言葉選び
独特な幸福感
那智さんは、ちょっと独特な感性を持っているなと思うことがある。
『頑張って』は言わないとか
『よいお年をお迎えください』じゃなくて『よい年にするよ』だったり
『たまたま』という考え方にもずいぶん救われている。
わたしもたくさん影響を受けているけど。
実は、那智さんとわたしは言葉選びに関して似た感性を持っているな〜と実感することが割りとよくあるのだ。
例えば
『○○してあげる』という言葉も選ぶ。
「取ってあげようか?」
「取ろうか?」
けして使わないのではないのだよ。
選ぶの。
この選ぶ基準が似ているのだ。
基本は使わない、でも状況によっては敢えて使う。
この振り分けが似ている。
どんな会話だか忘れたけど、誰か第三者のことをお話ししていたとき『○○してあげる』と言いそうになって、一瞬言葉を止めて『○○しようと思う』と言ったんだ。
そしたら
「りん子、いま『してあげる』って言いそうになってやめただろ?」
と気づいてくれたんだ。
そのときは「よくわかりましたね〜」程度で話しを進めてしまったけど、気づいてくれたことが、嬉しかった^^
あ〜、似てる〜って。
それとか。
『が』と『で』を使い分けること。
「わたしも同じもの『で』いい」
「わたしも同じもの『が』いい」
誰かと同じものをオーダーするとき、どちらを選ぶだろう。
わたしはできるだけ後者を選ぶようにしている。
もちろん「『で』いい」という感情のときだってあるので、その時々で違う場合もあるけど。
基本は「『が』いい」だ。
「ビールがいい」
「11時がいいな」
ちゃんと自分で選び取っているようだし、特に一緒にいる人と同じものにするときは相手もひっくるめて肯定しているようで、好きなんだ。
過去エントリーで『奴隷がいいの?』なんていうのも、そんな下地があってタイトルにしたんだな。
『○○がいい』と自分で選びたいよね。
これも那智さんも拘る言葉選びだったんだ。
同じことを線引きしていたことが付き合う中で知ることになる。
この言葉選びが『正解』ではないのだよ。
正解だと思わないでね。
これらのことは、ずっと前からあった線引き。
那智さんの独特な感性がすーっと心に沁みて自分のものにできるときにも、こんなふうにもともと同じような線引きがあったことも。
きっと感性が似てるからだと思うと、ちょっと、ううん、とっても嬉しい。
だから今日のカテゴリは『りん子的独り言(エラそう)』はやめて『独特な幸福感』にするんだ^^
ところで。
そんな言葉選びの感性が似ているわたしたちですが、もちろん賛同できないことだってある。
そのうちのひとつが。
「ありがとうございます」と「ありがとうございました」
那智さんは「ありがとうございます」なの。
例えば、お世話になった人にお礼のメールを出すとき「昨日はありがとうございます」にするの。
これからもお付き合いを続けたいという意志を『過去形』にしないことで意思表示しているのだ。
でもわたしは「ありがとうございました」。
その事柄に対してのお礼だから過去形がしっくりすると思うのだ。
まあ、どちらでもいいのだけど^^;
ただ那智さんの言わんとしていることも理解できるし、もしかしたらそのほうがいいかもとも、すーっと心に沁みる感じではあるので、今後はどうしようかな〜と思っているところ。
だけど、ちょっと支障があって^^;
わたしはオナニーをするとき宣言と報告をすることがお約束事になっている。
「ひとりでします」
「いきました。ありがとうございました」
と判で押したように同じ言葉を送る。
(恥ずかしいから固定の言葉にしているのです^^;)
那智さんと「ありがとうございます」と「ありがとうございました」の話題が出てから、報告を送るとき、ちょっと迷ってしまうのだ。
確かに那智さんの感性は理解できる、だから「ありがとうございます」にすることもやぶさかではない、いやむしろ普段使いでは「ありがとうございます」がいいかもしれないとも思っているくらいだ。
でも、この報告のときに使ったら。
『どうぞ今後とも私のオナニーにお付き合いくださいませ』と公言しているみたいじゃありませんか!?
だからいまのところ、この言葉選びには賛同していないのでした^^
となんだかこんな〆になってしまったので、やっぱり今日のカテゴリは『独特な幸福感』にしよー♪
<関連エントリー>
『頑張って』は言わないとか
『気持ちを乗っける』
『よいお年をお迎えください』じゃなくて『よい年にするよ』だったり
『よろしくお願いします^^』
『たまたま』という考え方にもずいぶん救われている
『たまたま』
那智さんは、ちょっと独特な感性を持っているなと思うことがある。
『頑張って』は言わないとか
『よいお年をお迎えください』じゃなくて『よい年にするよ』だったり
『たまたま』という考え方にもずいぶん救われている。
わたしもたくさん影響を受けているけど。
実は、那智さんとわたしは言葉選びに関して似た感性を持っているな〜と実感することが割りとよくあるのだ。
例えば
『○○してあげる』という言葉も選ぶ。
「取ってあげようか?」
「取ろうか?」
けして使わないのではないのだよ。
選ぶの。
この選ぶ基準が似ているのだ。
基本は使わない、でも状況によっては敢えて使う。
この振り分けが似ている。
どんな会話だか忘れたけど、誰か第三者のことをお話ししていたとき『○○してあげる』と言いそうになって、一瞬言葉を止めて『○○しようと思う』と言ったんだ。
そしたら
「りん子、いま『してあげる』って言いそうになってやめただろ?」
と気づいてくれたんだ。
そのときは「よくわかりましたね〜」程度で話しを進めてしまったけど、気づいてくれたことが、嬉しかった^^
あ〜、似てる〜って。
それとか。
『が』と『で』を使い分けること。
「わたしも同じもの『で』いい」
「わたしも同じもの『が』いい」
誰かと同じものをオーダーするとき、どちらを選ぶだろう。
わたしはできるだけ後者を選ぶようにしている。
もちろん「『で』いい」という感情のときだってあるので、その時々で違う場合もあるけど。
基本は「『が』いい」だ。
「ビールがいい」
「11時がいいな」
ちゃんと自分で選び取っているようだし、特に一緒にいる人と同じものにするときは相手もひっくるめて肯定しているようで、好きなんだ。
過去エントリーで『奴隷がいいの?』なんていうのも、そんな下地があってタイトルにしたんだな。
『○○がいい』と自分で選びたいよね。
これも那智さんも拘る言葉選びだったんだ。
同じことを線引きしていたことが付き合う中で知ることになる。
この言葉選びが『正解』ではないのだよ。
正解だと思わないでね。
これらのことは、ずっと前からあった線引き。
那智さんの独特な感性がすーっと心に沁みて自分のものにできるときにも、こんなふうにもともと同じような線引きがあったことも。
きっと感性が似てるからだと思うと、ちょっと、ううん、とっても嬉しい。
だから今日のカテゴリは『りん子的独り言(エラそう)』はやめて『独特な幸福感』にするんだ^^
ところで。
そんな言葉選びの感性が似ているわたしたちですが、もちろん賛同できないことだってある。
そのうちのひとつが。
「ありがとうございます」と「ありがとうございました」
那智さんは「ありがとうございます」なの。
例えば、お世話になった人にお礼のメールを出すとき「昨日はありがとうございます」にするの。
これからもお付き合いを続けたいという意志を『過去形』にしないことで意思表示しているのだ。
でもわたしは「ありがとうございました」。
その事柄に対してのお礼だから過去形がしっくりすると思うのだ。
まあ、どちらでもいいのだけど^^;
ただ那智さんの言わんとしていることも理解できるし、もしかしたらそのほうがいいかもとも、すーっと心に沁みる感じではあるので、今後はどうしようかな〜と思っているところ。
だけど、ちょっと支障があって^^;
わたしはオナニーをするとき宣言と報告をすることがお約束事になっている。
「ひとりでします」
「いきました。ありがとうございました」
と判で押したように同じ言葉を送る。
(恥ずかしいから固定の言葉にしているのです^^;)
那智さんと「ありがとうございます」と「ありがとうございました」の話題が出てから、報告を送るとき、ちょっと迷ってしまうのだ。
確かに那智さんの感性は理解できる、だから「ありがとうございます」にすることもやぶさかではない、いやむしろ普段使いでは「ありがとうございます」がいいかもしれないとも思っているくらいだ。
でも、この報告のときに使ったら。
『どうぞ今後とも私のオナニーにお付き合いくださいませ』と公言しているみたいじゃありませんか!?
だからいまのところ、この言葉選びには賛同していないのでした^^
となんだかこんな〆になってしまったので、やっぱり今日のカテゴリは『独特な幸福感』にしよー♪
<関連エントリー>
『頑張って』は言わないとか
『気持ちを乗っける』
『よいお年をお迎えください』じゃなくて『よい年にするよ』だったり
『よろしくお願いします^^』
『たまたま』という考え方にもずいぶん救われている
『たまたま』