怖がりは損か?2
非日常的な日常
このブログ『等式』は6月30日をもちまして閉鎖します。
詳しくは『unfinished note』をご覧ください。
この部屋には拘束器具がある。
椅子の背と足に拘束具がついていて、両手両足を固定できるのだ。
何度か入ったことがあったけど、使ったことはなかった。
今日はこれで遊んであげるね~
なんだか『ザ SM』っぽくて気恥ずかしい。
裸になり椅子に座る。
スナップボタンが鋲のように並ぶ幅広いベルト、両手両足を合皮のベルトの拘束具で留めていく。
すぐ外れないかな(笑)
パチン、パチンと留めながら那智さんが笑う。
3つか4つが一列になって留めるので、「そう簡単には取れないのではないですか」と返事をする。
右手のほうがキツいなとすこし不安になる。
那智さんに出会う前の人で痺れてから、拘束するときの心配が拭い去れない。
それでも、那智さんの前で無防備になることは、恥ずかしくて恥ずかしくて、うれしいっていえないくらい恥ずかしい。
両足は閉じることはできないけど精一杯膝を近づける。
慈しみのキスの後、乳首をつまむ。
いつもの感じとちょっと痛く。
手は下半身にも移動して触る。
ああ、気持ちいい。
しばらくしてイキそうになるから「イッてもいいですか?」と聞くとすっと手を離される。
これの何回もくり返す。
「もう、そんなことしていたら、勝手にイッちゃいますよ!!」と文句をいう。
いいよ(笑)
そこから、触らずにイク遊びがはじまる。
イキそうというところで指を離す。
小さな余韻のような『イク』を数回。
那智さん、これじゃ、ちゃんとイケませんー!!
ジタバタ。
それでも何度もくり返しているうちに体がなにかを習得してきたようだ。
「イッてもいいですか?」の後、サッと指を引かれてから大きなエクスタシー。
しかも、電マのときのような波状のもの。
何も触れていないのに絶頂で体を震わせる自分を、なんだかウソっぽいAVみたいだなと思う。
次は電マ。
さっきイッたから、すでに敏感になっているので苦しくなりそうで、すこし怖い。
最初は弱い力。
イキそうでイケないから「それだとイケそうにありません」と伝えると強くなった。
ああああ、無理。
怖い。
電マの強烈なパワーを受けるためには、ある程度自由でないと怖いのだ。
(鞭も一緒)
いつも枕をお守りに抱き、場合によっては体勢を調整して苦しさを逃がすような自由がほしい。
両手両足拘束されていたら、不自由だ。
それが怖い。
そんなことおかまいなしに、わたしの体は次々エクスタシーを迎える。
那智さん、無理です!!
といいながらイク。
拘束具がぎゃんぎゃんなるほど大暴れ。
いいね~
遊んでもらってうれしいね~
那智さんもおかまいなし。
体から汗が吹き出る。
那智さん、怖い、怖い
そういいながら何度もイク。
怖いね~
いや!!那智さん、やったことないこと、怖い!!
わたしは未知のものが怖いのだ。
滑り台で遊んでもらってるみたいだね~
何度目かのエクスタシーの後、すごい波がきた。
腰が浮き、手首の拘束具で体を支え、はじめての体勢ではじめの感覚でイク。
ああ、もうわたし、どうにかなりそう。
怖い、怖い。
このまま快感に落ちるもの怖いし、もし快感になれなくて苦しいだけになっても怖い。
知らないことは怖い。
那智さん、怖い!!
そう叫ぶ、わたしの心は本当に怖がっている。
でも、本当に怖いのに、那智さんがくれる恐怖は、極々わずかに疼く。
ああ、そんな冷静な分析なんて無意味なほど快感と苦しさの頂点から真っ逆さまに落ちるような感覚に、ただ『怖い』としかいえなかった。
(この先が怖い、でも、この先はどうなるの?)
そんなもうひとりのわたしの声がどこかで聞こえたような錯覚。
でも、わたしは怖いと叫び、涙が零れている。
那智さんも『もう充分』と判断したのだろう。
涙が滲んだところでおしまいになった。
那智さんは基本、わたしを怖がらせたいとは思っていない。
それは、わたしが快感に恐怖はないほうがいいと思っているわたしの気持ちと合っている。
恐怖を快感に変えられるほど、わたしは怖さに強くない。
だから、怖がったら(那智さんの判断で)やめてもらえないと、いつまでも委ねるときに恐怖が邪魔をしてしまいそうなので、やめてもらえるほうがありがたい。
わたしが、もう少し怖さに強かったら、その先を見ることができるかもしれないと思うと、怖がりは損かもしれないと思う。
ただ、怖がりだからこそ真剣に怖いと思えるし、その先の恐怖に怯え、快感とはいえない疼きを知ることができる。
そして、なにより『滑り台で遊んでもらっている』という那智さんの言葉の通り、この行為が那智さんの手のひらでコロコロ遊んでもらっているという目で見れば、高い滑り台に連れていかれて「お父さん、怖い~~;;」とべそかいて、「怖かったね~、でも、楽しかったね~」の黄金パターンを味わえるわけだ(笑)
怖いと真剣に暴れられることや、流す涙の甘さは怖がりだからこそのメリットかもしれないね^^
「等式」感想です。痛くて泣くのではなく、怖くて泣くのです。
りん子の恐怖は私も恐く、私自身がそれがトラウマになっているからかもしれません。(笑)だから、「怖さ」に対しては「よしよし、大丈夫だよ。」のスタンスが必要になります。
りん子が関連エントリーを下記に入れてくれるかな?
りん子(^-^)SM界隈で『怯える姿』や『怖がる様子』を楽しむS男性をお見受けしますが、本当に恐怖におののく女を甘くみてはいけないよ。
手に負える程度の怖がり方は予定調和ってことです(笑)
絶叫2
このブログ『等式』は6月30日をもちまして閉鎖します。
詳しくは『unfinished note』をご覧ください。
この部屋には拘束器具がある。
椅子の背と足に拘束具がついていて、両手両足を固定できるのだ。
何度か入ったことがあったけど、使ったことはなかった。
今日はこれで遊んであげるね~
なんだか『ザ SM』っぽくて気恥ずかしい。
裸になり椅子に座る。
スナップボタンが鋲のように並ぶ幅広いベルト、両手両足を合皮のベルトの拘束具で留めていく。
すぐ外れないかな(笑)
パチン、パチンと留めながら那智さんが笑う。
3つか4つが一列になって留めるので、「そう簡単には取れないのではないですか」と返事をする。
右手のほうがキツいなとすこし不安になる。
那智さんに出会う前の人で痺れてから、拘束するときの心配が拭い去れない。
それでも、那智さんの前で無防備になることは、恥ずかしくて恥ずかしくて、うれしいっていえないくらい恥ずかしい。
両足は閉じることはできないけど精一杯膝を近づける。
慈しみのキスの後、乳首をつまむ。
いつもの感じとちょっと痛く。
手は下半身にも移動して触る。
ああ、気持ちいい。
しばらくしてイキそうになるから「イッてもいいですか?」と聞くとすっと手を離される。
これの何回もくり返す。
「もう、そんなことしていたら、勝手にイッちゃいますよ!!」と文句をいう。
いいよ(笑)
そこから、触らずにイク遊びがはじまる。
イキそうというところで指を離す。
小さな余韻のような『イク』を数回。
那智さん、これじゃ、ちゃんとイケませんー!!
ジタバタ。
それでも何度もくり返しているうちに体がなにかを習得してきたようだ。
「イッてもいいですか?」の後、サッと指を引かれてから大きなエクスタシー。
しかも、電マのときのような波状のもの。
何も触れていないのに絶頂で体を震わせる自分を、なんだかウソっぽいAVみたいだなと思う。
次は電マ。
さっきイッたから、すでに敏感になっているので苦しくなりそうで、すこし怖い。
最初は弱い力。
イキそうでイケないから「それだとイケそうにありません」と伝えると強くなった。
ああああ、無理。
怖い。
電マの強烈なパワーを受けるためには、ある程度自由でないと怖いのだ。
(鞭も一緒)
いつも枕をお守りに抱き、場合によっては体勢を調整して苦しさを逃がすような自由がほしい。
両手両足拘束されていたら、不自由だ。
それが怖い。
そんなことおかまいなしに、わたしの体は次々エクスタシーを迎える。
那智さん、無理です!!
といいながらイク。
拘束具がぎゃんぎゃんなるほど大暴れ。
いいね~
遊んでもらってうれしいね~
那智さんもおかまいなし。
体から汗が吹き出る。
那智さん、怖い、怖い
そういいながら何度もイク。
怖いね~
いや!!那智さん、やったことないこと、怖い!!
わたしは未知のものが怖いのだ。
滑り台で遊んでもらってるみたいだね~
何度目かのエクスタシーの後、すごい波がきた。
腰が浮き、手首の拘束具で体を支え、はじめての体勢ではじめの感覚でイク。
ああ、もうわたし、どうにかなりそう。
怖い、怖い。
このまま快感に落ちるもの怖いし、もし快感になれなくて苦しいだけになっても怖い。
知らないことは怖い。
那智さん、怖い!!
そう叫ぶ、わたしの心は本当に怖がっている。
でも、本当に怖いのに、那智さんがくれる恐怖は、極々わずかに疼く。
ああ、そんな冷静な分析なんて無意味なほど快感と苦しさの頂点から真っ逆さまに落ちるような感覚に、ただ『怖い』としかいえなかった。
(この先が怖い、でも、この先はどうなるの?)
そんなもうひとりのわたしの声がどこかで聞こえたような錯覚。
でも、わたしは怖いと叫び、涙が零れている。
那智さんも『もう充分』と判断したのだろう。
涙が滲んだところでおしまいになった。
那智さんは基本、わたしを怖がらせたいとは思っていない。
それは、わたしが快感に恐怖はないほうがいいと思っているわたしの気持ちと合っている。
恐怖を快感に変えられるほど、わたしは怖さに強くない。
だから、怖がったら(那智さんの判断で)やめてもらえないと、いつまでも委ねるときに恐怖が邪魔をしてしまいそうなので、やめてもらえるほうがありがたい。
わたしが、もう少し怖さに強かったら、その先を見ることができるかもしれないと思うと、怖がりは損かもしれないと思う。
ただ、怖がりだからこそ真剣に怖いと思えるし、その先の恐怖に怯え、快感とはいえない疼きを知ることができる。
そして、なにより『滑り台で遊んでもらっている』という那智さんの言葉の通り、この行為が那智さんの手のひらでコロコロ遊んでもらっているという目で見れば、高い滑り台に連れていかれて「お父さん、怖い~~;;」とべそかいて、「怖かったね~、でも、楽しかったね~」の黄金パターンを味わえるわけだ(笑)
怖いと真剣に暴れられることや、流す涙の甘さは怖がりだからこそのメリットかもしれないね^^
「等式」感想です。痛くて泣くのではなく、怖くて泣くのです。
りん子の恐怖は私も恐く、私自身がそれがトラウマになっているからかもしれません。(笑)だから、「怖さ」に対しては「よしよし、大丈夫だよ。」のスタンスが必要になります。
りん子が関連エントリーを下記に入れてくれるかな?
りん子(^-^)SM界隈で『怯える姿』や『怖がる様子』を楽しむS男性をお見受けしますが、本当に恐怖におののく女を甘くみてはいけないよ。
手に負える程度の怖がり方は予定調和ってことです(笑)
絶叫2
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