生きやすくの補足
独り言
前エントリーの『生きやすく』の補足です。
『成長』より『生きやすく』のほうが好きだなってことだけど、いま思い返すと那智さんもずっとそのスタンスでいてくれたと思う。
那智さんが以前いっていたことがある。
あるときわたしがあることで緊張してしまうと不安を口にしたら
緊張してしまうのは止めようがないからしかたないんだよ
だから、『緊張する』という前提で、どう対処したらいいかを考えておくんだ
って。
緊張しない!!と思うことはプレッシャーになって余計に萎縮しちゃう、だから、緊張すると知っておいて対処方法を用意しておくほうが、その人にとって優しいやり方だよね。
で、結果、よい結果になると思うんだ。
いま思えば、那智さんはわたしを変えようとはしなかったな。
わたしをそのまま受け止めて、ただわたしが幸福になれるようにやり方を教えてくれたり、思考回路を示してくれたり、それをずっと続けてくれた。
だから、わたしは『そのままの自分でいいのだ』と思え、教えてもらった対処方法で成功する『成功体験』を積み、生きやすくなれたんだ。
これと同じことで『成長』しなきゃと思うより、自分を知り対処方法を考えていくほうが、ずっと生きやすくなるよね。
だから、結果成長したら嬉しいけど、目指す旗は『生きやすくなる』だね^^
以前に
わたしのような人にはまず肯定が必要だから『ご主人様の好みに調教していただく』の関係は自己肯定感が持てないままだから、じつは不適切なんじゃないか。
丸ごと肯定されてはじめて、次の一歩を踏み出せると思うから『ご主人様と奴隷』的な関係より『お父さんと娘』みたなものもほうがいいんじゃない?
というようなことを書いたけど(エントリー見つけられなかった^^;)、これも通じることだよね。
お尻を叩いて奮起する人もいるだろうからどんな方法がいいかは好みなんだろうけど、わたしが『成長』より『生きやすく』なるほうが好きと思うのと同じように、那智さんもそうしてくれていたなと思うのだ。
那智さんはわたし変えようとしなかった。
当然、漠然とした将来像は思い描いていただろうけど、好きな女が苦しそうだから、対処方法を教え成功体験を積ませ、生きやすくしてあげたってだけだ。
これ、わたし、那智さんを見習って我が子にもよくいっていたんだ。
小さいころ、忘れ物がなかなか直らなかったときに『自分は忘れやすいんだってわかっておいて、じゃあ、どうしたらリカバリーできるか考えよう』って。
忘れ物するな!というより、よいかな〜と思ってね^^
そのことがらを否定しない。
あなたはあなたのままでいい、でも、生きにくいなら対処方法を考えよう。
それはけして、あなたの形を変える必要はないのだ。
よね^^
「等式」感想です。「生きやすく」何て言うかっこ良い言葉はりん子が考えたのではなかったかな。私は「楽に」と「出来るでしょ」を連発していたのかもしれないな〰昔話ですね。(笑)
前エントリーの『生きやすく』の補足です。
『成長』より『生きやすく』のほうが好きだなってことだけど、いま思い返すと那智さんもずっとそのスタンスでいてくれたと思う。
那智さんが以前いっていたことがある。
あるときわたしがあることで緊張してしまうと不安を口にしたら
緊張してしまうのは止めようがないからしかたないんだよ
だから、『緊張する』という前提で、どう対処したらいいかを考えておくんだ
って。
緊張しない!!と思うことはプレッシャーになって余計に萎縮しちゃう、だから、緊張すると知っておいて対処方法を用意しておくほうが、その人にとって優しいやり方だよね。
で、結果、よい結果になると思うんだ。
いま思えば、那智さんはわたしを変えようとはしなかったな。
わたしをそのまま受け止めて、ただわたしが幸福になれるようにやり方を教えてくれたり、思考回路を示してくれたり、それをずっと続けてくれた。
だから、わたしは『そのままの自分でいいのだ』と思え、教えてもらった対処方法で成功する『成功体験』を積み、生きやすくなれたんだ。
これと同じことで『成長』しなきゃと思うより、自分を知り対処方法を考えていくほうが、ずっと生きやすくなるよね。
だから、結果成長したら嬉しいけど、目指す旗は『生きやすくなる』だね^^
以前に
わたしのような人にはまず肯定が必要だから『ご主人様の好みに調教していただく』の関係は自己肯定感が持てないままだから、じつは不適切なんじゃないか。
丸ごと肯定されてはじめて、次の一歩を踏み出せると思うから『ご主人様と奴隷』的な関係より『お父さんと娘』みたなものもほうがいいんじゃない?
というようなことを書いたけど(エントリー見つけられなかった^^;)、これも通じることだよね。
お尻を叩いて奮起する人もいるだろうからどんな方法がいいかは好みなんだろうけど、わたしが『成長』より『生きやすく』なるほうが好きと思うのと同じように、那智さんもそうしてくれていたなと思うのだ。
那智さんはわたし変えようとしなかった。
当然、漠然とした将来像は思い描いていただろうけど、好きな女が苦しそうだから、対処方法を教え成功体験を積ませ、生きやすくしてあげたってだけだ。
これ、わたし、那智さんを見習って我が子にもよくいっていたんだ。
小さいころ、忘れ物がなかなか直らなかったときに『自分は忘れやすいんだってわかっておいて、じゃあ、どうしたらリカバリーできるか考えよう』って。
忘れ物するな!というより、よいかな〜と思ってね^^
そのことがらを否定しない。
あなたはあなたのままでいい、でも、生きにくいなら対処方法を考えよう。
それはけして、あなたの形を変える必要はないのだ。
よね^^
「等式」感想です。「生きやすく」何て言うかっこ良い言葉はりん子が考えたのではなかったかな。私は「楽に」と「出来るでしょ」を連発していたのかもしれないな〰昔話ですね。(笑)
認めるの補足
独特な幸福感
那智さんに抱いてもらわないとマイナス感情でいっぱいになって那智さんにぐずってしまう。
最近は、その変化に気づき『抱いてもらわないとダメです』といえるようになれた。
じゃあ『抱く』ってなんだろう??
たんに挿入に至るまでのいわゆる一連のセックスならいいのか。
それなら誰か他の男性のそれでも大丈夫ってこと?
それともSM的要素が必要なのか。
だったら、どの程度の『要素』ならよいのか。
はたまた、那智さんと一緒にすごしさえすれば、事足りるのか。
マイナス感情を解消し一定期間良好な状態を保ち那智さんのかわいい女でいるためには、どれが必要なのだろう??
心が伴うことは当然だとは思うけど、でも、形状(?)でいえば他の人のだって、バイブだって同じなわけで、でも、那智さんと会ってお食事だけすれば大丈夫ってわけでもないはずだから心だけでも、たぶんダメなのだ。
そんなことを思って、エントリーをアップした後に会ったときに話題にしてみた。
那智さん、わたしはセックスしてもらえば大丈夫になるなら、他の人でもいいともいえませんか?
それと、SMの要素があるときとないときがあるけど、わたしはなになら大丈夫になるのでしょう?
りん子はね、『性的に満足』すればいいんだよ
方法はどうあったとしても
それはいままでの積み上げてきたことや、積み上げてくられた関係も全部含めて得られる『性的な満足』なんだけどね
SM要素があっても、普通のセックスでも(その境はあいまいだけど)、時間がなくて駅のホームで露出っぽいことしてサクッとでも
とにかく性的にある一定の満足を得られればいいんだよ
あ〜、なるほど!
とてもシンプルなことだけど、とても納得。
わたしは『性的』に『満足』すればいいんだ。
でも、その満足を得るには那智さんじゃないとダメってことなんだ。
すこしひっかかっていたの。
大好きな那智さんでないとダメなことは当たり前と思いつつ、でも、だって形状(しつこい^^;)でいえば他にもあるのだし、なんていうか『那智さんじゃないと』というセリフがどこがキレイごとをいっているように感じちゃって、『那智さんじゃないと』と言い切る明確な根拠がほしかった。
わたしはおそらく性的欲求が高めのほうだけど、それと同じくらいリラックスできないし、過剰な自意識だし、相手の様子が気になってしまうから、安心して心と体に正直になることが困難なので、お互いの愛情やこれまでの性的関係の構築やそういうもの全部ひっくるめて、わたしが性的に満足をするには那智さんじゃないとダメなのだ。
だから、いろいろバリエーションがあるほうがいいんだよ
時間がないときもあるし、体調とかもあるだろ?
たしかに。
那智さんはもともと『SMを意識するな』といっていたように、わたしたちの行為に区別をつけなかった。
ただ、好きなもの同士が満たされることを楽しんでいただけだ。
その結果、わたしはいろいろな快感を知り、那智さんはたくさんカードを手に入れることができた。
SMの王道ではないかもしれないけど、目的は『ふたりが幸福で満たされる』こと(今日のエントリーはわたしのことばかりだけど^^;)だとするならカードは多いほうがいいということだ。
ああ、スッキリ。
はじめて会った日に「これがないと生きていかれないだろ?」と聞かれ、いや、心臓止まらないし、と陶酔できなかった。
それと同じように、どこか冷静なわたしが『那智さんじゃないとダメ』とわかりつつも、反面、陶酔ではない、その明確な根拠がほしかった。
薄くモヤモヤしていたことがスッキリ晴れた感じ^^
この那智さんとの愛情、精神的安心と満足と、性的な構築を凌駕するほどのテクニックを持っている人で那智さんと同じかそれ以上の『性的な満足』が得られれば、理論上は他の人でも大丈夫ではあるけれど、それはなかなか難しいし、誰も、そんなハードル超えたいとは思わないでしょうから。
といことで、きっぱり言い切れます。
わたしは那智さんじゃないとダメなのです^^
って、わたしはマゾ的嗜好も娘的欲求もあるけれど、大きな括りできっと『性的に満足』なんだよね。
『性的に満足』な女って^^;と思うけど、そう思えるのはずいぶんラクな気持ちです^^
<関連エントリー>
認める
意識するな
SMをしなくなったら
「これがないと生きていかれないだろう?」
はじめて会ってから
非様式美
「等式」感想です。「一定の満足」とはなんなのでしょう。言葉としては存在するけれど曖昧だな~(笑)その日によってボリュームが変化しそうだな。
那智さんに抱いてもらわないとマイナス感情でいっぱいになって那智さんにぐずってしまう。
最近は、その変化に気づき『抱いてもらわないとダメです』といえるようになれた。
じゃあ『抱く』ってなんだろう??
たんに挿入に至るまでのいわゆる一連のセックスならいいのか。
それなら誰か他の男性のそれでも大丈夫ってこと?
それともSM的要素が必要なのか。
だったら、どの程度の『要素』ならよいのか。
はたまた、那智さんと一緒にすごしさえすれば、事足りるのか。
マイナス感情を解消し一定期間良好な状態を保ち那智さんのかわいい女でいるためには、どれが必要なのだろう??
心が伴うことは当然だとは思うけど、でも、形状(?)でいえば他の人のだって、バイブだって同じなわけで、でも、那智さんと会ってお食事だけすれば大丈夫ってわけでもないはずだから心だけでも、たぶんダメなのだ。
そんなことを思って、エントリーをアップした後に会ったときに話題にしてみた。
那智さん、わたしはセックスしてもらえば大丈夫になるなら、他の人でもいいともいえませんか?
それと、SMの要素があるときとないときがあるけど、わたしはなになら大丈夫になるのでしょう?
りん子はね、『性的に満足』すればいいんだよ
方法はどうあったとしても
それはいままでの積み上げてきたことや、積み上げてくられた関係も全部含めて得られる『性的な満足』なんだけどね
SM要素があっても、普通のセックスでも(その境はあいまいだけど)、時間がなくて駅のホームで露出っぽいことしてサクッとでも
とにかく性的にある一定の満足を得られればいいんだよ
あ〜、なるほど!
とてもシンプルなことだけど、とても納得。
わたしは『性的』に『満足』すればいいんだ。
でも、その満足を得るには那智さんじゃないとダメってことなんだ。
すこしひっかかっていたの。
大好きな那智さんでないとダメなことは当たり前と思いつつ、でも、だって形状(しつこい^^;)でいえば他にもあるのだし、なんていうか『那智さんじゃないと』というセリフがどこがキレイごとをいっているように感じちゃって、『那智さんじゃないと』と言い切る明確な根拠がほしかった。
わたしはおそらく性的欲求が高めのほうだけど、それと同じくらいリラックスできないし、過剰な自意識だし、相手の様子が気になってしまうから、安心して心と体に正直になることが困難なので、お互いの愛情やこれまでの性的関係の構築やそういうもの全部ひっくるめて、わたしが性的に満足をするには那智さんじゃないとダメなのだ。
だから、いろいろバリエーションがあるほうがいいんだよ
時間がないときもあるし、体調とかもあるだろ?
たしかに。
那智さんはもともと『SMを意識するな』といっていたように、わたしたちの行為に区別をつけなかった。
ただ、好きなもの同士が満たされることを楽しんでいただけだ。
その結果、わたしはいろいろな快感を知り、那智さんはたくさんカードを手に入れることができた。
SMの王道ではないかもしれないけど、目的は『ふたりが幸福で満たされる』こと(今日のエントリーはわたしのことばかりだけど^^;)だとするならカードは多いほうがいいということだ。
ああ、スッキリ。
はじめて会った日に「これがないと生きていかれないだろ?」と聞かれ、いや、心臓止まらないし、と陶酔できなかった。
それと同じように、どこか冷静なわたしが『那智さんじゃないとダメ』とわかりつつも、反面、陶酔ではない、その明確な根拠がほしかった。
薄くモヤモヤしていたことがスッキリ晴れた感じ^^
この那智さんとの愛情、精神的安心と満足と、性的な構築を凌駕するほどのテクニックを持っている人で那智さんと同じかそれ以上の『性的な満足』が得られれば、理論上は他の人でも大丈夫ではあるけれど、それはなかなか難しいし、誰も、そんなハードル超えたいとは思わないでしょうから。
といことで、きっぱり言い切れます。
わたしは那智さんじゃないとダメなのです^^
って、わたしはマゾ的嗜好も娘的欲求もあるけれど、大きな括りできっと『性的に満足』なんだよね。
『性的に満足』な女って^^;と思うけど、そう思えるのはずいぶんラクな気持ちです^^
<関連エントリー>
認める
意識するな
SMをしなくなったら
「これがないと生きていかれないだろう?」
はじめて会ってから
非様式美
「等式」感想です。「一定の満足」とはなんなのでしょう。言葉としては存在するけれど曖昧だな~(笑)その日によってボリュームが変化しそうだな。
TPO
140字もどき
『わたしはわたしの着たい服を着る』という言葉が各所?で物議を醸している(笑)
『その言葉だけが一人歩きしている』のと『りん子という女の発言である』の距離感が両極端な原因もあると思うのだけど^^;
それでも、やっぱり描きたいから書こう。
とにかく、法律や条例に違反する格好ではないことはもちろんだし、いちおうTPOを考えた範囲内で着ているつもり。
我が子の参観日には普通の服だし(むしろ地味目)、義理実家に行くときはカジュアルで動きやすい服を選ぶし、冠婚葬祭で礼服やそれに準ずる服を着ている。
だから、『わたしはわたしの着たい服を着る』という言葉の前には『TPOに合わせて』という見えない前提がついていることは、まあ、書かなくてもわかっていただけていると信じております(笑)
ただ、この『TPO』っていうヤツが厄介で。
TPOでも一般常識でもマナーでも、とにかくそういう類いのもの。
(このエントリーでは総称して『TPO』とします)
日常生活の中でジャケット着用などのドレスコードがあるわけではないので、じつは『TPO』的なものは、相当曖昧で、なおかつ主観が多分に含まれるものだからです。
わたしは文化や歴史が詳しいわけではないけれど、その国ごとに、時代ごとに常識やマナーや『TPO』は変化していますよね。
わたしが子どもの頃はタバコにポイ捨てなんて普通だったけど、いまはあり得ないでしょ?
夏にノーネクタイなんて当たり前になったけど、数年前まではそうじゃなかったしね。
わずか何年かの単位でどんどん変わっていくものもあるし、国や地方ではまた違うマナーがあったりするので、ものすごく曖昧なことを言っているんだ。
(これは極端なまとめかもしれないけど、でも、常識なんてこれくらい斜めに見ていたいです
『親世代の真似をしようとするのはやめろ!親の言うことも聞くな!理想と思われる生活はたった一世代の常識』)
さらに、じつは、そこそこ主観も混ざっている。
たとえばね。
住んでいるマンションに女子高生がふたりいたとして、ひとりはエレベーターで会うといつもニコッときちんと挨拶する子で、もうひとりはエレベーターで一緒になってもぶすっとして挨拶もしないような子がいるとしてね。
その子たちが、夏休み明けとかに急に制服のスカートが短くなってて、ちょっと驚くとするでしょ。
そのときに湧く感情は、はたして両方の子に対して寸分違わない感情になるだろうか。
わずかでも、挨拶しない子に対する感情のほうがマイナスになりそうじゃない?
もしくは、挨拶をする子に『おしゃれになっちゃって♪』みたいなプラスの感情が湧かないだろうか。
わたしは、たぶん、湧く。
湧くのはしかたないと思っている。
人は対象人物にもともと持っている印象や感情で、同じ事例でも違う感情を持ってしまうものだと思っています。
絶対1ミリも差はないという人にはこのお話しは当てはまらないので、スルーしてほしいのですが。
残念ながら、わたしはそうです。
(それを自覚しているからこそ、いつも公平でいたいと思っているけどね)
だからこそ、わたしは『高校生らしく』という『TPO』は使いたくないのだ。
このように、『TPO』という曖昧なものは、主観が含まれてより独自のものになっていくと、わたしは思っています。
だから、『TPO』は厄介だし、わたしは使いたくないので、その前提は書きたくないなと思うのです。
ということで、やっぱり、わたしはわたしの着たい服を着ます、としかいえないな~^^
ところで、男性の欲望を刺激する服を着る場合(これだって、どんな服が刺激するかも男性によって違うけど)、それによるメリットデメリットを認識しておくことはとても大事なことですが。
(宗教や国の事情によって、個人の好みでだけでは語れないことのありますよね)
ただ、それによって犯罪や侵害の被害に遭った場合に、当然だと諦めるつもりはないし、加害者側を糾弾することは至極当然の権利だと思っています。
デメリットを認識することと、加害者を糾弾することはひとまとめにして考えないようにわたしはしています。
「等式」感想です。(笑)「男性(全般)の欲望を刺激する服」が存在するなんて女性の妄想ではないかな、大人には嗜好があります。性(生)を知らない「お子さま」にはあるかもしれないけれど。私自身が子供の時を想像したらのお話です。(笑)
『わたしはわたしの着たい服を着る』という言葉が各所?で物議を醸している(笑)
『その言葉だけが一人歩きしている』のと『りん子という女の発言である』の距離感が両極端な原因もあると思うのだけど^^;
それでも、やっぱり描きたいから書こう。
とにかく、法律や条例に違反する格好ではないことはもちろんだし、いちおうTPOを考えた範囲内で着ているつもり。
我が子の参観日には普通の服だし(むしろ地味目)、義理実家に行くときはカジュアルで動きやすい服を選ぶし、冠婚葬祭で礼服やそれに準ずる服を着ている。
だから、『わたしはわたしの着たい服を着る』という言葉の前には『TPOに合わせて』という見えない前提がついていることは、まあ、書かなくてもわかっていただけていると信じております(笑)
ただ、この『TPO』っていうヤツが厄介で。
TPOでも一般常識でもマナーでも、とにかくそういう類いのもの。
(このエントリーでは総称して『TPO』とします)
日常生活の中でジャケット着用などのドレスコードがあるわけではないので、じつは『TPO』的なものは、相当曖昧で、なおかつ主観が多分に含まれるものだからです。
わたしは文化や歴史が詳しいわけではないけれど、その国ごとに、時代ごとに常識やマナーや『TPO』は変化していますよね。
わたしが子どもの頃はタバコにポイ捨てなんて普通だったけど、いまはあり得ないでしょ?
夏にノーネクタイなんて当たり前になったけど、数年前まではそうじゃなかったしね。
わずか何年かの単位でどんどん変わっていくものもあるし、国や地方ではまた違うマナーがあったりするので、ものすごく曖昧なことを言っているんだ。
(これは極端なまとめかもしれないけど、でも、常識なんてこれくらい斜めに見ていたいです
『親世代の真似をしようとするのはやめろ!親の言うことも聞くな!理想と思われる生活はたった一世代の常識』)
さらに、じつは、そこそこ主観も混ざっている。
たとえばね。
住んでいるマンションに女子高生がふたりいたとして、ひとりはエレベーターで会うといつもニコッときちんと挨拶する子で、もうひとりはエレベーターで一緒になってもぶすっとして挨拶もしないような子がいるとしてね。
その子たちが、夏休み明けとかに急に制服のスカートが短くなってて、ちょっと驚くとするでしょ。
そのときに湧く感情は、はたして両方の子に対して寸分違わない感情になるだろうか。
わずかでも、挨拶しない子に対する感情のほうがマイナスになりそうじゃない?
もしくは、挨拶をする子に『おしゃれになっちゃって♪』みたいなプラスの感情が湧かないだろうか。
わたしは、たぶん、湧く。
湧くのはしかたないと思っている。
人は対象人物にもともと持っている印象や感情で、同じ事例でも違う感情を持ってしまうものだと思っています。
絶対1ミリも差はないという人にはこのお話しは当てはまらないので、スルーしてほしいのですが。
残念ながら、わたしはそうです。
(それを自覚しているからこそ、いつも公平でいたいと思っているけどね)
だからこそ、わたしは『高校生らしく』という『TPO』は使いたくないのだ。
このように、『TPO』という曖昧なものは、主観が含まれてより独自のものになっていくと、わたしは思っています。
だから、『TPO』は厄介だし、わたしは使いたくないので、その前提は書きたくないなと思うのです。
ということで、やっぱり、わたしはわたしの着たい服を着ます、としかいえないな~^^
ところで、男性の欲望を刺激する服を着る場合(これだって、どんな服が刺激するかも男性によって違うけど)、それによるメリットデメリットを認識しておくことはとても大事なことですが。
(宗教や国の事情によって、個人の好みでだけでは語れないことのありますよね)
ただ、それによって犯罪や侵害の被害に遭った場合に、当然だと諦めるつもりはないし、加害者側を糾弾することは至極当然の権利だと思っています。
デメリットを認識することと、加害者を糾弾することはひとまとめにして考えないようにわたしはしています。
「等式」感想です。(笑)「男性(全般)の欲望を刺激する服」が存在するなんて女性の妄想ではないかな、大人には嗜好があります。性(生)を知らない「お子さま」にはあるかもしれないけれど。私自身が子供の時を想像したらのお話です。(笑)
人間味
独り言
那智さんが、那智さんが、お酒を残した!!!(笑)
終業時間を過ぎ、週末の大きなイベントに向けてひとり作業をしながら一杯ひっかけたらしい。
頭を使う作業ではなかったそうなので、まあ景気付けかな(笑)
焼酎をワンカップ買ってきてお湯で割り飲みはじめたのだけど、思いのほか作業が早く片付いたのだろう、そろそろ帰ろうかという段階で半分くらい残っていたのだ。
で、それは蓋をして鞄にしまいお持ち帰りして、翌日の出張用にしたらしい。
半分くらいキューッと飲んじゃえ!!ってしても不思議ではないのに、残した(笑)
まあ、加齢に伴い多少無理はしづらくなってきたとはいえ、まだ肝臓の実力は衰えていないはずなのに。
らしくない?
ううん、わたしはちょっとうれしかった。
それは飲みすぎはよくないという一般常識的な物差しではなく(それもあるけど)
那智さん、きっと自分に素直になれているんだ。
自分の体調や心の状態にちゃんと耳を傾け判断している。
人間だもの(!!)、その日の体調によってアルコールがおいしいと感じるときとそうじゃないときはあるよね。
アルコールに限らず、体調や精神状態で人は日々変化しているわけで、それに耳を傾け、その都度自分に優しいほうを選んで行いく。
これは、その人にとって、ものすごく大事なことだと思うんだ。
ついつい固定観念やなんやらで、自分の状態とは関係ないところで判断しちゃうことってありがちだよね。
那智さんなんて『男子たるもの』や『男の子の沽券』にガッチリホールドされていたのだから、きっと自分の状態なんて二の次さんの次、眼中なしだったと思うのです。
きっとお酒もそう(笑)
いっぱい飲むほうがカッコいい、とか
残すなんて酒に負けているようだ、とか
ときに、無理をしてでも踏ん張らないといけないこともあるでしょうけれど、お酒なんて、そんな踏ん張るものではないのですから、自分の状態によって判断していくほうが、自分にとっていいことだし、じつは、その判断ができることも魅力です。
那智さんはいままで『男の子の沽券』ロボットだったの(笑)
それも那智さんの魅力でもあったけど、自分の状態を素直に感じ自然に判断している那智さんもとても素敵です。
人間味の魅力です(笑)
だから、那智さんがお酒を残したことは、うれしいニュースだったのでした^^
といことで、那智さん、人間になりました(褒めてます!!)
那智さんが、那智さんが、お酒を残した!!!(笑)
終業時間を過ぎ、週末の大きなイベントに向けてひとり作業をしながら一杯ひっかけたらしい。
頭を使う作業ではなかったそうなので、まあ景気付けかな(笑)
焼酎をワンカップ買ってきてお湯で割り飲みはじめたのだけど、思いのほか作業が早く片付いたのだろう、そろそろ帰ろうかという段階で半分くらい残っていたのだ。
で、それは蓋をして鞄にしまいお持ち帰りして、翌日の出張用にしたらしい。
半分くらいキューッと飲んじゃえ!!ってしても不思議ではないのに、残した(笑)
まあ、加齢に伴い多少無理はしづらくなってきたとはいえ、まだ肝臓の実力は衰えていないはずなのに。
らしくない?
ううん、わたしはちょっとうれしかった。
それは飲みすぎはよくないという一般常識的な物差しではなく(それもあるけど)
那智さん、きっと自分に素直になれているんだ。
自分の体調や心の状態にちゃんと耳を傾け判断している。
人間だもの(!!)、その日の体調によってアルコールがおいしいと感じるときとそうじゃないときはあるよね。
アルコールに限らず、体調や精神状態で人は日々変化しているわけで、それに耳を傾け、その都度自分に優しいほうを選んで行いく。
これは、その人にとって、ものすごく大事なことだと思うんだ。
ついつい固定観念やなんやらで、自分の状態とは関係ないところで判断しちゃうことってありがちだよね。
那智さんなんて『男子たるもの』や『男の子の沽券』にガッチリホールドされていたのだから、きっと自分の状態なんて二の次さんの次、眼中なしだったと思うのです。
きっとお酒もそう(笑)
いっぱい飲むほうがカッコいい、とか
残すなんて酒に負けているようだ、とか
ときに、無理をしてでも踏ん張らないといけないこともあるでしょうけれど、お酒なんて、そんな踏ん張るものではないのですから、自分の状態によって判断していくほうが、自分にとっていいことだし、じつは、その判断ができることも魅力です。
那智さんはいままで『男の子の沽券』ロボットだったの(笑)
それも那智さんの魅力でもあったけど、自分の状態を素直に感じ自然に判断している那智さんもとても素敵です。
人間味の魅力です(笑)
だから、那智さんがお酒を残したことは、うれしいニュースだったのでした^^
といことで、那智さん、人間になりました(褒めてます!!)
ぬくぬく
独特な幸福感
冬の会う日はお風呂がしあわせ。
ホカホカのお風呂に那智さんと一緒に入るとお湯の温かさと那智さんの温かさの両方に浸かっているみたいだから。
窓があるお風呂だったらなおよし。
日差しのぬくもりも追加して、ゆらゆらぽかぽか、だ。
でも、ちょっぴりせっかち那智さんはサクッと出て洗いはじめちゃう(笑)
しかも、のぼせやすいわたしもいうほど長風呂できない(笑)
なので、幸福感とは裏腹にあっさりした時間だったりする^^;
でも、これは冬場特有の幸せだね〜。
冬の会う日はお風呂がしあわせ。
ホカホカのお風呂に那智さんと一緒に入るとお湯の温かさと那智さんの温かさの両方に浸かっているみたいだから。
窓があるお風呂だったらなおよし。
日差しのぬくもりも追加して、ゆらゆらぽかぽか、だ。
でも、ちょっぴりせっかち那智さんはサクッと出て洗いはじめちゃう(笑)
しかも、のぼせやすいわたしもいうほど長風呂できない(笑)
なので、幸福感とは裏腹にあっさりした時間だったりする^^;
でも、これは冬場特有の幸せだね〜。