醜い私
非日常的な日常
不意に倒されて、顔を踏まれた後は、もう何がどんな順番で行われたのか、それにどれくらいの時間がかかったのか、わからないまま過ぎていった。
それほどの時間はかかっていないはずだけど、覚えていることだけを書くので、順番などはちょっと作ってしまっているかもしれないです。
踏まれて歪んだ顔。
その足がまた口に突っ込まれる。
嬉しくて仰向けに寝転んだまま、足の指を口に含んで舐める。
お腹を見せて喜ぶ犬のようだ。
気恥ずかしい気持ちもあるけれど、那智さんの意思で倒され、踏まれ、足を突っ込まれることが嬉しくて嬉しくて、那智さんにぐちゃぐちゃにされている状態が幸せで気持ち良くって、もう必死に舐める。
また、足を口から抜かれてしまう。
寂しい、那智さん、お口に入れていてほしいのに。
足は、そのまま上にずれて、頬を歪ませる。
足の指を欲している自分が恥ずかしいそれでも欲しい、顔が歪んで恥ずかしい、どうしたいのかわからないけど、とにかくジタバタと体を動かしている。
足の指が頬から、鼻に動いた。
ああ、もっと醜くなる。
やめて那智さん、足を舐めさせてください。
右足は鼻を弄び、もう片方の足が私の胸を押しつぶす。
体をぐりぐりと踏まれる。
胸が潰されてしまって、痛い。
痛がっていると、鼻にあった足が軸足になるように、床に置かれる。
すかさずその足に顔をくっつけて、舐める。
貪るように、舐める。
左足が、胸お腹と踏みつけて、最後におまんこを踏む。
ぎゅーぎゅーと踏まれて、痛い。
仰向けに寝転んで、上半身だけひねって那智さんの足を必死に舐めて、下半身は踏まれるままになっている姿は、とてもとても恥ずかしい。
それを喜ぶ私が、恥ずかしい。
でも、もうどうしようもなく気持ちがいい。
踏まれているおまんこが気持ちいいのか、指を含んだ口が気持ちいいのか、わからない。
いま、那智さんがさっと身を引いて離れてしまったら、なりふり構わず這いつくばって足下に擦り寄ってしまいそうなほど、この快感から離れたくない。
いつの間にかデジカメを手にしている。
軸足もつま先だけ浮かせて、鼻に移動している。
鼻を潰され、おまんこを踏まれて、股を大開にしている私を上から撮っているんだ(うわ〜書きながら恥ずかしい)。
僅かに残る理性はそれを理解して、なんとか抵抗を試みるけれど、気持ちいい方が勝ってどうすることもできない。
そのうちに、もうどうでもよくなってしまって理性は諦めて手放してしまう。
この那智さんにされるがままの状態で、理性を手放す瞬間は、手から放れた風船が空に吸い込まれているような開放感と、それを元に戻すことが不可能という取り返しのつかない後悔を伴う恐ろしさ。
それは、他では得難い感情だ。
快感に浸りきってしまう私を楽しむこともあるけれど、那智さんは私の気持ちを上下させることが大好きな人だから、そこでおしまいにはしてくれない。
その手放したまま、ちょこちょこといじくって遊んでいてくれたら、どんなにか良いかと思う。
何枚か撮ったのだろう、私は足から解放されて起こされる。
惚けて座り込む私の顔に手が伸びてくる。
鼻だ。
快感に浸って気持ち良くなっている私は一瞬覚醒する。
那智さんの目の前で鼻を持ち上げられるのだ。
「醜くされたい」
私が望んだことだ。
それなのに、いざそうなるとわかったら、それはとてもとても辛いことなんだと気付かされたのだ。
いやだ、そんな顔那智さんに見せられない。
世界中で一番可愛いと思ってほしい人に、醜い顔を晒すのはとても辛い。
以前にも鼻を持ち上げられたことはあるけれど、今回は「私が望んだ」というおまけ付きだ。
ぎゅーっと鼻を上に上げる。
大きな皺が何本かできているだろう、上唇が持ち上がるほどだ。
「いやだ、那智さん、ごめんなさい、ごめんなさい。」
抵抗する。
顔を振り、抵抗するけれど、これは私が望んでいたことだ。
だから、嬉しいはずだ。
その証拠に抵抗して、訴えてはいるけれど、逃げないのだもの。
手放した後でぼんやりしているとはいえ、拘束されているわけでもない、それでもそこから動けないのは、やはり私はそれを喜んでいるのだろう。
それでも辛い。
私が望んでいたことはこんなにも辛いことだったの。
那智さんに見られたくない、でも、嬉しい見てほしい。
こんなことを望んでごめんなさい。
不細工な顔を那智さんに見せること、そんなことを自分が望んでいたこと、那智さんがどう思っているのかわからないこと、嬉しいこと、傷ついていること、何がなんだかわからない。
ただ、ごめんなさいと謝り続けている。
涙が溢れてきた。
なぜ泣いているのだろう。
謝りながら泣いている。
散々鼻を持ち上げられて、大泣きして、手は離れた。
「ごめんなさい、望んでいたのに辛かったの、那智さんに見せるの辛かったの。不細工になりたかったくせに嫌なの!!!こんなこと望んでしまってごめんなさい。」
安心して、もっと泣く。
私の心が上下したから、那智さんは満足だ。
醜いのが良いわけではない。
醜くできる唯一の存在であることが、満足。
そして、私の反応が「良い」ことが満足。
この「良い反応」っていうのが厄介で、感じればいいというものでもないらしい。
感じたり、苦しんだり、嫌がったり、悲しんだり、慌てたり(最終的には感じるもしくは幸せになるが前提で)、いろんな感情を表に出してそれが気に入れば「良い反応」。
同じことで同じような反応をしても、その時の気分で「大満足」や「まあまあ」になるから、学習できない。(まあ、学習してもそれを披露できる余裕がない場合が多いですけどね)
この「醜くする」は私の反応が良かったようで、那智さんの満足に繋がったようだ。
望んでいたことだ。
でも、実際されてみると、心の負担が大きかった。
これからも、気が向けば私を不細工にするだろう。
ああ、いやだ。
辛くていや。
望んでいたという、事実がいや。
そして、望んでしまっていることが、いや。
不意に倒されて、顔を踏まれた後は、もう何がどんな順番で行われたのか、それにどれくらいの時間がかかったのか、わからないまま過ぎていった。
それほどの時間はかかっていないはずだけど、覚えていることだけを書くので、順番などはちょっと作ってしまっているかもしれないです。
踏まれて歪んだ顔。
その足がまた口に突っ込まれる。
嬉しくて仰向けに寝転んだまま、足の指を口に含んで舐める。
お腹を見せて喜ぶ犬のようだ。
気恥ずかしい気持ちもあるけれど、那智さんの意思で倒され、踏まれ、足を突っ込まれることが嬉しくて嬉しくて、那智さんにぐちゃぐちゃにされている状態が幸せで気持ち良くって、もう必死に舐める。
また、足を口から抜かれてしまう。
寂しい、那智さん、お口に入れていてほしいのに。
足は、そのまま上にずれて、頬を歪ませる。
足の指を欲している自分が恥ずかしいそれでも欲しい、顔が歪んで恥ずかしい、どうしたいのかわからないけど、とにかくジタバタと体を動かしている。
足の指が頬から、鼻に動いた。
ああ、もっと醜くなる。
やめて那智さん、足を舐めさせてください。
右足は鼻を弄び、もう片方の足が私の胸を押しつぶす。
体をぐりぐりと踏まれる。
胸が潰されてしまって、痛い。
痛がっていると、鼻にあった足が軸足になるように、床に置かれる。
すかさずその足に顔をくっつけて、舐める。
貪るように、舐める。
左足が、胸お腹と踏みつけて、最後におまんこを踏む。
ぎゅーぎゅーと踏まれて、痛い。
仰向けに寝転んで、上半身だけひねって那智さんの足を必死に舐めて、下半身は踏まれるままになっている姿は、とてもとても恥ずかしい。
それを喜ぶ私が、恥ずかしい。
でも、もうどうしようもなく気持ちがいい。
踏まれているおまんこが気持ちいいのか、指を含んだ口が気持ちいいのか、わからない。
いま、那智さんがさっと身を引いて離れてしまったら、なりふり構わず這いつくばって足下に擦り寄ってしまいそうなほど、この快感から離れたくない。
いつの間にかデジカメを手にしている。
軸足もつま先だけ浮かせて、鼻に移動している。
鼻を潰され、おまんこを踏まれて、股を大開にしている私を上から撮っているんだ(うわ〜書きながら恥ずかしい)。
僅かに残る理性はそれを理解して、なんとか抵抗を試みるけれど、気持ちいい方が勝ってどうすることもできない。
そのうちに、もうどうでもよくなってしまって理性は諦めて手放してしまう。
この那智さんにされるがままの状態で、理性を手放す瞬間は、手から放れた風船が空に吸い込まれているような開放感と、それを元に戻すことが不可能という取り返しのつかない後悔を伴う恐ろしさ。
それは、他では得難い感情だ。
快感に浸りきってしまう私を楽しむこともあるけれど、那智さんは私の気持ちを上下させることが大好きな人だから、そこでおしまいにはしてくれない。
その手放したまま、ちょこちょこといじくって遊んでいてくれたら、どんなにか良いかと思う。
何枚か撮ったのだろう、私は足から解放されて起こされる。
惚けて座り込む私の顔に手が伸びてくる。
鼻だ。
快感に浸って気持ち良くなっている私は一瞬覚醒する。
那智さんの目の前で鼻を持ち上げられるのだ。
「醜くされたい」
私が望んだことだ。
それなのに、いざそうなるとわかったら、それはとてもとても辛いことなんだと気付かされたのだ。
いやだ、そんな顔那智さんに見せられない。
世界中で一番可愛いと思ってほしい人に、醜い顔を晒すのはとても辛い。
以前にも鼻を持ち上げられたことはあるけれど、今回は「私が望んだ」というおまけ付きだ。
ぎゅーっと鼻を上に上げる。
大きな皺が何本かできているだろう、上唇が持ち上がるほどだ。
「いやだ、那智さん、ごめんなさい、ごめんなさい。」
抵抗する。
顔を振り、抵抗するけれど、これは私が望んでいたことだ。
だから、嬉しいはずだ。
その証拠に抵抗して、訴えてはいるけれど、逃げないのだもの。
手放した後でぼんやりしているとはいえ、拘束されているわけでもない、それでもそこから動けないのは、やはり私はそれを喜んでいるのだろう。
それでも辛い。
私が望んでいたことはこんなにも辛いことだったの。
那智さんに見られたくない、でも、嬉しい見てほしい。
こんなことを望んでごめんなさい。
不細工な顔を那智さんに見せること、そんなことを自分が望んでいたこと、那智さんがどう思っているのかわからないこと、嬉しいこと、傷ついていること、何がなんだかわからない。
ただ、ごめんなさいと謝り続けている。
涙が溢れてきた。
なぜ泣いているのだろう。
謝りながら泣いている。
散々鼻を持ち上げられて、大泣きして、手は離れた。
「ごめんなさい、望んでいたのに辛かったの、那智さんに見せるの辛かったの。不細工になりたかったくせに嫌なの!!!こんなこと望んでしまってごめんなさい。」
安心して、もっと泣く。
私の心が上下したから、那智さんは満足だ。
醜いのが良いわけではない。
醜くできる唯一の存在であることが、満足。
そして、私の反応が「良い」ことが満足。
この「良い反応」っていうのが厄介で、感じればいいというものでもないらしい。
感じたり、苦しんだり、嫌がったり、悲しんだり、慌てたり(最終的には感じるもしくは幸せになるが前提で)、いろんな感情を表に出してそれが気に入れば「良い反応」。
同じことで同じような反応をしても、その時の気分で「大満足」や「まあまあ」になるから、学習できない。(まあ、学習してもそれを披露できる余裕がない場合が多いですけどね)
この「醜くする」は私の反応が良かったようで、那智さんの満足に繋がったようだ。
望んでいたことだ。
でも、実際されてみると、心の負担が大きかった。
これからも、気が向けば私を不細工にするだろう。
ああ、いやだ。
辛くていや。
望んでいたという、事実がいや。
そして、望んでしまっていることが、いや。
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