本当に恥ずかしいのは?
独り言
四つん這いになってお尻を高く突き上げさせられて、「こんなに濡れていやらしね」なんてじっくりと観察される。
いやらしい下着姿で鏡の前に連れて行かれて「恥ずかしい姿だね」と、言葉でいじめられる。
羞恥心を刺激するような「羞恥プレイ」?
確かに、恥ずかしい。
でも、何度となく恥ずかしい思いをさせられてきた私は思う、「本当に恥ずかしいことは、それとは違う!!」と。
(私の拙い経験からなので、的外れはお許しください)
想像の設定は、大好きなS男性とMのあなたとさせていただきます。
「エッチなことで恥ずかしさを煽る」
これは上に書いているようなこと。
四つん這いになって恥ずかしいところ眺められたりね。
そして、それより恥ずかしいことに、「不細工、醜い、汚い」的なことがあります。
鼻フックとか、浣腸して排泄とか、ね。
これらもかなり恥ずかしい。
でも、これで終わりじゃないのです。
私が思う、一番恥ずかしいこと、それは「性的でもSM的でもない感じで変なこと」。
鼻フックや浣腸には、まだSM色があって、どこか淫靡な悦びもある?
例えば「手を引かれてスニーカーにパンツ丸出しでダッシュ」などのように、始まりは露出だったけど、気が付けば「大とほほ」な状態。(「非日常的な日常」の「みっともない私」で経験)
その身も蓋もない様子の恥ずかしさは、SM的な恥ずかしさを凌駕すると思います。
そして、それらをヴァージョンアップさせるアイテムもあります。
それは「受動」か「能動」かということです。
この場合「能動」がヴァージョンアップ。
まず「エッチなことで煽る」、四つん這いを眺められるような恥ずかしさに能動を加えると…例えば「オナニーしているところを見られる」というようになります。
どうですか?恥ずかしさ増しませんか?
次、「不細工、醜い、汚い」これらに「能動」テイストを加えると、「ちょっと夢中になってフェラチオをしていて、それを写真に撮られて、あとで一緒に見た ら、目は半開きでお腹に押し付けていた鼻が豚みたいになってしまっているのを発見してしまった」、こんな感じになります。
自分で招いた分恥ずかしさも、ひとしお?
単純に、浣腸させられて排泄よりも、普通にしたくて排泄するところを見られるほうが恥ずかしいという感じと言ったらわかりやすいかな。
そして、最後。
「性的でもSM的でもなく変なこと」を自らが動いて行うこと、この大トホホな恥ずかしさ。
簡単なところから、「鼻くそが小鼻の淵についているのを指摘される」
能動というには無理があるかもしれないけど、自ら招き、しかも気付かずにすましていての指摘、恥ずかしい…。
それとかね、すね毛を処理していてガニ股気味になってるところを見られるとかね、これなら受動でいやらしい「おまんこの毛を剃ってもらう」なんてほうが、よっぽど官能だわ。(「独り言」の「羞恥責め」で経験済み)
これのりん子史上最強が、「セクシーダンスを踊りながら服を脱ぐ」だ。
想像してみてください、例えご主人様の命令とはいえ、あなたがセクシーダンスを踊りながら洋服を脱いでいかなければならない、この恥ずかしさ。
それをするくらいなら「はい、浣腸してください。」「どうぞ、オナニー見てください。」だ。(と言い切ると後が恐いので、那智さんこれは比喩です。)
一見「セクシー」という言葉に、性的なものを感じるかもしれないが、プロのダンサーじゃあるまいし素人の私が「セクシー」に踊るなんて不可能。
故に、もうそれは「エッチなことで恥ずかしい」ではなくて「変なことで大トホホ」なのだ。
それを、自分で動いて披露するのよ。
(命令だったとしても、こんなことを受け入れて実行するという時点で「能動」と言わせていただきましょう。)
かなり私的なポイントなので、一般的な感覚と合っているかはわかりませんが、これこそ私の思う一番恥ずかしいことなのです。
要するに、どこかに責任転嫁したいのですね。
「SMなんだから」とか「命令なんだから」とかね。
それができない、「変なこと」や「自分でする」ことが恥ずかしい。
とにかく、「エッチで恥ずかしい」のは可愛らしい恥ずかしさに、憧れます。
で、その「セクシーダンス」の顛末も書かせてくださいませ。
付き合ってまだ数ヶ月のころ、「ストリッパーのようにセクシーダンスを踊りながら服を脱ぐ」と、この次会ったときの指示があった。
ええっ、絶対無理。
でも、まだ付き合いも浅いころ、私は那智さんの要求になんとかして答えたいと必死だった。
無理、でも、きっとなんにもしないで、はなから無理は納得してくれない(これはいまでもそう)、僅かな記憶を頼りに映画「ナインハーフ」を借りた。
確か、主人公の女性が踊りながら脱いでいるのが記憶にあったからだ。
自分でダンスを考えるなんて、自分のノリで体を動かしながら脱ぐなんて、絶対無理。
だけど、もしお手本があって、それをそのままなぞればいいということであれば、できるかもしれない。
かつてお立ち台ギャルで、エアロビも嗜んだ私ならお手本さえあれば、できるかもしれない。
そう思って、テープを早回しして、そのシーンを見た。
…、数十秒後、私は打ちひしがれて、頭を垂れる。
短い、そして、あんな成りきりダンスは、無理。
想像しただけで、恥ずかしさのあまり悶え苦しんでしまう。
そのシーンを一回見ただけで、まるでそれが災いの元と言わんばかりに、そそくさとレンタル屋に返しにいった。
どうにかして、これを回避する方法を考える。
「セクシーダンスは、セクシーに踊らないとセクシーダンスにならないですよね。恥ずかしがっていてはセクシーにはなれません。ということは、セクシーに踊るためには、那智さんのお好きな『羞恥心』を捨てないといけないのです。私は羞恥心を捨てたくないので、できません。」
これで、回避することができたの。
しかし、いま再び、私にそのピンチが訪れています。
次は「パラパラ」…、どうしよう。
ただいま、回避法思案中。
四つん這いになってお尻を高く突き上げさせられて、「こんなに濡れていやらしね」なんてじっくりと観察される。
いやらしい下着姿で鏡の前に連れて行かれて「恥ずかしい姿だね」と、言葉でいじめられる。
羞恥心を刺激するような「羞恥プレイ」?
確かに、恥ずかしい。
でも、何度となく恥ずかしい思いをさせられてきた私は思う、「本当に恥ずかしいことは、それとは違う!!」と。
(私の拙い経験からなので、的外れはお許しください)
想像の設定は、大好きなS男性とMのあなたとさせていただきます。
「エッチなことで恥ずかしさを煽る」
これは上に書いているようなこと。
四つん這いになって恥ずかしいところ眺められたりね。
そして、それより恥ずかしいことに、「不細工、醜い、汚い」的なことがあります。
鼻フックとか、浣腸して排泄とか、ね。
これらもかなり恥ずかしい。
でも、これで終わりじゃないのです。
私が思う、一番恥ずかしいこと、それは「性的でもSM的でもない感じで変なこと」。
鼻フックや浣腸には、まだSM色があって、どこか淫靡な悦びもある?
例えば「手を引かれてスニーカーにパンツ丸出しでダッシュ」などのように、始まりは露出だったけど、気が付けば「大とほほ」な状態。(「非日常的な日常」の「みっともない私」で経験)
その身も蓋もない様子の恥ずかしさは、SM的な恥ずかしさを凌駕すると思います。
そして、それらをヴァージョンアップさせるアイテムもあります。
それは「受動」か「能動」かということです。
この場合「能動」がヴァージョンアップ。
まず「エッチなことで煽る」、四つん這いを眺められるような恥ずかしさに能動を加えると…例えば「オナニーしているところを見られる」というようになります。
どうですか?恥ずかしさ増しませんか?
次、「不細工、醜い、汚い」これらに「能動」テイストを加えると、「ちょっと夢中になってフェラチオをしていて、それを写真に撮られて、あとで一緒に見た ら、目は半開きでお腹に押し付けていた鼻が豚みたいになってしまっているのを発見してしまった」、こんな感じになります。
自分で招いた分恥ずかしさも、ひとしお?
単純に、浣腸させられて排泄よりも、普通にしたくて排泄するところを見られるほうが恥ずかしいという感じと言ったらわかりやすいかな。
そして、最後。
「性的でもSM的でもなく変なこと」を自らが動いて行うこと、この大トホホな恥ずかしさ。
簡単なところから、「鼻くそが小鼻の淵についているのを指摘される」
能動というには無理があるかもしれないけど、自ら招き、しかも気付かずにすましていての指摘、恥ずかしい…。
それとかね、すね毛を処理していてガニ股気味になってるところを見られるとかね、これなら受動でいやらしい「おまんこの毛を剃ってもらう」なんてほうが、よっぽど官能だわ。(「独り言」の「羞恥責め」で経験済み)
これのりん子史上最強が、「セクシーダンスを踊りながら服を脱ぐ」だ。
想像してみてください、例えご主人様の命令とはいえ、あなたがセクシーダンスを踊りながら洋服を脱いでいかなければならない、この恥ずかしさ。
それをするくらいなら「はい、浣腸してください。」「どうぞ、オナニー見てください。」だ。(と言い切ると後が恐いので、那智さんこれは比喩です。)
一見「セクシー」という言葉に、性的なものを感じるかもしれないが、プロのダンサーじゃあるまいし素人の私が「セクシー」に踊るなんて不可能。
故に、もうそれは「エッチなことで恥ずかしい」ではなくて「変なことで大トホホ」なのだ。
それを、自分で動いて披露するのよ。
(命令だったとしても、こんなことを受け入れて実行するという時点で「能動」と言わせていただきましょう。)
かなり私的なポイントなので、一般的な感覚と合っているかはわかりませんが、これこそ私の思う一番恥ずかしいことなのです。
要するに、どこかに責任転嫁したいのですね。
「SMなんだから」とか「命令なんだから」とかね。
それができない、「変なこと」や「自分でする」ことが恥ずかしい。
とにかく、「エッチで恥ずかしい」のは可愛らしい恥ずかしさに、憧れます。
で、その「セクシーダンス」の顛末も書かせてくださいませ。
付き合ってまだ数ヶ月のころ、「ストリッパーのようにセクシーダンスを踊りながら服を脱ぐ」と、この次会ったときの指示があった。
ええっ、絶対無理。
でも、まだ付き合いも浅いころ、私は那智さんの要求になんとかして答えたいと必死だった。
無理、でも、きっとなんにもしないで、はなから無理は納得してくれない(これはいまでもそう)、僅かな記憶を頼りに映画「ナインハーフ」を借りた。
確か、主人公の女性が踊りながら脱いでいるのが記憶にあったからだ。
自分でダンスを考えるなんて、自分のノリで体を動かしながら脱ぐなんて、絶対無理。
だけど、もしお手本があって、それをそのままなぞればいいということであれば、できるかもしれない。
かつてお立ち台ギャルで、エアロビも嗜んだ私ならお手本さえあれば、できるかもしれない。
そう思って、テープを早回しして、そのシーンを見た。
…、数十秒後、私は打ちひしがれて、頭を垂れる。
短い、そして、あんな成りきりダンスは、無理。
想像しただけで、恥ずかしさのあまり悶え苦しんでしまう。
そのシーンを一回見ただけで、まるでそれが災いの元と言わんばかりに、そそくさとレンタル屋に返しにいった。
どうにかして、これを回避する方法を考える。
「セクシーダンスは、セクシーに踊らないとセクシーダンスにならないですよね。恥ずかしがっていてはセクシーにはなれません。ということは、セクシーに踊るためには、那智さんのお好きな『羞恥心』を捨てないといけないのです。私は羞恥心を捨てたくないので、できません。」
これで、回避することができたの。
しかし、いま再び、私にそのピンチが訪れています。
次は「パラパラ」…、どうしよう。
ただいま、回避法思案中。
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