思いつかれました
非日常的な日常
「思いつく女」のその後。
続きものじゃないけど8/4の「思いつく女」を読んでいただくと、面白さが増すと思います。
思いつかれてしまったのだ。
う〜ん、今回は違うか!?
那智さんがもよおしたってだけ?
とにかくいろんなことが終わって、コーヒー飲んで普通にお話ししてる時に、いきなり「りん子、うんこ出るけど、いる?」
ええ!?いまからですか!!
もう服着てますよ、脱ぐんですか!!
突然のことに驚くけど、那智さんだって、そんなしょっちゅう排泄するわけないから、これはある意味千載一遇のチャンス!?(笑)
那智さんがくれるものは何でも嬉しいと思う私は、この機会は逃したくないと思う。
そりゃあ、もちろん「はい。」ですよ。
でも、いままで普通にお茶してて、「はい、うんこ。」っていうギャップに戸惑い、自分の心をどう持っていけばいいのか、なんだか口を「パクパク」して慌ててる。
「はい。」
と返事をして、「じゃあ、脱いで」と言われて、はじめて現実に戻った感じだった。
注:ここから具体的な排泄物の話題です。しかもそのあとノロケます。お気を付けくださいね。
バスルームに横になる。
かなり「素」の状態からの「うんこ」だから、いつもより冷静な私。
お風呂椅子を枕にするために自分に引き寄せたり、何も言われずに仰向けになったり、テキパキと動いてなんだか家事をこなしてるみたいだ。
寝転がるときに、いつも思う。
今日はお腹かな、お口かな。
ほんとにほんとに、正直に言えば、どちらかなって思う瞬間は、お腹がいいなって思ってるの。
もともと「スカトロ」にはまったく興味がなかった私がここまでするようになったのも不思議なんだけど、それでも望んでいるとはいえ、「食べる」は身体的にきつい。
むしゃむしゃと食べなくても、口にうんこを入れるってだけだって、楽なことじゃない。(当たり前?)
グチャグチャに汚されたいという淡い妄想を持っているから、体に塗られるほうが、受け入れやすいから、寝転がって待つあの瞬間は「お腹がいいな」って思うのだ。
じゃあ、なぜ、拒否しないのかっていうと、受け入れたい、もらえると幸せなどと思うことと同時に、なんでかしら、すごく興奮してしまうの。
だから、まともな判断ができる瞬間は「お腹がいい」って思うのだけど、那智さんが顔の上に跨がると口を開けて待ってしまう。
8割くらいの「まともな私」は「お腹のほうが楽だし、汚してもらえるのに」って思い続けてるんだけど、残りがもう興奮して口を開けちゃうんだ。
そして、そのうちまともな私は静かになってしまう。
でも、この時はちょっと違ってた。
那智さんが顔の上に跨がる様子を下から見上げて、「ああ、お口なんだ」とまともな私が思う。
「お腹の方が楽なのに!!」
さっきまでとっても「素」だったし、那智さんのうんこは久しぶりだったから、「まともな私」がずっと起きていて、興奮して変態になれないのだ。
それでも、習慣のように口を開ける。
頭の位置、口を開けるタイミング、舌で喉を守る準備。
いつもより早く排泄されてしまって、それらの作業がうまくできなかった。
わわわ、やばい、もう出て来た!!
急いで口を開けて、受け止める。
場所が悪くて、口に入っていかない。
動いて、良い位置に。
今度は舌の準備ができなかった。
次から次へ、排泄されるうんこがメリメリと私の口をこじ開けて、喉に侵入する。
硬いのだったから、なおさら、押し込んでくる。
「お腹のほうが楽なのに!!」
ずっと、騒いでる。
苦しくて苦しくて、騒ぎはどんどん大きくなっていく。
早く変態のりん子出てきて、そしたら、この苦しさも興奮になるでしょ!?
口を開けたまま「おえっ」てなった。
パニック。
「おえっ」てなりたくないの。
那智さんを拒否してるみたいで、嫌なの。
ほんとは美味しそうにむしゃむしゃ食べたいの。
それができないから、せめて手で受け止めたときは、舌ですくって飲み込むの。
それは幸せなこと、喜び。
おえってなることが嫌で、それでもまだ口の中に押し込んでくるものは止まらず、まともな私が心の中で右往左往。
全然興奮しないよ。
那智さんがどいた。
やっと終わった。
半身を起こしたら、口にある大きな塊がゴロリと出てきた。
少しホッとする。
那智さんがおまんこを触る。
確認してるみたい。
濡れるか濡れないか、それが那智さんの判断基準のひとつのようだ。
ああ、濡れてる。
これでも濡れるんだ。
触ってもらって、気持ちいい。
口の中にまだ一塊残ってる。
喉の奥に収まってたそれが、荒い息と共に揺れる。
不意にさらに奥に入ってきて、反射で「おえっ」と吐き出してしまった。
それを合図に短い愛撫は終わった。
あとは、淡々と片付ける那智さんをぼんやりしながら見てる。
どんどん悲しくなってしまう。
「おえってなっちゃって、ごめんなさい。」
「仕方ないよ。」
こういうときの那智さんは、甘くない。
「そんなことないよ〜、よしよし。」なんてしてくれない。
だって、いつかは美味しそうに食べさせたいのだもの。
喉に詰まってしまったとはいえ、「おえっ」てなるのは本意ではないだろう。
だから「そんなことないよ〜」なんて言ってくれない。
だからといって、できない私を責めるなんてこともしない。
ちょっと残念そうなだけ(そう見えただけかな)。
「食べられる人はいるのに…。」
「慣れだろ、きっと。」
淡々と片付け、淡々とタバコを吸う那智さんを見ていたら、悲しさが増してきてしまった。
どうして、食べられないの!!
そんな私の体が恨めしい。
体が無理でも、飛んでっちゃって食べられてしまう心じゃないのが悔しい。
どうして、飛んでっちゃうような心に脳みそに作ってくれないの!!
悲しさの原因に那智さんまで巻き込んでしまいそうだ。
なぐさめて、那智さん。
したのにできなくて、悲しいんだから。
那智さんのうんこを美味しそうに食べたいのに、食べられないんだから。
那智さんを拒否してしまったみたいで悲しいんだから。
「仕方ない」だけじゃなくて、もっと何か言って!!
涙が「わあっ」と溢れてしまう。
「おえって、なりたくないのに!食べられてる人がいるのに!!なんで私はできないの。悲しいの、那智さん。」
わーんと泣いて、訴えて、那智さんここで根負け(笑)
「わーかったよー。そこまで悲しいならしょうがねーなー。はい、いい子いい子」
抱きしめて頭撫で撫で。
多分、那智さんの中では、食べるも食べないも、吐き出すも大丈夫も、このときは大差なかったのだろう。
出そうだから、いる?ってだけ。
「思いつく女」でも書いたけど「美味しそうなケーキ買ってきたけど、いる?」くらいな感覚だったんじゃないかしら。
だから、「好きな味じゃなくて食べられない〜!!」って言ってても「ふ〜ん、仕方ないね」くらいの感覚だった。
こういうときはことさら「淡々」とする人。
大げさに慰めると、それはりん子にとって「大した事」になってしまうと心配してるんだと思う。
その「淡々」とした態度に救われることもあるけど、慰めてほしいときもある。
だって、口でうんこを受け止めるってことが、そもそも「大したこと」だもの(笑)
那智さんにとって、私を叩くことも撫でることもキスをすることも、どれも同じ愛情表現なのだろう。
だから、スイッチとか入れずに自然に「SM的」なことができると、それは那智さんにとって喜ばしいことなのだそうだ。
でもね、帰りがけに「うんこ」はね、ちょっと厳しかったです。
ほしいと思うものなのに、いざ受け取ると自分の思ったように受け取れない。
それは、やっぱり寂しい。
それでも、濡れてたわたしって…。
濡れるまでは、なんとか来ました。
どうか、飛べちゃうように、私の脳みそ作り替えてしまってください、那智さん。
「思いつく女」のその後。
続きものじゃないけど8/4の「思いつく女」を読んでいただくと、面白さが増すと思います。
思いつかれてしまったのだ。
う〜ん、今回は違うか!?
那智さんがもよおしたってだけ?
とにかくいろんなことが終わって、コーヒー飲んで普通にお話ししてる時に、いきなり「りん子、うんこ出るけど、いる?」
ええ!?いまからですか!!
もう服着てますよ、脱ぐんですか!!
突然のことに驚くけど、那智さんだって、そんなしょっちゅう排泄するわけないから、これはある意味千載一遇のチャンス!?(笑)
那智さんがくれるものは何でも嬉しいと思う私は、この機会は逃したくないと思う。
そりゃあ、もちろん「はい。」ですよ。
でも、いままで普通にお茶してて、「はい、うんこ。」っていうギャップに戸惑い、自分の心をどう持っていけばいいのか、なんだか口を「パクパク」して慌ててる。
「はい。」
と返事をして、「じゃあ、脱いで」と言われて、はじめて現実に戻った感じだった。
注:ここから具体的な排泄物の話題です。しかもそのあとノロケます。お気を付けくださいね。
バスルームに横になる。
かなり「素」の状態からの「うんこ」だから、いつもより冷静な私。
お風呂椅子を枕にするために自分に引き寄せたり、何も言われずに仰向けになったり、テキパキと動いてなんだか家事をこなしてるみたいだ。
寝転がるときに、いつも思う。
今日はお腹かな、お口かな。
ほんとにほんとに、正直に言えば、どちらかなって思う瞬間は、お腹がいいなって思ってるの。
もともと「スカトロ」にはまったく興味がなかった私がここまでするようになったのも不思議なんだけど、それでも望んでいるとはいえ、「食べる」は身体的にきつい。
むしゃむしゃと食べなくても、口にうんこを入れるってだけだって、楽なことじゃない。(当たり前?)
グチャグチャに汚されたいという淡い妄想を持っているから、体に塗られるほうが、受け入れやすいから、寝転がって待つあの瞬間は「お腹がいいな」って思うのだ。
じゃあ、なぜ、拒否しないのかっていうと、受け入れたい、もらえると幸せなどと思うことと同時に、なんでかしら、すごく興奮してしまうの。
だから、まともな判断ができる瞬間は「お腹がいい」って思うのだけど、那智さんが顔の上に跨がると口を開けて待ってしまう。
8割くらいの「まともな私」は「お腹のほうが楽だし、汚してもらえるのに」って思い続けてるんだけど、残りがもう興奮して口を開けちゃうんだ。
そして、そのうちまともな私は静かになってしまう。
でも、この時はちょっと違ってた。
那智さんが顔の上に跨がる様子を下から見上げて、「ああ、お口なんだ」とまともな私が思う。
「お腹の方が楽なのに!!」
さっきまでとっても「素」だったし、那智さんのうんこは久しぶりだったから、「まともな私」がずっと起きていて、興奮して変態になれないのだ。
それでも、習慣のように口を開ける。
頭の位置、口を開けるタイミング、舌で喉を守る準備。
いつもより早く排泄されてしまって、それらの作業がうまくできなかった。
わわわ、やばい、もう出て来た!!
急いで口を開けて、受け止める。
場所が悪くて、口に入っていかない。
動いて、良い位置に。
今度は舌の準備ができなかった。
次から次へ、排泄されるうんこがメリメリと私の口をこじ開けて、喉に侵入する。
硬いのだったから、なおさら、押し込んでくる。
「お腹のほうが楽なのに!!」
ずっと、騒いでる。
苦しくて苦しくて、騒ぎはどんどん大きくなっていく。
早く変態のりん子出てきて、そしたら、この苦しさも興奮になるでしょ!?
口を開けたまま「おえっ」てなった。
パニック。
「おえっ」てなりたくないの。
那智さんを拒否してるみたいで、嫌なの。
ほんとは美味しそうにむしゃむしゃ食べたいの。
それができないから、せめて手で受け止めたときは、舌ですくって飲み込むの。
それは幸せなこと、喜び。
おえってなることが嫌で、それでもまだ口の中に押し込んでくるものは止まらず、まともな私が心の中で右往左往。
全然興奮しないよ。
那智さんがどいた。
やっと終わった。
半身を起こしたら、口にある大きな塊がゴロリと出てきた。
少しホッとする。
那智さんがおまんこを触る。
確認してるみたい。
濡れるか濡れないか、それが那智さんの判断基準のひとつのようだ。
ああ、濡れてる。
これでも濡れるんだ。
触ってもらって、気持ちいい。
口の中にまだ一塊残ってる。
喉の奥に収まってたそれが、荒い息と共に揺れる。
不意にさらに奥に入ってきて、反射で「おえっ」と吐き出してしまった。
それを合図に短い愛撫は終わった。
あとは、淡々と片付ける那智さんをぼんやりしながら見てる。
どんどん悲しくなってしまう。
「おえってなっちゃって、ごめんなさい。」
「仕方ないよ。」
こういうときの那智さんは、甘くない。
「そんなことないよ〜、よしよし。」なんてしてくれない。
だって、いつかは美味しそうに食べさせたいのだもの。
喉に詰まってしまったとはいえ、「おえっ」てなるのは本意ではないだろう。
だから「そんなことないよ〜」なんて言ってくれない。
だからといって、できない私を責めるなんてこともしない。
ちょっと残念そうなだけ(そう見えただけかな)。
「食べられる人はいるのに…。」
「慣れだろ、きっと。」
淡々と片付け、淡々とタバコを吸う那智さんを見ていたら、悲しさが増してきてしまった。
どうして、食べられないの!!
そんな私の体が恨めしい。
体が無理でも、飛んでっちゃって食べられてしまう心じゃないのが悔しい。
どうして、飛んでっちゃうような心に脳みそに作ってくれないの!!
悲しさの原因に那智さんまで巻き込んでしまいそうだ。
なぐさめて、那智さん。
したのにできなくて、悲しいんだから。
那智さんのうんこを美味しそうに食べたいのに、食べられないんだから。
那智さんを拒否してしまったみたいで悲しいんだから。
「仕方ない」だけじゃなくて、もっと何か言って!!
涙が「わあっ」と溢れてしまう。
「おえって、なりたくないのに!食べられてる人がいるのに!!なんで私はできないの。悲しいの、那智さん。」
わーんと泣いて、訴えて、那智さんここで根負け(笑)
「わーかったよー。そこまで悲しいならしょうがねーなー。はい、いい子いい子」
抱きしめて頭撫で撫で。
多分、那智さんの中では、食べるも食べないも、吐き出すも大丈夫も、このときは大差なかったのだろう。
出そうだから、いる?ってだけ。
「思いつく女」でも書いたけど「美味しそうなケーキ買ってきたけど、いる?」くらいな感覚だったんじゃないかしら。
だから、「好きな味じゃなくて食べられない〜!!」って言ってても「ふ〜ん、仕方ないね」くらいの感覚だった。
こういうときはことさら「淡々」とする人。
大げさに慰めると、それはりん子にとって「大した事」になってしまうと心配してるんだと思う。
その「淡々」とした態度に救われることもあるけど、慰めてほしいときもある。
だって、口でうんこを受け止めるってことが、そもそも「大したこと」だもの(笑)
那智さんにとって、私を叩くことも撫でることもキスをすることも、どれも同じ愛情表現なのだろう。
だから、スイッチとか入れずに自然に「SM的」なことができると、それは那智さんにとって喜ばしいことなのだそうだ。
でもね、帰りがけに「うんこ」はね、ちょっと厳しかったです。
ほしいと思うものなのに、いざ受け取ると自分の思ったように受け取れない。
それは、やっぱり寂しい。
それでも、濡れてたわたしって…。
濡れるまでは、なんとか来ました。
どうか、飛べちゃうように、私の脳みそ作り替えてしまってください、那智さん。
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