普通のひとで愛し合おう8
12月に入ってからも日常の電話の声はいつも苦しそうだった。
『離婚』を進めることはこんなに苦しいのか、こんなにも『りん子がそばにいない』ことが足下がぐらつくような不安になるのか。
とにかく不安で気持ちが沈んで苦しそうだった。
いつもの強くて、ちょっとのことではビクともしない那智さんが毎日辛そうにしてるのは、わたしも辛かった。
那智さんの快適を願い過ぎるほど願うわたしにとって、日々那智さんが苦しいのは我がこと以上にツライ。
だからといって、こちらに当たるような人ではないし泣き言をいい続ける人でもないので、苦しさを押し殺すような声がよけいにわたしの胸を締め付ける。
わたしがなんとかしなければ。
わたしは那智さんの快適のため、一日のうちに一分でも一秒でも穏やかでいられるように、心を砕いた。
たくさんお話しをした。
離婚は当然辛いものだし、自分を責める気持ちもある。
那智さんは案外保守的なところがあって『結婚』に拘ることもあるので、それがなくなる不安もあるだろう。
わたしが癒しになるのはわかるから、きっと癒しを求めるあまり『りん子がいなければ』という思考になるのだ。
那智さんは悪くない。
わたしはあなたから離れない。
いま隣りにいなくても心はいつもあなたのそばにいます。
ときに冷静に分析し、ときに励まし、様々なアプローチで辛さを軽減してもらおうと画策した。
でも、何を話しても「そうかな」「そうかもな」というだけで、精神状態はなにも変わらないようだった。
相変わらず、『りん子が隣りにいない』ことに恐怖を覚えるような感じだった。
どうしたんだろう。
辛いのは理解するけど、普通ならこれだけ話せば合点のいく思考に出会い、自分で回路を繋げ納得してもらえるはずなのに。
そして、納得できたら切り替えられる人なのに。
何かに取り憑かれたように不安そうにする那智さんが、わたしの知らない那智さんのようで、でも、とても不憫だった。
寸暇をおしんで話し合う。
この日もこのところと同じ様に「どうしてこんなに辛いんだろう」とわたしの不在を不安に思う那智さん。
あああ、そうか。
那智さんは傷ついているんだ。
わたしは自分の経験を振り返る。
モカのあと、わたしはずいぶん長いこと幻想に苦しんだ。
あるとき気づいたんだ。
わたしにも悪いところはあったし誰かを責める気持ちではないのだけど、わたしは『傷ついていたんだ』と適正に理解することが大事だと。
モカのあと、些細なことや無関係なことで負の感情に支配されて那智さんを困らせていたのは『傷ついていた』からだ。
不思議なもので脳というものは『傷ついていた』と認識させるのではなく、傷を別のものに変換させて解消しようとする。
でも、本当は傷そのものに気づき、目を向けないと解決にはならないのだ。
自分にも悪いところはあったことはひとまず置いておいて、わたしは傷ついていたんだ、だから、別のいろいろで勃発するのだと、あるとき理解した。
いまの那智さんは、それだ。
つい2週間前には『離婚に向けて進めることは恐ろしく辛い』だったのに、先週からは『りん子がいなければ』に変わった。
まるで『離婚うんぬん』の辛さはなかったかのように。
要するに、那智さんの脳が那智さんを苦しめる理由はなんでもいいのだ。
脳は傷ついていることを自覚させない代わりに、別な理由をつけて苦しめているのだ。
わたしがそうだったのと同じように。
那智さんは傷ついているのだ。
当然といえば、当然。
責任感の強い人が離婚を決意をするのだ、さらに(後日概念を知るが)モラハラの深刻な被害に遭っていたのだ、傷ついて当然のこと。
『強い』人だったから、その当然負うはずのものに気づけなかった。
那智さんが自覚できないことをわたしがわかるはずはない、でも、わたしはずっと那智さんを見てきた、そして、たくさん心を探りエントリーにもしてきた。
好きな人を知りたいと同化したいわたしの欲は、ときに本人も気づかないことを気づかせてくれる。
那智さん、傷ついているのではないですか?
そう投げかけでも、やはりピンと来ていない。
那智さんの辞書に『傷つく』なんて文字はないのだろう。
でも、だからこそ、深い深い傷になったのだ。
人の脳は不思議だ。
なぜか『傷』から目を背ける。
目を背けて別な理由で苦しさを味わわせる。
おそらく、その傷を直視することが怖いのではないだろうか。
直視すれば傷の深さも知ってしまうし、傷を知れば傷つけた対象とも対峙しなければならない。
それが怖くて、別な理由に逃げているのだ。
脳って自分の味方のはずなんだけど、安直な手を使って目を逸らせるんだよね。
まあ、それほどまでに深い傷だったのだとも言える。
ねえ、那智さん、那智さん、傷ついているんですよ
いままでずっと、その傷を見ないようにしてきたから気がついていないだけで、本当はすごく傷ついているの
分厚い鎧で隠していたけど中には深い傷があって、その上からさらに何度も何度も傷つけられてきて、見ないようにしてきたから、どんどん膿んでいて、もう心が悲鳴をあげているんです
それを見ないように他の苦しいでごまかしているの
俺、傷ついているの?
なんで見ないようにするの?
わたしの経験とわずかな知識に基づいた説明をする。
傷を癒すには、まずその傷の存在に気づかないといけない。
そうしないとどんどん膿みは進行するし、見ないようにわざと別の苦しさを味わわせて余計に悪化させる。
足をざっくりと切っているのに、体力つけようとジョギングするような、ぜんぜん違うことでごまかすようなものだ。
何十年も分厚い鎧で心を覆ってきた『男の子』の深い深い傷を白日の下に晒すのは容易ではなかった。
本人も辛いだろう。
気づいたら、途端に痛みを感じることは想像に容易い。
でも、きっとここはきちんと見ないと回復にはならない。
あのとき、わたしが苦しんだことは無駄ではなかった。
モカのことがなかったらここには繋がらなかった。
苦しみ見つけた思考が、数年後那智さんを助けることになるとは。
モカちゃんに感謝だ。
12月に入って間もない夕方だった。
冬は夜が来るのが早い。
我が子に夕飯を用意しないといけない時間が迫っている。
街灯の灯りが浮かぶ冷えた空気の中、ひと通りの少ない道路、一分でも話を続けたい気持ちで目的もなくぐるぐる歩き回る。
どうか、神様、那智さんを助けてください。
深く傷ついている人の傷を癒す一歩を踏み出せるように、傷ついていたんだと理解して、そして、その傷を癒せるように。
言葉を選び、力をこめ、祈るように。
あなたは傷ついているんだと、わたしは愛する男に伝えていた。
『離婚』を進めることはこんなに苦しいのか、こんなにも『りん子がそばにいない』ことが足下がぐらつくような不安になるのか。
とにかく不安で気持ちが沈んで苦しそうだった。
いつもの強くて、ちょっとのことではビクともしない那智さんが毎日辛そうにしてるのは、わたしも辛かった。
那智さんの快適を願い過ぎるほど願うわたしにとって、日々那智さんが苦しいのは我がこと以上にツライ。
だからといって、こちらに当たるような人ではないし泣き言をいい続ける人でもないので、苦しさを押し殺すような声がよけいにわたしの胸を締め付ける。
わたしがなんとかしなければ。
わたしは那智さんの快適のため、一日のうちに一分でも一秒でも穏やかでいられるように、心を砕いた。
たくさんお話しをした。
離婚は当然辛いものだし、自分を責める気持ちもある。
那智さんは案外保守的なところがあって『結婚』に拘ることもあるので、それがなくなる不安もあるだろう。
わたしが癒しになるのはわかるから、きっと癒しを求めるあまり『りん子がいなければ』という思考になるのだ。
那智さんは悪くない。
わたしはあなたから離れない。
いま隣りにいなくても心はいつもあなたのそばにいます。
ときに冷静に分析し、ときに励まし、様々なアプローチで辛さを軽減してもらおうと画策した。
でも、何を話しても「そうかな」「そうかもな」というだけで、精神状態はなにも変わらないようだった。
相変わらず、『りん子が隣りにいない』ことに恐怖を覚えるような感じだった。
どうしたんだろう。
辛いのは理解するけど、普通ならこれだけ話せば合点のいく思考に出会い、自分で回路を繋げ納得してもらえるはずなのに。
そして、納得できたら切り替えられる人なのに。
何かに取り憑かれたように不安そうにする那智さんが、わたしの知らない那智さんのようで、でも、とても不憫だった。
寸暇をおしんで話し合う。
この日もこのところと同じ様に「どうしてこんなに辛いんだろう」とわたしの不在を不安に思う那智さん。
あああ、そうか。
那智さんは傷ついているんだ。
わたしは自分の経験を振り返る。
モカのあと、わたしはずいぶん長いこと幻想に苦しんだ。
あるとき気づいたんだ。
わたしにも悪いところはあったし誰かを責める気持ちではないのだけど、わたしは『傷ついていたんだ』と適正に理解することが大事だと。
モカのあと、些細なことや無関係なことで負の感情に支配されて那智さんを困らせていたのは『傷ついていた』からだ。
不思議なもので脳というものは『傷ついていた』と認識させるのではなく、傷を別のものに変換させて解消しようとする。
でも、本当は傷そのものに気づき、目を向けないと解決にはならないのだ。
自分にも悪いところはあったことはひとまず置いておいて、わたしは傷ついていたんだ、だから、別のいろいろで勃発するのだと、あるとき理解した。
いまの那智さんは、それだ。
つい2週間前には『離婚に向けて進めることは恐ろしく辛い』だったのに、先週からは『りん子がいなければ』に変わった。
まるで『離婚うんぬん』の辛さはなかったかのように。
要するに、那智さんの脳が那智さんを苦しめる理由はなんでもいいのだ。
脳は傷ついていることを自覚させない代わりに、別な理由をつけて苦しめているのだ。
わたしがそうだったのと同じように。
那智さんは傷ついているのだ。
当然といえば、当然。
責任感の強い人が離婚を決意をするのだ、さらに(後日概念を知るが)モラハラの深刻な被害に遭っていたのだ、傷ついて当然のこと。
『強い』人だったから、その当然負うはずのものに気づけなかった。
那智さんが自覚できないことをわたしがわかるはずはない、でも、わたしはずっと那智さんを見てきた、そして、たくさん心を探りエントリーにもしてきた。
好きな人を知りたいと同化したいわたしの欲は、ときに本人も気づかないことを気づかせてくれる。
那智さん、傷ついているのではないですか?
そう投げかけでも、やはりピンと来ていない。
那智さんの辞書に『傷つく』なんて文字はないのだろう。
でも、だからこそ、深い深い傷になったのだ。
人の脳は不思議だ。
なぜか『傷』から目を背ける。
目を背けて別な理由で苦しさを味わわせる。
おそらく、その傷を直視することが怖いのではないだろうか。
直視すれば傷の深さも知ってしまうし、傷を知れば傷つけた対象とも対峙しなければならない。
それが怖くて、別な理由に逃げているのだ。
脳って自分の味方のはずなんだけど、安直な手を使って目を逸らせるんだよね。
まあ、それほどまでに深い傷だったのだとも言える。
ねえ、那智さん、那智さん、傷ついているんですよ
いままでずっと、その傷を見ないようにしてきたから気がついていないだけで、本当はすごく傷ついているの
分厚い鎧で隠していたけど中には深い傷があって、その上からさらに何度も何度も傷つけられてきて、見ないようにしてきたから、どんどん膿んでいて、もう心が悲鳴をあげているんです
それを見ないように他の苦しいでごまかしているの
俺、傷ついているの?
なんで見ないようにするの?
わたしの経験とわずかな知識に基づいた説明をする。
傷を癒すには、まずその傷の存在に気づかないといけない。
そうしないとどんどん膿みは進行するし、見ないようにわざと別の苦しさを味わわせて余計に悪化させる。
足をざっくりと切っているのに、体力つけようとジョギングするような、ぜんぜん違うことでごまかすようなものだ。
何十年も分厚い鎧で心を覆ってきた『男の子』の深い深い傷を白日の下に晒すのは容易ではなかった。
本人も辛いだろう。
気づいたら、途端に痛みを感じることは想像に容易い。
でも、きっとここはきちんと見ないと回復にはならない。
あのとき、わたしが苦しんだことは無駄ではなかった。
モカのことがなかったらここには繋がらなかった。
苦しみ見つけた思考が、数年後那智さんを助けることになるとは。
モカちゃんに感謝だ。
12月に入って間もない夕方だった。
冬は夜が来るのが早い。
我が子に夕飯を用意しないといけない時間が迫っている。
街灯の灯りが浮かぶ冷えた空気の中、ひと通りの少ない道路、一分でも話を続けたい気持ちで目的もなくぐるぐる歩き回る。
どうか、神様、那智さんを助けてください。
深く傷ついている人の傷を癒す一歩を踏み出せるように、傷ついていたんだと理解して、そして、その傷を癒せるように。
言葉を選び、力をこめ、祈るように。
あなたは傷ついているんだと、わたしは愛する男に伝えていた。
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