敗北(としておこう)
非日常的な日常
優しく優しく抱かれて、「優しく抱かないで」と願ったことは叶わず。
それでも、たくさん泣いて抱き合って、落ち着きを取り戻していた。
(8/22「思わせぶりな予告」と8/23「天の邪鬼でアブノーマルな那智さん」の続きな感じで読んでくださいね。)
私としては、もうその願いはどうでも良いことになっていた。
那智さんも、同じだろう。
だからこそ、痛いことに発展したのだ。
私の願いを叶えるためにはじめたんじゃない、単に自分がしたいからだ。
那智さんも、心に一区切り付いたのだろう、本来したいと思っていたことをはじめたまでだ。
「大抵のことは我慢できる」散々豪語している私を降参させたいのだ。
痛いことを「痛い」と言うことが悪いことじゃない、むしろ素直だ。
でも、余程のことがない限り、声を上げないことが私の素直だ。
歯は、時に鋭利な凶器になる。
肉を噛み切ることができるくらいだもの。
いつものように、那智さんが私の乳首を口に含む。
もともと、優しい愛撫なんてほんの僅かな時間だ。
「柔らかい力と強い力」、交互に繰り返していき、しばらくしてからは、「強くとすごい強く」を繰り返していく。
洗濯バサミの痛さは潰されて乳首全体が痺れていくような痛さだけれど、歯で噛むのは僅かな一点だけに「切る」ような痛みが走る。
「強くとすごい強く」だったとしても、繰り返してもらうから、段々と慣れてきてそれで快感を得ることができるのだ。
でも、今日の那智さんは、その繰り返しをやめてしまったのだ。
ずっと「すごい強く」噛みっぱなしは、ずっとナイフで乳首を傷つけているように痛い。
それまでも「すごい痛い」波の時には、小さい声で「痛いです」と報告していた(あくまでも報告ね♪)。
それでも、繰り返しをしてくれなくなって、一点だけをぎゅーっと噛まれて、はじめていつもと違う雰囲気に気付いた。
痛い、切るように痛い。
食いちぎられてしまうのではないか、と思うほど痛い。
でも、きっといつものように、また揺り動かしてもらって、快感を味わうことができるだろう。
雰囲気の違いに怯えながらも、何度も大きく息を吐き、なんとか痛みをやり過ごそうとしてみる。
そのとき那智さんは、歯をギリギリと左右に動かしたのだ。
歯ぎしりをするように、噛み切れない硬いお肉と格闘するように。
「うわああああああああああああああああ」
こんなの我慢できない!!
声を上げずに我慢なんて、無理。
私は、我慢の限界をもっと遠くにしようと、ありったけの声を張り上げる。
やめてくださいの意思表示ではない、本当にやめてほしければ「痛すぎます」とセーフティーワードを言えばすむ。
声を上げて、気を紛らわしたのだ。
悲鳴を上げて、紛らわし、セーフティーワードを行使せず、「那智さんの良いように」と、またしても私の限界を那智さんに委ねたのだ。
だから、この痛みに耐えられるように、悲鳴を上げて受け入れたのだ。
私の脳内物質のドーパミン(ですよね?)があまりの痛さに放出されたのか、それとも、那智さんがこの悲鳴で、今日のところは納得して、快感になるようにシフトチェンジしてくれたのか。
それはわからないけど、おそらくその悲鳴を境に(記憶曖昧です・・)、痛いけど腰が振れるほど翻弄され快感に変わっていったのだ。
痛いです、痛いです、でも、いってもいいですか?
腰を振り、背中をのけ反らせていく。
もう自分がどれくらいの大きさの声を出しているのか、わからない。
痛くて悲鳴を上げた。
はじめてのことだった。
でも、気を紛らわすための声だったのだから、痛さに耐えられなかったわけではない。
なんてブログに書いてしまったから(「思わせぶりな予告」です)、もっと酷いことになっていくのですが、それはまた、別のお話。
その乳首は翌日もヒリヒリと痛み、恐ろしいやら嬉しいやら、を感じていました。
優しく優しく抱かれて、「優しく抱かないで」と願ったことは叶わず。
それでも、たくさん泣いて抱き合って、落ち着きを取り戻していた。
(8/22「思わせぶりな予告」と8/23「天の邪鬼でアブノーマルな那智さん」の続きな感じで読んでくださいね。)
私としては、もうその願いはどうでも良いことになっていた。
那智さんも、同じだろう。
だからこそ、痛いことに発展したのだ。
私の願いを叶えるためにはじめたんじゃない、単に自分がしたいからだ。
那智さんも、心に一区切り付いたのだろう、本来したいと思っていたことをはじめたまでだ。
「大抵のことは我慢できる」散々豪語している私を降参させたいのだ。
痛いことを「痛い」と言うことが悪いことじゃない、むしろ素直だ。
でも、余程のことがない限り、声を上げないことが私の素直だ。
歯は、時に鋭利な凶器になる。
肉を噛み切ることができるくらいだもの。
いつものように、那智さんが私の乳首を口に含む。
もともと、優しい愛撫なんてほんの僅かな時間だ。
「柔らかい力と強い力」、交互に繰り返していき、しばらくしてからは、「強くとすごい強く」を繰り返していく。
洗濯バサミの痛さは潰されて乳首全体が痺れていくような痛さだけれど、歯で噛むのは僅かな一点だけに「切る」ような痛みが走る。
「強くとすごい強く」だったとしても、繰り返してもらうから、段々と慣れてきてそれで快感を得ることができるのだ。
でも、今日の那智さんは、その繰り返しをやめてしまったのだ。
ずっと「すごい強く」噛みっぱなしは、ずっとナイフで乳首を傷つけているように痛い。
それまでも「すごい痛い」波の時には、小さい声で「痛いです」と報告していた(あくまでも報告ね♪)。
それでも、繰り返しをしてくれなくなって、一点だけをぎゅーっと噛まれて、はじめていつもと違う雰囲気に気付いた。
痛い、切るように痛い。
食いちぎられてしまうのではないか、と思うほど痛い。
でも、きっといつものように、また揺り動かしてもらって、快感を味わうことができるだろう。
雰囲気の違いに怯えながらも、何度も大きく息を吐き、なんとか痛みをやり過ごそうとしてみる。
そのとき那智さんは、歯をギリギリと左右に動かしたのだ。
歯ぎしりをするように、噛み切れない硬いお肉と格闘するように。
「うわああああああああああああああああ」
こんなの我慢できない!!
声を上げずに我慢なんて、無理。
私は、我慢の限界をもっと遠くにしようと、ありったけの声を張り上げる。
やめてくださいの意思表示ではない、本当にやめてほしければ「痛すぎます」とセーフティーワードを言えばすむ。
声を上げて、気を紛らわしたのだ。
悲鳴を上げて、紛らわし、セーフティーワードを行使せず、「那智さんの良いように」と、またしても私の限界を那智さんに委ねたのだ。
だから、この痛みに耐えられるように、悲鳴を上げて受け入れたのだ。
私の脳内物質のドーパミン(ですよね?)があまりの痛さに放出されたのか、それとも、那智さんがこの悲鳴で、今日のところは納得して、快感になるようにシフトチェンジしてくれたのか。
それはわからないけど、おそらくその悲鳴を境に(記憶曖昧です・・)、痛いけど腰が振れるほど翻弄され快感に変わっていったのだ。
痛いです、痛いです、でも、いってもいいですか?
腰を振り、背中をのけ反らせていく。
もう自分がどれくらいの大きさの声を出しているのか、わからない。
痛くて悲鳴を上げた。
はじめてのことだった。
でも、気を紛らわすための声だったのだから、痛さに耐えられなかったわけではない。
なんてブログに書いてしまったから(「思わせぶりな予告」です)、もっと酷いことになっていくのですが、それはまた、別のお話。
その乳首は翌日もヒリヒリと痛み、恐ろしいやら嬉しいやら、を感じていました。
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