妄想と現実の隔たり
独特な幸福感
幼い頃からエッチな想像をいっぱいしていて、SMというのを知ったのと、いろんな妄想をしはじめたのと、いったいどちらが先かもわからないくらいに時間が経って、その願望を持つことに戸惑い、それでも叶えたいと奔走して、やっと那智さんに出会って願いが叶って数年。
私は、何を求めて何が叶ったのだろう。
実はね、妄想って所詮は妄想で、それに近いものが叶ってもなんだかピンと来なかったりするの。
那智さんに「わんこ」にしてもらって、これが一番ピンと来た感じがしていて、じゃあ私の求めていたものって何かなと、その妄想と現実のギャップを思い出して遊んでみます。
えっと、でも、遊ぶって言っても、相変わらず自分切り売り状態で、なんでそこまで明かすのかと勇気がいるのだけど…ほんとなんで明かすんでしょうね。
SMというのを意識して、漠然と「支配されたい」「困らせてほしい」と思って、じゃあ具体的に何がしたいのだろうと考えた時想像したのは「縛られたい」と「見られたい」だった。(今日は見られたいの話ね)
その見られたいとは、誰に見られたいなのか。
最初はこんな感じ。
足を大きく広げて椅子に固定されて、その様子をご主人様に見られたい。
対象が「ご主人様」だった。
はじめてSMをした時に縛られて眺められたけど、あんまり嬉しくなかった。
いやらしい言葉を投げかけられても、なんだか嘘っぽくて夢中になれなかった。
S男性一人だけだと、夢中になれないものなのかなと思った。
その次は、他者の目になった。
こんな感じ。
下着を着けずに外を歩き、誰かに見られるかもしれない、そんな姿の自分に興奮する。
ある日、テレクラでお話しした人がこんな話をしてくれた。
「下着を着けずにコンビニまで行ってごらん。クリトリスに歯磨き粉を少し付けて。とても意識して興奮するよ。」
その人は、私に電話番号を伝えて、コンビニから戻ったらその感想を教えてと言ったけど、私はその電話番号を控える振りをして控えなかった。(失礼な女ですよね、その人、ごめんなさい)
でも、それはした。
後押しが必要だったの。
だけど、全然嬉しくなかった。
その人に聞いてもらうつもりはなかったけど、一人でヒヤヒヤすることには、私は興奮しなかった。
私は、スリルは求めていないんだなって思った。
そのあたりで、気付きはじめる。
絶対の存在の庇護のもと晒されることがいいのかもしれない。
こんな感じ。
奴隷品評会のようなものがあって(あったとして)、ご主人様は私をそれに出品する。
たくさんの人の前で、容姿や感度を披露して競り落とされる。
貸し出されるのだ。
または、こんな感じ。
SMショーに連れて行かれて、ご主人様の希望でそこに出演する。
たくさんの男性の前で、知らないSの人に縛られたり蝋燭を垂らされたりする。
同じ客席で見ているご主人様満足そうな表情をうつろに感じながら、たくさんの男性に興奮を与える。
那智さんと知り合って、ハプニングバーでたくさんの男性の前で縛られても(実は那智さんに縛ってもらったことない!!スタッフばかりだわ)、あとちょっと何かが足りない。
わんこで確信したのは、誇示。
ハプニングバーでは那智さんはあんまり「誇示」するという感じじゃない。(多分。私はそう感じない)
遊びのひとつくらいにしか思ってないのではないかしら。
遊びに私を提供するくらいな感じ。
ああいう場所で「誇示」的に振る舞うのは、恐らく那智さんの美意識では選ばないんじゃないかな。
実際に、あまり那智さん自身は手を下さないもの。
だから、私も何か足りないのかなと思う。
お外でわんこになることには、那智さんの誇示したいというモチベーションを私は感じ取れる。
従わせているという満足を感じ取れる。
それが、私の喜び、満足、快感に繋がるのだ。
私が漠然と望んでいた「見られたい」は、絶対の庇護のもと、誇示され、付き従う喜びだったのかしらと、改めて思うのです。
それが、わんこで満たされる。
だから、いまのところ裸になる必要はない。
性的だということから派生する危険を考えたら、「変」なだけでいいのかもしれない。
もしかしたら、性的な露出のほうが、理解されやすいかもしれない(そんなことないかな^^;)
性的でない「変」なことは、ただただ「変」なこと?
そして、「変」な私は、私の妄想のひとつでもあるのだ。
だから、わんこで満たされる。
ああ、私、わんこの話ばっかり(*^^*)
妄想はやっぱり妄想で、その妄想段階で細かくシミュレーションして、それをなぞるようにだけしても、それでは満足感は得られないみたい。
大事なことは、細かいディテールではなくて、基礎の土台のようなもの?
絶対の庇護のもと、誇示され、付き従う、異様な私、多分これですね。
私の場合、叶えたかったことはこれだったのかな〜と思う。
幼い頃から始まって、いつの間にか私に棲息していた「叶えたいこと」。
長い時間かかったけど、ようやく辿り着いたのかもしれない。
なんだか、長かったなとじみじみ思う。
これを書いた後に、那智さんにもちょっと聞いてみました。
わんこにする時に、裸にしたり、下着を見せたり、露出の王道(?)みたいにしたいと思わないのかって。
人前で連れてる女性を四つん這いにするのだから、それが洋服を着ていようがおっぱいを見せてようが、させている那智さん自身は大差ないそうです。
捕まる危険性を排除することがひとつ。
それと、性的なことじゃないほうが、あんまりないからなんですって。
もしパンツを見せてれば(那智さんが目撃したら)「おお、ラッキー」って思うけど、普通にお洋服を着ていると一瞬「何あれ?」ってなる。
その異端な感じがおもしろいのだそうです。
これを聞いて、私の思ってたことと似ているとわかって、全然安堵するような内容じゃないけど、ホッとしてしまった。
ベクトル似てて、よかった。
ベクトル似てると、その方向にどんどん伸びていきそうで、恐ろしいけどよかった。
幼い頃からエッチな想像をいっぱいしていて、SMというのを知ったのと、いろんな妄想をしはじめたのと、いったいどちらが先かもわからないくらいに時間が経って、その願望を持つことに戸惑い、それでも叶えたいと奔走して、やっと那智さんに出会って願いが叶って数年。
私は、何を求めて何が叶ったのだろう。
実はね、妄想って所詮は妄想で、それに近いものが叶ってもなんだかピンと来なかったりするの。
那智さんに「わんこ」にしてもらって、これが一番ピンと来た感じがしていて、じゃあ私の求めていたものって何かなと、その妄想と現実のギャップを思い出して遊んでみます。
えっと、でも、遊ぶって言っても、相変わらず自分切り売り状態で、なんでそこまで明かすのかと勇気がいるのだけど…ほんとなんで明かすんでしょうね。
SMというのを意識して、漠然と「支配されたい」「困らせてほしい」と思って、じゃあ具体的に何がしたいのだろうと考えた時想像したのは「縛られたい」と「見られたい」だった。(今日は見られたいの話ね)
その見られたいとは、誰に見られたいなのか。
最初はこんな感じ。
足を大きく広げて椅子に固定されて、その様子をご主人様に見られたい。
対象が「ご主人様」だった。
はじめてSMをした時に縛られて眺められたけど、あんまり嬉しくなかった。
いやらしい言葉を投げかけられても、なんだか嘘っぽくて夢中になれなかった。
S男性一人だけだと、夢中になれないものなのかなと思った。
その次は、他者の目になった。
こんな感じ。
下着を着けずに外を歩き、誰かに見られるかもしれない、そんな姿の自分に興奮する。
ある日、テレクラでお話しした人がこんな話をしてくれた。
「下着を着けずにコンビニまで行ってごらん。クリトリスに歯磨き粉を少し付けて。とても意識して興奮するよ。」
その人は、私に電話番号を伝えて、コンビニから戻ったらその感想を教えてと言ったけど、私はその電話番号を控える振りをして控えなかった。(失礼な女ですよね、その人、ごめんなさい)
でも、それはした。
後押しが必要だったの。
だけど、全然嬉しくなかった。
その人に聞いてもらうつもりはなかったけど、一人でヒヤヒヤすることには、私は興奮しなかった。
私は、スリルは求めていないんだなって思った。
そのあたりで、気付きはじめる。
絶対の存在の庇護のもと晒されることがいいのかもしれない。
こんな感じ。
奴隷品評会のようなものがあって(あったとして)、ご主人様は私をそれに出品する。
たくさんの人の前で、容姿や感度を披露して競り落とされる。
貸し出されるのだ。
または、こんな感じ。
SMショーに連れて行かれて、ご主人様の希望でそこに出演する。
たくさんの男性の前で、知らないSの人に縛られたり蝋燭を垂らされたりする。
同じ客席で見ているご主人様満足そうな表情をうつろに感じながら、たくさんの男性に興奮を与える。
那智さんと知り合って、ハプニングバーでたくさんの男性の前で縛られても(実は那智さんに縛ってもらったことない!!スタッフばかりだわ)、あとちょっと何かが足りない。
わんこで確信したのは、誇示。
ハプニングバーでは那智さんはあんまり「誇示」するという感じじゃない。(多分。私はそう感じない)
遊びのひとつくらいにしか思ってないのではないかしら。
遊びに私を提供するくらいな感じ。
ああいう場所で「誇示」的に振る舞うのは、恐らく那智さんの美意識では選ばないんじゃないかな。
実際に、あまり那智さん自身は手を下さないもの。
だから、私も何か足りないのかなと思う。
お外でわんこになることには、那智さんの誇示したいというモチベーションを私は感じ取れる。
従わせているという満足を感じ取れる。
それが、私の喜び、満足、快感に繋がるのだ。
私が漠然と望んでいた「見られたい」は、絶対の庇護のもと、誇示され、付き従う喜びだったのかしらと、改めて思うのです。
それが、わんこで満たされる。
だから、いまのところ裸になる必要はない。
性的だということから派生する危険を考えたら、「変」なだけでいいのかもしれない。
もしかしたら、性的な露出のほうが、理解されやすいかもしれない(そんなことないかな^^;)
性的でない「変」なことは、ただただ「変」なこと?
そして、「変」な私は、私の妄想のひとつでもあるのだ。
だから、わんこで満たされる。
ああ、私、わんこの話ばっかり(*^^*)
妄想はやっぱり妄想で、その妄想段階で細かくシミュレーションして、それをなぞるようにだけしても、それでは満足感は得られないみたい。
大事なことは、細かいディテールではなくて、基礎の土台のようなもの?
絶対の庇護のもと、誇示され、付き従う、異様な私、多分これですね。
私の場合、叶えたかったことはこれだったのかな〜と思う。
幼い頃から始まって、いつの間にか私に棲息していた「叶えたいこと」。
長い時間かかったけど、ようやく辿り着いたのかもしれない。
なんだか、長かったなとじみじみ思う。
これを書いた後に、那智さんにもちょっと聞いてみました。
わんこにする時に、裸にしたり、下着を見せたり、露出の王道(?)みたいにしたいと思わないのかって。
人前で連れてる女性を四つん這いにするのだから、それが洋服を着ていようがおっぱいを見せてようが、させている那智さん自身は大差ないそうです。
捕まる危険性を排除することがひとつ。
それと、性的なことじゃないほうが、あんまりないからなんですって。
もしパンツを見せてれば(那智さんが目撃したら)「おお、ラッキー」って思うけど、普通にお洋服を着ていると一瞬「何あれ?」ってなる。
その異端な感じがおもしろいのだそうです。
これを聞いて、私の思ってたことと似ているとわかって、全然安堵するような内容じゃないけど、ホッとしてしまった。
ベクトル似てて、よかった。
ベクトル似てると、その方向にどんどん伸びていきそうで、恐ろしいけどよかった。