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独特な幸福感
家を片付けていたら古いアルバムが出てきた。
けっこう大量に^^;
赤ん坊のころから会社勤めの20代前半くらいまでのもの。
昭和40年代のまだ若干白黒写真の残る時代や『ツッパリ』っていう人種とその他大勢が存在していた学生時代を経て、華々しいバブルの景色。
懐かしいけど、どことなく『わたし』じゃないような居心地悪さも感じる不思議。
本人は一生懸命生きていたけど、自分のことが全然わかっていない動物みたいなわたしが写っている。
わたしの中で那智さん以前と以後で本当に見えている景色が違っているのだ。
いまもバカみたいなところはたくさんあるけど、あのころより自分のことが少しわかっているいまのほうがずっと『生きやすい』。
動物の自分を眺める居心地悪さ。
写真にポエムみたいなコメントを書いている中学時代のアルバムなんて、もう耐えられないくらい恥ずかしい(笑)
で、このアルバム、どうしようかなと。
場所取るし、このままにしておく理由はあるだろうか。
現に、ここ20年くらいしまいっぱなしになっていて存在していなかったに等しいわけで、なくてもなんら支障ないもの。
まだ自分の最期に向けて具体的なプランを立てるには若いかもしれないけど、一人っ子の我が子のことを考えたら少しずつ身軽にしていくのもありだろうなと思うのだ。
写真を捨てるってちょっとハードル高いでしょ?
本人以外の写真なんて特に。
それを我が子にさせるのは避けたいなと。
だから、これを機に処分しようと思ったのだ。
厳選した一冊のアルバムにして。
そう決めたのだけど、どこかでやはり寂しい気持ちもある。
自分の大事な思い出たちを捨てるのだもの。
そうだ、那智さんに見てもらおう。
那智さんの知らないわたしを見てもらって、それから処分しよう。
那智さんになんでも知っていてほしいわたしの寂しい気持ちを温めるのは、那智さんに見てもらうことだ。
そう思って、今度一緒に見てくださいとお願いする。
じゃあ、◯に送りな
りん子が来た時に一緒に見て、解説してもらって
送り返そう
わたしとしては1、2冊適当に選んで見てもらうくらいを考えていたのだけど(さすがに大量だから一度に持って行かれないし、何度もするのも大変だし)、全部送って見る機会を作ってくれるというのだ。
ああ、それは嬉しいし、楽しい。
写真を捨てるというネガティブなことを一緒に見ることで楽しいことに変えてくれる。
那智さんはいつもそう。
一見ネガティブに見える行為をポジティブな気持ちに変えてくれる。
寂しい気持ちを楽しい気持ちに変えてくれる。
デートに『持っていく』というわたしの負担さえなくすようにしてくれる。
那智さんはスポンジのようなひと。
わたしのマイナスをしゅーっと吸収してくれる。
本当にやさしくて、使いまわされた言い方だけど、器が大きいひと、だ。
だからこそ、わたしも気をつけなくちゃって思う。
那智さんはいつも吸収してくれちゃうから、それに甘えて溢れさせまくらないように。
何事も無限ではなくて有限であるということを忘れずに、小出しにしていかないと(笑)
というのは冗談で、『素直』に伝える努力をし続けないといけないのだ。
(多分『素直』に伝えていれば、大丈夫)
写真を捨てる寂しい気持ちを、一緒に見てもらう楽しい行事に変えてくれた那智さん。
そんなスポンジの那智さんだから、全部見て欲しいと思う。
だから、銀縁メガネで寝癖のダサい中学生のわたしもお見せするのです。
ポエムのだけは当日持っていくけども(笑)
事前に届けて熟読されるのは避けたい!!(那智さん、熟読しないでしょうけど^^;)
ということで、今度、よろしくお願いします!!
「等式」「スポンジ」感想です。大袈裟に言うと、相手の人生に直接触れて共感し葬る行為を私がする、私もりん子にしてもらおうかな。
家を片付けていたら古いアルバムが出てきた。
けっこう大量に^^;
赤ん坊のころから会社勤めの20代前半くらいまでのもの。
昭和40年代のまだ若干白黒写真の残る時代や『ツッパリ』っていう人種とその他大勢が存在していた学生時代を経て、華々しいバブルの景色。
懐かしいけど、どことなく『わたし』じゃないような居心地悪さも感じる不思議。
本人は一生懸命生きていたけど、自分のことが全然わかっていない動物みたいなわたしが写っている。
わたしの中で那智さん以前と以後で本当に見えている景色が違っているのだ。
いまもバカみたいなところはたくさんあるけど、あのころより自分のことが少しわかっているいまのほうがずっと『生きやすい』。
動物の自分を眺める居心地悪さ。
写真にポエムみたいなコメントを書いている中学時代のアルバムなんて、もう耐えられないくらい恥ずかしい(笑)
で、このアルバム、どうしようかなと。
場所取るし、このままにしておく理由はあるだろうか。
現に、ここ20年くらいしまいっぱなしになっていて存在していなかったに等しいわけで、なくてもなんら支障ないもの。
まだ自分の最期に向けて具体的なプランを立てるには若いかもしれないけど、一人っ子の我が子のことを考えたら少しずつ身軽にしていくのもありだろうなと思うのだ。
写真を捨てるってちょっとハードル高いでしょ?
本人以外の写真なんて特に。
それを我が子にさせるのは避けたいなと。
だから、これを機に処分しようと思ったのだ。
厳選した一冊のアルバムにして。
そう決めたのだけど、どこかでやはり寂しい気持ちもある。
自分の大事な思い出たちを捨てるのだもの。
そうだ、那智さんに見てもらおう。
那智さんの知らないわたしを見てもらって、それから処分しよう。
那智さんになんでも知っていてほしいわたしの寂しい気持ちを温めるのは、那智さんに見てもらうことだ。
そう思って、今度一緒に見てくださいとお願いする。
じゃあ、◯に送りな
りん子が来た時に一緒に見て、解説してもらって
送り返そう
わたしとしては1、2冊適当に選んで見てもらうくらいを考えていたのだけど(さすがに大量だから一度に持って行かれないし、何度もするのも大変だし)、全部送って見る機会を作ってくれるというのだ。
ああ、それは嬉しいし、楽しい。
写真を捨てるというネガティブなことを一緒に見ることで楽しいことに変えてくれる。
那智さんはいつもそう。
一見ネガティブに見える行為をポジティブな気持ちに変えてくれる。
寂しい気持ちを楽しい気持ちに変えてくれる。
デートに『持っていく』というわたしの負担さえなくすようにしてくれる。
那智さんはスポンジのようなひと。
わたしのマイナスをしゅーっと吸収してくれる。
本当にやさしくて、使いまわされた言い方だけど、器が大きいひと、だ。
だからこそ、わたしも気をつけなくちゃって思う。
那智さんはいつも吸収してくれちゃうから、それに甘えて溢れさせまくらないように。
何事も無限ではなくて有限であるということを忘れずに、小出しにしていかないと(笑)
というのは冗談で、『素直』に伝える努力をし続けないといけないのだ。
(多分『素直』に伝えていれば、大丈夫)
写真を捨てる寂しい気持ちを、一緒に見てもらう楽しい行事に変えてくれた那智さん。
そんなスポンジの那智さんだから、全部見て欲しいと思う。
だから、銀縁メガネで寝癖のダサい中学生のわたしもお見せするのです。
ポエムのだけは当日持っていくけども(笑)
事前に届けて熟読されるのは避けたい!!(那智さん、熟読しないでしょうけど^^;)
ということで、今度、よろしくお願いします!!
「等式」「スポンジ」感想です。大袈裟に言うと、相手の人生に直接触れて共感し葬る行為を私がする、私もりん子にしてもらおうかな。
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