自己憐憫の快感
非日常的な日常
ホテルに入り上着をかけたり、ちょこちょことして、ソファに。
那智さんはリラックスの下着姿、わたしは着衣のまま。
黒のシャツとタイトスカートにバラの柄の網タイツ、なかなかベタな装いにしたのはおニューのボディスーツをつけていたからだ。
胸とウエストラインを強調する下着は、ベタな服が合う。
ナイショでつけていったので、いつ気づいてくれるか、すこし気もそぞろ。
いいタイミングで、いい雰囲気で気づいてくれるいいな。
そんな思いなんて知らないはずなのに、たくさんたくさんたくさんキスをして今日はすぐには体に触れてくれない。
いつもならそれだけで『はうはう』になってしまうのだけど、下着が気になってちょっと大人しい反応のわたしに、次はおちんぽ様。
床に降りお口をする。
上から眺めたら強調されているウエストラインがキレイに映るといいな、なんて思う。
高揚しはじめた頃、ふいに抜かれ、無言のまま後ろ向きにしてベッドに倒された。
スカートをめくり下着をおろされて、そのまま入れる。
急な展開に戸惑うけれど体はどんどん気持ちよくなる。
ああ、快感を放出させたい。
イッてもいいですか?
すっと抜かれた。
手を引かれ、またソファに。
またお口。
しばらくすると、また抜き、後ろから抱く。
イキたいと思い「イッてもいいですか?」と聞くと、また抜かれてソファ。
ああ、今日はこんなふうにして焦らされるんだ。
前日のエントリーが脳裏をよぎる。
(『女の限界』)
お口、後ろから抱かれるを数往復。
今度はソファに腰かけた那智さんに跨がるように促され、イキそうになると腰を浮かせられる。
これを数往復。
焦らされることは快感ではあるけれど、のぼりつめる手前まで来ておあずけという焦らしは快感というより焦燥感が強い。
だんだん快感を楽しむなんて余裕がなくなってくる。
洋服を脱ぎ、ここではじめてキスと挿入以外で触れてもらった。
乳首が気持ちいい、まったく理性を保てないほど気持ちいい。
そのままベッドでまた抱かれる。
もう、無理『うわーーー』ってなりたい。
イッてもいいですか?!
抜いて、またフェラチオ。
何度やっても許可を得れば抜かれてしまう。
だんだん抜かれることが悲しくなってくる。
那智さんに入れてもらえているだけで気持ち良くてしあわせなんだもの、イカせてもらえないなら、それがすこしでも長くなっていたほうがいい。
快感を放出させたい。
でも、許可を得れば抜かれてしまう。
すこしでも長く、この快感と幸福を味わっていたい。
だから、イカないほうがいい。
イキたい、でも、イカせてもらえない、それなら、せめてイカないで長く那智さんに抱かれていたい。
パクパクと酸欠の金魚みたいに快感を引き延ばし、ピークを遅らせようと試みる。
でも、気持ちよすぎる。
わたしの体は快感を頂点に持っていきたくて、わたしの意思を無視する。
いつなんどきも、今日は許可を得なくていいよと言われない限りは、許可は得るのだ。
勝手にイケないのだ。
もう何年もずっと。
(あ、ひとりでするときは大丈夫^^)
それなのにわたしの体はもっとと快感を欲してピークを引き寄せる。
気持ちがいい、でも、これ以上気持ちよくなったら許可を得ないといけない、そうしたら、おしまいにされてしまう、すこしでも長くこうしていたいのに。
自分の意思と欲望がちぐはぐで、ジレンマに苦しむ。
でも、許可するのだ、それは決まり。
イッてもいいですか…?
ジレンマが、抜かれてしまうのが悲しくて、消え入りそうな声で許可を得る。
諦めと哀愁と自己憐憫のせつなすぎる許可。
あまりに自分がかわいそうで涙がこぼれる、なんて気持ちのいい被虐感。
那智さんは楽しそうにわたしの体から離れた。
これは『女の限界』をアップした後に会った日のこと。
あんなエントリーを書いたから、限界まで焦らされるだろうなということは想像していたけど(もしくは、あえて焦らさないかのどちらか 笑)、こういう方法を取られるとは思っていなかった。
焦らすとひと口に言っても、まあ、なかなかバリエーション豊かに楽しんでくれるなぁと思う。
「入れてください、触ってください」「ダメ〜」という焦らしは想像に容易いけど、これもいつも同じだと結局予定調和になってしまう。
焦らされることが成立するには、どうしても欲しいものがその先にあることを知っていることが必要だ。
さらに、その人じゃないと得ることができないものだとしたら、なおのこと、効果がある。
予定調和にならずいつまでも飽きないようにするために、さんざん快感を植え付けて、ときどき焦らし、今回のように途中までで引き返したり、それによりわたしは心から欲する快感や自己憐憫の快感やいろいろな種類の快感を味わわせてもらえる。
那智さんの『焦らす』はそれを成立させるまでの道のりとバリエーションを楽しんでいるようなのだ。
「等式」感想です。焦らすのもお楽しみです。遠い昔、「焦らされている」事実をりん子が認めることさえ羞恥であったと思う。
ホテルに入り上着をかけたり、ちょこちょことして、ソファに。
那智さんはリラックスの下着姿、わたしは着衣のまま。
黒のシャツとタイトスカートにバラの柄の網タイツ、なかなかベタな装いにしたのはおニューのボディスーツをつけていたからだ。
胸とウエストラインを強調する下着は、ベタな服が合う。
ナイショでつけていったので、いつ気づいてくれるか、すこし気もそぞろ。
いいタイミングで、いい雰囲気で気づいてくれるいいな。
そんな思いなんて知らないはずなのに、たくさんたくさんたくさんキスをして今日はすぐには体に触れてくれない。
いつもならそれだけで『はうはう』になってしまうのだけど、下着が気になってちょっと大人しい反応のわたしに、次はおちんぽ様。
床に降りお口をする。
上から眺めたら強調されているウエストラインがキレイに映るといいな、なんて思う。
高揚しはじめた頃、ふいに抜かれ、無言のまま後ろ向きにしてベッドに倒された。
スカートをめくり下着をおろされて、そのまま入れる。
急な展開に戸惑うけれど体はどんどん気持ちよくなる。
ああ、快感を放出させたい。
イッてもいいですか?
すっと抜かれた。
手を引かれ、またソファに。
またお口。
しばらくすると、また抜き、後ろから抱く。
イキたいと思い「イッてもいいですか?」と聞くと、また抜かれてソファ。
ああ、今日はこんなふうにして焦らされるんだ。
前日のエントリーが脳裏をよぎる。
(『女の限界』)
お口、後ろから抱かれるを数往復。
今度はソファに腰かけた那智さんに跨がるように促され、イキそうになると腰を浮かせられる。
これを数往復。
焦らされることは快感ではあるけれど、のぼりつめる手前まで来ておあずけという焦らしは快感というより焦燥感が強い。
だんだん快感を楽しむなんて余裕がなくなってくる。
洋服を脱ぎ、ここではじめてキスと挿入以外で触れてもらった。
乳首が気持ちいい、まったく理性を保てないほど気持ちいい。
そのままベッドでまた抱かれる。
もう、無理『うわーーー』ってなりたい。
イッてもいいですか?!
抜いて、またフェラチオ。
何度やっても許可を得れば抜かれてしまう。
だんだん抜かれることが悲しくなってくる。
那智さんに入れてもらえているだけで気持ち良くてしあわせなんだもの、イカせてもらえないなら、それがすこしでも長くなっていたほうがいい。
快感を放出させたい。
でも、許可を得れば抜かれてしまう。
すこしでも長く、この快感と幸福を味わっていたい。
だから、イカないほうがいい。
イキたい、でも、イカせてもらえない、それなら、せめてイカないで長く那智さんに抱かれていたい。
パクパクと酸欠の金魚みたいに快感を引き延ばし、ピークを遅らせようと試みる。
でも、気持ちよすぎる。
わたしの体は快感を頂点に持っていきたくて、わたしの意思を無視する。
いつなんどきも、今日は許可を得なくていいよと言われない限りは、許可は得るのだ。
勝手にイケないのだ。
もう何年もずっと。
(あ、ひとりでするときは大丈夫^^)
それなのにわたしの体はもっとと快感を欲してピークを引き寄せる。
気持ちがいい、でも、これ以上気持ちよくなったら許可を得ないといけない、そうしたら、おしまいにされてしまう、すこしでも長くこうしていたいのに。
自分の意思と欲望がちぐはぐで、ジレンマに苦しむ。
でも、許可するのだ、それは決まり。
イッてもいいですか…?
ジレンマが、抜かれてしまうのが悲しくて、消え入りそうな声で許可を得る。
諦めと哀愁と自己憐憫のせつなすぎる許可。
あまりに自分がかわいそうで涙がこぼれる、なんて気持ちのいい被虐感。
那智さんは楽しそうにわたしの体から離れた。
これは『女の限界』をアップした後に会った日のこと。
あんなエントリーを書いたから、限界まで焦らされるだろうなということは想像していたけど(もしくは、あえて焦らさないかのどちらか 笑)、こういう方法を取られるとは思っていなかった。
焦らすとひと口に言っても、まあ、なかなかバリエーション豊かに楽しんでくれるなぁと思う。
「入れてください、触ってください」「ダメ〜」という焦らしは想像に容易いけど、これもいつも同じだと結局予定調和になってしまう。
焦らされることが成立するには、どうしても欲しいものがその先にあることを知っていることが必要だ。
さらに、その人じゃないと得ることができないものだとしたら、なおのこと、効果がある。
予定調和にならずいつまでも飽きないようにするために、さんざん快感を植え付けて、ときどき焦らし、今回のように途中までで引き返したり、それによりわたしは心から欲する快感や自己憐憫の快感やいろいろな種類の快感を味わわせてもらえる。
那智さんの『焦らす』はそれを成立させるまでの道のりとバリエーションを楽しんでいるようなのだ。
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COMMENT
この焦らしの感じ、大好きです( 〃▽〃)
私は『いきまくっていいぞ』って言われるより、『絶対にいくな、感じるな』って言われる方が感じちゃいます(笑)
この日は最後までこんな感じで終わりになったのですか??
私は『いきまくっていいぞ』って言われるより、『絶対にいくな、感じるな』って言われる方が感じちゃいます(笑)
この日は最後までこんな感じで終わりになったのですか??
奈々さん
ね〜、なんでかね〜、制限されるって感じるよね^^
自分が憐れで、よかったです(笑)
それで感じるわたしって歪んだ自己愛なんだろうな〜って思うのです^^
いえいえ、那智さんはけっこう『それだけ』ってしない人だから、このあとは自然に痛いこととかセックスに進んでいったはずですよ^^
ね〜、なんでかね〜、制限されるって感じるよね^^
自分が憐れで、よかったです(笑)
それで感じるわたしって歪んだ自己愛なんだろうな〜って思うのです^^
いえいえ、那智さんはけっこう『それだけ』ってしない人だから、このあとは自然に痛いこととかセックスに進んでいったはずですよ^^