わがままでいたい
独特な幸福感
時々、自分勝手な書き方をしている。
フェラチオをしていても自分の快感のためにしていて、那智さんの反応さえも自分の快感だというような。
那智さんの幸せは私の幸せと言っているのに、ちょっとそれでは「りん子の幸せがりん子の幸せ」だけになっているみたい。
那智さん自身もこの書き方に「違和感」を感じているようだ。
那智さんの基本は「一緒」だ。
一緒に気持ち良くて、一緒に幸せ。
一見、那智さんのためにしているフェラチオも、りん子も気持ち良くてりん子も幸せ。
りん子が気持ち良いと、それを手掛けた那智さんも満足。
那智さんが満足だと、りん子は幸せ。
この幸せのぐるぐる螺旋がずっと続いている感じが、那智さんの言わんとしていることで、望みだ。
だから、本当はそうなのに「自分勝手」に見える私の書き方に、違和感を持っているのだ。
同じような性癖を持ち、同じような行為をしている人はいて、向き合い方は千差万別だろう。
でも、一般的に思われる(SMをしている時点で、一般的も何もないか 笑)、ご主人様のために苦痛に耐える健気な奴隷像みたいなのが、私は好きじゃないのだ。
奴隷制度がある訳じゃないから、嫌ならやめればいい、やめないということはどこかに快感はあるはずで、それを表さずに「滅私」している姿は、自意識過剰な私にはできない。(このところ「自意識」がいっぱい出てますね。これしか語彙がなくて、すみません)
どうも、陶酔しないとできないようなことが、苦手。
だから、「那智さんのため」だけとは、書きたくない。
それと、さらに「自分勝手」っぽく表しているのは、それが心地よいからなんだ。
ハツカネズミが走り続けているから、男振ったり離婚したりと好き勝手に生きているみたいだけど、同じように「いらぬ気遣い」のネズミさんもいつも走っている。
他人の目が気になり、相手の心の変化ばかり気になってしまう私には、この「自分勝手」風ができることが心地よいの。
自分の気持ちよさだけを考えて動いていることを表現できるのが嬉しいの。
本当は「那智さんが一緒だ」という安心の裏打ちがあるから、できることなのだ。
そして、そう宣言することで、気を抜くと「滅私」してしまうかもしれない私の良くない性格に釘を刺しているともいえる。
だから、多数派のS男性からしたら、出来の悪いM女なのかもしれない。
もうひとつ、最近那智さんと話題に出たことが、これもSMの主流かどうかという話。
(主流もなにも、ないでしょうけどね)
「公衆便所女」みたいに誰でも相手できるように仕立て上げるのと、「100%那智さん仕様」のようにするのと、どちらが主流なんだろうということ。
善し悪しや優劣を付けるつもりはないし、もっと他に形はあるだろうから、どっちがというのも間違っていると思うけど、話題提供としてね。
那智さんの目指しているのは「100%那智さん仕様」のりん子だ。
那智さんはそれを望んでいるけれど、心のどこかで「那智さんの手によって、感じる体になった」という状態も完全拒否でもないらしい。
また、セックスでそうなるのか、SM的行為でそうなるのか、それでも答えは違うみたい。
この辺のことを、あれこれお話しするのは楽しいことだ。
連絡が取れるようになったら、また掘り下げてみますね。
そして、ここでお話しさせてくださいませ。
時々、自分勝手な書き方をしている。
フェラチオをしていても自分の快感のためにしていて、那智さんの反応さえも自分の快感だというような。
那智さんの幸せは私の幸せと言っているのに、ちょっとそれでは「りん子の幸せがりん子の幸せ」だけになっているみたい。
那智さん自身もこの書き方に「違和感」を感じているようだ。
那智さんの基本は「一緒」だ。
一緒に気持ち良くて、一緒に幸せ。
一見、那智さんのためにしているフェラチオも、りん子も気持ち良くてりん子も幸せ。
りん子が気持ち良いと、それを手掛けた那智さんも満足。
那智さんが満足だと、りん子は幸せ。
この幸せのぐるぐる螺旋がずっと続いている感じが、那智さんの言わんとしていることで、望みだ。
だから、本当はそうなのに「自分勝手」に見える私の書き方に、違和感を持っているのだ。
同じような性癖を持ち、同じような行為をしている人はいて、向き合い方は千差万別だろう。
でも、一般的に思われる(SMをしている時点で、一般的も何もないか 笑)、ご主人様のために苦痛に耐える健気な奴隷像みたいなのが、私は好きじゃないのだ。
奴隷制度がある訳じゃないから、嫌ならやめればいい、やめないということはどこかに快感はあるはずで、それを表さずに「滅私」している姿は、自意識過剰な私にはできない。(このところ「自意識」がいっぱい出てますね。これしか語彙がなくて、すみません)
どうも、陶酔しないとできないようなことが、苦手。
だから、「那智さんのため」だけとは、書きたくない。
それと、さらに「自分勝手」っぽく表しているのは、それが心地よいからなんだ。
ハツカネズミが走り続けているから、男振ったり離婚したりと好き勝手に生きているみたいだけど、同じように「いらぬ気遣い」のネズミさんもいつも走っている。
他人の目が気になり、相手の心の変化ばかり気になってしまう私には、この「自分勝手」風ができることが心地よいの。
自分の気持ちよさだけを考えて動いていることを表現できるのが嬉しいの。
本当は「那智さんが一緒だ」という安心の裏打ちがあるから、できることなのだ。
そして、そう宣言することで、気を抜くと「滅私」してしまうかもしれない私の良くない性格に釘を刺しているともいえる。
だから、多数派のS男性からしたら、出来の悪いM女なのかもしれない。
もうひとつ、最近那智さんと話題に出たことが、これもSMの主流かどうかという話。
(主流もなにも、ないでしょうけどね)
「公衆便所女」みたいに誰でも相手できるように仕立て上げるのと、「100%那智さん仕様」のようにするのと、どちらが主流なんだろうということ。
善し悪しや優劣を付けるつもりはないし、もっと他に形はあるだろうから、どっちがというのも間違っていると思うけど、話題提供としてね。
那智さんの目指しているのは「100%那智さん仕様」のりん子だ。
那智さんはそれを望んでいるけれど、心のどこかで「那智さんの手によって、感じる体になった」という状態も完全拒否でもないらしい。
また、セックスでそうなるのか、SM的行為でそうなるのか、それでも答えは違うみたい。
この辺のことを、あれこれお話しするのは楽しいことだ。
連絡が取れるようになったら、また掘り下げてみますね。
そして、ここでお話しさせてくださいませ。