心からのお願い
非日常的な日常
腰掛けた那智さんの足の間に座る。
お口を使って良い時間だ。
フェラチオが好き。
「ご奉仕」、SMの世界ではこういう表現をするみたいだけど、私の中で「奉仕」している感覚はほとんどない。
だって、私がしたいのだもの。
もっと言うと、気持ちよくなってもらいたいという気持ちもおまけくらいにしか存在していない。
私がしたい、私が気持ちいい。
それによって、那智さんが気持ちよくなってくれたら嬉しいし、私はもっと気持ちよくなる。
何かの本に書いてあった。
人の口の中にも、気持ち良いと判断する感覚があるそうだ。
赤ん坊のはじめの好き嫌いは「味」ではなく「食感」が決めるそうだ。
口の中の心地よい感触は、快感なのだ。
だから、フェラチオをしている女性(男性も!?)は、感触としても快感を味わっているそうだ。
不潔な人の握ったおにぎりより、信頼している人が握ったおにぎりを食べたいと思うことと同じように、誰のでもいいわけないということは、分かり切ったことですけど。
(だから、女はフェラチオが好き、なんて誤解しないでくださいね)
大好きな那智さんにフェラチオをしているんだもの、口の感触としての快感も相まって、それだけでいくことだってできる。
だから、大好き。
那智さんが、ズボンから出すのをうつむいて待つ。
私の頭に手を置き「ほら」と合図をくれる。
うつむいたまま、口を開いて顔を近づける。
触れる軽れないかのところで、頭に置かれた手に僅かな力が入る。
ストップをかけられ、そこから動けない。
ほんの僅かな力だ。
私が力を入れれば、かわせてお口に含むことができてしまう程度の僅かな力。
犬の「待て」だ。
半開きにして顔を近づけた自分が恥ずかしくて、うつむたまま動けずにいる。
那智さんの手の力が緩む、かすかに顔を動かす、また、僅かな力で止められる。
2、3度繰り返されたのち、手に力が入らなくなるのを恐る恐る確認しながら、お口に含み願いは叶う。
「ご主人様~おちんちんください~。」
なんて、口が裂けても言えない。
そんなに恥も外聞もなく、懇願するほどの願いなんてそんなにあるもんじゃない。
(痛みと同じです。過剰な反応は演出にしか思えないの)
だから、静かに繰り返すだけだ。
顔を上げて、哀願の眼差しで訴えることすら、できない。
心からのお願いを口にするには、たくさんの切望が必要だ。
何もかもかなぐり捨てて、お願いするようなことは、そうそうない。
那智さんは、嘘はつかないとか素直でいるというような基本的なこと以外に、決まり事はつくらない。
常に下着は着けないとか、調教前に正座して三つ指ついてご挨拶なんてこともない。(そもそも調教なんてされていないもの、導かれてはいますけど、そう言った意味なら24時間調教だわ♪)
ただ、ひとつ課せられていることは「オナニーをするときは、(メールで)宣言と報告をすること」だ。
必然的に、那智さんにメールをしても良いときにしかオナニーはできない。
恥ずかしいけど、救われる。
もともとオナニーに罪悪感が伴っていたから、報告は罪悪から救われる思いがする。
たとえ「恥ずかしい私」を晒すことになろうとも、からかわれることになろうとも、虚しい1人だけの作業にならずに、結果的に幸福に繋がるのだ。
しかし、もっと幸せなのは、聞いてもらうことだ。
恥ずかしさは倍増するが、興奮も幸福も倍増する。
だから、最近は1人ですることが減った・・と思う。
自分から言うこともなかなかないから、那智さんの要望が主なきっかけだ。
「りん子、オナニーの声聞かせて。」
さっきまで普通にブログの話なんかしていたのに、急にそんなことを言う。
「いまですか?」
「そう、したくない?」
「那智さんがさせたいなら・・・。」
「俺がさせたかったら、したい?」
「那智さんがさせたいと思っているなら・・。」
「俺はさせたい。りん子はしたい?」
「・・・はい、したいです。」
今日は、命令ではない、あくまでも私の「したい」がお好みのようだ。
「したい」と口にするのは、ためらうことだ。
はじめは控えめの反応だけど、感じてくるとはしたない声がいっぱい出てしまう。
そのうち、いきたくなるから問いかける。
「那智さん、いってもいいですか?」
「まだ。」
案の定、一回目の問いかけではOKはでない。
大きく息を吐き、なんとか一回目の快感はやり過ごす。
よくあることだ。
いつも2、3度繰り返すから、今日もそうだろう。
また、快感の波が来て問いかける。
「いってもいいですか?」
「だめ」
そろそろ波の感覚が狭まってきて、我慢も辛くなるころだ。
多少の計算が働いて「いってもいいですか?」と問いかけは、「いかせてください。」のお願いに変わる。
そうすると、限界を察してくれたであろう那智さんは「いいよ。」合図をくれる。
いつもはそうだ。
でも、今日はなかなか、いいって言ってくれない。
もう一回、この次は、いつになったらOKしてくれるのか、不安と我慢の限界。
「お願いします、いかせてください。お願いします、お願いします。いかせてください、いきたいです。お願いです、いかせてください。」
指も腰も動かすことを止められない、止めてしまえばいかずにすむのに。
言葉と理性と本能が全部バラバラになって、自分のものではないようになる、すべては那智さんの手中にある。
我慢も快感も懇願も、すべて那智さんのお望み通りだ。
これが私の幸福だ。
願いは届き、やっと許しを得る。
我慢の分、快感もはしたなさも否応なく押し寄せる。
私にとっての、懇願はこういうときに発生する。
恥も外聞もなくなる瞬間は、たまにしか訪れないから、希少な珠玉の瞬間だ。
ごめんなさい。
「職業選択 本題」まだです。
腰掛けた那智さんの足の間に座る。
お口を使って良い時間だ。
フェラチオが好き。
「ご奉仕」、SMの世界ではこういう表現をするみたいだけど、私の中で「奉仕」している感覚はほとんどない。
だって、私がしたいのだもの。
もっと言うと、気持ちよくなってもらいたいという気持ちもおまけくらいにしか存在していない。
私がしたい、私が気持ちいい。
それによって、那智さんが気持ちよくなってくれたら嬉しいし、私はもっと気持ちよくなる。
何かの本に書いてあった。
人の口の中にも、気持ち良いと判断する感覚があるそうだ。
赤ん坊のはじめの好き嫌いは「味」ではなく「食感」が決めるそうだ。
口の中の心地よい感触は、快感なのだ。
だから、フェラチオをしている女性(男性も!?)は、感触としても快感を味わっているそうだ。
不潔な人の握ったおにぎりより、信頼している人が握ったおにぎりを食べたいと思うことと同じように、誰のでもいいわけないということは、分かり切ったことですけど。
(だから、女はフェラチオが好き、なんて誤解しないでくださいね)
大好きな那智さんにフェラチオをしているんだもの、口の感触としての快感も相まって、それだけでいくことだってできる。
だから、大好き。
那智さんが、ズボンから出すのをうつむいて待つ。
私の頭に手を置き「ほら」と合図をくれる。
うつむいたまま、口を開いて顔を近づける。
触れる軽れないかのところで、頭に置かれた手に僅かな力が入る。
ストップをかけられ、そこから動けない。
ほんの僅かな力だ。
私が力を入れれば、かわせてお口に含むことができてしまう程度の僅かな力。
犬の「待て」だ。
半開きにして顔を近づけた自分が恥ずかしくて、うつむたまま動けずにいる。
那智さんの手の力が緩む、かすかに顔を動かす、また、僅かな力で止められる。
2、3度繰り返されたのち、手に力が入らなくなるのを恐る恐る確認しながら、お口に含み願いは叶う。
「ご主人様~おちんちんください~。」
なんて、口が裂けても言えない。
そんなに恥も外聞もなく、懇願するほどの願いなんてそんなにあるもんじゃない。
(痛みと同じです。過剰な反応は演出にしか思えないの)
だから、静かに繰り返すだけだ。
顔を上げて、哀願の眼差しで訴えることすら、できない。
心からのお願いを口にするには、たくさんの切望が必要だ。
何もかもかなぐり捨てて、お願いするようなことは、そうそうない。
那智さんは、嘘はつかないとか素直でいるというような基本的なこと以外に、決まり事はつくらない。
常に下着は着けないとか、調教前に正座して三つ指ついてご挨拶なんてこともない。(そもそも調教なんてされていないもの、導かれてはいますけど、そう言った意味なら24時間調教だわ♪)
ただ、ひとつ課せられていることは「オナニーをするときは、(メールで)宣言と報告をすること」だ。
必然的に、那智さんにメールをしても良いときにしかオナニーはできない。
恥ずかしいけど、救われる。
もともとオナニーに罪悪感が伴っていたから、報告は罪悪から救われる思いがする。
たとえ「恥ずかしい私」を晒すことになろうとも、からかわれることになろうとも、虚しい1人だけの作業にならずに、結果的に幸福に繋がるのだ。
しかし、もっと幸せなのは、聞いてもらうことだ。
恥ずかしさは倍増するが、興奮も幸福も倍増する。
だから、最近は1人ですることが減った・・と思う。
自分から言うこともなかなかないから、那智さんの要望が主なきっかけだ。
「りん子、オナニーの声聞かせて。」
さっきまで普通にブログの話なんかしていたのに、急にそんなことを言う。
「いまですか?」
「そう、したくない?」
「那智さんがさせたいなら・・・。」
「俺がさせたかったら、したい?」
「那智さんがさせたいと思っているなら・・。」
「俺はさせたい。りん子はしたい?」
「・・・はい、したいです。」
今日は、命令ではない、あくまでも私の「したい」がお好みのようだ。
「したい」と口にするのは、ためらうことだ。
はじめは控えめの反応だけど、感じてくるとはしたない声がいっぱい出てしまう。
そのうち、いきたくなるから問いかける。
「那智さん、いってもいいですか?」
「まだ。」
案の定、一回目の問いかけではOKはでない。
大きく息を吐き、なんとか一回目の快感はやり過ごす。
よくあることだ。
いつも2、3度繰り返すから、今日もそうだろう。
また、快感の波が来て問いかける。
「いってもいいですか?」
「だめ」
そろそろ波の感覚が狭まってきて、我慢も辛くなるころだ。
多少の計算が働いて「いってもいいですか?」と問いかけは、「いかせてください。」のお願いに変わる。
そうすると、限界を察してくれたであろう那智さんは「いいよ。」合図をくれる。
いつもはそうだ。
でも、今日はなかなか、いいって言ってくれない。
もう一回、この次は、いつになったらOKしてくれるのか、不安と我慢の限界。
「お願いします、いかせてください。お願いします、お願いします。いかせてください、いきたいです。お願いです、いかせてください。」
指も腰も動かすことを止められない、止めてしまえばいかずにすむのに。
言葉と理性と本能が全部バラバラになって、自分のものではないようになる、すべては那智さんの手中にある。
我慢も快感も懇願も、すべて那智さんのお望み通りだ。
これが私の幸福だ。
願いは届き、やっと許しを得る。
我慢の分、快感もはしたなさも否応なく押し寄せる。
私にとっての、懇願はこういうときに発生する。
恥も外聞もなくなる瞬間は、たまにしか訪れないから、希少な珠玉の瞬間だ。
ごめんなさい。
「職業選択 本題」まだです。
職業選択1
惹かれ合う理由
「那智さん、見つかりましたよ、私のやってみたいお仕事。できるかどうかは別にして。」
那智さんは常々私に聞いていた「やってみたい仕事はないの?」。
決して割烹料理屋のランチタイムの配膳をダメだと言っているわけではないけど、長い目で見て何か「手に職」を付けたほうが良いのでは?ということだ。
その時いつも答えに困っていた。
私は接客が好きだ、机にずっと座っていたり正確さを要求されるような事務仕事は向いていない。
愛嬌と親切心フル回転の接客ばかりしてきた。
かといって、何かを積極的に売り込むような販売もしたいと思わない。
受付業務のような、来た人に心地よく応対するのが大好きなのだ。
ほんわかいい気分で受け付けカウンターを後にしてもらえる自信はある。
でも、デパートや会社の受付はもう年齢制限に引っかかる(笑)
病院などの受付事務は、事務作業のほうが重視されるような気がして、敬遠してしまう。
だから、ランチタイムの配膳がちょうど条件としては、整っていたのだ。
どうしてもやりたい仕事ではないけれど、得意なことで心地よく働くには適していた。
さらに、一緒に仕事をしている人たちにも恵まれていて、それはそれで満足だった。
だから、「やりたい仕事」はと聞かれても、はっきり答えられなかったのだ。
それが謝恩会の司会進行をして気がついたのだ。
人前でマイクを持ち、その場をまとめることは大好きなことだ。
気持ちがいい。
ずっと質問されていたことの答えが見つかって、やっとお返事ができることが嬉しくて、嬉々として報告した。
「那智さん、できるかどうかは別にして、もし時間が戻せるならば、私のしたい仕事は「司会」です。やっと見つかりましたよ♪」
この時、私は質問に答えられることの喜びだけで言ったのだ。
ほんの少しだけ(百貨店を退職してから2年くらい)、イベントコンパニオンやナレーターのようなことをアルバイトとしてしていた経験から言えば、「しゃべる仕事」はキャリアが絶対必要だ。
ちょっとしたMCくらいなら、コンパニオン程度でもできるけど、それは若い女の子に限られる。
私のような年齢のいった(悪かったですね~)女性でMCとして生き残っていくにはキャリアに伴う技術と人脈が絶対必要だ。
だから、まさしく絵空事として、お話ししたにすぎない。
それなのに那智さんの心に火が着いてしまったのだ。
「りん子がいまからでもできる司会業って何があるだろう・・・。」
「結婚式の司会なら、年齢が上でも大丈夫だと思いますよ。」
まだ、他人事のように真面目に答える私。
「そうだよ!それがいい!!それにしよう!!!」
えっ?何がいいの??
「まこの経験や年齢、雰囲気、ある程度長くできる職種・・・結婚式の司会を仕事にすればいい。」
はあ~?何をいきなり言い出すのですか?
世の中には、キャリアもあってお仕事をしたいと思っている人は山のようにいるんですよ!
経験って言ったって、10年も昔のこと、たかだか会社の研那智程度の教育しか受けていないアナウンサー養成なんて経歴もない私が、その山のような供給群に相対せるはずがない。
確かに、私は自分で言うのも何ですが、「良い」雰囲気はあるだろう、どんなに真剣な表情をしても「何が楽しいの?」と聞かれるくらい「笑い顔」なのは自認している。
身長もあるから華やかな雰囲気もないわけでない、お祝いの席に不似合いではないだろう。
そうは言っても十人並。
そんな人こそ五万といる。
「いい雰囲気です、はい司会やって。」なんてことあるわけないでしょ!!
はじめこの話題が出たときは、なんて無謀なことを言い出すのだろうとしか思わなかった。
私は認識不足だったのだ。
那智さんは努力なしに「無理」と言うことを許さない人ということや、私の真の幸せのために動くと決めていたこと、そして、何よりも那智さんに「無理難題」を突きつけられ一生懸命になることが私の幸福だというこを。
そして、私自身が本当に「司会業」を仕事にしたいと思っていることを。
何回かに分けさせてくださいね♪
「那智さん、見つかりましたよ、私のやってみたいお仕事。できるかどうかは別にして。」
那智さんは常々私に聞いていた「やってみたい仕事はないの?」。
決して割烹料理屋のランチタイムの配膳をダメだと言っているわけではないけど、長い目で見て何か「手に職」を付けたほうが良いのでは?ということだ。
その時いつも答えに困っていた。
私は接客が好きだ、机にずっと座っていたり正確さを要求されるような事務仕事は向いていない。
愛嬌と親切心フル回転の接客ばかりしてきた。
かといって、何かを積極的に売り込むような販売もしたいと思わない。
受付業務のような、来た人に心地よく応対するのが大好きなのだ。
ほんわかいい気分で受け付けカウンターを後にしてもらえる自信はある。
でも、デパートや会社の受付はもう年齢制限に引っかかる(笑)
病院などの受付事務は、事務作業のほうが重視されるような気がして、敬遠してしまう。
だから、ランチタイムの配膳がちょうど条件としては、整っていたのだ。
どうしてもやりたい仕事ではないけれど、得意なことで心地よく働くには適していた。
さらに、一緒に仕事をしている人たちにも恵まれていて、それはそれで満足だった。
だから、「やりたい仕事」はと聞かれても、はっきり答えられなかったのだ。
それが謝恩会の司会進行をして気がついたのだ。
人前でマイクを持ち、その場をまとめることは大好きなことだ。
気持ちがいい。
ずっと質問されていたことの答えが見つかって、やっとお返事ができることが嬉しくて、嬉々として報告した。
「那智さん、できるかどうかは別にして、もし時間が戻せるならば、私のしたい仕事は「司会」です。やっと見つかりましたよ♪」
この時、私は質問に答えられることの喜びだけで言ったのだ。
ほんの少しだけ(百貨店を退職してから2年くらい)、イベントコンパニオンやナレーターのようなことをアルバイトとしてしていた経験から言えば、「しゃべる仕事」はキャリアが絶対必要だ。
ちょっとしたMCくらいなら、コンパニオン程度でもできるけど、それは若い女の子に限られる。
私のような年齢のいった(悪かったですね~)女性でMCとして生き残っていくにはキャリアに伴う技術と人脈が絶対必要だ。
だから、まさしく絵空事として、お話ししたにすぎない。
それなのに那智さんの心に火が着いてしまったのだ。
「りん子がいまからでもできる司会業って何があるだろう・・・。」
「結婚式の司会なら、年齢が上でも大丈夫だと思いますよ。」
まだ、他人事のように真面目に答える私。
「そうだよ!それがいい!!それにしよう!!!」
えっ?何がいいの??
「まこの経験や年齢、雰囲気、ある程度長くできる職種・・・結婚式の司会を仕事にすればいい。」
はあ~?何をいきなり言い出すのですか?
世の中には、キャリアもあってお仕事をしたいと思っている人は山のようにいるんですよ!
経験って言ったって、10年も昔のこと、たかだか会社の研那智程度の教育しか受けていないアナウンサー養成なんて経歴もない私が、その山のような供給群に相対せるはずがない。
確かに、私は自分で言うのも何ですが、「良い」雰囲気はあるだろう、どんなに真剣な表情をしても「何が楽しいの?」と聞かれるくらい「笑い顔」なのは自認している。
身長もあるから華やかな雰囲気もないわけでない、お祝いの席に不似合いではないだろう。
そうは言っても十人並。
そんな人こそ五万といる。
「いい雰囲気です、はい司会やって。」なんてことあるわけないでしょ!!
はじめこの話題が出たときは、なんて無謀なことを言い出すのだろうとしか思わなかった。
私は認識不足だったのだ。
那智さんは努力なしに「無理」と言うことを許さない人ということや、私の真の幸せのために動くと決めていたこと、そして、何よりも那智さんに「無理難題」を突きつけられ一生懸命になることが私の幸福だというこを。
そして、私自身が本当に「司会業」を仕事にしたいと思っていることを。
何回かに分けさせてくださいね♪
職業選択2
惹かれ合う理由
話が思いもよらない方向へ進んでいる感じがする。
私の中の警戒信号が点滅している。
那智さんは「そう、やりたいことが見つかってよかったね~。」で済む人ではないのだった。
披露宴の司会者になるには、どういう方法があるのか、どうやったら実現するのか、話は終わりにならない。
まずキャリアがなきゃ無理。
いまさらどこかの事務所に掛け合ってみたってはじめて門を叩くほとんどキャリアのない人間は門前払いをくらうだけだ。
いくら説明しても納得してくれない。
「門を叩いてみたの?」
「いいえ。」
「それなら、わからないじゃないか。叩いてだめならしかたがないけど、叩く前に無理と決めるのはよくない。」
そして、披露宴は土日中心だから、どうしても家族の協力が必要だ。
私の夫は、私が平日に働くことにはなんの反対もしない。
彼に影響が及ばないということが、最大の条件だ。
私は毎日深夜に帰宅する夫を起きて待っている。
帰宅してから私の手料理を食べ、私とおしゃべりをすることが夫の楽しみだからだ。
眠いときは仮眠してから、起きて夕飯の支度をしている。(そんな凄いご飯は作りませんよ)
だから、私が忙しくてそれができなくなることや、子供の具合が悪いから私の代わりに仕事を休んでとか、をできるだけ避けてほしいと思っている。
それさえクリアできれば、多少家が散らかっていても私の日中には言及しないのだ。
その夫に、土日家を空ける仕事がしたいなんて言えない。
「配膳の仕事より効率よく稼げるだろ?遊びにいくんじゃない働きに出るのに、お願いできないの?それに子供がお父さんと仲良くなる絶好にチャンスだよ。」
確かに、夫と子供は仲が悪いわけではない。
でも、どこか仲良くなり切れていないところはある。
いつも私が間にいる。
ときどき飲み会などで、週末の夜私が出かけてしまうと、翌朝などは二人はより親密になっている感じはする。
間に入る私がいなければ、それなりに関係は深まるようだ。
子供は放っておいても、お母さんは大好きだ。
だから、強制的に私がいない状況をつくることは、悪いことではないだろう。
それには、夫へのフォローも必要で、それがけっこう面倒。
那智さんは、どういうフォローをしたらよいかまで、アドバイスしてくれる。
そして、何よりも30半ばを過ぎて、いまから新しいことを始める勇気がないのだ。
憧れているとはいえ、責任ある仕事について、家庭も仕事も両立させる自信がないのだ。
配膳の仕事で大満足をしているわけではないけれど、お小遣い稼ぎとして忙しいけど気ままにできる仕事のぬるま湯は居心地がよいのだ。
そこから、新たな挑戦をする自信がない。
それを「無理です。」という言葉に集約させて、抵抗を試みる。
「司会なんて誰にでもできることじゃない。俺はりん子ならできると思うから言っているんだよ。」
「人に注目される仕事をしたら、ずっときれいでいられるよ。俺もりん子がきれいなほうが嬉しい。りん子このためでもあるけれど、俺のためでもあるんだ。」
「配膳の仕事をダメだと言っているんじゃない、でもやりたことがあるんなら、諦めちゃいけない。無理なんて誰が決めたの?(私です・・)やってみないとわからないよね?」
「無理です。」という材料をひとつひとつ摘み取っていかれてしまって、もう私は「はい、やります。」としか言えない。
「とにかく、どういう方法があるかネットででも調べてごらん。」
「はい、わかりました。」
もう私は、お返事をするしかなかった。
いつものことだが、私自身より私のことを考えてくれる那智さんに、甘えるだけの「無理です。」は通用しない。
それに、こんなに一生懸命に思ってくれる気持ちをむげにもできない。
しばらくしたら、ほとぼりも冷めるかもしれない。
とにかく、この日は了解するしかなかった。
「脅迫に近い後押し」は、この日から始まったのだ。
すみません~まだまだ続きます~。
一旦休憩させてね。
話が思いもよらない方向へ進んでいる感じがする。
私の中の警戒信号が点滅している。
那智さんは「そう、やりたいことが見つかってよかったね~。」で済む人ではないのだった。
披露宴の司会者になるには、どういう方法があるのか、どうやったら実現するのか、話は終わりにならない。
まずキャリアがなきゃ無理。
いまさらどこかの事務所に掛け合ってみたってはじめて門を叩くほとんどキャリアのない人間は門前払いをくらうだけだ。
いくら説明しても納得してくれない。
「門を叩いてみたの?」
「いいえ。」
「それなら、わからないじゃないか。叩いてだめならしかたがないけど、叩く前に無理と決めるのはよくない。」
そして、披露宴は土日中心だから、どうしても家族の協力が必要だ。
私の夫は、私が平日に働くことにはなんの反対もしない。
彼に影響が及ばないということが、最大の条件だ。
私は毎日深夜に帰宅する夫を起きて待っている。
帰宅してから私の手料理を食べ、私とおしゃべりをすることが夫の楽しみだからだ。
眠いときは仮眠してから、起きて夕飯の支度をしている。(そんな凄いご飯は作りませんよ)
だから、私が忙しくてそれができなくなることや、子供の具合が悪いから私の代わりに仕事を休んでとか、をできるだけ避けてほしいと思っている。
それさえクリアできれば、多少家が散らかっていても私の日中には言及しないのだ。
その夫に、土日家を空ける仕事がしたいなんて言えない。
「配膳の仕事より効率よく稼げるだろ?遊びにいくんじゃない働きに出るのに、お願いできないの?それに子供がお父さんと仲良くなる絶好にチャンスだよ。」
確かに、夫と子供は仲が悪いわけではない。
でも、どこか仲良くなり切れていないところはある。
いつも私が間にいる。
ときどき飲み会などで、週末の夜私が出かけてしまうと、翌朝などは二人はより親密になっている感じはする。
間に入る私がいなければ、それなりに関係は深まるようだ。
子供は放っておいても、お母さんは大好きだ。
だから、強制的に私がいない状況をつくることは、悪いことではないだろう。
それには、夫へのフォローも必要で、それがけっこう面倒。
那智さんは、どういうフォローをしたらよいかまで、アドバイスしてくれる。
そして、何よりも30半ばを過ぎて、いまから新しいことを始める勇気がないのだ。
憧れているとはいえ、責任ある仕事について、家庭も仕事も両立させる自信がないのだ。
配膳の仕事で大満足をしているわけではないけれど、お小遣い稼ぎとして忙しいけど気ままにできる仕事のぬるま湯は居心地がよいのだ。
そこから、新たな挑戦をする自信がない。
それを「無理です。」という言葉に集約させて、抵抗を試みる。
「司会なんて誰にでもできることじゃない。俺はりん子ならできると思うから言っているんだよ。」
「人に注目される仕事をしたら、ずっときれいでいられるよ。俺もりん子がきれいなほうが嬉しい。りん子このためでもあるけれど、俺のためでもあるんだ。」
「配膳の仕事をダメだと言っているんじゃない、でもやりたことがあるんなら、諦めちゃいけない。無理なんて誰が決めたの?(私です・・)やってみないとわからないよね?」
「無理です。」という材料をひとつひとつ摘み取っていかれてしまって、もう私は「はい、やります。」としか言えない。
「とにかく、どういう方法があるかネットででも調べてごらん。」
「はい、わかりました。」
もう私は、お返事をするしかなかった。
いつものことだが、私自身より私のことを考えてくれる那智さんに、甘えるだけの「無理です。」は通用しない。
それに、こんなに一生懸命に思ってくれる気持ちをむげにもできない。
しばらくしたら、ほとぼりも冷めるかもしれない。
とにかく、この日は了解するしかなかった。
「脅迫に近い後押し」は、この日から始まったのだ。
すみません~まだまだ続きます~。
一旦休憩させてね。
職業選択3
惹かれ合う理由
とりあえず、「はい」という返事で納得してくれたのか、その日の電話は終わりになった。
でも私はまだ心の中は、「無理に決まっている。しばらくすれば那智さんの熱も冷めるだろう。」と甘い考えでいた。
第二弾は、それほど時間が経たないで訪れた。
「調べてみた?」
・・・・・・調べていない。
「だめじゃん。どうするんだよ。」
苦し紛れに、頭の片隅にあった考えを提案してみる。
以前、イベントコンパニオンのアルバイトをしていた頃の何人かとはいまでも年賀状のやり取りくらいはしている。
1度目の離婚を機に一掃した人たちなので、とっても距離を置いた付き合いではあるが・・。
その中の1人は、その時もMCをしていたのだ。
10年もフリーで仕事をしているらしいことは、噂で聞いていた。
かつて私が所属していた事務所とも繋がりはあるはずだろう。
その子を頼るというのは、どうでしょう。
ネットで調べなかった代わりに私が言った提案は、ネットなんかよりもずっと、那智さんにとって(私にとっても!?)「司会業」が実現可能なことに思える材料になったようだ。
たしかに表面だけ見れば、現役でMCをしてる知り合いに繋がりのある事務所を紹介してもらうことは、正しい方法だろう。
でも、考えてみて、なんとなく疎遠になっている人に電話をかけるだけでも億劫なことなのに、司会をしたいなんて無謀な相談をするのだ。
「今更なんで?」と絶句されるのが関の山だ。
私は自信がないくせにプライドが高い、さらに人にマイナスの感情を持たせることは避けたいと思っている。
その私が、自信のないことを、無謀にも(同じような職種をしている彼女なら無謀度合いは痛いほどわかるだろう)お願いして、驚かれるために電話をするのだ。
「無理です。絶対無理!!驚かれておしまいです!!」
「驚かれたっていいでしょ。無理と断られたら諦められるだろ?」
「私なんか紹介したら、彼女の顔に泥を塗ることになるかもしれない。」
「紹介してもらうんじゃないよ。披露宴の司会になる方法を知っているか聞いてみるんだ。無謀なことはわかっているけど、憧れを捨てられないから、探っている、ダメなら諦められるからってほんとの気持ちを伝えるんだ。紹介となるとその子も負担になるだろ?だから、方法だけでも教えてもらうんだ。」
いろんなこと言って諦めてもらおうとするけれど、まったく効果なし。
「電話できません。」
「りん子には、手はないの?」
「あります。」
「口はないの?」
「あります。」
「じゃあ、電話できるよね♪」
「できるけど、できません。」
「なんで?」
「勇気がないからです。」
「できることを、勇気がないからってやらないのはよくないよね♪」
けっして声を荒げることもなく、穏やかにでも一歩も引かない強さで、首を立てに振らざるをえない状況に追い込まれる。
何より、なぜこんなに私のことで真剣になってくれるのかわからない。
わからないけど、幸せだ。
結局、断る理由がなくなって、その子に連絡を取ると答える。
「わかりました、電話します。」
「そう、偉いね。で、いつするの?」
えええええええええっ、「いつするか」って、そんないきなり聞かれても!!!!
「・・・明日か、明後日か・・・。」
「いましてごらん。今も明日も同じだろ?まだ失礼な時間じゃないし。一旦電話を切るから、終わったらまたかけて。」
有無を言わせないとは、こういうことをいうのだろう。
「有無を言わせない」を体感した瞬間だった(笑)
結局、その夜は旦那さんが出て、彼女は不在だった。
「またかけます。」と言い残して電話を切る。
安堵なのか、生殺しなのか、複雑な気分だ。
死刑執行が伸びただけで、死刑は回避されたわけではないのだけは、確かだ。
「そうか、残念だったね。じゃあ、今度は昼間に電話してみよう。」
新たに死刑宣告をされたようだ。
なかなか終わりにならない。
その子の仕事の都合で、なかなか連絡が取れず、しばらくしてから話す機会が訪れた。
「MC業をもう一度やりたい。無理はわかっているけれど、でも、やらずには諦められない。経験のあるあなたに、どんな方法があるかだけでも教えてもらいたい。あとは自分でなんとかするから。」
那智さんにレクチャーされたように一生懸命お話しをしてみる。
声が震えていることを、悟られないようにしながら、真摯に。
なぜ、こんなに真摯になっているのか、わからない。
でも私に真摯に向き合ってくれる那智さんに、一生懸命取り組んだ結果を報告したい。
たとえ、良いお返事がもらえなくても、それは大したことではない。
私が一生懸命やったと胸を張れれば、那智さんはわかってくれるはずだからだ。
「いま付き合いのある事務所は二つある。」
彼女は、私が思った以上に真剣に答えてくれた。
疎遠にしていたのは、私の方だ。
申し訳ない気持ちと感謝の気持ち、そして、勇気を出した心地よさを味わっていた。
まだまだ、壁は高い。
越える決心すら付いていないくらい、まだ私は逃げ腰だ。
そう簡単に「よーし!!」みたいに、なれるものでもない。
しかし、真剣に方法を模索してくれる友人の話を聞きながら、これを那智さんに報告したら喜んでくれるかもしれないと、わくわくしながらメモを取っていた。
わあ、まだまだ続きます。
どうしよう、いままでで一番長いシリーズになりそうです。
色っぽくないし、劇的な話じゃないし、申し訳ないですが、つづく!!(ライフカード風に♪)
とりあえず、「はい」という返事で納得してくれたのか、その日の電話は終わりになった。
でも私はまだ心の中は、「無理に決まっている。しばらくすれば那智さんの熱も冷めるだろう。」と甘い考えでいた。
第二弾は、それほど時間が経たないで訪れた。
「調べてみた?」
・・・・・・調べていない。
「だめじゃん。どうするんだよ。」
苦し紛れに、頭の片隅にあった考えを提案してみる。
以前、イベントコンパニオンのアルバイトをしていた頃の何人かとはいまでも年賀状のやり取りくらいはしている。
1度目の離婚を機に一掃した人たちなので、とっても距離を置いた付き合いではあるが・・。
その中の1人は、その時もMCをしていたのだ。
10年もフリーで仕事をしているらしいことは、噂で聞いていた。
かつて私が所属していた事務所とも繋がりはあるはずだろう。
その子を頼るというのは、どうでしょう。
ネットで調べなかった代わりに私が言った提案は、ネットなんかよりもずっと、那智さんにとって(私にとっても!?)「司会業」が実現可能なことに思える材料になったようだ。
たしかに表面だけ見れば、現役でMCをしてる知り合いに繋がりのある事務所を紹介してもらうことは、正しい方法だろう。
でも、考えてみて、なんとなく疎遠になっている人に電話をかけるだけでも億劫なことなのに、司会をしたいなんて無謀な相談をするのだ。
「今更なんで?」と絶句されるのが関の山だ。
私は自信がないくせにプライドが高い、さらに人にマイナスの感情を持たせることは避けたいと思っている。
その私が、自信のないことを、無謀にも(同じような職種をしている彼女なら無謀度合いは痛いほどわかるだろう)お願いして、驚かれるために電話をするのだ。
「無理です。絶対無理!!驚かれておしまいです!!」
「驚かれたっていいでしょ。無理と断られたら諦められるだろ?」
「私なんか紹介したら、彼女の顔に泥を塗ることになるかもしれない。」
「紹介してもらうんじゃないよ。披露宴の司会になる方法を知っているか聞いてみるんだ。無謀なことはわかっているけど、憧れを捨てられないから、探っている、ダメなら諦められるからってほんとの気持ちを伝えるんだ。紹介となるとその子も負担になるだろ?だから、方法だけでも教えてもらうんだ。」
いろんなこと言って諦めてもらおうとするけれど、まったく効果なし。
「電話できません。」
「りん子には、手はないの?」
「あります。」
「口はないの?」
「あります。」
「じゃあ、電話できるよね♪」
「できるけど、できません。」
「なんで?」
「勇気がないからです。」
「できることを、勇気がないからってやらないのはよくないよね♪」
けっして声を荒げることもなく、穏やかにでも一歩も引かない強さで、首を立てに振らざるをえない状況に追い込まれる。
何より、なぜこんなに私のことで真剣になってくれるのかわからない。
わからないけど、幸せだ。
結局、断る理由がなくなって、その子に連絡を取ると答える。
「わかりました、電話します。」
「そう、偉いね。で、いつするの?」
えええええええええっ、「いつするか」って、そんないきなり聞かれても!!!!
「・・・明日か、明後日か・・・。」
「いましてごらん。今も明日も同じだろ?まだ失礼な時間じゃないし。一旦電話を切るから、終わったらまたかけて。」
有無を言わせないとは、こういうことをいうのだろう。
「有無を言わせない」を体感した瞬間だった(笑)
結局、その夜は旦那さんが出て、彼女は不在だった。
「またかけます。」と言い残して電話を切る。
安堵なのか、生殺しなのか、複雑な気分だ。
死刑執行が伸びただけで、死刑は回避されたわけではないのだけは、確かだ。
「そうか、残念だったね。じゃあ、今度は昼間に電話してみよう。」
新たに死刑宣告をされたようだ。
なかなか終わりにならない。
その子の仕事の都合で、なかなか連絡が取れず、しばらくしてから話す機会が訪れた。
「MC業をもう一度やりたい。無理はわかっているけれど、でも、やらずには諦められない。経験のあるあなたに、どんな方法があるかだけでも教えてもらいたい。あとは自分でなんとかするから。」
那智さんにレクチャーされたように一生懸命お話しをしてみる。
声が震えていることを、悟られないようにしながら、真摯に。
なぜ、こんなに真摯になっているのか、わからない。
でも私に真摯に向き合ってくれる那智さんに、一生懸命取り組んだ結果を報告したい。
たとえ、良いお返事がもらえなくても、それは大したことではない。
私が一生懸命やったと胸を張れれば、那智さんはわかってくれるはずだからだ。
「いま付き合いのある事務所は二つある。」
彼女は、私が思った以上に真剣に答えてくれた。
疎遠にしていたのは、私の方だ。
申し訳ない気持ちと感謝の気持ち、そして、勇気を出した心地よさを味わっていた。
まだまだ、壁は高い。
越える決心すら付いていないくらい、まだ私は逃げ腰だ。
そう簡単に「よーし!!」みたいに、なれるものでもない。
しかし、真剣に方法を模索してくれる友人の話を聞きながら、これを那智さんに報告したら喜んでくれるかもしれないと、わくわくしながらメモを取っていた。
わあ、まだまだ続きます。
どうしよう、いままでで一番長いシリーズになりそうです。
色っぽくないし、劇的な話じゃないし、申し訳ないですが、つづく!!(ライフカード風に♪)
感傷的です。
独特な幸福感
那智さんが必要で
那智さんがいてくれないと何にもできなくて
那智さんだけのものになりたい
生まれ変わりたい
那智さんから絶対に片時も離れないでいられる何かに生まれ変わりたい
それに命が宿っていなくてもいい
無機質な物でもいい
離れていたくない
でも、現実はそんなに甘いものではない。
だから私は、一生懸命生きる。
幸福になるように、精一杯生きる。
それが、那智さんの望みだから。
そして、那智さんの意に添うことが、現時点でもっとも確実に「片時も離れない」でいられる方法だから。
私が幸福でいることが、那智さんの望みなら、24時間365日幸福でいるように努力する。
そうしていたら、私はずっと「片時も離れず」那智さんのものだ。
よく那智さんは言う。
涙を流したり、悲しくなったとしても、最終的に幸せを感じられれば良いと。
だから24時間ずっと幸せは無理があっても、沈んだり浮いたりして、最後は浮くように努力する。
いま、私はこのブログを使って努力しています。
完全に吐き出す場所にして、ごめんなさい。
「職業選択」は夜更新します。
今夜は、お話しできないとさっきわかったから、そんなことだけで悲しくなってどうすると、ここに吐き出して、浮き上がろうとしています。(いつも吐き出しているんですけど、今日のはちょっと違うと思っています。)
「夜更新頑張って」って、那智さんが言ったから、私は頑張るのだ。
そして、ここを吐き出す場所にしてしまったお詫びに、これを読んでしまった人にお詫びの印に、一生懸命更新する。
今夜、私にできることは、それだけだ。
そして、浮上することだ。
え~っと、単に「今夜お話しできなくて淋しいです~。でも、頑張って更新して淋しさを紛らわします~。」ってことです。
愚痴は、あんまり言わないなんて言っていたくせにね。
すみません、深呼吸して落ち着きます。
那智さんが必要で
那智さんがいてくれないと何にもできなくて
那智さんだけのものになりたい
生まれ変わりたい
那智さんから絶対に片時も離れないでいられる何かに生まれ変わりたい
それに命が宿っていなくてもいい
無機質な物でもいい
離れていたくない
でも、現実はそんなに甘いものではない。
だから私は、一生懸命生きる。
幸福になるように、精一杯生きる。
それが、那智さんの望みだから。
そして、那智さんの意に添うことが、現時点でもっとも確実に「片時も離れない」でいられる方法だから。
私が幸福でいることが、那智さんの望みなら、24時間365日幸福でいるように努力する。
そうしていたら、私はずっと「片時も離れず」那智さんのものだ。
よく那智さんは言う。
涙を流したり、悲しくなったとしても、最終的に幸せを感じられれば良いと。
だから24時間ずっと幸せは無理があっても、沈んだり浮いたりして、最後は浮くように努力する。
いま、私はこのブログを使って努力しています。
完全に吐き出す場所にして、ごめんなさい。
「職業選択」は夜更新します。
今夜は、お話しできないとさっきわかったから、そんなことだけで悲しくなってどうすると、ここに吐き出して、浮き上がろうとしています。(いつも吐き出しているんですけど、今日のはちょっと違うと思っています。)
「夜更新頑張って」って、那智さんが言ったから、私は頑張るのだ。
そして、ここを吐き出す場所にしてしまったお詫びに、これを読んでしまった人にお詫びの印に、一生懸命更新する。
今夜、私にできることは、それだけだ。
そして、浮上することだ。
え~っと、単に「今夜お話しできなくて淋しいです~。でも、頑張って更新して淋しさを紛らわします~。」ってことです。
愚痴は、あんまり言わないなんて言っていたくせにね。
すみません、深呼吸して落ち着きます。