生きること
独特な幸福感
那智さんの長期出張明けてはじめてのお休み。
長い出張の間、ほとんど声を聞くことは叶わなかった。
それでも文字では可能な限りかまってくれていたし、わたしも仕事や用事を入れたりしてなんとか過ごしていた。
『那智さんタイマー』なんていいながらもとりあえず良好な精神状態でいられたので、わたしも昔に比べたらずいぶん立派になったものです(笑)
で、やっと那智さんのお休み。
その前に一度夜会っているから『ひさしぶり』というわけではないけれど、肌を触れ合わせゆっくり過ごせるのは『ひさしぶり』だ。
流れは憶えていないので、おそらくいつもと変わらない流れで抱かれはじめたはずだ。
挿入されると、ああ、この感じはしあわせと思う。
那智さんに入れてもらうことは性的快感以外の愛情や父性や安堵や『あなたのもの』などのいろいろな要素が混ざり合うので、とても大切な時間なのだ。
それを見透かしたように
おまんこ、さみしかった?
と。
ああ、そうだ。
わたし、さみしかったのだ。
昔よりずいぶん立派になったといいつつも、こうやって那智さんに身を委ねる状態で自分を開示すると、わたしはさみしかったのだと気づく。
さみしかったです
と、しがみつく。
那智さんの意図はわからない。
シンプルに性的な意味で聞いたのかもしれない。
ただ、那智さんとわたしにとって『性的なこと』は、イコール『生きること』とつながっていると思っている。
ご飯を食べること、笑うこと、理解し合いたいと話し合うこと、好きなひとと生きていく営みのひとつ。
それが性癖に基づくか、欲情に駆られるか、癒し合うようなものかは究極的には関係なく、『那智さんに抱かれるすべて』がわたしたちにとって『生きること』の一部。
だから、那智さんに会えなければ『おまんこ、さみしい』のだ。
那智さんに入れてもらうときに感じるいろいろな要素と同じように『おまんこ、さみしい』にもいろいろな要素が含まれている。
会いたかったし、触れたかったし、お話ししたかったし、一緒にお酒飲みたかったし、抱かれたかった。
性的な意味と、それ以外のたくさんの『さみしかった』を、那智さんの言葉で実感して、わたしたちにとって性的なことも『生きること』の大事なひとつだなと再確認した。
エッチな自分を認められなかった頃に比べたら、こうやって思えることは、より『生きている』ようにも思えるのだ。
ところで、この問いかけ以降「イッてもいいですか?」の前に「おまんこ、さみしかったです」をつけないといけないことが、この日の那智さんのお遊びとなり、最初は促されてなんとかだったのが、観念して最終的には自ら『おまんこ、さみしかったです、イッてもいいですか』とオプションつきで申告するという、ものすごく恥ずかしい展開になっていった。
性的なこと=生きることなんて美しいことなんていわせてもらえないような、ただただ性的な展開になっていくのも、那智さんらしくて、わたしたちらしい、かな(笑)
那智さんの長期出張明けてはじめてのお休み。
長い出張の間、ほとんど声を聞くことは叶わなかった。
それでも文字では可能な限りかまってくれていたし、わたしも仕事や用事を入れたりしてなんとか過ごしていた。
『那智さんタイマー』なんていいながらもとりあえず良好な精神状態でいられたので、わたしも昔に比べたらずいぶん立派になったものです(笑)
で、やっと那智さんのお休み。
その前に一度夜会っているから『ひさしぶり』というわけではないけれど、肌を触れ合わせゆっくり過ごせるのは『ひさしぶり』だ。
流れは憶えていないので、おそらくいつもと変わらない流れで抱かれはじめたはずだ。
挿入されると、ああ、この感じはしあわせと思う。
那智さんに入れてもらうことは性的快感以外の愛情や父性や安堵や『あなたのもの』などのいろいろな要素が混ざり合うので、とても大切な時間なのだ。
それを見透かしたように
おまんこ、さみしかった?
と。
ああ、そうだ。
わたし、さみしかったのだ。
昔よりずいぶん立派になったといいつつも、こうやって那智さんに身を委ねる状態で自分を開示すると、わたしはさみしかったのだと気づく。
さみしかったです
と、しがみつく。
那智さんの意図はわからない。
シンプルに性的な意味で聞いたのかもしれない。
ただ、那智さんとわたしにとって『性的なこと』は、イコール『生きること』とつながっていると思っている。
ご飯を食べること、笑うこと、理解し合いたいと話し合うこと、好きなひとと生きていく営みのひとつ。
それが性癖に基づくか、欲情に駆られるか、癒し合うようなものかは究極的には関係なく、『那智さんに抱かれるすべて』がわたしたちにとって『生きること』の一部。
だから、那智さんに会えなければ『おまんこ、さみしい』のだ。
那智さんに入れてもらうときに感じるいろいろな要素と同じように『おまんこ、さみしい』にもいろいろな要素が含まれている。
会いたかったし、触れたかったし、お話ししたかったし、一緒にお酒飲みたかったし、抱かれたかった。
性的な意味と、それ以外のたくさんの『さみしかった』を、那智さんの言葉で実感して、わたしたちにとって性的なことも『生きること』の大事なひとつだなと再確認した。
エッチな自分を認められなかった頃に比べたら、こうやって思えることは、より『生きている』ようにも思えるのだ。
ところで、この問いかけ以降「イッてもいいですか?」の前に「おまんこ、さみしかったです」をつけないといけないことが、この日の那智さんのお遊びとなり、最初は促されてなんとかだったのが、観念して最終的には自ら『おまんこ、さみしかったです、イッてもいいですか』とオプションつきで申告するという、ものすごく恥ずかしい展開になっていった。
性的なこと=生きることなんて美しいことなんていわせてもらえないような、ただただ性的な展開になっていくのも、那智さんらしくて、わたしたちらしい、かな(笑)
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