Round 2!!(追記あり)
独特な幸福感
昨日は軽いジャブで、今日は無差別級の背負い投げクラスのノロケと「わたくしごと」です。
一本取られても良い方、どうぞ〜。
わたしのことをよーく知ってる、わたしの大好きな人が愛情を込めてわたしを評してくれたキャッチコピーがある。
「もののわかった、ばか」
また別のわたしの信頼する人が、わたしのような人間を「コンビニ」のような人と分析してくださったことがある。
こんな感じだ。
けして非常識ではなくて、むしろ常識もある。
まわりを思いやる気持ちも持ってるし、穏やかに生活したいと思う、極めてまとまな人間。
学校のお勉強は苦手だったけど、あれこれ考えるのは好きなので、まあ、面白い話題提供もできる。
ひとつひとつの考えはある程度しっかりしてるはずなのに、それぞれを理路整然と並べ思考を繋げていくことが苦手。
コンビニのように商品は豊富なんだけど、どこにどう並べていいかわからなくなっちゃう。
で、散らばった感情に囲まれて途方に暮れる。
だから、「もののわかった、ばか」でコンビニ。
悲しいことが起こる。
悲しいという感情はわかる。
理由や原因を分析してみる。
そこからどうしてよいかわからない。
理由や原因や感情や、解決方法までピックアップできてるはずなのに。
どうしたらよいかわからない。
そこで那智さんに泣きつく。
全部説明して、悲しくて困ってると訴える。
そうすると那智さんはその散らかった感情から必要なものとそうじゃないものを分別してくれて、根本的に解決するにはこことここを繋げればいいとアドバイスしてくれる。
それでも、頭ではその説明でわかっていても、そのときの感情が付いていけないときもある。
そういうときのわたしは、ひとつひとつは「ある程度」しっかりしてるから、「頭ではわかってるけど感情がついていけてない」ということまで理解して、その上で悲しいと訴える。
那智さんは、そんなわたしにとても根気よく付き合ってくれる。
それは、わたしが「もののわかった、ばか」だから。
ただ自分の負の感情をぶちまけるのではなくて、「わかってるんだけど、どうしょうもない」ということを自覚して伝えるから。
もうひとつ。
ここ数年で自分の性格のひとつを理解した。(おおげさだけどね)
「惹かれ合う理由」の「私について(見下しと不安)」でも書いたけど。
わたしはずっと昔から、わたしの行動や言動が周囲の常識とズレてる?という違和感を感じていた。
「私について(見下しと不安)」で書いたエピソードをもう一回挙げると。
学生時代、女友達数人でアイスクリームショップに行くと、みんな流行のダブルを注文する。
甘いものがそれほど好きじゃないわたしはシングル。
そうすると、ひとりの子が「りん子、付き合いわるーい」と言う。
ん?なんでそれが「悪い」ことなの?
どうやら、わたしは「ばか正直」のようです。
社交辞令とか如才ない受け答えとかが苦手のよう。
常識はいちおうあるから、人を傷付けるような言動はしないように心掛けてるけど。
だから、言動や行動のあと、「え?それってまずかったの!?」ということがいっぱいある。
そのくせ、それを物ともしないような強さも持ってないから、後悔することが多い。
ずっと、それでヒヤヒヤしてた。
「なにか違う?」「なにかいけなかった?」
わたしに悪気のないことはわかってくれる人はわかってくれるから、多分わたしの親しい人はこの部分を許容してくれているのだろうけど。
それでもずっとずっと不安だった。
それがりん子のいいところだって。
「10のうち1か2は、ほんとにまずいなと思うことはあるけど、残りは『あ〜あ、やっちゃった』と思いつつも結果的によかったことが多い」
のだそう。
仕事面でもそういうところは出ていて、一般的な「司会者」から少しズレてるようだ。
でも、他意はなく社交辞令ではないわたしは、恐らく一部の人からは「信頼」されていると思う。
だけど、いまでも「あちゃ〜」ってことはあって、特に仕事ではちょっと落ち込む。
先日も、那智さんは「そこまで他意がないと、かえって正解かもしれない」というような、ばか正直を働いてしまった。
確かに、だいたい結果オーライなんだ。
むしろ、普通で普通の結果が出るより、「ええ?そうする!?」と一旦「!!」されて結果普通より良い点数ということらしい。
でも、わたし、普通でいいの。
わたしの「天然、ばか正直」で人を「!!」ってさせるより、何にも思われず平均点が取れてればいいの。
「なんで、りん子のしてることのほうが、正解だよ。」
そういわれても、ヒヤヒヤしちゃうのいやなんだ。
「正解不正解じゃないんです。普通でいたいんです。」
「そう?でも、俺はそういうりん子が好きだ。」
ああ、そうか、わたし、ずっとこれで「違和感」感じてたんだね。
子供のころから感じていた違和感は「ばか正直」というところから来ていたのね。
そう思ったら、しゃくり上げるほどの涙が出て来た。
ずっとずっと、わかってるのに上手くいかないとか、何かが違っててヒヤヒヤしてた。
それは、わたしが「もののわかった、ばか」で「ばか正直」だから。
ただ思慮が浅くて、賢くないだけといってしまえばそれまでなんだけど(笑)、なんだかずっとヒヤヒヤしてた。
でも、その漠然とした違和感を言葉にすることで、輪郭付けることができてきた。
言語化して形が見えてくると、改善はしなくても安心はする。
那智さんは、一緒になって言語化してくれて、そこが「りん子のいいところ」と言ってくれる。
わたしはとても幸せだ。
時々若い頃を懐かしむ言葉を耳にするけど、わたしは絶対いまがいい。
年を重ねることで、自分のことがよくわかってくるからだ。
自分のことがわかると、漠然とした不安がなくなってくる。
そして、「りん子は、こうだよねぇ」って一緒に眺めてくれる那智さんがいるから。
その那智さんは、このわたしがいいと言ってくれるから。
20年前、アイスクリームをダブルにしなくて「悪い」と言われて悲しかったりん子に教えてあげたい。
それは、あなたが「ばか正直」だから、そして、それがいいと言ってくれる人が現れるから、心配しないでって。
あなたの「わかってるけど、どうしていいかわからない」も「ばか正直」も「魅力」と思える日が来るから。
いろんな思いをした、でも、しゃくり上げるほど泣いて、安心できるいまが断然、いい。
那智さんは、「そのりん子のいいところを残しつつ、10のうちの1、2の『まずいこと』がなくせるようにさせたいけど、そうするといいところも変わっちゃうのかな〜。」なんていう。
そうなれたら生きやすいとは思うけど、でも、ばか正直で打率10割は、難しいと思うのです。
だから、これでよしとしてくださいな。
追記:那智さんがいてくれて幸せ、もちろんそうなんだけど、わたしにキャッチコピーをつけてくれたり分析してくれたり、その他わたしには大切な関係がいくつかある。その方たちとの関係があるから、いまのわたしがある、とも思ってます。
昨日は軽いジャブで、今日は無差別級の背負い投げクラスのノロケと「わたくしごと」です。
一本取られても良い方、どうぞ〜。
わたしのことをよーく知ってる、わたしの大好きな人が愛情を込めてわたしを評してくれたキャッチコピーがある。
「もののわかった、ばか」
また別のわたしの信頼する人が、わたしのような人間を「コンビニ」のような人と分析してくださったことがある。
こんな感じだ。
けして非常識ではなくて、むしろ常識もある。
まわりを思いやる気持ちも持ってるし、穏やかに生活したいと思う、極めてまとまな人間。
学校のお勉強は苦手だったけど、あれこれ考えるのは好きなので、まあ、面白い話題提供もできる。
ひとつひとつの考えはある程度しっかりしてるはずなのに、それぞれを理路整然と並べ思考を繋げていくことが苦手。
コンビニのように商品は豊富なんだけど、どこにどう並べていいかわからなくなっちゃう。
で、散らばった感情に囲まれて途方に暮れる。
だから、「もののわかった、ばか」でコンビニ。
悲しいことが起こる。
悲しいという感情はわかる。
理由や原因を分析してみる。
そこからどうしてよいかわからない。
理由や原因や感情や、解決方法までピックアップできてるはずなのに。
どうしたらよいかわからない。
そこで那智さんに泣きつく。
全部説明して、悲しくて困ってると訴える。
そうすると那智さんはその散らかった感情から必要なものとそうじゃないものを分別してくれて、根本的に解決するにはこことここを繋げればいいとアドバイスしてくれる。
それでも、頭ではその説明でわかっていても、そのときの感情が付いていけないときもある。
そういうときのわたしは、ひとつひとつは「ある程度」しっかりしてるから、「頭ではわかってるけど感情がついていけてない」ということまで理解して、その上で悲しいと訴える。
那智さんは、そんなわたしにとても根気よく付き合ってくれる。
それは、わたしが「もののわかった、ばか」だから。
ただ自分の負の感情をぶちまけるのではなくて、「わかってるんだけど、どうしょうもない」ということを自覚して伝えるから。
もうひとつ。
ここ数年で自分の性格のひとつを理解した。(おおげさだけどね)
「惹かれ合う理由」の「私について(見下しと不安)」でも書いたけど。
わたしはずっと昔から、わたしの行動や言動が周囲の常識とズレてる?という違和感を感じていた。
「私について(見下しと不安)」で書いたエピソードをもう一回挙げると。
学生時代、女友達数人でアイスクリームショップに行くと、みんな流行のダブルを注文する。
甘いものがそれほど好きじゃないわたしはシングル。
そうすると、ひとりの子が「りん子、付き合いわるーい」と言う。
ん?なんでそれが「悪い」ことなの?
どうやら、わたしは「ばか正直」のようです。
社交辞令とか如才ない受け答えとかが苦手のよう。
常識はいちおうあるから、人を傷付けるような言動はしないように心掛けてるけど。
だから、言動や行動のあと、「え?それってまずかったの!?」ということがいっぱいある。
そのくせ、それを物ともしないような強さも持ってないから、後悔することが多い。
ずっと、それでヒヤヒヤしてた。
「なにか違う?」「なにかいけなかった?」
わたしに悪気のないことはわかってくれる人はわかってくれるから、多分わたしの親しい人はこの部分を許容してくれているのだろうけど。
それでもずっとずっと不安だった。
それがりん子のいいところだって。
「10のうち1か2は、ほんとにまずいなと思うことはあるけど、残りは『あ〜あ、やっちゃった』と思いつつも結果的によかったことが多い」
のだそう。
仕事面でもそういうところは出ていて、一般的な「司会者」から少しズレてるようだ。
でも、他意はなく社交辞令ではないわたしは、恐らく一部の人からは「信頼」されていると思う。
だけど、いまでも「あちゃ〜」ってことはあって、特に仕事ではちょっと落ち込む。
先日も、那智さんは「そこまで他意がないと、かえって正解かもしれない」というような、ばか正直を働いてしまった。
確かに、だいたい結果オーライなんだ。
むしろ、普通で普通の結果が出るより、「ええ?そうする!?」と一旦「!!」されて結果普通より良い点数ということらしい。
でも、わたし、普通でいいの。
わたしの「天然、ばか正直」で人を「!!」ってさせるより、何にも思われず平均点が取れてればいいの。
「なんで、りん子のしてることのほうが、正解だよ。」
そういわれても、ヒヤヒヤしちゃうのいやなんだ。
「正解不正解じゃないんです。普通でいたいんです。」
「そう?でも、俺はそういうりん子が好きだ。」
ああ、そうか、わたし、ずっとこれで「違和感」感じてたんだね。
子供のころから感じていた違和感は「ばか正直」というところから来ていたのね。
そう思ったら、しゃくり上げるほどの涙が出て来た。
ずっとずっと、わかってるのに上手くいかないとか、何かが違っててヒヤヒヤしてた。
それは、わたしが「もののわかった、ばか」で「ばか正直」だから。
ただ思慮が浅くて、賢くないだけといってしまえばそれまでなんだけど(笑)、なんだかずっとヒヤヒヤしてた。
でも、その漠然とした違和感を言葉にすることで、輪郭付けることができてきた。
言語化して形が見えてくると、改善はしなくても安心はする。
那智さんは、一緒になって言語化してくれて、そこが「りん子のいいところ」と言ってくれる。
わたしはとても幸せだ。
時々若い頃を懐かしむ言葉を耳にするけど、わたしは絶対いまがいい。
年を重ねることで、自分のことがよくわかってくるからだ。
自分のことがわかると、漠然とした不安がなくなってくる。
そして、「りん子は、こうだよねぇ」って一緒に眺めてくれる那智さんがいるから。
その那智さんは、このわたしがいいと言ってくれるから。
20年前、アイスクリームをダブルにしなくて「悪い」と言われて悲しかったりん子に教えてあげたい。
それは、あなたが「ばか正直」だから、そして、それがいいと言ってくれる人が現れるから、心配しないでって。
あなたの「わかってるけど、どうしていいかわからない」も「ばか正直」も「魅力」と思える日が来るから。
いろんな思いをした、でも、しゃくり上げるほど泣いて、安心できるいまが断然、いい。
那智さんは、「そのりん子のいいところを残しつつ、10のうちの1、2の『まずいこと』がなくせるようにさせたいけど、そうするといいところも変わっちゃうのかな〜。」なんていう。
そうなれたら生きやすいとは思うけど、でも、ばか正直で打率10割は、難しいと思うのです。
だから、これでよしとしてくださいな。
追記:那智さんがいてくれて幸せ、もちろんそうなんだけど、わたしにキャッチコピーをつけてくれたり分析してくれたり、その他わたしには大切な関係がいくつかある。その方たちとの関係があるから、いまのわたしがある、とも思ってます。
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