大人2
独特な幸福感
那智さんとわたしは許し合えているなってこと。
ちょっと歴史を紐解くと『距離』というエントリーの那智さんの感想が象徴するようにかなり時間がかかっている。
「等式」「演技?」感想です。これを言っても大丈夫になった関係を確立出来たのは前のエントリーとも関係するけれど、そんなに前のことではないと思う。かなり、きわどい案件でした。昔だったら、回復までに1週間はかかったのでは?(笑)
わたしたちは『対等で上下』なんて言っているけど(なんだか、これさえ当たり前すぎて懐かしい感じ^^;)、たしかに、お互い等価値であるけれど、ずいぶん長い間わたしは那智さんに甘えていたと思うのだ。
上記の感想で『これを言っても大丈夫な関係を確立できたのはそんなに前のことではない』と言っているけど、つい半年前くらいってほどの『そんなに前ではない(=つい最近)』感覚。
この感想を見た後で、わたしから『極端に言えば、半年前くらいまではダメでしたよね』と確認したら、那智さんも同じ感覚だった。
そうなの、14年の付き合いで、おそらく那智さんが目指す『わたし』になれたのは、13年と半年かかったってことなんだ。
もちろん、段階を踏んでいるので、その段階ごとに『許し合えて』いたはずなんだけど、那智さんの目指す最終形態になったのは、本当、最近のこと。
最初の、そうだな、2年くらいは『100、0』だったよな
そうそう、何が『100、0』なのか具体的に言いにくいけど、とにかく『100対0』だった。
『箸の上げ下ろしまで、全部俺に聞いていた』という比喩表現が比喩じゃないくらいの状態だった。
いや、いちおう年齢も大人のわたしなので、それまでの人生で箸の上げ下ろしができなかったわけじゃないのだけど、あの時は構築し直しの『赤ちゃん』だった。
ああ、懐かしい(笑)
その期間を経て、少しずつ自分の快不快がわかるようになって、それを伝えたり、そうなったときの対処方法を学んだりしていく時期が来る。
多分、この時期が長かったんだよね。
小学1年生から高校卒業みたいにどんどん高度になっていくけど、10年ちょっとはずっとわたしは那智さんに甘えていた。
で、ここ半年くらいでやっと大人になったのだ(那智さんのと関係においてね)
最初の2年はまだ赤ちゃんみたいだったけど、それ以降は少しずつ『那智さんに悪意はない』ということを理解して、実感して、即座にそう判断できるという段階を踏んでいった。
なんとなく、『那智さんに悪意はない』と即座に判断できることでゴールみたいに思うけど、もうひとステップあったわけ。
『那智さんに悪意はない』と判断できても、場合によってはちょっと悲しい気持ちになったりすることもあるので、その時は『那智さんに悪意はないのはわかっていますが、その言葉は少し悲しくなります』と伝えることもよくあった。
ときには、落ち込んでしまったり、なぜ、その言葉を使うのかと話し合いをしてもらったり。
でもね、これって、那智さんに甘えているんだよね。
『あなたに悪意はないのはわかるけど、わたしは悲しい』というのは、甘えなんだ。
なぜなら、悪意がないことがわかっていたら、そこから先の自分の気持ちは自分で対処するのが大人なのだよね。
那智さんに『悲しい』とかを伝えるのは、わたしの気持ちを那智さんに持ってもらおうとしている表れ。
悪意がないとわかっていたら、自分の気持ちは自分で対処すれば、相手に対する怒りも悲しいもスッと収められる。
大人は自分の機嫌は自分で取るものなんだ。
(逆に、それまでの間は、那智さんに甘えることも必要だったとも言える)
振り返れば、那智さんは14年、ほとんど(99% 当社比)『自分の機嫌は自分で取る』ひとだったもの。
なんとなく、許し合えているな~とか、わたしもだいぶ大人になって那智さんをサポートできてるかも!!なんて思っていたけど、13年と半年かけて、やっと那智さんの目指す関係が完成したような気がする。
思えば、最初の2年なんて、かなりいびつな『100、0』だった。
あの、赤ん坊が親なしでは生きられないような偏った関係も甘い蜜のような時期で懐かしい。
ふと、
なんでも那智さん頼りだっためそめそしてるりん子のほうが可愛くないですか?
と聞いてみる。
ううん、だって、これを目指していたんだから、いまのほうがいいに決まってるよ(笑)
いちおう(笑)
那智さん以外の場合は、わたしも自分の機嫌は自分で取れる人のつもりだけど^^
ひとりの人とこれだけ密着した関係において自分の機嫌は自分で取る。
そうなるように那智さんとふたりの空間で、わたしはもうひとつの別の人生を歩んできたみたいな不思議な感じだ。
ここで得られたものは、那智さん以外でもきっと発揮できていると思う。
人生って、面白いね^^
それでも、やっぱり、わたしは那智さんに『いいこいいこ』してもらうことが好きだし、那智さんが決めてもらうほうが好きだし、那智さんが土台であることには変わりない^^
と、ここまで書いておしまいだったのだけど、『大人1』を読んだ那智さんが、自分の考えを説明してくれたので、3までいきます(笑)
那智さんとわたしは許し合えているなってこと。
ちょっと歴史を紐解くと『距離』というエントリーの那智さんの感想が象徴するようにかなり時間がかかっている。
「等式」「演技?」感想です。これを言っても大丈夫になった関係を確立出来たのは前のエントリーとも関係するけれど、そんなに前のことではないと思う。かなり、きわどい案件でした。昔だったら、回復までに1週間はかかったのでは?(笑)
わたしたちは『対等で上下』なんて言っているけど(なんだか、これさえ当たり前すぎて懐かしい感じ^^;)、たしかに、お互い等価値であるけれど、ずいぶん長い間わたしは那智さんに甘えていたと思うのだ。
上記の感想で『これを言っても大丈夫な関係を確立できたのはそんなに前のことではない』と言っているけど、つい半年前くらいってほどの『そんなに前ではない(=つい最近)』感覚。
この感想を見た後で、わたしから『極端に言えば、半年前くらいまではダメでしたよね』と確認したら、那智さんも同じ感覚だった。
そうなの、14年の付き合いで、おそらく那智さんが目指す『わたし』になれたのは、13年と半年かかったってことなんだ。
もちろん、段階を踏んでいるので、その段階ごとに『許し合えて』いたはずなんだけど、那智さんの目指す最終形態になったのは、本当、最近のこと。
最初の、そうだな、2年くらいは『100、0』だったよな
そうそう、何が『100、0』なのか具体的に言いにくいけど、とにかく『100対0』だった。
『箸の上げ下ろしまで、全部俺に聞いていた』という比喩表現が比喩じゃないくらいの状態だった。
いや、いちおう年齢も大人のわたしなので、それまでの人生で箸の上げ下ろしができなかったわけじゃないのだけど、あの時は構築し直しの『赤ちゃん』だった。
ああ、懐かしい(笑)
その期間を経て、少しずつ自分の快不快がわかるようになって、それを伝えたり、そうなったときの対処方法を学んだりしていく時期が来る。
多分、この時期が長かったんだよね。
小学1年生から高校卒業みたいにどんどん高度になっていくけど、10年ちょっとはずっとわたしは那智さんに甘えていた。
で、ここ半年くらいでやっと大人になったのだ(那智さんのと関係においてね)
最初の2年はまだ赤ちゃんみたいだったけど、それ以降は少しずつ『那智さんに悪意はない』ということを理解して、実感して、即座にそう判断できるという段階を踏んでいった。
なんとなく、『那智さんに悪意はない』と即座に判断できることでゴールみたいに思うけど、もうひとステップあったわけ。
『那智さんに悪意はない』と判断できても、場合によってはちょっと悲しい気持ちになったりすることもあるので、その時は『那智さんに悪意はないのはわかっていますが、その言葉は少し悲しくなります』と伝えることもよくあった。
ときには、落ち込んでしまったり、なぜ、その言葉を使うのかと話し合いをしてもらったり。
でもね、これって、那智さんに甘えているんだよね。
『あなたに悪意はないのはわかるけど、わたしは悲しい』というのは、甘えなんだ。
なぜなら、悪意がないことがわかっていたら、そこから先の自分の気持ちは自分で対処するのが大人なのだよね。
那智さんに『悲しい』とかを伝えるのは、わたしの気持ちを那智さんに持ってもらおうとしている表れ。
悪意がないとわかっていたら、自分の気持ちは自分で対処すれば、相手に対する怒りも悲しいもスッと収められる。
大人は自分の機嫌は自分で取るものなんだ。
(逆に、それまでの間は、那智さんに甘えることも必要だったとも言える)
振り返れば、那智さんは14年、ほとんど(99% 当社比)『自分の機嫌は自分で取る』ひとだったもの。
なんとなく、許し合えているな~とか、わたしもだいぶ大人になって那智さんをサポートできてるかも!!なんて思っていたけど、13年と半年かけて、やっと那智さんの目指す関係が完成したような気がする。
思えば、最初の2年なんて、かなりいびつな『100、0』だった。
あの、赤ん坊が親なしでは生きられないような偏った関係も甘い蜜のような時期で懐かしい。
ふと、
なんでも那智さん頼りだっためそめそしてるりん子のほうが可愛くないですか?
と聞いてみる。
ううん、だって、これを目指していたんだから、いまのほうがいいに決まってるよ(笑)
いちおう(笑)
那智さん以外の場合は、わたしも自分の機嫌は自分で取れる人のつもりだけど^^
ひとりの人とこれだけ密着した関係において自分の機嫌は自分で取る。
そうなるように那智さんとふたりの空間で、わたしはもうひとつの別の人生を歩んできたみたいな不思議な感じだ。
ここで得られたものは、那智さん以外でもきっと発揮できていると思う。
人生って、面白いね^^
それでも、やっぱり、わたしは那智さんに『いいこいいこ』してもらうことが好きだし、那智さんが決めてもらうほうが好きだし、那智さんが土台であることには変わりない^^
と、ここまで書いておしまいだったのだけど、『大人1』を読んだ那智さんが、自分の考えを説明してくれたので、3までいきます(笑)
COMMENT
自分の機嫌は自分で取るというのは精神的な自立ですよね。
そして、自立した者同士だから初めて許し合うことが出来るのですね。
ここ1年半くらいの私のテーマが自立なので面白かったです。
このエントリー読んでから「等式」というブログタイトル見るとまた趣深いです。
深く依存させるようなことも多い上下関係のあるSMの関係で結局自立に行き着くのって面白いですね。
そして、自立した者同士だから初めて許し合うことが出来るのですね。
ここ1年半くらいの私のテーマが自立なので面白かったです。
このエントリー読んでから「等式」というブログタイトル見るとまた趣深いです。
深く依存させるようなことも多い上下関係のあるSMの関係で結局自立に行き着くのって面白いですね。
もんちゃん
コメントありがとう!
ちょっと遅くなってごめんね。
わたしもね、那智さんに『こんなことあって大変でした!』とか『今度○があるから心配です』とか、那智さん以外のことに関してはけっこう那智さんに一緒に持ってもらうこともたくさんあるけど、こと那智さんに向けてはずいぶん自分の機嫌を取れるようになってきた感じです。
(いちおう、わたしは話題提供係だから、心配事も『話題』として提供しているからいいんですけどね! 笑)
自立とひとくちにいっても、すべてにおいての自立はあまり存在していなくて、こっちは立ってる、こっちはちょっと支えてもらってるとグラデーションになるのかな。
那智さんがもんちゃん『何かわかってるね〜』と読解力に感心していました^^
これからも色々読み解いてください♪
コメントありがとう!
ちょっと遅くなってごめんね。
わたしもね、那智さんに『こんなことあって大変でした!』とか『今度○があるから心配です』とか、那智さん以外のことに関してはけっこう那智さんに一緒に持ってもらうこともたくさんあるけど、こと那智さんに向けてはずいぶん自分の機嫌を取れるようになってきた感じです。
(いちおう、わたしは話題提供係だから、心配事も『話題』として提供しているからいいんですけどね! 笑)
自立とひとくちにいっても、すべてにおいての自立はあまり存在していなくて、こっちは立ってる、こっちはちょっと支えてもらってるとグラデーションになるのかな。
那智さんがもんちゃん『何かわかってるね〜』と読解力に感心していました^^
これからも色々読み解いてください♪