたんだ。
嬉しそうに、私を見ている。
おしっこだ。
私は、私の自覚なしにお漏らしをしてしまっているんだ。
うそ!!信じられない!!
マッサージ機が、どこか排尿ポイントを刺激してしまったの?感覚がない。
止めたいけど、出している感覚のないのもを、止めることもできない。
後から後から、おしっこが流れ出て横たわる私の体を濡らしていく。
髪に付きそうだ。
上半身を起こしてなんとか逃れるけど、その間も強い刺激は続いていて、もう何を優先して良いかわからない。
合間に、人間の反応をすれば頭を叩かれ、苦痛から逃れるために体を倒せば髪が濡れ、「わーん」って叫びながら何度もいく。
でも、その日は、そのおしっこのせいでマッサージ機が滑ってしまって、一番の苦痛と快感をくれる場所にじっとしていてくれない。
苦痛や快感に振れることなく、続く激しい振動にお腹が気持ち悪くなってしまったのだ。
この不快感はいらない。
どうせなら、気の狂うような苦痛をください。
「わん」では、伝えられず、結局ギリギリになって「気持ち悪いです」と報告して、おしまいになった。
温かい濡らしたタオルで体をきれいに拭いてもらって、私がベッドで休んでいる間に床もきれいにしてくれる。
優しい那智さん。
「お漏らしりん子〜」なんていって、私をからかいながら、ほんと優しい那智さん。
落ち着いたら、またかまってくれたけど、もう尻尾も首輪もないから、人間だ。
でも、慣れって恐いもので思わず「わ〜〜〜ん」と言ってしまって、また笑いものにされてしまう、それも3回くらい(笑)
結局、あの体の反応は何だったのでしょう?
わからないから、人体の不思議。
無自覚のお漏らしは、仕方がないけど、恥ずかしいからお蔵入りしようかなと思っていました。
本当は、気持ち悪くならなければ、わんこのお皿でわんこのおやつ、しばらくわんこで遊ぶつもりだったらしい。
わんこでいるのは幸せだから、また、いつかわんこにしてくださいね、那智さん。
ああ、でも、天の邪鬼だから、そうお願いするとしてくれないかもしれない。
言ったことは、叶えてくれない。
じゃあ、こんなお願いをしてみたら良いかな?
「饅頭恐い」の逆パターンで♪
「看護婦さんの思い出話をたくさんして、私をいっぱい嫉妬させてください」
味覚障害 2
独特な幸福感
11/5に書いた「やきもちを妬いている」話の本題です。
今回、なぜ私が以前付き合っていた看護婦さんに嫉妬しているかというお話をさせていただきますね。
なぜか、これも「味覚」関係なんですが。
「非日常的な日常」の「苺」(6/28のログです、はじめのころ♪)に書きましたが、那智さんは時々、私に噛み砕いた物を口移しで食べさせてくれる。
こんなことが嬉しくて、たまに気持ち良くなってしまったりもする。
わざと美味しくない調合(お米とコーヒーとか、温かい物と冷たい物とか)にされたりして、「ううう」となるときもあるけれど、なんでもやっぱり幸せ。
那智さんは私と知り合う以前にも、何人かの女性とSMをしてきた。
遊びだったり、比較的真剣だったり、はじめはノーマルな付き合いでもSMに発展させたりと、付き合いの種類は色々だったようだ。
その中で、看護婦さんだけに同じように咀嚼して食べさせたことがあるのだ。
「咀嚼して食べさせよう」と発想することも、それを受け入れる(尚かつ彼女は、嫌いな食べ物を克服までした!)ことも、「好意」程度の感情では成立しないように思うのだ。
行為そのものよりも、そこに映し出される「感情」に、嫉妬してしまう。
この間も、咀嚼したパンとおにぎりを食べさせてもらった。
(このあたりで、気持ち悪いと思っている方、警戒してくださいね 笑)
ぶどうのの入ったデニッシュは、咀嚼して一回、次にコーヒーを混ぜて一回、最後に緑茶と混ぜてかなり噛み砕きグチャグチャにして一回。
最後のブレンドは厳しかった。
でも、嬉しくて厳しいながらも、ニコニコモグモグ飲み込む。
次は、鮭のおにぎり、二回。
これは見事な噛み具合で、嬉しいだけじゃなく、美味しい。
(噛むと甘みが出たりするから?)
ご飯の甘みと鮭の風味が口に広がって、とても美味しい。
嬉しくて、でも、美味しいと思うことがちょっと照れ臭くて、やっぱりニコニコモグモグと飲み込む。
すると、那智さんがこんなことを言い出した。
「今日は、ずいぶんと幸せそうだから(この日もたくさんかまってもらったの)、ちょっと落としてあげるね。」
・・・・そんなことしないで(泣)
「看護婦さんはね、食べさせたとき『おいしい〜〜〜〜〜』って、すごく喜んでいたよ。」
もう、また看護婦さん。
「いつも、おいしいって言っていました?おいしくないように調合したときは?」
「いつもじゃないよ、おいしいときは『おいしい〜〜』で、まずいときは『まずい』ってまずそうにしていたよ。」
「那智さんは、その大きなリアクションを可愛いと、100%可愛いと思っていたのですか?」
「そうだね。」
ああ、もう、頭に来る。
悔しくて、半べそだ。
「こういうときりん子は『それが可愛いなら、看護婦さんに食べさせればいいじゃないですか〜』とか言うんだよな〜」
意地悪。
「私は、噛み砕いて口移しするような、一般的には異常なことに、手放しで『おいしい』なんて下品な表現できません。」
精一杯、抵抗する。
まず、非常識なことに対して、大きく喜びを表すことにためらいを感じてしまって、できない。
そして、もうひとつ。
おいしい時も、普通の時も、おいしくない時も、ある。
だけど、私は、そのどの時も「幸せ」なのだ。
だから、私は、どの時も同じに感じる「幸せ」だけを伝えているのだ。
多少の差はあるけど、全部幸せ、ニコニコモグモグしているのだ。
(それだって、「わーーーい、幸せ〜〜〜〜」みたいに大きなリアクションはわざとらしくてできない)
おいしい時に「おいしい」を表すと、それをしない時は「まずい」という区分になってしまうようで、できない。
那智さんがくれることに「おいしくない」という負の区分を作りたくないのだ。
美味関係なく、嬉しいくて幸せ。
それだけを伝えているのだ。
変な気遣いと、いらぬ自意識だ。
ここまで、話して「その考えは、一本取られたな。」と言っていたけど、私の気持ちは全然収まらない。
看護婦さんの素直に表現(私からしたら、わざとらしい表現!!)も、私の(変な)気遣いも、どちらも可愛いから、りん子の自然にしていればいいと言われても、全然気持ちは晴れない。
「じゃあ、私が『おいしい〜〜〜〜〜』って、大喜びしても、可愛いですか?」
「それは、わからない。」
意地悪、余計に混乱してしまう。
過去と比べても意味がない。
私が一番、もっと言うと唯一と強気に思っている。
だけど、このモヤモヤしたやきもちが晴れなくて、困っている。
もうひとつ厄介なことに、この看護婦さんと那智さんは仕事の関係で今でも年に1、2回くらいは連絡を取ったり会ったりしているのだ。(因みに、今はSに転身しているそうです)
那智さんは私の存在だけは伝えているそうだが、彼女からしてみたら「最近引っかけた子」くらいの認識らしい。
あああああああ、「きーーーーーーー」ってなる!!
これ打っている間も「きーーーーーーー」って、なってしまっている!!
「ふん、ばーか、あんたなんかより、もっともっといっぱい愛し合っているんだぞ〜。」
ああ、いけない、嫉妬の矛先は那智さん1人に絞らないと、下品になってしまう。
なんとか浮上したいけど、今日も連絡が取れないから1人でジタバタするしかないです。
でも、連絡取れても、この件では助けてくれないと思う、だって「落としてあげる」からはじまった話ですものね。
思い通り、落ちてます。
11/5に書いた「やきもちを妬いている」話の本題です。
今回、なぜ私が以前付き合っていた看護婦さんに嫉妬しているかというお話をさせていただきますね。
なぜか、これも「味覚」関係なんですが。
「非日常的な日常」の「苺」(6/28のログです、はじめのころ♪)に書きましたが、那智さんは時々、私に噛み砕いた物を口移しで食べさせてくれる。
こんなことが嬉しくて、たまに気持ち良くなってしまったりもする。
わざと美味しくない調合(お米とコーヒーとか、温かい物と冷たい物とか)にされたりして、「ううう」となるときもあるけれど、なんでもやっぱり幸せ。
那智さんは私と知り合う以前にも、何人かの女性とSMをしてきた。
遊びだったり、比較的真剣だったり、はじめはノーマルな付き合いでもSMに発展させたりと、付き合いの種類は色々だったようだ。
その中で、看護婦さんだけに同じように咀嚼して食べさせたことがあるのだ。
「咀嚼して食べさせよう」と発想することも、それを受け入れる(尚かつ彼女は、嫌いな食べ物を克服までした!)ことも、「好意」程度の感情では成立しないように思うのだ。
行為そのものよりも、そこに映し出される「感情」に、嫉妬してしまう。
この間も、咀嚼したパンとおにぎりを食べさせてもらった。
(このあたりで、気持ち悪いと思っている方、警戒してくださいね 笑)
ぶどうのの入ったデニッシュは、咀嚼して一回、次にコーヒーを混ぜて一回、最後に緑茶と混ぜてかなり噛み砕きグチャグチャにして一回。
最後のブレンドは厳しかった。
でも、嬉しくて厳しいながらも、ニコニコモグモグ飲み込む。
次は、鮭のおにぎり、二回。
これは見事な噛み具合で、嬉しいだけじゃなく、美味しい。
(噛むと甘みが出たりするから?)
ご飯の甘みと鮭の風味が口に広がって、とても美味しい。
嬉しくて、でも、美味しいと思うことがちょっと照れ臭くて、やっぱりニコニコモグモグと飲み込む。
すると、那智さんがこんなことを言い出した。
「今日は、ずいぶんと幸せそうだから(この日もたくさんかまってもらったの)、ちょっと落としてあげるね。」
・・・・そんなことしないで(泣)
「看護婦さんはね、食べさせたとき『おいしい〜〜〜〜〜』って、すごく喜んでいたよ。」
もう、また看護婦さん。
「いつも、おいしいって言っていました?おいしくないように調合したときは?」
「いつもじゃないよ、おいしいときは『おいしい〜〜』で、まずいときは『まずい』ってまずそうにしていたよ。」
「那智さんは、その大きなリアクションを可愛いと、100%可愛いと思っていたのですか?」
「そうだね。」
ああ、もう、頭に来る。
悔しくて、半べそだ。
「こういうときりん子は『それが可愛いなら、看護婦さんに食べさせればいいじゃないですか〜』とか言うんだよな〜」
意地悪。
「私は、噛み砕いて口移しするような、一般的には異常なことに、手放しで『おいしい』なんて下品な表現できません。」
精一杯、抵抗する。
まず、非常識なことに対して、大きく喜びを表すことにためらいを感じてしまって、できない。
そして、もうひとつ。
おいしい時も、普通の時も、おいしくない時も、ある。
だけど、私は、そのどの時も「幸せ」なのだ。
だから、私は、どの時も同じに感じる「幸せ」だけを伝えているのだ。
多少の差はあるけど、全部幸せ、ニコニコモグモグしているのだ。
(それだって、「わーーーい、幸せ〜〜〜〜」みたいに大きなリアクションはわざとらしくてできない)
おいしい時に「おいしい」を表すと、それをしない時は「まずい」という区分になってしまうようで、できない。
那智さんがくれることに「おいしくない」という負の区分を作りたくないのだ。
美味関係なく、嬉しいくて幸せ。
それだけを伝えているのだ。
変な気遣いと、いらぬ自意識だ。
ここまで、話して「その考えは、一本取られたな。」と言っていたけど、私の気持ちは全然収まらない。
看護婦さんの素直に表現(私からしたら、わざとらしい表現!!)も、私の(変な)気遣いも、どちらも可愛いから、りん子の自然にしていればいいと言われても、全然気持ちは晴れない。
「じゃあ、私が『おいしい〜〜〜〜〜』って、大喜びしても、可愛いですか?」
「それは、わからない。」
意地悪、余計に混乱してしまう。
過去と比べても意味がない。
私が一番、もっと言うと唯一と強気に思っている。
だけど、このモヤモヤしたやきもちが晴れなくて、困っている。
もうひとつ厄介なことに、この看護婦さんと那智さんは仕事の関係で今でも年に1、2回くらいは連絡を取ったり会ったりしているのだ。(因みに、今はSに転身しているそうです)
那智さんは私の存在だけは伝えているそうだが、彼女からしてみたら「最近引っかけた子」くらいの認識らしい。
あああああああ、「きーーーーーーー」ってなる!!
これ打っている間も「きーーーーーーー」って、なってしまっている!!
「ふん、ばーか、あんたなんかより、もっともっといっぱい愛し合っているんだぞ〜。」
ああ、いけない、嫉妬の矛先は那智さん1人に絞らないと、下品になってしまう。
なんとか浮上したいけど、今日も連絡が取れないから1人でジタバタするしかないです。
でも、連絡取れても、この件では助けてくれないと思う、だって「落としてあげる」からはじまった話ですものね。
思い通り、落ちてます。
わがままでいたい
独特な幸福感
時々、自分勝手な書き方をしている。
フェラチオをしていても自分の快感のためにしていて、那智さんの反応さえも自分の快感だというような。
那智さんの幸せは私の幸せと言っているのに、ちょっとそれでは「りん子の幸せがりん子の幸せ」だけになっているみたい。
那智さん自身もこの書き方に「違和感」を感じているようだ。
那智さんの基本は「一緒」だ。
一緒に気持ち良くて、一緒に幸せ。
一見、那智さんのためにしているフェラチオも、りん子も気持ち良くてりん子も幸せ。
りん子が気持ち良いと、それを手掛けた那智さんも満足。
那智さんが満足だと、りん子は幸せ。
この幸せのぐるぐる螺旋がずっと続いている感じが、那智さんの言わんとしていることで、望みだ。
だから、本当はそうなのに「自分勝手」に見える私の書き方に、違和感を持っているのだ。
同じような性癖を持ち、同じような行為をしている人はいて、向き合い方は千差万別だろう。
でも、一般的に思われる(SMをしている時点で、一般的も何もないか 笑)、ご主人様のために苦痛に耐える健気な奴隷像みたいなのが、私は好きじゃないのだ。
奴隷制度がある訳じゃないから、嫌ならやめればいい、やめないということはどこかに快感はあるはずで、それを表さずに「滅私」している姿は、自意識過剰な私にはできない。(このところ「自意識」がいっぱい出てますね。これしか語彙がなくて、すみません)
どうも、陶酔しないとできないようなことが、苦手。
だから、「那智さんのため」だけとは、書きたくない。
それと、さらに「自分勝手」っぽく表しているのは、それが心地よいからなんだ。
ハツカネズミが走り続けているから、男振ったり離婚したりと好き勝手に生きているみたいだけど、同じように「いらぬ気遣い」のネズミさんもいつも走っている。
他人の目が気になり、相手の心の変化ばかり気になってしまう私には、この「自分勝手」風ができることが心地よいの。
自分の気持ちよさだけを考えて動いていることを表現できるのが嬉しいの。
本当は「那智さんが一緒だ」という安心の裏打ちがあるから、できることなのだ。
そして、そう宣言することで、気を抜くと「滅私」してしまうかもしれない私の良くない性格に釘を刺しているともいえる。
だから、多数派のS男性からしたら、出来の悪いM女なのかもしれない。
もうひとつ、最近那智さんと話題に出たことが、これもSMの主流かどうかという話。
(主流もなにも、ないでしょうけどね)
「公衆便所女」みたいに誰でも相手できるように仕立て上げるのと、「100%那智さん仕様」のようにするのと、どちらが主流なんだろうということ。
善し悪しや優劣を付けるつもりはないし、もっと他に形はあるだろうから、どっちがというのも間違っていると思うけど、話題提供としてね。
那智さんの目指しているのは「100%那智さん仕様」のりん子だ。
那智さんはそれを望んでいるけれど、心のどこかで「那智さんの手によって、感じる体になった」という状態も完全拒否でもないらしい。
また、セックスでそうなるのか、SM的行為でそうなるのか、それでも答えは違うみたい。
この辺のことを、あれこれお話しするのは楽しいことだ。
連絡が取れるようになったら、また掘り下げてみますね。
そして、ここでお話しさせてくださいませ。
時々、自分勝手な書き方をしている。
フェラチオをしていても自分の快感のためにしていて、那智さんの反応さえも自分の快感だというような。
那智さんの幸せは私の幸せと言っているのに、ちょっとそれでは「りん子の幸せがりん子の幸せ」だけになっているみたい。
那智さん自身もこの書き方に「違和感」を感じているようだ。
那智さんの基本は「一緒」だ。
一緒に気持ち良くて、一緒に幸せ。
一見、那智さんのためにしているフェラチオも、りん子も気持ち良くてりん子も幸せ。
りん子が気持ち良いと、それを手掛けた那智さんも満足。
那智さんが満足だと、りん子は幸せ。
この幸せのぐるぐる螺旋がずっと続いている感じが、那智さんの言わんとしていることで、望みだ。
だから、本当はそうなのに「自分勝手」に見える私の書き方に、違和感を持っているのだ。
同じような性癖を持ち、同じような行為をしている人はいて、向き合い方は千差万別だろう。
でも、一般的に思われる(SMをしている時点で、一般的も何もないか 笑)、ご主人様のために苦痛に耐える健気な奴隷像みたいなのが、私は好きじゃないのだ。
奴隷制度がある訳じゃないから、嫌ならやめればいい、やめないということはどこかに快感はあるはずで、それを表さずに「滅私」している姿は、自意識過剰な私にはできない。(このところ「自意識」がいっぱい出てますね。これしか語彙がなくて、すみません)
どうも、陶酔しないとできないようなことが、苦手。
だから、「那智さんのため」だけとは、書きたくない。
それと、さらに「自分勝手」っぽく表しているのは、それが心地よいからなんだ。
ハツカネズミが走り続けているから、男振ったり離婚したりと好き勝手に生きているみたいだけど、同じように「いらぬ気遣い」のネズミさんもいつも走っている。
他人の目が気になり、相手の心の変化ばかり気になってしまう私には、この「自分勝手」風ができることが心地よいの。
自分の気持ちよさだけを考えて動いていることを表現できるのが嬉しいの。
本当は「那智さんが一緒だ」という安心の裏打ちがあるから、できることなのだ。
そして、そう宣言することで、気を抜くと「滅私」してしまうかもしれない私の良くない性格に釘を刺しているともいえる。
だから、多数派のS男性からしたら、出来の悪いM女なのかもしれない。
もうひとつ、最近那智さんと話題に出たことが、これもSMの主流かどうかという話。
(主流もなにも、ないでしょうけどね)
「公衆便所女」みたいに誰でも相手できるように仕立て上げるのと、「100%那智さん仕様」のようにするのと、どちらが主流なんだろうということ。
善し悪しや優劣を付けるつもりはないし、もっと他に形はあるだろうから、どっちがというのも間違っていると思うけど、話題提供としてね。
那智さんの目指しているのは「100%那智さん仕様」のりん子だ。
那智さんはそれを望んでいるけれど、心のどこかで「那智さんの手によって、感じる体になった」という状態も完全拒否でもないらしい。
また、セックスでそうなるのか、SM的行為でそうなるのか、それでも答えは違うみたい。
この辺のことを、あれこれお話しするのは楽しいことだ。
連絡が取れるようになったら、また掘り下げてみますね。
そして、ここでお話しさせてくださいませ。
素直
独特な幸福感
めずらしく漫画なんか買ってしまった。
半年前くらいからほしいと思っていたのだが、なかなか出会いがなかった。
すごーく積極的にほしいと思っていたわけではないから、本屋さんによるついでに漫画コーナーも覗いてみてみるくらいの探しようだったから、なかなか出会えなかったの。
ネットでも販売しているけど、やはり元本は本屋さんで買いたい。
平積みされたり、本棚に収まっているものを直接手にとって、自分の物にしたい。
だから、その偶然の出会いを半ば楽しんでいるくらいだった。
先日、ちょっと大きな書店に立ち寄ったときに、やっと見つけた。
大島弓子さんの「綿の国星」。
私と同世代くらいの方くらいなら、ご存知でしょうか。
ご存じない方はごめんなさい。
主人公は「諏訪野チビ猫」。
人間は、はじめから人間と、はじめは猫でそれから人間になると信じている、子供の猫。
だから、どの猫も耳と尻尾はあるけど、どれも人間の姿をしている。
その猫と諏訪野家の人、チビ猫が出会う様々な猫と人間のお話。
恐らくこの漫画をはじめて読んだのは、小学校の高学年か、中学生くらいだったと思う。
姉が愛読していて、私に勧めてくれたのだ。
避妊猫が出てきて、チビ猫にまとわりつかれているうちに、小さいものを包み込むふんわりとしたケープの感覚を思い出すというお話。
当時、我が家で飼っていた猫も避妊手術をしていたから、「クッキー(飼っていた猫の名前)もこんな感覚かもね」と姉が私に教えてくれた。
だから、覚えているお話はそれだけなのだけど、なぜ急に読みたくなってしまったかというと、私の好きな「女の子状態」がこのチビ猫に似ているかもしれないと思い出したからなのです。
フワフワの髪の毛で、小さくて、真っ白いエプロンドレスを着ているチビ猫。
拾ってくれた諏訪野家の予備校生「時夫」が大好きで、時夫が帰ってくると「ダーッ」って駆けてきて「はしっ」と首に飛びつき「お帰り時夫。今日ね!!」と矢継ぎ早にニャーニャー訴える。
これは、私の憧れの状態ではないかと、再読して味わいたくなってしまったのです。
改めて読んでみると、もうチビ猫が可愛くて、羨ましくて、「ああ、私も那智さんのチビ猫になりたい♪」と、妄想の世界を駆けめぐりでした。
でも、そんな妄想が必要ないくらい、それはそれは素敵なお話で、絵も言葉も美しく、切ない中にユーモラスがちりばめられた名作でした。
上手に表現できなくて、とても悔しい。
今夜は、那智さんとお話しできた、それほど長くはないけれど濃い話ができた。
合間に大好きなお友達とおしゃべりしたりして、気持ちを軽くできた。
「綿の国星」も読み終わった。
美しいものに触れて、棘が一本抜けた気分だ。
明日は、もう少し素直になれる。
那智さんとお友達と大島弓子さんに感謝した夜でした。
しばらく「うっとうしいりん子」で、ごめんなさいでした。
めずらしく漫画なんか買ってしまった。
半年前くらいからほしいと思っていたのだが、なかなか出会いがなかった。
すごーく積極的にほしいと思っていたわけではないから、本屋さんによるついでに漫画コーナーも覗いてみてみるくらいの探しようだったから、なかなか出会えなかったの。
ネットでも販売しているけど、やはり元本は本屋さんで買いたい。
平積みされたり、本棚に収まっているものを直接手にとって、自分の物にしたい。
だから、その偶然の出会いを半ば楽しんでいるくらいだった。
先日、ちょっと大きな書店に立ち寄ったときに、やっと見つけた。
大島弓子さんの「綿の国星」。
私と同世代くらいの方くらいなら、ご存知でしょうか。
ご存じない方はごめんなさい。
主人公は「諏訪野チビ猫」。
人間は、はじめから人間と、はじめは猫でそれから人間になると信じている、子供の猫。
だから、どの猫も耳と尻尾はあるけど、どれも人間の姿をしている。
その猫と諏訪野家の人、チビ猫が出会う様々な猫と人間のお話。
恐らくこの漫画をはじめて読んだのは、小学校の高学年か、中学生くらいだったと思う。
姉が愛読していて、私に勧めてくれたのだ。
避妊猫が出てきて、チビ猫にまとわりつかれているうちに、小さいものを包み込むふんわりとしたケープの感覚を思い出すというお話。
当時、我が家で飼っていた猫も避妊手術をしていたから、「クッキー(飼っていた猫の名前)もこんな感覚かもね」と姉が私に教えてくれた。
だから、覚えているお話はそれだけなのだけど、なぜ急に読みたくなってしまったかというと、私の好きな「女の子状態」がこのチビ猫に似ているかもしれないと思い出したからなのです。
フワフワの髪の毛で、小さくて、真っ白いエプロンドレスを着ているチビ猫。
拾ってくれた諏訪野家の予備校生「時夫」が大好きで、時夫が帰ってくると「ダーッ」って駆けてきて「はしっ」と首に飛びつき「お帰り時夫。今日ね!!」と矢継ぎ早にニャーニャー訴える。
これは、私の憧れの状態ではないかと、再読して味わいたくなってしまったのです。
改めて読んでみると、もうチビ猫が可愛くて、羨ましくて、「ああ、私も那智さんのチビ猫になりたい♪」と、妄想の世界を駆けめぐりでした。
でも、そんな妄想が必要ないくらい、それはそれは素敵なお話で、絵も言葉も美しく、切ない中にユーモラスがちりばめられた名作でした。
上手に表現できなくて、とても悔しい。
今夜は、那智さんとお話しできた、それほど長くはないけれど濃い話ができた。
合間に大好きなお友達とおしゃべりしたりして、気持ちを軽くできた。
「綿の国星」も読み終わった。
美しいものに触れて、棘が一本抜けた気分だ。
明日は、もう少し素直になれる。
那智さんとお友達と大島弓子さんに感謝した夜でした。
しばらく「うっとうしいりん子」で、ごめんなさいでした。
那智さんの方法
独特な幸福感
私は、時々那智さんの足の指を舐める。
「はい、交代〜。」と、いろんな事をしたあとで、那智さんが仰向けにゴロン寝ころんで、私が那智さんを気持ち良くしてあげる番。
といっても、私も同じか、それ以上気持ち良いのですけどね。
大概は「好きなように」と言われるので、好きなようにする。
好きなように動くのは、実は恥ずかしいのだけど、最近は「私のできること、したいこと」と那智さんの「気持ち良いこと」の着地ポイントのようなものを心得て きたという自信と、那智さんの好みの範疇で無我夢中になれる私を見つけたようで、能動的になることに多少抵抗感はなくなった。
だから、好きなようにする。
その時に、いつものパターンからちょっと外れるオプションで、足の指を舐めることもあるのだ。(手の指もあります)
これは、割と好きなことなのですが、毎回するにはちょっとハードルが高い。
私の羞恥心という自意識がストップをかけるの。
だから、時々。
はじめに足の甲にキスをして、親指から順番に口に含み舌を絡める。
指と指の間にも舌を這わす。
2、3本まとめてくわえて、お口の中を那智さんの指でいっぱいにしてしまうのも、好き。
那智さんは寝ころんで足を投げ出しているから、自然な形で足の甲が外側を向くようになる。
2、3本まとめる時などは特に、指の並びと同じ角度に顔を傾けないとくわえられないから、正座してしゃがみ込んで顔だけ傾けて頬をベッドに押し当てるようにしたり、那智さんの足元に私も寝ころんで体ごと那智さんの指と平行になるようにする。
おしゃぶりをする赤ん坊のように安心を貪ることに夢中になっているような、その体勢が好き。
そして、時折那智さんが洩らすため息も好き。
だけど、くすぐったいのを我慢してくれているのではないかと、ちょっと気になって、名残惜しいのだけど、いつも早めに切り上げるの。
そんな中、しゃがみ込む私の背中に、舐めていないもう片方の足を「どん」って乗せられることがある。
これは、とっても時々。
実は、私はこれが大好き(那智さんにも言っていません・・でも、多分気付いている?)。
私の中に「蔑まされたい」願望のようなものがあるのは、自覚している。
そして、私は依存度が強く、「那智さんのもの」なんて言っているともすれば自分のない女が「蔑まされる」と、本当はとことん堕ちてしまいそうなことも、予測はつく。
那智さんが、私に足を乗せるのは、蔑んでいるのではない。
「はいよ。」って、くっつけてくれているだけだ(と思う)。
頭を撫でたり、手を繋いだり・・・もしかしたら足の置き場に困ってなんて可能性もあるけど(そのへんに多少の「蔑み」はあるのかな)。
だから、私の「蔑まされたい」願望も適度に満たし、さらにちょっと意地悪な方法で可愛がってもらっていると感じられるから、好きなんだ。
唾液を口に垂らされるのも、下を向いたときに髪をぐいっと引いて顔を上げさせられることも、「蔑まされ」ているようで、可愛がられていると思える、配分が好き。
俺はりん子を「奴隷」にするつもりはない。
わざわざりん子を下げた位置に置かなくても、俺がしっかりしていれば、俺はいつも上にいる。
奴隷も牝豚も抱きたくないしね。
(うわあ、ちょっとキザですね、那智さん♪那智さんに羞恥責め!!とてもキザで上から物を見ているような言葉ですが、その前にたくさんお話し合いして、その結果でた言葉です。そこ端折っているので、ちょっとかっこつけすぎ那智さんになってます。)
だから、私は私のまま跪き、喜んで指を舐め唾液を飲む。
そういえば、私のおしっこを見てもらったついでに那智さんもおしっこをしたときがあって(連れション!?)、その時私がお手洗いのスリッパを履いてまだ便器の側にいたから、那智さんは片足はお手洗いの外で、もう片方は私の足に乗せておしっこをした。
これも、一見「蔑まされている」みたいの愛情表現?
それとも、これは純粋にスリッパ代わりだったのかしら?
わからないけど、幸せだったから、何でもいいわ♪
私は、時々那智さんの足の指を舐める。
「はい、交代〜。」と、いろんな事をしたあとで、那智さんが仰向けにゴロン寝ころんで、私が那智さんを気持ち良くしてあげる番。
といっても、私も同じか、それ以上気持ち良いのですけどね。
大概は「好きなように」と言われるので、好きなようにする。
好きなように動くのは、実は恥ずかしいのだけど、最近は「私のできること、したいこと」と那智さんの「気持ち良いこと」の着地ポイントのようなものを心得て きたという自信と、那智さんの好みの範疇で無我夢中になれる私を見つけたようで、能動的になることに多少抵抗感はなくなった。
だから、好きなようにする。
その時に、いつものパターンからちょっと外れるオプションで、足の指を舐めることもあるのだ。(手の指もあります)
これは、割と好きなことなのですが、毎回するにはちょっとハードルが高い。
私の羞恥心という自意識がストップをかけるの。
だから、時々。
はじめに足の甲にキスをして、親指から順番に口に含み舌を絡める。
指と指の間にも舌を這わす。
2、3本まとめてくわえて、お口の中を那智さんの指でいっぱいにしてしまうのも、好き。
那智さんは寝ころんで足を投げ出しているから、自然な形で足の甲が外側を向くようになる。
2、3本まとめる時などは特に、指の並びと同じ角度に顔を傾けないとくわえられないから、正座してしゃがみ込んで顔だけ傾けて頬をベッドに押し当てるようにしたり、那智さんの足元に私も寝ころんで体ごと那智さんの指と平行になるようにする。
おしゃぶりをする赤ん坊のように安心を貪ることに夢中になっているような、その体勢が好き。
そして、時折那智さんが洩らすため息も好き。
だけど、くすぐったいのを我慢してくれているのではないかと、ちょっと気になって、名残惜しいのだけど、いつも早めに切り上げるの。
そんな中、しゃがみ込む私の背中に、舐めていないもう片方の足を「どん」って乗せられることがある。
これは、とっても時々。
実は、私はこれが大好き(那智さんにも言っていません・・でも、多分気付いている?)。
私の中に「蔑まされたい」願望のようなものがあるのは、自覚している。
そして、私は依存度が強く、「那智さんのもの」なんて言っているともすれば自分のない女が「蔑まされる」と、本当はとことん堕ちてしまいそうなことも、予測はつく。
那智さんが、私に足を乗せるのは、蔑んでいるのではない。
「はいよ。」って、くっつけてくれているだけだ(と思う)。
頭を撫でたり、手を繋いだり・・・もしかしたら足の置き場に困ってなんて可能性もあるけど(そのへんに多少の「蔑み」はあるのかな)。
だから、私の「蔑まされたい」願望も適度に満たし、さらにちょっと意地悪な方法で可愛がってもらっていると感じられるから、好きなんだ。
唾液を口に垂らされるのも、下を向いたときに髪をぐいっと引いて顔を上げさせられることも、「蔑まされ」ているようで、可愛がられていると思える、配分が好き。
俺はりん子を「奴隷」にするつもりはない。
わざわざりん子を下げた位置に置かなくても、俺がしっかりしていれば、俺はいつも上にいる。
奴隷も牝豚も抱きたくないしね。
(うわあ、ちょっとキザですね、那智さん♪那智さんに羞恥責め!!とてもキザで上から物を見ているような言葉ですが、その前にたくさんお話し合いして、その結果でた言葉です。そこ端折っているので、ちょっとかっこつけすぎ那智さんになってます。)
だから、私は私のまま跪き、喜んで指を舐め唾液を飲む。
そういえば、私のおしっこを見てもらったついでに那智さんもおしっこをしたときがあって(連れション!?)、その時私がお手洗いのスリッパを履いてまだ便器の側にいたから、那智さんは片足はお手洗いの外で、もう片方は私の足に乗せておしっこをした。
これも、一見「蔑まされている」みたいの愛情表現?
それとも、これは純粋にスリッパ代わりだったのかしら?
わからないけど、幸せだったから、何でもいいわ♪