徒然に『未完成のノート』
独り言
このブログ『等式』は6月30日をもちまして閉鎖します。
詳しくは『unfinished note』をご覧ください。
(このお知らせ毎エントリー冒頭に貼ります)
「閉じる」とはいったけど、「書かない」とはいっていないので(笑)
6月30日までマイペースで更新していきますよ~。
閉じますエントリーを書いてからたくさんのコメントやメールをいただいて、うれしいやら申し訳ないやら、複雑です。
(それでもやっぱり、ありがたい^^)
あらためて、ネットの世界にわたしが存在していることによる疲弊ってなんだろうかと。
わたしがネットに触れるようになってほとんどすぐにブログを立ち上げたので、わたしのネット経験はほぼ『りん子(もしくは旧HN)』です。
だから、それ以外の立場でネットにいたら、心にどんなメリット、デメリットがあるか実感できないのだけど。
わたしは、このネットの世界で全部書いてきました。
それは那智さんがかかげた指針。
出来事を全部書くことは不可能だけど、そういう意味の全部ではなくて、自分の都合のいいことだけ書くのではなく、イタイことや恥ずかしいことや、那智さんのマイナスを書くこと。
そういった意味の『全部』。
全部書くことで、すこしでもわたしたちがリアルに存在していると思ってほしかったし、全部書いたほうが信憑性や説得力があるというのが那智さんの指針でした。
この指針はわたしの歯止めを外してくれて、おもしろいほど感性を溢れさせてくれました。
また、生い立ちやぐるぐるを書くことで共感を得ることもできたし、生意気な主張も遠慮なく書くことで誰かのヒントにもなったと思います。
これだけ書いているりん子のいうことだから、と皆さんの読む意識もすこし違っていたのではないかなとも想像します。
なにかあっても『わたしは全部書いている』という自負は、ものすごい強い味方になってくれていました。
反面。
全部書くということは生い立ちもぐるぐるも性的なこともノロケも公にするということだから、クローゼットと本棚と冷蔵庫と入浴シーンをずっと見せているようなものだったりもするので、それはやっぱり疲弊するよね、とも思います。
たとえばSMだけ、ノロケだけとかお仕事ブログとかだったら、この疲弊は少ないのかな、それがわからないのだけどね。
とにかく、ガチンコでした(笑)
とはいえ、この全部書くブログにお付き合いいただいた皆さんも、ガチンコでしたよね^^;
あらためて、感謝と『お疲れさまでした』な気持ちです^^
そうそう、最近過去エントリーにたくさん拍手をいただきます。
きっと読み返してくれたひとが押してくれているのですよね。
懐かしいエントリーもあって、とってもうれしいです。
『ずーっと ずっと だいすきだよ』っていうお話、ご存知ですか。
飼っていた犬が死んでしまうお話。
家族はみんな悲しんでいるけど、『ぼく』はそれほど悲しくない、それは毎日『だいすき』って伝えていたからっていうようなお話。
伝えることは『悔いを残さない』有効な手段だと思います。
どうぞ、いまのうちです(笑)
拍手でもコメントでもどんどんくださいね!
未完成は切なくていいけれど、お互いに悔いのないように^^
あともう少し、お付き合いくださいませ^^
「等式」感想です。「全部書く」は尊いです。炎上した時もその考え方や行為を信じて貰えたのですから。「ずっと ずっーと大好きたよ」のお話はどうなのでしょう。悔いがあるのと無いのとどちらが幸福なのか。そう言えば、りん子は最近「私のこと好き」「どこが好き」と聞かなくなったような。(笑)
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「閉じる」とはいったけど、「書かない」とはいっていないので(笑)
6月30日までマイペースで更新していきますよ~。
閉じますエントリーを書いてからたくさんのコメントやメールをいただいて、うれしいやら申し訳ないやら、複雑です。
(それでもやっぱり、ありがたい^^)
あらためて、ネットの世界にわたしが存在していることによる疲弊ってなんだろうかと。
わたしがネットに触れるようになってほとんどすぐにブログを立ち上げたので、わたしのネット経験はほぼ『りん子(もしくは旧HN)』です。
だから、それ以外の立場でネットにいたら、心にどんなメリット、デメリットがあるか実感できないのだけど。
わたしは、このネットの世界で全部書いてきました。
それは那智さんがかかげた指針。
出来事を全部書くことは不可能だけど、そういう意味の全部ではなくて、自分の都合のいいことだけ書くのではなく、イタイことや恥ずかしいことや、那智さんのマイナスを書くこと。
そういった意味の『全部』。
全部書くことで、すこしでもわたしたちがリアルに存在していると思ってほしかったし、全部書いたほうが信憑性や説得力があるというのが那智さんの指針でした。
この指針はわたしの歯止めを外してくれて、おもしろいほど感性を溢れさせてくれました。
また、生い立ちやぐるぐるを書くことで共感を得ることもできたし、生意気な主張も遠慮なく書くことで誰かのヒントにもなったと思います。
これだけ書いているりん子のいうことだから、と皆さんの読む意識もすこし違っていたのではないかなとも想像します。
なにかあっても『わたしは全部書いている』という自負は、ものすごい強い味方になってくれていました。
反面。
全部書くということは生い立ちもぐるぐるも性的なこともノロケも公にするということだから、クローゼットと本棚と冷蔵庫と入浴シーンをずっと見せているようなものだったりもするので、それはやっぱり疲弊するよね、とも思います。
たとえばSMだけ、ノロケだけとかお仕事ブログとかだったら、この疲弊は少ないのかな、それがわからないのだけどね。
とにかく、ガチンコでした(笑)
とはいえ、この全部書くブログにお付き合いいただいた皆さんも、ガチンコでしたよね^^;
あらためて、感謝と『お疲れさまでした』な気持ちです^^
そうそう、最近過去エントリーにたくさん拍手をいただきます。
きっと読み返してくれたひとが押してくれているのですよね。
懐かしいエントリーもあって、とってもうれしいです。
『ずーっと ずっと だいすきだよ』っていうお話、ご存知ですか。
飼っていた犬が死んでしまうお話。
家族はみんな悲しんでいるけど、『ぼく』はそれほど悲しくない、それは毎日『だいすき』って伝えていたからっていうようなお話。
伝えることは『悔いを残さない』有効な手段だと思います。
どうぞ、いまのうちです(笑)
拍手でもコメントでもどんどんくださいね!
未完成は切なくていいけれど、お互いに悔いのないように^^
あともう少し、お付き合いくださいませ^^
「等式」感想です。「全部書く」は尊いです。炎上した時もその考え方や行為を信じて貰えたのですから。「ずっと ずっーと大好きたよ」のお話はどうなのでしょう。悔いがあるのと無いのとどちらが幸福なのか。そう言えば、りん子は最近「私のこと好き」「どこが好き」と聞かなくなったような。(笑)
ここで一句
独特な幸福感
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詳しくは『unfinished note』をご覧ください。
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那智さんのお仕事環境が変わった。
新しい事務所にお引越したのだ。
引越前に新しいオフィスを見せてもらった。
まだ什器が入らないオフィスは広くてキレイで、なかなかたのしい!
「ひゃ~」とドアのところですでにテンション上々。
那智さん、すごい、すごい
キレイですね!!
はあ
新しくて!!
まあね
広そうだし!!
何も入ってないからね
キレイだし!!
まあ、いまのうちはね
すごい、すごい!!
そんないってもねぇ
…
はたと動き止める。
真顔。
那智さん?
わたしがはしゃいだほうが楽しいでしょ?
そんなお返事ばかりだと、さすがにはしゃぎ続けられませんよ
新しいオフィスは楽しい。
これは本当の気持ち。
だけど、行く先行く先テンション下げな返答ばかりだと、無理(笑)
楽しいテンションには、多少のガソリンは必要です。
まあ、感情表現に上下のない那智さんらしいといえば、そうだけど、伝えたほうがよいときは伝えます。
そんなお返事ばかりだと、さすがにはしゃぎ続けられませんよ(笑)
そ~だね~(笑)
キレイだね~(笑)
と乗ってくれて、両手を取って『ゆさゆさ』してくれた。
けして、不機嫌にならず、でも、伝えるべきことは伝える。
それにちゃんと答えてくれる。
そして、『ゆさゆさ』遊んでくれたら満足する。
このキャッチボールも気持ちいい。
大事なことです^^
ここで一句
いつまでも あると思うな よい反応
なのです(笑)
「等式」感想です。わかっているのですが、共感のたのしさや一体感。乗らなすぎたのは認めますが、恥ずかしかったかな。少し自慢したい気持ちもあり「男の子」の感覚でした。御手数お掛け致します❗(笑)
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那智さんのお仕事環境が変わった。
新しい事務所にお引越したのだ。
引越前に新しいオフィスを見せてもらった。
まだ什器が入らないオフィスは広くてキレイで、なかなかたのしい!
「ひゃ~」とドアのところですでにテンション上々。
那智さん、すごい、すごい
キレイですね!!
はあ
新しくて!!
まあね
広そうだし!!
何も入ってないからね
キレイだし!!
まあ、いまのうちはね
すごい、すごい!!
そんないってもねぇ
…
はたと動き止める。
真顔。
那智さん?
わたしがはしゃいだほうが楽しいでしょ?
そんなお返事ばかりだと、さすがにはしゃぎ続けられませんよ
新しいオフィスは楽しい。
これは本当の気持ち。
だけど、行く先行く先テンション下げな返答ばかりだと、無理(笑)
楽しいテンションには、多少のガソリンは必要です。
まあ、感情表現に上下のない那智さんらしいといえば、そうだけど、伝えたほうがよいときは伝えます。
そんなお返事ばかりだと、さすがにはしゃぎ続けられませんよ(笑)
そ~だね~(笑)
キレイだね~(笑)
と乗ってくれて、両手を取って『ゆさゆさ』してくれた。
けして、不機嫌にならず、でも、伝えるべきことは伝える。
それにちゃんと答えてくれる。
そして、『ゆさゆさ』遊んでくれたら満足する。
このキャッチボールも気持ちいい。
大事なことです^^
ここで一句
いつまでも あると思うな よい反応
なのです(笑)
「等式」感想です。わかっているのですが、共感のたのしさや一体感。乗らなすぎたのは認めますが、恥ずかしかったかな。少し自慢したい気持ちもあり「男の子」の感覚でした。御手数お掛け致します❗(笑)
目に見えないものの価値
独り言
このブログ『等式』は6月30日をもちまして閉鎖します。
詳しくは『unfinished note』をご覧ください。
すこし混み気味の電車のつり革につかまっていたら、後ろで若い男の子の会話が聞こえてきた。
最初にうちは内容が耳に入ってこなかったけど、1人がとにかくしゃべるまくっていて雰囲気的に『人を見下している内容』であることは伝わってきていた。
たしか、就活とかそういう感じの話だったかな、とにかく『学歴』や『収入』が軸になっていたように思う。
若い男の子がなんだか必死だなとスルーしていたのだけど、そのうち、女性の話題になっていって、さらに耳がダンボになってしまった。
どうやら共通の知り合いがSNS上で上げる画像について文句をいっているみたい。
アイツがどんなに顔作ったって、ふざけんなって感じだよな
◯くらい可愛かったら許せるけど
と、延々と女性の容姿について悪口をいっている。
一緒の男の子は
でも、努力してるだけエラくない?
とちょっとフォローするけど、ぜんぜんダメ。
ええ?!お前、アイツのこといいと思ってんの?(笑)
と、フォローする男の子まで否定するように仕向けている。
どうして、容姿とか年収とか目に見えるもので計り、それがエラいと主張するほうが強気でいてしまえる世の中なんだろう。
フォローしてる子、がんばれ!!と思わず思ってしまう。
(まあ、この子も『努力したら愛する』って発想はアウトだけど)
ったく、何様のつもりだろう。
あんたのために顔作ってるんじゃないよと心の中で毒づいていたら、有名大学がある駅で二人は降りていった(そこの学生かどうかは不明だけど)
あの男の子は知らないんだろうか。
心が通じ合う関係の幸福を。
互いに悪意はないという前提で、自分の気持ちを伝え受け止めてもらって、相手の気持ちに共感する。
くすくすと笑い合ったり、まじめに話したり、許し合ったり、他人同士がそうじゃなくなっていくような一体感の代え難い幸福。
それに見た目や年齢は関係ない。
もちろん外見の『好み』があることは否定しないし、好みであるほうがいいこともわかっている。
だけど、心が通じ合う幸福は見た目で選んでいた知ることが困難な幸福である。
那智さんは、わたしと出会ったとき数年後のわたしが40代になったときに抱きたいと思っているか、じつは心配していた。
(エントリーになってるけど、危惧することと先に伝える那智さんなりの優しさ←すったもんだしたけど 笑)
10年以上経ち。
その危惧していた40代もそろそろおしまいの頃になっても、まだ那智さんはわたしと『やりたい』と思っている。
那智さんはわたしの見た目も好いてくれていると思うけど、いま『やりたい』と思い続けているのはきっと見た目の力ではない。
ひとは、尊重し合うひとと心が溶け合うような一体感を感じられる関係を築いていたら、そのひととするセックスは気持ちいいのだ。
まだ、その域にには到達してないけど(笑)、いつか枯れる日が来たとしても、抱き合うだけでも幸福なはず。
もしかしたら、あの男の子の環境もそういう尺度で計るものだったのかもしれないね。
そんな想像をして、目に見えないものを見て感じられる大人になれるといいね~と大きなお世話で電車に揺られていた。
「等式」感想です。「やりたい」気持ちは、文字通り「やりたい」と「やってあげたい」(喜んで欲しい)「やって貰いたい」(喜びたい)の総称だと思えたら幸せだと思う。あとは、話してわかりあえたら不足なく幸せだと思う。
このブログ『等式』は6月30日をもちまして閉鎖します。
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すこし混み気味の電車のつり革につかまっていたら、後ろで若い男の子の会話が聞こえてきた。
最初にうちは内容が耳に入ってこなかったけど、1人がとにかくしゃべるまくっていて雰囲気的に『人を見下している内容』であることは伝わってきていた。
たしか、就活とかそういう感じの話だったかな、とにかく『学歴』や『収入』が軸になっていたように思う。
若い男の子がなんだか必死だなとスルーしていたのだけど、そのうち、女性の話題になっていって、さらに耳がダンボになってしまった。
どうやら共通の知り合いがSNS上で上げる画像について文句をいっているみたい。
アイツがどんなに顔作ったって、ふざけんなって感じだよな
◯くらい可愛かったら許せるけど
と、延々と女性の容姿について悪口をいっている。
一緒の男の子は
でも、努力してるだけエラくない?
とちょっとフォローするけど、ぜんぜんダメ。
ええ?!お前、アイツのこといいと思ってんの?(笑)
と、フォローする男の子まで否定するように仕向けている。
どうして、容姿とか年収とか目に見えるもので計り、それがエラいと主張するほうが強気でいてしまえる世の中なんだろう。
フォローしてる子、がんばれ!!と思わず思ってしまう。
(まあ、この子も『努力したら愛する』って発想はアウトだけど)
ったく、何様のつもりだろう。
あんたのために顔作ってるんじゃないよと心の中で毒づいていたら、有名大学がある駅で二人は降りていった(そこの学生かどうかは不明だけど)
あの男の子は知らないんだろうか。
心が通じ合う関係の幸福を。
互いに悪意はないという前提で、自分の気持ちを伝え受け止めてもらって、相手の気持ちに共感する。
くすくすと笑い合ったり、まじめに話したり、許し合ったり、他人同士がそうじゃなくなっていくような一体感の代え難い幸福。
それに見た目や年齢は関係ない。
もちろん外見の『好み』があることは否定しないし、好みであるほうがいいこともわかっている。
だけど、心が通じ合う幸福は見た目で選んでいた知ることが困難な幸福である。
那智さんは、わたしと出会ったとき数年後のわたしが40代になったときに抱きたいと思っているか、じつは心配していた。
(エントリーになってるけど、危惧することと先に伝える那智さんなりの優しさ←すったもんだしたけど 笑)
10年以上経ち。
その危惧していた40代もそろそろおしまいの頃になっても、まだ那智さんはわたしと『やりたい』と思っている。
那智さんはわたしの見た目も好いてくれていると思うけど、いま『やりたい』と思い続けているのはきっと見た目の力ではない。
ひとは、尊重し合うひとと心が溶け合うような一体感を感じられる関係を築いていたら、そのひととするセックスは気持ちいいのだ。
まだ、その域にには到達してないけど(笑)、いつか枯れる日が来たとしても、抱き合うだけでも幸福なはず。
もしかしたら、あの男の子の環境もそういう尺度で計るものだったのかもしれないね。
そんな想像をして、目に見えないものを見て感じられる大人になれるといいね~と大きなお世話で電車に揺られていた。
「等式」感想です。「やりたい」気持ちは、文字通り「やりたい」と「やってあげたい」(喜んで欲しい)「やって貰いたい」(喜びたい)の総称だと思えたら幸せだと思う。あとは、話してわかりあえたら不足なく幸せだと思う。
怖がりは損か?1
独り言
このブログ『等式』は6月30日をもちまして閉鎖します。
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わたしが怖がりだということは何度か書いている。
お化けも夜道も歯医者も怖い。
お化け屋敷では那智さんが恐ろしがるほど怖がった(恐ろしいほどの怖がりようって^^;)
あらためて、思い返すと『怖がる』って、怖い事実に直面しての反応と想像しての反応とふたつあるよね。
お化け屋敷でお化けの人形が出てきたら直面して怖がるで、角を曲がったらお化けがいるかもというのは想像だ。
で、他の人の割合いはわからないけど、わたしはどうやら『想像』のほうでもかなりの怖がりのようなのだ。
痛みには弱くないので出産のときなんかはほとんど声出さずにいたくせに、歯医者で麻酔するかも?の想像だけで怯えるのだもの、想像怖がりもかなりなものらしい。
この想像怖がりは人生をそれなりに損しているように思う。
我が子がまだ10才をすこしすぎたころ。
友人親子と出かけた南の島の旅先で体験ダイビングをした。
もともとわたしはあれこれアクティブな性格ではないので、自分だけだったらただ海でのんびりを選んでしまうところだけど、いろいろ計画してくれた友人の企画に乗っかって、らしくないものに手を出してしまった(笑)
体験ダイビングだから、そんなに無理はしないし、インストラクターがついていてくれるし、耳抜きもうまくできた。
じつは、わたし、案外泳げるので問題なく臨めるはず。
浜辺と海面に浮かびながら呼吸の練習をしてインストラクターについて潜っていく。
あれ、ちょっとドキドキ?
ふたりひと組み、バディを組むのは親子でということになったので我が子と手を繋いで透明な水の中。
魚を見つけアイコンタクトで確認しあう。
手を繋いだまま、魚のほうに泳いでいく。
我が子はこれからどんどん大きくなっていく。
こんなふうに手を繋ぐのはこれが最後かもしれないな。
ずーっと手を繋いできた数々の景色を思い出して、ちょっぴり切ない気持ちになる。
小さい頃より大きくなった握る手を感じて、この瞬間を憶えておこうと思っていた。
ふと頭上に目を目を向けると自分の背丈ほど上にキラキラ光る海面が見える。
キレイ!!
我が子にも「上見て!!」と指を指す。
指と同じほうを見上げる我が子と意識が繋がっているような錯覚。
キレイだなぁ。
(ああ、でも、ってことはここは海の中…)
息できてるよね?
スーハーと教えてもらった呼吸をくり返してみる。
うん、大丈夫。
そんなことより、我が子との手を大事にしたい。
あれ?ちょっとみんなから離れてる?
どうしよう、いま酸素が来なくなったら?
大丈夫、大丈夫、すぐそこ海面だから。
打ち消す。
怖くない、怖くない。
我が子との海を楽しむ気持ちの隅のほうで、酸素が来なくなるわたし、海面に上がれず無酸素状態のわたし(上がれない理由は特にない^^;)がじわじわ膨らんできてしまう。
ああ、ダメ、苦しい。
息はちゃんとできているのに、苦しくてしょうがなくなってくる。
怖い想像をしてしまったら、ドキドキが増えていって息はできているはずなのに苦しくなってしまった。
インストラクターに連れられて一旦海面に上がり、呼吸を整えて(呼吸のやり方は問題なし)みたけれど、無自覚の恐怖からの苦しさは治まってくれず、結局途中でリタイヤしてしまった。
我が子、ごめん。
幸い我が子はインストラクターと組んでもらって、最後の最後まで海の中を楽しんだようだけど、貴重な手を繋ぐ時間を己の怖がりのせいで無駄にしてしまった。
こんなことに遭遇すると怖がりは損をしているように思うのだ。
ところで、ダイビングをした海は、その周辺に数戸しか住民がいない集落の海だった。
友達が探した地元のインストラクターがやってるこのツアーは観光地化していない秘密の場所を教えてくれたのだ。
周囲にはなにもなく、わたしたちしかいないかった。
いままでわたしが見てきたどの海とも違っていた。
先にギブアップしてインストラクターと知り合いという集落のご夫婦のお宅のガレージで休ませてもらう。
現役引退後、この島に移り住み手作りアクセサリーを売って犬と一緒に暮らしているご夫婦だった。
犬にきゃんきゃん吠えられて、またビクッとしながら、お茶とお茶請けに黒砂糖を出していただいた。
ビンに詰め込まれた黒砂糖の小さな塊をガリガリと齧る。
海に入って疲労した体と心に温かいお茶と黒砂糖が沁みてくよう。
我が子、ごめんよ。
手を繋いでいたかったな。
我が子の初体験の時間を一緒にすごしていたかったな。
わたしがいなくて不安じゃないかな(これは杞憂に終わったけど^_^;)
ちょっと残念だし、ごめん。
でも、目の前には無人の浜、太陽の日差しとは対照的な涼しいガレージでビールケースのテーブルに載せた黒砂糖をほおばり、プラスチックの椅子に体を預けて目をつぶる時間は、それなりに味わい深かくて、怖がりは損だけど、怖がりだから知ることができる景色もあるよね、とも思うのでした。
ダイビング終わった友人に隠し撮りされたぐったりしているわたし(笑)
このブログ『等式』は6月30日をもちまして閉鎖します。
詳しくは『unfinished note』をご覧ください。
わたしが怖がりだということは何度か書いている。
お化けも夜道も歯医者も怖い。
お化け屋敷では那智さんが恐ろしがるほど怖がった(恐ろしいほどの怖がりようって^^;)
あらためて、思い返すと『怖がる』って、怖い事実に直面しての反応と想像しての反応とふたつあるよね。
お化け屋敷でお化けの人形が出てきたら直面して怖がるで、角を曲がったらお化けがいるかもというのは想像だ。
で、他の人の割合いはわからないけど、わたしはどうやら『想像』のほうでもかなりの怖がりのようなのだ。
痛みには弱くないので出産のときなんかはほとんど声出さずにいたくせに、歯医者で麻酔するかも?の想像だけで怯えるのだもの、想像怖がりもかなりなものらしい。
この想像怖がりは人生をそれなりに損しているように思う。
我が子がまだ10才をすこしすぎたころ。
友人親子と出かけた南の島の旅先で体験ダイビングをした。
もともとわたしはあれこれアクティブな性格ではないので、自分だけだったらただ海でのんびりを選んでしまうところだけど、いろいろ計画してくれた友人の企画に乗っかって、らしくないものに手を出してしまった(笑)
体験ダイビングだから、そんなに無理はしないし、インストラクターがついていてくれるし、耳抜きもうまくできた。
じつは、わたし、案外泳げるので問題なく臨めるはず。
浜辺と海面に浮かびながら呼吸の練習をしてインストラクターについて潜っていく。
あれ、ちょっとドキドキ?
ふたりひと組み、バディを組むのは親子でということになったので我が子と手を繋いで透明な水の中。
魚を見つけアイコンタクトで確認しあう。
手を繋いだまま、魚のほうに泳いでいく。
我が子はこれからどんどん大きくなっていく。
こんなふうに手を繋ぐのはこれが最後かもしれないな。
ずーっと手を繋いできた数々の景色を思い出して、ちょっぴり切ない気持ちになる。
小さい頃より大きくなった握る手を感じて、この瞬間を憶えておこうと思っていた。
ふと頭上に目を目を向けると自分の背丈ほど上にキラキラ光る海面が見える。
キレイ!!
我が子にも「上見て!!」と指を指す。
指と同じほうを見上げる我が子と意識が繋がっているような錯覚。
キレイだなぁ。
(ああ、でも、ってことはここは海の中…)
息できてるよね?
スーハーと教えてもらった呼吸をくり返してみる。
うん、大丈夫。
そんなことより、我が子との手を大事にしたい。
あれ?ちょっとみんなから離れてる?
どうしよう、いま酸素が来なくなったら?
大丈夫、大丈夫、すぐそこ海面だから。
打ち消す。
怖くない、怖くない。
我が子との海を楽しむ気持ちの隅のほうで、酸素が来なくなるわたし、海面に上がれず無酸素状態のわたし(上がれない理由は特にない^^;)がじわじわ膨らんできてしまう。
ああ、ダメ、苦しい。
息はちゃんとできているのに、苦しくてしょうがなくなってくる。
怖い想像をしてしまったら、ドキドキが増えていって息はできているはずなのに苦しくなってしまった。
インストラクターに連れられて一旦海面に上がり、呼吸を整えて(呼吸のやり方は問題なし)みたけれど、無自覚の恐怖からの苦しさは治まってくれず、結局途中でリタイヤしてしまった。
我が子、ごめん。
幸い我が子はインストラクターと組んでもらって、最後の最後まで海の中を楽しんだようだけど、貴重な手を繋ぐ時間を己の怖がりのせいで無駄にしてしまった。
こんなことに遭遇すると怖がりは損をしているように思うのだ。
ところで、ダイビングをした海は、その周辺に数戸しか住民がいない集落の海だった。
友達が探した地元のインストラクターがやってるこのツアーは観光地化していない秘密の場所を教えてくれたのだ。
周囲にはなにもなく、わたしたちしかいないかった。
いままでわたしが見てきたどの海とも違っていた。
先にギブアップしてインストラクターと知り合いという集落のご夫婦のお宅のガレージで休ませてもらう。
現役引退後、この島に移り住み手作りアクセサリーを売って犬と一緒に暮らしているご夫婦だった。
犬にきゃんきゃん吠えられて、またビクッとしながら、お茶とお茶請けに黒砂糖を出していただいた。
ビンに詰め込まれた黒砂糖の小さな塊をガリガリと齧る。
海に入って疲労した体と心に温かいお茶と黒砂糖が沁みてくよう。
我が子、ごめんよ。
手を繋いでいたかったな。
我が子の初体験の時間を一緒にすごしていたかったな。
わたしがいなくて不安じゃないかな(これは杞憂に終わったけど^_^;)
ちょっと残念だし、ごめん。
でも、目の前には無人の浜、太陽の日差しとは対照的な涼しいガレージでビールケースのテーブルに載せた黒砂糖をほおばり、プラスチックの椅子に体を預けて目をつぶる時間は、それなりに味わい深かくて、怖がりは損だけど、怖がりだから知ることができる景色もあるよね、とも思うのでした。
ダイビング終わった友人に隠し撮りされたぐったりしているわたし(笑)
怖がりは損か?2
非日常的な日常
このブログ『等式』は6月30日をもちまして閉鎖します。
詳しくは『unfinished note』をご覧ください。
この部屋には拘束器具がある。
椅子の背と足に拘束具がついていて、両手両足を固定できるのだ。
何度か入ったことがあったけど、使ったことはなかった。
今日はこれで遊んであげるね~
なんだか『ザ SM』っぽくて気恥ずかしい。
裸になり椅子に座る。
スナップボタンが鋲のように並ぶ幅広いベルト、両手両足を合皮のベルトの拘束具で留めていく。
すぐ外れないかな(笑)
パチン、パチンと留めながら那智さんが笑う。
3つか4つが一列になって留めるので、「そう簡単には取れないのではないですか」と返事をする。
右手のほうがキツいなとすこし不安になる。
那智さんに出会う前の人で痺れてから、拘束するときの心配が拭い去れない。
それでも、那智さんの前で無防備になることは、恥ずかしくて恥ずかしくて、うれしいっていえないくらい恥ずかしい。
両足は閉じることはできないけど精一杯膝を近づける。
慈しみのキスの後、乳首をつまむ。
いつもの感じとちょっと痛く。
手は下半身にも移動して触る。
ああ、気持ちいい。
しばらくしてイキそうになるから「イッてもいいですか?」と聞くとすっと手を離される。
これの何回もくり返す。
「もう、そんなことしていたら、勝手にイッちゃいますよ!!」と文句をいう。
いいよ(笑)
そこから、触らずにイク遊びがはじまる。
イキそうというところで指を離す。
小さな余韻のような『イク』を数回。
那智さん、これじゃ、ちゃんとイケませんー!!
ジタバタ。
それでも何度もくり返しているうちに体がなにかを習得してきたようだ。
「イッてもいいですか?」の後、サッと指を引かれてから大きなエクスタシー。
しかも、電マのときのような波状のもの。
何も触れていないのに絶頂で体を震わせる自分を、なんだかウソっぽいAVみたいだなと思う。
次は電マ。
さっきイッたから、すでに敏感になっているので苦しくなりそうで、すこし怖い。
最初は弱い力。
イキそうでイケないから「それだとイケそうにありません」と伝えると強くなった。
ああああ、無理。
怖い。
電マの強烈なパワーを受けるためには、ある程度自由でないと怖いのだ。
(鞭も一緒)
いつも枕をお守りに抱き、場合によっては体勢を調整して苦しさを逃がすような自由がほしい。
両手両足拘束されていたら、不自由だ。
それが怖い。
そんなことおかまいなしに、わたしの体は次々エクスタシーを迎える。
那智さん、無理です!!
といいながらイク。
拘束具がぎゃんぎゃんなるほど大暴れ。
いいね~
遊んでもらってうれしいね~
那智さんもおかまいなし。
体から汗が吹き出る。
那智さん、怖い、怖い
そういいながら何度もイク。
怖いね~
いや!!那智さん、やったことないこと、怖い!!
わたしは未知のものが怖いのだ。
滑り台で遊んでもらってるみたいだね~
何度目かのエクスタシーの後、すごい波がきた。
腰が浮き、手首の拘束具で体を支え、はじめての体勢ではじめの感覚でイク。
ああ、もうわたし、どうにかなりそう。
怖い、怖い。
このまま快感に落ちるもの怖いし、もし快感になれなくて苦しいだけになっても怖い。
知らないことは怖い。
那智さん、怖い!!
そう叫ぶ、わたしの心は本当に怖がっている。
でも、本当に怖いのに、那智さんがくれる恐怖は、極々わずかに疼く。
ああ、そんな冷静な分析なんて無意味なほど快感と苦しさの頂点から真っ逆さまに落ちるような感覚に、ただ『怖い』としかいえなかった。
(この先が怖い、でも、この先はどうなるの?)
そんなもうひとりのわたしの声がどこかで聞こえたような錯覚。
でも、わたしは怖いと叫び、涙が零れている。
那智さんも『もう充分』と判断したのだろう。
涙が滲んだところでおしまいになった。
那智さんは基本、わたしを怖がらせたいとは思っていない。
それは、わたしが快感に恐怖はないほうがいいと思っているわたしの気持ちと合っている。
恐怖を快感に変えられるほど、わたしは怖さに強くない。
だから、怖がったら(那智さんの判断で)やめてもらえないと、いつまでも委ねるときに恐怖が邪魔をしてしまいそうなので、やめてもらえるほうがありがたい。
わたしが、もう少し怖さに強かったら、その先を見ることができるかもしれないと思うと、怖がりは損かもしれないと思う。
ただ、怖がりだからこそ真剣に怖いと思えるし、その先の恐怖に怯え、快感とはいえない疼きを知ることができる。
そして、なにより『滑り台で遊んでもらっている』という那智さんの言葉の通り、この行為が那智さんの手のひらでコロコロ遊んでもらっているという目で見れば、高い滑り台に連れていかれて「お父さん、怖い~~;;」とべそかいて、「怖かったね~、でも、楽しかったね~」の黄金パターンを味わえるわけだ(笑)
怖いと真剣に暴れられることや、流す涙の甘さは怖がりだからこそのメリットかもしれないね^^
「等式」感想です。痛くて泣くのではなく、怖くて泣くのです。
りん子の恐怖は私も恐く、私自身がそれがトラウマになっているからかもしれません。(笑)だから、「怖さ」に対しては「よしよし、大丈夫だよ。」のスタンスが必要になります。
りん子が関連エントリーを下記に入れてくれるかな?
りん子(^-^)SM界隈で『怯える姿』や『怖がる様子』を楽しむS男性をお見受けしますが、本当に恐怖におののく女を甘くみてはいけないよ。
手に負える程度の怖がり方は予定調和ってことです(笑)
絶叫2
このブログ『等式』は6月30日をもちまして閉鎖します。
詳しくは『unfinished note』をご覧ください。
この部屋には拘束器具がある。
椅子の背と足に拘束具がついていて、両手両足を固定できるのだ。
何度か入ったことがあったけど、使ったことはなかった。
今日はこれで遊んであげるね~
なんだか『ザ SM』っぽくて気恥ずかしい。
裸になり椅子に座る。
スナップボタンが鋲のように並ぶ幅広いベルト、両手両足を合皮のベルトの拘束具で留めていく。
すぐ外れないかな(笑)
パチン、パチンと留めながら那智さんが笑う。
3つか4つが一列になって留めるので、「そう簡単には取れないのではないですか」と返事をする。
右手のほうがキツいなとすこし不安になる。
那智さんに出会う前の人で痺れてから、拘束するときの心配が拭い去れない。
それでも、那智さんの前で無防備になることは、恥ずかしくて恥ずかしくて、うれしいっていえないくらい恥ずかしい。
両足は閉じることはできないけど精一杯膝を近づける。
慈しみのキスの後、乳首をつまむ。
いつもの感じとちょっと痛く。
手は下半身にも移動して触る。
ああ、気持ちいい。
しばらくしてイキそうになるから「イッてもいいですか?」と聞くとすっと手を離される。
これの何回もくり返す。
「もう、そんなことしていたら、勝手にイッちゃいますよ!!」と文句をいう。
いいよ(笑)
そこから、触らずにイク遊びがはじまる。
イキそうというところで指を離す。
小さな余韻のような『イク』を数回。
那智さん、これじゃ、ちゃんとイケませんー!!
ジタバタ。
それでも何度もくり返しているうちに体がなにかを習得してきたようだ。
「イッてもいいですか?」の後、サッと指を引かれてから大きなエクスタシー。
しかも、電マのときのような波状のもの。
何も触れていないのに絶頂で体を震わせる自分を、なんだかウソっぽいAVみたいだなと思う。
次は電マ。
さっきイッたから、すでに敏感になっているので苦しくなりそうで、すこし怖い。
最初は弱い力。
イキそうでイケないから「それだとイケそうにありません」と伝えると強くなった。
ああああ、無理。
怖い。
電マの強烈なパワーを受けるためには、ある程度自由でないと怖いのだ。
(鞭も一緒)
いつも枕をお守りに抱き、場合によっては体勢を調整して苦しさを逃がすような自由がほしい。
両手両足拘束されていたら、不自由だ。
それが怖い。
そんなことおかまいなしに、わたしの体は次々エクスタシーを迎える。
那智さん、無理です!!
といいながらイク。
拘束具がぎゃんぎゃんなるほど大暴れ。
いいね~
遊んでもらってうれしいね~
那智さんもおかまいなし。
体から汗が吹き出る。
那智さん、怖い、怖い
そういいながら何度もイク。
怖いね~
いや!!那智さん、やったことないこと、怖い!!
わたしは未知のものが怖いのだ。
滑り台で遊んでもらってるみたいだね~
何度目かのエクスタシーの後、すごい波がきた。
腰が浮き、手首の拘束具で体を支え、はじめての体勢ではじめの感覚でイク。
ああ、もうわたし、どうにかなりそう。
怖い、怖い。
このまま快感に落ちるもの怖いし、もし快感になれなくて苦しいだけになっても怖い。
知らないことは怖い。
那智さん、怖い!!
そう叫ぶ、わたしの心は本当に怖がっている。
でも、本当に怖いのに、那智さんがくれる恐怖は、極々わずかに疼く。
ああ、そんな冷静な分析なんて無意味なほど快感と苦しさの頂点から真っ逆さまに落ちるような感覚に、ただ『怖い』としかいえなかった。
(この先が怖い、でも、この先はどうなるの?)
そんなもうひとりのわたしの声がどこかで聞こえたような錯覚。
でも、わたしは怖いと叫び、涙が零れている。
那智さんも『もう充分』と判断したのだろう。
涙が滲んだところでおしまいになった。
那智さんは基本、わたしを怖がらせたいとは思っていない。
それは、わたしが快感に恐怖はないほうがいいと思っているわたしの気持ちと合っている。
恐怖を快感に変えられるほど、わたしは怖さに強くない。
だから、怖がったら(那智さんの判断で)やめてもらえないと、いつまでも委ねるときに恐怖が邪魔をしてしまいそうなので、やめてもらえるほうがありがたい。
わたしが、もう少し怖さに強かったら、その先を見ることができるかもしれないと思うと、怖がりは損かもしれないと思う。
ただ、怖がりだからこそ真剣に怖いと思えるし、その先の恐怖に怯え、快感とはいえない疼きを知ることができる。
そして、なにより『滑り台で遊んでもらっている』という那智さんの言葉の通り、この行為が那智さんの手のひらでコロコロ遊んでもらっているという目で見れば、高い滑り台に連れていかれて「お父さん、怖い~~;;」とべそかいて、「怖かったね~、でも、楽しかったね~」の黄金パターンを味わえるわけだ(笑)
怖いと真剣に暴れられることや、流す涙の甘さは怖がりだからこそのメリットかもしれないね^^
「等式」感想です。痛くて泣くのではなく、怖くて泣くのです。
りん子の恐怖は私も恐く、私自身がそれがトラウマになっているからかもしれません。(笑)だから、「怖さ」に対しては「よしよし、大丈夫だよ。」のスタンスが必要になります。
りん子が関連エントリーを下記に入れてくれるかな?
りん子(^-^)SM界隈で『怯える姿』や『怖がる様子』を楽しむS男性をお見受けしますが、本当に恐怖におののく女を甘くみてはいけないよ。
手に負える程度の怖がり方は予定調和ってことです(笑)
絶叫2