職業選択(前振り1)
惹かれ合う理由
司会を目指す、ずっと前のお話。
司会を目指すきっかけとなった「謝恩会の進行役」に至るまでの長い前振りです。
私が女の集団が苦手だ、と決定的に思ったのは高校1年生の秋の日のことだ。
もともと意地悪な女の子は苦手だな、とは思っていたけど中学校のときは比較的友達に恵まれていて、「誰かをシカトする」みたいなこととは無縁な世界にいた。
時々クラスの強いグループの中で、そんなことが起こるのが、他人事でも「いやなこと」と思ってはいたけれど、対岸の火事だった。
高校に入学して、すぐ出席番号が近い10人くらいが一気に仲良くなった。
それでも、しばらくして「派手」な感じ6人と「普通」な感じ4人に自然に分かれていった。
新しい生活で浮かれ気味だった私は、「派手」なほうに入っていた。(別にケンカとかしたわけじゃないですよ。なんとなく雰囲気で)
中学生のときより、ちょっと刺激的な女の子たちと夏休みを楽しく過ごし、文化祭も体育祭も終わり、少し落ち着いた頃に事件は起こった。
6人のうち、私以外の4人が残りの1人の子(仮に、モモとします)を「生意気」と言い出したのだ。
何が原因か、そもそも原因なんてないのだろう、明らかにわかるような態度でその子を無視しはじめたのだ。
こそこそ話してモモを見て笑う、モモが来たら話しをやめる、もちろんモモのいないところでは、いかにモモが生意気か悪口の応酬だ。
私はこういうとき困ってしまうのだ。
確かに、モモの良くないところもある、でも、それで、彼女を全否定するのがわからないのだ。
「ここは良くない、でも、それと嫌いは違うだろう。」と思ってしまう。
でも、その4人ともとりあえず友達だ(と思っていた)。
悪口の輪に入ってはいるが、私は悪口は言わず、「そうなんだ・・」って相づちだけ打っていた。
モモもその他も友達だから、私は普通に接している。
そうすると、モモは私を頼る。
「最近なんか変じゃない?」相談と共に、彼女らを非難するようなことも言う。
いまの私なら、いろんな解決方法を取れると思うのだけれど、そのころの私は「それはおかしいことだ。」とは、わかっていたけど、解決する術も勇気も持っていなかったから、曖昧な返事しかできない。
「機嫌悪いだけじゃない、様子をみてみたら」程度のアドバイスだ。
その様子をみて4人が私に聞いてくる「モモなんて言っていた?」。
あなたたちを非難していたよなんて言って、余計こじらせるわけにはいかないから、「気にしていたよ。」とだけ報告する。
一緒に悪口が言えたら、楽だろうなと思っていた。
でも、言えない。
そして、ちゃんと解決もできない。
両方に嘘を付くような、板挟みになっていった。
でも、なんで悪口を言わない、孤独になっている子の話を聞いている私が、苦しくならなければいけなのだろう。
だんだんこの状態がいやになり、私は逃れるように1、2日の間、当時付き合っていた男の子と一緒にいる時間を多くした。
5、6時間目が自習になり、その男の子と一緒に早引けして、その子の家に遊びに行った。
夕方、その子の家に彼女らから電話が来る。
学校に私を呼び出すために。
ああ、来たか、と諦めだか、安堵だかわからない気持ち。
もちろん恐怖もある。
でも、どこかで私はこれで見切りを付けられると安堵していた。
「どっち付かずの裏切り者」
呼び出された暗い教室で、私はさんざん文句を言われた。
モモもその中にいた。
つい昨日まで、あんなに悪口を言っていた彼女らは、もうモモと笑い合っている。
モモのほうも、それで納得しているのだろうか、一緒になって私を非難する。
この中で、誰が一番悪いのだろう。
解決しなかった私も「善」ではないのかもしれないが、非難される筋合いもないはずだ。
それでも、私が裏切った悪者というならば、私はその価値観を持つこの中にはいたくない。
とにかく、彼女たちが早く私を仲間から外すと決めてくれないか。
たいして取り乱さず、「裏切ったつもりはないけれど、もしそう感じさせてしまったならば、謝る。そんなに私がいやなら、どうか友達と思わないで。」なんて言うから余計に解放してくらない。
ずっと文句は続くのだ。
泣いてごめんなさいとでも言うと思っているのか。
多分、それを望んでいるのだろう。
でも、そんな気にはなれない。
なんかわからないけど、彼女らは、必死な私が見たいようだ、わけわからない因縁をつけてくる。
「こんなに文句言われて悔しくないの!!悔しかったら、殴ってきなよ。」
う~ん、何が望みかわからない・・。
仕方がないから、ビンタしてやった。全員に。
そしたら、1人づつ叩き返してきた。
グーで殴る子もいた。
とにかく、このバカみたいな茶番劇から解放されたくて、殴り合った。
幸い、本当の悪い集団ではなかったから、暴行や陰湿ないじめに発展することはなかったことだけは感謝しておこう。
それですっきりしたのか、彼女たちは先に帰った。
帰る方向が同じなので、わざと遠回りして帰る。
いつも使わないバス停に行き、バスを待つ。
さすがに、立っている気力はなく、しゃがみこむ。
大きな幹線道路のオレンジ色の外灯。
オレンジに染まって流れる車をぼんやりと見ながら、明日もちゃんと学校に行こう、でも、どうやって過ごそうかと考えていた。
そして、女が集団になって発生する空気は、いやなものだとぼんやりと思っていた。
これ、前振り1です。
まだまだ続きますよ~♪
司会を目指す、ずっと前のお話。
司会を目指すきっかけとなった「謝恩会の進行役」に至るまでの長い前振りです。
私が女の集団が苦手だ、と決定的に思ったのは高校1年生の秋の日のことだ。
もともと意地悪な女の子は苦手だな、とは思っていたけど中学校のときは比較的友達に恵まれていて、「誰かをシカトする」みたいなこととは無縁な世界にいた。
時々クラスの強いグループの中で、そんなことが起こるのが、他人事でも「いやなこと」と思ってはいたけれど、対岸の火事だった。
高校に入学して、すぐ出席番号が近い10人くらいが一気に仲良くなった。
それでも、しばらくして「派手」な感じ6人と「普通」な感じ4人に自然に分かれていった。
新しい生活で浮かれ気味だった私は、「派手」なほうに入っていた。(別にケンカとかしたわけじゃないですよ。なんとなく雰囲気で)
中学生のときより、ちょっと刺激的な女の子たちと夏休みを楽しく過ごし、文化祭も体育祭も終わり、少し落ち着いた頃に事件は起こった。
6人のうち、私以外の4人が残りの1人の子(仮に、モモとします)を「生意気」と言い出したのだ。
何が原因か、そもそも原因なんてないのだろう、明らかにわかるような態度でその子を無視しはじめたのだ。
こそこそ話してモモを見て笑う、モモが来たら話しをやめる、もちろんモモのいないところでは、いかにモモが生意気か悪口の応酬だ。
私はこういうとき困ってしまうのだ。
確かに、モモの良くないところもある、でも、それで、彼女を全否定するのがわからないのだ。
「ここは良くない、でも、それと嫌いは違うだろう。」と思ってしまう。
でも、その4人ともとりあえず友達だ(と思っていた)。
悪口の輪に入ってはいるが、私は悪口は言わず、「そうなんだ・・」って相づちだけ打っていた。
モモもその他も友達だから、私は普通に接している。
そうすると、モモは私を頼る。
「最近なんか変じゃない?」相談と共に、彼女らを非難するようなことも言う。
いまの私なら、いろんな解決方法を取れると思うのだけれど、そのころの私は「それはおかしいことだ。」とは、わかっていたけど、解決する術も勇気も持っていなかったから、曖昧な返事しかできない。
「機嫌悪いだけじゃない、様子をみてみたら」程度のアドバイスだ。
その様子をみて4人が私に聞いてくる「モモなんて言っていた?」。
あなたたちを非難していたよなんて言って、余計こじらせるわけにはいかないから、「気にしていたよ。」とだけ報告する。
一緒に悪口が言えたら、楽だろうなと思っていた。
でも、言えない。
そして、ちゃんと解決もできない。
両方に嘘を付くような、板挟みになっていった。
でも、なんで悪口を言わない、孤独になっている子の話を聞いている私が、苦しくならなければいけなのだろう。
だんだんこの状態がいやになり、私は逃れるように1、2日の間、当時付き合っていた男の子と一緒にいる時間を多くした。
5、6時間目が自習になり、その男の子と一緒に早引けして、その子の家に遊びに行った。
夕方、その子の家に彼女らから電話が来る。
学校に私を呼び出すために。
ああ、来たか、と諦めだか、安堵だかわからない気持ち。
もちろん恐怖もある。
でも、どこかで私はこれで見切りを付けられると安堵していた。
「どっち付かずの裏切り者」
呼び出された暗い教室で、私はさんざん文句を言われた。
モモもその中にいた。
つい昨日まで、あんなに悪口を言っていた彼女らは、もうモモと笑い合っている。
モモのほうも、それで納得しているのだろうか、一緒になって私を非難する。
この中で、誰が一番悪いのだろう。
解決しなかった私も「善」ではないのかもしれないが、非難される筋合いもないはずだ。
それでも、私が裏切った悪者というならば、私はその価値観を持つこの中にはいたくない。
とにかく、彼女たちが早く私を仲間から外すと決めてくれないか。
たいして取り乱さず、「裏切ったつもりはないけれど、もしそう感じさせてしまったならば、謝る。そんなに私がいやなら、どうか友達と思わないで。」なんて言うから余計に解放してくらない。
ずっと文句は続くのだ。
泣いてごめんなさいとでも言うと思っているのか。
多分、それを望んでいるのだろう。
でも、そんな気にはなれない。
なんかわからないけど、彼女らは、必死な私が見たいようだ、わけわからない因縁をつけてくる。
「こんなに文句言われて悔しくないの!!悔しかったら、殴ってきなよ。」
う~ん、何が望みかわからない・・。
仕方がないから、ビンタしてやった。全員に。
そしたら、1人づつ叩き返してきた。
グーで殴る子もいた。
とにかく、このバカみたいな茶番劇から解放されたくて、殴り合った。
幸い、本当の悪い集団ではなかったから、暴行や陰湿ないじめに発展することはなかったことだけは感謝しておこう。
それですっきりしたのか、彼女たちは先に帰った。
帰る方向が同じなので、わざと遠回りして帰る。
いつも使わないバス停に行き、バスを待つ。
さすがに、立っている気力はなく、しゃがみこむ。
大きな幹線道路のオレンジ色の外灯。
オレンジに染まって流れる車をぼんやりと見ながら、明日もちゃんと学校に行こう、でも、どうやって過ごそうかと考えていた。
そして、女が集団になって発生する空気は、いやなものだとぼんやりと思っていた。
これ、前振り1です。
まだまだ続きますよ~♪
職業選択(前振り2)
惹かれ合う理由
女の集団が苦手な私が選んだ職場は、女の集団の百貨店だ。
しかも、さらに恐いイメージの「受付嬢」に配属された。
私の勤めた百貨店は規模が大きく受付嬢だけでも十数人いた。
でも、この百貨店の人選はちょっと変わっていた。
受付嬢というと、綺麗な派手なお化粧ばっちりの高飛車な集まりみたいなイメージがあるけど、この部署は、身長と愛嬌で選んだのではないかというくらい「つんつん」したイメージはなかった。
小さないさかいやわがままはあるけれど、同期が多かったせいもあり、学校の延長のような日々だった。
お酒や夜遊びも覚え華やかな注目される職場だから自然と洗練されていく。
入社数年目にイベントが開催された。
私が勤めていた百貨店もイベントに出店したので、私たちの部署から有志を募りコンパニオンとして働いた。
マイクを持ち二百人くらいを誘導して、その人たちの前で話す。
なんとも言えない気持ちよさだった。
もちろん合宿をして発声や滑舌いろいろ訓練をして(入社時にも厳しく指導されたが、この時も)そこに至るのだが。
そのイベントを含む百貨店時代は、苦い恋愛を繰り返してはいたものの、華やかで楽しい時だった。
でも女の集団が苦手なことには変わりなく、仲良しグループに入るのを避けていたところはあった。
どのグループの子とも、ある程度仲が良い。
もちろん仲の良さに差はあるが、だれかとべったりにならなかった、なれなかった。
例えば、Rちゃんと親密になりそうになると、元々仲良くしていたYちゃんに悪いかな、トラブルにならないように歯止めをかけるようなところがあった。
仕切役をかってでるので(まわりを心地よくするの上手)、飲み友達はたくさんいた。
飲み会といえば、りん子みたいな感じ。
ただ、これも楽しいからそうしているのか、ニーズがあるからそうしているのか、見て見ぬふりはしていたと思う。
そんな具合だから、私の1度目の結婚の二次会は元夫も同じ職場だったこともあり150人くらい集まった。
一番の親友はいないけど、お友達たくさんと勘違いをしていた。
しかし離婚したときに露呈した。
元夫とは同じ職場だったから、私の友達も元夫と仲良かったりしていた。
その輪から、逃げてしまいたくなって、仕切屋の楽しいりん子を返上して、一変付き合いの悪いりん子になった。(まあ、離婚騒動の前後だもの、そうなるのは不自然ではないですよね)
この時、ほとんどの人は私に付き合うことを諦めてしまったのだ。
私も過去の私を一掃したい気持ちもあったから、尚更だ。
離婚して、再就職した職場で現夫と出会う。
そのあたりから、私は友達付き合いというのを、極力増やさないようにしていた。
現夫、幼馴染みの1人、職場の同期の男女ひとりずつ、姉、そして、その後出産したときに知り合った子1人。
私の人生にはこれくらいの人数でいいだろうと思っていった。
たくさんいても、所詮は浅い。
集団によるトラブルが苦手で、結局誰とも深く付き合えない。
どこかで、見下してもいる。
普通に生活していれば、知り合いは増えるだろう。
誰とも付き合わないわけではない。
でも、私は心を開くのはやめた。
これ以上、深い友達を増やすのをやめにした。
また、こちらから心を開きたいと思える人もいなかった。
子供を産んで、母親同士の付き合いもしないといけないんだろうな。
それでも、多分これ以上増やさず、深入りする付き合いは避けたいなと思っていた。
「公園デビュー」私の大嫌いな言葉だ。
そんなものとは無縁の世界にいたい。
私は、子供のためには公園に行く。
もちろん世間話だってする。
でも、私の友達を作るために行くのではない。
知り合いは作るけど、友達なんて、そう簡単にはできないものではないか。
そんなことで一喜一憂したくない。
お昼に家に帰らず、お弁当を買ってまで公園で食べるようなべったり付き合う人たちを横目に、笑顔で「バイバイ」して帰る。
不安や孤独感は付きまとう、でも、集団の付き合いが苦手なことを自覚しているから、適度に距離を置く。
そこにいても酸素不足の金魚のように苦しくなるのは、わかっているからだ。
まだ、前振りは続きます。
全然色っぽくないですね~。
女の集団が苦手な私が選んだ職場は、女の集団の百貨店だ。
しかも、さらに恐いイメージの「受付嬢」に配属された。
私の勤めた百貨店は規模が大きく受付嬢だけでも十数人いた。
でも、この百貨店の人選はちょっと変わっていた。
受付嬢というと、綺麗な派手なお化粧ばっちりの高飛車な集まりみたいなイメージがあるけど、この部署は、身長と愛嬌で選んだのではないかというくらい「つんつん」したイメージはなかった。
小さないさかいやわがままはあるけれど、同期が多かったせいもあり、学校の延長のような日々だった。
お酒や夜遊びも覚え華やかな注目される職場だから自然と洗練されていく。
入社数年目にイベントが開催された。
私が勤めていた百貨店もイベントに出店したので、私たちの部署から有志を募りコンパニオンとして働いた。
マイクを持ち二百人くらいを誘導して、その人たちの前で話す。
なんとも言えない気持ちよさだった。
もちろん合宿をして発声や滑舌いろいろ訓練をして(入社時にも厳しく指導されたが、この時も)そこに至るのだが。
そのイベントを含む百貨店時代は、苦い恋愛を繰り返してはいたものの、華やかで楽しい時だった。
でも女の集団が苦手なことには変わりなく、仲良しグループに入るのを避けていたところはあった。
どのグループの子とも、ある程度仲が良い。
もちろん仲の良さに差はあるが、だれかとべったりにならなかった、なれなかった。
例えば、Rちゃんと親密になりそうになると、元々仲良くしていたYちゃんに悪いかな、トラブルにならないように歯止めをかけるようなところがあった。
仕切役をかってでるので(まわりを心地よくするの上手)、飲み友達はたくさんいた。
飲み会といえば、りん子みたいな感じ。
ただ、これも楽しいからそうしているのか、ニーズがあるからそうしているのか、見て見ぬふりはしていたと思う。
そんな具合だから、私の1度目の結婚の二次会は元夫も同じ職場だったこともあり150人くらい集まった。
一番の親友はいないけど、お友達たくさんと勘違いをしていた。
しかし離婚したときに露呈した。
元夫とは同じ職場だったから、私の友達も元夫と仲良かったりしていた。
その輪から、逃げてしまいたくなって、仕切屋の楽しいりん子を返上して、一変付き合いの悪いりん子になった。(まあ、離婚騒動の前後だもの、そうなるのは不自然ではないですよね)
この時、ほとんどの人は私に付き合うことを諦めてしまったのだ。
私も過去の私を一掃したい気持ちもあったから、尚更だ。
離婚して、再就職した職場で現夫と出会う。
そのあたりから、私は友達付き合いというのを、極力増やさないようにしていた。
現夫、幼馴染みの1人、職場の同期の男女ひとりずつ、姉、そして、その後出産したときに知り合った子1人。
私の人生にはこれくらいの人数でいいだろうと思っていった。
たくさんいても、所詮は浅い。
集団によるトラブルが苦手で、結局誰とも深く付き合えない。
どこかで、見下してもいる。
普通に生活していれば、知り合いは増えるだろう。
誰とも付き合わないわけではない。
でも、私は心を開くのはやめた。
これ以上、深い友達を増やすのをやめにした。
また、こちらから心を開きたいと思える人もいなかった。
子供を産んで、母親同士の付き合いもしないといけないんだろうな。
それでも、多分これ以上増やさず、深入りする付き合いは避けたいなと思っていた。
「公園デビュー」私の大嫌いな言葉だ。
そんなものとは無縁の世界にいたい。
私は、子供のためには公園に行く。
もちろん世間話だってする。
でも、私の友達を作るために行くのではない。
知り合いは作るけど、友達なんて、そう簡単にはできないものではないか。
そんなことで一喜一憂したくない。
お昼に家に帰らず、お弁当を買ってまで公園で食べるようなべったり付き合う人たちを横目に、笑顔で「バイバイ」して帰る。
不安や孤独感は付きまとう、でも、集団の付き合いが苦手なことを自覚しているから、適度に距離を置く。
そこにいても酸素不足の金魚のように苦しくなるのは、わかっているからだ。
まだ、前振りは続きます。
全然色っぽくないですね~。
職業選択(前振り3
惹かれ合う理由
子供のことを頻繁に話題にするのはあまりよくないのでは?と那智さんは言います。
男性の読者の方でエッチな感じを期待されている方がいらっしゃるなら、その部分は想像には邪魔な情報だからだそうです。
「だって、20代前半のピチピチした子をを当てはめて想像したほうが楽しいだろ?子持ちの30代後半って、あんまり前面に出さないほうが、そういう読者は喜ぶんじゃない?」
30代後半で悪かったですね~~~!!
それも(SM的)もこれも(子持ち)も全部含めて私なんですもん!!
過激なことを期待されている方も多いかもしれませんが、エッチな期待をされている方はもうそんなにいないんじゃないかな、と勝手に想像して自由に書かせていただきます♪
女性のほうが多いじゃないかな~と、ついでに勝手な想像しています。
とういことで、続きいきま~す。
いくつかの経験を経て、人付き合いを抑えようと決めた私。
ご近所や公園での知り合いの付き合いは人並みにこなしてはいたが、それは表面上のこと。
私は心を開かず、当たり障りのない人になる。
一方が心を開かなければ、それ以上深い関係にはならないだろう。
子供のために知り合いを呼んだり呼ばれたりはしていたし、困っているときには預かったり預けたりもしていた。
でも、そんなの「友達」と思う以前に、助け合うという常識なだけでできることだ。
子供が幼稚園に入園する時期が来た。
ここでも、
そのスタンスは変えない。
母親集団はやっぱり苦手。
私は幼稚園のバスを利用することにした。
あの送り迎えの母親集団の中に身を置くくらいなら、ママ友(こんな名称変!!)を作らないほうを選ぶ。
幸い、私の近所でそのバスを利用するお宅は一件だけ、よく数人で立ち話なんて光景を目にするが、そうならずにすみそうだ。
私は、子供が幼稚園に慣れたころを見計らってパートに出る。
ランチタイムのウェイトレスだ。
割烹料理のお店だから、配膳といったほがしっくりくるかな。
自分で使えるお金を稼ぐのは嬉しいことだ。
母親同士の付き合いにも、断る口実もできる。
通い始めたスポーツクラブと幼稚園のバス代、それとお小遣いくらいは、捻出できる。
それでも、一切付き合いを断っているわけではありませんよ。
心を開かないだけ。
だから、子供が誰かと約束すれば、その人のお宅にお邪魔したり、近くの公園に集まったり、それは惜しまずしていた。
でも、「芸能界の話題」や「先生の噂話」をニコニコしながら延々と聞いていると、やっぱり向いていないな~と思ってしまう。
どこの学校や幼稚園にも、役員や係というものがある。
それを決める空気の重さは、経験した人にしかわからないいやなものだ。
その重い空気がいやで、昔からついいろんな場面でかってでてしまう。
(運動神経ゼロなのに、リレーとかね 笑)
幸い、2年間の幼稚園生活で、一番大変な役員は立候補してくれた奇特なお母さんのおかげで手を挙げずにすんだ。
あとは、単発の行事。
下に兄弟のいない、フルタイムで働いてもいない私は、だれもやり手のいない係には手を挙げて参加した。
なかなか決まらないと、先生やはじめにきまった役員の人たちが困ってしまうからだ。
これも「友達と一緒に」なんて関係なく、常識として手を挙げるだけだ。
困っていたら助けるという、極簡単な常識。
そうやって、子供のためと常識に基づいくという、線引きをして二年間が過ぎようとしていた。
余談ですが、1人だけ波長が合うと感じた人がいました。
線引きが似ていると感じられた人。
その人とは、もっと仲良くなりたいと唯一思えた人だった。
だから、その人には心を開いて心を許した。
旦那様のお仕事の関係で、いまは新幹線に乗らないと会えない所に行ってしまったが、いまでも付き合いは続いている。
これも、余談ですが(すみません、横道に逸れます)、以前「惹かれ合う理由」の「毛布」で書いた、岩月謙司さん(人間行動学かなんかの教授さん)の著書によれば、「父親から、適正な愛情をもらえていないと、父親のダメなところと同じところを持った男性を選んで、ダメな恋愛を繰り返してしまう」ということだ。(はしょってます!)
で、そのダメな繰り返しをおしまいにしたいなら、今付き合っている人間関係を全部絶ち(といっても、社会人生活をしていれば、無理なことですが、要するに、無駄に付き合わないことだと解釈しています)、孤独を甘受するのだそうです。
そして、1人でも平気になると「この人といると心地よい」という感覚が味わえてくるそうです。
そこから、心地よさを頼りに人間関係を構築すれば、自然と男性選びも変わってくるそうです。(たしか、そんなことが書いていったはず)
私は、もしかしたら無意識にこの状況を自ら作っていたのではないかしら、と思っています。
余計なものを削ぎ落とし、孤独を選んだ。
そして、そのころに那智さんと知り合った。
偶然か、必然か、それは神様にしかわからない。
その幼稚園生活の最後に母親企画の「謝恩会」があった。
各組役員2人、と謝恩会係2人。
私の組は、誰も手を挙げずなかなか決まらなかった。
私は、すでに年のはじめに決めた行事で係を終えていたから、このあとから追加招集された係になるつもりはなかった。
それでも、誰も手を挙げない。
仕方がない「パート勤めをしているから、準備に参加できない時もある」ことの了解を得て、係になる。
結局、他には誰も名乗り出てくれず、私の組は役員と私の3人だけで決まったのだ。
その集まりは、そんなに必要ないだろ~ってくらい時間がかかる。
会議は噂話で進まない、買い物もみんなで、ああ、頭痛い。
横道に逸れたら、さりげなく軌道修正して、話題を謝恩会会議に戻し、決まらないことにはアイデアを出す。
時々パートで欠席する代わりに、みんながやりたくないような仕事は積極的に引き受ける。
園長先生と同じタクシーに乗って二次会会場まで案内する係。
「ええ~~~いやだ~~。(全員)」
「じゃあ、私やりますよ。」
随分、変わった人だったかもしれない(笑)
でも、悪いことはしていないだろう。
やるべきことは、ちゃんとやる、それだけだ。
「司会進行は?」
「そんなのできない~~」
「難しいこと言わないなら、私やりましょか。」
謝恩会当日。
マイクを持って進行をする私。
もしかしたら「誰のお母さん?」って思っている人もいたかもしれない。
それでも、かまわない、謝恩会が円滑に進むように気を配る。
みんなで歌を歌うテープの音が出ず、出るまでその場をなんとか繋ぐ。
冷や汗も出たけど、人前でマイクを持ち話す心地よさ。
トラブルに対処しながら、その場を和やかに仕切る快感。
そういえば、以前コンパニオンをしていた時や、その当時お友達の結婚披露宴で頼まれてした司会と時に、この充実感を味わっていたな、と思い出して懐かしく快感に浸った。
もう今更、無理だろうけれど、もし時間をさかのぼることができるなら、人前で話す仕事でキャリアを積んでみたかったな・・・と夢物語を描いていた。
そして、その夢物語を那智さんに話したことが運のつき。
脅迫に近い、強力な後押しのもと、司会業に就くまでの奮闘記が始まるのでした。
子供のことを頻繁に話題にするのはあまりよくないのでは?と那智さんは言います。
男性の読者の方でエッチな感じを期待されている方がいらっしゃるなら、その部分は想像には邪魔な情報だからだそうです。
「だって、20代前半のピチピチした子をを当てはめて想像したほうが楽しいだろ?子持ちの30代後半って、あんまり前面に出さないほうが、そういう読者は喜ぶんじゃない?」
30代後半で悪かったですね~~~!!
それも(SM的)もこれも(子持ち)も全部含めて私なんですもん!!
過激なことを期待されている方も多いかもしれませんが、エッチな期待をされている方はもうそんなにいないんじゃないかな、と勝手に想像して自由に書かせていただきます♪
女性のほうが多いじゃないかな~と、ついでに勝手な想像しています。
とういことで、続きいきま~す。
いくつかの経験を経て、人付き合いを抑えようと決めた私。
ご近所や公園での知り合いの付き合いは人並みにこなしてはいたが、それは表面上のこと。
私は心を開かず、当たり障りのない人になる。
一方が心を開かなければ、それ以上深い関係にはならないだろう。
子供のために知り合いを呼んだり呼ばれたりはしていたし、困っているときには預かったり預けたりもしていた。
でも、そんなの「友達」と思う以前に、助け合うという常識なだけでできることだ。
子供が幼稚園に入園する時期が来た。
ここでも、
そのスタンスは変えない。
母親集団はやっぱり苦手。
私は幼稚園のバスを利用することにした。
あの送り迎えの母親集団の中に身を置くくらいなら、ママ友(こんな名称変!!)を作らないほうを選ぶ。
幸い、私の近所でそのバスを利用するお宅は一件だけ、よく数人で立ち話なんて光景を目にするが、そうならずにすみそうだ。
私は、子供が幼稚園に慣れたころを見計らってパートに出る。
ランチタイムのウェイトレスだ。
割烹料理のお店だから、配膳といったほがしっくりくるかな。
自分で使えるお金を稼ぐのは嬉しいことだ。
母親同士の付き合いにも、断る口実もできる。
通い始めたスポーツクラブと幼稚園のバス代、それとお小遣いくらいは、捻出できる。
それでも、一切付き合いを断っているわけではありませんよ。
心を開かないだけ。
だから、子供が誰かと約束すれば、その人のお宅にお邪魔したり、近くの公園に集まったり、それは惜しまずしていた。
でも、「芸能界の話題」や「先生の噂話」をニコニコしながら延々と聞いていると、やっぱり向いていないな~と思ってしまう。
どこの学校や幼稚園にも、役員や係というものがある。
それを決める空気の重さは、経験した人にしかわからないいやなものだ。
その重い空気がいやで、昔からついいろんな場面でかってでてしまう。
(運動神経ゼロなのに、リレーとかね 笑)
幸い、2年間の幼稚園生活で、一番大変な役員は立候補してくれた奇特なお母さんのおかげで手を挙げずにすんだ。
あとは、単発の行事。
下に兄弟のいない、フルタイムで働いてもいない私は、だれもやり手のいない係には手を挙げて参加した。
なかなか決まらないと、先生やはじめにきまった役員の人たちが困ってしまうからだ。
これも「友達と一緒に」なんて関係なく、常識として手を挙げるだけだ。
困っていたら助けるという、極簡単な常識。
そうやって、子供のためと常識に基づいくという、線引きをして二年間が過ぎようとしていた。
余談ですが、1人だけ波長が合うと感じた人がいました。
線引きが似ていると感じられた人。
その人とは、もっと仲良くなりたいと唯一思えた人だった。
だから、その人には心を開いて心を許した。
旦那様のお仕事の関係で、いまは新幹線に乗らないと会えない所に行ってしまったが、いまでも付き合いは続いている。
これも、余談ですが(すみません、横道に逸れます)、以前「惹かれ合う理由」の「毛布」で書いた、岩月謙司さん(人間行動学かなんかの教授さん)の著書によれば、「父親から、適正な愛情をもらえていないと、父親のダメなところと同じところを持った男性を選んで、ダメな恋愛を繰り返してしまう」ということだ。(はしょってます!)
で、そのダメな繰り返しをおしまいにしたいなら、今付き合っている人間関係を全部絶ち(といっても、社会人生活をしていれば、無理なことですが、要するに、無駄に付き合わないことだと解釈しています)、孤独を甘受するのだそうです。
そして、1人でも平気になると「この人といると心地よい」という感覚が味わえてくるそうです。
そこから、心地よさを頼りに人間関係を構築すれば、自然と男性選びも変わってくるそうです。(たしか、そんなことが書いていったはず)
私は、もしかしたら無意識にこの状況を自ら作っていたのではないかしら、と思っています。
余計なものを削ぎ落とし、孤独を選んだ。
そして、そのころに那智さんと知り合った。
偶然か、必然か、それは神様にしかわからない。
その幼稚園生活の最後に母親企画の「謝恩会」があった。
各組役員2人、と謝恩会係2人。
私の組は、誰も手を挙げずなかなか決まらなかった。
私は、すでに年のはじめに決めた行事で係を終えていたから、このあとから追加招集された係になるつもりはなかった。
それでも、誰も手を挙げない。
仕方がない「パート勤めをしているから、準備に参加できない時もある」ことの了解を得て、係になる。
結局、他には誰も名乗り出てくれず、私の組は役員と私の3人だけで決まったのだ。
その集まりは、そんなに必要ないだろ~ってくらい時間がかかる。
会議は噂話で進まない、買い物もみんなで、ああ、頭痛い。
横道に逸れたら、さりげなく軌道修正して、話題を謝恩会会議に戻し、決まらないことにはアイデアを出す。
時々パートで欠席する代わりに、みんながやりたくないような仕事は積極的に引き受ける。
園長先生と同じタクシーに乗って二次会会場まで案内する係。
「ええ~~~いやだ~~。(全員)」
「じゃあ、私やりますよ。」
随分、変わった人だったかもしれない(笑)
でも、悪いことはしていないだろう。
やるべきことは、ちゃんとやる、それだけだ。
「司会進行は?」
「そんなのできない~~」
「難しいこと言わないなら、私やりましょか。」
謝恩会当日。
マイクを持って進行をする私。
もしかしたら「誰のお母さん?」って思っている人もいたかもしれない。
それでも、かまわない、謝恩会が円滑に進むように気を配る。
みんなで歌を歌うテープの音が出ず、出るまでその場をなんとか繋ぐ。
冷や汗も出たけど、人前でマイクを持ち話す心地よさ。
トラブルに対処しながら、その場を和やかに仕切る快感。
そういえば、以前コンパニオンをしていた時や、その当時お友達の結婚披露宴で頼まれてした司会と時に、この充実感を味わっていたな、と思い出して懐かしく快感に浸った。
もう今更、無理だろうけれど、もし時間をさかのぼることができるなら、人前で話す仕事でキャリアを積んでみたかったな・・・と夢物語を描いていた。
そして、その夢物語を那智さんに話したことが運のつき。
脅迫に近い、強力な後押しのもと、司会業に就くまでの奮闘記が始まるのでした。
責任転嫁
独り言
記事を更新するには那智さんの協力が必要だ。
特に「惹かれ合う理由」のような、重要なやり取りの上に成り立つお話で、尚かつ流れを追う必要のあるものは、私の記憶だけでは不十分と思うからだ。
そうは言っても、ほとんどは私の記憶なのだけど、思い出してもらって那智さん側から見た印象と照らし合わせてみたりしている。
これを「インタビュー」と言って、最近の私の楽しみにしているの。
付き合ってくれる嬉しさもあるけれど、何よりも「那智さんの心の動き」がわかるのは面白いし嬉しい。
いまでは冷静な那智さんだけど、電話ではじめて話してから会うまでは「必死だった。」と本人も言っているくらい、もう一生懸命私を口説いてくれていた。
あんなに必死な那智さんには、もう二度と会えないだろうな~と、時々、懐かしい思い出話として、話題にしていた。
「那智さん、あの時必死でしたよね~。」
だから「惹かれ合う理由」の出会いのあたりは、インタビューと称して散々蒸し返して楽しませてもらいました。
今夜はお電話がなかなかありません。
昼間おしゃべりしてくれたから、お仕事中なのかしら。
「職業選択」本題。
これも那智さんの協力なくして進めません。
「脅迫に近い後押し」をしたご本人の見解を聞かないと、モチベーション不足です・・。
いつものように、個人的なお話ですが、もしほんの少しでも楽しみにしてくださっている方がいらっしゃるなら。
ごめんんさい、いまのところ更新できません。
あんなに超個人的な長い前振りをしておきながら、「できません」というのは自分勝手とは思いますが、この蛇の生殺しのような状態は、今夜、お話ししてくれない那智さんのせいなのです。
クレームは那智さんへお願い致します(笑)
明日から、週末です。
たっぷり更新は来週になってしまうかしら。
記事を更新するには那智さんの協力が必要だ。
特に「惹かれ合う理由」のような、重要なやり取りの上に成り立つお話で、尚かつ流れを追う必要のあるものは、私の記憶だけでは不十分と思うからだ。
そうは言っても、ほとんどは私の記憶なのだけど、思い出してもらって那智さん側から見た印象と照らし合わせてみたりしている。
これを「インタビュー」と言って、最近の私の楽しみにしているの。
付き合ってくれる嬉しさもあるけれど、何よりも「那智さんの心の動き」がわかるのは面白いし嬉しい。
いまでは冷静な那智さんだけど、電話ではじめて話してから会うまでは「必死だった。」と本人も言っているくらい、もう一生懸命私を口説いてくれていた。
あんなに必死な那智さんには、もう二度と会えないだろうな~と、時々、懐かしい思い出話として、話題にしていた。
「那智さん、あの時必死でしたよね~。」
だから「惹かれ合う理由」の出会いのあたりは、インタビューと称して散々蒸し返して楽しませてもらいました。
今夜はお電話がなかなかありません。
昼間おしゃべりしてくれたから、お仕事中なのかしら。
「職業選択」本題。
これも那智さんの協力なくして進めません。
「脅迫に近い後押し」をしたご本人の見解を聞かないと、モチベーション不足です・・。
いつものように、個人的なお話ですが、もしほんの少しでも楽しみにしてくださっている方がいらっしゃるなら。
ごめんんさい、いまのところ更新できません。
あんなに超個人的な長い前振りをしておきながら、「できません」というのは自分勝手とは思いますが、この蛇の生殺しのような状態は、今夜、お話ししてくれない那智さんのせいなのです。
クレームは那智さんへお願い致します(笑)
明日から、週末です。
たっぷり更新は来週になってしまうかしら。
自虐?
独り言
インタビュー終了しました。
「脅迫に近い後押し」といっても、ナイフを突きつけられたわけでもなく、何かを人質にされたわけでもないんです(当たり前か!?)
ただ甘えを、正論で一歩も引かずに追う詰められただけなのです。
インタビューして、よっぽどナイフを突きつけられたほうが文章にしやすいわ!と、尻込みです。
毎度同じことの繰り返しです。
衝撃的な出来事ではない、会話と心の動きだけで「脅迫に近い後押し」を書くのに二の足踏んでしまいます。
だから、こうやって助走つけるのです。
今回はまた、一見無意味な(本当に無意味な)長い前振りで引っ張ってしまっているから、余計にぐずっています。
どちらにしても、今日明日は軽い更新です。
自らハードル上げている感じがするのは、気のせい?
自虐の嗜好はないはずなのに。
インタビュー終了しました。
「脅迫に近い後押し」といっても、ナイフを突きつけられたわけでもなく、何かを人質にされたわけでもないんです(当たり前か!?)
ただ甘えを、正論で一歩も引かずに追う詰められただけなのです。
インタビューして、よっぽどナイフを突きつけられたほうが文章にしやすいわ!と、尻込みです。
毎度同じことの繰り返しです。
衝撃的な出来事ではない、会話と心の動きだけで「脅迫に近い後押し」を書くのに二の足踏んでしまいます。
だから、こうやって助走つけるのです。
今回はまた、一見無意味な(本当に無意味な)長い前振りで引っ張ってしまっているから、余計にぐずっています。
どちらにしても、今日明日は軽い更新です。
自らハードル上げている感じがするのは、気のせい?
自虐の嗜好はないはずなのに。