わんこと「汚されたい」4
非日常的な日常
無言で髪を掴んまま歩き出す。
那智さんより背の高い私は当然のように、体を折り曲げながら歩く。
ジタバタとして歩きにくい、そんなことおかまいなしで引っ張られることが嬉しい。
バスルームに連れて行かれて、バスタブの前で「ぐい」っと力を入れて屈ませられる。
そうか、顔を入れられるんだと、その時に思った。
Mを自覚して旅をしていたころ、公衆の面前で頭から水をかけられるという夢を見て感じていた私。
10代の頃、雨に濡れるのが好きで、台風のときにわざと傘を閉じて雨風に晒されながら歩いた。
わざと下着を着けておもらしをしたこともある(わあ、恥ずかしいぞ)
水に濡れるというのは、私の何かを刺激する。
それは水に濡れた姿か、それともなす術なしの状態か、両方かもしれない。
いろんな場面で共通しているのは「ぐちゃぐちゃ」になりたいと思うことだ。
そして、それは心も姿も両方、そうしてほしいと思ってる。
「水(もしくは濡れる)」は、私のMとしての性癖の重要なファクターのひとつのはず。
顔を水に突っ込まれるというのは、憧れのひとつだった。
顔や髪が濡れて、息が苦しくむせて咳き込む。
姿も心もぐちゃぐちゃだ。
それが、実際自分の身に起こると思った瞬間、「憧れ」の光は瞬く間に恐怖に変わってしまった。
沈黙のまま顔を水に突っ込まれる。
その瞬間から、もう苦しい。
きっと息はまだ平気なんだけど、恐怖に身構えてしまった体がすぐに音を上げてしまう。
苦しい、違う、恐い。
バスタブをバンバン叩いて暴れる。
髪を引き一度顔を上げる。
はあはあと呼吸して、すぐまた水。
今度はさっきより空気は吸えたはずだから、少し我慢できるだろうと恐怖を払拭するように言い聞かせる。
洋服が濡れないようにしてくれたのか、時間の関係か、バスタブに半分くらいしか入っていない水に顔を押し込むから、頭を下にした状態になる。
そうすると余計に鼻に水が入ってきそうになって、やっぱり恐い。
大げさだけど、「死」を予感してしまった。
那智さんに首を絞められたこともある。
だけど、そのときは感じなかった「死」に対する恐怖を感じてしまったのだ。
首を絞めることで苦しくなるような、じわじわと歩み寄る「死」の予感ではなくて、鼻や気管に水が入ってむせかえる、瞬時に「死」が訪れるような恐さ。
ほんと大げさで弱虫。
だから、息を吸っても全然だめ。
恐い=苦しいになってしまって、だめ。
もう冷静な判断ができない。
苦しい、苦しい、苦しい。
恐い、恐い、恐い。
顔を上げられると、心の底から安堵する。
また入れられる。
何回か繰り返す。
多分呼吸自体はまだ耐えられるはずなんだけど、もう水に突っ込まれた途端に、恐怖で苦しくなる。
少し鼻に水が入ってきたのを感じた。
だめ、このままじゃ、むせる、死んじゃう。
那智さん、恐い、恐いよ!!!!
バスタブを叩き、足をばたつかせ暴れる。
もう無我夢中、なり振り構わず暴れてバスタブを叩いていた腕が水に入ってしまった。
着ていた上着の袖を濡らした。
那智さんが、私を引き上げた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。恐いの、どうしても恐いの!!!!!」
バスルームの床にペタリと座り、垂れる水が洋服を濡らすことも構わず、泣く。
しょうがねーなーといった感じでバスタオルを投げてくれて、それに顔を押し当てて子供のように泣いた。
「なるべく濡れないようにしてやってたのに、自分で手を突っ込んじゃうんだもんな〜。」
濡れた上着をハンガーに掛けてエアコンのそばに下げてくれる。
「脱ぎな、風呂入ろ。」
そういってさっさと支度を始める。
私もワンピースを脱いであとに続く。
「死」を予感させるような追い詰められた状態で感じるであろう快感を、今日は感じることはできなかった。
死の予感のずーーーーーーっと手前でギブアップ。
憧れていたことなのに、那智さんのしてくれることは何でも幸せなんて言ってるくせに、ほんとへなちょこ。
水浸しでわんわん泣く、このずーーーーーーーーっと手前の甘い「ぐちゃぐちゃ」だけでも満足しちゃう、弱虫。
バスルームに入ったら「ちょうどいいや、おしっこ。」と那智さん。
足下にしゃがんだ。
「かけてあげるね。」
今日は飲むんじゃないのね。
濡れたついでにかけてくれるんだ。
体にかけてもらったことはあるけど、頭からははじめて。
嬉しい。
目を閉じておとなく待つ。
温かいおしっこがかかってきた。
それが顔に垂れてくる。
口に垂れたのを飲む。
嬉しい、那智さんのおしっこ。
頭に顔に体にかかってる。
それだけで感じる。
ああ、嬉しい、私をぐちゃぐちゃにして。
大好きな那智さんのおしっこをかけて喜ぶ私を愛でて。
那智さんのおしっこで、私を汚して。
でも、こんなに大好きな那智さんのおしっこが私を「汚す」ものに思えないよ。
愛されてるとしか思えないよ。
ただ愛されてる。
私汚れてないよ。
惨めな状態さえも、愛される姿。
あなたの手で、あなたにだけ私を惨めで幸せにすることができる。
一段落して、休憩しながらデジカメに収められてる画像を見る。
マ○○の床に四つん這いになってるもの。
尻尾を付けた後ろ姿。
ケチャップがべっとり塗られた顔。
確かに、それで満面の笑顔の私は、ちっとも「汚れて」ない。
那智さんのいう「子供のいたずら」っぽい微笑ましさも感じられる。
嬉しくて、冗談まじりにいう。
「那智さん、私のこと汚せないですね。だって、私幸せそうで汚くないもの。」
もっと調子に乗っていう(2人の間の戯れ言ですから、許してね)
「きれいだから、何しても汚くならないですものね。どうしましょ、ケチャップ塗られてもきれい。」
「じゃあ、うんこを顔に塗ったら?」
かなり呆れながら付き合ってくれる。
「うん、多分それでもきれい!!那智さん、どうにかして、私を汚して♪」
汚したり醜くしたりをしている人。
「させてる」人は、その汚くなったる姿を見て、どう思ってるんだろう。
本当に汚いと思ってるのかしら。
汚いけど、愛しい。
醜いけど、それがいい。
汚くなくて、美しい。
「されてる」人はどう思う?
醜いのは恥ずかしい(から感じる?)
汚れてる自分が好き。
この人に汚されるから、いい。
那智さんが愛情を持って私を汚す限り、私は汚れないと思ってしまう。
そして、私は、他の誰でもない那智さんに汚してほしいのだ。
この矛盾、どうやって解消しましょうか、那智さん。
わからないから、とりあえず言っとくわ。
「那智さん、私を汚して!!」
無言で髪を掴んまま歩き出す。
那智さんより背の高い私は当然のように、体を折り曲げながら歩く。
ジタバタとして歩きにくい、そんなことおかまいなしで引っ張られることが嬉しい。
バスルームに連れて行かれて、バスタブの前で「ぐい」っと力を入れて屈ませられる。
そうか、顔を入れられるんだと、その時に思った。
Mを自覚して旅をしていたころ、公衆の面前で頭から水をかけられるという夢を見て感じていた私。
10代の頃、雨に濡れるのが好きで、台風のときにわざと傘を閉じて雨風に晒されながら歩いた。
わざと下着を着けておもらしをしたこともある(わあ、恥ずかしいぞ)
水に濡れるというのは、私の何かを刺激する。
それは水に濡れた姿か、それともなす術なしの状態か、両方かもしれない。
いろんな場面で共通しているのは「ぐちゃぐちゃ」になりたいと思うことだ。
そして、それは心も姿も両方、そうしてほしいと思ってる。
「水(もしくは濡れる)」は、私のMとしての性癖の重要なファクターのひとつのはず。
顔を水に突っ込まれるというのは、憧れのひとつだった。
顔や髪が濡れて、息が苦しくむせて咳き込む。
姿も心もぐちゃぐちゃだ。
それが、実際自分の身に起こると思った瞬間、「憧れ」の光は瞬く間に恐怖に変わってしまった。
沈黙のまま顔を水に突っ込まれる。
その瞬間から、もう苦しい。
きっと息はまだ平気なんだけど、恐怖に身構えてしまった体がすぐに音を上げてしまう。
苦しい、違う、恐い。
バスタブをバンバン叩いて暴れる。
髪を引き一度顔を上げる。
はあはあと呼吸して、すぐまた水。
今度はさっきより空気は吸えたはずだから、少し我慢できるだろうと恐怖を払拭するように言い聞かせる。
洋服が濡れないようにしてくれたのか、時間の関係か、バスタブに半分くらいしか入っていない水に顔を押し込むから、頭を下にした状態になる。
そうすると余計に鼻に水が入ってきそうになって、やっぱり恐い。
大げさだけど、「死」を予感してしまった。
那智さんに首を絞められたこともある。
だけど、そのときは感じなかった「死」に対する恐怖を感じてしまったのだ。
首を絞めることで苦しくなるような、じわじわと歩み寄る「死」の予感ではなくて、鼻や気管に水が入ってむせかえる、瞬時に「死」が訪れるような恐さ。
ほんと大げさで弱虫。
だから、息を吸っても全然だめ。
恐い=苦しいになってしまって、だめ。
もう冷静な判断ができない。
苦しい、苦しい、苦しい。
恐い、恐い、恐い。
顔を上げられると、心の底から安堵する。
また入れられる。
何回か繰り返す。
多分呼吸自体はまだ耐えられるはずなんだけど、もう水に突っ込まれた途端に、恐怖で苦しくなる。
少し鼻に水が入ってきたのを感じた。
だめ、このままじゃ、むせる、死んじゃう。
那智さん、恐い、恐いよ!!!!
バスタブを叩き、足をばたつかせ暴れる。
もう無我夢中、なり振り構わず暴れてバスタブを叩いていた腕が水に入ってしまった。
着ていた上着の袖を濡らした。
那智さんが、私を引き上げた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。恐いの、どうしても恐いの!!!!!」
バスルームの床にペタリと座り、垂れる水が洋服を濡らすことも構わず、泣く。
しょうがねーなーといった感じでバスタオルを投げてくれて、それに顔を押し当てて子供のように泣いた。
「なるべく濡れないようにしてやってたのに、自分で手を突っ込んじゃうんだもんな〜。」
濡れた上着をハンガーに掛けてエアコンのそばに下げてくれる。
「脱ぎな、風呂入ろ。」
そういってさっさと支度を始める。
私もワンピースを脱いであとに続く。
「死」を予感させるような追い詰められた状態で感じるであろう快感を、今日は感じることはできなかった。
死の予感のずーーーーーーっと手前でギブアップ。
憧れていたことなのに、那智さんのしてくれることは何でも幸せなんて言ってるくせに、ほんとへなちょこ。
水浸しでわんわん泣く、このずーーーーーーーーっと手前の甘い「ぐちゃぐちゃ」だけでも満足しちゃう、弱虫。
バスルームに入ったら「ちょうどいいや、おしっこ。」と那智さん。
足下にしゃがんだ。
「かけてあげるね。」
今日は飲むんじゃないのね。
濡れたついでにかけてくれるんだ。
体にかけてもらったことはあるけど、頭からははじめて。
嬉しい。
目を閉じておとなく待つ。
温かいおしっこがかかってきた。
それが顔に垂れてくる。
口に垂れたのを飲む。
嬉しい、那智さんのおしっこ。
頭に顔に体にかかってる。
それだけで感じる。
ああ、嬉しい、私をぐちゃぐちゃにして。
大好きな那智さんのおしっこをかけて喜ぶ私を愛でて。
那智さんのおしっこで、私を汚して。
でも、こんなに大好きな那智さんのおしっこが私を「汚す」ものに思えないよ。
愛されてるとしか思えないよ。
ただ愛されてる。
私汚れてないよ。
惨めな状態さえも、愛される姿。
あなたの手で、あなたにだけ私を惨めで幸せにすることができる。
一段落して、休憩しながらデジカメに収められてる画像を見る。
マ○○の床に四つん這いになってるもの。
尻尾を付けた後ろ姿。
ケチャップがべっとり塗られた顔。
確かに、それで満面の笑顔の私は、ちっとも「汚れて」ない。
那智さんのいう「子供のいたずら」っぽい微笑ましさも感じられる。
嬉しくて、冗談まじりにいう。
「那智さん、私のこと汚せないですね。だって、私幸せそうで汚くないもの。」
もっと調子に乗っていう(2人の間の戯れ言ですから、許してね)
「きれいだから、何しても汚くならないですものね。どうしましょ、ケチャップ塗られてもきれい。」
「じゃあ、うんこを顔に塗ったら?」
かなり呆れながら付き合ってくれる。
「うん、多分それでもきれい!!那智さん、どうにかして、私を汚して♪」
汚したり醜くしたりをしている人。
「させてる」人は、その汚くなったる姿を見て、どう思ってるんだろう。
本当に汚いと思ってるのかしら。
汚いけど、愛しい。
醜いけど、それがいい。
汚くなくて、美しい。
「されてる」人はどう思う?
醜いのは恥ずかしい(から感じる?)
汚れてる自分が好き。
この人に汚されるから、いい。
那智さんが愛情を持って私を汚す限り、私は汚れないと思ってしまう。
そして、私は、他の誰でもない那智さんに汚してほしいのだ。
この矛盾、どうやって解消しましょうか、那智さん。
わからないから、とりあえず言っとくわ。
「那智さん、私を汚して!!」
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